ラジオ関西「シネマキネマ」インタビューWEBSPECIAL / CinemaKinema
2015 4

『学習図鑑』 筒井武文インタビュー
──『筒井武文監督特集Part2』によせて──

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昨年10月に続き、2度めの開催となる『筒井武文監督特集』。プログラムされた4作品について制作年代順に話を訊いた。まずは白井晃、高泉淳子らが旗揚げした劇団、遊◎機械/全自動シアターの公演を「映画として」再構成した野心作『学習図鑑』から。

 

──本作の制作が始まった頃のことをお話しいただけますか?

86年の3月だったかな、『ゆめこの大冒険』(以下『ゆめこ』)を約3年かけてようやく完成させたんです。仕事の合間に仕上げたのでさすがに疲れ果て、6 月から9月くらいまでヨーロッパ放浪の旅へ出て、向こうで色々な映画を見ました。その旅から帰って来て、さてどうしようかというところでした。その頃は今と違い、自主制作映画を劇場に掛けることがものすごく難しくて、1年くらいしてやっと公開が決まった。でも公開にあたって、『ゆめこ』は上映時間が短かったんです。

──70分とコンパクトですね。

そこで併映用の短篇を作ろうというのが一つのきっかけでした。遡っての伏線もあり、『ゆめこ』のプロデューサーで、東京造形大学の同級生だった西村朗君が卒業後に勤めた会社に白井晃さんが居られたんです。白井さんは遊◎機械/全自動シアターの主宰者で、二人はとても仲が良かった。西村君が記録を頼まれて、僕がビデオで撮りに行ったりしていました。面白い劇団であることも分かっていたし、本番公演も何本も撮影しましたね。そこで何か1本映画を撮ろうと考えましたが、動機はさらに遡ります(笑)。『ゆめこ』や『レディメイド』(1982)を撮る前、学生時代の僕が傾倒していた映画作家はジャック・リヴェット。バイブルと言っていいほどの影響を受けたのは、リヴェットの『狂気の愛』(1968)なんです。

──フィルムを大学へ持ち込んで、それも繰り返しご覧になっていたんですよね。

gakushu_zukan_05_wあんな映画を撮ってみたいという思いがずっとありました。そして、『ゆめこ』が87年にオーストリアのブルーデンツ国際映画祭に出品されて向こうへ行ったんですが、そのときパリに寄り、『狂気の愛』の主演女優ビュル・オジェに会えたんですね。ご自宅に招待してもらってインタビューできたことは大きかった。彼女の主体的に映画を愛し、守っていこうとする姿勢に感銘を受けました。そうした色々な要素が絡んで、「やっぱり演劇の映画を作りたい。リヴェットのようにリハーサルを組み込んだ映画──リヴェットの場合は本番前に挫折してしまう映画ですが──を作りたい」という思いを抱いていました。遊◎機械/全自動シアターの稽古にも通って観ていましたが、すごく面白いんですよ。脚本が先にあり、そこ書いてあるキャラクターを演じるという形ではまったくない。その場その場で瞬間的にキャラクターが生まれてゆく。一つのシーンが独立していて、それをいかようにも組み合わせられる芝居の作り方をしていた。たとえばリハーサルでは、劇団員二人を舞台に上げて即興で芝居させるんですね。そのときにはまだ何を演じるかも決まってない。それで一人が何かを始めると、その人物が男か女か、大人か子供かが決まる。続けて何かアクションをすると、そこが部屋の中なのか、あるいはどの部屋なのかが観客に見えてくるんです。一人が仕掛けるともう一人が受けて、さらに膨らませてゆく。たとえば二人目が部屋へ来たときに、その人物は誰か? お客として来たのか? 何かの勧誘に来たのか? それとも泥棒として入って来たのか? 即興的なアクションや言葉を発することで段々と組み立てられる。そういうリハーサルを観て、撮ってみたいと思っていました。だから最初は遊◎機械/全自動シアターのリハーサルを中心とした長篇を作ろうと思っていました。つまりリヴェットの影響、劇団との出会いや演劇の作り方の面白さに直接触発されたこと、そして『ゆめこ』公開の併映作を……という三つの事柄が合流して『学習図鑑』になるわけです。

──『ゆめこ』の劇場パンフレット(『ゆめボー読本』)に『学習図鑑』の作品解説が載っているのは、併映作品だからなんですね。

ただし、公演の三つに分かれた真ん中のパートを独立させたのが『ゆめこ』の併映版(20分)で、今回上映される50分版ではないんです。『学習図鑑』の制作年代が「1987-89」なのは、撮影と併映版制作が87年で、前後を付けた50分版をまとめるまでに2年くらい放っておいたからなんです。なぜ89年まで放っておいたかというと、まだ撮り足したかった(笑)。ちょっとだけ屋外でロケーションしている部分がありますよね? 最後に夏休み、海の設定で高泉淳子さんが貝殻を拾って喋るシーンありますが、その前の林間学校の部分を実際の海へ行って撮影しようとしていた。あのロケはスタジオで撮った声に合わせてサイレントで撮ったのですが、ここは海で同時録音で撮ろうと思っていたんですよ(笑)。結局スケジュールが合わなかったりで断念して、その時点で有るシーンでまとめたものが50分版です。

──そんな大胆な目論見がありましたか(笑)。

はい(笑)。50分版の作り方を話すと、『学習図鑑』の公演自体はたぶん80分から90分くらい。ちゃんとした脚本が無いからセリフも一回ごとに変わるんだけど、記録してあるビデオから全部テクストを書き起こしたんです。まず映画の台本のようにした。そこで映画になるシーンとならないシーンがあるわけです。ならないシーンとは、要は役者が入り乱れてパフォーマンスすると言うのか、舞台の仕掛けを中心とするようなシーンと言えばいいのかな。それを撮っても単なる記録で、本番のダイナミックな動きや面白さは伝わらないんです。だからその部分をカットして、ストーリーをより緻密にまとめる方向で作りました。ただし、映画はカットとカットを繋げられるもの。遊◎機械/全自動シアターは映画から影響を受けていた。映画の瞬間移動や場の転換を生身の体で表現しようとする面白さがあるんだけど、こっちは映画なので、そこで苦労しているところをパーンと簡略化したりもしていますね。

──撮影は何日間でしたか?

ロケは別にして、2日間で撮りました。公演がおこなわれたのは、新宿の紀伊國屋ビルの隣にあった劇場「シアター・トップス」。夜の公演なので、その昼間の2日間に撮影しました。少しだけ足したところもありますが、照明は基本的に舞台のまま。マイクは振れないので舞台上にセッティングしたかな。階段状の客席は稼動式で後ろに引っ込められる。すると客席部分が平らになるので、そこに移動車を引いたり、スタジオのように脚立を立てました。舞台で流れる音楽のほとんどは使うとまずいから(笑)、音は作曲してもらって最後に入れましたね。舞台では音楽無しで演じてもらいました。

──序盤に、舞台の端に置いたキャメラによる切り返しショットが見られますが?

いつも記録ビデオを撮っていましたが、それは記録でしかないんですね。生のほうが圧倒的に面白くて、記録には確認程度の力しかないと思っていました。映画でやる以上は、生で観る舞台、もしくはそれ以上にしなければつまらないと思いません?

──思います(笑)。

でしょう?(笑)。そのためには、出来る限り俳優の至近距離でいいポジションを取る。しかも生で観るときは動けないので、いい位置に次々と移動できる映画の利点を生かせば絶対に演劇として面白くなる筈だと思ったんです。それでキャメラも舞台の上に上げてしまった。

──キャメラは何台使われましたか?

1台です。それで半日と半日の2日で撮りました。切り返しも深く抉っているので、もし2台であのアングルなら向かいのキャメラが映り込むでしょうね。

──1台だけで、よく2日間で撮り上げられましたね!?

だって役者さんたちは完璧に動けるもん(笑)。何回でも同じ演技をしてもらっています。

──リテイクもスムーズだったということですね。しかしながら冒頭の切り返しをはじめ、とても細かく撮られた印象を受けます。

書き起こした脚本にもとづいて、事前にカット割りも出来ましたしね。

──編集を見てゆくと、リズム感がリヴェットとはかなり違いますね。『狂気の愛』は緩やかに感じます。

『狂気の愛』はテレビクルーが撮っている設定なので、ラフに撮っていますよね。厳格なデクパージュはやってない。それで芝居の部分と差をつけている。もし『学習図鑑』が時間をかけたものすごい長篇で、リハーサルを追って役者の日常生活も描く『狂気の愛』スタイルの映画だとすれば、おそらくそうした撮り方をしたと思うんです。でも総合的な映画を作るのをあきらめて、単に舞台だけを撮ることにした。すると撮り方も変わりますよね。リヴェットのような映画を撮るんじゃなく、ストローブ=ユイレに対抗する映画を作る方法論ですね(笑)。

──仰る通り、演劇へのアプローチはストローブ=ユイレに近いですね。

厳格に、それをとらえるのに最適なアングルと編集で舞台を再構築する方法論です。こう言ってしまうとお恥ずかしいですが。

──いえ、発話など芝居のスタイルはまったく違っていても、映画の作りはたしかに重なります。

gakushu_zukan_02_wうさぎの人形を使った教室のシーンは、標準レンズで先生と生徒を普通に撮ったロングショットと、広角で少し仰って生徒ナメで奥に先生が居る対角線気味の構図のロングショットとを繋いでいます。それは自分でも実験したつもりなんですけどね。それから、うなぎを食べたら死んじゃったという先輩と後輩のエピソードがありますよね。

──ベンチに座っている場面ですね?

あそこは回想シーンだけど直結で繋いでいる。実際の舞台では一度はけて衣装を着替えて出て来ないといけないので、合間に色々とあるんです。でもそういうところは映画にならない。映画的なものを意識したけどやっぱり演劇にしかならないシーンを、映画として構成しました。高泉さんと白井さんが男女の一生を演じる場面があるでしょう。あれはミニ・クレーンでのワンシーン=ワンカットですが、実は時が移る瞬間は、アップで抜いてあった。でも芝居が映画のワンショットのように出来ているのに、それを編集で分割するのは間違っていると気が付いた。さらにダビングのとき、音楽の太田恵資さんが映像を観ながら、生でヴァイオリンを弾いてくれた。音楽もワンシーン=ワンカットなんです。

──そうした演劇と映画の拮抗や省略の技法もみどころかと思います。ところで高泉さんと、『オーバードライヴ』(2004)の鈴木蘭々さんとはテレビ番組『ポンキッキーズ』つながりですね?

そうか、そこには気付いてなかったな。蘭々さんもすごくファンタジックな人ですからね(笑)。

──ファンタジーは筒井作品の大きな要素です。遊◎機械/全自動シアターの演劇に、監督の映画世界との親和性も感じるのですが?

演劇の内容面には僕はまったく関与してないんですよ。映画を作る時期にたまたま上演していたことが最大の理由ではありますが、当時の遊◎機械/全自動シアターの公演のなかでも『学習図鑑』は好きでしたね。白井さんと高泉さんは変わらないけども、他のキャストは違う人が演じることもあった。するとまた全然違ってくるんだよね。この芝居は一回ごとにディテールが変わる。だから映画は、撮影時の公演のヴァージョンを再構成したということですね。それから、撮らせてほしいと申し入れたときに、白井さんから篠崎はるくさん──メキシコ料理屋の場面では白井さんの子供を演じている、当時の劇団のナンバースリーだった存在──をちゃんと撮ってやってくれと言われたのを覚えています。劇団を辞めてから、今もテレビドラマの脇役で見かけることがあります。彼女は、当時僕が作った事務所(「プランセカンス」)でアシスタントもやっていたんですよ。映画とどちらが先かは忘れてしまったんだけどね。

──色々と繋がっているものですね。87年というと、批評活動のスタートもその時期でしょうか?

いちばん最初、学生時代に吉田喜重監督にインタビューしたのが81年だったかな……ビュル・オジェが87年。でも批評はもっとあと、89年あたりからでしたね。87年の『ゆめこ』公開後に原稿依頼が来るようになりました。ビュル・オジェにインタビューしたときも媒体は決まっていなかったし(のちに『イメージ・フォーラム』1989年6月号に掲載)。本格化するのはおそらく89年くらい。ルビッチの『天国は待ってくれる』(1943)の日本初公開のパンフレットの編集を手がけて、それを読んだ『シティロード』と『キネマ旬報』の編集者から依頼が来るようになったんです。

──そのあいだの88年には『アリス・イン・ワンダーランド』も監督されています。

『アリス』は88年の春に撮りましたが、あの頃はと言うと……、84年に大学を卒業してフリーの助監督をしていました。その傍らの土日に『ゆめこ』を撮っていて、公開されたら助監督の仕事は辞めようと思っていた。ところが公開したら大コケしてしまい、これでは配給・宣伝経費も大赤字だということで、編集の仕事をバーッと入れて借金を返すために働かないといけなくなった。87年の暮れからです(笑)。助監督の仕事は、依頼があってももう断っていました。そこへ88年に電通から3D映画の仕事が来て、『アリス』の企画が通ったんです。うまくいってたら、もっと大きな仕事が出来て批評に踏み込まなかったと思うんですが、大喧嘩しまして(笑)。干されてしまい、博報堂に行っても使われなくなる。低予算の仕事しか来なくなって、映画批評に仕事の比重が傾いたということがありますね、はい(笑)。

──「人に歴史あり」を痛感します(笑)。そこから映画監督としては長い空白が生まれるわけですが、『オーバードライヴ』(2004)の企画が筒井監督のもとへ来たのはいつ頃だったんでしょう?

2002年末か03年初めくらいでしたね。キャスリン・ビグローの『K-19』(2002)を観に行った後、最初の打ち合わせをした記憶があるので。続けて3本撮る計画もありました。

 

→『オーバードライヴ』インタビューへ続く

取材・文/ラジオ関西『シネマキネマ』吉野大地

筒井武文監督特集part2[2015年4月11日(土)・12日(日)]


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