ラジオ関西「シネマキネマ」インタビューWEBSPECIAL / CinemaKinema
2016 3

『××× KISS KISS KISS』
矢崎仁司監督、武田知愛(脚本)、草野康太(出演)インタビュー

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「儀式」

矢崎仁司監督の新作『××× KISS KISS KISS』が、大阪シネ・ヌーヴォでの公開を迎えた。女性脚本家ユニット・チュープロが書いた5本のシナリオをもとに撮り上げた本作は、矢崎仁司の映画史へのレスポンスでもある。その1作『儀式』のシナリオは、『1+1=1 1』(2012)で初めて矢崎監督と組んだ武田知愛によるもので、ふたりのコンビネーションは3月26日(土)公開作『無伴奏』にも生かされている。劇場を訪れた監督と武田知愛、そして出演者の草野康太にインタビューをおこなった。

 

──監督と武田さんは、『1+1=1 1』でもコンビを組まれていました。それに続く本作の成り立ちから教えてください。

矢崎 成り立ちは、武田さんに訊くほうがいいだろうね(笑)。僕は、若手の脚本家ユニットに「選ばれた監督」という状態でしたから。

武田 「皆でキスをテーマに脚本を書いている」と伝えると、「面白そうだね」と。それで一度読んでいただいたら、全然ダメでした。そこで、「今後の参考にするので、どこがどうダメなのか教えてください」とお願いしました。

矢崎 「こういう脚本は、僕よりもっと上手く撮れる監督がいるよ」。やんわりとそう断ったんです(笑)。

武田 それが全然伝わらなかったんです(笑)。

矢崎 皆がキスをテーマにした短篇の脚本を書いてきた。その熱意がすごいんですよ。脚本の先生ではないので、「僕が撮るならこうなるけど付き合いますか?」というところから始めて、結局トータルで1年ほどかかったのかな。月に1度、多い時は2度締め切りを設けて打ち合わせして、「ああでもないこうでもない」とやり取りした。1年ほど経って、ようやく「これはそろそろ映画になるね」という形が出来上がっていきました。

──シナリオが映画になる、あるいはならないという基準はどこに置かれているのでしょう? あるインタビューでは、「画が思い浮かぶかどうか」とお話しされています。

矢崎  若い脚本家たちはイメージが先行するので、シナリオが「自分のイメージの説明書」になるんですよね。でも説明書から作品は生まれない。撮影部が読んでも美術部が読んでも、そして俳優部が読んでも、皆が立場ごとにまったく違う映画をイメージできるのがいいシナリオだと思っています。僕が勝手に思い浮かべる画と、撮影の石井勲さんが思い浮かべる画はまったく違うだろうし、草野康太さんが俳優としてイメージする画も違うだろうけど、そういうシナリオがいちばんいい。電化製品の説明書じゃないんだから。1年間かなりがんばったんじゃないかな。

──初稿を監督に渡されたのはいつ頃でしたか?

武田 2013年の4月だったと思います。

──『1+1=1 1』の公開後ですね。もうその頃にはシナリオを書く上で、監督の特性や癖のようなものをかなり把握されていたのでは?

武田 それがやればやるほどわからなくて、「掴んだ」と思うとすり抜ける、幻のような方ですね。

矢崎 武田さんの『儀式』は、僕への挑戦状だと言ってましたから(笑)。

武田 ラブレターですよ!(笑)

矢崎 でも、読んで面白かった。「これ、どうしたら映画になるの?」っていう。

──『儀式』の完成稿はどのくらいの分量でしたか?

武田 28枚で、ほぼ30分でしたね。

矢崎 皆、短篇なのでまとめようとするけど、「まとめる」ということは物語をまとめること。人間なんてまとまらないはずなんですよ、短篇だろうが長篇だろうが(笑)。脚本打ち合わせの前半の頃は「まとめなくていい。短篇だと思わなくていい。いくら長くてもいいから書いてこいよ」と言っていて、そこで時間がかかりました。

武田 「長く書いてきなさい」と言われたけど、いつか短くなると思っていたんです。最初はワンシチュエーションで5分から10分くらいの作品を各々書いていました。すると、「そんな話のどこが面白いんだ? 登場人物たちが街の中を動く姿や日常生活を見せないといけない」とおっしゃられたので、皆が力を入れて書いたら、ものすごい枚数になってしまい、映画も168分という長さになりました。

矢崎 僕は長いと思ってないよ(笑)。

──監督は、本作を5編のオムニバスでなく、1本の映画として捉えておられるということですね。

矢崎 そうですね。オムニバスという捉え方をされたくないです。5つのキスがありますが、『×××』という1本の映画にしたいと思いました。

──風景を含めて統一感があります。

矢崎 撮影の条件として「これは都会でもいけるな」という作品もあったけど、ほんとにローバジェットのインディーズなので、私の実家に合宿して、その近辺で撮影する方法を採りました。だから5本とも、撮影した「山梨県」という雰囲気がなんとなく出ていますよね。富士山は映らないけど(笑)。

──5編の作品世界が続いている印象も受けました。

シナリオの打ち合わせ段階で、一応小さな町の地図をつくりました。「公園でこの人たちが会うときには、こっちの河のそばではこうなっている」とわかるようにね。

──『儀式』と『初恋』には公園が出てきますが、同じ場所ではないですよね?

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「初恋」

矢崎 違うんじゃないかな。場所はどこも重なっていないはず。

武田 でも、もともと同じ町なんですよね。だから5本の脚本を縦に割ってひとつに編んでいく案もあったんですが、せっかく5人が書いたのでクレジットも独立したつくりにしようということで、幸いにもこの形になりました。でもご覧になってくださった方たちが、「5作で1本だね」とおっしゃってくれるので、その意図──意図したわけではないですが──は伝わっているんだなと感じましたね。

──ただ、撮り方は作品ごとに変えられたとか?

矢崎 うん。ポスターを見てもらえばわかりますが、僕の大好きな映画監督たちの名前だけを羅列している。たぶん配給会社があいだに入ったら、これは許されない(笑)。そういうところまで含めてインディーズですけど、いままで映画を撮ってきたなかで僕にボールを投げてくれた人たちにボールを投げ返したかった。せっかく5本つくるなら、5人と言わず、ポスターに名前の挙がっているすべての監督たちに投げ返したい思いでした。

──そのなかでも、小津安二郎監督やフェリーニの映画が念頭にあったそうですね。

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「さよならのはじめかた」

矢崎 最初に脚本を読んだときの印象ですね。『さよならのはじめかた』をもらったときは、小津や成瀬みたいな感じだと思ったんですよ。『いつかの果て果て』(略称『果て果て』)はシナリオの段階で、「これ、イタリア映画だな」とイメージが浮かんだ。夜を絶対撮りたいと思ったし。でもほかの3作に関しては、「これは何々ふう」と考えていなかった気がするな。ただ、『儀式』などは、「いままで撮ったことがない」というタイプの作品で、変な言い方ですが、すごく危険な遊びをしました。ラッシュを観たときに「えっ?」って(笑)。「これ本当に石井さんが撮影して、大坂(章夫)さんが照明を担当して、俺が監督したラッシュなの?」と思うほど、観たことのないような画が撮れていてびっくりしましたけどね。

──作品への取り組み方などで、これまでと違うことはあったのでしょうか。

矢崎 ある意味ですごく楽だったんです。たとえば原作もので、「この原作で監督は矢崎で撮りたい」とプロデューサーに言われると、ある程度「矢崎仁司」を要求されるじゃないですか? 皆さんがイメージする矢崎らしさを要求される。本作は自分でプロデュースした分、逆に自由になれた。「僕らしくなくていいんだ」と自由に発想できた。

──草野さんは、『果て果て』の撮影にあたり、どのような演技をイメージして臨まれましたか? 5編のなかで最もねじれた構造を持つ作品だと思うのですが。

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「いつかの果て果て」

草野 矢崎さんがシナリオに対して考えているように、僕らもわかりやすい芝居をしないことがひとつのテーマとしてあったと思います。「簡単な感情」がまったくないというか、「説明のつかない感情を抱えたまま一夜を過ごしている人たちの話だ」という認識だけを持っていました。セリフの裏とかもあまり考えないようにした。普段話しながら、言葉の裏側をあまり意識しないのと同じで、深く考えない。あとは観た人が深い構造に気づいてハマってくれたらいいなと思っていました。

──夜が明けるまでの河辺で繰り広げられる話で、画面も闇が多い。渋い映画に仕上がっていますね。

矢崎 あれが一番大変でした。台風が来て、撮影予定の河原が増水で撮れなくなるとか、撮影もものすごく大変で。あの夜もよく撮れたなと思う。でもすごく楽しかったよね。

草野 楽しかったです。夜から朝まで大人の遊びをしていると、そこにひとりの子供が混ざって大人がオロオロしちゃうという感じで。朝が来たら寝ないといけないんですけど、全然寝つけないほど楽しかった(笑)。

──矢崎監督の現場で、感じておられたことは?

草野 普段はカメラに撮られている印象があるんですが、今回は「矢崎さんに見てもらっている」感覚が強かったですね。いつもカメラの横にいらっしゃるので。カメラが僕をどのように撮るかということではなく、矢崎さんの見ているものが映画に映っているんだと感じていました。

矢崎 僕は物語にほとんど興味がない。でも皆が書いてくれた脚本の活字の登場人物から生身の俳優に出会える。世界中でひとりしかいない、「その人」を撮りたいんですよね。本作なら、脚本をパスポートにして草野さんを撮りたい。そして、草野さんが役に成り切るときより、ちょっとズレて「あ、草野さんだな」というときにOKを出す。それは『無伴奏』の成海璃子さん、池松壮亮さん、斎藤工さんに対しても同じ。「うまいな。いま、役に成り切ってるな」という時はキープ(笑)。少しズレて、その人が見えた時にOKを出すんです。

──監督がOKを出されるテイクと、草野さんの納得がゆくテイクとは一致していたんでしょうか?

草野 わからなかったです。そこを計算できるような俳優にもなりたくないですし、それは何か違うと思う。そういうことも含めて「考えない」ということでしたね。

矢崎 いろんな作り方があっていいと思いますが、時々、ほかの映画のメイキングとかを観ると信じられないのが、撮り終わって皆でモニターを囲んで意見を交わしている様子。そんな時間はないですね(笑)。

草野 そこで何が変えられるんだと思いますよね。

矢崎 私はモニターを一切観ないからわからないけど、撮影現場で確認してどうするのって。そのときの空気は、確認しなくても映っているもの。だから撮影がすべて終わって、NGも含めたラッシュを観るのが楽しみです。撮影した映画と編集して出来上がる映画は別のものなので。僕はいつも2本の映画をつくるつもりでいます。

──撮影中の映画と、編集中の映画ですね。

矢崎 うん。だから編集中に脚本も持たないし。石井さんが撮った画を、編集の目見田(健) さんと観ながら、「いい顔してるな」と感じるもので構築し直すだけです。

──制作過程を伺っていても、矢崎監督の映画は人物や出来事の説明ではないと感じます。しかし、脚本を書かれる武田さんにとって、説明をしないのは困難なことなのでは?

武田 難しいです。物語にまったく興味がない監督なので。だから自分の中でストーリーや人物のディテールは構築しますが、監督に出す前にその匂いを消していきます。台詞を消すということではなく、ほかのニュアンスのものに変えてゆくというんでしょうか。言いたいことから一番遠くにいて話している、そんなイメージです。時々、「ストーリーがわからなくったっていい」と言える勇気が私にはあるのだろうか、書くからにはわかってほしいとか、色々考えましたね。でも『1+1=1 1』で監督が持っておられる世界観に感動したので、その考えは捨てて『儀式』を書きました。背伸びし過ぎたところもあったけど、松本若菜さん、加藤良輔さん、林田麻里さんという素晴らしい俳優たちに恵まれて、書いた以上のものが出来ました。新しい表現方法に挑んだことで、自分の世界観は前進したと思います。でも、さっきもお話しした通り、挑戦状じゃなくて「ラブレター」ですから(笑)。

──『儀式』は特にそうですが、説明台詞が少ないですね。

武田 監督は、説明台詞が少しでも入ると嫌がられるんです。その上、どういう気持ちで台詞を言うのかがわからないように書いています。『儀式』のカップルに関しても、普通は喧嘩の理由を言うけど一切言わない。ということはストーリーが一人歩きしてもいいし、ご覧になった方のなかで完結する。観た方の記憶に絡まるところがあるとすれば、そういう部分だと思うんです。言葉で限定してしまうと人の記憶に滅多に当てはまらないけど、ぼんやりしていると「私のあの時の感じに似ているかも」と残っていくし、観る度に違う印象を与える。監督は、「1回観てわかる映画じゃないものを目指す」とおっしゃっていて、その観客に委ねる勇気というか、やさしさがすごいなと思いました。演じる俳優は大変だし、書くほうも頭を掻きむしりながらでしたけど(笑)。

──スタッフとキャストだけが知っている設定もなかったのでしょうか?

草野 なかったですね。その場で起きていることを感じるしかない。朝のシーンの僕は、本当に「朝を迎えられた」という顔をしていて疲れ切っている。あれはやはり夜通し撮影しないと出てこない表情だし、そういう撮り方だったと思いますね。「夜を徹して撮ったドキュメンタリー」ではないですが、あの朝のシーンを見ると「辿り着いた」という印象を持ちますよね。

矢崎 そういうことなんですよね。『儀式』だとカップルに何か喧嘩があって、夕方、男性が部屋に戻ってくる、あの気まずい雰囲気。あの空気感は誰もが経験していると思います。あの部屋の空気が映し撮られていれば。観客が日頃忘れていた記憶に触れられる。ストーリーでは人の記憶には届かないと思います。だから、いろんな感情の時に観て欲しい。音楽を聴くときに、好きだったバンドの曲を1回聴いただけだと馴染めなくて、2度3度と聴き込むと好きになったりする。繰り返し聴くじゃないですか? だけど映画は1回観ただけで観たことになってしまう。繰り返し聴く音楽のように、何度も観るに耐える映画を目指したいと思っていますね。

──矢崎監督の作品を観ていて感じるのが、物語性は薄いかもしれないけれど、ドラマは存在しているということです。

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「背後の虚無」

矢崎 ドラマやサスペンスって人の感情。その感情が動くときがいちばんのサスペンスで、むかしからよく言うけど、椅子から立ち上がるだけでもアクション映画なんです。いままでそんな動きをしなかった人がキスするだけでもアクション映画。ハリウッドのカーアクション作品と変わらないはず。ピストルの銃爪を引くことやキスすること、椅子から立ったり歩くこと。みんなアクションでサスペンスなんですよね。

──監督ご自身もサスペンス秘めておられるように感じます(笑)。

矢崎 僕には自分がわからない。もちろん他人もわからない。だからサスペンスなんだと思います。

──80年代から一貫して若者の恋愛をメインに描いておられますね。年齢を重ねて、その世代との隔たりを感じることはないですか?

矢崎 いや、ほとんどないですね。若さと歳を重ねることはそれほど関係ないし、人が人を好きになるのに年齢や性別は関係ないとも思う。ただその心が動くところだけは映してみたい。

──その意味で、『無伴奏』も本作も根本にあるものは変わりませんか?

矢崎 そうですね。予算も規模も違うけど、まったく変わってないな(笑)。

──武田さんは『無伴奏』の脚本も手掛けておられます(*朝西真砂との共同執筆)。両作はどんな関係にあるでしょう?

武田 『儀式』を書かなかったら、『無伴奏』はいくら原作があっても、監督の言われることがきっとわからなかったと思うんです。『無伴奏』を書いている時は、雰囲気や選ぶ言葉のニュアンスが本当に「わかる」と思えた。まるで自分が矢崎監督のなかにいるような手応えがありました。原作があるので、もちろんストーリーはありますが、本作がなければ、それを薄めたり、正面からいくところを少し外す作業が出来なかっただろうと思います。そういう意味では『儀式』を書いたことは大きいですね。

矢崎 ここ数年は原作ものが多くて、初心に帰ってインディーズでちゃんとやりたいなと考えていたので、本作はいい機会でした。

──制作規模は対照的ですが、スタッフは共通しているし、2本観てもらうとそれぞれの個性が際立つでしょうね。ほかに本作について感じていることをお話し願えますか?

矢崎 みんなの帰ってくる場所になればいいなと。俳優の方たちは、ほかでは感情を出す演技を要求される現場が多いと思うんです。思い切りそういう現場を経験して、「久しぶりに、感情を出すなと言われる場所に来ちゃった」と感じる場になってくれるといいですね。外で暴れもらって、たまに帰ってきては「またあの苦しさを味わおう」と思えるようなね(笑)。

草野 出演した『果て果て』以外の作品に出ている方たちにはお会いしてなかったんです。でも皆で完成させたこの映画を見たときに、同居人というか、「同じ山梨の人たち」という気持ちになれた。それぞれ独立した作品ですが、この1本に出た面子と妙な一体感を持てたんですよね。矢崎さんの作品に出たという思いを共にできたのは嬉しかった。

矢崎 『×××』というアパートの住人たちのような関係かな。「4号室に草野さんという人がいて、たまにトイレですれ違います」みたいなさ(笑)。

──東京公開から半年を経て、大阪での公開を迎えました。最後にいまの思いを伺えますか。

武田 4年前にデビュー作『1+1=1 1』を上映してもらった映画館で本作をかけていただけるのは光栄なことですし、感謝しています。関西には映画がお好きな方も多いと思うので、ちょっと上映時間が長いですが、「こんな映画もあるんだ」と観ていただきたいと思います。

矢崎 (オフの声で)長くないって(笑)

武田 じゃあ「長い」のところを切ってください(笑)。

──そのままにしておきましょう(笑)。草野さんはいかがですか?

草野 本作は2回3回と観ることで発見がある作品なので──僕自身も5回以上観ています──機会があれば、もう一回ご覧いただく。そういう見方があることも教えてくれる映画なので、何度でも観ていただければいいなと思います。

──寡作なイメージが強かった矢崎監督は近年、コンスタントに新作を発表されていますね。こういう形で公開初日に挨拶される機会も増えているかと思いますが、ひとことお願いします。

矢崎 『三月のライオン』(1992)の趙方豪さんは、いまごろ天国で怒ってると思うな。「せめてオリンピック監督になってくれ。4年に1本は撮ってくれよ」と口癖のように言っていたので、こんなに同時に新作が生まれて、趙さんすごく怒ってると思う(笑)。でも「帰ってきた」という感じで、久しぶりにシネ・ヌーヴォへ来て、ベルトルッチの『暗殺の森』(1970)を早速観てしまいました。ブレッソンの『やさしい女』(1969)も上映している。僕らが当時「アッカーマン」と呼んでいたシャンタル・アケルマンは、ニューヨークで処女作『風たちの午後』(1980)を見て、「矢崎仁司が女性なら世界一の女性監督だ」と最初に褒めてくれた人だった(*取材当日は『シャンタル・アケルマン特集』開催日)。その同じ銀幕に本作がかかるのは幸せですね。繰り返し観ることに耐える映画をつくったので、何度も登場人物たちに会いに来て欲しい。そして誰かと素敵なキスをしてね。

(2016年3月12日 シネ・ヌーヴォにて)
取材・文/ラジオ関西『シネマキネマ』吉野大地

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