ラジオ関西「シネマキネマ」インタビューWEBSPECIAL / CinemaKinema

『永い言い訳』 西川美和監督インタビュー

©2016「永い言い訳」製作委員会

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自らの小説を映画化した西川美和監督の新作『永い言い訳』が全国で公開されている。妻を事故で亡くした小説家が自己の内側に直面するまで、そしてその季節の巡りを約10ヶ月の時間をかけて、スーパー16㎜で丹念に撮影した作品だ。現在の日本映画では稀な制作スタイルを採った本作について、監督にお話を伺った。

 

──プレスシートによると、本木雅弘さんが演じる主人公・幸夫は、自意識などの点で監督と似通ったところがあるとか。その点からお聞かせください。

そうですね、私に近いと思います。自意識の高さもあるんでしょうけど、泣かなきゃいけないときに泣けなかったり、みんなが楽しそうにしているなかで、ひとりだけ「うーん、どうなんだろう……」と思っていたりする。そのような「感受性のズレ」みたいなものを感じやすい部分があるんですよね。自分自身がそれに手を焼いてもいる。「なぜ、いま楽しいと思ったの?」と、人とコミュニケートするのではなく、ズレそのものを抱えることが、もしかしたら自分に言葉を書かせているのかなとも思うんです。いつの間にか私も物語をつくる仕事に就きましたが、「小説家」という職業面と、パーソナルな部分でも主人公に近い部分がありますね。

──違和感を内在化させたキャラクターと言えるでしょうか。その主人公たちをフィルムで撮影しています。前作『夢売るふたり』(2012)はデジタル撮影でしたね。

『ゆれる』(2006)、『ディア・ドクター』(2009)までは35㎜。『夢売るふたり』で初めてデジタルを使って、今回はスーパー16㎜フィルムです。

──ふたたびフィルムを選択された理由は?

原点回帰したいと思いました。私が初めて映画の仕事に就かせていただいた作品が、是枝裕和監督の『ワンダフルライフ』(1999)。90年代後半は、多くの自主制作映画が低コストでつくれるという理由から、スーパー16㎜と小さめのカメラを使っていました。少人数で機動性の高い環境で助監督をやってきて、監督デビュー作の『蛇イチゴ』(2002)もスーパー16㎜で撮りました。その後、映画を撮るなかで35㎜の大所帯も経験したし、時代の流れとともにデジタル撮影も経験しました。デジタルのほうがいろんな面で便利ですし、フィルムの質感にも近くなっている。「もうフィルムなんていらないんじゃないか」という時代に入ってきて、自分がフィルムで撮る機会は二度と無いかもしれないと思ったんです。ラストチャンスかもしれない。だとすれば一度、最初のポジションに戻ってみたかった。それで「16㎜で」と提案したのですが、本作は四季を通じての長期間の撮影が必要で、予算面で人数を最小限に絞りたいと考えていました。それから、物語の軸にあるのは演技経験のほとんど無い子供たち。彼らを見ていて、「いま撮れますか? 撮っていいですか?」と感じたときに、ドキュメンタリー的なアプローチが出来るかもしれない。そのふたつの理由から、いろんなことが整った大所帯の撮影体制よりも、「ここで手持ちでカメラを担いで、子供たちを追いかけてもらえますか?」「よし回そう」という動きの取れる体制にしました。そのために小型機材のスーパー16㎜を使い、なおかつ映画やテレビドキュメンタリーを多く撮ってこられた山崎裕さんに撮影をお願いするのがいいだろうと思っての判断でした。

──実は初めて予告編を拝見したのは、ノートパソコンの小さな液晶を通してだったんです。それでも色味から、すぐにフィルム撮影だとわかりました。

デジタルの作品がほとんどになっていますから、質感に差を感じられるようですね。試写でご覧になった方からも、「画面にノスタルジックな風合いや柔らかさ、体温のようなものを感じる」とおっしゃっていただく機会が多かったんです。私が期待した以上に、16㎜フィルムが持つ粒子が出て、光の柔らみが再現されていました。デジタル作品が多いだけに、そうした映画らしさが際立って見えるのかなと思います。

──撮影にあたって、山崎カメラマンとはどんな相談や打ち合わせをされたのでしょう?

©2016「永い言い訳」製作委員会

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山崎さんとは、何だろう……、何を話したかしら(笑)。そんなに打ち合わせはしていないんです。でも、基本的にどのようなスタイルで撮られるかは、私もよく知っていました。大前提として自然光をベースにされる。部屋のなかで撮るときも、照明機材をどんどん入れるのではなく、実際にある光源──たとえばスタンドがひとつある部屋であれば、そのスタンド──を利用するし、俳優が照明機材をまたいでお芝居をしないといけないような状況にしない。自然に、生活空間にいるままの動きでお芝居が出来るライティングをしてくださる方なんですね。そういう認識があったので、打ち合わせらしい打ち合わせはしていないんです。けれども、セリフや動きがきちんと決まった芝居の部分と、どう動くかわからない俳優たちを手持ちカメラで追う部分との落差が出ないほうがいいなとは考えていました。やはり山崎さんがどちらもこなせるカメラマンだからこそ、その両方が自然に成立しているんでしょうね。

──本木さんは、ほとんどのシーンに出ておられますよね。特に展開の鍵となるシーンの最後に、カメラが引くことが多いように感じました。

そうなんですよね。私の習性として、感情が動くときにポンと引きたいというのがあって。たとえば、トラックドライバーの陽一に、幸夫から初めて連絡を取る場面。少し照れくさそうにしながらも自ら電話をかける場面で、寄りで話している内容を聞かせるよりも、ポンと引いて彼の表情や動きを遠くから見る。そうすることで、何か生活が変わるような活力の芽を見出した幸夫への観客の想像力が膨らむ気がして。聞こえない音を想像したり、見づらいものを目を凝らして見るほうが、観客の感性をより刺激できると思ったので、その都度、山崎さんとレンズを相談しながら画をつくっていきました。

──引きの画は、幸夫の持つ孤独もあらわしていますね。そうした画づくりを含めて、西川監督の助監督時代の経験が活きた作品だと感じます。先月、横浜で助監督時代の同期である大崎章監督との対談がおこなわれました。おふたりは、諏訪敦彦監督作『M/OTHER』(1999)で助監督をつとめておられます。

そう、色々と思い出話をしましたね。

──ぜひお話を伺ってみたい企画でしたが、当時得た経験で、本作にも活かせたことがあればお話し願えますか?

©2016「永い言い訳」製作委員会

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いま振り返ると、当時はかなり自由な撮り方をする方が多かった気がしますね。低予算でしたが、映画界全体が傾いていたので、いい意味で現在ほど映画=ビジネスとして「何が何でも成功させなければ」と思っていない空気がありました。私が就いた作品には、ビジネスよりも「誰もしていなかったことをしたい」という作り手が多かった。実験的な演出をされる是枝監督や諏訪監督のような人に就かせていただいたのは、大きな経験になっていると思います。時代も変わりましたが、「挑戦をしなければ新しい映画をつくる意味は無い」と思ってくれるスタッフが、当時の流れから仲間におりますし、本作でもたとえばシーズンを追っての撮影は、それだけで予算が膨らむ。「ひと月半で撮れないの? 夏の海や紅葉だけあとで撮りに行って、あいだに挟めば撮れるんじゃないの?」という意見をはね返して、長い期間、少人数体制で少しずつ撮っていくプランを、昔からやってきたスタッフゆえに理解してくれた部分も大きかった。「細かいところにこだわって、それで新しいことが生まれるのであれば、まあやってみよう」。そういう気構えのある仲間たちとつくれたことが幸せだったと思います。山崎さんもですし、照明をつとめてくれた山本浩資さんも、『M/OTHER』でご一緒した人。だから、「イレギュラーなことも大目に見て、ゆっくり構えてやりましょう」ということが、私が90年代のインディペンデント映画の現場で得た経験です。「あのときの、あれみたいにね」と言えたのは、その経験があったからなんでしょうね。

──90年代的な制作スタイルで描かれた物語の現代性についてもおきかせください。中盤にある、海辺で深津絵里さん演じる夏子を捉えた美しいショットは、「3.11」を意識されたのかなと感じたのですが、いかがでしょう。

自分のなかで震災を喚起させようという意図はなかったんです。そう感じられたのは、どうしてですか?

──死者と、押し寄せる波からそういう印象を受けたんです。

私がプレスシートに、「作品づくりのきっかけになったことを震災の年に思い付いた」と書いていますが、それとは別に感じられたんでしょうか。

──はい。ショットに対する斜め読みではありますが……。

でも、日常というものがいつ途切れるかわからない。戦争を知らない時代に生まれ育った人たちは、話では聞いていても、生活が一瞬で無になることにこれほどまでのリアリティがなかったと思うんです。それが、政治や戦争というイデオロギーと違う次元でも、やはり2011年から明らかに「いつ無くなるかわからないこと」へのリアリティを持ったと思います。私は被災していませんし、大事な人を震災で直接亡くした経験も無いですけれど、本作が2011年以降にしかつくられなかった物語であることはたしかだと思います。

──さらに物語の核心に関してですが、ラストに幸夫が「他者」をめぐる言葉を手帳に書き記します、映画もまた他者のメディアではないでしょうか?

©2016「永い言い訳」製作委員会

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本当にその通りですね。今回は先に小説を書いて、それはたった独りの作業で、とても自由であると同時に孤独でもある。「ああ、自由と孤独は同義語なんだな」とつくづく感じ入ったんですが、物語自体もいろんな人と自分が関わってこなければ、ひとりの人間の描写も出来なかったですし、その関わりのなかで傷つけたり傷つけられたりということがあったからこそ、展開やキャラクターも書けた。そういうことから「他者」を意識したし、孤独な作業も、「書き上げた先には、またどこからか仲間が集まってきて、映像化するために一緒に同じ舟を漕いでくれるからがんばろう」と思えたんですね。映画はうまくいかないことの連続です。人が関わるからうまくいかない。でも、人が関わってくれるからこそ本木さんも、深津さんも、子供たちも、私だけの物語では出来ない飛躍をしてくれた。マジックが起こるんですよね。この歳になって、重荷だと思っていたことが楽しさに変わりつつあるなと感じています。

──では最後に余談として、本のことも。夏子の読んでいた本として、レイ・ブラッドベリの短編集『バビロン行きの夜行列車』の文庫版が画面にうつります。監督のアイデアですか?

スタッフがいろいろと候補を挙げてくれて、「海外文学がいいだろう」とか相談しながら決めました。あの本を使うことで、夏子が読書家であったり、幸夫の小説の身近な理解者だったことも伝わるんじゃないかと思って選んだんです。

──ふたりの関係を見ていく上で大事な小道具ですし、ストーリーテラーの西川監督らしいセレクトだと思います。今日はありがとうございました。

(2016年10月 大阪にて)
取材・文/ラジオ関西『シネマキネマ』吉野大地

10月14日(金)全国ロードショー/配給:アスミック・エース
映画『永い言い訳』公式サイト
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