インタビューWEBSPECIAL / INTERVIEW

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『ダムライフ』北川仁監督 インタビュー

 

「OPEN THE COVER 未公開映画のフタを開ける」と題したシリーズ上映が今春よりはじまった。
そのなかの一本が、PFFアワード2011受賞作品である北川仁監督作『ダムライフ』。
ぴあフィルムフェスティバル、釜山国際映画祭、東京国際映画祭での上映後は、一般公開されることなく長らく眠っていた本作がシリーズ第1弾にプログラムされた。
ダムの工事現場で働く青年の抑圧から暴走の果てまでを描く84分の物語。
フィクショナルな切り口や、独特な「引きの視点」はどこから生まれたのだろうか。

 

──制作からかなりの空白を経て、劇場公開が関西にも広がりました。いまはどのような心境でしょうか?

実感が湧かないというか、上映の機会が無いことにあまりに慣れ過ぎていたので、いまだにその状態、上映されていないかのような気分のまま関西公開を迎えました。上映の期間は多少実感があるんですけど、それが終わると、これまでの長いあいだと同じ心理状態に陥ってしまいますね。

──普段は僧侶のお仕事もなさっているということですが、映画づくりとバランスを取るのは難しくないですか?

実家の寺の仕事は週末にあるくらいなので、それほど映画に干渉してこないんです。むしろ、寺の仕事に関わる時間より、倫理的な問題のほうが影響は大きいかもしれません。「お寺の息子があんなことをやっている」という(笑)。

──「あんなこと」が何を指すのかは、作品を見てもらえばわかると思います(笑)。

「見に行くよ」と言ってくださる先輩のお坊さんも多くいるんですが、できる限り来てもらわない方向に持っていきながら何とかやっています(笑)。

──本来は多くの方に見てもらうべきですが、日常に支障をきたしかねないというジレンマもあるでしょうね(笑)。そのような本作をご覧になった方からは、どんな反応を得られたでしょう?

「気持ち悪い」、「わからない」とも言われたんですが、映画をたくさんご覧になっている方に喜んでもらえたのが特に印象に残っていますね。

──「わからない」という反応は、ジャンルを特定しづらい、どのカテゴリーに入れてよいか戸惑ってしまうということかもしれません。監督ご自身はどう捉えておられますか?

つくっているときはブラックコメディだと認識していました。現実的に制作で実現不可能な問題もあり、それでも無理やりやっていくなかで、最終的には見たことのない形になった感じでしょうか。

──物語や描写の虚構性も高いですね。

元々、大学時代に演劇で俳優をやっていたんです。映画づくりのスタート地点にも、作品を完成させて、お客さんにそれを見て面白いと思ってもらうことよりも、演技者同士が現場で面白さを感じることへの親近感のほうが大きくありました。内輪ウケというわけではないですが、嘘丸出しでやると現場が盛り上がるんですよね。そういったことから、フィクション性が過剰になった部分はあるかもしれません。

──ダムの壁を書割のように、演劇的に使っているのも学生のときの経験によるのでしょうか。

damn02そうですね。ある場があって、そこで人をどう動かすかということから考えていきました。脚本も、あるのか無いのかわからない微妙なラインで作っていて、セリフを途中で好きに変えていい状態にしていました。引きの画(え)のなかでどのように人が動くか? まずそういう演劇的な発想が演出の根本にありました。「ここはどうしても」という部分だけ寄りで撮る構成は、演劇のキャリアが影響していたと思います。

──場所や空間から物語を立ち上げることが多いですか?

抽象舞台もありますが、僕は具象というか、ある固定されたワンシチュエーションの中で出来事が起きる演劇経験が多かったので、物語を考えるとき、最初に場所を考えるのかもしれません。たしかに人より先に空間を決めることが多いですね。

──そこで発せられるセリフは、すべてシナリオに書かれている言葉でしょうか?

基本的にはそうです。『ダムライフ』には途中から噛むというか、セリフを言いながら次のセリフを思い付いて言うような場面が何箇所かあるんですが、それも実際にシナリオに書いてある言葉ですね。演劇時代に即興劇のような形で芝居をつくっていたので、エチュード的な感覚で書いたセリフもあります。

──主人公の小谷を演じる笠継景太さんにはどのように演出されましたか?

現場で笠継君──彼は大学の後輩です──が異常な演技を始めたんです。見た目も奇異なキャラクターになっていると思うんですが、最初から狙っていたのではなく、ファーストシーンを撮るときに、いきなり完成した状態であの喋りを始めた。「ちょっとそれやめて。もうちょっと西島秀俊さんみたいに演技してよ」と言ったんです(笑)。でも考え抜いてきたようで、どうやってもその芝居が変わらない。じゃあそれに合うようにとシナリオを変えました。あのキャラクターは彼が持ってきたものですね。

──そうだったとは。あのキャラクターと西島さんは結び付かない(笑)。舞台となるダムには、何か個人的な記憶や思い入れをお持ちだったのでしょうか?

よく訊かれるんですが、正直に言えばまったく無いんです(笑)。ダムに対して興味も無く、見に行ったのも本作の撮影が初めてというくらいだったと思います。大きいイマジネーションというのか、自主制作だったので、撮るのが難しいデカいことをやろうと最初は考えていました。たとえば空撮。いまはドローンでできますが、当時は無い時代。空撮が無理ならクライマックスの水の描写がいいかなと思って、ダムのモチーフをあとから出してきました。シーンからアイデアを引っ張り出したので、場所自体に意味や思い入れは無いんです。

──そのせいか、ことさら審美的に、あるいはシンボリックにダムを映していないようにも見えました。

damn03何かをシンボリックに撮るのがあまり好きではないのかもしれません。意味を持たせず、そのまま見せようと昔は思っていました。最初は本当にスッカラカンというか、何の意味も無いようなことをずっとやっていたんです。それこそストーリーが同じ映画を、同じキャストを使って何本も撮っていたり。でもどこの映画祭にも引っ掛からなくて、どうしようかと考えたとき、少しはシンボリックにしたほうがいいんじゃないかとも考えました。その意味で『ダムライフ』には、深読みしてくださる方にはちょっと響くくらいのレベルで象徴的な要素を入れています。

──監督は脚本執筆に加えて編集、撮影も兼任していますね。多くの場面が引き、それもかなり引いたアングルで撮られています。

最新の短篇(『りんご』/2013)は寄りを中心に撮ったんですが、やっぱり引きの画が好きで、多く入れたいですね。デジタル一眼カメラが普及して、周りでは皆「ボケるから(引きが)好きだ」と言っているけど、僕はそれにあまり共感できなくて。デジタル一眼を使っていちばん感動したのは、「こんなに引けるんだ」ということ。ビデオカメラよりはるかに広く撮れることに感動したので、撮れるなら広角で撮りたくなるんですよね。撮影時はデジタル一眼を使い始めた時期だったので、驚きがありました。かなりの引き尻でも広く撮れるので、調子に乗ってどんどん引いたのかもしれないですね。

──ただ好きという理由だけでなく、技術の進化も影響していたんですね。

以前は「引けない」ことが限界としてありました。撮影する家も狭いですし、ビデオカメラでは広角で撮れなかったので、それを技術の発展で乗り越えられました。

──他に引きの視点、画づくりに関係していることはありますか?

基本にあるのは、中学・高校と男子校だったんですね。塾や予備校に行くと、知らない学校の女の子を好きになったりするんですけど、当然話しかける勇気も無ければ、近くの席に座る勇気も無いので、ストーカーというわけではないですが、教室のいちばん後ろの端のほうからバレないようにその子を見たり、教室の窓の外からのぞいて見たりしていた。だから、人を見つめるときの距離感は離れているものだというのが体感として強くあるんですよ。近くにカメラを置いて撮ると、相手にバレちゃう気がしてしまうので、なるべく遠くから見ていたい思いはありますね。

──本作も、遠くのカメラから主人公の人間性に寄ろうとしている印象を受けました。人を見ることはずっとお好きですか?

そうですね、大学に入ってひとり暮らしを始めて、まだ友達もできない頃、あまりにも暇だったので、街のアーケードに置いてある椅子に座って、通る人を一日中見ていたことがありました。だから人を見るのは割と好きですね。ただ、映画制作の大前提として、よく人物設定をノート一冊分書くという方もおられますが、僕は一文字も設定をつくらないんです。その裏にあるのは、アーケードの椅子に座って人を見ていたときに、誕生日や出身地、過去に何か出来事があってトラウマを抱えている──『ダムライフ』にはそういう設定もありますが──といったことは、歩いてる姿だけだと全然わからないと思ったことです。それでも顔つきや喋り方など客観的なもので、なんとなくは「こういう人かな?」と想像が付く。そのようにしか人のことを判断できないと思っているので、脚本もそうであるべきじゃないかと考えています。だから人物に関しては設定を一切つくらず、客観的事実だけで書いてゆきます。

──キャストとスタッフしか知らない細かな設定をつくるのとは反対のスタイルですね。

それが意味の無い作業だとは思わなくて、そうすることで書いているときに人物が動き出すことがあるのかもしれませんが、過去に役者をやっていた経験からいうと、まず最初に誕生日や兄弟がいるのかどうかを決めろと指示されるんですね。でも脚本に一切書かれてないのに、どういう根拠で決めればいいのか全然わからなくて。当時は「この人たちは先輩から教わって、思考停止してそう言ってるだけだろう」と尖った見方をしていました。実際に決めても、それが演技に活きたと思えることも無かったんです。だから演じるにしても脚本を書くにしても、そういうスタイルに僕自身が向いていないんでしょうね、客観的に見えることだけで考えるほうがいいのかなと思います。

──お話を聞くと、監督の人の見方、人への興味がうまく投影された映画だと感じます。

damn04やっぱり人を見るのは面白いですね。設定のお話だと、誕生日などを細かく決めて役者さんが「この役柄はこういう人間だから」と言っているのを見ると、「どうしてこの人はわかった気になっているんだろう」と思ってしまうんです。僕自身は「人というのはわからない」という前提から入っていて、だからこそよく見つめて知りたい。そういう意味では人間に興味を持っています。ただそのときのアプローチの前提が「わからない」。自分自身についてもそうで、人からしばしば「お前はよくわからない奴だ」と言われるんですが、「俺もお前のことがわからない」と思うんです(笑)。少し変な喩えですけど、僕は自分の内臓を見たことがないですし、「皆、よく身体の細胞ひとつひとつを見たことがないのに自分をわかった気になれるな」と思ったりもするんです。だからこそ時々、検査して自分の身体の中を見てみたいと思う。同じように他の人の身体の中もわからないものなので、たくさん見て知りたいんですよね。

──ふたたび「わからない」ということに関して伺いたいのですが、シナリオを書かれるとき、物語の破壊や破綻ということに関心はあったでしょうか?あえてわからなくするというような。

まったく物語が無いようなものを撮っていた時期もありました。でもいまは物語があった上で遊びもあると思っています。本作だと、途中で急に違う話になってしまうというんでしょうか、コロッとジャンルが変わるような、直線で進んでいた話が突然鋭角で曲がるような感覚。物語があった上での、そういう遊びや壊し方を当時も考えていたかもしれないですね。話が完全にブッ壊れて無くなってしまうところへはいかないようにと思っていました。いまは『死ぬまで踊る』という作品を準備していて、最後に死ぬのか死なないかはわからないけれど、何かしら決着が着いて終わる形にしようと思っています。90分の作品なら80分は踊っているだけでもいいんじゃないかとも考えたんですが、さすがにそれだと成立しない、見ている側が訳がわからなくなりそうなので、どういう形にするかスタッフの間で揉めている最中です(笑)。でも一応は話があって決着させようとは思っています。

──本作もラストはラブストーリーに着地しますね。

ラストはそうなりますね。本作の前に『ポスト・ガール』(2010)がPFFアワード2010に入選して、そのときの審査員だった橋口亮輔監督が「最後に救いがなければ駄目なんだ」というようなことを仰っていたんです。主人公に救いを与えようと考えたとき、突然ではありますがラブストーリーにして、「愛の救いしかない」みたいな形になりました。

──そこへの展開もみどころかと思います。最後にひとことお願いできますか?

珍しい手法もたくさん使っていて、びっくりできる映画だと思います。神戸、そして名古屋でも上映されるので、ぜひ見にきていだだけたら。よろしくお願いいたします。

 

(2015年6月 大阪にて)
取材・文/ラジオ関西『シネマキネマ』吉野大地

OPEN THE COVER 未公開映画のフタを開ける[2015年8月1日(土)~11日(火)]
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