インタビューWEBSPECIAL / INTERVIEW
2015 5

『ソレダケ/ that’s it』 石井岳龍監督インタビュー(前編)

soredake_ishii01石井岳龍の14年ぶりのロック映画への帰還。新作『ソレダケ/that’s it』は、bloodthirsty buchers(以下「ブッチャーズ」)のオファーから始動した企画だったが、2013年5月にリーダーである吉村秀樹の他界により制作が中断。しかし新たなシナリオを練り、これまで石井監督作に出演してきた染谷将太、綾野剛らの俳優陣と作り上げた今作は、初期作品に顕著だった激情をふたたび抽出し、マジック・リアリズムとの融合を図る快心作となった。インタビュー前編では、映画づくりや作品世界について話を訊いた。

 

──今作の脚本クレジットには、監督ともう一人、お名前がありますね。

『ネオ・ウルトラQ』を一緒にやった、いながきかきよたか君ですね。結構前からの知り合いで、『ネオ・ウルトラQ』で気が合って、次に一緒に書く予定もあります。

──今作は吉村秀樹さんが亡くなられたことから、制作面で様々な変更を余儀なくされましたが、いながきさんは変更前から脚本づくりに加わっておられたのでしょうか?

そのときは私一人で書いていました。脚本というよりはイメージのようなもの。出来上がった『ソレダケ/that’t it』とはまったく異なっていて、タイトルも違っていた。そもそも、ブッチャーズのライブとドラマがパラレルに進行する企画だったのでね。

──イメージされていた物語の雛形、原型はどのようなものでしたか?

元々、ライブとドラマという物語の段階で、すでに染谷将太君、渋川清彦君、村上淳君というキャストは決まっていて、彼らをバンドのボーカリスト、ベーシスト、ドラマーに見立てていました。もう一人、田淵ひさ子さん(ブッチャーズのギタリスト)の分身のような女性が決まっていなかったんですが、彼らは、「どういう状態でも参加する」と待っていてくれたので、まずは三人の当て書きが重要でした。さらに考えていたのは、若い男女のホームレスが逃避行する話。「ホームレスの若者」は、以前から興味を持って調べていたこともある題材だったし、極まった男女の話を撮りたいということもありました。

──ブッチャーズの楽曲を聴きながら、それを膨らませていったのでしょうか?

soredake_02ブッチャーズの音を聴いて、ただ単にそれを使う映画だと自分でも納得出来ないし、本当の意味での吉村君とのコラボレーション、共同制作をやりたかったから、とにかく曲を聴き込んで感じるものを自分の中に溜めていきました。たとえば『アンニュイ』、『襟がゆれてる』、──映画にはタイトルしか使っていませんが──『ソレダケ』といった曲は、私の創作のコアな部分と響き合った。そうして色んなことを考えつつ煮詰めて、いながき君に来てもらい、プロデューサーとはずっと現実的な相談をし続けました。

──プロデューサーの一人は、近作も手がけられた大崎裕伸さんですね。

『爆裂都市 BURST CITY』(1982)からずっと支えてくれている重要な一人で、私が「石井岳龍」に改名してからは3本目のプロデューサーです。その大崎君が私のホンを読んで「石井さん、これは出来ません。想定予算の3倍から4倍かかります!」って(笑)。考えていたのは、完成した作品の3本分くらいの話でした。私にとっては普通だったんですけどね(笑)。しかしプロデューサーのそういう判断があり、そこからはいながき君と、どう凝縮するか、ブッチャーズの音楽をどう使うかということで、詰め将棋のような作業をかなり続けたと思います。結果、大幅に凝縮させた形になったし、こう見えて今作は舞台劇的なベースなんです。「限定した場所で、ひと幕的なドラマで出来る」ということですね。やりたいのはアクションだし、ブッチャーズの音を使うのが前提なので、そことの兼ね合いがとても大変でしたね。

──詰め将棋ということは、パズル的な思考や最短の手順で作り上げる工夫が必要だったということですね。

綾野剛君と水野絵梨奈さんはあとからでしたが、染谷君、渋川君、村上君は決まっていたので、彼らの魅力をどう高めていくかも含めてですね。でも、どうしても面白いものにならなかった。そこで私が長年考えていたある大胆なドラマ構造を入れて、思い切ったものにしました。最後は開き直ったというか、覚悟を決めて後半の展開を決めました。本当はもっと真面目な、真面目というのかな(笑)、普通のドラマぽい作りの男女の逃避行の物語だったんですけどね。

──盛り込まれたのは、リアルに対するアンリアルな世界というモチーフでしょうか?

いや、パラレルワールドは最初からやろうとしていたテーマでした。ブッチャーズにも『youth パラレルなユニゾン』というタイトルの曲があって、そこにも惹かれた。現実と幻想、生と死の関係にはずっと興味があるし、いま、日本だけじゃなく世界的に人間の意識がそこへ向かっている気もしています。ハリウッド映画でいえば、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ、アルフォンソ・キュアロン、ギレルモ・デル・トロといったメキシコ系監督たちがやろうとしていること。さらにすごくミニマムにいうと、うち(神戸芸術工科大学)の学生たちが作る映画でも現実と幻想、生と死の世界とが平気で入れ替わる。前は「ゾンビ」や「死神」といった装置が必要だったのが、それもなく、普通に話している相手が幽霊だったりする。拡大された現実の可能性を創作にすることは、私の以前からのテーマでした。それが特殊な表現としてではなく、ようやく一般化してきたのかなと感じますね。元々、現実の再現ではなく、もう一つのデフォルメされた現実を作るのが映画の面白さだと思うし、それが一般的にも切実な問題になってきている気もします。

──今作はマジック・リアリズムの要素も強いですが、ご自身の内側でもその感覚が拡張しておられるのでしょうか?

いよいよ切羽詰ってきて、その境界を突破しない限り生きていけないというのかな。今作の登場人物の「自分が幽霊になった気分がする」、あるいは「おまえは死んでいる」というセリフは、自分の切実な気分から来ていると思います。実際は普通に生活していても、まったく現実にコミット出来なくて、自分が幽霊になったような気分になることがある。前は途方に暮れたり、破壊と再生の可能性を探っていたのが、今や、「幽霊だけどがんばろう」って(笑)。幽霊であることをまず自覚して、「じゃあこのままでいいのか?」と幽霊の視点からこの世を見る。それで生きてる人がどう見えるか、そういう物の見方をするようになってきています。それは自分の中では現実逃避じゃなくて、ちょっと刺激的な視点としてね。

──マジック・リアリズム的な現実と非現実への視点は、物語に色濃く反省されていますね。切羽詰った主人公といえば、長篇デビュー作『狂い咲きサンダーロード』(1980)の仁もそうでした。

いつだって切羽詰まっていると思うんです。それが分かりやすいか、そうでないかの違いだとも思うし。『生きてるものはいないのか』(2012)、『シャニダールの花』(2013)は今作より遥かに過激な映画だと私は考えていますが、表現がストレートじゃないので分かりにくいと捉えられている。今作はストレートだから、分かりやすいんですよね。

──過激さのフェイズが前の2作と異なっていますね。一方、俳優陣はこれまでの石井監督作と重なっています。監督から見て、それぞれどんなタイプの俳優でしょうか? 今作の染谷さんは、セリフ回しがナチュラルに見える場面も多いですが?

soredake_03染谷君は、若いのに様々な映画を経験してきたことが大きいでしょうが、勘が抜群にいいし、演技も巧過ぎて、どこまで出来るか試したくて細かく注文を出してみたり。あとは、余裕に見えてしまう部分や遠慮して出さないのかなという感情をあえて突っついたりもしました。非常にやりやすいし、非常に優れた俳優です、私にとって(笑)。

──打てば響くタイプ?

完全にそうですね。

──渋川さん、村上さん、綾野さんも監督と気心知れた俳優です。今回、何か新たなものを求めましたか?

新しいことをやってほしくて、綾野君にはあの役をお願いして、スケジュール面でも無理を言って調整してもらいました。皆さん流石だなと思って、突き詰めたい思いが高まりましたね。

──これまで組んできた方たちは、監督の狙いや撮りたいものを解かっている現場でしたか?

いや、今回は解からなかったと思う。手探りですね。場所も限定されているし、限られた超タイトな時間のなかで、ああだこうだ言いながら、演技演出を練りました。ほとんどのシーンで電光石火のディスカッションを重ねています。

──綾野さんのセリフ回しも独特で、染谷さんと対照的ですね、監督のアイデアでしょうか?

あれは綾野君からですね。どちらかといえば、損な役だと思うんです。ただただひどい奴、身も蓋もない悪役じゃないですか?(笑)

──悪いだけですよね(笑)。俳優として単純に損得勘定で考えれば、この役を受けない人もいるかもしれません。

soredake_B1_4C_FIXよくやってくれたなと思います。いちばん個性を出しにくい役でもありますよね。「これでいいのかな?」と迷ってもいましたが、自分なりの演じ方をぶつけてもらい、こちらの方法論と激突させました。「こんなことありえない」としても、役者自身が100パーセント、いや、120パーセントかな、真剣にやることで、その人物は実在するんですよ。これも映画のマジック。ちょっとでも隙間があると、そこからこぼれてしまって嘘くさくなる。ほぼ全員ありえない役だけど、彼らが真剣に演じるからこそ実在する。それは山田辰夫さんから学んだことですね。

──『狂い咲きサンダーロード』では、仁と山田さんとの間に隙間がない?

微塵の隙もないほどでしたね。その瞬間ごとに役に成り切っているし、それは美しいですよね。山田さんのセリフはほとんどシナリオに書かれていなかったもの。アドリブが巧い人だと舞台を見て分かっていたので、つねに「何かないか?」、「もっともっと」と求めていましたね。

──渋川さん、村上さんも似たタイプなのではと感じるのですが?

二人もアドリブを連発するタイプ。だから、ほかの人は役を自分に引き付けてほしかった。いつも俳優さんに言うことですが、「他人として演じるんじゃなく、自分のなかにある役の要素を拡大してほしい」、それがいちばん大きいですね。

──そのなかで唯一、染谷さんの相手役の水野絵梨奈さんとは初顔合わせですね。

「ぜひこの人とやりたい」と思ったポイントは、彼女の身体能力ですね。身体能力の高い人がとっても好きなので。

──身体能力が高くないと、隠れ家である廃屋の部屋へは、あんなにスムーズに入れないですよね。アクションシーンも然り。

ハイヒールを履いてますからね。それにいきなり「回し蹴りをやれ」と言って、なかなか出来るものではないですよね。

──演技面ではいかがでしたか?

とても一生懸命で、真面目過ぎるくらい。火を着けると止まらなくなっちゃうような、非常にポテンシャルの高い人でしたね。リハーサルのときからすごく頑張っていた。染谷君たちを相手にこれをやるのは、生半可ではできないですよね。

──ではキャスティングも少数精鋭、良い形に凝縮されましたね。

そうですね、目が届く範囲だったし。脇を固めてくれた人もそうで、出番は短くても「出来る人たち」が集まってくれましたね。

──水野さんを捉えたラストシーンは、女性賛歌なのかな?とも感じたのですが、いかがでしょう?

ずっとそうですよ。女性に救ってほしい、日本と地球を(笑)。

──監督の願望ですね(笑)。水野さんが演じる南無阿弥というキャラクターはどのように作られ、物語の上でどう位置づけましたか?

soredake_05「共闘」する女性ですね。これまでの『狂い咲きサンダーロード』、『シャッフル』(1981)、『爆裂都市』など初期の映画にこういう女性はいなかったので、共闘は描きたいことでした。支え合う相手として男がいて女がいる話は、今なら受け入れられるだろうと思います。当初はダメダメな男女が、ダメでグズグズなことをやりつつ、ヤクザや悪い奴から逃げてそこから明日が来るという話をイメージしていました。でもそれだけだと逆に難しくて、どこかで跳ねさせないといけない。凝縮してドラマを濃くして、はっちゃけたロック映画にするのは難しかった。ブッチャーズのドキュメンタリー『Kocorono』(川口潤/2010)を見た時、気づいていたんですが、子供を連れた吉村君と田淵さんが、メンバーと居酒屋でケンカしながらも、二人で「生活」としてバンドをやっている。「血に飢えた血まみれの肉屋」という名前のね(笑)。日常のなかでこれだけの音を鳴らしながら、ずっと当たり前のようにロックを続けている。曲はもちろんですが、そのスピリットに感動したし、その関係を何とか映画に出来ないかと思ったんです。ドラマに置き換えるなら、何も持っていないけど、男がダメなら女が、女がダメなら男が助ける。ホントにダメな奴らなんだけど、二人でいること、二人で何かをやることでちょっとしたことが生まれる。それでいいじゃないか、「ソレダケだ」と思ったんです。吉村君と田渕さんがダメダメだったという意味じゃないですよ。

──それはもちろん(笑)。しかし、吉村さんと田淵さんの関係性を物語に生かしておられたんですね。「ソレダケ」といえば、メインキャストは5人だけ。その人数で映画をよくここまで展開させたなと感じました。

究極の内輪もめですよね、「こんなに狭い世界の話でいいのか!?」ともいえる(笑)。ただ、それをアクション映画にしてやる気合いというのかな、ブッチャーズの音楽も、「しらけた路上を見つめていた/それでも少しと歩いてみた」(『アンニュイ』)、それから「襟がゆれてる」ですからね(笑)。極小な視点がとても素敵だなと思ったし、心に響く歌、ロックにしている。何でもないことの大切さを拾い上げて、普遍的でアガるロック表現する。映画の出発点もそこでしたね。

──小さなものをいかに大きく見せる/感じさせるかは映画が追い求め続けるテーマでもあります。

自分としてはロック映画はやり切っていました。次にやりたいと思う映画があっても、それはすごくお金がかかるし、規模も大きくていまは実現出来ていないんですが、今回こういうきっかけがあって、走り出してみたら導火線に火が着いた。そういうミニマムなものでも爆発させたいと思いがあって火が着いちゃったんでしょうね。「もう人に迷惑をかけたくない」と思っていたんだけど──結局いつもかけてしまうんですが──今回は自覚していて皆に無理を言った。でも現場で俳優やスタッフはすごく大変なのに、男の子は楽しそうでしたね。それは良かったなと思います。

──「火が着いた」のは俳優たちが駆けるシーンからも窺えます。『シャッフル』でも登場人物は走っていましたが、今作はただそれだけでなく、映画自体が走っている印象を抱いたのですが?

soredake_B1_4C_FIXそれはやっぱりロック映画だし、分かりやすいからですね。私はいつも走ってるつもりなんですが、分かりにくい走り方をしていたんだろうなと(笑)。色々と道具が揃わないと分かりにくいんだろうなと思いましたね。

──ジグザクであったり、速さを途中で変えたりとか、変則的な走り方をしていたのかもしれないですね(笑)。

本当はそっちのほうがずっと難しいんですけどね(笑)。たぶんビートがプラスになっているんだろうな。ロックンロールやブルースのようなシンプルさというかね。

──映画を音楽のリズムにたとえるなら、今作はエイトビートでしょうか?

そういう依頼からはじまったし、物語もシンプルにしなきゃいけなかったですからね。「どんなにバカでもいいんだ」とも思ったので(笑)。分かりやすく暴走できるものを目指しました。それに役者さんたちの存在が大きいですよね。こういう企画に付き合ってくれて、演技力もある人たちに「やろう」と言われたら、もうやるしかないじゃないですか。

──『狂い咲きサンダーロード』の仁のセリフ、「やってやろうじゃねえよ」を思い出しますが、今作の廃屋や工場、コンビナートというロケーションも往年の監督作品を思い起こさせるものです。

それは本能的に好きですね。

──生まれ育った福岡になかった風景だからでしょうか?

いや、福岡の自分の原風景に近いからじゃないでしょうか。私が生まれ育ったのは下町で、色んなバッタもん──絶対にブランドものではないお菓子──の工場や、もやし、漬け物やお茶、うどん玉、かまぼこなどを作っている小工場があり、つねに街が揺れ動いてましたね。高度経済成長期で、いつも何かの工事で建物が壊され、地面に穴が開いていて、それが面白かったんですよ。街も人も生きているというか。だから東京に出てきた瞬間、理路整然としていてショックでした。そのコンクリートの下がどうなってるか知っていたし、そこから何かが生まれるという記憶もあって。コンビナートや工場、廃墟にはすごく愛着がありますね。「かつてそうだったところ」、あるいは「いまもそうであるところ」にね。それはあくまで映画を撮るということからかもしれないですけどね。住みたいと思うのは海とか山のなか、自然豊かな、出来れば緑豊かな南国なので(笑)。映画の風景として面白いけど、それに取って代わる、拮抗出来るものが、私にとっては俳優さんの感情あふれる身体。それがあれば真暗闇でも撮れる。ホンが面白ければね。

──建物の撮り方も、今作では真上からの俯瞰で捉えていたりします。

最底辺で這いずり回る人間たちの物語なので、それを強調したかったということもありますね。

──上空のある視点から、彼らを見ているということでしょうか。撮影などについては後編でお訊きするとして、前編の結びに、今作を一言で言い表していただけますか?

「ブッ飛び映画」ですね。激しくてせつなくて、メチャクチャ楽しくて深い=ブッ飛びです。

 

→『ソレダケ/that’s it』インタビュー後編へ続く

(2015年5月 大阪にて)
取材・文/ラジオ関西『シネマキネマ』吉野大地

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