インタビューWEBSPECIAL / INTERVIEW

『SHARING』 篠崎誠監督インタビューPart2

→篠崎誠監督最新作『SHARING』
2017年5月12日(金)〜16日(火)

篠崎誠監督作『SHARING(シェアリング)』が、いよいよ5月12日(金)より神戸映画資料館で上映される(京都シネマでは13日より)。幾何学的な構造を持つ大学を舞台に、ヒロインの夢と現実が混在しながら展開するストーリーが描き出す「311以降」の東京。
前回に続くインタビューでは、創作イメージの源や、フィクションに宿るリアリティ/篠崎監督が社会から感じ取るリアリティなどについて語っていただいた。

 

──最初の劇場公開から1年強。ソフト化も配信もなさらずに、今後も各地で上映が続きます。これほど長い上映活動を、当初から想定しておられましたか?

ここまでとは考えていなかったので、本当にありがたいですね。完成からは、ほぼ3年経ちます。劇場公開するまで2年間待たなければならなくて、振り返るとプレッシャーでもありましたが、ひょっとするとその間に、『SHARING』という映画の存在が映画好きの方に少しは浸透したかもしれません。そう考えると、待っていてよかったのかなという気もしています。

──あらためて、スクリーンに映画をかけることへのこだわりをお話し頂けますか?

子供の頃にはテレビの洋画劇場で、自分が生まれる前のモノクロ映画なども放映していました。無作為にいろんなジャンルのものを見た影響は大きかったですね。それで映画に興味を持ち始めて、小学4~5年生の頃かな、今年閉館してしまった、近所にあるニュー八王子シネマ(当時はニュー八王子映劇)という映画館に、お小遣いを握り締めて行き始めました。すると、家のテレビと比較にならないくらい大きく映画が映る。当たり前ですがそれに驚いたし、最初は言葉がわかんないし、おまけに文字(日本語字幕)が出てくるんだけど、早すぎて全く読めない(笑)。知らない漢字も多いし(笑)。でも、場内が暗くなりスクリーンが開くとワクワクして、高校から大学時代は映画館通いが続きました。
大学時代にレンタルビデオが普及し始めましたが、それでも一泊1200円とか高額だったので、映画館で観るしかなかった。大学を卒業して映画館に勤めた経験もすごく大きいですね。先日も渋谷のユーロスペースの舞台挨拶でそんなお話をしましたが、渋谷の映画館・シネセゾン渋谷に勤めました。単館系のミニシアターで、お客さんがニコニコしながら出てくるのを見ると、とても嬉しい気持ちになりました。自分が上映を決めたわけでもないのに(笑)。お客さんから話しかけられることもありましたね。自分自身もひとりのファンとして通い続けたこととも重なりますが、映画館で観ると「体験」になるんですね。
たとえば映画の撮影現場が、生まれも育ちも年齢も違う人たちが集まり、そのひとときだけ気力と体力を尽くして撮るように、映画館のお客さんも「一期一会」なんです。100人の観客がいたら、その100人がもう一回集まることはもう二度とない。大袈裟にいえば、生涯にたった一度の体験なんです。僕のなかでは観ることと作ることが、スクリーンを介して「対の体験」としてあります。いまだに自分の作品が公開されると、何回かはお客さんと一緒に観るんです。笑いが起きたり、いろんな反応をしてくださったり、息を吞むような雰囲気が伝わってきたり。そういうことが自分にとっては何よりも大事です。
そうそう、昔はロードショーも入れ替えじゃなかったんで、気に入ると同じ映画を続けて2度観ることも出来ましたよね。以前、黒沢清さんとお話ししてて、全く同じで笑ってしまったんですが、1度目は普通に見ていて、ショックシーンが出てくると当然驚きますよね。2度目は、ちょっと余裕も出て来るので、「くるぞ、くるぞ」と思いながら、今度はまわりの反応を楽しむ。で、周りの人がビックリして声あげたりすると、自分が監督したわけでもないのに、「どうだい?」って得意になったりして(笑)。今風の言葉でいうと暗闇の中で「ドヤ顔」になるわけです。ひょっとすると、あれが監督になりたいって思った原点かもしれないですね。「どや?」って(笑)。
僕も好きな映画のDVDは買いますし、テレビでも観ますが、それは映画館で観る体験とは少し違う気がするんですね。だからやっぱり自分の作品は映画館で上映することを考えるし、編集もスクリーンで観せることを前提にしています。編集機の小さなモニターだけではわからないことが実はたくさんあって、今なら一度ブルーレイに焼いて、それをスクリーンに映してみる。すると、モニター上でつないで「遅いかな」「もう少し切ろうかな」と思っていたところも、多くの情報が伝わって色んなところに目がいくので、逆に「これだとテンポが少し早過ぎる」と気付いたりする。出来上がったものを、大きなスクリーンに映して自分自身で観る。それはお客さんに届ける上でも大切なことですね。

──音もまったく違いますしね。

ええ、まったくおっしゃる通りです。音の拡がりって本当に劇場ごとに違うんですよ。『SHARING』は特に音づくりに時間をかけたので。あの風の音とか映画館じゃないと再現できないんです。ヘッドホンでもダメですね。包み込まれる感じにはならない。
それと、うろ覚えでいい加減な引用はいけないですが、反射光と投射光とでは入ってくる情報が違うという説があるらしいですね。スクリーンに映し出された光から伝わるものって、小さなモニターで見るものに似ているけど、ちょっと違っているのかもしれない。脚本を書くときに、いまだにモニター上だと読み込めないんですよ。必ず誤字脱字があったり、細かいことが頭に入ってこなくて、一度は紙にプリントアウトするんです。すると自分のなかに入ってくる。紙は反射光で見ているわけですよね。「そんなに違うの?」と言う人に対しては、「太陽をずっと見ていると失明してしまうかもしれないけど、月は優雅でいいでしょう」という話をするんです。(笑)。映画館で観るのは、月見と同じで反射光で見ている。映画を映画館で観るのは月見と一緒なんです。そう説明すると、なんとなく納得してくださる。「風流でいいね」という反応もあるので、最近はそう言うことにしています(笑)。

──わかりやすい喩えです(笑)。さて、『死ね!死ね!シネマ』(2011)、『あれから』(2012)、そして本作と、女性が主人公の物語が続いています。何か理由があってでしょうか。

自分自身が男性で、同世代の主人公を考えると、何か疲れてしまうんです(笑)。歳を重ねて身体のあちこちにボロが出て、上司と下の世代に挟まれて精神的に追い込まれることもある。気がついたら中間管理職の立場にいて、ちょっと疲れるせいもあってか、男性で物語を発想すると、あまり面白く転がらないんですね。同時に、女性は自分にとって全然わからない存在で、映画はわからないものを描いたほうが面白いとも思う。他者を通して、物の見方や価値観が変化するほうがいい気がするし、映画には他者が必要だろうという思いもありますね。
ここ十数年、大学の映画の授業でワークショップをおこなっていて、今は圧倒的に女性が増えている。女子のほうがやる気があって、男子は少し影が薄いですね(笑)。男って社会に対してどこか言い訳を考えていたり、立場だとかつまらないプライドにこだわっていたりする。それは自分にも当てはまるのかもしれませんが(笑)。でも女性は、人にどう見られているかとか、社会的な立場を無視しているわけではないのに、体験や自分のなかにある歓びに基づいて行動している人が増えている印象がある。それもあって、ここ数作は女性を主人公にしています。本作も設定は二転三転しましたが、最初から決めていたのは、少し年齢差のあるふたりの女性を主人公にすること。それは共同脚本の酒井善三君と話していました。

──ヒロインのひとり、社会心理学教授の瑛子を演じた山田キヌヲさんのキャスティングまでの経緯を教えていただけますか?

山田さんは、本作の製作前に、当時ユーロスペースの下にあったカフェ・テオでたまたまご挨拶したのが出会いでした。ちょっと話は横道にそれますが、ここはすごい場所で、“テオ”ってテオ・アンゲロプロスの“テオ”じゃなくって、レオス・カラックスの飼い犬の名前からとったそうなんですが、普通にキアロスタミが加瀬亮さんやスタッフと打ち合わせしていたり、そこにヴェンダースが通りかかってキアロスタミに挨拶するなんてことも(笑)。あと、カラックスが喫煙コーナーで煙草吸ってたりして(笑)。もう今はなくなってしまったんですけどね。ビールやワインも飲めたので、僕もよく黒沢清さんとか高橋洋さんとお茶したり、アマンダ・プラマーさんや『リヴァイアサン』を監督したルシアンとヴェレーナとか海外から来た方々をお連れしました。三宅隆太さんや三宅唱君、深田晃司君なんかともよく会いました。いろんな人と偶然出会える良い空間でした。そこで誰かとお茶をしている時に、ユーロスペースで『なにもこわいことはない』(2013)の舞台挨拶を終えた山田キヌヲさんと斎藤久志監督がいらして、斎藤さんに紹介していただきました。本当にご挨拶だけでしたが。そのあと山田さんの舞台公演があることを知って、観に行ったんです。それが素晴らしくて。演技もですが、カーテンコールで客席に向かってお辞儀をする、素の表情が印象的で、「私を見て」という女優オーラではなく、「今日に観に来てくださって本当にありがとうございます」って、観客に対する感謝とこの時間と空間を共有出来て嬉しいって気持ちが物凄く伝わってきて、「この人は人間的にもちゃんとした人だな」という直感が働きました(笑)。「信頼できる方だ」と。直感は当たりました。それで出演をお願いすると、非常に熱心に取り組んでくれまして。
僕も大学時代は社会心理学を専攻していたのですが、同じゼミの先輩が現在は立教大学で心理学の教授になられているので、その方に二人でお話を伺いに行ったり、役を引き受けてくださることになったときに、マネージャーの方から電話で「山田がもんじゅを見に行きたいらしいのですが、しばらくリハーサルなどは無いでしょうか?」と連絡を頂いた。実際に一人で深夜バスに乗って、真冬のもんじゅを見に行かれたんです。本人は謙遜して、「不安な要素を少しでも残したくないから、出来ることはやりたい」とおっしゃっていましたが、それくらい自分のやることに対して真摯に向き合うし、そうした心構え、事前の準備もさることながら、あまり決め込みすぎず、相手役と反応しながらつくられていった瑛子という役は、山田さんでないと出来なかったと思います。
撮影後かな、「この映画をいちばん理解しているのは監督ですが、瑛子が感じた希望と不安をいちばん理解しているのは私だと思います」という──そういう書き方ではなかったかもしれませんが──内容のメールをもらいました。僕は監督して脚本も書きましたが、僕以上に瑛子がどんな人物で、映画のなかで描かれる彼女の体験を、想像力を駆使して実感していたのは山田さんだと思います。だから本当に、「山田さんでよかった」としか言い様がないですね。

──そしてもうひとり、樋井明日香さんが演劇に打ち込む学生・薫を演じています。

樋井さんとはオーディションでお会いしました。大阪出身ですが、彼女自身も東日本大震災のときに忘れ難い経験をしている人です。一方で、同世代の人たちと演劇をやろうとしていたり、映画をつくろうとしていたんですね。出来れば物語同様に、同世代の人と演劇に励んでいる人がいいなということも含めてお話しさせて頂きました。最初に、物語の後半にある舞台のシーンをやってもらうと、それこそ客席に向かって声を張るような芝居でしたが、「もう一度、いま目の前にいる僕に向かって、同じセリフを言ってもらえますか?」と頼んだら、ガラッと変わったんです。つまり自分で「こういう言い方だ」と決めつけるのではなく、相手に応じて柔軟に演技を変えていくことが出来る。それがよくわかったので、是非お願いしたいと思ったんです。

──その瑛子と薫が研究室で議論するシーンは大きなみどころですが、正面からのアングルで、サイズを大きくしながら切り返していきますよね。洗練とは対極にあるとも受け取れる技法です。敢えてこの撮り方を選ばれたのは、なぜでしょう。

俳優がレンズを見てカメラ目線で芝居をするのって、映画では鬼門ですよね。ベルイマンもよくやりますし、ヒッチコックのような巧い人が決め打ちでやると素晴らしいですが、僕は本来、カメラを意識させるアングルに置くことはあまり好きではない。ましてや、正面からレンズを見ながら喋るのって、今までなら絶対やらなかった気もするんです。今回はそれを愚鈍にというか、初めてといっていいくらい「真正面からでいい」と思ってやってみました。その理由は自分でも整理がつかないんですが、「もうここは真正面からの切り返しでいいんだ」と。よく観ていただくと、途中までは視線がどちらかに外れていたり、少し斜めからの切り返しで横顔も撮っています。それがある瞬間から真正面にいく。自分を精神分析したことがないのでわからないですが、何か確信のようなものがあった。
先日、大好きなジョナサン・デミが亡くなって、ここのところ勝手に「追悼」と称してデミの映画を集中的に観ているんです。すると、撮影時はすっかり忘れていましたが、『羊たちの沈黙』(1990)で、クラリス(ジョディ・フォスター)とレクター博士(アンソニー・ホプキンス)の真正面からの切り返しが結構あるんですよね。ふたりの芝居が強まるところはいいけど、最初は脇役のカメラ目線が気になってしようがなかったのも思い出しました。『クレイジー・ママ』など、すでに初期作品でもここぞという時にカメラ目線で芝居を撮っているんですが。デミが90年代以降、特に意識的にそれをやっていたことを再認識して、もしかして無意識的に影響されていたのかもしれないと思いましたね。「デミのような人でもやるんだから、失敗してもいいからやってみよう」と、脳の奥底で考えたのかもしれません。

──あのシーンの、ふたりのセリフについてもお話し願えますか?

あそこで瑛子が薫に話す言葉は、実は瑛子が過去の自分に向けた言葉でもあるんですよね。他者に向けた言葉が、自分自身にはね返ってくるということでもあるのかもしれない。それは理屈で考えたものでなく、実際に現場でふたりの演技を見ながら、あるいは編集しながらそう思ったんです。瑛子は若い薫を救おうとしながら、自分も救おうとしている。僕は普段あまりセリフの言い方までは指示しなくて、むしろ俳優が持っているものを大事にしたいのですが、あのシーンだけは樋井さんに「もっと早口で。もっと畳み掛けるように」と結構執拗に言いました。でも、なぜそう言ってもらおうとしたのかは、やっぱり直感としか言い様がないんです。インタビューを受けると、あとから理屈づけて話してしまいますが、その瞬間は無意識や直感、そして目の前で起こっていることに反射して言っているだけなんですね。演出という大げさなことではなく、俳優たちに影響を受けて、芝居を見ながら「もっとこういうものが見たい」と反射しているだけのような気がしています。

──創作においては無意識や直感が重要ということでしょうか。

脚本を書いている段階もですが、自分の頭だけでひねくり回したものって面白くならない。今は酒井善三君と一緒にやっていますが、他者が必要なんですね。脚本家以外にプロデューサーでもいいですが、他者から言葉を投げかけられて、そこで色々考えているうちに脳の深いところが刺激される。それが、シナリオが設定や物語を超えて動き出す瞬間なんじゃないかと思っているので、演出で「ここからここまで動いてください」とか、カメラのサイズを指示してうまく撮れたシーンも、実はたいして面白くない。そうじゃなく、僕の言葉を受け取った俳優や技術スタッフが、違う形でこちらへ投げかけてくれたときに、ようやく映画が面白くなる。そうして無意識が総動員されないと、映画としてはやせ細ってしまうんですね。

──今回、シナリオを書くときに過去の映画からイメージを膨らませることはありましたか? ロバート・アルトマンの作品をご覧になられたそうですが。

『あれから』でも共同で脚本を書いた酒井君と、前作は登場人物が少なめの物語だったので、その反動もあって、「今回は群像劇にしたいね」と話していたんです。ふたりの女性主人公を主軸にしつつ、さらに色々な人に関わってほしくて、演劇グループも登場することになって、「群像劇といえばアルトマンだよね」という話もしました。でも実は僕は、脚本を書くときにあまり映画を観直したりしないんです。出来事や、人の実体験を取材することはあっても、過去の映画を参照してホンを書くことはまずやらない。ただ「群像劇ってどういう形式になっていただろう?」と、酒井君と一緒にアルトマンの作品を十数本観てみた。すると「すごく面白いけど、まったく参考にならないよね」って(笑)。

──それはどういうところでしょう?

「面白いけど、これはハリウッドだから出来る映画」という印象でした。そうはいっても2本だけ引っ掛かる作品があって、それが『イメージズ』(1972)と『三人の女』(1977)。どちらも女性の感情のヒダの奥に入っていくような、通常のドラマツルギーと異なる歪な構造に惹かれました。群像劇のスタイルよりは、そこで描かれている訳のわからなさ──あるとき突然世界が歪んで、今まで見えなかった何かが一気に視界に浮上してくるような──が面白いなと思った。『イメージズ』は元々大好きだったし、今回はドッペルゲンガーを中心に描こうと決めていたこともあって観直すと、かなり危ない、今風に言えば「ヤバい」映画でしたね。こちらの精神が不安定になりそうなほど怖くて、映像が持つざらつきのようなものにも惹かれました。とはいえ、脚本を書く上で参考に出来るかというと出来ない。刺激されて僕らのなかから出てきたものもあるとは思いますが、あんな映画はつくれないですね。アルトマンにしかつくれない。

──女性の不安定な精神状態や分身をモチーフにしている点で、本作にかなり通じているようにも感じます。『三人の女』はラストだったでしょうか、夢についての印象的なセリフもあります。

いやいや、『イメージズ』や『三人の女』の異様さに比べれば、『SHARING』はお子ちゃまだと思いますよ。「この人はいろんなことを見聞きして生きてきたんだろうな」と強く感じるし、アルトマンをアダルトな映画だとすると、僕らのは、まだまだよちよち歩きの、可愛い映画だと思います(笑)。

──(笑)。では、「311以降」をフィクションで描くことについて伺えればと思います。『あれから』に続き、今回も被災地ではなく東京を舞台にしています。

映画は想像でつくるものだけど、自分自身が経験してないことを想像だけで書くのはやはりとても難しいなと思う。宮城や岩手や福島を舞台にした映画を、僕はまだ撮れない。東京に暮らしている人を主人公にした物語にしか想像力が及ばなくて、今はそういう形でしかつくれないですね。将来的にはわかりませんが……。やはり実際に、その地で生活している方々でないと描けない映画が出てきてほしいという思いはずっとあったのですが……。本作に出演している河村竜也さん(青年団)は、自分でも演劇ユニットを結成して、いろんな場所でワークショップを開いています。彼からこんな話を聞きました。震災当時は小・中学生だった福島出身の子どもたちが、今は10代後半で高校生や大学生になって、震災をテーマにした芝居をつくっているそうです。それはぜひ観てみたいですし、本当に素晴らしいことだと思います。

──「311以降」を映画にする上で感じていたこと、いま感じておられることは?

ここ数年間感じていた様々な思いを反映しているとは思いますが、「いま自分がこう感じているから、それをこのシーンに入れよう」ということでもないんです。頭で考えているだけではシナリオは書けないし、面白くならない。自分が蓋をしようとしているものを描いたり、あるいは50代半ばの自分とかけ離れた女性や若者を登場人物にすることで、初めて僕のなかの何かがあぶり出される。
「311」そのものをテーマにしようと決めて、ここ数作を制作しているわけでないけど、やっぱりそこから離れられない自分がいます。一方で、僕もどこか意固地な面があって、「また次も『311』を描くんですか?」と言われると、カチンと来るんです。「311以降」は流行り廃りではなく、このあと何十年先も続くわけですよね。これからずっと3.11以降だろう、と。この数年の世の中を見ていると、自分が考えていた以上に嫌な方向に動いていて、むしろ震災直後のほうが、人が他者への想像力を発揮して、自分と違う環境にいる人たちに思いを馳せていたと思うんです。それが最近は、他人をはなから理解できないものとしたり、場合によっては自分と少しでも違う者をすぐに排除する。日本だけでなく世界規模でそうなっているようで、すごく気になることですね。だからと言って、そのような社会に対する目線だけで映画はつくれない。
僕は社会学者でも政治家でもないので、社会問題を核にした映画を撮ろうと思っているわけではないんです。語弊があるかもしれないけど、映画として面白いものを撮りたい気持ちがあって、そのなかで自分の経験や関心が混じり合っている。僕はそこが下手で、本作にもそういう心境が生のまま出ているかもしれないですね。『SHARING』はギクシャクした、バランスの悪い映画だと思っています。娯楽映画として、観た人全員が納得して「ああ面白かった」と劇場を後にする作品ではないかもしれない。でも「わかる人だけわかればいい」というアート映画をつくったつもりもありません。面白さを追求したい思いと、自分では抑え切れない感情だとか、社会に対する思いや不安──僕にも家族がいて父親でもあるので──が混ざった作品だと思うんです。映画としての面白さだけや、社会的な問題だけを取り上げるというふうには割り切れなくて、ふたつが歪に共存した状態なんです。欲張っているわけではなく、その両方がないと映画を作り辛い。そう感じています。

──その面白さを追求するために、ヒントになったものはありますか? 以前、Twitterでヨーロッパのプログレを好きな方に観てほしいと書いておられて、実際に映画を拝見して、反復構造などにプログレに似たものを感じました。

高校1年生のときにつくった8mm映画で、すでに予知夢とドッペルゲンガーを扱っているんですね。『悪魔の虚像』というオリジナル企画の、20分くらいの映画でした。本作の脚本を書き出す前あたりまでは、そのことも忘れていたんですが、『あれから』のあとに、別の角度からもう一度、「311以降」や今の暮らしをひっくるめた日本の一面を撮ろうとしたとき、自分の考え方だけでは頭でっかちな映画になってしまうと思った。じゃあ自分が十代の頃に面白いと感じていたものは何だろうと考えたときに出てきたのが、ドッペルゲンガーや夢だったんです。
その頃はボルヘスやカフカ、内田百聞などの、どこからどこまでが夢なのかわからない、もしくは夢もあたかももう一つの現実のように書かれた小説が大好きでした。高校時代はそれ以上に、レコードに針を落とさない日は無いくらい、学校から帰ると部屋を薄暗くして、延々と音楽を聴いていましたね。ピンク・フロイドやキング・クリムゾンもですが、スロッビング・グリッスルやアート・ベアーズ、ヘンリー・カウ、この前のライブに2度行ったスラップ・ハッピー、それにCANやグル・グル、DAF、クラウス・シュルツェ、コーマス、タンジェリン・ドリーム、ニュー・トロルス、ゴブリン、アトール、ユニバゼル・ゼロ、ラルフ・ランゼン、デヴィッド・ボウイ、イーノ、ポポル・ヴー、今回の映画で引用したCRASSなどの得体の知れない音楽を聴きながら、頭のなかでこれから自分がつくる映画のワンシーンを妄想しているような暗い少年でした(笑)。でもその頃に立ち戻った感覚があったのかもしれません。
本作の音楽は、『死ね!死ね!シネマ』に続いて、長嶌寛幸にお願いしました。普通の映画音楽は完成したあと、ショットごとに「こことここに入ります」と合わせてもらいますが、それだとつまらないので、まずシナリオを読んでもらって感想を訊くと「面白かった」と言ってくれたので、じゃあ一回会って話そうと。そこで僕が思いの丈を語って、「シナリオの感想と、僕の今の話から妄想を膨らませてクランクイン前に曲を書いてほしい。そうすれば、それを現場でも流しながら演出できるし、逆に曲に合わせて編集を変えてもいいから」と頼みました。するとクランクイン前に20分くらいの、それこそクリムゾンの『太陽と戦慄』じゃないですが、「A面1曲」みたいなすごい曲が上がってきたんです(笑)。いつ果てるとも知れない旋律が延々と続いていました。それを聴いて、こちらも盛り上がったんですよね。「これで出来る」と思いました。実際、山田キヌヲさんのクライマックスシーンでは、本番直前までテストでその曲を流して、曲調に合わせて彼女に歩いてもらったり、窓辺に近づいてもらう芝居を繰り返しました。この映画で一番最初に出来上がっていたのは長嶌の音楽で、その意味では音楽とのコラボーレーションが最もいい形で成立した作品です。

──CRASSはイギリスのハードコア・パンクバンド。その歌詞を引用しておられますね。

劇中、教室の板書として「JESUS DIED FOR HISOWNSINS,NOT TIME!」という言葉が出てきます。あれはCRASSの楽曲『アサイラム』の歌詞の一節をそのまま引用したものです。パティ・スミスじゃないんです。それも十代の頃の感覚の反映かもしれないですね。あとは諸星大二郎さんや山岸涼子さん、大島弓子さん、倉多江美さんなど、高校時代に熱中して読んでいた、心理的な要素が入り交じった漫画。それらの大好きで影響を受けたものが、「ここを意図的に引用してやろう」という狙いではなく、素直に出てきたようにも思いますね。

──終盤の夜桜のシーンは、映画からの影響でしょうか?

夜桜は、特に映画からの影響ではなく、自分の原風景なんです。八王子にある実家が鰻屋を経営していて、親父はもう20年近く前に亡くなりましたが、健在の頃は毎年シーズンになると、店を早じまいして、従業員の方を全員連れて夜桜見物に行っていました。僕はまだ小さい子供でしたが、桜の樹の下で、親父たちが店にいるときとは違うリラックスした表情で過ごしていた姿をふっと思い出すことがあって。その光景が記憶に深く残っているようです。だから夜桜は、坂口安吾などの文学的な着想や、鈴木清順監督の『けんかえれじい』(1966)といった映画ではなく、物心がつくかつかないかの頃に、父親の膝の上に乗って見上げていたときのイメージ。最近、「あ、ひょっとしてこれなのか」と思いました。

──『あれから』公開時にも、震災直後の花見の自粛についてお話しした記憶があります。花見は監督の原体験のひとつなんですね。

実は最近も、『あれから』と『SHARING』の合同花見を開催しようと、両方の作品に「大輔」役で出演している木村知貴さんが幹事になって、僕も朝から場所取りに行ったんです(笑)。『あれから』チームは主演の竹厚綾さんはじめ、俳優部がみんなお忙しくて、なので、今年は『SHARING』チームでまずやろうと。一緒に花見を楽しみました。大輔の結婚式シーンで花嫁を演じた太田美恵さんがチラッと顔を見せてくださって。本作に出て来た少年の子をはじめ、お子さんの参加もあったので、花見はお昼の時間帯にして、早めに有志で焼き鳥屋に移動しました(笑)。残念ながら夜桜見物ならずで。4年前に『あれから』を大阪のシネ・ヌーヴォで上映していただいた際に、初日に景山代表と山崎支配人に造幣局の桜の通り抜けに連れて行ってもらって、久しぶりに夜桜を見てお酒を呑む非常にありがたい時間を過ごすことが出来ました。やっぱり夜桜はいいなって。先日の舞台挨拶で集まったキャストの何人かが「今年は花見に行けなかった」と話していたので、早くも来年は『あれから』&『SHARING』の合同で、夜桜花見を出来ればいいなと考えています(笑)。

──木村知貴さんは夜桜のシーンだけでなく、居酒屋の場面でもいい味を醸し出していますね。「山田キヌヲさんとの友情を感じさせるやり取りが好きだ」という感想を、Twitterでもいくつか読みました。

それこそ加藤泰監督の映画じゃないですが、この世の中には二種類の人間、男と女がいて、その関係を描くとすれば、最もピュアな形が恋愛ということなのでしょうが、それだけではない関係性もあるような気がしています。居酒屋のシーンは、アナザーヴァージョン(99分版)のほうが111分版のロングヴァージョンよりさらに長い。ふたりがなぜそもそも心理学をやろうとしたのかも語られます。ああいうのは撮っていてもほっとしますね。あそこのセリフは、木村さんをキャスティングしたことで、僕と酒井君とで完全にアテ書きしました。「酒は人を愚かにするんじゃない。人が愚かだってことを教えてくれるだけだ」って立川談志さんの言葉を酒井君が見つけてきてくれて、「ああ、いいね。これは木村さんに言ってもらうといいよね」とか相談しました。木村さんは本当にお酒が大好きで、呑んでいるときの雰囲気がいいんですよね。そういうものを映画に出したい。
『SHARING』を撮ってから3年。改めて観ると、もうちょっとだけ登場人物たちの笑顔を入れたらよかったなと思います。居酒屋のシーンで山田さんと木村さんは微笑みますが、今なら若い演劇グループの笑顔をもう少し入れるかもしれないですね。人がお酒を呑んで解放されて穏やかに過ごす時間って、先ほどお話しした大人たちの花見の話に結びつくような気もします。何かそういう瞬間を見たいんでしょうね。シリアスな話だから終始難しい顔をしているのではなく、笑い合ったり、笑顔があってもいい。これからつくる映画には、少しずつそういうシーンを増やしていければと考えています。

──演劇グループの表情の固さや張り詰めたムードは、制作当時の「311以降」の空気を反映しているようにも思います。同時に、つい先日の復興相辞任のニュースなどを見ると、本作や『あれから』の主題が古びていないとも感じます。

映画も人間と同じで、つくられてから古びていくものだと思うんですね。正直、3年前に完成して公開までに間があると考えたときに、ここで描いたことが古くなってしまうんじゃないかという危惧と、どんどん古びてほしいなという思いがあって、今もその気持ちに変わりはありません。さっきもお話ししましたが、河村竜也さんが福島にワークショップで行って、実際に震災を経験した若い世代が震災を題材にした演劇をつくるのを間近で見ている。そういうのを見てしまうと、「『被災地に寄り添う』なんていう言葉は、簡単に口に出来るものじゃない」と河村君が言うわけです。いや、そう思います。本作には古びているところや綻びもきっとあるでしょうし、映画として舌足らずというだけでなく、被災地の方がご覧になって不快に思われる部分があるかもしれない。ただ、3年前のあのときには、こういうふうにしかつくらざるを得なかった思いがあります。仮にいま撮って、これ以上のものが出来るかと自問すると、わからないですね。映画で世の中を変えていこうという大それたことは決して思いませんが、ただ自分としては、「つくらざるを得なかった映画なのかな」としか今はまだ言えない。描いたことが杞憂で、日本がもっといい方向に動いてくれればという気持ちもありますが、一方で政治家たちの言動を見ていると、あまりにも他者への想像力が欠落している。自分にそんなことを言う権利はないですが、政治家はもっと映画を──『SHARING』でなく、もっといい作品はたくさんあるので──たくさん見たほうがいいと思いますね。他人のことを思いやる映画は数多くあるので、そういう作品を見て頂けたら。生意気にもそう思ってしまいました。

──映画はフィクションだからこそ、つねに現代性を持ち得るところも大きいですよね。

本作には、爆弾テロのような描写があって、3年前に撮っていたときもスタッフの間でも意見が分かれたんです。他の部分はリアリティに基づいているのに、そこだけが思い切りフィクションだとフランス人のジャーナリストに言われたんですが、それから1年も経たないうちにシャルリー・エブド襲撃事件が起こって、テロが政府の要人に対してだけでなく、一般人も──「ソフトターゲット」という恐ろしい言葉もありますが──巻き込まれる可能性が出てきてしまいました。今後は日本も、そういう事態と無縁ではありえなくなるかもしれない。「奇妙なリアリティを持ち得てしまったんじゃないか」と言ってくださる人もいて、自分自身も少しそう思うところがあります。ただ、たとえば主人公を女性にするのも、やっぱり「フィクション」なんですよね。すぐれたドキュメンタリーもたくさんつくられていますが、僕はまだその形では震災に触れられなくて、フィクションという形式を通じてなら辛うじて探ることが出来る気がしています。これは言い訳でなく、フィクションという形式があることで、そこで初めて自分の実感や想像力がはばたく。
さっきカメラ目線の話題になりましたが、言ってしまえばカメラ目線は、「これって作り事だよね」というのが一番見える瞬間ですよね。俳優がレンズを見るときって、「これって映画でしょ?」ということがあからさまに出てしまいかねない瞬間でもある。そういうフィクション性があからさまになる瞬間や、自分とはかけ離れた女性を主人公にすること、そして「これは映画なんだ」ということを隠さずに向き合う。そういう自分では制御しきれないものがあらわれたときのほうが、かろうじて映画になるのかもしれない。今はそう思っています。

──研究室での瑛子と薫の切り返しは、フィクションの可能性に賭けたともいえるでしょうか。

そんな大げさな決意では撮っていません(笑)。ただ、さっきのデミの話のときに言い忘れていましたが、「なぜカメラ目線で撮るんですか?」と質問されたときにデミは「最初は怒られると思ったけど、ヒッチコックやサミュエル・フラーもやっているし」と答えていたんですね。そういう偉い方々と自分を比べるつもりは毛頭ありませんが、自分もおっかなびっくりやってみたというところでしょうか。でも、そういうフィクションとして最も強い瞬間が無いと、かえって嘘っぽくなってしまう気がしました。

──近年では濱口竜介監督がドキュメンタリー「東北記録映画三部作」(共同監督:酒井耕)でも採っていた技法ですね。はす向かいに座った人物を正面から撮るという。

実は僕、その濱口監督のドキュメンタリーをまだ見ていないんです。カメラ目線で切り返すのって、キアロスタミも『ホームワーク』(1995)でやっていますよね。映画史の上ではサイレント時代からその撮り方をしてきた監督は何人もいて、そういう撮り方の技法の名称もちゃんとあるみたいですね。でも僕はその撮り方をするときに、映っていない俳優もフレームの外ギリギリのところにいてもらいました。フレームのなかにいる俳優に、その存在を感じながら演じてもらっているんです。山田キヌヲさんが劇中、片目だけ涙を流しますが、実はその方向に樋井さんが座っているんです。本人は「たぶん自分の意識がどこか樋井さんのほうへ向かっていたから、片目からだけ出たのかな」と言っていて、やっぱりこの人はすごいと思いました。

──「カメラ目線」は作り手によって、狙いも得られるものも様々ですね。

そうですね。僕はドキュメンタリーなら正面に置けないかもしれない。フィクションだからですかね。トランプ就任以降のアメリカを見ていると、今や異様なリアリティを持つデミの『クライシス・オブ・アメリカ』(2004)を久しぶりに観ると、そこでも俳優たちがレンズを見つめて芝居をするけど、違和感がまったく無かったんです。いや、違うな。違和感が無いわけではなく、カメラをちゃんと相手役にして芝居してる。『羊たちの沈黙』を最初に観たときの違和感が無くて、むしろ感動しました。カメラを、あたかも演じている相手のように感じながら芝居をしているわけですから、それは二重にすごいことなんですよ。メイキングを見ていないので何とも言えませんが、ただ単に「カメラ目線で喋ってください」と言うだけでは、ああいう表情は撮れないと思う。精神力も集中力も試されるでしょうし。一方で、レンズの脇で助監督が台本を握って、「はい、目線こちらでお願いします」というのは、僕はあまり好きじゃないんです。そうじゃなく、なるべくフレームの外で切り返すときにも、相手役の俳優にレンズのそばにいてもらって撮る。そうしなくてもちゃんと出来るのがプロの俳優かもしれませんが、僕にはやっぱりそれが大事なんですね。ですから、レンズを見るカメラ目線以上に、ふたりで芝居をするときは、相手から出てきたものを受け止めて返すのが演技だと思っています。それは頑固に思い続けていることなので、モノローグでない限り、助監督が脚本を丸めて視線を誘導したりするのでなく、そこに人がいて反応していく演技、そういうものを見たいと思っています。

──『SHARING』はキャストの感情が溢れるさまもみどころですが、そのように導き出されたものなんですね。

僕自身ではなく、それを一緒にどう撮ろうかというスタッフの力です。その人たちの、その瞬間にしかありえないやり取りのようなものが画面に映ると思うんです。昔、「ここはどういう気持ちで演じればよいでしょうか?」と聞いてきた俳優に「心は映りません。心なし」とおっしゃった名監督がいたそうですが、そう思いません。僕は「心」はちゃんと「映る」と思っています。そこは大事に、愚鈍にやり続けたいですね。

(2017年4月)
取材・文/ラジオ関西『シネマキネマ』吉野大地

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