今月の1冊WEBSPECIAL / BOOKREVIEW

buttaix「映画という《物体X》:フィルム・アーカイブの眼で見た映画」

著者:岡田秀則
出版社:立東舎
発行年月:2016年9月

 

 

 

銀粒子が表面を覆うナイトレート・フィルムのカバー写真(中馬聰「Nitrate Film」)が、本書の語る《物体》としての映画の相貌を強調する。かつて映画フィルムは可燃性であり、1950年代に不燃性のアセテート・フィルムが実用化されたが、後にヴィネガー・シンドロームで劣化したそれらのフィルムは、世界中のアーカイブの保存庫に酢酸ガスを充満させてきた。ただ、映画上映はいまやデジタル方式が主流だが、映画保存においては、あまりにもデジタル媒体のデータに問題点が多いため、フィルムの代用に至っていない。映画も《情報》と言われる時代だが、これからもそれは《物体》としてのフィルムに憑かれていくかのようである。
しかし、その《物体》を保存する活動の理念やアーカイブの役割は、いまだ一般的な認知を得ているわけではないだろう。東京国立近代美術館フィルムセンターの主任研究員で、フィルムや映画関連資料の収集・保存・上映などにたずさわってきた岡田秀則は、いまも親戚にうまく仕事を説明できないのだと本書でもらす。だが、そもそも映画の文化や歴史に一定の理解や興味を示す人々も、保存や復元活動の詳細をどこまで把握しているだろう。そう問わずにいられない理由は、筆者自身がごく最近に神戸映画資料館の活動に参加するようになり、フィルムやノンフィルム資料を扱う機会から、あまりに多くのことを学んでいるからでもある。
フィルム・アーカイブという場所では、映画を観る文化やそれぞれの作品の内容を論じる作業から時に抜け落ちてしまう、その《物体》としての相貌が露わになる。著者の岡田も20年ほど前、1990年代にフィルムセンターに務めることになって、映画保存の意義に気付いたという。第三章の「小さな画面、大きな画面」では著者のそれ以前の過去、東京に出てきて「ぴあ」や「シティロード」を手にとり、名画座や自主上映、フィルムセンター、大劇場やミニシアターを巡り、大学で映画論の講義を受けていた時代が回想されている(『甦る相米慎二』[インスクリプト、2011年]におさめられた岡田のエッセイ「東京下界いらっしゃいませ:〈一九九〇〉偶景」でも、80/90年代の映画文化の一端が語られている)。それほど明示されているわけではないが、本書を読み進めると、当時の東京の映画環境に育まれ、良い映画と悪い映画を選ぶことに捕らわれてきた著者が、《物体》である映画と対峙する中で、新たな眼差しや言葉を獲得していった過程がうかがえる。それが映画の選別に対置された、「すべての映画は平等である」という言葉である。

映画のアーカイブで働く人間が時々意識するだろうこの言葉は、声を張り上げて言う「スローガン」ではない。むしろ、大量のフィルムを受け取って、うず高く積み上げられたリールを日常的に目にする人間が率直に発する声なき肉声である。フィルムが積まれた場所には、やや殺伐とした空気や、非日常的な光景だけにやや神秘的な気分も漂っている。だが、その先にもう一つの愛情を感じられる瞬間がふと訪れる。つまりこの時、一つ一つの映画が面白いというより、“映画”と名づけられたこの体系全体に愛着を感じている。そこでようやく、私は映画アーキビストの仲間入りができたような気がした。

映画の保存庫に入ってみると、プラスチックの帯であるフィルムは、劣化や損傷が進んだものもあるが、どれもほとんど似た姿をしてそこにある。劇映画も記録映画も、既に傑作と呼ばれる作品も、これまでの映画史のどこにも記載のないフィルムも、有名作家の作品も無名の人々が残したフィルムもある。全てアーカイブの収集・保存の対象であり、その活動の中では良いも悪いもない。そして、映画の内容ではなくその《物体》が、時にフィルムを取り巻いた社会を浮かび上がらせ、歴史への想像力を求める。
岡田が記すように本書は、「フィルム・アーカイブの仕事を総合的に解説する教科書のようなものではな」く、映画やノンフィルム資料の性質や歴史を多面的に語る。映画草創期、既にボレスワフ(ボレスラス)・マトゥシェフスキのような映画保存の理念を提示した人物がいたこと。はるか国境を越えて密航していったフィルムたちの逸話。一度使った映画フィルムの膜面を洗い流し、リサイクルされた「再生フィルム」とその製造会社の記憶。ジョナス・メカスのような映画製作と上映活動、さらにフィルムの保存活動を架橋してきた存在。あるいは映画のチラシやパンフレットを時系列的にまとめることで示される(かもしれない)文化の地質学の可能性………。個別の映画を作ることや見ること、選別する言葉とは異なる物質的想像力に貫かれた言葉が連なる本書は、その楽しみを専門家だけでなく、社会に開くアーカイブ活動の意義を示すものでもある。

(田中晋平/神戸映画保存ネットワーク客員研究員)

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