ラジオ関西「シネマキネマ」インタビューWEBSPECIAL / CinemaKinema
2015 9

『ドイツ映画零年』書影
『ドイツ映画零年』 渋谷哲也インタビュー

 

神戸映画資料館でシリーズレクチャーをおこなうドイツ映画研究者・渋谷哲也。その初の単著『ドイツ映画零年』(共和国)が先ごろ刊行された。近年の活動から、「ニュージャーマンシネマの解説書」のイメージを抱かせるかもしれないが、ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーとレニ・リーフェンシュタールについての長めの論考のはざまに、古典ドイツ映画、さらに新しい潮流まで多彩な論を散りばめ、ベルリンの都市像も浮かび上がらせた一冊に仕上げている。本書の全体像、そしてこれまで語られる機会のなかった映画体験なども訊いた。

 

──執筆年代だけを見ても、かなり広範囲に渡りますね。

最初に書いたものが2002年発表なので、21世紀に書いたものをまとめたということですね。

──最近のものでは、2014年に書かれた〈字幕翻訳の余白に 『ドストエフスキーと愛に生きる』〉も収録されています。12年分の文章を、どのような基準から集めて編まれたのでしょうか?

まだまだ他に論文も書いているんです。でも論文って堅苦しいし、注釈を付ける必要もある。だからまずは、「読みもの」として読んでもらえるものをメインに集めました。ただそのなかで、他では発表の機会がなさそうだと思ったものは入れました。リーフェンシュタールへの長い論考などですね。それを入れることによって、20世紀のドイツ映画の流れとうまくジョイントすればいいなとも考えました。しかし実は、論考の並べ方や『ドイツ映画零年』というタイトルは、すべて出版社である共和国の下平尾さんにお任せだったんです。

──そうだったんですね。「零年」のゼロをどこに置くかは本書のひとつのキーなので、タイトルは渋谷さんの発案だと思っていました。

おこがましくて、自分ではこんなタイトルは付けられない(笑)。最初は「えっ?」と思っていたけど、だんだん慣れてきました。たしかに普通、ドイツで「零年」といえば1945年を指しますが、本書の場合は「実はそこがゼロじゃないよ」という認識ですよね。ドイツ映画にはずっと連続性がある。ナチス時代の始まりと終わり、それにドイツ統一と転機もいっぱいありましたが、その流れのなかでなんとなく繋がっている。ひとつの場が激動の政治体制や社会体制、戦争も含めて何度となくひっくり返る。それが20世紀ドイツだったという意識のなかで、特にベルリンを多く扱っているのは、何度も訪れて個人的に思い入れのある街だからということもあるんですけどね(笑)。ただ、それが期せずして、ベルリンの映画の記録として一本の赤い糸になったかなと思いますね。

──ファスビンダーの映画がそうであるように、様々な要素を取り込んだポリフォニックな側面を持つ本です。移民という主題もある。単一的でない、多層的なアプローチも本書の個性だと感じました。

純粋なドイツ性についてではないですよね。 それがあるのかどうかは別にしてですが。でも、書くときにあったテーマが「越境」。外国人としてドイツを見るときに、基本的な自分のスタンスがあるじゃないですか? だとすれば、ドイツで自国の言葉でネイティヴでやっている人に対抗するようなことを書いても仕方がない(笑)。あとは、それぞれの作家の話のなかにも「越境」や「ボーダー」がいっぱいあって、そこに着目しました。映画を扱うときも、決まった評価をそのまま持ってくるのであれば、それは単なる再確認なので、「別の視点から見ればどのようにズレるか?」、もしくは「どう振り返るか?」を基本的なテーマにしています。

──作品内にあるものだけでなく、歴史や社会的コンテクストと照らし合わせた考察も特徴かと思います。

コンテクストは、論文的なというか、「自分の映画観」的なものではない文章を書くときにつねに意識していました。つまり評価はいくらでも変わり得るということ。それから、現状の「映画の語られ方」に表層批評的なものがあって、それを真似して書こうとするのは自分には難しい(笑)。言葉でプラスαを付け加えるときには、やっぱり作品が作られて見られる状況、原作が置かれていた当時の社会など、様々なコンテクストから引いてくる。そうすることで立体的に見えるほうが、言葉として映画を扱うにはいいんじゃないかと、たぶんどこかで意識していました。

──そのような視点から読み解かれたフリッツ・ラング論も興味深いものでした。神戸映画資料館でのレクチャーシリーズも、「映画を読む」ことの実践のひとつだと感じるのですが、本書にはジル・ドゥルーズの『シネマ』を取り上げた論考(〈イマージュへの抵抗と信頼 ドゥルーズの『シネマ』とニュージャーマンシネマ〉)も収められていますね。ここでも「映画を読む」ことから語り始められます。

『シネマ』をそれほど精読したことはないんです。やっぱり哲学的背景が難しいところもあって。「映画を語る映画本じゃないな」とは読んで感じていたんですよね。たとえば20世紀なり、コミュニケーション論や認識論を語るのに、映画をネタとして使っている。そのとき、ドゥルーズは映画理論をうまい具合に掬い上げてハメるんですよ。それが面白いなと思った。実はドゥルーズの読み方自体から触発されることはあまりなくて、書くときにすごく悩んだ。でもドゥルーズのように、ある種の映像のファシズムに対する抵抗点を読み解くと、ドイツとつながるなと思ってこの論考を書いてみました。

──ストローブ=ユイレに関して、もっとも深く触れているのがこの論考ですね。

ストローブ=ユイレについて、ここでしか触れていないのは、DVDなどの解説として書いたものは今後に取っておこうと(笑)。ストローブ=ユイレへの踏み込みはこれからやります。

──この先の楽しみしておきます(笑)。過去に書かれたものを今回読み直していかがでしたか? むかし書かれたテクストは、かなり客体化されていたでしょうか。

いや、それが12年分あるでしょう? 校正は、もう内容を直す作業ではなく、明らかに突き放して読むしかない。そこはちょっと面白い体験でしたね。面白いか面白くないかでいえば、「基本的にこれは載せられないな」というものは最初から落としています。その意味では「あちゃ~」と思う文章はないはずなんですけど(笑)。

──「あちゃ~」は見当たらないですね(笑)。本書にはストローブ=ユイレの「よそ者の視点」やヴェンダースの「距離化したまなざし」への言及があります。論考を再構成するときにも、そのような視点をお持ちだったということでしょうか。

ありましたね。思ったほどセンチメンタルにはならなかった。というのも、書く時にあまり自分の経験談を入れなかったから。序文で「自分語り」を少しやっていますが、各論考のなかではそういうことは絶対やるまいと削ぎ落としたところがあります。逆にいうと、「よくこんな理屈を考え抜いたな。いまだと無理だろう」と思うような論理展開がたまにあります。「どこからこんな発想を得たんだろう?」と、ギョッとする部分もありますね。

──それはどの論考に見られるでしょう?

やっぱり、リーフェンシュタールについてでしょうか。亡くなる前後に結構力を入れて取り組んでいたんです。実は伝記本を書くという話ももらっていて、出さずにいたら催促もされず、そのままポシャッてしまったんですけどね。そうこうするうち、2003年に彼女が亡くなり、伝記の企画もフェイドアウトしてしまいましたが、本書に掲載したリーフェンシュタール論は、それを視野に入れて書いていた。だから当時流通していたものとは違うリーフェンシュタールの見方を何とか探さないといけないと、結構いろいろ考えていたんです。いまであれば、こんなに玉虫色の書き方はちょっとしないだろうなと思います。「そう簡単に称賛もしなければ、貶しもするもんか」いう文章になっていますね(笑)。

──そのグラデーションは、本を手に取ってたしかめていただきたいです(笑)。

最後の文章のタイトルが「レニ・リーフェンシュタール論をはじめる前に」なんですが、「これから始めるんかい!?」という感じの題名ですよね(笑)。「伝記を書く前に整理しておきたかったこと」という意味合いもあるんです。

──リーフェンシュタールと並んでページが割かれているのが、やはりと言うか、ファスビンダーですが。

本書でもっともヴォリュームがあるのが、『ファスビンダーと戦後ドイツ社会』という全5回の連載もの(『未来』2006年2月号から9月号まで掲載)。これはふた月のあいだに1回、約半年間のあいだに集中して書きましたが、当時は『ファスビンダー』(現代思潮新社/2005年)や、紀伊國屋のDVDボックスセットをふたつ出して、しかも『ブレーメンの自由』の翻訳も手がけて、とにかくファスビンダーについて精力的に書いて訳し続けていました。その1年半から2年ほどの時期のあとに連載を始めた。正直に言って、「普通の紹介文」を書き飽きていた時期だった(笑)。そこに連載の話がきたので、新しいファスビンダー像を考えるのもしんどかったんです(笑)。準備に係う時間もしんどくて。だから、パソコンに向かって文章を書き始めて、思い付いたところでテーマを決めていた。いわば、思い付きでこの5回分を考えたんです。「ふっと落ちてきた」もので書いたところもあります。ただ、1回めの民衆劇の話、2回めのストローブ=ユイレとテロリストの関係は以前から考えていましたが、3回めのテレビで無茶をやった話、4回めのトリュフォーとの類似という話は、ホントに書いているときに落ちてきたものなんです。

──そう思えない内容ですが、勢いに任せる書き方は、ファスビンダーの創作に少し似ているようにも思えます(笑)。

その頃は、ちょっと過剰にファスビンダーにダブらせていたかもしれないですね。論考として、あまり深めることをせずに、思い付きで突然書き始めちゃったんですよね。でも、結果的に言うと、当時書いた文章では圧倒的にファスビンダーが多いけど、全体的には書いたもののなかからほんの一部しかこの本には入れてないんですよ。何でもかんでも入れたというわけではないんです。

──おっしゃるように選りすぐられた印象を受けます。単著として初の出版となりますが、どんな反響や広がりを期待されていますか?

実は同僚たちの書いた映画本をあまり読んでいなくて(笑)。特に、映画研究者や批評家がドイツ映画の背景について語ることはあまりないですよね。この本を映画プロパーや映画について専門的にやっている人がどう読むか、よくわからないところがある。「どう読まれるんだろう」って、逆に知りたいですね、「ちゃんと映像のことを語ってないじゃないか」と言われてしまうかもしれない。自分としてはそんなつもりはないんですけどね。あとはドイツって、アメリカやフランスといった映画先進国と比べると遅れている部分があって、特にニューシネマの作家たちにはその意味での屈折がありますよね。しかも、ナチスドイツが映像をプロパガンダとして使った過去もあるので、映像技術や映像そのものへの信頼が、おそらくあまりない。ドゥルーズでさえ批判が足りないと思うところがある。そう考えてゆくと、モンタージュや演出、「どのように撮るか」などの画面分析って、恣意的な読みに過ぎないんじゃないかと思うんです。それを映画評論の核に持ってきてもあまり面白くないなという考えが根本にあって。そういう読み方にエネルギーを費やせずに無意識に遠回りしてしまうことがある。今回は書きませんでしたが、ハルーン・ファロッキが、「切り返しなんて簡単だ」と言っている。「どうやっても出来てしまう、だから危ない」と言うんですが、そういうものだという気がするんですよね。ストローブ=ユイレのような、ストイックで見る者を驚かせる作り方──でも映画の王道からは外れていない──を語るなら、ハリウッドなどの映像芸術の伝統を踏まえていないといけなくて、そこから語る人も多いですが、実は戦後ドイツを中心にした映像文化に関する根本的な断絶、それを別の面からもう少し見ておかないといけないんじゃないか? 映像批判としての映画のさらに極限のかたちを意識すること。いろんなコンテクスト、いろんなものの根っこを手繰り寄せながら映画に近づいてゆくことを考えたいですね。

──なるほど。遡って、「序文に少しだけある自分語り」についても伺えればと思います。簡潔にですが、そこではドイツ映画との意識的な出会いから、現在の活動スタンスまでが述べられている。渋谷さんにこうしたお話を伺う機会は意外となかったので、新鮮に感じました。雑談の場でも「オールタイム・ベスト」的なお話を聞いた記憶がないんですよね。

実はね、「これさえあれば幸せ」という映画ってないんですよ。

──「いちばん好きな作家はファスビンダー」だと思われている方も多いと思いますが、決してそうではないのでしょうか?

ファスビンダーも「好きな映画ベスト5」には入らないかもしれないし、ファスビンダーのなかでも「これが一番」という作品は選べないですね。その折々にのめり込む作品に「ああ、こんないいものがあるんだな」とは感じるんです。たとえばこのあいだ、ヴェルナー・シュレーターを続けざまに見て、やはりすごいと思った。でもオールタイム・ベストテンに入るかと考えるとね(笑)。そこは非常に難しいですね。ただ、見たときの思い出と結び付くものは多い。たとえばドイツに居たとき、友人に短篇映画の監督がいて、彼女の作品を見たときの新鮮なインパクトってやっぱりすごかったんですよ。日本では誰も知らないような人だけど、そういう作品は候補に上がってくるかもしれない。それから映画に関しては、「子供の頃からの趣味が昂じて」という部分がないのも関係しているかもしれません。作りたいと思っていたわけでもないですしね。

──では、意識的に映画をご覧になり始めたのはいつ頃からでしょう?

意識して見始めたのは高校生のとき。その頃までは時間潰しに楽しんでいたんですが、高校3年生のときに『ソフィーの選択』(1982/アラン・J・パクラ監督)を見て、娯楽だと思っていた映画が「こんなに深い、人間の根源に迫るテーマを描けるものなんだ」と驚いた。それがいちばん最初に意識した経験でしたね。

──本書の序文で語られている大学生時代のエピソードよりも、さらに前のことですね。

さらに前。要するに大学に入って映画を見始めるきっかけになったのが『ソフィーの選択』。それから──これはまだ人前で誰にも喋ったことがないんですが──大学入学前の頃、80年代前半には深夜にヨーロッパ系のアート映画をテレビ放映していたでしょう? 高校を卒業する頃にヴィスコンティの『イノセント』(1976)を放映していたんです。ワイドスクリーンの画面をバサッと切ったような非常に不完全な映像でしたが(笑)、自分たちの生きている日常とまったく違うところで、生きるや死ぬや愛しているや、そういう話が上品かつドロドロにエゲツなく描かれているのを初めて見て、「映画ってこんなことができるんだ」と思った。そのヴィスコンティとの出会いは大きかったです。空気から人の立ち振る舞いまで、それまで見ていた映画とはまったく違う世界だった。理解はできませんでしたが、あのアンニュイ、倦怠感はものすごく伝わってきましたね。

──その経験は、いまの渋谷さんにも影響を及ぼしていますか?

そうですね。映画全体のつくりの良さとかじゃなく、何か空気のように受け取れるものが好きですね。でも通俗的なもの、単純に泣いたり笑ったりできる映画も、そっちのモードに切り替えれば全然OK。だから基本的には、「味にそれなりに個性があればどんなものでも食べる」ということなんです。

──その雑食性は、本書にも反映されていると思いますし、今後のレクチャーシリーズにも期待したいと思います。今日はありがとうございました。

 

(2015年8月 神戸映画資料館にて)
取材・文/ラジオ関西『シネマキネマ』吉野大地

渋谷哲也著『ドイツ映画零年』(共和国)


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