インタビューWEBSPECIAL / INTERVIEW

『映像の発見=松本俊夫の時代』 筒井武文監督インタビュー Part2

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第7回神戸ドキュメンタリー映画祭での初回の上映を終えた全五部作、700分の大作『映像の発見=松本俊夫の時代』(次回上映は11月9日・10日)。神戸を訪れた筒井武文監督に、ふたたび五部作のみどころを伺った。

 

──それぞれ際立った特色、そして結び付きを持つ五部作ですね。

松本さんは、その時期ごとに何をやっていたかがはっきりされている方なので、このような構成が採れました。第Ⅰ部「記録映画篇」は映画との出会いに始まる個人史を描きましたが、第Ⅱ部「拡張映画篇」では同じ時期にフラッシュバックしながら、ご自身にも時代の証言者のひとりになっていただき、社会のほうから松本さんの位置を測定するつくりになっています。50年代から60年代がどういう時代だったのかということも第Ⅱ部の裏テーマですね。

──第Ⅲ部「劇映画篇」、第Ⅳ部「実験映画篇」はまた異なるつくりです。

matsumoto4-1これは松本さんの劇映画が他の人の撮ったものとどう違うのかを検証するパートで、ご本人が考えていることと劇映画のシステムのあいだでいろんな矛盾や問題が起こり、必ずしも思い通りの映画ができなかった。そのなかで松本さんが貫いた映画づくりをスタッフたちの証言から浮かび上がらせています。それに対するのが第Ⅳ部「実験映画篇」。実験映画は基本的におひとりでつくられる。だから松本俊夫の「個」の世界ですね。僕のイメージとして松本さんの背後に映像を投影して、それについてご自身が語る形式で内面、内なる世界を繰り広げるようにしました。松本俊夫の脳内世界の展開を描こうとしたパートですね。結果として1992年以降、松本さんは長い沈黙の時代に入る。つまり映画を撮らなくなった。その理由も最後にお訊きしています。

──第Ⅴ部「映画運動篇」のほとんどは、松本さんのご自宅で撮影されていますね。

第Ⅰ部から第Ⅳ部まではある程度ひとまとまりになっていて、取材も2003年から2006年くらいまでのあいだにおこなったもの。それらを編集している過程で僕のなかで起こってきた疑問、他の方々がそれぞれの時代に対して語られたことに対して松本さん本人はどのように思っていたのだろうかという思いが募って、2012年に松本さんの書斎に伺い、長年の疑問をぶつけたという真剣勝負のパートです(笑)。

──特に第Ⅳ部までは、松本さんの数々の映像作品を巧みに引用しておられます。以前のインタビューで、「引用するときに、僕に編集されるのを作品が待っていたような印象を受けた(…)松本作品の手の上で僕が踊らされていると言ったらいいのか」と伺いました。あらためてお話し願えますか?

ishinouta02松本さんの映画感覚はすごくわかる。そう言うのは大変僭越ですが、たとえば『石の詩』(1963)に見られる静止したものを動かしていくときの切れ味の鋭さなどはとんでもないですよね。松本さんの生涯を映画にしていく上で、過去の写真やドキュメント的なものはないでしょうかと相談すると、「いや、資料が見つからない。これは映画にするのが大変だよね」とおっしゃるんです。誤魔化されたのか、本当に無いのかわからないんだけど(笑)。でも、作品を引用していくと見えてくるものがたくさんある。ご本人を描かなくても、作品を配列していくことで松本俊夫像があらわれてくるんです。非常に不思議ですが、松本さんが自分のドキュメンタリーを作るための素材を用意してくれていたかのようでしたね。つながれるのをこの作品たちは待っていたんじゃないかというくらい、奇妙な感覚に陥りました。

──それらの映像と、全篇を通して施された音響も印象的です。森永泰弘さんのサウンドデザインについてもお聞かせください。

まず第Ⅰ部、第Ⅳ部、第Ⅴ部の整音が先に終わっていました。第Ⅱ部と第Ⅲ部を仕上げてもらったのが今年の8月から9月にかけてです。基本的に森永君に任せておいて大丈夫と思っていました。ただ、第Ⅱ部のサウンドデザインがおとなしめだったんです。第Ⅱ部は多くの方の証言が集まるパートじゃないですか? 森永君はそれをちゃんと聴かせるためにサウンド効果を控えめにしてくれていたんだけど、「違う、逆だよ!って」(笑)。この「拡張映画篇」では三面マルチの『つぶれかかった右眼のために』(1968)を断片的に引用していて、あの13分の作品を2時間かけて見ようというテーマもあるんです。

──オリジナルのすべての映像が引用されているのでしょうか?

13分すべてを使っています。大変面白い作品ですが、やっぱり集中力が途中で途切れてしまうんですよね。僕も最初のうちは3つの画面を同時に意識して見ているけど、いつも中盤あたりで配列を把握しきれなくなる。映画は途中を断片として見ると新鮮に見えることがあります。その意味で分割して、前後のインタビューとの絡まりも含めて見たほうが、何が映っているか、すべてを把握できると思ったんです。そのようにして『つぶれかかった右眼のために』の面白さを再発見してもらいたい意図もありました。それで、あの作品をプレミア上映したときのエピソードがありますよね?

──植草甚一さんがご覧になっていたという話ですね。

ええ。マグネシウムフラッシュを一斉に発火させて、爆弾が破裂したような効果を出すと、最前列におられた植草甚一さんが仰天されて、それを舞台袖から見ていた松本さんが喜んだという話。ほんとにイタズラ好きな人ですよね(笑)。その逸話が第Ⅱ部の頭のほうで出てくるので、ご覧になる方が忘れた頃に同様の効果を再現しようと企んでいました。だから強烈な爆弾の音を、とお願いしていたのに、森永君は最初入れてなかったんですよ。そこで「違う!」って(笑)。

──筒井監督もとてもイタズラ好きな方だと思いますが(笑)、当初は証言を引き立たせる音だったんですね。

はい。でもそうではなく、2時間経ったら爆発する時限爆弾なんだと。そこまでの音は、テロリストが爆弾テロを起こすために犯行現場に下見に行ったり、爆弾をつくっている様子をイメージして付けてくれとお願いしました。直接的に音であらわすわけでなく、何か不穏な空気を醸し出してほしいということです。まあでも、僕の言ったことをそのままやらないのが森永君ですからね(笑)。それでいいんです。結果的に気に入ってるし、「ドキュメンタリーでこんな音を付けるとやばいよね」とうことをやっています(笑)。

──大胆で時代性を取り込んだサウンドデザインになっていると感じました。第Ⅰ部から第Ⅴ部までは順序通りに完成したのでしょうか?

第Ⅰ部がいちばん早かったです。まず「記録映画篇」を上げて、最初は第Ⅱ部と第Ⅲ部をひとつにしていたので、それを分けました。だからⅠ部、Ⅳ部、Ⅲ部、Ⅱ部の順かな。やっぱり最も難しくて時間がかかったのが、第Ⅱ部「拡張映画篇」ですね。

──その第Ⅱ部では『映像の発見―アヴァンギャルドとドキュメンタリー』(三一書房、1963年、清流出版より2005年復刊)の誕生秘話、かわなかのぶひろさんや波多野哲朗さんたちが本との出会いや影響を語られます。筒井監督が最初に読まれたときの印象はどのようなものでしたか?

学生時代に『映像の発見』を読んだときには、松本さんの書かれたことはある意味で自明のことになっていた。「これが当たり前、正統なんだ」という頃だったので、それほど強い印象はなかったかもしれないですね。時代としては山田宏一さん、蓮實重彦さん、山根貞男さんたちが活躍され始めた頃なので、どうしてもそっちのほうに惹かれるじゃないですか? しかし、そのお三方の考えに対しても影響を与えている本だし、50年代から始まる既成の映画状況と松本さんの闘いという文脈で読んでいくと、滅茶苦茶面白い本ですよね。

matsumoto1-1──11月1日の神戸映画資料館での川村健一郎さんとのトークも、「体験」という切り口から展開していましたね。

『映像の発見』は、体験の本でもありますね。書かれた文章の裏には生々しいこともあるし、一見理論的に見える本だけど、そこには新しい映画をつくるための具体的な標的も設定されている。

──第Ⅴ部の松本さんへのインタビューのなかでも、そのような言及が見られます。第Ⅱ部に遡りますが、『映像の発見』の影響力に関しては、松本正道さん(アテネ・フランセ文化センター主任)も証言なさっています。

松本正道さんは、別の意味で記録しておきたい方でしたからね。あれは実は騙し討ちのような撮影だったんです(笑)。三一書房の編集者の方のインタビューを撮りに行ったとき、約束の時間を間違えて2、3時間空いてしまった。それで、近くにアテネ・フランセがあったので、松本さんにお願いしようと急遽押しかけてゲリラ的に撮りました。事前に根回ししていたら、松本正道さんはお断りになられたはずですが、勢いで撮れちゃったんです。そのあと、会う度に「あれはカットしてくれましたか?」と聞かれては、「すみません、まだ残ってます」とお答えしていました。カットしていたら、アテネ・フランセで上映してくれたかもしれないんだけど(笑)。

──いまからカットしても遅くないかもしれません(笑)。

でも、アテネ・フランセという場所も第Ⅱ部と第Ⅴ部でつながっていますからね。第Ⅴ部では、松本俊夫さんと僕とのトークの様子なので松本正道さんは映っていませんが、第Ⅱ部で、松本俊夫さんと蓮實重彦さんの批評を並べて、「映画に誘う、見たくなる批評だ」とおっしゃってくださったことは、第Ⅴ部の伏線になっています。

──第Ⅲ部と第Ⅴ部というふうに、異なるパートでつながっているモチーフが数多くありますね。

syura02この映画には、そういう隠しテーマがいくつかあって、そのひとつが「キャメラマン鈴木達夫」です。第Ⅰ部で、それまで映画を撮れなかった松本さんが『母たち』(1967)で復活する姿を描いていますが、その復活に必要不可欠だったのが鈴木達夫さんのキャメラ。あの撮影が無かったら『母たち』は成立していない。それを当時のプロデューサーの工藤充さんが「記録映画篇」の逆転劇の証言者として語ってくださった。第Ⅰ部は、それ以降松本さんの同士になっていく鈴木さんが登場するところで終わるわけです。勿論、第Ⅱ部の『つぶれかかった右眼のために』のキャメラもそうだし、万博の『スペース・プロジェクション・アコ』の映像も鈴木さんによるものです。さらに第Ⅲ部の「劇映画篇」でも、『薔薇の葬列』(1969)や『修羅』(1971)でおふたりはがっぷり四つに組んで、あれほどの素晴らしい作品を作り上げていく。『十六歳の戦争』(1973)は、鈴木さんのスケジュールが空いてなかったので、助手の押切隆世さんが担当しますが、1988年の『ドグラ・マグラ』では松本さんがまた鈴木さんのキャメラを必要とする。この第Ⅲ部の幕切れは、それまで正面から描いていなかった松本さんと鈴木さんとの関係。それで終わるんです。

──あそこの野球の話には驚かされました(笑)。

あの話がまたコメディのようでしょう?(笑) それで、第Ⅳ部「実験映画篇」では鈴木さんはいったんお休みという形で、第Ⅴ部「映画運動篇」に入ったとき、色んな人に語られてきたけど、姿の見えない鈴木さんが身体的に映像を撮る形であらわれてきます。

──プロローグは鈴木達夫さんの撮影です。

「透明人間としての鈴木達夫」が、全五部作を通しての見えないテーマになっています。ひとつのキャメラマン論でもある。松本さんのドキュメンタリーを撮りながら並行して鈴木さんのドキュメンタリーも撮っていて、実はそこで使おうと思っていた素材を松本さんのほうに結構利用しちゃいました。いつか完成させないといけない鈴木さんのドキュメンタリーの、長い予告篇として見ることもできますね(笑)。

──もしかして、それも大作になるのでしょうか……?

matsumoto4-3いや、それは2時間くらいの1本にまとめるつもりですよ(笑)。それで、そういうキャメラマンという隠しテーマがあって、もうひとつの軸が音楽。松本さんの盟友だった湯浅譲二さん、一柳慧さんの証言を入れていることもそうだし、僕がオマージュを捧げたのが武満徹さん。たしか松本さんは、武満さんと3本しか組んでおられないんですよね。その3本すべてをこの五部作に入れて、武満さんの音楽を聴けるようにしました。処女作『銀輪』(1955)、それから、おそらく他では聴くことのできないラジオ番組『黒い長い影の記録』(1962)。ここでの武満さんの音楽が聴けるだけでも貴重なことだと思います。そして実験映画の『気 Breathing』(1980)。第Ⅳ部は、松本さんの語りがずっと観客を襲いますよね(笑)。少し休憩が必要だと考えました。『気 Breathing』は30分と、実験映画としては長い作品。さすがに松本さんも途中で話すことが無くなって、ちょっとお休みされる瞬間があったんですね。スクリーンの前で少し沈黙された。キャメラはそのまま回していて、松本さんに「どうすりゃいいの?」という感じで訊ねられました。そこで僕は「シーッ」って口を塞ぐ合図を送ったんです(笑)。すると察して、不動の姿勢を保ってくださいました。武満さんの音楽へのコメントも既に頂いていたので、そのシーンは、松本さんが武満さんの音楽を回想して聴いているようなイメージになっています。それからここは「実験映画篇」の半ばあたり。「ご覧になる方も一息ついて、武満さんの音楽を聴きましょう」という時間を設けました。

──あるパートで証言されていた方が、別のバートにも出演されています。「遠隔モンタージュ」から成る構成を辿るのも、この映画の愉しみかもしれないですね。

構成の段階で、各パートのあいだで素材のトレードをしているんです。第Ⅱ部に用意していたものを、別のパートに持ってくるとか。「実験映画篇」にも色んな方の証言を入れるつもりでした。でも「ここは松本さんひとりの世界にしたほうがいい」と判断して、松本さんの実験映画についての坂尻昌平さんの証言、音楽についての一柳慧さんの証言を第Ⅲ部に持っていきました。だから、第Ⅲ部のなかに第Ⅳ部の予告を入れていることになります。第Ⅱ部だと、大島渚監督との論争が出てくるときに、第Ⅰ部のために撮っていた『飼育』(1961)の脚本参加や予告篇をつくったエピソードをトレードしています。「あれ? 別のパートの映像が入ってるんじゃないの?」と思われるかもしれませんが(笑)。

──松本さんが第Ⅲ部の冒頭で、「組み替えの原理」というお話しをされますよね。筒井監督もこの五部作で組み替えをおこなっているわけですね。

成程、そうなのかもしれませんね。

──そのような組み替え=編集作業のなかで、撮影時にイメージされていた構成からはかなり変わりましたか?

変わってきました。ただ変わる過程、編集していくなかで、結果としてもとのプランに近い形でまとまりました。うまくジャンルで分かれたしね。

──「拡張映画篇」は、ジャンルが持つ特性とは対照的に、緻密にまとめられていて驚きました。

本当なら第Ⅱ部は、ワンスクリーン・ワンプロジェクターではない方式でつくらないといけなかったのかもしれないけどね。でもそれをやると、どこも上映してくれないですからね(笑)。

──上映形式を拡張し過ぎですね(笑)。それから、多くの証言がひとつの「松本俊夫像」に統合されないのも面白い点かと思います。たとえば『ドグラ・マグラ』に対する西嶋憲生さんと中条省平さんの証言は、それぞれ異なっていて興味深いものです。

中条さんは、第Ⅲ部の主役のひとりとしてご登場をお願いしました。劇中劇のね。当時、中学生~高校生だった中条さんの目を通して、松本プロダクションを活写していただいています。第Ⅱ部で『映像の発見』について多くの方々が証言されていて、そのなかでいちばん若いのが中条さん。これも伏線になっています。『薔薇の葬列』にショックを受けた中条さんが、『修羅』は作品としては素晴らしいと認めつつ、現場のありように軽い失望を覚えたり、映画ファンの夢が崩れたというお話しをなさる。そして『十六歳の戦争』や『ドグラ・マグラ』に対しては軽い距離を取っている。一方で、それらを活かす見方をされる人として西嶋さんや坂尻さんが登場します。どちらが正しいということではなく、証言者のポジションによって違う意見が出てくる。僕は、映画には賛否両論あるのがいちばん面白いと思うんです。その意味で、どちらの意見も聞くべきだし、それによって映画がさらに面白くなる。

mastumoto5-1──松本さんを偉人として描いていないところも、この五部作の特徴ではないでしょうか。

多くの方に松本さんを語っていただいたあとに、ご本人のすごく真面目な言説を置くと、そのお顔が画面に出た途端におかしくなるじゃないですか?(笑) そういう編集が何箇所もあるので、最初に松本さんにお見せしたときにはほんと冷や冷やしました。

──拝見して、その意味がよくわかりました(笑)。第Ⅴ部は「付録的、補巻的な作品」と伺っていた通り、それまでのパートとトーンが異っています。カット数も少ないですね。

そうですね。かなりの部分を編集せずに使っています。最初は1時間ワンカットというプランもあったかな(笑)。

──あの松本さんの書斎でのインタビューでは、核心的なことを質問されていますが、訊ねることはあらかじめ準備されていたのでしょうか。

してないしてない。僕の頭のなかには訊きたいことが20個くらいあったし、松本さんにも漠然と批評や映画運動についてお訊きしたいと伝えていただけでした。そのなかでも、60年代の論争と分裂の季節のことが中心となりました。あのときの松本さんがどういう状況で、どういう立場を主張なさっていたのか。それは万博までつながってきます。松本さんは50年代から『映画批評』や『記録映画』のメインの論客だった。そのあと日本記録映画作家協会が分裂して、改革派の人たちが映像芸術の会をつくって、『映像芸術』を創刊する。ところがそこでもまた分裂や対立が起こり、松本さんは辞めてしまい、今度は『季刊フィルム』に参加なさって同時期に万博の仕事も受けられる。当時は芸術家たちが万博参加派とアンチ万博に分かれた時代。その激動期に松本さんが何を考えていたかも訊いてみたいことでした。

──松本さんの大きな変節期のひとつですね。

それまでの松本さんは記録映画の人脈での活動が多かったと思いますが、60年代末くらいから映画に限らず、広く芸術の分野にいる方たちと刺激し合い、ご自身の思考を鍛え直した時代でもありますね。

──第Ⅴ部では当時の検証がおこなわれていますが、五部作を通して、松本さんの印象がだいぶ変わりました。実現しなかった松本さんの可能性も見えてきます。

そう。やはり松本さんのすごい面もあらわれているし、「この時期にこうしていたら、もっとうまくいったのに」と思うところもあるし、色々ですよね。確立された松本さんのイメージをこの映画で壊したいという目論見もありました。700分という上映時間は、観客の皆さんには大変なご負担をかけます。全部見ることが難しい方はどれかひとつ、興味のあるパートだけ選んでいただいても構いません。1本の作品として完結するように構成しているので、全部見なきゃいけないということでなく、試しにどれか1本でも全然オッケーだと思います。クレジットにお名前はないですが、実は大島渚監督も出演しています。どのような形で出演されているかは見てのお楽しみにして……、大島さんと松本さんのあいだにはいい意味でのライバル関係があった。映画づくりで協力し合ったり、敵対したりと両極の動きを見せている。その関係は第Ⅱ部で描いていて、さらに踏み込んだ話を訊いたのが第Ⅴ部なので、大島渚監督の映画をお好きな方なら、「拡張映画篇」と「映画運動篇」の2本をご覧いただくのもよいかもしれないですね。

 

(2015年11月3日、神戸にて)
取材・文/ラジオ関西『シネマキネマ』吉野大地

第7回神戸ドキュメンタリー映画祭「松本俊夫特集」

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