ラジオ関西「シネマキネマ」インタビューWEBSPECIAL / CinemaKinema
2014 11
赤坂太輔氏インタビューⅡ
── 《アルゼンチン映画の秘宮 New Century New Cinema》に向けて ──
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「夜の音楽」

 

昨年5月に東京でスタートした『アルゼンチン映画の秘宮』。アルゼンチンに眠る映画の宝を掘り起こし、今と接続するこのシリーズ企画が関西でも初めて開催される。企画を手がけるのは、シネクラブ&ウェブサイト「New Century New Cinema」を主宰する映画批評家の赤坂大輔氏。この欄で2度めとなるインタビューでは、今回の上映作『夜の音楽』(07)『四つの注釈』(04)のラファエル・フィリペッリ監督やアルゼンチンの映画状況を中心に語ってもらった。

 

──『アルゼンチン映画の秘宮』から遡り、系統だった特集を思い出していたんですが、長らく行われていないですよね?

1987年だったかな・・・映画祭があって以来、アルゼンチン映画で何かをやったということはない筈です。東京国際映画祭やラテンビート映画祭など他の映画祭の一環として上映することもありましたけど、まとまって何かを企画するということは30年近くやってなかったですね。

──かなり大きな空白ですね。

そうですね。実際の問題として一般的に言うシネフィル、あるいは映画好きの人が、ラテンアメリカ映画に関心を持つことが無かったと思うんです。私もアメリカ映画、日本映画、ヌーヴェルヴァーグで育ってきていますから、同様にラテンアメリカに「映画的に関心を持つ」ことがほとんど無かった。それでここまで来てしまったわけなんですが、1990年代終わりくらいからですかね、フランスの『Le Monde』や映画雑誌には、「アルゼンチン映画に少しずつ新しい波が起きている」と記事として取り上げられていたんです。ただ、そこでも我々が具体的な関心を持つことはできなかった。公開される映画も無く、見ることがほとんどできなかったですしね。ルクレシア・マルテルの『沼地という名の町』(サンダンス・NHK国際映像作家賞受賞作)もとても面白い映画でしたが公開されなかったし、そこから何かを広げることもできなかった。ここ数年、海賊版でしょうけどアルゼンチン映画がインターネットにアップロードされるようになり、その数が徐々に増えてきた。それを見て「あ、面白い映画を作っているんだ」と実感できるようになった。違法な映像なわけですから、いいことだとは思わないんですけど(笑)。ただ、それによって日本でも見られて「面白い映画を作っている」と知ることができるようになったのは、ここ数年の現象ですね。やはりインターネットの環境が整ってきて、ようやく面白い映画があることがわかるようになったんですよね。

──そうした今と繋がるアルゼンチン映画の歴史を少し教えていただけますか?

トーキー直後のアルゼンチン映画のスタジオシステムの成立を助ける大きな力を持っていたのがジョン・アルトン。アンソニー・マンやアラン・ドワンのフィルム・ノワール、それから『巴里のアメリカ人』でもカメラマンをやっていますが、偉大な撮影監督である彼が、アルゼンチンへ行った時に撮影システム、人の育成を手助けてくれと乞われたんですね。それでソノ・フィルム、ルミトン・スタジオというふたつのスタジオの形成に関わっています。だから撮影自体は非常に充実していたし、1940年代には現地からもハリウッドへ人を送っていた。そこで『市民ケーン』の撮影を行ったグレッグ・トーランドの助手に就いたヒカルド・ユニスらもいて、彼らがアルゼンチンの映画の撮影を支えたという事実もあります。特にフィルム・ノワールと歌謡映画、タンゴ映画は非常に充実し、産業として誇れるものだった。ラテンアメリカ映画の中で産業として考えるならアルゼンチンとメキシコは他の国への輸出が成立した二大国家でもあり、元々栄えていたわけですね。そのあとには、私は「ちょっと今村昌平的な監督」だと説明してるんですけど(笑)、レオポルド・トーレ・ニルソンという代表的な映画作家もいます。彼も父親が映画作家で、1950年代初頭からでしょうか、二世監督として活躍しました。

──その後、文学との接点とも生まれるんですね。

60年代に入ってからは映画産業自体が下火になってきたので、「若い人を入れなきゃいけない」ということで、文学系や演劇系の人、つまり外の血を撮影所に入れて活性化を図った時期があります。最初に『アルゼンチン映画の秘宮』で上映したマヌエル・アンティンという作家は今もご存命で、国立映画大学の総長としてお元気らしいんですが、彼なんかも元々は文学畑の人で映画業界へ入ってきた。のちにアントニオーニの『欲望』の原作などで有名になる文学作家フリオ・コルタサルと組んで、何作か映画を撮っていたような状況もあります。

──コルタサルは比較的早く紹介されていたこともあってか、日本ではラテンアメリカに対して映画より文学への関心が強かった印象があります。

ラテンアメリカと言っていいかどうかわからないんですが、シネフィルが唯一関心を持ったとすれば、ルイス・ブニュエルのメキシコ時代の作品だと思うんです。ブニュエルはスペインのフランコ独占政権時代に迫害されてメキシコへ亡命して作品を作っていたわけですが、これはラテンアメリカの作家たちにも大きな影響、インパクトを与えた。そういうこともあって50年代~60年代には、文学系の人たちへの触発があったと言えるでしょうね。

──その交流は『アルゼンチン映画の秘宮』第1回のレクチャーに詳しいですが、映画と文学との共振性はいま遡っても面白いです。

特にコルタサルはブニュエルに大きな尊敬を抱いていて、映画の脚本を手がけるようになったのにはそういう背景もある。ボルヘスは逆に輸出されてヨーロッパの人たちに広く読まれました。たとえばヌーヴォー・ロマンの旗手と呼ばれたアラン・ロブ=グリエ。アラン・レネの『去年マリエンバートで』の脚本を書いたり、その後自分でも『不滅の女』『ヨーロッパ横断特急』『嘘をつく男』などを監督して映画を作りましたが、彼はミニュイ社という出版社で、ラテンアメリカ文学をフランスに紹介する仕事もしていたんです。ビオイ=カサーレスを出版したり。ボルヘスはゴダールやリヴェットにも読まれてましたけど。あともうひとり、ジャック・リヴェットの脚本を書くことになるエドワルド・デ・グレゴリオ。この人もアルゼンチン出身で、そもそも作家を志していたんですが、リヴェットの前にベルナルド・ベルトルッチと出会い、『暗殺のオペラ』の脚本を書きます。その後、リヴェットと出会って『セリーヌとジュリーは舟でゆく』、『デュエル』や『ノロワ』といった作品の脚本を書くことになるんです。そのあとは自分も映画作家になってゆきますが、彼が脚本を通じてラテンアメリカ的な匂いをフランスへ伝えた部分があるのはたしかですね。

──今回作品が上映されるラファエリ・フィリペッリ監督は、そこから今日に至るアルゼンチン映画の流れの上にいる映画作家だと思うんですが、彼も亡命経験を持つ人なんですね?

そうですね。フィリペッリ監督は今の若い作家、ニュー・アルゼンチンシネマの作家たちを映画大学の教授として育てたという意味で「ゴッドファーザー的な存在」とも呼ばれています。彼は1970年代、独裁政権下に亡命してアメリカとメキシコに滞在していたんですが、80年代に戻って来て映画を撮りはじめる。でも映画産業の中では撮らなかったんですね。インディペンデント作家として、ドキュメンタリーとフィクションの間にあるような作品を作りはじめます。理由のひとつには、独裁政権にメディアが大きくコントロールされていたことが意識上にあったのかもしれない。「メディアで扱われる真実は必ずしも真実ではない」といった意識がどこかで働いていたのかもしれません。本人はゴダールやアントニオーニ、60年代のヨーロッパの人たちから非常に影響を受けたと言っています。自分で批評を書いたり、『現代映画 小津からゴダールへ』というタイトルの著作も発表して、小津安二郎を非常に尊敬している。「現代映画の父親は実は小津なんだ」というような発言もあるので、その意味でも彼の作品を日本に紹介するのは色々意義があると個人的には思っています。

──画面にダイレクトな影響は見られますか?

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「四つの注釈」

正直、よくわからないところもありますね(笑)。それよりはゴダール的な要素が大きいかなと。『夜の音楽』は音楽批評家と、その妻である作家がブエノスアイレスをさまよう一晩を描いた映画。ロッセリーニやアントニオーニ的、ネオレアリズモでよく使われたような物語をアルゼンチンへ持って来てやっているわけですね。ただ、背景音と音楽の使い方が非常に斬新で、これはやはりアントニオーニやゴダールの影響が大きいと思います。もう一作の『四つの注釈』は、ヘラルド・ガンディーニ──アストル・ピアソラの最後のセクステットへの参加経験も持つ、日本でも有名なピアニストのひとりですけども──彼がシューマンにインスパイアされたオペラを作って上演するドキュメンタリー。ドキュメンタリーですが、そこではリハーサルと本番の音をミックスさせて過去と現在という形で進行する。それに4人の人物──音楽家、批評家、他のピアニスト、もうひとりはラファエル・フィリペッリの私生活上のパートナーであり文芸批評家としても知られるベアトリス・サルロという女性──が人の気配のないオペラの劇場をさまよってゆきます。やはり「彷徨」という点でアントニオーニぽいんですけど、一方で無人の劇場内でピアノの音が響くところなどは、どことなくデュラス的な感じも漂っているんですね。そのように、『四つの注釈』には色んな映画の記憶があります。リハーサル時と本番との音のミックスはゴダールから来ているということもあって、現代映画を咀嚼しつつ、「アルゼンチンの土壌で何ができるか?」に実験的に取り組んだ映画だとも思うんです。

──2作とも「彷徨」がキーといえそうですが、『四つの注釈』の鏡が使われたスチールを見て、『インディア・ソング』をちょっと思い出したんです。

そうですね。『インディア・ソング』を作曲したカルロス・ダレッシオはアルゼンチンの人ですし、何かつながりがあるんじゃないかと思いますけども。

──赤坂さんが紹介する映画の特徴、フレームの外で鳴る音の面白さはこの作品にもあるでしょうか?

やはりありますね。『夜の音楽』ならフレームから人が出て行ってしまって、そのあと画面の外の会話や音楽がいつ入って来るのか?そういった部分がサスペンスフルだし、最初と最後のシーンはたぶんリアルタイムでひとつの楽曲を流して、その中で芝居をやっている。もちろんリアルタイムといいながらカットを割っているので、できる限りリアルタイムに合わせてシーンを構築するというような戦略があるんですね。そこで、「映画の時間はリアルなようでも実は作られてるんだよ」といった解体的な視点を見る人に伝授してくれるような面白さがあります。

──時間の操り方も注目したい点です。

マヌエル・アンティン監督の映画は、幾つかの時制の中を往来しながら1時間10分なり20分という作品の時間を構築するタイプでしたが、フィリペッリ監督の『四つの注釈』のほうは、リハーサルの映像と本番の音と映像を行ったり来たりします。しかし、時間としては一曲のオペラがはじまってから終わるまでにきっちり設定してあり、映画の時間の解体と構築がどう行われているのかを考えさせる。やはり60年代以降の現代映画には、ひとつのシーンの中で一幕の芝居を体験させるような「リアルタイム」を如何にカットを割って構築するか?という傾向があります。それが世界各国で優れた作家によって試みられている。今回は一例として、アルゼンチン映画でその面白さを見てみようということですね。

──フィリペッリ監督は「時間」にかなり意識的な作家と呼べるでしょうか?

本人はアントニオーニやリヴェットの映画を引き合いに出して語っています。当然、アントニオーニの映画は時間──ダラダラとした時間(笑)──を描いて、そこで見た人たちにネオレアリズモのあと、初めてこういう時間を描く作家が出て来たと認知されたと思うんです。リヴェットの場合はヌーヴェルヴァーグの作家なので、もう少しあとに、演劇の一幕としてひとつのシーンを作る中で時間がどう成り立つかを撮った作家ですね。フィリペッリも影響を受けているとは思いますし、同時代の作家としてそういうことを目指したとは思います。

──赤坂さんの映画批評に「上演の映画」という視点があります。たとえばリヴェットの作品もその視点から見直すと発見があるんですが、『四つの注釈』の場合はどうでしょう?

さっきもお話したように、映画の時間は、オペラの一曲がはじまって終わる時間に設定されています。その1時間30分をリハーサルの映像と音、本番の音と映像、そして注釈家たちがさまよう映像で構築してゆく。その間の映像と音をミックスして、運動と時間の行き来をどうやって作るのかという面白さが挙げられます。

──運動と時間いう今のお話から思い出しましたが、フィリペッリ監督はドゥルーズの論考も書いているそうですね。

インタビューの中では、『シネマ2*時間イメージ』に出て来る「彷徨」、ロッセリーニからヌーヴェルヴァーグに至る「彷徨の映画」の系列に自分の作品も入るんだよと冗談めかして言っていますけどね。

──最初に、また昨年の取材でもお聞きしましたが、赤坂さんがそのようなアルゼンチン映画を発見した経緯や背景をあらためて伺ってよいでしょうか?

2000年代に入る頃から各国の批評や映画祭の事情などを眺めていて、スペイン語圏とその周辺語圏の映画が世界的にも面白くなってきたなと感じるようになりました。アルゼンチンだけでなくチリ、ヨーロッパのほうではホセ・ルイス・ゲリンなどがやっていますけど、カタルーニャやガリシアのインディペンデント映画など、それまでスポットの当たらなかった場所でも面白くなってきている状況があります。理由のひとつとして、20世紀後半まで軍事政権、独裁政権やファシズムに苦しめられていたのが民主化され、最近になってようやく自由な表現ができるようになった。なおかつデジタル化されて、フィルムや高額なメディアを使わずとも表現が可能となり、安い値段でも映像と音を使って自分の作品を作ることができる時代になった。その恩恵を受けた人たち、今までできなかったことをやろうと出てきた人たちがそこにいっぱいいるのかなと思うんですね。もうひとつは、結局アルゼンチンにしてもチリにしても、今までいい映画をたくさん作っていた。やっぱりそれに「気づかなかった」と思うんですね。私も反省するところはあるんですが(笑)。日本に入って来るヨーロッパ映画やハリウッド映画、それらは配給会社が買ってきて劇場公開されて初めて「こういう映画があるんだ」とわかるんですが、今はネット時代になったので、ある種の情報のネットワークを経ずにダイレクトにどんな映画があるかを知ることができる。Youtubeもそうですし。ダイレクトに、世界各国で作られている映画を知り、世界的な情報も把握できるようになった環境的な変化は大きいですね。

──それによって、日本でアルゼンチン映画を見る人が増えつつある。12月には東京でも企画の第5弾が予定されていますね。

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「ラ・カサ/家」

東京のほうでは1960年生まれの作家、グスタボ・フォンタン監督の『ラ・カサ/家』『底の見えない川』を上映します。これはある種の映像詩、実験映画にも近い。見る人はゴダールやタルコフスキー、エリセ、ブラッケージといった人たちの名前が頭に浮かぶかもしれませんが、普通なら映画祭でも上映されそうな、どちらかといえばイメージフォーラム系の作品かなとも思うんです。でもアルゼンチンではそんなことは関係なくちゃんと評価されている。実際非常に面白い作家なので是非観ていただきたいですね。来年、機会があれば関西でも上映できればと思っています。あとこれは私の企画でなく、碓井千鶴さんのHappy Tentが、恵比寿映像祭で紹介されたマティアス・ピニェイロ監督の特集上映を9月に東京で行ったんです。彼は30歳過ぎかな?そのときインタビューしてあれこれ話していると、彼もフィリペッリ監督の弟子というか学生にあたり、その世代の人たちにはかなり元気な監督が多いんですね。マリアーノ・リニャスやアレホ・モギランスキー。やっぱりそういう人たちの師匠でもあるフィリペッリの作品を上映するのは面白いかなと思います。マティアスにフィリペッリの映画のことを話したら、「日本でも見てる人がいるの?」とびっくりしていました(笑)。向こうのインディペンデントでもなかなかレアな人といえるので、この機会に見ていただければと思いますね。

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「底の見えない川」

──いま見ておくと、今後の何かにつながるということがありえますね。

そうですね。30代のマティアスは自分たちより二世代前の70代の映画作家、フィリペッリもそうですし、一昨年亡くなってしまったエドワルド・デ・グレゴリオ、それからボルヘスの脚本で『侵入』『はみだした男』を撮ったウーゴ・サンチャゴ、『ジャン・コクトー、知られざる男の自画像』のエドガルド・ゴザリンスキーといった人たち──亡命して戻って来てインディペンデントな映画作家の道を辿らざるを得なかった人たち──と今のインディンペント作家が父親と息子のような関係を結んでいると言っていたので、それも興味深いところですね。

──フィリペッリ監督の世代前後にインディペンデント的な映画は積極的に撮られていなかったんでしょうか?日本へ伝わっていない情報も多いと思うのですが。

それまでの時代はスタジオ映画だった。スタジオシステムでジャンル映画を作っていたんです。それが軍事政権とフォークランド紛争になって一度潰れたというか。1982年に民主化して再出発することになって考えたのが、軍事政権化の悲惨な体験を映画化して知らせよういうこと。『オフィシャル・ストーリー』とか、そういう映画が増えていったんですね。そうした映画はやはり映画祭で賞を獲るものですから日本に入って来る。それで軍事政権=アルゼンチン、ラテンアメリカというイメージが定着してしまったということがあります。これはある種のメディア戦略なんですね。マヌエル・アンティンは、民主化のシンボルとして軍事政権を告発する映画を作って、世界で賞を獲れるような戦略を持っていた。

──映像によるイメージの定着を図っていたということですね。

それ自体は悪いことではないですが、そのシステムで配給されていたものを我々がイメージとして受け取り、持ってしまっていた。しかしそういう戦略と関係無く、いい映画作っていた人も沢山いたことを知らせなきゃいけないかなと思います。

──日本に入って来る海外映画に何層かのフィルターがかかっているのは、見落としがちなことでもあります。

映画祭にしても興行収入の市場調査という側面がありますから、そこで操作されたものを我々が受け取ることになってしまう。それ自体がもう時代的に古いだろうと。インターネットからダイレクトに受け取ることができる時代になっているので、それをやるべきじゃないかなと思うんですね。

──赤坂さんのそうした批評をまとまった形で読みたいとも思うんですけどね。

今は映画本も難しくて、ほとんど過去のほうにベクトルが向かっている。映画を終わったものとして骨董品、かつての思い出のように扱っていて、それが図書館に収蔵されて終わりというような流れがありますよね。

──骨董品のカタログ的なイメージでしょうか。

「死蔵へのフルコース」みたいなね。活性化する方向へ向かえばいいんですけど、大体が「撮影所時代はよかった」で終わってしまう(笑)。一般の人は読まないでしょうという雰囲気になっているのが残念ですし、外国の文脈とリンクしてないのが悲しいですね。

──観客や読者のシニア化も含め、ひとつの負の循環を生んでいる気もします。

よく言うんです。これからの人ほど大量の映像に浸かって生きてゆくわけだから、そういう人たちが読む本を作らないと駄目だって。

──幼い子供でもスマートフォンを操作して動画を見る時代ですよね。

無垢な子供がいないとも言える(笑)。子供を集めて映画を作らせる企画がよくありますけど、「子供に映画を作らせるとテレビみたいな映画が出来てしまうよ」と思うんです。物心ついたときからスマホとテレビしかない子供に映画を作らせて、それを親が喜んでるというのはとんでもない話で(笑)。環境を考えると、まず最初にアーカイブの人や批評家が、子供たちのガイドになって世界中で作っている多種多様な映画を教えないとまずいんじゃないかという思いがあります。

──昨年の取材でも、「技術だけを教えても、物の見方を教えなければどうしようもないところがある」「現代映画はシネフィルじゃなく一般の人も観た方がいい」とおっしゃっています。

メディアや業界は映画を「終わったもの」というイメージで見ているところがあるけれど、一般の人たちは映像を使って日々暮らしているので、むしろメディア批判を行う現代映画を見ると得るものが多いかもしれません。

──そこで批評のかたちも変わってくると思うのですが、ここ数年の赤坂さんの積極的な活動からは、企画・上映がその発展形になっているのかなと感じます。

ただ闇雲にやっているわけではなくて、私はやはりアメリカ映画、ヌーヴェルヴァーグ以降の映画で育ってきた人間ですから、どうしてもその流れを辿っている影響関係があることにはありますね。

──昨年と今年開催された《ジャン=クロード・ルソー監督レトロスペクティブ》はフランス映画の企画で、今回はアルゼンチン。国は違っても赤坂さんの企画は一本の線で貫かれているイメージを抱かせますね。

簡単に言ってしまえば、「現代映画」なんですけどね(笑)。テレビ的な映画やメディアに対する批判的な視線を持たせるような映画を紹介することが念頭にあります。テレビなら放映できないだろうなという(笑)。主要メディアとしてのテレビでは、フレームの外を消去する。文字情報に還元しようとするベクトルを持っています。それに対して、現代映画は外に向かっていく視線からメディア自体を自己批判しようとする。メディアにコントロールされない為にもそういう眼を持つことは大事だと思います。これからの映像作家にも。

──「New century New cinema」という場がウェブ上だけでなく、スクリーンにも広がっていて、そこで新しいコンテクストが作られているとも感じます。

この前マティアス・ピニェイロと話していて、フィリペッリにも当てはまるんですが、いまアルゼンチンでは、批評と国立映画大学とインディペンデント映画祭が三位一体、トライアングルのような形を成して力になっていると言っていました。ただ、アルゼンチンとチリは隣同士なのにあまり交流が無いらしく、それは問題としてあるのかもしれません。やはりスペイン語圏、映画祭的なサークルの外になかなか出られないという。逆にそれを我々が上映、紹介することで、「外に出せる」ことができれば面白いと思いますね。フィリペッリやグスタボ・フォンタンを上映することについて、向こうでは「そんなの知ってるの?こっちでも知られてないよ」という反応なんです。文脈をきちんと提示すると驚くんですよね。

──自国でも知られていないものがアジアで紹介されている。〈外〉から新たなサイクルが生まれると面白いですよね。

マティアス・ピニェイロはいまニューヨークにいて、そこでアルゼンチン映画を紹介してフィードバックしている部分もあります。海外でやっていることが、アルゼンチン国内にもフィードバックされる。だから向こうが思いがけないここ日本で、文脈を作ったり批評を書くのは大事だと思います。そこでさらにクリエイティヴな何かが起こるといいなと考えています。

《アルゼンチン映画の秘宮 New century New cinema》
11月20日(木)@同志社大学寒梅館ハーディーホール

『New Century New Cinema』

(2014年11月)
取材・文/ラジオ関西『シネマキネマ』吉野大地


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