2008年05月24日

山根貞男連続講座 [加藤泰の世界]5報告

2008年5月24日(土)


山根貞男連続講座 [加藤泰の世界]5報告《映画記者の仕事/映画批評家の仕事》を、若き映画研究者、羽鳥隆英氏がご寄稿くださいました。


《寄稿》 映画記者の仕事/映画批評家の仕事

羽 鳥 隆 英


 当代随一の映画批評家・山根貞男による連続講座《加藤泰の世界》は、早くも第5回目を数えることになった。今回、分析の俎上にのせられたのは、長谷川伸の同名戯曲を原作とする時代劇映画『瞼の母』(1962)である。筆者は目下、長谷川伸文学の映画化作品に関する研究論文を準備しているため、こうして報告を書かせていただくこと自体、貴重な精進の機会であり、まずは山根氏と神戸映画資料館の皆様に感謝を申し上げる次第である。

 連続講座の第1回目において『大江戸の侠児』(1960)を取り上げた際、原作となった山上伊太郎の脚本『時代の驕児』(稲垣浩監督、1932)と、加藤泰による再映画化版との詳細な比較を議論全体の根底に据えた山根貞男は、今回『瞼の母』を考察するに当たっても、長谷川伸の原作や、加藤泰以前に映画化されたいくつかの版を紹介することから議論を開始させた。映画学の立場から長谷川伸を研究している筆者にとっては、たとえば今日容易に見ることのできない佐伯幸三監督版『瞼の母』(1952)が、当時「母もの」映画と呼ばれる一連の作品に主演して人気を獲得していた三益愛子に主人公の母親=お浜役を、そして、どちらかといえば現代劇映画の俳優である堀雄二に本来の主人公=番場の忠太郎役を演じさせることで、「股旅もの」であるところの原作を見事「母もの」映画へと換骨奪胎している、という指摘に大変興味を惹かれたのだが、ともかく話題を加藤泰に戻そう。

 かつて神戸映画資料館館長・安井喜雄と共同で編集した『加藤泰、映画を語る』(筑摩書房、1994)などを援用しつつ、山根は加藤泰版『瞼の母』をめぐる内幕の数々を我々に明かしてくれる。そもそも加藤は、片岡千恵蔵主演で最初に『瞼の母』を映画化した稲垣浩監督版(1931)に感銘を受け、いつの日にか自身の手で再映画化するべく、あらかじめ脚本を準備していたようである。折しも伊藤大輔監督、中村錦之助主演で企画されていた『源氏九郎颯爽記 秘剣揚羽の蝶』が製作延期となり、その番組の穴を埋めるべく、映画化の当てもないままに執筆されていた加藤版『瞼の母』の脚本が、急遽、東映首脳部からの指名を受けることになった。とはいえ製作日数の余裕は、通常の作品に振り分けられる半分程度の15日しかない。そこで加藤は以下の秘策を提案した。すなわち(1)すべての撮影を撮影所内で行うこと、(2)すでに監督に昇進していた倉田準二の指揮下、完全な第2班を組織すること、(3)準備時間を短縮するために長廻し撮影を基本とすること、の3点である。

 (1)については、撮影期間が年末(12月14日‐28日)に当たっていたため、加藤組以外の撮影と重複しなかったことが幸いし、また(2)については、加藤作品における助監督経験を通じて互いに気心の知れていた倉田準二の存在が大きかったようである。山根によれば、たとえば中村錦之助扮する番場の忠太郎が浪花千栄子の老婆と縁を結ぶ雪の場面の撮影は以下のようであったという。すなわち加藤泰と中村錦之助が別の場面を撮影するのに並行して、倉田の指揮のもと、撮影・照明その他の担当が各々の職分を尽くし、浪花千栄子、酔漢を演じる星十郎、大勢の仕出し、そして錦之助の代役らが稽古を重ねる。そこへ撮影を終えた加藤と錦之助とが合流し、加藤は倉田の、錦之助は代役の役回りをそれぞれ引き継いで撮影を完了するのである。さらに山根は、こうした加藤=倉田間の信頼関係がその後も続き、仁侠映画『明治侠客伝 三代目襲名』(1965)で藤山寛美の扮する流れ者が殺される場面なども同様の手法で撮影されたことを明かして、加藤作品における倉田準二の存在意義を強調している。最後に(3)について、山根は、長廻し撮影は『瞼の母』以前にも皆無ではなかったものの、この作品以降、その使用は増えていくと指摘しており、加藤にとって『瞼の母』の体験が大きな転換点になったことをうかがわせる結論となっている。

 以上のように、映画撮影の内幕を熟知している山根貞男は、しかし同時に、自身の映画に対する鋭敏な感性をもって『瞼の母』に対峙する。映画の冒頭、中村錦之助扮する番場の忠太郎と松方弘樹扮する金町の半次郎が飯岡助五郎に白刃を向ける場面において、一般的な物語映画の慣習を無視し、何の予備知識もない観客をいきなり乱調のなかに突き放す加藤の驚くべき演出が、前述したように、この映画が伊藤大輔監督作品の穴埋めであり、したがって決して「お蔵」入りすることはないという計算のうえに成り立っているという指摘は、商業映画の製作現場を熟知し、加藤泰をはじめとする多数の映画人への聞き取り調査を実施してきた映画記者としての山根貞男から生まれてきた結論であろうが、反対に『瞼の母』における長廻し撮影が、古典的な切り返し編集に移行する契機として、母親が息子に対して投げかける衝撃的な台詞があるという見解は<註1>、映像と音響との織物である映画に対して、独自の映画的な感性をもって対峙している、映画批評家としての山根貞男からこそ生まれてきた言葉だといえるだろう。それはまた、主演俳優=主人公であるにもかかわらず、しばしば観客に背を向けてしまう中村錦之助=番場の忠太郎と、そうした彼の顔を、画面がそっとまえに廻り込んで捉えることの反復がもたらす効果、いいかえれば観客に背中を向けることの静謐な緊張感についての鋭敏な指摘にも看取できることである。

 本稿を閉じるまえに、今回の講義で触れられなかった事柄をひとつ指摘しておきたい。それは、前述した冒頭の乱闘場面において、松方弘樹に斬り付けられる博徒・飯岡助五郎に扮した瀬川路三郎についてである。瀬川は1920年代から1960年代にかけて、時代劇映画を中心に活躍した俳優であり、蟹を思わせる《映画のための風貌》によって敵役を得意とした名脇役である。瀬川の出演作品は多岐にわたるが、なかでも印象に残るのは、やはり千恵プロ時代の時代劇映画であろう。同時期に朋輩であった香川良介が、千恵プロの解散以降も一貫して時代劇映画の第一線で活躍したのに対して、やや遅れをとった形の瀬川の場合、その映像は千恵蔵プロ時代の諸作を、とりわけ強烈に我々に想起させることになる。

 その瀬川路三郎に、映画の冒頭で斬り付ける。このことの時代劇映画史における含意は明瞭であろう。じっさい瀬川は、加藤泰が感銘を受け、彼をして映画化の当てのない脚本を執筆させる契機ともなった稲垣浩版『瞼の母』で、主人公に最後に斬られる博徒・素盲の金五郎に扮しているのである。片岡千恵蔵=番場の忠太郎が最後に斬り捨てた博徒に、もういちど斬りつけることから開始される中村錦之助=番場の忠太郎の物語。この場合、はたして加藤自身が、瀬川の取り持つ稲垣版『瞼の母』との因縁を自覚していたかは問題ではないだろう。そうではなく、師匠・伊藤大輔の衣鉢を受け継ぎ、戦前の時代劇映画の大いなる遺産と格闘し続けた加藤泰の手になる『瞼の母』において、時代劇映画の《過去=1931》と《現在=1962》が見事に連続していること、そのこと自体が意義深いのである。

 稲垣浩版において幸福な結末を迎えた母親と息子とは、加藤泰版では結局和解することができない。それを山根は「非情」と形容する。その「非情」の背後で、しかしながら、息子=加藤泰版が父親=稲垣浩版とひそかに互いの絆を確認しあっていたとすれば、この「非情」な映画が、同時に時代劇映画への愛情に満ち溢れていることも理解できるだろう。

<註>
1  この点について、今回の講座で山根が言及したのは以下の箇所である。すなわち飯岡一味との喧嘩に出向こうとする松方弘樹に対して、母親役の夏川静江が「親を殺して行くがいい」という場面、および物語の山場において中村錦之助が生き別れた息子だと名乗り出るのに対して、母親役の木暮実千代が「這い込み」だと決め付ける場面の2箇所である。


羽鳥隆英(映画研究者)
日本学術振興会特別研究員(京都大学大学院人間・環境学研究科)。現在、長谷川伸を主題とした博士申請論文を準備中。



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2008年03月29日

山根貞男連続講座 [加藤泰の世界]3報告

2008年3月29日(土)


山根貞男連続講座 [加藤泰の世界]3報告《長谷川伸の遺産》を、若き映画研究者、羽鳥隆英氏がご寄稿くださいました。


《寄稿》 長谷川伸の遺産

羽 鳥 隆 英


 『大江戸の侠児』(1960)から『みな殺しの霊歌』(1968)へというように、これまで傍流に置かれてきた作品に光を当ててきた連続講座《加藤泰の世界》は、第三回目で方向を大きく転換し、加藤泰の代表作の一本である『緋牡丹博徒 花札勝負』(1969)を取り上げた。すでに英語圏においても、Red Peony Gambler: Flower Card Matchという、日本語圏の人間にはいささか微笑ましい《邦題》とともに、その独自性が映画学者たちの耳目を集めている『花札勝負』は、<註1>日本においても仁侠映画の傑作として、従来から高い評価を受けてきた。この古典的な作品に、山根貞男は、果たしてどのように挑むのであろうか。

 加藤が生前に書き記した文書をもとに、山根はまず、われわれ聴衆に、『花札勝負』の脚本がどのように創造されたのかを解説する。山根が語るところによれば、この映画の第一稿は、脚本担当として名前が記されている鈴木則文、鳥居元宏の両人の手になるものである。この第一稿をもとに、加藤泰、鈴木、鳥居の三人がロケイション・ハンティングを行い、その過程を通じて、加藤が脚本の不備を指摘する。これを受けた鈴木、鳥居の二人は再度協力し、連名で第二稿を完成する。すると今度は加藤と鈴木とが第二稿についての討論を行い、その結果を踏まえ、鈴木が単独で第三稿を仕上げることになる。この第三稿を完成稿として、加藤は撮影を開始する。これまでに経過した時間は、驚くべきことに、わずか二週間である。しかし、より興味深いのは、脚本の改訂が撮影開始をもって終わるわけではないことである。撮影中も加藤は第三稿に手を入れ続け、年末年始に撮影が休暇に入った折を見計らい、単独で第四稿を書き上げる。そして、新年最初の撮影を第四稿に従って再開しながらも、なお加藤は撮影終了まで、脚本の細部を検討し続けることになる。

 以上のように、加藤泰は『花札勝負』の脚本を徹底的に検討し続ける。では、この改訂作業を通じて、加藤が追求したものとは果たして何か。山根貞男はその答えを、仁侠映画に対する加藤の個人的な信条を念頭に置くことによって、外堀から同定していこうとする。

 山根が厳しく批判するように、加藤泰が仁侠映画の作家であるという思い込みは、加藤の映画的経歴に対する無知によっている。例えば加藤が、仁侠映画の一方の雄である高倉健を演出した作品は、目下分析の対象となっている『花札勝負』一本のみだからである。さらに山根の語るところによれば、加藤が初めて仁侠映画を演出した『明治侠客伝 三代目襲名』(1965)は、そもそも小沢茂弘を監督に想定した企画であり、プロデューサー・俊藤浩滋と小沢との確執の結果、急遽、加藤泰に白羽の矢が立った作品である。そして、この映画の監督を引き受けるに当たり、加藤は俊藤に以下のような注文を付けたという。一般の仁侠映画のような博徒礼賛の作品に興味はない。しかし男と女のメロドラマを撮るのであれば意を尽くす。例えば長谷川伸の戯曲に見られるような、と。俊藤は加藤に小沢の代役を依頼するに当たって、その力量を確かめるために、かつて加藤が演出した長谷川伸原作の股旅映画『瞼の母』(1962)を試写し、その出来栄えに感銘を受けていた。加藤の姿勢に我が意を得た思いの俊藤は、『三代目襲名』の成功に向けて勇躍することになる。

 以上のように、加藤は《仁侠道》を手放しで礼賛する映画に一定の距離を置いていた。その加藤なればこそ、『花札勝負』の脚本を検討し続けたのではないか。このように山根は推測する。実際、加藤は、博徒に他人の窮地を救うことができるのかという、仁侠映画の根幹を揺るがせかねない疑念を抱いていたようである。《弱きを助け、強きを挫く》という理想化された侠客像を描くのではなく、市井の男女を低い目線から描くこと。加藤が自身に課したこうした要求は、『花札勝負』においてはいかに達成されているのだろうか。

 山根が語るところによれば、『花札勝負』は三組の男と女の物語である。その第一は、山根が《ロミオとジュリエット》にもなぞらえる、敵対する貸元(嵐寛寿郎/小池朝雄)それぞれの縁に繋がる若い恋人たちである。その第二は、かつて主人公《緋牡丹のお竜》(藤純子)に盲目の娘の危難を救われながら、それと知らずにお竜の名を騙り、いかさま博打を続けるお時(沢淑子)と、やはり流れ者でお竜と盆の上で勝負を決する《化け安》(汐路章)の夫婦である。そして第三は、《緋牡丹のお竜》自身と、彼女とは敵対関係にありながら、彼女に母親の面影を感じてしまう博徒・花岡彰吾(高倉健)の二人である。このとき、一般の仁侠映画であれば、《緋牡丹のお竜》と花岡彰吾―あるいは藤純子と高倉健というべきであろうか―が《ロミオとジュリエット》の恋を成就させ、また結果的には両親を失うことになる盲目の少女の治療に専念することは、《弱きを助け、強きを挫く》侠客のとるべき当然の行動として描写される。しかし、『花札勝負』においては、彼らはより個人的な心情から自身の行動を決定していく。例えば、お竜とお時という二人には、お時の娘を媒介にした女同士の連帯が生まれ、互いの互いに対する真心が高まっていく。そしてこの真心からこそ、二人が、自分たちとは行きずりの縁しかない博徒同士の出入に命を懸けるという結果を生むのである。《仁侠道》という金科玉条に全体主義的に従属するのではなく、より低い目線から、善悪の闘争に主体的に参加する女と男。彼らを描くためにこそ、加藤泰は脚本を改訂し続けた。このように山根貞男は想像するのである。

 こうして議論を進めてきたときに、『花札勝負』という仁侠映画が、加藤泰自身の語るように、長谷川伸の文学/演劇的遺産を忠実に継承していることが明らかになるだろう。いうまでもなく、長谷川の股旅小説/戯曲とは、《仁侠道》という金科玉条にではなく、むしろ個人的な心情に基づいて、自身の運命を一歩一歩切り開いていこうとする男と女のメロドラマである。時代劇映画から仁侠映画へという主流ジャンルの変遷を超越して継承される長谷川伸的な世界。筆者は現在、「日本映画史におけるメロドラマ的想像力の研究―長谷川伸文学の映画化作品を中心に」と題する研究を継続しているが、『花札勝負』を再見して、長谷川伸が日本映画史に残した遺産の莫大さを再認識させられた思いである。

 本稿を閉じる前に、山根貞男にぶつけてみたい質問がある。すでに指摘されたように、『花札勝負』は長谷川伸の影響下にあり、それは例えば嵐寛寿郎と高倉健の決闘場面が、ほぼ長谷川の戯曲『沓掛時次郎』(1928)の引用である点からも看取できる。とはいえ、こうした引用はきわめて禁欲的になされ、いわゆる《遊び心》はほとんど感じられない。これに対して、加藤泰が『花札勝負』に続いて演出した後日譚『緋牡丹博徒 お竜参上』(1970)では、舞台が明治期の浅草・六区に設定され、当時最新の発明であった活動写真や、上記『沓掛時次郎』を初演した新国劇の十八番『月形半平太』を想起させる剣劇などが興行されている。また、山城新伍扮する巾着切は、酔った勢いで《緋牡丹博徒》の主題歌を熱唱し、1970年前後に人気を誇った漫才師の鳳啓助・京唄子は、ほとんど自分自身の役柄で出演して笑いを振りまいている。長谷川伸の大いなる遺産を継承しつつも、それが度重なる脚本改訂のなかで自家薬籠中のものにされている『花札勝負』から、映画の過去や現在に向けての戯れかけが、物語世界の内部と外部とを不意に通底させてしまう『お竜参上』への移行。その背後には、いったいどのような事情があるのだろうか。加藤泰自身は、二本の《緋牡丹博徒》映画が示す差異に自覚的だったのだろうか。今後、連続講座のなかで『お竜参上』が取り上げられる折には、何としても山根貞男に尋ねてみたいと思う。

<註>
1  たとえばDavid Bordwell, Poetics of Cinema (New York: Routledge, 2008)などが挙げられる。


羽鳥隆英(映画研究者)
日本学術振興会特別研究員(京都大学大学院人間・環境学研究科)。現在、長谷川伸を主題とした博士申請論文を準備中。



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2008年02月23日

山根貞男連続講座 [加藤泰の世界]2報告

2008年2月23日(土)


山根貞男連続講座 [加藤泰の世界]2報告《クロースアップのバリエーション》を、若き映画研究者、北浦寛之氏がご寄稿くださいました。


《寄稿》 クロースアップのバリエーション

北 浦 寛 之

 連続講座第二回目の批評対象となった作品は、加藤泰唯一の、同時代を舞台にした現代劇映画として記憶に留められている、1968年公開の『みな殺しの霊歌』である 。1968年と言えば、やくざ映画とピンク映画の絶頂期に当たり、大衆は当たり前のように暴力とセックスを享受していた。本作品にも暴力的でエロティックな場面は随所に見られる。とは言っても、本作品は紛れもない加藤泰の映画であり、単純な暴力とセックスの表象に帰着するはずはない。山根貞男は暴力ならびにセックス描写で印象的に用いられているクロースアップに着目し、そのクロースアップの議論を敷衍させながら本作品を分析していった。

 物語はマンションの一室で女が強姦され殺害される場面から始まる。山根はこの冒頭部のエロスとタナトスが交錯する場面に加藤泰の演出上の意志が感じられると言う。すなわち、映画がスクリーンをすっかり覆うほどの超クロースアップの女の顔から始まると、キャメラは男に乱暴され、犯され、苦悶の表情を浮かべる女を何度もクロースアップで収めて提示していく。なるほど、同時代の映画スタイルの範例を過剰なまでに具体化した始まり方であることは間違いない。ただ、加藤泰は無作為に迫力のある画面を創造しているわけではない。そのことがわかるのが、女が殺害されてクレジットタイトルへと画面が切り替わり、そのなかに断続的に挿入される、警察の現場検証を収めた場面においてである。

 女が殺されたマンションの一室を、刑事たちが動き回り、犯罪の痕跡を調べている。やがて、キャメラは窓際までやってきたひとりの刑事に注目する。するとその直後、これまでの密閉した空間とは一変して、われわれの眼前に開けた世界が出現する。刑事の視点から撮られたショットが、部屋から見える広い世界を映し出すのである。映し出された屋外の光景は、この後、物語上重要なトポスとして幾度となく挿入されるのであり、ここでの提示は物語を円滑に進行させる潤滑油として機能する。だが、山根はそうした物語的な文脈においてではなく、映像的、視覚的文脈からこの屋外のショットが映画の冒頭で印象的に提示されたことを評価する。

 本作品は、集団就職で田舎から出てきた少年を死に追いやった五人の有閑マダム(物語冒頭で殺害される女を含む)を、少年と親交があった前述の男、川島(佐藤允)が次々に部屋で強姦しては殺していく、復讐劇の一面を持っている。それもあって、これからもマダムたちが殺害される場面で(全員の殺害場面が詳しく提示されることはないが)何度も利用されるクロースアップは彼女たちへの川島の憎悪を翻訳するという重要な役割を担っているのだが、山根はその川島の憎悪を内包したクロースアップを際立たせるために、屋外のショットが映画の冒頭で印象的に提示される必要があったと述べ、これからも幾度となく映画内に挿入される必要があることを強調する。


 外部が存在感を持つことで内部も際立つ。本作品では外部と内部の二項対立的な図式が観客に印象付けられることが重要なのである。そして、その二項対立的関係のなかで映し出されるマダムたちのクロースアップの映像は、内部の密閉した空間を観客に意識させ、ある種の閉塞感をもよおさせながら、女たちの苦しみをフレームに充満させると同時に、復讐鬼川島の突出する怒りを表象する装置としても機能するのである。

 山根はまた本作品においてクロースアップが、機能を変えながらいたるところで有効に活用されていることにも注意を向けている。例えば、川島と恋人関係になるヒロイン春子(倍賞千恵子)を捉えるクロースアップは、厚化粧のマダムたちと違う、「すっぴん」の春子をはっきりと捉え、われわれに彼女の素朴さを印象付けると同時に、その印象が表面的なものでしかないことを暴露する事実、つまり、春子が実は自身の兄を殺した過去をもつ女性だったという物語後半で明らかになる事実に対して、驚きの響き与えることにも貢献している。また、春子の店で指名手配犯の写真がいくつも貼られてある壁に寄っていくキャメラは、いちまいの写真が剥ぎ取られていることをわれわれに知らせる。この写真の人物は実は川島(川島は自分の妻を殺した)で、春子がその写真を剥ぎ取ったことが後でわかるのだが、ここでは、川島と春子の関係に異変が生じていることが暗示される。こうして、山根は本作品で活用されているクロースアップを中心に議論を進めるなか、物語の終盤、本来クロースアップで撮られてもいい箇所でそれが撮られていないことに注目し、そこから検出される加藤泰の映画的想像力についても言及している。

 春子が自身の兄を殺していたという過去を川島が知った後、物語は急展開を見せる。西新宿辺りの河川敷で、春子の過去の話を黙って聞いていた川島は、話が春子の兄に関する部分に及んだとき、居た堪れなくなって「どうしたんだ、その兄貴は」と切り出す。すると春子は、間を置いて「死んだわ」と返答する。われわれは、春子の兄殺しの事実を知っているだけに、興味の対象は、ここでふたりがどのような表情を浮かべ、どう話をするのかという一点に絞られる。観客はふたりの表情をよぎる陰影に着目しながら、両者の微妙な心理を推し量りたいところである。だが、加藤泰はこうしたわれわれ観客の欲望に迎合せず、ふたりの表情をクロースアップで捉えようとはしない。キャメラはフィックス、長廻しのロングショットで、ふたりをフレームに収め続けるだけである。そう、加藤泰はわれわれが望む視覚的情報を抑圧することで、逆にわれわれの心理的高揚を促すのである。

 さらに加藤泰は、われわれに登場人物の顔を見せないだけでなく、ふたりの登場人物にも互いの顔を見せようとはしない。「どうしたんだ、その兄貴は」と尋ねる川島の顔は春子と反対の方を向き、同じく「死んだわ」と返答する春子の顔も川島がいる方とは反対の方を向く。つまり春子の兄殺しの事実に顔を背けるふたりの姿が文字通り/映像通り映し出されるのである。そして加藤泰はこの両者の身振りをフィックス、長廻しのロングショットで捉えることで、ふたりのあいだに醸成したどうしようもない気まずい空気をわれわれに伝えようとしたのである。


 以上が、山根貞男が連続講座第二回目で展開した、クロースアップを中心とした議論の詳細である。クロースアップが本作品でいかに機能していたのか、また逆に、クロースアップで本来撮られてもいい場面が撮られていない背景には何があったのかといった話がストーリーに沿って進められた。それでは最後に、山根貞男の解説を踏まえつつ、筆者の印象に残ったクロースアップのショットについて述べておきたい。

 春子の兄の話がふたりの間で出た後、今度は先にも触れた川島の過去の犯罪について、春子が話を切り出す場面がある。春子の兄殺しを川島が知っていることを、われわれは知っていた。だが、川島の過去を春子が知っているのかどうかを、われわれははっきりと断定できないでいる。この微妙な差異が、加藤泰の演出にも違いを生み出す。

 春子が心を決めて、川島が指名手配犯その人であるかについてそれとなく問いかける瞬間、川島に背を向け、川の水門の方に向いて立ち上がった春子を加藤泰は、今度はロングショットではなくクロースアップで収める。以前のように視覚的抑圧を図ろうとはしない。加藤泰ははっきりと春子の顔を捉える。ただ、このクロースアップも、単純な意図で撮られたものではなかった。そのことを説明するために、ひとまず川島と春子が河川敷で会う前、春子が同じ場所でひとり、物思いに耽っている場面について見てみる。

 春子は下を見ながら、川沿いを歩き回っている。やがて、春子は水門の方に目をやるのだが、後の川島との会話で、春子が「ここにいると昔、荒川の土手で、兄さんと一緒に、父さんとおじいちゃんの乗った舟が水門をくぐって帰ってくるのを待っていたことを思い出す」というような発言をしていることから、このとき春子は、祖父と父との帰りを兄とふたりで待っていたときのことを回想していると事後的に考えることができる。だが、春子が考えていることはそれだけではないだろう。大好きな兄と一緒に遊んでいた頃のことを懐かしんでいるのか、それとも、その兄を殺してしまったことを後悔しているのか。春子が具体的に何を想っているのか、その真相はわからないと言ったほうが正しいに違いない。ただ、注目すべきは、この水門の方を向いた春子を収めたショットが、同じく水門の方を見て、川島の過去について問いかける春子を映したショットと、ほぼ同じ大きさ、同じ方向、同じ角度で撮影されたクロースアップのショットだということである。

 このふたつのクロースアップの類似から、春子が、ひとり水門の方を見ながら複雑な想いをめぐらしていたときと、覚悟を決めて川島に重要なことを問い質さなければならない今この瞬間とが、同じ精神的重量感をもって春子に圧し掛かっているように、見る者は感じる。じっさい、春子が川島に真実を問い質そうとする瞬間を捉えたクロースアップは、その直前まで無言で水門の方をじっと見ている春子の様子をも収めている。このとき、春子の胸中に去来しているものは何なのか。春子がひとり川の側に佇んでいた場面と同様、ここでも、彼女の心理を一義的に言語化することは困難である。

 こうして、キャメラは水門の方を向いた春子を接近して収めるも、彼女の心の深部には決して近づくことができない。春子に近づけば近づくほど、彼女の心理的謎は深まるばかりである。加藤泰のクロースアップは逆説的に、春子の内面に広がる、深遠で不可解な宇宙の存在をわれわれに教えるのであった。

<註>
1  加藤泰の遺作『ざ・鬼太鼓座』(1994)も製作された時代とほぼ同時代のことを取り扱っているが、これはドキュメンタリー映画でありフィクションの劇映画ではないことから、『みな殺しの霊歌』を加藤泰唯一の同時代的、現代劇映画と本文で表現した。


北浦寛之(映画研究者)
京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程在籍。修士論文で加藤泰について論じる。主な著作に、「ワイドスクリーンにおける奥行きを利用した映画演出の美学 ― 加藤泰『幕末残酷物語』のテクスト分析」『映画研究』第2号(日本映画学会、2007年)、「加藤泰研究序説 ― 奥行きを利用した映画の演出について」CMN! no.11がある。



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2008年01月14日

山根貞男連続講座 [加藤泰の世界]1報告

2008年1月14日(月・祝)


山根貞男連続講座 [加藤泰の世界]1報告《ふたつのシナリオ》を、若き映画研究者、北浦寛之氏がご寄稿くださいました。


《寄稿》 ふたつのシナリオ

北 浦 寛 之

 長きに渡り映画評論の第一線で活躍してきた山根貞男が、自身の評論の原点とも言うべき加藤泰監督について、加藤泰が生まれた、この神戸で話をするという出来事は加藤泰ファンのみならず、多くの映画愛好家たちにとっても、誠に喜ばしい僥倖である。月に一回開催される山根貞男の連続講座を楽しみにしつつ、今回は記念すべき連続講座第一回目の報告という形で、彼の作品論を紹介すると同時に、筆者の加藤泰作品に向ける眼差しも開陳していきたい。
 
 連続講座第一回目の冒頭、山根は40年ほど前の加藤泰映画との出会いから話をスタートした。当時の感動をまざまざと伝える彼の語り口は、加藤泰の映画に言及しながら、40年という月日を経ても色褪せない映画体験の素晴らしさについても語っているようであった。
 
 こうして、スタートを切った山根貞男連続講座 [加藤泰の世界]、第一回目の批評の対象となった作品は、『大江戸の侠児』(1960)。『時代の驕児』(稲垣浩、1932)のために書かれた山上伊太郎のシナリオをもとに、加藤泰自らがシナリオも手がけて映画化した作品だ。『時代の驕児』の作品自体は現存していないため見ることができないが、代わりに山根は現存する山上伊太郎のシナリオと加藤泰のシナリオを比較して、加藤泰が『大江戸の侠児』でなにを表現しようとしていたかという検証を行った。
 
 ねずみ小僧の次郎吉が主人公の映画。次郎吉がねずみ小僧となり、悪党を懲らしめるという話の大筋は、両方のシナリオとも似通っている。だが、物語の細部には軽視できない違いが発見される。
 
 山根の解説によると、山上伊太郎のシナリオは、もともと「こそ泥」だった次郎吉がねずみ小僧になるというストーリーを辿るのに対して、加藤泰のシナリオは、泥棒でないただの「博打打ち」の次郎吉がねずみ小僧になっていくストーリーの軌道を描いている。なるほど、山上シナリオは、山根の言葉を借りれば「小泥棒が大泥棒になるだけのストーリー」であり、加藤シナリオのような突然の飛躍が観測されるわけではない。「博打なら誰でもやってるよ」という登場人物の言葉にもあるように、どこにでもいそうな人物次郎吉が、映像通り突如大泥棒ねずみ小僧へと変貌を遂げてしまう加藤泰のシナリオは山上伊太郎のシナリオのような直線的な変化では追いつかない動きを実践する。
 
 加藤シナリオの次郎吉は、ねずみ小僧になる前もなった後も、大きな心理的動揺を経験しなければならなかった。次郎吉は、信頼していた人物の裏切り、大切な義理の弟の残酷な死によって、ねずみ小僧になることを決意し、ねずみ小僧になった後では、貧しい人にお金を恵んだその行為が、逆にその人を不幸にさせたり、先の人物の裏切りが、実は自分の誤解であったりと、反省させられることの連続であった。こうした出来事がその都度次郎吉に動揺を与えているのは、映画を見た者ならはっきりと看取できるし、山上シナリオには弟の死以外のことは記載されていないという山根の指摘からも、繰り返される次郎吉の心理的振幅の表象は加藤泰独自の構想であったと考えられる。
 
 普通の人が普通でないねずみ小僧になるという大きな転換。さらに、その普通の人が、心理的動揺を隠せないまま悩めるねずみを演じてしまうという相克。『大江戸の侠児』で連続して観測される大きな振動がこの作品の性格を特徴付けていると言える。そして、そうした振動はなにもシナリオ面だけに限ったことではない。山根が分析を行った加藤泰の画面作りにも、確かな揺れが確認される。
 
 山根は山上シナリオにはない、加藤シナリオの季節の指定が視覚的に面白い効果を生んでいると言う。モノクロ映画である『大江戸の侠児』。故郷に帰った次郎吉が、許嫁と義理の弟を連れて家を飛び出した後、尾根の上を疾走する場面が遠景ショットで収められる。通常なら息急き切って走る三人の躍動感を寄りのショットで収めてもいいはずの場面である。それを加藤泰は正反対の超ロングショットでフレームに収めることにより、観客は尾根の暗さ、黒さを強く印象付けられる。すると、次の場面では、白い雪が降り積もる宿場町に話が移行し、観客は直前の場面から一転、フレーム内に強く存在感を示す雪の白さを享受することになる。黒から白へ。この極端な色彩の振り子の揺れは、シナリオに冬という季節の指定があったからこそ可能だった演出であり、物語の大筋にはそれほど関係ないかもしれないが、加藤泰はシナリオで完結しない映画の面白さを観客に十分伝えるため、冬の特徴を利用した変化のある映像美を創造していた。
 
 こうして、山根貞男の解説に則して、山上伊太郎のシナリオと比較しながら、『大江戸の侠児』で観測された物語的、映像的な「振動」に照準を合わせ簡単に本作品を振り返ってみた。そして最後に、ここで観測された「振動」はいっこの作品を越えてひとりの映画作家の「振動」にも照応していることを付け加えておかなければならない。
 
 加藤泰と言えば、ローアングル、フィックス、長廻しなどで構成される独特な撮影スタイルが有名だが、それらが確立されたのは1960年代以降のことであり、1960年に作られた本作品では、ローアングルと俯瞰ショット、フィックスと流動的なキャメラ、長廻しとモンタージュといった相反する撮影技法が混在しながら、それぞれが印象的に観客に提示されている。つまり『大江戸の侠児』は、ちょうど加藤泰の作家性に「動き」が見られていく過渡期の作品であると考えられる。加藤泰もまた本作品の次郎吉のように、普通の映画監督から、複数の撮影技法を駆使して革新的な映画を撮る不世出な映画監督へと向かう、その道中を歩んでいた。


北浦寛之(映画研究者)
京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程在籍。修士論文で加藤泰について論じる。主な著作に、「ワイドスクリーンにおける奥行きを利用した映画演出の美学 ― 加藤泰『幕末残酷物語』のテクスト分析」『映画研究』第2号(日本映画学会、2007年)、「加藤泰研究序説 ― 奥行きを利用した映画の演出について」CMN! no.11がある。



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