今月の1冊WEBSPECIAL / BOOKREVIEW

「全貌フレデリック・ワイズマン アメリカ合衆国を記録する」

編者:土本典昭+鈴木一誌
出版社:岩波書店
発行年月:2011年8月

「全貌」と目にして思わずたじろぐ。名高い「四無主義」──ナレーション、字幕・テロップ、音楽、インタビューがない──によって、スクリーンに映し出される画面をひたすら「見る」ことによって成立している世界から、「読む」ために何を引き出すというのか。彼自身が語るワイズマンの、ワイズマンをめぐる映画監督たちの、批評家たちのワイズマン論や、作品解説etc.の「言葉」を網羅することが全貌となるのだろうか。
「50語や100語に要約できるのならば、映画なんてつくるまでのことはない。『わたしが学んできたこと』とは、すなわち、映画のなかで『見る人が発見していくこと』なのだ」と、本書のインタビューの締めくくりにワイズマンは言う。その通りだ。本を《書く》ということも同じに違いない。50語や100語に要約できるのならば、《書く》ことなどしなくてよい、《読む》までのこともない。本なんてつくることはない。
目次のあと、ワイズマンの紹介が横組みでなされ、「フレデリック・ワイズマンは〈映画〉をつくっている」と結ばれている。「見る人が発見していくこと」という「ワイズマンの映画」を論じるということは、同時にこの鉤括弧つきの〈映画〉を見るように発見しつつ書く(あるいは語る)という体験に他ならないだろう。本書を読む者もまた、見ること、読むこと、そして書くことのあいだの苛酷な批評関係を発見し、体験する(つまり、学ぶ)ことになる。

本書でワイズマンは映画監督・舩橋淳の問いかけに同意を示すことは少ない。「私見はあるが、映画のなかで語ろうとは思わない」し、「映画の一シーンにすぎない。映画にあるからといってわたしの見解だとはかぎらない」。とはいえ、「いや、わたしの仕事は、ミサイル発射訓練とそれに対するわたしの見解を正確に反映した作品をつくることだ。それが、あなたが見たフィルムだ」とも言う。なぜなら、ワイズマンは、自分の意見を入り込ませないようにしているのではなくて、「むしろ映画自体が、わたしの意見と言える」からだ。彼の「全貌」の一端を垣間見るには、映画の一シーンを超えて、ワイズマンの「意見」を探るのではなく、映画の一シーンそのものに留まり、ついで、それを編集していくための「意思」こそが、求められる。ワイズマン自身は「フレデリック・ワイズマンは〈映画〉をつくっている」という「できごと」に徹底的に忠実なのであり、それは「ワイズマンの特異な映画的意思」(山根貞男)にも繋がる。

ところで、ワイズマンにとって「映画的」とはどのようなものだろうか。
「軍事訓練の原始舞踏的側面と、さらに軍隊が、一般市民を人殺しのできる兵士に仕立てあげる過程がいかに周到にかつ効率的に成し遂げられているのか、その側面を示したかった。いわば、市民性の人間性を剝ぎ取ってゆく儀式だ。これは映画の肝となる重要なシーンだが、すべてが映像のみによって示唆され、暗示されるように努めた。」
「とても映画的です。」
「ああ、これが映画というものだろう。」
というやり取りで、この後に舩橋は「この訓練そのものの倫理性を宙吊りにしている」と問うが、ワイズマンは「倫理性」については答えない。ただ、「映画が、具象から観念へと移行してゆく。まず兵士たちがどのようなトレーニングを受けているのかを具体的に示し、それが観念的な思考を刺激する。うまくいけば、映画はそんな効果をあげることができる」と答えている。ここで注意しなければならない。
「フィルムをいじる。具体的に手を動かしてみないことには考えられない」と言うワイズマンは、あくまで「フィルム上の具体的現象から抽象的概念を抽出しようとしている」。現実を撮影した素材としてのシークェンスを選択し、編集による位置とリズムによって、その抽象概念が彼のなかで醸成されたように、観客のなかでも醸成されるようにする。その結果、見る者の思考を刺激する。ところで、ここで問題となっているのは「映像のみによって示唆され」ること、そして、「移行してゆく」ことのもつ具体性なのであり、結果として映画がどのような効果をあげるのかである。思考には観念的なものもあれば、概念には抽象的なものもある。しかし、抽出すること、また、観念的な思考を刺激すること──その「できごと」はいささかも観念的なものではない。だからこそ「観客はシーンを見るという体験を生きている」。

では、この醸成された体験はどこに向かうのだろうか。この点において、本書の鼎談で、編者でもある映画監督・土本典昭は、ワイズマンに対し「共感と違和感の、両義的な評価」を下している。「ワイズマンには特定の人物を『追おう』という意識がないんですね」。映画作家として土本のこの指摘は鋭い。そして、「テロップを出さないという決め方も、ひとつのスタイルだと思うんだ。スタイルから自由になっているわけじゃない。それはあんまり自由じゃないな、という感じがしますね」と述べ、さらにこの「スタイル」について土本は続けて、「『対象のひとたちととくに深くは繋がっていかない』というスタイルを確立させてきたように見える」とも述べている。しかし、ワイズマンにおける「繋がる」「追う」というのは慎重に再考してみる必要があるだろう。

例えばここで大津幸四郎は「匿名性を大事にしたいんだと思います。最初のねらいが、組織を撮るということだから」と述べているが、「匿名性」という観念的なものにはワイズマンはおそらく関心がないことを想起しておこう。例えば、『BALLET アメリカン・バレエ・シアターの世界』について、ダンサーの名前をまったくわからずに見ること、また他の作品でも警官なのか市民なのか、集団のなかでの役割が判明しないまま観察しなければならないという質問に対して、ワイズマンは「映画は観客の積極的な参加を要求しているのだ。何から何まで説明はされない。見る者は、映像と音声を受け止め、観察し、考えることが要求されている」と答えている。この場合、ワイズマンにとって匿名性とは観念的なものではなく、「観客の積極的な参加」のための具体的な刺激要因そのものに他ならない。本書でも引用されている蓮實重彦の言葉を引けば「ワイズマン的な人物たちは、執拗にキャメラを向けられることで匿名の迫力ともいうべきものを身にまとい、被写体としての輪郭を遙かにこえた生なましい存在感でスクリーンを活気づける」(「名前と相貌」、前出『フレデリック・ワイズマン映画祭カタログ』所収)。この迫力と存在感を映画の外部からの操作で観念的なものにしないためにワイズマンはわざわざ名指すようなことはしない。言うまでもなく、映画の中で被写体の名前が呼ばれれば被写体は応答もするし、見る者はその名前も顔も覚える。

この点について、本書の編者でもある鈴木一誌の次の指摘は重要だ。
「考え方を逆転させなければならないのではないか。「四無い主義」がワイズマンの映画を成立させているのではない。〈無い〉ことこそが、映画なのではないのか。(…)ワイズマン映画は「アンチ」というスタイルによって成立しているのではない。映画のゼロ度を示し、それ自体が映画を批評する存在なのだ。〈無い〉映画は、〈有る〉映画に慣れた観客にあらたな体験をもたらす。観客の映画に対する関係が、初源に向かって移動しつつある。進行中のできごとを目撃しなければならない。」
作家のスタイルではなくて、「映画であること」そのものなのだ。「映画のゼロ度」であり、「それ自体が映画を批評する存在」であるからこそ、ワイズマンは映画から離れていくのを拒否する。キャメラを向け「進行中のできごとを目撃する」ことは、「繋がる」ことと「追う」ことそのものであり、「観客の映画に対する関係」の主軸となる。その上で、何よりも「進行中のできごと」、つまりは映画そのものとしてスクリーンに映っている「被写体」に対する責任と倫理にワイズマンは拘るのである。ワイズマンは言う。自分は、撮影を許可してくれた人びとにではなくて、「被写体となってくれた人びとすべてに対する責任がある」のだと。そして、ワイズマン自身は映画の中で決して言葉を発さず、姿を現すことなく、観客とともに徹底的に映画そのものだけであろうとし、観客は映画そのものに「積極的な参加」をし、「映画体験」をする。

ワイズマンは編集で作品をつくりあげていく。従って、撮影の時に存在していた被写体と、スクリーンに映ることで存在することになった被写体では、同じ存在でも様態が異なる。スクリーンの上で具象的な対象としてあらわれ観客に見られて「繋がる」ことで起きる「できごと」にこそワイズマンは自らの責任を問うている。観客がどのようにそれを醸成するのかは、観客自身の自由であり、その自由によって様態がさらに変容しようともそれを「追う」ことまでは確かにしない。しかし、観客が「移行してゆく」ための具体的な「素材」はフェアに保持し、観客がその自由を自分の責任において発揮できるように、彼は自分の仕事にベストをつくして「追う」だろう。『臨死 Near Death』では四人の患者について「追う」。映画の中で死亡が確認された一人を除く三名の氏名とその後が字幕によって映し出されて映画は終わる。いま「その後」としたが、これは正確な言い方ではない。この作品の主題がnear deathそのものだから、字幕で「繋ぐ」……。

ところで、そもそも何かのポジションに立つことは、被写体に対して何らかの権力をもってしまう。ワイズマンにとってもそれは避けようがないものである。例えば舩橋によるインタビューで、『少年刑務所』について、「少年の側に立つようなキャメラ・ポジションを選んでいるのではないでしょうか」という問いに対して、「なぜ、わたしが少年の側に立っていると判断できる。どんな証拠があるのか」と問い返す場面がある。「心理的に同調しているかのような視点を取っているという意味です」と問い直されて、ワイズマンは「それは、あなたの主観の投影にすぎない。わたし自身の考えは映画に表現されている」と答えている。スクリーンに映って表現されている被写体を、さらにスクリーンとは別の次元で説明するのは、映画の外部から被写体に名前を与えてしまうのと同じく、言わば越権行為になるのだろう。
しかしながら、ここで舩橋が指摘しているように「心理的」にではなく、キャメラ・ポジションはその位置で否応なしに「倫理的」に決まってしまうし、われわれは見る側の主観でもって判断するはずだ。だからこそ、ワイズマンは続けて、いささか唐突に次のように言うのだ。
「わたしは映画をとおして、コンパッションを表現しようとしている。しかしそれと、誰かの側に立つことはちがう」。

本書の「解説」で鈴木一誌が書くように、この瞬間は「スリリングな一瞬」である。そこで論じられているように「コンパッション compassion」は日本語に置き換えるのが難しい。本書でも「コンパッション」とされ、「パッションをともにする」という語の成り立ちから「受苦をともにすること」、「深い思いやり」、「同情」、「共感」とも訳されるとある(儒教では「憐ren」の訳語となっているようだ)。「パッション」は能動(アクション)に対する受動という意味もある。そして「sympathy」ではない。「com」と「sym」は、ふたつとも、「ともにある」ということだが、微妙に異なる。しかし、鈴木も論じているように、いずれにせよ「パッション」をどう訳すかで決まる。そもそもパッションとは人や物に関する愛情であり、だからこそ「情熱」という訳語もあるわけだ。情熱をともにすること、映画とともにそうあること……。

この「コンパッション」においてこそ、本書の「日本の記録映画作家の視点」とワイズマンがすれ違いながらも、しかし、重なり合うようにわれわれには見えるのだ。
鼎談の末尾で、「70年代に入って真実のありかたが変わった」という大津幸四郎の発言が紹介され討議される。真実が存在した。それに人間が迫っていけば、真実の方から語りかけてくる。しかし、70年代に入ってそれが崩れた、と。ワイズマンも70年代に映画製作を始める。この議論は、鈴木の別の土本典昭論でも展開されていた(「運命の小片 土本典昭『医学としての水俣病』」、『画面の誕生』所収)。
本書で大津は次のように述べている。
「真実は多面体である。見る側のポジション、真実への迫り方によって、その顔を変える、その姿も見えてくる。極論すればひとの数だけ、真実のあり方も異なる。ひとりの人間のなかでも、複数の真実がぶつかり合っている。そのぶつかり合いが世界かもしれない。権力をめぐってのばあい、権力の此岸と彼岸、管理する側とされる側で、権力の姿が露骨に違って見えてくる。また、見る者の鑑賞の姿勢の変遷によっても影響される。どう変わっていくか、多面的に見えてくるか、深化するか、退行するか、その変化のありさまがおもしろいですね」。70年代以降の「真実のありさま」が問題なのではない。ここで重要なのは、「変化のありさま」の具体性なのだ。そして、その変化は、見えなくなった真実を探し求めてあらたに見つけ出そうとすることではない。「見えないものの発掘」によって新しい真実を見つけていく作業の変遷でもない。

ここで、鈴木の「運命の小片」を参照しながら、本書での大津の発言について考えてみよう。
「不知火海においては、一見、普通にみえる人もまた、中毒者=水俣病患者である」(土本、『水俣映画遍歴』)。土本は大津の言葉を引用する「職業柄、今までいろいろ患者さんのフィルムは見て来ました。しかしそれはすべてと云っていい程、病者の映画でした。人間の映画ではなかった。キャメラの恐ろしさをいやと云う程知らされている私には自信の無さは全く憂うつなきわみでした」(同前)。
土本と大津の映画は、普通にみえる人がどこまで「病者」なのかを示す映画ではない。鈴木も言う通り、「人間の映画」が目ざされた。その苛酷な試みは、次のような地点へとたどりつく。「映画は、見えるものに見えないものを対比するのではなく、また良心的に見えないもののがわに身を寄せるのでもなく、見えないものと見えるものが同体であることの暴力性にたどりつく」(鈴木、前掲「運命の小片」)。
この鈴木の指摘は正しい。また本書で佐々木正人は「ワイズマンの視覚」を論じるなかで、「その場所の視覚になじまないこと、ワイズマンはそのことを視覚で実践している」とし、そこに「ワイズマンが選んでいる出来事は、どれもインスティテューション全体を串刺しにしていると思える。それは、社会学や心理学など、アカデミックなフィールドの方法が、施設の出来事の一つの層を薄くはがして(たとえば臓器ごとに解剖するように)、示すことと対比的である。ワイズマンの画面の出来事はインスティテューションの「肉体」のどこかを容赦なく貫いた傷のようだ」という註をつけている。見えないものの一つの層を薄くはがして見えるようにするのではない。ミシェル・フーコーは1978年の来日講演で、見えないものを見えるようにするのは科学の役割だが、哲学の役割は「見えるものを見えるようにする」ことだと述べていたが、映画では「見えるものと見えないものの双方に、場所を占めさせてはならない」、そして、「見えていたものは見えてきたことはならない」(鈴木、同前)。鈴木はこれを「製作の思いや意図を洗い流して」という土本の言葉を引きながら、「映像を場所から解きはなつ」と書く。
この「場所」とは、先に述べた「映画の外部」でもある。映画の外部をなくすことは、映画が自閉していくことではない。映画は光がフィルムを通りスクリーンに映写される光によってしか構成されていない。そこには外部が存在していないが、しかし、映画は現実という外部を撮り、観客という外部が存在する以上、光によって言うなれば映画の内に外が必ず機能していると言える。そして、徹底的に内在化することによってこそ映画には外に開放され、見えてくるのだ。

さらに土本は胎児性水俣病患者の少女について考察しながら、「あらゆる理解と交感を拒否する悲劇の絶対価」という言葉を書く(『わが映画発見の旅』)。鈴木はこれらの言葉を受けて、次のように書く。
「『製作の思いや意図を洗い流して』映像を絶対価へと押しもどす映画からは、モンタージュや映画的な技法が極力排されているのだから、その絶対価としてのショットは、砂粒のように脆い連続性に繋留されるはずだ。絶対価は、絶対的でありながら相対的でしかない。場所を占めることができないものたちを捉えようとする映画もまた、場所からはぐれることになる。絶対価を、徹底的な痕跡としての映画と、言い換えてみる。これが大津が直感した『真実』の変容ではなかったか」(鈴木、同前)。
交感は拒否され、場所からはぐれる。しかし、その徹底的な痕跡は「見えないものと見えるものが同体であることの暴力性」として、あるいは「容赦なく貫いた傷」として、「人間の映画」をめざす者たちのあいだの「絶対価」、つまり「絶対的でありながら相対的でしかない」という《コンパッション》として、「見えてくる」。このとき映画は「見る人が発見する映画」となる。

本書に戻ろう。鼎談の締めくくりに鈴木から、〈ふつう〉であること、そしてナレーションなどからも、「ワイズマン作品と土本作品の、目指しているものの親近性」が見られることが論じられる。土本は作品論やまして作家論はあまり語らないできたと答える。「自分が作家であるために、つい自分ならどう描くか、どう語るかが意識下にあって、つい自分に引きつけて見たり、考えたり、そして誤解さえしてしまうからです」と言うものの、土本はワイズマンと自分自身の「映画に賭けた〝何ものか〟」について語る。この自負は素晴らしい。言うまでもなく、土本は自身を絶対的なものなどにはしていない。なぜなら、その〝何ものか〟は、「ぼくの作り方に、もし今後また作品をつくるとして、〝変革〟をもたらすようなインパクト」でなければならないからだ。ここに映画的意思としてコンパッションがある。映画はつくり続けられる。

われわれは、映画美学校の受講生たちによる大津幸四郎へのインタビュー、記録された土本典昭の証言、彼ら二人の映画作品の引用、そして日中ドキュメンタリー道場で大津幸四郎が若手作家に撮影技術を教え繋ぐのを追った『まなざしの旅 土本典昭と大津幸四郎』を見たばかりだ。本書の鼎談を読むこととこの映画を見る体験が重なる。この映画では土本の言う、「追う」と「繋がる」について、彼が被写体となった人物たちと、どこまでも「ともにある」意志を持ち、追い続けていたことが、繰り返し語られ、映し出される。
大津幸四郎は土本典昭がふと漏らした、「自分たちは鬼のようだ……」という言葉も伝える。しかし、情熱=パッションがなければ映画は成立しない。大津が繰り返し述べる「自由」、そして、キャメラを向けることの「躊躇」と「怖れ」、その「コンパッション」は──胎児性水俣病患者の少女にキャメラを向ける時、ユージンスミスの写真に対する「批判」とともに、また、浜辺で医師と患者たちが対話する時、どこにどのようにキャメラを置くか、幾多の彼らの映画の場面がスクリーンに映し出される度に──立ち現れてくる。
ワイズマンは、本書での次の発言によって、土本たちに答えているようだ。
「コンパッションや優しさは、残酷さと同様に、わたしの作品に込められているだろう。両方を描いていなければわたしはバカだ。わたしが映画を撮る目的の一つは、わたしたちのふるまいの複雑さと多様さ、そして曖昧さを示すためなのだ。(/)現実世界は複雑きわまりないが、残酷さと優しさは、現実に共存する二つの要素である。レンズを通してそれらを発見したなら、映画に両方を包含させることが大切だ」。

「フレデリック・ワイズマンは〈映画〉をつくっている」。ならば、本書の観客ならぬ、読者は批評的に構築された本書のスクリーン=ページにおいて、シークェンスを見る=ディスクールを読み、自分でシークェンスを繋ぎ、編集することによって「発見」し、「体験する」=「出会う」こともできるかもしれない。
「全貌」とはアプリオリにそこにあるわけではない。本書の読者にとって、「全貌」とは、見る人が発見していく映画体験において成し遂げられるように、読者もまた見ることと読むことのあいだで、読者自身が「編集」し、自らの批評でつくり出していくものに他ならない。鈴木一誌はかつて別のワイズマン論で「観客は、自分も写される側にまわるかもしれない、スクリーンの人物は自分だと、感じる」と書いていた(「光の底」、前出『画面の誕生』所収)。
本書では映画作家たちによるものをはじめ、様々な「映画的意思」が交錯する。それらを出会わせて〈映画〉──鈴木はワイズマンにおいては劇映画とドキュメンタリー映画の区別が消滅して「映画だけが出現する」(前出「光の底」)とも述べていた──にするのは、作家たちだけでなく、見るわれわれ観客や読む読者の務めでもある。「編集とは、自分に問いかけることだ」と言うワイズマンは、「ヘンな話だが、自分との対話は充分おもしろい」と言う。ヘンな話ではなく、本のページをめくるとそこに映画だけが出現する。それはデザインと編集の力でもある。見られる映画が本として読まれる時、映画は本になるだろうが、それは先に述べたように見ることと読むことの書くことの苛酷な批評関係におけるデザインという批評の営みにおいてこそ生まれるのだろう(10月16日の神戸映画資料館での鈴木一誌の作品の展示と山根貞男との対談「映画の本をつくる ブックデザインと編集」が楽しみだ)。

ワイズマン自身は別のところで、「『真の』映画は観客とスクリーンが出会う場所にある」(「ポジティフ」1998年3月号第445号、『フレデリック・ワイズマン映画祭カタログ』1998年に再録)と述べていた。本書の読者は土本典昭とワイズマンの対話を架空のものとしてではなく、実際に映画を見るように「編集」し、「繋げる」ことを行って、自らも知らず知らずのうちに「編者」となる体験をするだろう。
『まなざしの旅』は、まさに土本が言うように「追う」作品だった。今度の山形国際ドキュメンタリー映画祭ではクロージング作品に選ばれたと聞く。しかし、言うまでもなく、旅にクロージングはないのであり、「もし今度また作品をつくるとして」という土本の作品はここに「ともにある」。あらゆる映画とのコンパッション。ワイズマンの新作の公開も待たれる。映画と「ともにある」ことによって、本書はいつまでも読み終えることができないものとなり、それが「全貌」として繋がれるだろう。本書とともに、映画を見続けなければならない、そのような《コンパッション》に本書は駆り立ててくれる。

(前田晃一)

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