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『蜜のあわれ』 石井岳龍監督インタビュー

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『ソレダケ/thats’it』(2015)に続く石井岳龍監督の新作『蜜のあわれ』が、神戸でも封切られた。室生犀星が昭和34年に発表した原作は、作家と金魚の化身である少女が織り成すシュールな恋愛劇。男女の戯れを会話だけで構成した小説を、二階堂ふみと大杉漣を主演に迎えて活写した本作は、これまでとは異質の軽やかさと官能性を感じさせる仕上がりだ。神戸芸術工科大学着任からちょうど10年。その成果も反映させた新作について、監督に話を訊いた。

 

──原作は室生犀星の作品群のなかでも異色な、幻想文学のカテゴリーにも属する小説です。どのあたりが監督に響いたのでしょう?

mitsunoaware04まず、こんな小説を読んだことがなかったですね。ときには幽霊も出てきますが、犀星さんと思しき老作家と、金魚の化身の少女がとことん会話を繰り広げるだけ。小説はなんでもアリだと思いますが……、戯曲でもないし詩でもない。それでいてすごくチャーミング。男の本音を集約したような作家の本音は、開き直りとも受け取れるけど、ピュアで心に響く。それが会話で巧みな言葉遣いで語られる。いままで感じたことのない、眩暈にも似た愉しさを持つ作品でしたね。監督オファーを受けて、映画化するのは非常に難しいだろうけど、幻想小説やSFなど極端に非日常的なものは大好きだし、ぜひやりたいと思いました。

──鍵括弧で括られた言葉が続く会話劇です。原作を読まれた段階で、ある程度、映像イメージは頭に浮かびましたか?

それはまったくなかったですね。二階堂ふみさんが以前からこの作品をやりたいと思っていたそうで、私のもとへ映画化の話が来たのとほぼ同時に彼女のことも聞いて、ピッタリだと思いました。大杉漣さんは、前々から一緒にお仕事をしたいと考えていた人。「大杉さんと二階堂さんなら間違いない」と思ったので、具体的にどう画(え)にしていくかを考えたのは、そこからでしたね。

──今回は港岳彦さんが脚本を書かれています。

本作の話が来たときに一緒に仕事をしていたのが港さん。そのときつくっていた純文学作品は残念ながら実現しませんでしたが、引き続き彼に書いてもらいたかった。ドラマの構築に関しては、港さんが存分に力を発揮して組み上げてくれました。

──2014年9月、『ソレダケ/that’s it』のクランクアップ直後に、神戸映画資料館で「撮影所としての大学」というテーマで監督にお話しを伺いました。あのときに「次はエロスだ』とおっしゃっていたのが、港さんとの企画だったのでしょうか?

その脚本を港さんが書いていたんです。大人の男女の逃避行もので、成瀬巳喜男監督の『浮雲』(1955)のエロス版みたいなね(笑)。2014年の夏には、とても面白い脚本が出来上がりつつあった。でも、とある事情で秋の終わり頃にダメになって、その直後に本作の依頼を受けたんです。プロデューサーは同じ小林千恵さんで、私が乗り気で取り組んでいたところだったし、「残念なので代わりにこれはどうか」と『蜜のあわれ』を持ってきてくれた。それで、読んだのとほぼ同時期に、現場を任せようと考えていた森重晃プロデューサーが、「二階堂さんがこれをやりたいと言っていると夏に聞いた」って(笑)。そこで合体したんですね。「じゃあすぐにやろう」となって、二階堂さんが2015年の4月なら空いているということだったので、依頼から数ヶ月後にクランクイン。これまでにない異例のスピードでした。

──犀星が『後記 炎の金魚』に、「この物語は一体何を書こうとしたのか(…)或る一少女を作りあげた上に、この狡い作者はいろいろな人間をとらえて来て面接させたという幼穉な小細工なのだ、これ以上に正直な答えは私には出来ない」と記しています。本作も、まず二階堂さんが演じる赤子のキャラクターづくりからでしたか?

mitsunoaware02いや、演出はそうですが、脚本はそういうわけにはいかなかったですね。何を芯にしていくか? 私なりの考えもありましたが、港さんは室生作品を読み込んでいて、執筆当時70歳だった犀星が『蜜のあわれ』を書くに至った、彼にこの小説を書かせたドラマを、探偵のごとく調べて組み上げてきた。たとえば愛人や、友人の芥川龍之介の人物造形。さらにドラマをどこへ落とし込むかにも腐心したと思うんです。それは私の望む方向性とも一致したし、とても信頼できた。原作の赤子さんのすべてのセリフを犀星さんが書いている。同時に、それを書いた作家自身のドラマも描きたかった。原作では「上山」という名前ですが、映画では老作家という設定にしました。その彼のドラマも組み立てていこうと。本作は現実と幻想とが入り混じる多重構造で、一種のメタ・フィクションでもある。フィクションをもってフィクションを語る構造を持つ作品にしたい思いがありました。私の好きな類の世界なので、そこをがっちりと構築してから、人物ありきの演出に持っていくという流れでしたね。

──フィクション小説を書く老作家をめぐるフィクションがあるという構造でしょうか。現実と虚構との往還は、前作『ソレダケ/that’s it』にも見られましたが、本作ではアプローチが変わっています。

普通の人の考え方ではないかもしれませんが、日常と非日常はつねに表裏一体にあると思っています。もちろん現実世界で社会人として生活しているときには、非日常のことばかり気にするわけにはいかない。でも心がピンチに陥ったときや、何か大事なことを決断するときには、広大な無意識や非日常的世界──自分のなかにぽっかり穴が開いて、映画館の闇のような、暗く広大無限なトンネルが開いているイメージ──を感じています。特に表現においては、日常では検証できない、味わうこともできない非日常の表現を目指したい。それが映画の場合は、娯楽でありアートでもある。私がいちばん好きなのは両者のせめぎあう地点。そこに在る作品をつくりたいし、それによって自分と観客の方が何を感じ、何を持ち帰れるのかの勝負だと思っています。そこにこそ、皆さんと一緒に映画表現を楽しむ醍醐味がある。

──相反するものが混在した世界は、石井監督がずっとお好きなものですね。

光と闇、生と死、動と静、あるいは聖と俗。崇高なものと俗っぽいものとのせめぎあい。それこそが映画だとも思うし、それらをひとつの題材としてまとめ上げられるのは、大きな悦びでもありますね。

──本作ではその世界をフィルムに焼き付けています。資料によると、笠松則通さんからのご提案だったようですが?

笠松カメラマンとは仕事をしたいんですが、もう巨匠ですしね(笑)。なかなか機会が無くて。今回は彼のほうからプロデューサーに「フィルムなら撮る」と伝えたらしく、もちろんそれはフィルムで育った私の望むことでもあるけれど、そんなに大きな規模の作品でもない。映画をつくる上で、何をいちばん大事にするかはつねに考えざるを得なくて、今回はフィルムをそのひとつに選んだということですね。フィルム撮影もひとつの世界観として捉えました。これまでずっとデジタルの最前線を追求してきたので、撮り方は若干変わっています。ただ、この題材にはフィルムが絶対合っていたと思いますね。

──真木よう子さんが演じる田村ゆり子が舟で去ってゆくシーンなどには、日本映画へのオマージュを感じますが、同時にCGも使っておられます。ハイブリッドな画面構成ですね。

mitsunoaware0516㎜フィルムなので、合成するのが難しかったですけどね(笑)。あれはもうVFX担当者の腕ですね。かなり苦労されたと思います。ほかにも色々細かく使っているけど、それはやはり「今の映画」にしたかったから。決定的なところ、たとえば赤子が金魚になったり、金魚が赤子になる描写には絶対にCGを使わないと決めていました。ハリウッド的スタイルではなく、いま、オールドスタイルな日本映画の発展形をやりたかったんです。物語設定は、原作が書かれた昭和34年を想定して、その雰囲気を大切にしました、当時は私の好きな日本映画もたくさんつくられているので、時代へのリスペクトもあります。その頃の作品をたくさん見てこられた年配の映画ファンの方に楽しんでもらいたい。同時に若い映画ファン、二階堂さんのファンの方々も楽しめる、ノスタルジーではない「今の作品にしなきゃ」とも思っていました。そのセンをスタッフと共に、懸命に狙いましたね。

──プロフィールを見ていてふと気づいたのですが、1994年生まれの二階堂さんは、石井監督が教えておられる学生の方たちと同世代ですね。

そうなんですよね(笑)。撮影当時は20歳だったので、大学生なら2年生か3年生ですね。

──現場での印象は?

すごくしっかりしていて、仕事に対する責任感もある。20歳に見えないほど無邪気で天真爛漫な一面もありますが、驚かされたのは、やろうとしていることに自分で責任を取る。言うべきことはきっちり言ってきますし、色んなことを知っていますね。幅広い好奇心を持って吸収しているし、頭の回転も早い人でした。

──演技に関してはいかがでしたか? 作品HPには監督が振りをつけているスナップもあります。

演技は相手役とのコラボレーションなので、調整することは多々ありました。撮影や照明、美術や録音スタッフというサポートする人と一緒につくり上げるものでもあるし、スタッフもまた演技によって力を発揮する。そのコラボレート、掛け算になるように意識しました。そういった微調整はしましたが、本人がずっと演じたかったというくらいなので、まさに適役でした。何も言うことが無いほど成り切ってくれていたし、基本的なことはまったく問題ない状態でした。あとはもう現場の演出でどれだけ良くなるかでしたね。

──本作には、ファム・ファタルものとしての愉しみもあると感じました。二階堂さんにアンナ・カリーナの面影が見えたり。

mitsunoaware03ああ……、それはありますね(笑)それを言われれば白状しますけど、『女は女である』(1961)、それから『恋人のいる時間』(1964)もとても好きで、あの感じは明らかに本作に入っていますね。自分で見てわかるくらい(笑)。「女性をこう描きたい」、あるいは「男女の関係をこんな風に描きたい」という思いはつねにあります。映画でどう表現するか? 私たちと俳優さんで、どうすればいちばん力を持ち得るのか? いつも現在進行形の課題です。作品を面白くすることは大事だし、題材に応じた表現方法はいくつもある。それを貫く自分の視点のアップデートはするけれど、根底にあるものはそうそう変わらないとも思うんです。もしかすると、吹っ切れているのかもしれないですね。『ソレダケ/that’s it』あたりから吹っ切れたのかもしれない。

──本作も実に弾けた仕上がりです。

自分にとって大事なことをきっちり押えて、あとは優秀なスタッフ、俳優さんたちと組んで隙間なく努力をすれば結果はついてくる。そこを信じてやっていますね。映画は、ちょっとした隙から全部が綻んでしまうこともあるので、緊張感をこわさず維持しないといけない。でも、「これさえ守っていれば大丈夫。絶対に面白いものが出来る」という手応えを持ってつくれているので、それは吹っ切れているということだと思うんですね。

──編集の武田峻彦さん(神戸芸術工科大学映像表現学科助教)は、近年の作品も手がけておられますね。

武田君とは、『生きてるものはいないのか』(2012)、『シャニダールの花』(2013)『ソレダケ/that’s it』と4本めですね。今回、撮影はその3作を手がけた松本ヨシユキさんではないですが、衣裳の澤田石和寛さんは引き続き参加してくれた。美術もメインこそ佐々木尚さんだけど、チームとしてはこれまでとほぼ一緒。だから気心が知れ信頼でき、なおかつ緊張感あふれるチームでした。

──音楽を担当された森俊之さんとはちょうど2年前、神戸・旧グッゲンハイム邸のイベントでご一緒されていますね。森さんが『カリガリ博士』(1921)に生演奏をつけるという企画でしたが、それが本作へとつながったのでしょうか?

森さんには、映画音楽をお願いしたいとずっと狙っていました。いま思うと、あのイベントは一種の実験というのか(笑)。森さんと映画との接点を見たくてお呼びして、そこで確信を持てました。今回、音楽はいつもお願いしている勝本道哲さんと森さんとの共同担当でしたが、僕らにとって「ピアノと弦」は鬼門だった。なかなか難しいんですよね。それがまたひとつ、大きな力を得られました。

──そういえば、二階堂さんが生まれた1994年前後は、石井監督が女性を描いていた時代でした。『エンジェル・ダスト』(1994)や『水の中の八月』(1995)。そして『ユメノ銀河』(1997)。時代が巡って、女性の描写も変化していると感じました。柔軟で、軽くなっているような。

自分がそのとき出来ることや撮りたい題材と、それを現実化してくれる俳優とスタッフたち、賛同してくれるプロデューサーという総体が一作ごとに変わって作品が生まれる。一本撮るたびに、それが軽くなっているとは思いますね。そのとき気になっていることを映画にするので、『エンジェル・ダスト』や『水の中の八月』、『ユメノ銀河』は、そこで描かれていたものが当時の自分の最大の関心事であり、出来ることでした。それをやって見えたものはたくさんあります。自分のなかで、あるいは俳優さんや観客との関係のなかでも見えてくる。いま振り返って、すべてが大事だったと思えます。たとえ激しい作品をつくっても、その後の静的な作品のどこかに反映されるし、『蜜のあわれ』のあとに激しい作品が来るとしても、それはそれでまた反映されると思うんですね。そのときにしかつくれないものをつくる。それは私ひとりだけではなく、演じる俳優、スタッフ、そしてサポートしてくれる人や「見たい」と言ってくれる観客の方との共同作業の結果でもあるので、そのなかでベストなものが生まれるんでしょうね。

(2016年3月29日 大阪にて)
取材・文/ラジオ関西『シネマキネマ』吉野大地

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