今月の1冊WEBSPECIAL / BOOKREVIEW

「男の花道―小國英雄シナリオ集」

著者:小國英雄
出版社:ワイズ出版
発行年月:2009年5月
「行間からすらりすらりと映像が浮かぶような脚本[中略]は間違いなく立派な脚本」だと小國英雄は後進の映画人に教えたという(271頁)。だとすれば本書に収録された脚本は全て「立派な脚本」である。私は映画製作の現場に本格的に参加した経験を持たない。しかし脚本『続清水港』を読んだ私は昨年の京都映画祭でこの映画に触れたときの愉悦をまざまざと想起することができた。また脚本『男の花道』を読んだ私は不縁にしてまだ巡り会えぬ長谷川一夫の中村歌右衛門の一世一代の舞台姿を瞼に描くことができた。本書を読めば誰しもが同じような体験をするはずである。「すらりすらりと」。この言葉はしかしながら厄介な言葉である。一体なぜ紙の上の文字の連鎖が「すらりすらりと」映像に飛躍できるのか。映画研究の末席を汚す者としてその仕掛けを解明してみたい。じっさい映像と音響の織物である映画と言語の関係という問題は今日の映画研究が抱え込む最大の難問である。原作とされる小説とその映画化作品はいかなる関係を結ぶのか。映画とそれを取り巻く広告の宣伝文句との関係はどうなのか。そもそも人間は自分自身の映画体験を本当に言語化できるのか。難問は山積している。「立派な脚本」が言語と映画との無限の距離を「すらりすらりと」越える瞬間の身振りを伝説的なMuybridgeの連続写真のように捉えること。本書の小國脚本はそうした夢想へと私を誘うほどの生命力と躍動感に満ちている。
(羽鳥隆英)

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