インタビューWEBSPECIAL / INTERVIEW
2013 10
赤坂太輔氏インタビュー
── ジャン=クロード・ルソー監督レトロスペクティヴに向けて ──

10月29日(火)、31日(木)の2日間、同志社大学寒梅館でフランスの現代映画作家、ジャン=クロード・ルソーの特集上映『ジャン=クロード・ルソー監督レトロスペクティヴ』が開催される。同大学でのルソー監督作の上映は昨年に続き2度目となるが、今年は最新作や日本初上映作も含む全8作をプログラム。さらに監督が来場して舞台挨拶、トークも行う予定。
トークに共に出席するのは、日本でのルソー監督の紹介者でもある映画評論家の赤坂太輔氏。レトロスペクティヴの見どころ、それらとリンクする赤坂氏がこれまで批評の軸に据えてきた「現代映画」、「フレームの外」などを巡る話を訊いた。

──気がつけば随分長い間、赤坂さんが書かれた文章を読んでいる印象があります。20年ほどになるでしょうか。改めて批評活動のスタートを教えて頂けますか?

赤坂 ちょっと時期が前後してしまうかもしれませんが…93年にイタリアへ行った後に、イタリア映画のことを書いた文章がたしか『イメージフォーラム』に載ったんですよね。93年か94年だったか、手元に無いのではっきりしないんですが(笑)。その後、ポルトガルへ行った時にはもう書くことを決めていて、「取材」という形ではそれが初めてでした。掲載されたのは『キネマ旬報』だったかと思います。

──ではやはり約20年経つんですね。そこから様々な活動があって今回のレトロスペクティヴへ至るわけですが、ルソー監督作との出会いは?

赤坂 今はアンスティチュ・フランセ東京になってますけど、2004年、当時の東京日仏学院でフランスのヴィデオ作品の特集があったんですね。その中にルソー監督の作品が何本か紛れていて、そこで観たのが初めてです。短篇、中篇作品から成るプログラムでした。非常に感動したので、どこかの雑誌に書こうかということで当たってみたんですが、これがまったく受け入れられなかった(笑)。そこで頭にきまして、じゃあ自分でスペースを作って書くしかないかということで、2005年にウェブサイト『New Century New Cinema』を立ち上げて、「2005 画面から音へ ジャン=クロード・ルソー、モンテイロの『白雪姫』、ネストラー、ストローブ=ユイレ」を日本語と英語で書いたわけなんです。

──ルソー監督の作品がウェブでの執筆の契機になったんですね。

赤坂 それを読んで反応してくれたのは、フランスやアメリカの批評家やヴィデオ作家など若い人たち。「うちの雑誌に書いてくれ」とか「これを転載してもいいか?」などの反響を頂いて、「喜んで」と反応すると、リヨンの映画雑誌『derives』のジャン=クロード・ルソー監督特集号に転載され、監督作品のDVDと共に出版されました。それがきっかけで外国の雑誌から「あいつに書かせたら面白い」と、問い合わせがチラホラと来るようにもなったんです(笑)

──赤坂さんは海外の雑誌への執筆される機会も多いですが、そこが出発点でしたか。

赤坂 きっかけを作れたという意味で、自分にとっても深い意義のある文章でしたし、ルソー監督、ペーター・ネストラー監督共にこれを読んで、「非常に面白い」と言って下さったんですね。私からすれば「外国の巨匠」と呼ばれている方たちから反応を頂いたのはありがたいことでしたし、「このウェブサイトを続けていってもいいのかな」という気持ちにもなれました。

──転機となる映画作家だったわけですね。2004年以前にもルソー監督に関心はお持ちでしたか?

赤坂 2001年にヴェネツィア国際映画祭で大々的に特集が組まれたり、それ以前にもジャン=マリー・ストローブとダニエル・ユイレ監督がルソー監督を誉めていて、(ストローブ=ユイレ作『オトン』と)『閉ざされた谷』(95)をシネマテーク・フランセーズで2本立てで上映したのも知っていたので、興味はあったんですが、日仏学院で上映された時にやっと観ることができたんです。

──以降、赤坂さんが日本での紹介者の役割を果たしてこられたと思うのですが、ルソー監督はどんなキャリアを持つ方でしょう?

赤坂 彼自身は1948年パリ生まれで、フランス映画作家の世代でいうと、ちょうどフィリップ・ガレルなどと同世代。ガレルよりはちょっと後ですが、70年代にニューヨークへ渡ってアンダーグラウンド映画、特にアンディ・ウォーホルに影響を受けています。特徴である固定画面で長回しのスタイルはここからきていると思いますね。同じ時期に小津安二郎の映画を観て非常に感銘を受けたとも語っていて、それも後の作品の「日常を撮影する」というところと繋がってくるでしょうか。フランスへ帰国してからはロベール・ブレッソンやフェルメールの絵画についての文章を書いたり、ジョルジョーネの『田舎の演奏』という絵画をモチーフにした脚本を書き、それをその頃に知り合ったストローブとユイレ夫妻に見せて励まされたりもしたようです。

──最初は文筆活動を行っていたんですね。

赤坂 それからスーパー8カメラで8mm映画を撮り始めます。1980年代に短篇や中篇を撮っていて、最初の映画は『手紙を書いている窓辺の若い娘』(83)という、殆どが窓の映像から成り立つ作品です。ウォーホル的な固定画面で窓を撮って、しまいにはずっと窓枠を撮ってしまっているような作品なんですね。ここに既にルソー監督の後の作品に頻繁に出てくる窓=フレーム、映画にはなくてはならない四角形がモチーフとして出てきています。そして95年にそれまで撮りためていた8mm映像を編集して出来たのが長篇『閉ざされた谷』。風景、谷、洞窟、廃墟、そして無人の部屋などの映像と、観る人の想像力をかき立てる監督のナレーションと断片的なサウンドで構成された素晴らしい作品で、2000年のベルフォール映画祭でグランプリを受賞しています。注目が広がったのはその辺りからでしょうか。

──しかし、なかなか日本での上映には至らなかった?

赤坂 知ってる人が殆どいなかったと思うんです、2004年の段階でも。商業的な上映も当時もう無理な状況でしたし、レトロスペクティヴでやるとすれば、今なら美術館などの施設の方が寧ろ適切かなとも思いますけれども。

──その意味でも、この度のレトロスペクティヴは貴重な機会といえます。ルソー監督作の特徴、作風はどのようなものでしょう?

赤坂 35mmフィルムで撮っている作品が無く、フィルムではスーパー8で撮った8mm映画──ブローアップして16mmにしてあるものもありますが──それと2001年以降はデジタルビデオで作っているので、そのどちらかしか無いわけです。また物語性を拒否したような作品ばかりというのも特色となります。1960年代以降のポスト・ヌーヴェルヴァーグの映像作家たちの特徴に、全体を構成しないような断片的な語りや、映像と音を分離したりズラしたり、ミックスしたりなどの実験性があります。たとえばストローブ=ユイレ、勿論ゴダールもそうですが、あと後期のジャン・ユスターシュ、マルセル・アヌーン、マルグリット・デュラスもそういう作家のうちに入ると思うんですけど、ルソー監督の作品もフランス映画の先端をいく実験的な映画の流れの中に入ってきます。画面は無人のプールを映していて、サウンドでは会話が聴こえてくる。それも非常に断片的な話だったり、ループしたり。話の全体はよくわからないんだけども、とにかく刺激的な音の使い方をしている。下に物が落ちたときの破裂音、あるいはフレーム内から人が出て行って、その外で立てる音が非常に面白かったり。ヌーヴェルヴァーグや、その後の映画作家の実験を踏まえて、なおそれを突き進んだ作業をしている人です。

──音の使い方には特に興味を惹かれます。同時に、そういう映画作家がこれまで紹介されてこなかったことが少し不思議でもあります。

赤坂 80年代以降、コマーシャルな映画に復帰してからのゴダール的な音の使い方をたくさんの人が論じてきましたが、その後いろんな人たちがやっていることを見ると、皆ちゃんと追えていなかったりします。ゴダール以降の実験的なことをやっていた映画作家は、なかなか日本で配給、公開されるような人気のあるエリアに入ってこなかったという状況もありますね(笑)

──たしかに(笑)。さらに今回の見どころを教えて頂けますか?

赤坂 ますはやはり8mm時代の代表作『閉ざされた谷』と、デジタルビデオ時代の代表作として『De Son Appartement』(07)が挙げられると思います。前者は「風景映画」、後者は「日常映画」とでも呼べるかもしれません。一人の男の日常の映像を使って、色々な音の実験や空間表現を面白く見せてれる。現代の個人映画の究極の形を見せてくれていると言ってもいいと思います。一人で制作する映像と音の自由さ、日常音だけで作る音をミックスして、画面とズラしたり繋ぎ合わせたり、そして黒画面を入れることから来る面白さ。個人的な映画なので、もちろん限界もありますが、それより寧ろ可能性の方が広がっている作品になっています。

──プログラムには短篇作も含まれていて、それも気になります。

赤坂 「旅日記映画」と呼び得る『Festival』(10)、ルソー監督自ら「俳句映画」と言う1~2分の短篇映画の連作も上映されます。絵画のような映像の中に風や音の演出があり、偶然やコントロールできない要素とのバッティングといいますか、完成された構図と偶然とが絡み合った時にサスペンスが生まれてくる非常に面白い短篇。それも見どころかと思いますね。

──音の設計には同時録音を重視しているんでしょうか?たとえばストローブ=ユイレのマイクの使い方と似ていたり?

赤坂 8mm時代の最初の頃はサイレントですね。『閉ざされた谷』は部分的な生音と、後からアフレコで入れたナレーションをミックスしています。デジタル時代になってからは殆ど生音、物が割れる音、風の音を強調して使っている。そこはストローブ=ユイレより、ブレッソンやゴダールの流れに近いかなと。最近の作品を観るとそう思えるところがあります。

──衝撃音や打撃音というと、赤坂さんが『New Century New Cinema』でもインタビューを掲載しているシャルナス・バルタス監督を思い出したりもします。音の感覚で通じるところはありますか?

赤坂 もっとシンプルな音と映像で成り立っている感じでしょうか。バルタス監督の場合は技巧的な面も見受けられましたが、ルソー監督は、『Sight&Sound』誌のベストテンに、ウォーホルやゴダールと並んでレオ・マッケリーや小津安二郎といった古典映画も幾つか選んでいるんです。最近はそういった古典映画からの刺激を受けることも多いと語っていましたので、技巧的であるよりは、寧ろシンプルといえる特徴も持っていると思いますね。

──古典映画だけ観ている方にも馴染みやすい作風ともいえるでしょうか?

赤坂 なかなか難しいかもしれないですね(笑)。ただ、『Festival』を「旅日記映画」と考えれば古典映画との共通点もあると思いますし、『De Son Appartement』も一人の60代の男の日常を淡々と描いていることからいえば、小津作品に近いリズムを感じることはできるかもしれない。現代映画でありながら、そういう特徴もある。それから自分で演技もしていて、活人画みたいにピタッと動きを止めた後に突然動き出したりするのは、ジャック・タチやジェリー・ルイスたちのコメディ映画を思い出させるところもあります。そのような色んな古典映画を参照しながら、なおかつ現代映画を作る点ではストローブ=ユイレとも共通しているんですが、文学的というより映画的だと考えられるので、観客の皆さんが自分なりの開いた感性で開放的にご覧頂けると面白いんじゃないでしょうか。

──取っ付きにくそうというイメージを抱いている方もいるかもしれませんが、そういうエッセンスも持っているんですね。

赤坂 笑いの要素も結構見られます。一人のおじさんがカメラの前で演じているコントに近いようなシーンもありますし、『Saudade』(12)というポルトガルで撮った短篇が29日に上映されます。そこに出演されている鈴木仁篤さん──同じ日に上映される『CORDÃO VERDE』(09)の共同監督ですが──彼がまた哀愁漂う面白い佇まいと演技を見せて下さってます。ルソー監督が一人でカメラの前でやっていることも妙に可笑しみを湛えた映像ですので、「取っ付きにくい」と思われることはないと思うんですが(笑)

──今のお話だけでも親しみが湧きました(笑)。今日は赤坂さんが語ってこられた「現代映画」に関してもお話を伺えればと思っていますが、まず映像過多ともいえる現在、映画はどういう位置に置かれていると思われますか?

赤坂 今は映画館やテレビだけでなくスマホやパソコン、また町中に監視カメラがあって、あらゆる場所、たとえば仕事の現場でも動画を使うのがごく日常的なことになっている時代です。映像が人の生活に無くてはならないものになってきている。そうなるともう芸術や娯楽とか文化というエリアではなく、それを超えた自然の一部と考えられているかもしれません。世界を変えるような出来事に映像が関わることも一般化し、増えてきたと思うんです。最近でいえば、シリア内戦で殺された子供たちの映像が戦争を起こす判断材料になるかならないとかいう話。ストーカー殺人を起こした人間が恋人の映像を復讐の材料にしてアップロードした事件もありましたね。本来は恋愛のために撮った映像が凶器に変わってしまった、映像が武器になるという諸刃の剣の典型的な例ですが、こうした意味で映像が多様性を持つ、「現実ならざる現実」になってきていると感じます。これらの出来事を映画の立場から見ると、逆に映画が芸術や娯楽の文化の枠内にどんどん押し込められて、小さくなって過小評価されてしまっている気もします。

──芸術性や娯楽性を強調することが、映画にとってマイナスになっている側面もあるということでしょうか?

赤坂 これはある意味で映画関係者の責任になってきていると思うんですが、外側へ向かって働きかける要素がいっぱいある筈なのに、自分から内側に閉じ篭もるような状況になってしまっている。映画は、映像としてあらゆる状況にコミットしていることをフィクションとして描けます。同時にメディアへの批判を、アートやエンターテインメントなどの形にして見せることもできる非常に重要なもの。日本の場合は特に日本語に閉ざされた島国ということもあってか、外国の状況があまり入ってこなくなってきている。内側から外へあまり働きかけられていないことに対して私自身は批判的で、その批判をウェブサイトで、あるいは上映の形で行っている状況といえます。

──ネットを通じて外国の情報や映像に触れやすく、発信しやすい環境なのに、回路が狭くなっている、もしくは自ら狭めているのかもしれません。映画や映像全般に対して、個人レベルでもまだまだ違う視点の持ちようもあるとは思っているのですが。

赤坂 たとえば35mmフィルムが素晴らしいんだよ、ということ一つを取ってみても、言い方や主張の仕方で、「業界の既得権益を守ろうとしているんじゃないか?」と聞こえてしまう場合も多々あるんですよね。ストーカーのアップロードした映像を考えてみても、もしこれがヴィスコンティやベルトルッチのカメラマンが35mmで撮った豪華な裸の映像であれば──そんなものを撮る筈はないんですけど(笑)──自慢にこそなれ復讐にはならないだろうと。そういうフィルムのクオリティや裸体を撮る映像の伝統の重要性は、デジタル時代のチープな映像に囲まれている我々が忘れてしまっていることでもあります。ある種のやり方で撮られた女性の裸の映像の凄さ、そういう観点から35mmの素晴らしさを思い出してみるのも一つの方法でしょうし、フィルムの素晴らしさを内側から外側へ働きかけるアプローチって、もっと色々あると思うんです。

──今の例えはとてもわかりやすいです。一見、映画と無関係に思えるトピックから映画を見てみるという。

赤坂 映画産業の中にいる人たちの言う言葉が、どうしても既得権益や自分たちの保身に聞こえてしまうんです。客観的に見ること、つまり「外側から見ること」。外側から見る視点があれば、「これは滑稽な事を言ってるんだ」とわかる筈なんですよ。そしてそれこそが映画的な視点だと思うんですね。「フレームの外側にあるオフスクリーンのスペース」を想像してみるのが映画的な考え方なのに、今は外側のことを考えられなくなっている、すなわちテレビ的な思考に陥っているということですね、映画の人たちも。

──「フレームの外」については、赤坂さんは一貫して発言してこられています。

赤坂 今の日本の映画産業は、テレビの人たちが作る映画で持っているような状況。フレームの外を想像させる映像がもはや作れなくなってしまっている事実があります。それが常態化しているので、結局自分たちが何をやっているのかわからなくなってしまう。

──読者としての認識ですが、外/内は、赤坂さんが現代映画の批評の軸に置いている主題ですよね。

赤坂 僕が言いたいのは、優れた映画作家はまだ外国に沢山いる。ルソー監督やストローブ=ユイレ監督もですが、そういう映画作家は必ずフレームの外にある空間や音が、フレームの中とどう関係しているかを非常によくわかるように作っていて、それが凄く刺激的で映画的です。この思考が失われてゆくのは危険なので、そうした映画を擁護しないといけないかなと思っていますね。

──フレームとテレビとの関係をさらにお話頂けますか?

赤坂 大学で映画を教える授業で僕が何から始めるかというと、ロベルト・ロッセリーニ監督とロベール・ブレッソン監督の二人の映像です。ロッセリーニは四角いフレームの中でイングリット・バーグマンやアンナ・マニャーニたちが演じる人物を顕微鏡のようにずっと追って行って、フレームの外の音は中に向かって働きかける、だけども外は見えないという映画なんですね。『ストロンボリ、神の土地』(50)や『イタリア旅行』(53)、『アモーレ』(48)もそうです。もう一方のブレッソンは、中の人物がいきなり外へ行っていなくなってしまって、その人の行動は画面の外の音に置き換えられる。『抵抗(レジスタンス)──死刑囚の手記より』(56)はそういう映像の連続だし、『スリ』(59)や『バルタザールどこへ行く』(66)もです。いずれにせよ、フレームの外へ行って見えなくなったらどうなるのかという外の空間と内の空間の関係、音と可視的なフレーム内の空間の限界を示している。これらは現代映画の一つの出発点であり、テレビや他のメディアへの批判の映画の出発点でもあると思うんですね。

──テレビは一定の枠組内で完結させる傾向が強いですし、それが前提でもあります。

赤坂 フレームの中の空間があたかも世界の全てであるかのように、外が無いかのように消してしまうというのがテレビの機能です。大学の授業でも言っていますが、テレビは見えるものがすべてだというやり方で作り上げられていますから、集中して観ると「音源が見せられなきゃいけない」原則で作られているのがわかるんです。何が起こったのかわからないような音源を極力排除する作り方がなされているので、「外」が無くなっていってるんですよね。メディアの限界があたかも無いかのごとく人々を誘導するというか、情報操作する。現代映画はそのようなマスメディアとしての映像機能を批判する。「限界を示すことにより、自己批判的な映像要素を持つ映画」を観せることでマルチメディアを批判するというのは非常に大事かなと思っています。

──映画を他のメディウムと並べてみるのは重要なことですよね。

赤坂 古典映画はマスメディアとしての機能も持っていました。第2時世界大戦の時にはプロパガンダとして視聴者、観客を戦争に参加させることに一役買ってしまった、ある一つの罪を犯してしまったと考えているんですね。現代映画には自己批判としてその罪を償う機能があって、それを意識的に作る人が多くなったのは1960年代以降じゃないかと思うんです。それに対して「何を作っているのかわからない、難解だ」と言い始めて観る人が減っていきましたが、寧ろ今、映像過剰の時代に当時の作品を見直してみると、映像が権力の道具として人々を操作し、戦争へ向かわせたことを批判する視線を観客に持たせる映画を作ろうとしていた。それを意図して発言した人はいないんですが、今にしてみればそのように捉えられます。

──因みにルソー監督はそういう姿勢をダイレクトに作品に反映させるタイプの作家ではないですよね?

赤坂 そのタイプではないですね。ただぶっちゃけて言ってしまえば、映画や批評も含めて、フランス全体が芸術というコンテクストの中に留まってしまっているような現状があります。それがテレビと結託してある種の自然主義、現実主義を蔓延させて、さっきもお話したフレームの外と音を使う映画がどんどん無くなっている。だから若い世代のフランス映画がつまらなくなってしまったと思うんですが、一方でそうした映画を作ろうとする少数の人もいるわけです。現実を見ると、今言ったメディアを批判するような言説を述べている人は殆どいないんですけど(笑)、それがフランス映画の停滞を呼んでいるところかもしれません。その中でも支持できる人は何人かいますし、幾らか可能性はあるかなとは思います。ゴダールのような巨匠もまだやっていますんで(笑)

──そのような映画を現在作っているルソー監督本人が、今回のレトロスペクティヴに来場する。意義のある機会です。

赤坂 元々この企画は、ルソー監督が「日本に行きたい」ということから出発しているんですよ。

──そうだったんですか?「赤坂さんが招聘に力を尽くされた」イメージを勝手に抱いていたんですが(笑)

赤坂 監督が来たいということだったので、同志社大学の方たちに相談してみると「何とか呼べるかも」ということで(笑)。実を言うとそこから起こった企画なんですね。「呼んでくれませんか?」「じゃあ努力してみます」いう具合に(笑)

──かなり意外でした(笑)。しかし意義深いことに変わりはないですね。

赤坂 そうですね。同志社大学には過去に私を招いて講義しませんか?と声をかけて下さった高木繁光教授、学生支援課でシネクラブの上映イベントなどを手がけている西原多朱さんがおられて、ここ数年、日本で最も優れたシネクラブ活動を行っていると思います。

──大学で現代的な映画を観られるのは、よいことだと素朴に感じます。

赤坂 日常的に映像を使う社会で、映像を学ぶことは大学の授業で必須になってきています。本来、私がやっているような上映活動は、他の国だとシネマテークや大学の上映施設で行う種類のものです。たとえばハーバード大学に知人がいるんですが、ポルトガルに半年ほど滞在して色んな映画を観まくってセレクションをして、翌年に番組を組むといったことを余裕でこなしている。というのは、アメリカは社会的に外国映画を紹介すること、映像を学ぶことを有益と考えているからです。中国や韓国も映像に関してはお金を出している。まあ、中国の場合は色々問題のある形で出してるとも思いますが(笑)。中国共産党にとって役立つ映像にお金を出すというのは非常に問題がありますけど、日本はオーディオ・ヴィジュアルの文明に対して背を向けている状態があって、それがガラパゴス化という現状を呼んでいる一因になっていると思いますね。

──映像に対する視線の根幹に欠落があるといえるでしょうか。

赤坂 日本のコマーシャルな劇場の方も頑張っておられますが、世界の動きに全然追いつけていない。一方で映像は芸術、娯楽、文化を超えて世界を動かしている状況なので、国家的に対処しないとやっていけない筈です。オーディオ・ヴィジュアル文明の21世紀にイメージを建設するとか、距離を取って理解するということが大事になっているのに、日本は背を向けてしまっている。それは政治家が悪行を記録されるのが困るからなのか(笑)、フィルムを擁護したがらないとか、マスメディアが怖がる映像を解放するより隠す方向へ向かったりする。そういう面で世界に逆行しているのは、問題がある気がしますけども。

──そうした状況だからこそ、大学の役割も変化して然るべきですね。

赤坂 大学でしかかけられないフィルムがあるし、諸外国では必要があってそういうものを上映しています。そのような外国の映像が無くなるに連れて、外国差別が多くなるというごく当たり前のことが起こっているし、諸外国から「大日本帝国復活か」と言われてしまうのも当然のことですよね(笑)。どうしても島国的な空気に戻ってしまっているような現状があると思いますね。

──外国との関係から伺いたいのですが、赤坂さんは今年からアルゼンチン映画の上映(『アルゼンチン映画の秘宮』)も始めておられます。どのような考えに基づいてだったんでしょう?

赤坂 やはりラテンアメリカ映画って、日本から見るとハリウッド映画の下請け的な、映像植民地的な印象を受けてしまうんですが、そうではなく実は、ラテンアメリカの人たちがヨーロッパやアメリカと関係を持ちながら優れた映画を作っている伝統があることを知らせたかった。それと軍事政権。米ソ冷戦時代の代理戦争的な背景から軍事政権に殺されてしまった映画作家もかなりいるんですよね。芸術や娯楽以前に武器でもある映像の現実を認識するのは、今の時代だからこそ大事だというのも理由のひとつです。

──赤坂さんのこれまでの批評活動を、より具体的に展開した形だと感じます。

赤坂 もうひとつ、スペイン語圏周辺の映画が今、面白くなってきているんです。これまでお金が無くて作れなかった人たちがデジタルビデオで制作を始めて、面白い作品がどんどん生まれています。スペインのカタローニャ地方やガリシア地方といった周辺地域、あるいはラテンアメリカのチリやペルーなどもそうです。そういったところの作品が、映画祭で取り上げられてから日本へ来るというのにもまた問題があって、映画祭が一種のスターシステムなんですね。

──そこはかとなく感じる気配でもあるので、詳しくおきかせ願えますか?

赤坂 特に今、各国の映画祭はテレビと連動しているので、テレビ資本が入ってくるものが多いんです。となると、テレビ放映されるような映画からスター監督が出てくる。そうした方向に対して真剣に論議し合うということが昔の映画祭にはあったのに、今は殆ど無くなっている。だからテレビ映画の登竜門になっているんじゃないかとも考えられます。それはダメだろうと。寧ろ、直接インターネットを使って批評などを読んで、そこで面白いと思った映画をDVDで買って観た方がためになるという現実もあったりします(笑)

──日本での一般公開の前に映画祭があるとして、その前の段階も見ないと、ということですね。

赤坂 そういうことを日本の批評家なりディストリビューター、キュレーターの人たちが知っていればいいんですが、実際はそうではないですね。私が紹介しているような映画やポルトガル映画もやっと認知されてきました、ペドロ・コスタとか──あまりいい意味ではなく、スターシステム的な意味でスター監督になってしまった感もありますが──しかしそれも映像の現状を追って紹介しているのではまったくなく、どこかの映画祭で話題になったから一本釣りして紹介するようなケースも非常に多い。そこもテレビ的になっていることをわからないとダメだなと(笑)

──そのためには何が必要になるでしょう?

赤坂 外国の批評や状況を読めるかどうかに関わってきますね(笑)

──語学が不得手な自分も何とかしないといけないんですが…(笑)。批評にさらに能動性が求められる時代ですね。

赤坂 先鋭の映画は、プロパガンダを批判する目的で作られたのではなく、自然とその形になっていった。今は映画祭でさえも、テレビの持ち物になっていますから、そういう作家を見つけるのは非常に難しいです。勘やキュレーターとしての嗅覚を持ってなければいけない時代でしょうね。

──たしかに。赤坂さんは2000年頃、既に新しいアルゼンチン映画に関心を寄せて、当時は「配給会社やコネクションのある人が特集を組んでみるとよいのでは?」と思われていたそうですね。それから10余年、批評家として、ご自身で上映活動も行うとは予想外の展開だったのでは?

赤坂 そうですね。でもこれもフィルムではなくディスク、デジタル上映が一般化したから可能になったことではありますね。(90年代末にアテネ・フランセ文化センターで)「ポルトガル映画講座」を開いた時には、大使館の協力を得なければフィルムを空輸することも個人では不可能だったので。デジタルのディスクが普及してからは、それを送ってもらえばよい形になりました。映像として問題はあると思います、35mmフィルムがやはりベストなので。ただ、35mmでテレビ映画を見せられるのと、デジタルで刺激的、先鋭的な映像を見せられるのとではどっちがいいかと考えると、社会的にも個人的にも後者の方がためになるのは確実です。極端なことを言えば、アルゼンチン映画を一番観ることができたのはYoutube。でも本当はスクリーンで観るのがベスト、それは当たり前なんですけど(笑)、ひとまずそうせざるを得ないというか。逆に、たとえばアメリカのリンカーン・センターやハーバード、ヨーロッパのシネマテークではそういう上映を、お金をかけてごく当たり前に行っているんですよ。それをやらないのはとても正気とは思えなかったり、そういうことが色々重なっています。

──大学の話に戻ってしまいますが、映像/メディア関連の学科は増えているとしても、ここまでお話頂いたような、それらへの接し方を学ぶ環境が豊かになっているとは一概に言えないと思うんです。

赤坂 技術だけを教えても、物の見方を教えなければどうしようもないところがあります。それは日本にまったく欠けているし、メディア・リテラシー自体も問題がある。マーシャル・マクルーハン、テオドール・アドルノ、ヴァルター・ベンヤミンなど、メディア論で参照される人の多くが映像を取り上げる時には、マスメディアの映像について語っている。映画は特に60年代以降、マイナーな映画作家が逆にメジャーな映画に影響を及ぼす力が強くなってきた。そうしたことを踏まえないと、メディア論者が映画を読み解く場合、古典時代のメディアの状況で論じているので、今の時代にそぐわないことが理解できない。スラヴォイ・ジジェクもメジャーな映画のみ取り上げているんですが、それは現状にそぐわないとはっきり言えると思います。

──必然として批評家の方の仕事も増えてくるしょうか。さっきもお話したキュレーター的なこと、作家の紹介者の役割をカバーしないといけなかったり。

赤坂 まあ批評だけをやっていられればいいんですけどね(笑)

──はい、それが本来の姿でもありますし(笑)

赤坂 ただ現状を考えると、自分だけが見ていてその情報を提供しないというのは問題があると思います。現代映画作家たちのやっていることが、映像の中で生活している我々にどう作用するのか。「現代映画はシネフィルじゃなく一般の人も観た方がいい」ともよく言っているんですが、一般の人たちが使っている映像の見方を変えるためには、現代映画というのはとてもいいもの、インパクトのあるものだと思いますね。

『New Century New Cinema』

『ジャン=クロード・ルソー監督レトロスペクティヴ』
10月29日@寒梅館クローバーホール

『ジャン=クロード・ルソー監督レトロスペクティヴ』
10月31日@寒梅館ハーディーホール

(2013年10月)
取材・文/ラジオ関西『シネマキネマ』吉野大地


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