ラジオ関西「シネマキネマ」インタビューWEBSPECIAL / CinemaKinema
『共喰い』 青山真治監督インタビュー
 『東京公園』に続く青山真治監督の2年ぶりの最新作『共喰い』が、9月7日(土)より全国ロードショー公開される。第146回芥川賞を受賞した田中慎弥氏の同名原作が持つ空気を十分に吸い込み映像化、そこへオリジナルの展開と結末を接続し、高い跳躍を見せる102分の作品だ。8月の第66回ロカルノ国際映画祭でのYOUTH JURY AWARD最優秀作品賞、ボッカリーノ賞最優秀監督賞のダブル受賞も頷ける、「スクリーンで観ること」を要請する映画といえよう。ロカルノからの帰国後間もない青山監督にインタビューすることができた。
──資料に掲載された、脚本を書かれた荒井晴彦さんとの対談で、映画化は荒井さんからの提案がスタートだったと監督は仰っています。たしかに原作小説には血や土地、また『Helpless』(96)に共鳴する昭和─平成という時代性など、青山監督がこれまで撮ってこられた作品に通底するモチーフが見られます。他にも映画化を決定づける要因はありましたか?
女性たちが活躍する……活躍するっていうのは変だな、女性たちが重要な役割を占める物語にできるなと思ったんですね。どちらかというと僕は今、女性たちを撮ることに興味が向いているというか。男性たちもそりゃいるんだけれども、でも女性優先で撮ってゆきたい思いがあって。この物語はまず母親、親父の愛人、自分の恋人という三人の女が既にいて、非常に重要な役割を占めている。そこにアプローチできるのが決め手だったと思いますね。
──対談には、映画化が決まって荒井さんと「ロマンポルノの乗りでいこう」と話したことも記されています。単に性描写があるだけでなく「女性を讃える」。先日のロカルノ国際映画祭での会見で青山監督は、それも括弧に入れた今後の射程を語っておられましたが、まず女性を讃える形を採ったのもロマンポルノとの共通点でしょうか?
そうです。「日活ロマンポルノ」というタームはお互いのモチベーションの確認に過ぎなくて、出来上がった作品はもっと、より開けた内容になっていると思いますね。まずは女性を描くんだということからスタートした、というだけで。
──本作のサイズはシネマスコープ。これはどういう理由から?
僕がよくわかってなかったということもあるんですけど、「デジタルでシネスコってどうなんだい?」と。今回のキャメラマンは今井(孝博)といいますが、彼が「いや、これはシネスコでいきましょう!」と頑として最初から決めていました。「それじゃあシネマスコープでやりましょう」という感じですね。この作品では画面に関して僕はほとんど注文を出さずにいました。今井は『EUREKA ユリイカ』(00)あたりから一緒にやってくれている、田村(正毅)さんの助手だった人。彼が一本立ちして初めて本編を手がけることになったので、「これは今井に全部責任を押しかぶせてしまえ!」……というのは冗談で、「今井に任せてみよう」と。画(え)に関しては今井に任せっぱなしでしたね。
──そうだったんですね。キャメラポジションは青山監督が決めていると思い込んでいました。
「こうしよう」と今井が言ったときに、「それじゃなくてこっちだ」と言ったことは何度かありますけど、基本的には任せっぱなしですね。
──監督が判断したシーンを教えていただけますか?
お互いに迷っていたとは思うんですが、僕自身が「こうしたいな」と思って押し通したのは、雨の中で(主人公の)母親、仁子さんが円(父親)を探して出てゆく、あの一連。あそこは僕がかなりその場で「こうだこうだ」と言ってカット割りを作っていったところですね。しかもそれも芝居を見ながら「どうできるか」と考えて作りました。あらかじめ決めていたところはほとんどなくて。現場で決めた感じですね。
──終盤にさしかかるあたりのシークエンスですね。カット割りというと、シネスコというサイズも影響したと思いますし、『サッド ヴァケイション』(07)、『東京公園』(11)ともまた違った印象を受けました。
そうですね。ワンショットで収めることが多かった気がします。ワンショット、あるいはカットが割れても同時にもう一台回している可能性が強かった。ただ、できる限りワンショットで収めたかったんです。それは芝居の呼吸みたいなものが切れるのが嫌だったり、主人公の遠馬を演じた菅田将暉くんの“一息の芝居”を残したかったからですね。
──遠馬が預けた鰻を取りに来る場面での、仁子役の田中裕子さんの演技も凄い。それをほとんど一気に撮り切っています。

© 田中慎弥/集英社・2013『共喰い』製作委員会

あそこは二台回しているんですよね。一瞬だけ遠馬の表情が欲しくて、ポンと座ったところがワンショット入るんですけど。それ以外はほぼ一息で撮っていますね。母と子の語らいで最もキーになるシーンだと思ったので、できる限り息の長いショットを撮ろうと考えたつもりです。
──あの場面は、原作小説と違うタイム感があります。タイム感は冒頭から原作と異なっていて、畳み掛けるようなスピードを感じました。
そうでしたか?あまり意識はしていなかったんですけど、オフのナレーションが乗りますよね。あのナレーションが乗る感じっていうのは、トリュフォー的にやりたかったのかな。編集中にトリュフォーのことを考えていた気がしますね。ナレーションを乗せていく、その口調をすごくスピーディに。あそこはトリュフォーだったかなと思いますね。
──その後の構造がシンプルなだけに、冒頭に少し面食らいました。画面に映っている菅田さんの独白なのに、声が違う。
語り手が別にいるという感覚と、もうひとつは遠馬が「2013年から1988年を望遠鏡で見るようにして」語る、その“距離感”が欲しかったというのはありますね。
──原作小説に基づくなら、目のクローズアップがあってもおかしくないかもしれません。でもそれがない。あえて回避されたところでもあるのでしょうか?
うん。どうしてもクローズアップは撮りたくなかったというか。
──「寄り」を強調したショットもないですね。
ないですね。やらなかったですね、うん。
──今、挙がった距離感ということと関連していますか?
そうですね。「引き」の世界。僕はいつもそうなんだけど、寄らずに済むのなら、なるべく寄らない方がいい。
──「距離」に関しては原作者の田中慎弥さんとの対談で、過去にご出身地の門司から作品の舞台・下関を対岸の鏡のように見ていたとお話されていましたね。そして『Helpless』が平成の始まりを描いたのに対し、『共喰い』は昭和の終わりで合わせ鏡みたいだとの発言も拝見しました。『共喰い』を作られていた昨年当時、青山監督は48歳。人生のおよそ半分の時間が昭和、あと半分が平成であることも合わせ鏡に似てはいないでしょうか?
……ああ!そのことは全然考えてなかったです(笑)。自分が昭和と平成とをちょうど半々に生きていたということに今、気がつきましたね。全く忘れてました(笑)
──もしかすると、それも映画化の要因かと想像していたんです(笑)
いやまあ、運命的なことなんでしょうね。そうかそうか。
──時代のこともおきかせ下さい。エンディングのナレーションに「昭和が終わった」という言葉があります。しかし、映画化された『共喰い』からは「終わっていない」、寧ろ「終わらせない」意志を感じたんです。
昭和というより、「戦後」が終わってない意識ですね。自分の父親や母親、生前の祖父母たちに、「戦後なんてものは終わらないよ。お前が生きている限り終わらない」ということをよく言われてたんですね。第二次大戦が作り出した問題が山ほどあって、それはお前が死んでもまだ終わらないんだぞ?とは祖父母からも両親からもずっと言われていたことなので。その継続感なんでしょうね。僕自身もやはりそういう風に「やり続ける」というか。終わらないということ、エンドレスですね。
──継続性はロカルノの会見でも話しておられましたよね。また遠馬という存在は、強いて言えば男性側に属しかねないけれども、男性と女性、父権や母権、どちらの側にもつかない若者だと。
この映画のストーリーのあとに彼が別の生き方、どちらでもない自分自身の人生を見つけて歩み出す。そこが次の僕のステップでもあるかなと思っているんです。
──会見では「玄関に立った」という発言もありました。

© 田中慎弥/集英社・2013『共喰い』製作委員会

うん、そうですね。『動くな、死ね、甦れ!』の監督カネフスキーがいるじゃないですか?彼の長編二作目が『ひとりで生きる』、英語題は『An Independent Life』だったと思うんですけど。何か、ひとりで生きるっていう映画を作りたいなと思っていて。母親の圏域からも父親の圏域からも逃れて、ひとりで生き始める人間の姿をこのあとに見ることができるんじゃないかなと。ここまではひとりで生きてないんだけど、ここから先、ひとりで生きる姿を『共喰い』では観客の皆さんに想像してもらう。僕は僕でこのあと、そのことに進んでいきたい、進んで行けたらなあと思っているんです。
──『共喰い』では、父権と母権の位置がいったん変わったところで物語を閉じる。その後の問題は興味深いところですが、田中裕子さん演じる母親・仁子が強烈な存在感を放つシーンで伺いたかったことがあります。遠馬と最後に対話を交わすとき、彼女は普通はないであろう円い空間の中にいる。あの円は、「東京の中心の空洞」を表しているようにも思えたのですが?
うん。僕もそのことは考えたんですが、あえて訊かなかったですね。あれは美術デザイナーの清水剛が考えて、図面を引いた全くの創作の空間なんですが、そうは考えていなかったです(笑)。あまり理由は訊かなかったですね。「まあいいや、これでいこう」と。単純に構造として面白かったんで、「これでやらせてほしい」と言いました。
──隠喩めいたものではなく?
ええ。逆にあれがもしその隠喩なら、(劇中で仁子が語る)“あの人”そのものになってしまう訳ですからね。
──中にいることになりますものね。無駄な深読みでした(笑)。2013年に『共喰い』を発表してフィルモグラフィーの上に置かれることを、青山監督自身はどう捉えておられるでしょう。たとえばここが分岐点となるような思いはお持ちでしょうか?
うーん……どうでしょう。俺はまあ、やれることをやっているだけなんで。絶えず前に進んでいるということは間違いないんですよね。自分なりにふと、原点回帰したのかな?なんてことも一瞬考えたんですが、いや、そうじゃないなと。やっぱり前に進んでいるんだと。その意味でさっき言った、「遠馬的な存在が玄関に立った」。だから次は玄関の外に出たあと。それはいつになるかわからないけど、やれるだろうという気持ちになる作品ですね。
──おととし6月の神戸映画資料館での丹生谷貴志さんとの対談、あの日は青山監督の『すでに老いた彼女のすべてについては語らぬために』(01)も上映されました。その翌月、丹生谷さんは東京大学で戦後日本をめぐる講演を行っています。そこで「不可能、無意味、つまりは《空虚》に対して表現があるとすれば、それは何か。それを知ってみたい」「空虚を暴露して、空虚そのものをどうするのかというテーマを立てるところから始めるしかないだろう」と話され、『すでに老いた~』にも触れている。ロカルノでも青山監督は「不可能性」へどうアプローチするかを語っています。『共喰い』を観て青山監督のお話を伺い、丹生谷さんの発言を思い出しました。
これを表現と言っていいのかどうかよくわからないんですが、常に空虚というか「空白」を前提としているところがあります。何もないことからスタートする、でも何もないものを撮れないんですよね、映画は。「何もないのは表現にならないんだ」という挫折から始まるんです。本当は「空白」を撮れれば一番いいんですが、撮影してそれを映写するとき、絶対に何かが映っているんですよ。単に光だけでも何かが映っている訳で、黒画面なら「黒画面」というものが映っている。常に何かが映し出されないと、それは作品になっていない。空白を前にする挫折感、そこからスタートするというのはまず間違いないですよね。
──今のお話は、これからの青山監督の映画を観てゆく上でも意識したいと思います。残りの時間でここまで訊きそびれたことを質問させてください。遠馬が着ているTシャツのデザインはチャック・ノリスですね。
あはは(笑)
──そして彼が読んでいる本をよく見ると、吉行淳之介さんの著作と、もう一冊は白水U
ブックス。「……遠馬というのは、一体どんな17歳なんだろう?」という疑問がふと頭をかすめました(笑)。あれは監督のアイデアでしょうか?
いや、チャック・ノリスは助監督が選んだものですね。吉行淳之介は……あそこに出てくる吉行とかマンディアルグ、どこかで中上(健次)も読んでいるんですけど、荒井さんがわりとヒントをくれた部分が大きかったですね。吉行も荒井さんから出たのかな。『暗室』だったような気がするんですが、「そういえば『暗室』は日活ロマンポルノで作品化されたよね」って、そういうことも含めて選んでいた気がしますね。
──原作にそのような描写はありませんから、このディテールは面白いなと(笑)
はははは(笑)。チャック・ノリスって、やっぱりマッチョの権化じゃないですか?あの時代の17、18歳の世代の少年にとってはマッチョ=チャック・ノリスだったみたいですね。ちょうど遠馬と同い年の助監督からその提案があって、「チャック・ノリスいきましょう」と(笑)
──もしかすると見落とす点かもしれませんので、ご覧になる方は目を凝らしてほしいです。そして音楽のクレジットにも青山監督の名前がありますね?具体的にどの音でしょう?
全体の設計、演奏は鈴の音ですね。イメージは雅楽で。
──『映画秘宝』誌の柳下毅一郎さんのインタビューにも、「雅」という言葉がありましたね。
そうそう。下関がある山口は、昔は「西の京都」と言われてましたからね。
──音楽絡みですと、『共喰い』は「女たち」の物語だとはじめに伺いました。『女たち』といえばローリング・ストーンズのアルバムタイトル。楽曲でいえば「ストリート・ファイティング・マン」の匂いも感じますが、昭和が終わって平成を迎えた1989年に彼らがリリースしたアルバムは、『スティール・ホイールズ』でした。
……その頃はもうストーンズ聴いてなかったなあ。アルバムを買っていたのは「アンダーカヴァー」まで(笑)

(2013年8月 大阪市内にて)
取材・文/ラジオ関西『シネマキネマ』吉野大地

映画『共喰い』オフィシャルサイト
2013年9月7日(土)より全国ロードショー!
大阪ステーションシティシネマ/なんばパークスシネマ/MOVIX京都/神戸国際松竹ほか

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