プログラムPROGRAM

幻灯

タマネギと潜水艦
──幻灯、紙芝居、アニメーションにみる戦時統制経済生活──

2021年12月26日(日)16:00〜18:00

国立映画アーカイブ所蔵

タマネギと季節外れの蚊取線香を抱き合わせで売ろうとする八百屋に、未亡人が語った潜水艦で戦死した夫とタマネギとの因縁とは──?
戦時期日本の国家による文化統制の強化には、映画、紙芝居、アニメーション、あるいは幻灯といった、「画像・映像で物語を伝達する」メディアを、公共的な教育・宣伝・広報に積極的に活用していく体制の構築を推し進めた面もあった。これらのメディアは、僻地農山漁村民など、従来は娯楽文化に接する機会の乏しかった人びとに、めまぐるしい戦況の変化や、日々更新される政策をわかりやすく伝達する機能を期待され、こども向けの娯楽や教育だけではなく、隣組常会などのおとなの集まりでも大いに活用された。
この企画では、戦時統制下の国民生活を捉える生々しいリアルタイムの視点と、現代の観客を驚かせる突拍子もない展開を兼ねそなえた戦時期の幻灯と紙芝居を、現物による上映・上演で紹介したうえで、併せて漫画家横山隆一が脚本・演出したアニメーション映画『フクちゃんの潜水艦』を上映する。
企画:鷲谷花(映画学、日本映像文化史)

 

幻灯上映
『無敵海軍』(1942年/約10分)文部省

紙芝居上演
『経済道義昂揚紙芝居 戦ひの村』(1943年/約15分)
原作:朝比奈豊 構成:山口擁器 作画:早川大濤

『経済道義昂揚紙芝居 善兵衛豆腐』(1942年/約15分)
原作:泉谷たけし 構成:山口擁器 作画:南正光

国立映画アーカイブ所蔵

映画上映
『フクちゃんの潜水艦』(1944年/32分/35mm)朝日映画社
原作・演出:横山隆一 演出:関屋五十二
脚本:滋野辰彦 演出:持永只仁
国立映画アーカイブ所蔵

レクチャー(45分)
講師:鷲谷花

 

《参加費》 一般:1000円 ユース(25歳以下):500円 会員:800円
予約受付
メールと電話によるご予約を承ります。鑑賞を希望される日時と作品名、お名前、電話番号をお知らせください。予約で満席でなければ、当日に予約無しでもご入場いただけます。
info@kobe-eiga.net 078-754-8039

協力:国立映画アーカイブ
文化庁「ARTS for the future!」補助対象事業


[貸館]望月優子特集上映
2018年12月28日(金)13:00〜16:00

望月優子(1917-1977)は、『日本の悲劇』(木下惠介監督、1953年)、『米』(今井正監督、1957年)、『荷車の歌』(山本薩夫監督、1959年)などで演じた、労働と育児に粉骨砕身する母の役柄から「日本のお母さん」とも称された、戦後日本映画史を代表する名優のひとりです。1960年代以降は、農山漁村問題を中心とする社会問題について積極的にメディアで発言し、3本の中編映画と複数のテレビ番組を監督し、あるいは1971年には社会党の公認候補として参議院議員に選出されるなど、「映画女優」に留まらない多彩な活動を展開しました。今回は近年発見された監督作『ここに生きる』と、主演作にして知られざる佳作の『末っ子大将』を上映し、併せて、映画研究者の斉藤綾子氏(明治学院大学教授)に、映画女優、監督、社会活動家としての望月優子の多面的な仕事についてお話を伺います。

[上映作品]
「末っ子大将(暴れん坊大将)」
(1960/50分/16mm)
製作:新日本プロ 企画:大阪母親プロ 配給:新東宝
監督:木村荘十二 原作:村田忠昭 脚本:依田義賢
撮影:木塚誠一 音楽:大木正夫 美術:小林三郎
出演:望月優子

1930年代にP.C.L~東宝の看板監督のひとりとして活躍した木村荘十二は、1941年に満洲に渡り、当地で敗戦を迎える。新中国での留用期間を経て、1953年に日本に引き揚げた後は、もっぱら独立プロダクションの児童映画を監督した。本作は大阪母親プロの公募に当選した村田忠昭の原作を、村田の創作の師だった依田義賢が脚本化して製作されたもので、小品ながら、依田の脚本、木村の演出、主演の望月優子の演技のいずれも精度の高い佳作といえる。

 

「ここに生きる」
(1962/40分/DVD上映)協力:国立映画アーカイブ
製作:オオタ・ぷろだくしょん 全日本自由労働組合
監督:望月優子 撮影:安承玟(アン・スンミン) 音楽:伊藤翁介 ナレーション:矢野宣

朝鮮帰国事業に関する第1作『海を渡る友情』(東映教育映画、1960年)、混血児差別問題に関する第2作『おなじ太陽の下で』(東映教育映画、1962年)に続く、望月優子監督の第3作目。全日本自由労働組合の委託により、当時国会に提出されていた緊急失業対策法改正案に対する反対運動の一環として製作された。炭鉱離職者、被差別部落出身者、女性など、全国の失業対策事業の日雇労働の現場で働く人びとの日々の労働と生活を、実際の作業現場や組合事務所・託児所などの現場で撮影した記録映像と、職業俳優を交えた再現ドラマパートを交錯しつつ映し出す。撮影の安承玟は、後に李學仁(イ・ハギン)監督『異邦人の河』(1975年)などの撮影監督も担当するが、ここでも水面やボタ山の地表、アスファルトの質感を叙情的に見せる映像が鮮烈な印象を残す。

 

[参考上映]
幻灯「にこよん」(1955)
製作:全日自労・飯田橋自由労働組合
脚本・演出・撮影:桝谷新太郎 配給:日本幻灯文化株式会社
※神戸映画資料館所蔵オリジナルフィルムから作成したニュープリントを上映。

映画『ここに生きる』を製作した全日自労は、映画のみならず、複数の幻灯を自主製作している。全日自労の飯田橋分会の失対日雇労働者たちが自主製作した幻灯『にこよん』は、その先駆的な試みであり、脚本・演出・撮影を担当した桝谷新太郎は、当初、満洲からの引揚後に失対日雇労働者となった自身の体験を基に執筆した脚本を、仲間の女性労働者たちの意見を受けて、女性を主人公に変更して改稿した。1950年代の時点で「女性の労働問題」にフォーカスした異例の映像作品であり、同じく全日自労が製作した『ここに生きる』の「女こども」へのフォーカスとの連続性も興味深い。

 

[トークセッション]
「女性映画作家・望月優子」(仮)
斉藤綾子(明治学院大学教授・映画学)
聞き手・鷲谷花(大阪国際児童文学振興財団特別専門員)

 

《参加費》無料

主催:JSPS科研費共同研究18K02022「近現代日本の社会運動組織による「スクリーンのメディア」活用の歴史・地域的展開」(研究代表者:鷲谷花)


[貸館]故川本年邦氏遺贈資料特集
-幻灯と映画:知られざる非劇場映写文化-

2018年9月8日(土)

 
東京都出身の川本年邦さんは、陸軍少年航空兵として立川基地で敗戦を迎え、復員後は家業の大工として働くかたわら、地元の子どもたちのために「子どもセンター」を実家の一隅で開催し、お風呂の開放や、読書・勉強会、幻灯と映画の映写などのさまざまなレクリエーション活動などを行ってきました。1998年に川本さんは福島県浪江町に移住し、山中での自給自足の生活を始めますが、2011年3月11日の東日本大震災に伴う福島第一原子力発電所事故により、自宅付近が放射線量の高い計画的避難区域に指定されたため、避難生活を余儀なくされた川本さんは、同じく避難生活を送る子どもたちや高齢者のために、避難所や仮設住宅の集会所などで、長年愛用してきた幻灯機と幻灯フィルムによる映写活動を続けました。
川本年邦さんは2016年春に逝去され、占領期以来長年にわたって活用されてきた幻灯機と幻灯及び映画のフィルムは、ご遺族から神戸映画資料館に寄贈されました。今回は遺贈資料のうち、映写可能なフィルムを上映し、知られざる昭和期の非劇場スクリーン映写文化の貴重な資料をご紹介します。

 

映画上映 13:30〜
『まんが太郎』(東映教育映画部、1958年)
監督:津田不二夫
川本年邦氏の遺品に唯一含まれていた16mm映画フィルム。マンガが大好きな小学生の太郎君が、マンガ読みたさに非行に走りかけるが、先生と友達の助けによって読書好きの少年として更生するという物語。少年少女マンガ雑誌が月刊から週刊へと本格的に移行しようとするマンガ文化の爆発的な発展期に、「教育」側の視点から見たマンガと読者の関係が映し出される点でも興味深い。
 

幻灯上映 14:00〜
『カナリヤ』(1947年頃)
製作:光画図書研究所 作:中山侑 繪:石田一良
植民地台湾で活動した文学者の中山侑が、戦後に内地に引揚げた直後に台本を執筆したと思しき知られざる幻灯作品。フィルム及び説明台本に製作年の記載はないが、製作元の光画図書研究所(現在の東京光音)は1947年に設立、翌48年5月に社名を「東京光音研究所」と改めているため、おそらく1947年から48年春までの間に製作されたものと考えられる。

『デブ君とヒョロ長君の防犯』(1949年以前)
製作:警視庁防犯課 原作:野辺愛之助 作画:村田亨
警視庁防犯課の製作による、家庭での防犯の心がけを呼びかける社会教育幻灯。フィルム及び説明台本に製作年の記載はないが、「L.」で始まる占領当局の検閲記号が付されているため、検閲が実施されていた1949年以前に発売された幻灯と考えられる。作画者の村田亨は戦前から教育紙芝居運動にも携わっていた人物だが、本作では異様にデフォルメされたデブ君ヒョロ長君のキャラクターが強烈である。

『胡桃割り人形』(1949年以前)
製作:小西六写真工業株式会社 原作:ホフマン 作画:清水崑
小西六写真工業株式会社(現コニカミノルタ)は、自社製のさくらカラーフィルムを使用した幻灯シリーズ「コニグラフ」を販売していたが、本作はその初期の作品で、「L.」で始まる検閲番号が付されているため、1949年以前の占領期に発売されたものと考えられる。ホフマンの原作を、漫画家清水崑の作画により幻灯化しており、バレエの華やかなイメージとはまた異なる、きわめて個性的な絵柄が印象的である。

その他、参考上映あり

幻灯口演:鷲谷 花

 
レクチャー 14:40〜(終了予定15:00)
「川本年邦氏の幻灯上映活動と寄贈資料について」(仮)
鷲谷 花
(大阪国際児童文学振興財団特別専門員)

 

《参加費》無料

主催:JSPS科研費共同研究18K02022「近現代日本の社会運動組織による「スクリーンのメディア」活用の歴史・地域的展開」(研究代表者:鷲谷花)


中国引揚映画人特集 -幻灯と映画-
2016年9月4日(日)

『せんぷりせんじが笑った!』製作風景

『せんぷりせんじが笑った!』製作風景

 

1945年8月の日本敗戦後、当時の「満洲国」の首都新京(現長春)にあった国策映画会社・満洲映画協会(満映)の機材と施設と人材を引き継ぎ、東北電影公司が新たに発足した。長春に入った中国共産党軍に接収された東北電影公司(東影)は、なおも続く国民党軍と共産党軍の戦闘を逃れ、長春から奥地の興山(旧称鶴崗)に移動、その際に、新中国における映画事業建設への協力を呼びかける中国共産党幹部の説得に応じ、多数の日本人スタッフも同行した。旧満映日本人スタッフの一部は早期帰国したが、内田吐夢、木村荘十二の両監督ほか残留を選んだ人々は、屋外での苛酷な肉体労働に動員される苦難の体験も経つつ、中国の映画人と協同しつつ映画制作及び技術指導に取り組んだ。大半は1953年に帰国したこれらの人々は、内田吐夢など少数の例外を除き、多くは大手映画会社に受け容れられず、独立プロダクション映画を主な拠点としてフリーで活動するか、もしくは映画界を離れることを余儀なくされた。
神戸映画資料館の所蔵コレクションには、満映から東影を経て帰国した映画人たちが関わった映画及び幻灯のフィルムも含まれているが、今回は、その中から数本を上映し、いまだ知られざる部分も多い中国引揚映画人たちの戦後日本における活動の軌跡を辿ってみたい。

 

第一部 幻灯 14:00〜14:30

eigahakoushite01「映画はこうしてつくられる」(推定1955年)
製作:木曜プロダクション
配給:とうきょう・ふぃるむ
後援:日活映画株式会社
神戸映画資料館所蔵フィルムを上映

1954年に映画製作を再開した日活の調布撮影所に取材し、映画の企画から完成までのプロセスを解説する幻灯。フィルム及び説明台本に製作年月日、スタッフ名等は記載されていないが、フィルムのエッジコードと、内田吐夢監督の日本映画界復帰後第二作にあたる『自分の穴の中で』(1955年9月公開)の制作現場紹介を中心としていることから、おそらく1955年に製作されたと考えられる。

 

「せんぷりせんじが笑った!」(1956年)
原作:上野英信 美術:勢満雄 撮影:菊地利夫
製作:日本炭鉱労働組合 配給:日本幻灯文化社
脚本改訂:上野朱
上野朱氏所蔵のオリジナルプリントから作成したニュープリントを上映

1950年代の労働組合による幻灯の自主製作・自主上映運動において、主導的な役割を担ってきた日本炭鉱労働組合(炭労)の製作により、炭鉱の文化サークル運動の成果である上野英信文・千田梅二画の「えばなし」を幻灯化した作品。撮影を担当した菊池利夫、美術を担当した勢満雄は、いずれも満映から東影を経て、1953年に中国大陸から日本に引き揚げた元映画技術者。精巧に造型されたミニチュアセットと人形、緻密なライティングによって、原作の描いた苛酷な坑内労働の情景をリアルに映像化している。勢が美術スタッフとして参加した中国初の人形アニメーション『皇帝夢』(陳波児監督、持永只仁〔方明〕撮影、1946年)の経験が、本作の空間設計のリアリティに寄与していることは確実といえるだろう。

幻灯口演:東川絹子、鷲谷 花

 

第二部 トークと映画 14:45〜16:30
トークセッション
晏 妮(日本映画大学・特任教授、著書『戦時日中映画交渉史』ほか)・鷲谷 花(成城大学・非常勤講師)

「五匹の子猿たち」(1956年)
製作:電通映画社・人形映画製作所 企画:教育映画配給社 プロデューサー:稲村喜一
演出:田中喜次・持永忠仁 脚本:田中喜次 撮影:岸次郎 美術:吉田護吉 音楽:加藤三雄

瀬尾光世の芸術映画社のアニメーターだった持永忠仁は、戦争末期に満洲に渡り、敗戦後は東影を経て上海電影製片廠に移り、中国名「方明」を名乗って草創期の新中国アニメーション映画界において活躍した。帰国後、持永は人形映画製作所を拠点に、人形を使ったストップモーション・アニメーション映画の制作に取り組む。本作は第一作『瓜子姫とあまんじゃく』(1956年)に続く「人形映画」第二作にあたるが、持永の自伝には、引揚後、しばらく職を得られなかった時期に、スライド『五匹の子猿』を制作したとの記述があり、先行する幻灯版が存在する可能性もある。

 

「末っ子大将(暴れん坊大将)」(1960年)
製作:新日本プロ 企画:大阪母親プロ 配給:新東宝
監督:木村荘十二 原作:村田忠昭 脚本:依田義賢
撮影:木塚誠一 音楽:大木正夫 美術:小林三郎
出演:望月優子

1930年代にP.C.Lの看板監督のひとりとして活躍した木村荘十二は、1941年に満洲に渡り、敗戦後の幾多の苦難を経て、1953年に新中国より帰国、その後はもっぱら独立プロダクションの児童映画を監督し、団地の集会所で自主上映会を開催するなど、大手撮影所の外部で活動した。同じ1953年帰国組の内田吐夢とは対照的に、今日顧みられる機会の乏しい戦後の木村のキャリアを再考するにあたり、本作は貴重な作品のひとつといえる。

 

 

《参加費》無料

※本プログラムはJSPS科研費15K02188「昭和期日本における幻灯(スライド)文化の復興と独自の発展に関する研究」(研究代表者:鷲谷花)の助成による


うたう幻灯会
2013年11月30日(土)
静止画像の拡大映写メディアである幻灯(スライド)は、映画に比べて費用もかからず、運用も簡単なため、誰にでも作り、上映することのできる草の根の映像メディアとして、戦後の社会運動や文化運動で広く活用されました。当時の幻灯は、幻灯機を手で操作してフィルムを1コマずつスクリーンに映写し、ナレーションやせりふをその場で読み上げながら上映されていました。「画面が動かない」デメリットも補いうる、ライブ・パフォーマンスにおける工夫の余地の大きさが、幻灯というメディアの独自の魅力のひとつだったといえるでしょう。今回は神戸映画資料館が所蔵する1950年代の社会運動に関連する貴重な幻灯のコレクションの中から、とりわけ「ライブ・パフォーマンス」面を重視して作られたと思しき3本の作品を、生演奏とコーラス付で上映します。

第一部 14:00〜15:15
上映「ぶどうぱん―三越斗争の記録―」
(1953年?)
製作:全三越労働組合
後援:全日本百貨店労働組合連合会・官公庁映画サークル協議会
配給:日本幻灯文化社
戦後初のデパートの女性従業員による労働争議として大きな社会的反響を呼んだ、1951年12月の全三越労組の賃金ベースアップ要求・組合幹部不当解雇反対ストライキを記録する幻灯。原作の同名詩集『ぶどうぱん』と共に、三越闘争支援のカンパ集めを主目的として製作されたものと考えられる。1950年代に数多く作られた労働争議記録・支援幻灯の中でも初期の代表作のひとつで、台本の朗読のみならず、コーラスやハミングなどの「うたごえ」やピアノ伴奏などの効果が指定されている点も、後に続く作品に影響を与えた可能性がある。

講演「三越争議(1951)と『ぶどうぱん』―60年後に振り返るその成果と蹉跌」
谷合佳代子[大阪産業労働資料館(エル・ライブラリー)館長]

第二部 15:30〜16:30
上映「戦争案内」
(1959年?)
原作:ベルトルト・ブレヒト
編集:関西幻灯センター 古志峻・田窪清秀・高原宏平
製作:日本幻灯文化株式会社
版権所有:ドイツ民主共和国 ベルリン オイレン・シュピーゲル社
1955年にドイツ民主共和国・ベルリンで出版されたブレヒトの写真詩集『戦争案内 KRIEGFIBEL』の幻灯版。各国の新聞・雑誌に掲載された戦争報道写真に、ブレヒトによる4行詩を付したオリジナルの写真詩集から、約半数にあたる38コマを抜粋・編集して構成されている。個人で読むための書籍として発表された原作を、幻灯/スライドというメディアの特性を活かし、多数に向けた上映・上演のために翻案する試みとしても興味深い。ドイツ第三帝国の権力者たち、軍需工場、爆撃機のコックピット、防空壕から空を見上げる市民、破壊された市街、殺し殺される兵士たち、生命を脅かされる子どもたち、「戦争」のさまざまな局面が万華鏡のように映し出される。

上映
「わっしょい わっしょい ぶんぶんぶん』
(1954年)
製作:東大セツルメント川崎こども会
作画:加古里子
絵本作家・児童文学者として知られる加古里子(かこさとし)が、東大セツルメント川崎こども会での活動の一環として創作した一連の幻灯作品のひとつ。1951年にまず掛図式の大型紙芝居として創作した作品を、さらにカラーの幻灯として改作したもの。加古里子の絵本作家としてのデビュー後、再度紙芝居化(童心社)、絵本化(偕成社)されているが、それぞれの画面構成はかなり異なっている。音楽の好きな国の住民たちが、意地悪な悪魔に妨害されながらも、楽器を盗まれれば動物や虫の鳴き声で、動物や虫を盗まれれば自分たちの歌声で、にぎやかな音楽を奏でつづける本作からは、子どもたち主体で運営されていたセツルメント幻灯会の楽しい雰囲気が伝わってくる。

ピアノ伴奏:山川亜紀
合唱・朗読:田中裕介、神矢匡

*各作品に、適宜伴奏やコーラスを付して上映します。

《参加費》1000円(一部・二部通し/高校生以下は無料)

共催:「戦後社会運動資料としての幻灯の再発見・再評価とアーカイヴス間連携による資料保管・公開体制の構築」(研究代表者:鷲谷花)、プラネット映画資料図書館、神戸映画資料館
*この事業は公益財団法人三菱財団の助成により行われます


早稲田大学演劇映像学連携研究拠点平成24年度公募研究「「映画以後」の幻灯史に関する基礎的研究」
昭和幻灯会
2012年8月26日(日)

第一部 19:00〜19:50
上映『ぼくのかあちゃん』(約20分)
レクチャー「《生活芸術》としての幻灯」講師:鷲谷花

第二部 20:00〜21:10
合唱付き上映『日鋼室蘭首切り反対闘争記録 嵐ふきすさぶとも』第一・二巻(約70分)

「幻灯」―光源とレンズを利用した静止画像の拡大映写装置―は、19世紀末の映画の誕生に際して、技術面でも興行文化面でも多大な影響を及ぼしたことから、もっぱら「映画以前」の映像メディアとして関心を集めてきました。反面、「映画以後」の幻灯の運命については、映画の大衆的メディアとしての本格的普及とともに歴史的役割を終え、衰退していったと、従来は理解されてきました。
しかし、日本における幻灯は、戦時国策教育メディアとして1941年前後に復興を果たし、占領期にも、視聴覚教育を重視した占領政策のもと着実に需要を伸ばし、そして戦後の一時期にめざましい発展を遂げることになります。幻灯は学校・社会教育の場で視聴覚教材として活用されたばかりでなく、誰にでも作り、上映することのできる映像メディアとして、社会福祉運動、労働運動、反基地運動、原水禁運動など、戦後に勃興したさまざまな社会運動の教育宣伝目的に幅広く活用されました。
今回は、神戸映画資料館に保管されていた貴重な幻灯フィルムを、幻灯機を用いて上映し、併せて1950年代の幻灯史に関するレクチャーを行います。「前映画」にも「映画の代用品」にも留まりきらない独自のポテンシャルをもつメディアとしての幻灯を再発見する貴重な機会にお立会いください。
第一部 19:00〜19:50
上映「ぼくのかあちゃん」
(1953年/約20分)製作:東大セツルメント川崎こども会
構成:加古里子 協力・配給:日本幻灯文化社
「セツルメント」とは、知識人が都市の貧困地区に住み込み、住民との親密な関係を築きつつ、物質的及び精神的環境を改善することをめざす地域福祉活動。1924年に発足した帝大セツルメントは、38年の左翼大弾圧に伴う関係者一斉検挙によって一旦途絶するが、49年のキティ台風被災の救援活動を機に東大セツルメントとして再組織され、以来、全国的な活動へと広がってゆく。今日まで日本を代表する絵本作家として活躍を続けている加古里子(かこ さとし)は、東大セツルメント復活直後から、川崎こども会の運営に参画し、会に集まる子どもたちと共同で紙芝居及び幻灯の創作活動に取り組んでいた。
当時の川崎こども会の幻灯活動は、『山びこ学校』の反響によって活気づく生活綴方・生活記録運動の流れを汲みつつ、創作・上映プロセスへの子どもたちによる自主的・積極的な参加を促すという方針を採っており、子どもたちの作文と児童画をアレンジして構成した本作もそうした実践のユニークな一例といえる。加古の自伝『絵本への道―遊びの世界から科学の絵本へ―』(福音館書店、1999念)によると、「『ぼくの母ちゃん』(一九五三年)はセツルの子どもに題材をとった生活もので、子どもの作文という形でやりました。雑誌に載った後で日本幻灯文化社が幻灯に作って出してくれました。本数は百本か二百本でした。これで入ってくる何がしかのお金が子供会の活動の資金にもなりました」(34頁)。
レクチャー「《生活芸術》としての幻灯」
講師:鷲谷花
早稲田大学演劇博物館招聘研究員。映画学、日本映像文化史研究。共編著に『淡島千景 女優というプリズム』(淡島千景、坂尻昌平、志村三代子、御園生涼子編著、青弓社、2009年)。
第二部 20:00〜21:10
「日鋼室蘭首切り反対闘争記録 嵐ふきすさぶとも」第一・二巻

合唱付き上映(約70分)
製作:日鋼室蘭労働組合 配給:日本幻灯文化社
合唱:日吉聖美、遠藤美香、田中裕介、中西金也
三井財閥傘下、日本最大の民間兵器工場として名高かった日本製鋼室蘭製作所は、朝鮮戦争特需景気下、在日米軍のいわゆるPD工場として兵器製造を再開し、経営合理化と労働強化を推し進める。1954年6月18日、会社は戦争特需終結とデフレ政策による業績悪化を理由に、976名の人員整理を含む合理化案を発表、これに反対する日鋼室蘭労働組合はストライキに突入、その後、第一組合と第二組合の分裂と相互対立など、事態は混迷を極めるが、争議開始以来224日目に中労委の斡旋案を労使双方が受諾することで収束に至った。最終的な解雇者は662名だった。
第一組合(旧労)の立場から争議の全過程を記録する、この全110コマに及ぶ長大な幻灯は、1952年10月17日に始まる日本炭鉱労働組合(炭労)主導の63日間の賃上げ要求争議を記録する『激斗63日 われらかく斗う』(製作:炭労、1953年)と並び、1950年代を中心に盛んに製作された労働争議幻灯の中でも、とりわけ成功した作品だったらしい。総評が1955年に主宰した組合員向けの文化講習会に際して、配給元の日本幻灯文化社の社員が、「日鋼室蘭の幻灯のように、正しくその闘いをあらわにし、国民の運命につながるものをもつならば、強く心に訴える作品になるということです。日鋼室蘭の幻灯は素晴らしい評判でした。いままで幻灯を馬鹿にしていたという神奈川鶴見の国鉄の労働者は『はずかしいけど涙が出た……』また、東京の日通両国支部では幻灯をみて『早速カンパしようじゃないか』と決められました。」(日本労働組合総評議会教育文化部『現代文化講座』、1956年、167頁)と発言しており、本作の影響力の強さが伺い知れる。

《料金》無料

主催:早稲田大学演劇映像学連携研究拠点平成24年度公募研究「「映画以後」の幻灯史に関する基礎的研究」(研究代表者:鷲谷花)
共催:プラネット映画資料図書館、神戸映画資料館


これまでのプログラム|神戸映画資料館

※内容は予告無く変更する場合があります。

※作品によっては、経年退化で色褪せしている場合がございます。予めご理解ご了承の上、ご鑑賞くださいますようお願い申し上げます。