インタビューWEBSPECIAL / INTERVIEW
2015 4

『オーバードライヴ』 筒井武文インタビュー
──『筒井武文監督特集Part2』によせて──

overdrive_03_w

20年近いブランクを経た、再デビューとも呼べる長篇は、津軽三味線をフィーチャーした娯楽作『オーバードライヴ』(2004)。監督自ら「マンガ映画」と称するのもうなずける荒唐無稽な物語だが、それを支える技法や試みの多くは後の作品を見る上でもとても興味深い。取材では意外な逸話、今だから語れる(?)アクシデントの話題も飛び出して……。

──劇場パンフレットのインタビューでは、当初は別の企画があったのが、先に『オーバードライヴ』を作ることになったと語っておられます。その企画もコメディだったんですね?

うん。ちょっと『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985)みたいなタイムスリップものでね。学園を舞台にした、すごく面白い脚本なので撮りたかったんだけど。

──本作はデジタル撮影です。これはあらかじめ決まっていたのでしょうか?

プロデューサーの榎本憲男さんが、デジタルハイビジョンで撮ってCGなども盛り込みたいという意向を持っていたんです。次の映画を作る計画もあり、それはスタンダードやシネスコで撮らせてくださいというのが交換条件で、つまり次はフィルムということですね。先に撮る『オーバードライヴ』はビスタサイズ、デジタル撮影になりました。

──そのCGを使った場面など、監督のイメージを覆す仕上がりに「筒井武文にこんな側面があったとは」と驚いた方も多かったと思うのですが?

僕の映画批評を読んでいた人は、たぶんもっと芸術的な映画を撮ると思っていたんじゃない? 僕自身は、本当は芸術映画でなく娯楽映画志向。これは声を大にして言いたいんだけど、誰も分かってくれないんですよ。特にプロデューサーはね(笑)。

──本作を見ればよく分かります(笑)。

つねにエンターテインメントを作っているつもりなんですけどね。だって『学習図鑑』(1987–89)もエンターテインメントとして撮っていますもん(笑)。

──それにも同意します(笑)。サイレントをはじめ、ジャンルを横断するスタイルも娯楽色を深めていますが、最初の段階から考えておられたのでしょうか?

いや、作っていたらこうなっただけですね(笑)。シナリオはそれほどジャンルを超えるふうには書かれていなかったと思う。元々、僕を起用したのは、榎本さんがテアトルに入社した頃に『ゆめこの大冒険』(1986、以下『ゆめこ』)を見て感激して、プロデューサーになったときに「この監督で撮りたい」と思ってくれたからだそうです。だから、10数年かかった。そのあいだ、僕は色んなところに企画書を持って行ったけど全部ダメで、自分から動くと映画は絶対に撮れないものだと思っていた。その意味で榎本さんは恩人でもある。撮ることになってから、3ヶ月くらい脚本についてキャッチボールをしたかな。僕の撮りたいイメージも提案して、3分の1くらいは作品に入っていると思います。

──どのようなイメージだったか、教えていただけますか?

主人公の弦(柏原収史)が修行のために捕えられる屋敷ですね。普通の民家なら逃げられるし、人目に付くだろうから、どうせなら誰も入って来られない穴蔵のようなところに閉じ込めたいと思って、僕のほうから出したアイデアでした。でも、その空間構造を誰も理解してくれないので、美学校の教え子で美術も得意だった女性(飯岡幸子)に頼んで模型を作ってもらったんですよ(笑)。彼女はその後、東京藝大の撮影・照明領域に進みました。

──『ゆめこ』ではミニチュアセットが活躍していましたが、本作にもそんなこだわりが(笑)。でも、あの入り組み具合はミニチュアにすると面白いでしょうね。屋敷の構造には、監督が伊勢に住んでおられた頃の記憶も反映されているとか?

伊勢って、伊勢神宮の門前町ですよね。江戸時代には遊郭も多かった。中学生の頃に知り合いの下宿を訪ねてゆくと、そこは坂道の中腹。暗い玄関を入って廊下を抜けて階段を降りると中庭みたいな空間が開けて、周りを廊下が巡り、さらにその奥がある。そういう不思議な下宿屋だったんです。中学生の知識では遊郭だと分からず、「いいなあ、こんなところ」と思った覚えがあります(笑)。そのイメージもあったんでしょうね。

──赤や紫の照明も娼館めいた雰囲気を作り出しています。他にクランクイン前に抱いていたイメージはどのようなものでしょう?

overdrive_12_w原作ものではないけど、マンガ映画のようにしたいなという漠然としたイメージもありましたね。基本ラインは、大好きなジェリー・ルイスとフランク・タシュリン組のコメディ。あちこちに遊びを入れました。

──アニメーションにも遊びを感じます。軽い使い方に、特に抵抗はなかったのでしょうか?

アニメーションとの合成は、アメリカのミュージカル映画でもあるわけじゃないですか? だから抵抗はないですね。だって、ジーン・ケリーも二次元のジェリーと共演しますよね(笑)。

──たしかに(笑)。物語は、人気音楽ユニット「ゼロデシベル」の新曲製作記者会見でギタリストの弦が解雇宣告されるシーンから始まります。細やかにキャメラが動きますが、どう撮られたんでしょう?

テーブルの中央に美潮(鈴木蘭々)、横にはリーダーのジン(賀集利樹)と弦が居る。それを僕がよくやる移動と併用したパンで撮っています。『学習図鑑』で、高泉淳子さんがテーブルの端と端を走り回って一人二役するシーンでも移動パンを使いました。普通はパンで撮るところだけど、それだと面白くないんですよね。キャメラが相手のいるところと対角線上に居るように斜めに撮る。それで、役者が逆側になったらキャメラも逆方向に移動しながらパンしていく撮り方ですね。

──その撮影が良い導入になっていますね。その後、弦を拉致して青森で津軽三味線の修行を積ませる老人・五十嵐五郎(ミッキー・カーチス)が登場します。

この作品では、すべての役者さんたちとうまくやれたんだけど、唯一やれなかったのがミッキーさんだったんです。ミッキーさんが演じるお爺ちゃんは、どちらかといえば青森土着のキャラクター。それを自分のほうに寄せてしまうんですよね。セリフも自己流に変えちゃうので、困ってしまった。実は現場がかなり険悪になったんです。それで、またあとでお話ししますが、ある事情から制作が中断した。そのあいだに関係修復のための話し合いもしました。幸いだったのは、中断しているときにミッキーさんが犬童一心君の『死に花』(2004)に出演したんですね。

──中断は驚きですが……犬童さんは東京造形大学の映画仲間で、筒井監督の『レディメイド』(1982)にも出演しておられますね?

うん。一学年下の後輩です。犬童君が現場で、『レディメイド』のことを話したそうで、ミッキーさんが見たいと仰ったので、テレシネしてお送りしたんです。すると「これは学生の作品とは思えない」と言って下さり、それまで僕に不信感を持っていたのが一発で信頼を得られた。そこからはメチャクチャうまくいきました。なおかつツイていたのは、中断前に撮っていたのはミッキーさんが深刻になっていくシーン。少し暗めの表情が多かったのが、再開後は弾けるような快活なシーンが多くて、中断がプラスに働きましたね。

──映画のミッキーさんの姿からは想像し難い逸話です。見えないところでの苦労の大きい作品だったんですね。

そう、こんな大変なものを撮るんじゃなかったと思いましたよ(笑)。まず大変だったのは、プレイバック撮影なので、撮る前にすべての音楽を作って録音しておかないといけなかったこと。映画のイメージが固まらないうちに音を作ったので、撮影時に「これは違う」と思っても変えられない。特に三味線のシーンでは、音を流してその通りに弾いてもらうので、少しでもずれるとNGになるしね。

──撮影期間はどれくらいでしたか?

撮影日数は38日だけど、中断があったのでクランクインからアップまで3ヶ月ほどかかりました。

──石橋蓮司さん率いる大和会(敵の三味線流派)の屋敷のシーンでは紅葉も映り、季節感が出ています。

overdrive_05_wあの紅葉はほぼ最後だったかな。大和会の屋敷でサイレントの様式で撮ったシーンがラスト。紅葉も撮影が延びたので撮れたんですよ。映画より撮影の苦労話のほうが面白いかもしれないな(笑)。

──映画も面白いことを強調しておきたいです(笑)。しかし、あのシーンは撮り方も編集も大胆ですね?

あそこはもう開き直ってやってるんです。ほぼ最後のシーンで、ロケ地を2日しか借りられなかったので、そのあいだに全部撮らないといけなかった。大広間だけでもたしか5シーンほど、他にも小さな和室のシーンや、台所のサイレントのシーンなど結構あったんです。普通に撮っていたら撮りきれなかったので何をやったかというと、石橋さん向け、あるいは柏原君向けとか、とにかく一つのアングルを決めて、キャメラは動かさずに4シーンか5シーンをその角度から全部抜きで撮った。その合間に衣装替えだけしてもらってね。それで一方向から撮ったら、次はキャメラを90度動かし、また4シーンくらい抜きで撮る。さらにまた90度傾けて、最後は最初の逆方向からという具合に、両方向からシーンをまたいだ超・中抜きをやったんですよ。70数カットという、1日で撮るカット数の記録を作りました(笑)。

──そのように撮られていたとは。言われてみると勢いがありますね。ケレン味も感じる正面からの切り返しが続きます。

うん。あそこはダイナミックに対決しないといけないシーンなので、正面切り返しくらいの強いカットバックが必要でもありました。スタッフも僕が撮りたいものを十分わかってくれていたし、僕もスタッフの力を信頼していたので、最後へ向かうに従って画面のクオリティがどんどん上がっていったんですよ。大和会の屋敷のシーンは、いい感じに盛り上がって撮れた。あれくらいの勢いで全部撮り直せたら傑作になったと思うんですけどね(笑)。

──最初はもっと慎重に撮っていたということでしょうか?

最初はすごく臆病に撮っていました。臆病というのは、編集でどうにでも繋げるようにダブらせて撮っていた。まずマスターショットで通して、あとはアングルを変えてセリフもダブらせて、編集で繋ぐタイミングを直せるようにね。ところが途中でやっぱりそれはダメだと気付いた。結局、そういう撮り方をするのは自分のなかのイメージが固まっていないからなんです。編集中にはっきりと弱点が分かりました。その撮り方では絶対に編集で良くならない。「ここを使うぞ」と確信を持って現場で集中して撮らないといいシーンにならないことに気が付きました。「危ない危ない」ってね(笑)。それからは撮り方も変えました。

──集中すると良くなるというのは、主に演技の面ですか?

演技と画面との両方ですね。人物のアクションと、繋いだときの画面の張りに関係します。どこでも繋げるように撮って実際に繋いでみると、前後のショットとの緊張感が薄い。ライティングも、「ここで繋ぐぞ」と決めていればショットに張りが出るようにやってくれるけど、どこを使うか分からないなら、ぬるくなるじゃないですか? 撮り方を変えてからは照明の方にも「人物を動かすので途中で見えなくなっても構いません。ただし、どこかで表情が生きるように仕込んで下さい」と頼みました。編集でいかようにも繋げるフラットで生ぬるい光にはしたくない。撮りながらそう気付いたんです。あとは単純に、マスター、次にダブらせる画と撮っていくと、キャメラのポジションや照明も変えないといけないので待ち時間が伸びてしまう。だからこの映画では、色々と勉強させてもらいました。

──テイクにOKを出す基準は何か決めておられましたか?

もう芝居が生きていればオッケーみたいな感じかな。付いてくれたスクリプターさんに、「繋がらなくてもいいんですか?」と訊かれたりしました(笑)。「役者さんやショットが良ければ、目線やアクションが繋がらなくてもいいんです!」と言っていましたね(笑)。

──繋ぎというと、物語は東北パートと東京パートを行き来して、それが終盤に向け縮まり一つになる。美潮が青森へ来て、すぐそばに居る弦に気付かずに携帯電話で話すシーンはいいですね。至近距離に居る男女が携帯電話で話す演出は、『孤独な惑星』(2010)に発展します。

映画に入れたいシーンでした。あそこから『孤独な惑星』に行けますよね。距離感がすごく良いし、美潮の白い衣装がロングショットだけど際立つ。だからすごく気に入ってます。

──ジャック・ドゥミの映画を彷彿とさせる白です。

ジャック・ドゥミ的なすれ違いのシーンですからね。いちばん好きなシーンの一つなので、あそこを見てもらえると嬉しいです。

──その前段階として、東京パートの屋形船を使って撮影したシーンが効いています。いやがおうにもブレッソンの『白夜』(1971)を思い出しますが?

ええ……、『白夜』をイメージしていたのか……、していたんでしょうね、はい(笑)。

──『孤独な惑星』が『白夜』にオマージュを捧げているとよく言われますが、実はすでに本作でやっておられたんですね。

むしろ、『オーバードライヴ』で屋形船を使ったから『孤独な惑星』に出さないのが正解だったんだね(笑)。でも水面のきらめきは両作品に共通しますね。屋形船のシーンなど、メロドラマ調の場面は全部僕が撮りたかったもの。あのシーンの最後は、橋の影で美潮の表情が陰るところでカットしていて、あれをやりたかった。

──ポイントとなるシーンですが、屋形船でなくても構わないという見方は出来ないでしょうか?あそこでの美潮とジンのやりとりは、もしかすると室内撮影であっさりと済ませることも可能だったのでは……?

……これは僕の最大の欠点だと思うんですが、力を抜くことが出来ない。どのシーンでもその可能性を目一杯引き出したいと頑張ってしまう。繋ぎショットや繋ぎのシーンを撮れないのが欠点なんでしょうね。だから僕には仕事が来ないのかもしれないな……(笑)。でも、あそこはどうしても屋形船で撮りたいとこだわったんです。夜の水面の照り返しと移動感なんですね、欲しいのは。

──それは本作の中でも映えていますね。ただ、仰るようにダレるところがないのが筒井作品の欠点なのかもしれません(笑)。

overdrive_02_wそういう繋ぎのショットは、誰かに撮ってもらわないとダメなんでしょうね(笑)。『オーバードライヴ』は僕にとっては短篇集のようなところもありますね。「今日は(フィルムの)3巻目を」とか、そんな感じで見るのも面白いと思うんです。弦が甲冑を着ているところがありますよね?

──前半、五十嵐亭から脱出をはかるあたりですね。

ええ。あれも僕のアイデアだけど、榎本さんは日本の冑だと思っていたようなんです。それで「いや違う違う、西洋の甲冑です」と言ったら、どういう意図なのか訊かれました。

──僕も訊きたいです(笑)。

「ここはシュルレアリスムのデペイズマンです」と説明して納得してもらった。とにかく甲冑姿が撮りたかったんです。何とか誤魔化せました(笑)。

──いささか強引な気がしなくもないのですが……(笑)。そういえば、本作でも監督が得意とするワイプの効果は大きいです。特に、東北の弦と東京のジンを隔てる場面。

ワイプ自体が表現になっているシーンですね。線が東京と東北の壁になっていて、変なことやっていますよね。僕は本当は、ああいうバカバカしいことをやりたい人なんです(笑)。

──あのシーンや、脇役の設定にもマンガ的な要素がありますね。物語のエッジに居るようなキャラクターが多い。まずはミッキー・カーチスさんの義理の息子・五十嵐和哉を演じる小倉一郎さん。

小倉さんのキャラクターはいいですよね。真面目だけど何かヌケてるようにも見えるし、肝心なことをいちばんよく分かってる人のようにも思える。昔から小倉さんは大好きなんです。

──随所に現われ、語り手の役割を果たす歌姫(阿井莉沙)の存在は、『バッハの肖像』(2010)のルネ・マルタンさんに似ていないでしょうか?

ああ……そうですね。『バッハの肖像』では案内役であるマルタンさんが最後に映画の外から中に入ってしまう。『オーバードライヴ』の歌姫も、最後に息を吹きかけて物語の中の次元に介入しますからね。

──万田邦敏さんが演じる「謎の男」は、『ゆめこ』の世界を受け継いでいるようにも思われます。

居なくても物語が成立するキャラクターですよね(笑)。最後に万田さんが腰を振って踊る姿が、この映画の本当のクランクアップカットなんです。それを撮るためだけに海岸に行きました。

──やはり細部まで力を抜けなかった(笑)。

そのためにわざわざ一日空けてね(笑)。しかも、その日はもう柏原君の出番はなかったけど「クランクアップに立ち会いたい」と言って現場へ来て、カチンコまで打ってくれたんです。お昼くらいに終わったかな。井口奈己さんから「おめでとう」と電話がかかって来たのも覚えています。井口さんの『犬猫(35mm)』(2004)と同じ日にクランクアップだったんですよ。こっちは2ヶ月くらい先にクランクインしたけど、中断があり延びたので、アップが同じ日になった。プロデューサーも同じでしたしね。

──短い出番ながら、万田さんは目立つ存在です。

万田さんは俳優としても最高ですよ。あんな理解力のある役者はいないくらい。万田さんの撮り方は凝りました。歩かずに、すべて移動車に乗せて動かしている。森の中での弦とのカットバックも、移動車に乗せて切り返しをやっています。だから光の当たり方が刻々変化します。ライティングも生きてますね。

──人工的な動きに見えるのは、そのためなんですね。本作の撮影はのちに『孤独な惑星』、『バッハの肖像』も手がける芦澤明子さんです。

芦澤さんは90年代から知ってはいた人でした。『オーバードライヴ』では僕の要求に献身的に応えてくれて、色々な工夫をして撮っていただきましたね。

──メイキング(DVD特典映像)では「東京パートはビデオっぽく、東北パートはこってりと」、「クレーン撮影が大変だった」と仰っていますね。

クレーンショットは「予算がないから止めろ」と言われたんだけど、「いや、これはクレーンじゃないと」と言い張って(笑)。いちばん贅沢なのはアルティメット大会(津軽三味線の王座決定戦)で、キャメラが俯瞰気味で全景をとらえて、旗のあいだをくぐり抜けて舞台に寄っていくショット。あれは移動のための台を朝から作って、機材屋さんが運んで来てから機材をセッティングした。早朝からスタッフが準備してくれました。でもアルティメット大会の撮影は大変でしたね。モブシーンは難しい、自分ではコントロール出来ないと力不足を痛感しました。

──とはいえクライマックスですし、様々な要素が盛り込まれています。

それは面白かったですね。一日ごとに同じキャスト、スタッフで撮りに行くんだけど、同じ作品を作っているとは思えなくて(笑)。舞台を撮るときは音楽映画を撮っているわけじゃないですか? でも左サイドでの美潮とジンのシーンはメロドラマチック、右サイドの審査員席でやっているのは完璧にコメディ。客席越しの舞台はスペクタクルだし、違うジャンルの映画を撮っているとしか思えない(笑)。「何、この映画?」と感じながらも楽しかったですね。

──筒井監督の作品はシンメトリーを探してゆくのも楽しいですが、アルティメット大会と冒頭の記者会見が一つの対を成していますね?

そうですね。構造として、舞台と観客席があるのは僕の好きなシチュエーションなんでしょうね。

──それも『ゆめこ』を思い出します。やりたいことを取り込む一方で、本作で出来なかったことがあるとすれば何でしょうか?

アルティメット大会で、倉内宗之助(新田弘志)が魔術を使って世界を暗くしてしまう場面でしょうか。僕の計算が行き届かず、編集された画面で微妙な明暗の推移がうまくいっていない。もっと芝居と絡めた細かい照明の演出をしないといけないところを、そこまでの余裕と力がなかった。照明の方とも十分な打ち合わせが出来ませんでした。照明自体はものすごくいい仕事をしていただいたんですけどね。編集で、グレーティングやCGで繋げようとはしているんだけど、自分としては不満なんです。

──贅沢な不満かもしれません(笑)。

一本ですべてを完璧にやろうなんて傲慢なことを考えてはいけませんね(笑)。あとは、先ほどもお話しした制作中断ですね。

──そのことを伺えますか?

原因は宗之助のキャスティングです。三味線監修の方が、「撮影までには弾けるようにします」と、三味線は弾けるけど津軽三味線を弾けない方を推薦されたんです。僕は当初は、弦と宗之助の対決を巌流島の武蔵と小次郎のようにイメージしていた。どちらかと言えば優男系の人でした。それで、宗之助登場のシーンを撮るとなったときにまだ無理だったんです。1ヶ月くらいでは弾けるようにならない。宗之助のシーンは抜きにして撮影していったんですが、もう彼抜きで撮れるシーンが無くなってしまった。そこで再びテストしてみたけど、やっぱりダメでね。監修の方は「テープを10パーセントくらい早回しすれば巧く見えます」とか言うんだけど、そんなアホなっていう(笑)。ただ弾けるだけでなく、いちばん巧くないといけない役じゃないですか?

──圧倒的に巧くないと物語が成立しない役ですね。

だから撮れなくなってしまった。普通ならそこで制作は終わるだろうけど、すでに半分のシーンを撮っていた。3分の1程度なら流れていたでしょうね。でも半分撮り終えていたので、お金を捨てられない事情もあったと思うんです。一旦中断することになって、そこから宗之助のキャスティングをやり直しました。青森へ行ったりしながら考えたのが、「芝居はどうでもいいからとにかく弾ける人」。それでお願いしたのが、新田昌弘さんの父親である弘志さん。お会いして、「芝居は僕のほうで何とでもします」と頼み込んでOKをいただきました。

──それで新田親子の共演になっているんですね。しかし、新田弘志さんは宗之助のキャラクターによく馴染んでいて、そのような背景は画面からは考えられないですね。

overdrive_10_w再開までには1ヶ月中断したんですよ。そして宗之助のキャラクターもカッコいい男からあのような姿に変わった。イメージを作るために、基調を白から黒に変えて、歌舞伎のようなメイクをしてもらいました。あと、なるべく後姿を撮るとかね、ホント大変だったんですよ。生きるか死ぬかの作品でした(笑)。でも結果的に映画として面白くなりました。宗之助が歌姫とも対比できるキャラクターになったしね。

──『スター・ウォーズ』のようでもあります(笑)。

そうですね、オマージュを捧げております(笑)。

──それにしても、度重なる困難を乗り越えて完成した作品ですね。

僕にとって撮影現場は天国だけど、その前後の状況は地獄だった。だから撮っているときは「いい映画を作ること」じゃなく、「とにかく完成させなきゃ始まらない。すべてのシーンを撮ること」が目標でした。あとね、女優さんだと、美潮役の鈴木蘭々さんはとても勘がよくて、演技の引き出しが多い。「それいいけど、他にない?」と言うと、すぐ別の演技が出て来ました。対照的に演技を引き出すのに苦労したのは、五十嵐晶役の杏さゆりさん(笑)。

──どういった部分で苦労なさったんでしょうか?

当時の杏さんは、グラビアモデルとして人気を博していたから、キャメラのほうを見るのが癖になっていたんです。初登場のシーンは、彼女を見た弦のハートが飛び出る設定だったので、魅力的でないといけない。階段を降りて来て、足に続いて顔がスッと見えるイメージでしたが、そのときの顔が「いい表情を作っている」感じの可愛さなので、それを何とか取り除こうと四苦八苦しました。色んなことを一回ごとにおこなってみたり、あるいはアクションを変えてみたり。でもうまくいかず、あの階段を何回も降りてもらったんですよ。

──映画で見るとほんの数秒と、そんなに長いカットではないですよね。

スタッフも重要なショットだと認識していたので、撮れるまでは何時間でも待ちますという体制を敷いてくれた。ところが何回やってもダメで、僕もこれは永遠に終わらないんじゃないか……という気がしてきました。それでね、13テイク目にキープがあったんです。だけど「もう一回」を重ねていくと、30数回目に何も考えずにスーッと降りて来たショットが奇跡のように生まれた。もう演出の虚しさを感じていました(笑)。これが撮れなかったら僕は演出家としてダメだと葛藤しましたね。キープをオーケーにしようと何度思ったことか(笑)。それが撮れたことで、信じてやっていけばいいんだという気持ちも生まれましたね。たとえば弦と喋っているシーンをリハーサルすると固いんですよ。「弦の周りを一周歩いて喋ってごらん」と言うと、少し変わってくる。つまり同じ調子で喋ることが出来ないじゃないですか? 位置関係や顔の向きによって言い回しも変わる。そうして分かってくると、「言いやすいところで立ち止まって、この言葉を言ってみよう」とか少しずつ変化を付けてゆくんです。「どうしたら、このセリフの間合いが言いやすくなるか、自分で考えてごらん」、「身近にある小道具を全部自分の味方だと思って利用すればいいよ」というふうにね。

──晶がお玉杓子であったり綿菓子であったり、何かを持っているシーンは、そのような演出が生きているのかもしれません。

結果的に、杏さゆりさんはとってもいいでしょう? やはりすごく勉強になりました。辛い思い出が多いですが、『オーバードライヴ』を面白いと仰っていただけると撮ってよかったなと思いますね。

→『ヒカリ』インタビューへ続く

取材・文/ラジオ関西『シネマキネマ』吉野大地

筒井武文監督特集part2[2015年4月11日(土)・12日(日)]


これまでのインタビュー|神戸映画資料館