発掘された自主映画
 
これまで見ることができず幻だった映画を発掘して上映する。
市山隆次の『養護学校はあかんねん!』は、永らく持ち主と連絡が付かず上映の機会が絶たれたままであったが、今年になってプリントが関係者から神戸映画資料館に持ち込まれてきた。
加藤重二の『ばいばいあげいん』と『ロックアウト』は70年代末に大阪で作られた純粋な大阪映画だが、近年は上映される機会はなく忘れ去られていた。当時の「プレイガイドジャーナル」誌に華々しく紹介されたに伝説の2作品を、今は文筆家として活躍する加藤監督から入手して再上映が可能となった。
NDUの井上修とルポライターの竹中労が組んで作った『アジア懺悔行』と『山上伊太郎ここに眠る』は、題名のみキネマ旬報連載の「日本映画縦断」で知られていたが、実際に映画を見た人は極めて少ないのが実情だった。今回、井上修の努力でプリントが発見されついに上映が実現する。
この特集は、まさに幻の映画オンパレードである。      ──安井喜雄(プログラムディレクター)
 

 
10月19日(金)18:30〜 21日(日)13:00〜
養護学校はあかんねん!
(1979/50分/16mm)
企画制作:市山隆次
構成:大石十三夫、山邨伸貴 編集・インタビュー:山邨伸貴 
撮影:小田 博、小林義正 録音:若月 治 整音:久保田幸雄
Off Theater Film Festival ’79 一般公募部門入選作品
 
関西小川プロ『パルチザン前史』のプロデューサーとして知られ、土本典昭作品や福田克彦作品などでお馴染みの関西の出版社「長征社」を率いた市山隆次が自主製作した映画で、PFFの前身である情報誌「ぴあ」のオフシアターフェスティバルに応募入選した。「養護学校がなぜいけないのか?」を、身障者の肉声を通して語らせ、身障者の側から描くことによって、明確な姿勢をもたらした画期的なドキュメンタリー。
 
特別寄稿
『養護学校はあかんねん!』という事件     山根貞男(映画評論家)
 身体障害者が「養護学校義務化」に断固反対する。『養護学校はあかんねん!』はその姿を撮ったドキュメンタリー映画だが、「その姿」という一点が肝心要で、不自由な肉体を駆使し、反対を表明する姿には、だれしも目を瞠らずにはいられまい。
 まず、意志の力が迫ってくる。不如意な肉体を強引に動かし、自分の考えを表現しようとする心の強度、である。むろんその前提として、心のなかに泡立つ思念のマグマがあるわけで、それがつぎに迫ってくる。幼い日に障害を持たぬ友だちと一緒に遊んだときの楽しさが語られ、養護学校へ通って損をしたことが告げられるように、そのマグマには、それぞれの実体験が裏打ちされており、その事実がさらに迫ってくる。そして、ここに注目したいが、彼ら彼女らの強烈な姿の奥に、同じようには発語のできない多くの障害者の存在が、確実に浮かび上がってくる。
 彼ら彼女らの示す発語への欲望の凄まじさには、もの言えぬ仲間のぶんも含まれているにちがいない。しかも、肉体の不自由さを突き抜けて、言葉は理路整然と明晰であり、事態の本質を鋭くついている。明らかにそうしたあり方は障害者としての自覚と覚悟にもとづくと思われる。
 表現する者の姿を目に見え耳に聞こえる形で差し出す——その即物的な表現において、この映画は事件である。
 

10月19日(金)19:40〜 21日(日)14:10〜 (2本立)
ばいばいあげいん
(1978/35分/16mm)
製作:皆既触映画社
脚本・演出:加藤重二 撮影:早川洋人、北川富夫
音楽:ロックンロールエンジェルス参他魔里亜 
出演:佐々木敏明、芝充世、ベティー、袋小路実朝、早川洋人
第2回自主製作映画展1978 一般公募部門入選作品
 
ニューハーフの元祖として今も有名なべティを主要配役にした大阪の自主映画。伝説のロックン・ロール・グループ「参佗魔里亜」(サンタマリア)が音楽を担当、映画の中でも演奏する。アメリカのスラップスティック・コメディが大好きでフィルムも収集研究していた監督が、その味を大阪風にアレンジして描いたユーモラスな作品。大阪駅前のバラック街や、南森町の旧読売テレビ前など、70年代の大阪の風景が懐かしい。第2回自主製作映画展(ぴあフィルムフェスティバルの前身)で入選。現在、監督は南雲海人として世界各地で取材活動を展開、アウシュビッツ生存者やアウン・サン・スーチーへのロングインタビューからポルノ官能小説まで書き続けている。
 
  
ロックアウト
(1979/60分/16mm)
制作:皆既蝕映画社
監督:加藤重二 撮影:早川洋人 主演・音楽:参佗魔里亜
出演:神田孝史 佐々木敏明
 
前作で音楽を担当した「参佗魔里亜」が、本作では主演者となって全編で演奏するロック映画。同時にサントラLPも発売された。多くの若者が欲求不満を身体中に溜め込みイライラのしっぱなし、誰もが爆発できない不発弾を抱えた80年代の始まる大阪の街を舞台に、「参佗魔里亜」の若者たちが猛烈な勢いで走り出す。関西の情報誌「プレイガイドジャーナル」79年9月号で特集が組まれるほど注目された作品。
 

 
10月28日(日)16:30〜(2本立)
アジア懺悔行
(1976/70分/16mm)
製作:「アジア懺悔行」製作委員会 
製作:竹中労 監督:井上修  撮影:井出情児
録音:宮城賢秀 ダビング:櫂の会
タイトル:竹中英太郎
 
新宗教団体連合会加盟の九宗教(大慧会、円応教、解脱会、神ながら教、妙道会、妙智会、立正佼成会、天真教、善隣会)の青年部が、東南アジア戦没者を弔うため、東南アジアに旅した記録。ルポライターの竹中労も同行し、タイ・ビルマ国境の泰緬鉄道、シンガポール、フィリピンと大東亜戦争の証人眠る地に赴き、汎アジアの旅の報告とした。懺悔行の日程を終了した日、竹中はマニラ市内の床屋で頭を丸め、勝手に得度して花和尚雲居と名乗ることにしたという。監督の井上修は、NDU(日本ドキュメンタリストユニオン)設立時からの最若手メンバーで、最近作は『出草之歌 台湾原住民の吶喊 背山一戦』(2005)。
 
 
山上伊太郎ここに眠る
(1977/10分/16mm)
製作・監督・脚本:夢野京太郎
助監督:岩木利守 撮影・編集:井上修
 
竹中労のキネマ旬報連載で名高い「日本映画縦断」で追ったマキノの名シナリオライター山上伊太郎。マキノ正博と組んだ『浪人街』など数々の傑作を残したが、1943年に応召しフィリピンへ赴任、45年にルソン島北部山岳地帯で行方不明となり、のちに戦死広報とともに空の骨壺が遺族のもとに届けられた。竹中労は77年、「伊太郎地蔵」を彫刻開眼、伊太郎戦没の地フィリピン・ラムフト河畔で灌仏の儀を行った。この映画はそのシネマレクィエムである。監督の夢野京太郎は竹中労(1930〜1991)のペンネーム。

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