インタビューWEBSPECIAL / INTERVIEW

『バンコクナイツ』 富田克也・相澤虎之助(空族)インタビュー

映像制作集団「空族」の最新作『バンコクナイツ』(2016)。甲府を描いた『サウダーヂ』(2011)から一気に舞台を飛躍させ、バンコクからタイ東北部、ラオスを縦断するロードムービーは、富田克也監督が演じるオザワとタイの歓楽街・タニヤで働く娼婦のラブストーリーでもあり、場所と感情の移ろいとともに東南アジアの歴史を掘り起こしてゆく。監督と脚本を共同執筆したのは、結成以来の空族のキーパーソン・相澤虎之助。おふたりに話を訊いた。

 

──本作の制作ニュースは数年前から見聞きしていました。完成までに相当な困難があったと思うのですが、原動力になったものを教えていただけますか?

富田 まず東京・横浜で公開されて、ご覧になって「見終えて元気になる」という方が多いことが伝わってきました。ある人は、「その場所を本当に大好きで撮っているのがわかる」と言ってくださった。まさにその通りで僕たちは、たとえば劇中に出てくるタイのイサーン地方の風景を「最高だな」と思いながら撮り続けていたので、「その場所が好きだ」ということが皆の大きな原動力になっていたと思います。「ポジティヴにつくったものは人に伝わるんだな」。最近はそんな気がしています。

──『サウダーヂ』も、風景や場所が創作に与えたものは大きかったと思います。本作では、また違う感覚をお持ちだったのでしょうか?

富田 『サウダーヂ』のときは、とにかく状況が厳しかったので、どうしてもそういう視点が入ってしまいました。登場人物はみんな好きな人たちでしたが、舞台(甲府)は生まれ育った場所でもあるから 純粋な「好き」だけでは撮れないですよね。よく「愛憎入り混じる」と言いますが、「好き」以上に「憎」の部分もグッと作品に出ていたと思います。それが今回は、ガーッと「愛」のほうへ向かったところがありますね(笑)。

──脚本家の立場から、相澤さんはいかがでしたか? 一般的な映画制作では、脚本を書き上げれば仕事の大部分は終わりかもしれませんが、空族の場合ではそうでなく、撮影現場にも行っておられますね。

相澤 そうですね。むかしから僕たちは全部インディペンデントでやってきたので、脚本も書けばレフ板も持つし、人止めもする(笑)。上から下まで全部やらなきゃいけない。その意味で、脚本だけじゃなく制作も含めて全部参加したことになります。でも、こういうつくり方には、映画をまるごと自分たちでコントロールできる悦びがあるので、それが非常にいいですよね。

富田 これまでの虎ちゃんの関わり方は、いま話したようなものでしたが、今回はちょっとスペシャルで、本作の僕には「メインの登場人物」という側面もあり、カメラの前に立つことも多かったんです。だから虎ちゃんは「監督補」という役割でもあった。同時に脚本家としては、書いて行ったはいいものの、出てくださる現地の人たちと練習してみると「ちょっとセリフが長すぎるぞ」となる場合もある。そういうときに、現場で素早く打ち合わせして、セリフを短くブラッシュアップして、先にいい感じのものをつくっていてくれる。僕が自分の出番も含めてカメラマンと色々していると、虎ちゃんがそっちを進めてくれて、「準備が整いました。よーい、スタート!」という流れだったから、今回はまた新たに演出的な役割も担ってもらい、今まで以上に渾然一体となっていましたね。

相澤 一緒にやったタイやラオスの人たちも「こう言ったほうがいいんじゃない?」とアイデアを出してくれた。脚本を書いたときにはわからなかった言葉の綾を直してもらったり。そのように、出ている人とスタッフみんなでつくっていく撮影の一体感は大きかったですね。

──物語が進むに連れて言葉も変化していきます。脚本の修正は、撮影地ごとにおこなわれたんでしょうか?

相澤 シナリオ全般は出来ていたんですが、たとえば現場ごとに、女の子たちが実際に使っているスラングやかっこいい言葉があるじゃないですか? それを変えてもらったり、実際にその場所で生きている人たちの言葉に変えてもらう作業はやりました。

富田 今回は日本語とタイ語と英語、そしてフランス語も一部出てきますし、ラオス語も出てくる。かなり多言語ですよね。現地の言葉を多少勉強したとはいえ、やはりタイ語をネイティヴのように話すことはできないから、僕たちが日本語で書いた脚本をいったんタイの翻訳者に渡して翻訳してもらった。だけど、そこで生きている人のセリフには、僕たちだけの力ではどうしても変えられないので──いまも虎ちゃんが話したように──長い期間をかけて現地の方との付き合いを深めるなかで、向こうが「この人たちのやりたいのはこういうことか。じゃあ自分たちはこんなセリフを言えばいいんだ」と、なんとなく理解してくれるんですよね。すると、彼らのなかでリアルな言葉に変わっていく。それが重要だったし、今後はこういうつくり方になっていくんだろうなと思いましたね。これからも日本を出て、アジアで映画を撮っていきたいので、空族のやり方として必須のものになるんじゃないかと思っています。

──本作はオールロケです。しかし日本で撮られたパートは無いですよね。距離感を出すために、一部を日本で撮る選択肢もあったかもしれませんが、そのアイデアはありませんでしたか?

相澤 今回は無かったですね。

富田 無かったね。

相澤 バンコクのシーンでうつるのは、日本人が形成しているコミュニティ。タニヤという街も、ある意味でそこ自体が日本の象徴のようになってしまっている。金城(川瀬陽太が演じる日本人相手の便利屋)に、「タイ語なんか学ぶ必要がない」と喋らせましたが、日本人のコミュニティだけでムラ社会を形成する特徴があるので、そこを描くことで、日本を描いた。

──そのタニヤを含め、バンコクの街並みには資本主義の拡大がよくあらわれています。登場人物たちにも否応無しに金銭の問題がまとわりついていて、序盤でオザワを動かすのも、「金」です。それもおそらく大金ではないですよね。

相澤 そう、お金は本当に鬱陶しい存在ですね(笑)。嫌いなのに右往左往させられるイメージがあります。色々なことの原因を考えると、だいたいお金が絡んでくるんですよね。

富田 「先進国」とか「経済発展」も昔の話で、今はそれが崩れ去りそうになっているから、余計にそこにしがみつこうとしている。旅をしたり、生活しながら社会のことを考えると、もはや我々には金を使う自由しか残されていない。「何が自由なんだ?」と思う。お金は必要といえば必要だけど、その部分にしか自由が残っていないことをしみじみ感じてしまう。そういう視点がもたらされたのも、中盤に出てくるラオスを通して。先進国側の論理からすれば「後進国」「貧しい国」ということになるんでしょうけど、「でもそれはどうなんだ?」という気持ちになったし、ラオスの人たちは「金が第一」にしないために自分の国を守ってきたように見えた。『バンコクナイツ』をつくり終えて痛感し、身に沁みているところですね。

──「金」と同時に、本作は「情」をめぐる物語でもありますね。『河内山宗俊』(1936/山中貞雄)のイメージもあったと伺いました。

富田 その通りで、本作を撮るために、クランクイン前に1年間ほどタイに住みました。その前に、『サウダーヂ』が終わったあとも虎ちゃんと共に4年間ほど、タイ各地とバンコクを行ったり来たりして社会の隅々を見てみました。特にバンコクのちょっとした下町あたり、貧しい方が住んでいるエリアで、あるとき子供が産まれたんです。でも父親はどこかへ行ってしまっていて、母親は働きに出ないといけない。「誰が子供を育てるんだ?」という話になると、親戚などではない近所の人たちが「育てるから連れておいで」って言って、すぐに育て始めるんですよね。喩えは少しおかしいかもしれないけど、まるで猫を拾ってくるかのように。そんな感じで育て始めて、僕らがタイを行き来している間にすくすくと成長している。いまの日本だと、たぶん行政や役所に相談するケースじゃないですか? でもタイの人たちに訊くと「当たり前じゃん」って。当然のこととして理由も説明もない。そういう社会なんだなと思ったわけです。もちろん托鉢という習慣が残っていたり、根底に仏教の教えが流れているせいもあるでしょうけど、彼らは「人を助けると巡り巡って自分に返ってくる」のを当たり前の感覚として持っていて、それをやっている。日本もそういう国だった筈だと思ったときに、『河内山宗俊』が頭のなかに浮かんで、虎ちゃんと共有するようになった。今までは「時代劇の、昔あった人情話」と思っていた映画が、急にリアリティを持って、自分たちのなかに戻ってきたんです。江戸時代の昔話ではなく、人間に心さえあれば、いつでもあの映画のような行動や行為が出来るんだと。だから心の部分を描くようになったと思うんです。

相澤 『河内山宗俊』は江戸時代の日本の話ですが、逆に山中貞雄の映画に「あ、これはアジアの人情の話だ」とアジア的なものを感じた。情を忘れちゃいけないし、忘れられるとしても、僕たちは元々こういうものを持っているんだと再確認する意味で、
『河内山宗俊』とアジアの世界がつながったということですね。山中貞雄は、そういうものを描いていたんだという新しい発見がありました。

──ちなみに『河内山宗俊』の公開は昭和11年。山中貞雄は翌年に中国へ出征しています。『映画はどこにある インディペンデント映画の新しい波』(2014/フィルムアート社)に収められたインタビューで、相澤さんは右傾化する社会について話しておられます。ちょうど4年前の発言ですが、人情と世相について今、どのように感じておられるでしょう。

相澤 その頃から、社会が段々きな臭くなってくる危機感があったんですが、そういうときに、人情を、お偉いさんや国に奪われたくないんですよね。自分たちの持っているものが動員されて、他の国を攻撃するようなことに使われたくない。人情ってそんなもんじゃないと思っています。

──そこには富田監督のインタビューも掲載されていて、「映画をつくるのは反抗のためだ」とおっしゃっています。本作には、レベル・ミュージックの歌い手であるスラチャイ・ジャンティマトンも登場する。今回も「反抗としての映画」という意識は大きかったでしょうか。

富田 そうです。それをタイ語で言うと「ナン・チーウィット」。タイの音楽に「プア・チーウィット」というジャンルがあります。直訳すると「生きるための歌」。その音楽がかかると皆すぐに踊りだすような、タイ人が大好きな一大ジャンルです。もちろんプロテスト・ソングなんですけどね。歌詞を読んでいくと、プア・チーウィットで歌われているのは、田舎から出稼ぎに行かないといけない女の子のことだったり、自分の兄弟が身売りされていくことだったりする。そうした貧しさや、自分たちの住む町の故郷賛歌でもあります。タイトルを挙げると、『君を買い戻す』なんていうストレートなものまであるジャンルだけど、それをタイの大スターが歌っている。タイってほんと面白い国で、人々が心のなかにそういうものを秘めているのがわかるんですよね。映画を撮りたいと思って、最初に市井の人たちに声をかけて交渉するじゃないですか? でも空族の映画のつくり方を、町の人にいきなり説明しても誰も信じてくれない。何て言ったら信じてくれるだろうと考えて、プア・チーウィットをもじって、「生きるための映画=ナン・チーウィット」という言葉にした。「ナン」は映画を意味します。そういう映画をつくるんですと言ったら、すっと「OK、理解しました」という返事が返ってくる。「それだったらやろうよ」と一発で話が通っちゃう。この単語は僕たちが勝手に編み出したんですが、つくろうとしているものを一瞬にして共有できる。大スターがプロテスト・ソングを歌い続けている国だからこそですよね。そんな人が国民栄誉賞をもらってしまったりもする(笑)。そして彼らのニューアルバムが出ると、10曲のうち6曲が放送禁止みたいな(笑)。映画をつくりながら、ほかにもモーラムやルクトゥーンなどの色んな音楽に出会いました。言っちまえば、それらは全部レベル・ミュージックで、人々はそれで踊り出すという社会なんですよね。

──本作は音楽が担う役割も大きいですね。ところで少し不思議なのが、空族の映画にはそういう活気が漲る一方で、つねに倦怠感が漂っている印象も受けることです。今回もやはりそうで。

富田 宮台真司さんがこの前まったく同じことを言ってたよね。一緒にトークをしたとき、「特に相澤作品に漂う、あの気だるさは何なんだ?」っていう話になって。おっしゃってくださったように、一方にそういうものがありつつ、もう一方に気だるさがあるのが話題になりましたね。

──『国道20号線』(2007)の結末に、スライ&ザ・ファミリー・ストーンの『Runnin’ Away』を使う構想があったそうですね。あの曲はスライの楽曲のなかでは非常にポップだけど、乾いていて、空族の映画に近いムードを感じます。

相澤 何なんでしょうね。たとえば真夏の暑い日に、おっちゃんがダラっとしているみたいなね。そういうのっていいじゃないですか(笑)。しかも、その人はお金もそんなに持ってなくて仕事に追われてたりするんだけど、なんとはなしにダルくて、倦怠感がある。そういう感じが好きで、何でもかんでもお祭り騒ぎすればいいってもんじゃないと思うんですよね。ダルさも大切だっていう(笑)。

富田 一緒に旅していたときの、虎ちゃんの名言があるんです。たとえばラオスやイサーン地方ののんびりした風景のなかにいると、「あ~~……」とか言うんですよね。最終的に本当に言いたいことは、その「あ~~……」だけだって(笑)。旅の途中に、ぽつんと言ったりするんですよ。「この人は何を言ってるんだ?」と思って、でもよくよく考えると、「うーん、これは真理を得ているかもしれない……」って聞いていたんですけどね(笑)。そういう何かがある。この前、宮台さんがそれについて触れていて、たしかそのとき言ったのが「拒絶」だったと思う。「この社会を受け入れないという、ひとつの態度表明なんじゃないですか」というようなことをおっしゃっていました。気だるさが「拒絶」。この社会は拒絶しないと、とにかく巻き込まれて馬車馬のように働くしかない。それに対する拒絶というね。

相澤 学校をサボってる奴みたいな感じでもありますね。仕事に行けないとか(笑)。

──監督が演じたオザワも、そういう雰囲気を持っていますね。相澤さんの監督作『バビロン2─THE OZAWA─』(2012)に登場したキャラクターでもあるので、親近感を覚える観客も多いのではないかと思います。ろくでなしな一面もありますが(笑)。

相澤 オザワはいいですよね。僕も好きです(笑)。

──人物像はどのように練られたのでしょう?

富田 自分で演じることになったので、僕としては照れくさかった。内にあるものを外に出すのは照れくさいので、なるべく虎ちゃんに「オザワどうするの? どういう感じなの?」と託したがっていましたね。元々は、相澤監督作品の『バビロン』シリーズ、「アジア裏経済三部作」があって、そこに出てきた元・自衛隊員のキャラクターだった。それが引き継がれ、流れ流れて本作でまた同じ登場人物として出てくるということで僕が演じましたが、長年一緒にものをつくっていると、現実に起こることへの対処なども次第に近くなっていくんですよね。長い時間を共にしているわけですから。だから、さっき話した虎ちゃんの「あ~~……。本当は言いたいことなんか何も無い」みたいな境地も含めて、オザワという人間が段々つくられていった感じはあります。

相澤 あとは、だらしないおっさんがたまに輝くとかね(笑)。僕はそういうのも好きなんです。

──輝きということでは、劇中に二度、オザワが銃を構えるアクションがあります。だらしないながらも、何か秘めているのを示すアクションです。

相澤 それは、たぶん皆そうだと思うんです。「義を見てせざるは勇なきなり」という言葉がある通り、どんなに普通に生きていたって、何かのスイッチを押されれば誰でもカッと魂が宿る。「一寸の虫にも五分の魂」じゃないけど、そういうことですよね。

──生活のなかで面白い映画と出会う体験なども、それに少し似ていますね。

富田 そうですね。これまでそういう映画に少なからず出会ってきた。そのときの感情に素直に従ってきたら、こんな大人になっちゃったというところはあります。本作でオザワが達した境地も、実際にタニヤへ行って娼婦と出会うことでしか得られないものではない。どんな生活の場面にだってそういうものが宿ると思って、僕たちはこの映画をつくりました。今は世の中も苦しくなっちゃってひどい。苦しいと、人々が自分のことしか考えられなくて狭量になって、少しでも自分の取り分を多く取ろうと必死になってるじゃないですか? でもそればっかりだと苦しくなる一方だから、人を助けるとか、今までなら発言するのも行動するのも照れくさかったものを取り戻すほうが話が早いという気持ちになって。「そうしたほうがいいんじゃねえか」って。本当にシンプルなことなんですけどね。

相澤 『河内山宗俊』もそうで、主役のひとりは浪人、もうひとりは任侠の人。彼らも色々と悪いことをやってきたでしょう。でもそんな人たちが、何かのきっかけで、気持ちひとつで女の子を助けたりする。そういう小さなことって、本当は街でも起こっていると思うんですよ。そういうことを拡げていくほうがいいんじゃないかなと思っていますね。

──先ほど「拒絶」という言葉が挙がりましたが、それは社会に向けたもので、「人」にではない。そのグラデーションが空族の映画の個性のように感じます。照れくさいといえば、オザワがオートバイで疾走するシーン。ハイライトのひとつですが、今、みずからバイクに乗ってそれを撮る監督って、富田さん以外にいないと思うんです。バイクに乗る人自体が少ないし、仮に乗っても、ああいうシーンは照れて撮れない人のほうが多いかもしれない(笑)。

富田 まずひとつ言えるのは、僕たちはバイクが大好きで、バイクの出てくる映画も好きだったし、出てくると嬉しい。自分たちで撮るようになっても、「必ずワンシーンはバイクが走るシーンが無いと映画じゃない」みたいな気持ちがあって。今回は自分が主役のような役柄だったので、「バイクに乗って走るシーンをつくること」がマストになっていたところはありますね(笑)。憧れもあるので、みずから出るんだったら憧れのシーンを入れようと(笑)。

相澤 最近は若い子がオートバイに乗らないという話をよく聞きますけど、ぜひ乗ってほしいですね。風や、危険も含めて色々感じることができる乗り物なので。

富田 もうひとつ言えば、今の日本では車のシーンでもシートベルトをしないと駄目みたいになっていて、刑事ものでも昔はしてなかったのにしなきゃならない。それが『バンコクナイツ』ではノーヘルでバイク(笑)。日本ならありえないシーンだから、そういうのもやりたかったし、タイのあの辺まで行くと、ヘルメットを被ってる人なんてあまりいないですからね。もはやノーヘルで、バイクで疾走するシーンが日本では撮れない。そこだけでも、今回タイやラオスで撮った意義が象徴的に表れていますよね。日本が失ってしまったものがたくさん残っている。ノーヘルのバイクも僕たちの感覚からすると、すべてとは言わないまでも、ちょっとアジア的なんですよね。それも含めて、色んなことが身に沁みました。

──ここで、おふたりのいちばん好きなバイクを教えていただけますか?

富田 僕がずっと所有しているのは、カワサキのZ750FX-Ⅱ。Ⅱ型のほう、不人気車です(笑)。

──カラーリングは?

富田 Z1-Rと同じの、メタリックブルーに近い色になっていて、『国道20号線』のポスターに使っていたり、『サウダーヂ』でも劇中車として登場します。でもね、映画で少しでもお金を稼げたら、スズキのGS1000S 、「クーリー」に乗りたいと思ってるんですけど、映画(の収入)ではまったく買えません(笑)。いつまで経っても無理(笑)。

──いつか空族の映画にクーリーが登場することを期待します(笑)。相澤さんは?

相澤 オートバイは何でも好きですが、いま乗っているのは、これまたスズキのGS650Gという、『西部警察』で館ひろしさんが乗っていたバイクです。

──「カタナ」でしょうか?

相澤 カタナの流れですね。

富田 僕のは、今のゼファーのエンジンのもとになったタイプ。ザッパー系エンジンですね。

──おふたりともに渋いですね。……少し脱線したので映画に話を戻して(笑)、イサーンのパートでは、中上健次の小説が頭をよぎりました。狙って撮られた感じではなく、ナチュラルにそういう空気感が出ていて。

富田 僕も虎ちゃんも、中上健次は若いときから好きで読んでいました。『雲の上』(2003)はその世界をやりたくて、必死に真似した作品でもあった。それが今回は目の前に自然な状態で存在していて、「中上が描こうとしてした世界が、地続きでここにあるじゃないか」とすぐに意識がリンクしました。でも、そこで特別に何かをやらなくても、撮っていけばそのまま中上的なものになるという感覚でしたね。

──雄大な神話的な風景を収めていますが、人物のやりとりなどに、ざらついた感触がありますよね。それからラストの、オザワが古い知り合いと思しき人物と再会するショット。それまでの流れからするとイレギュラーなアングルから撮られています。あの構図を採り入れた理由は?

富田 初っ端も俯瞰だったので、ケツもと思ったんですが、最後はド俯瞰ですよね。本当は下に降りてもよかったんだけどな……。ちょっと後悔しているところもあるんです。なぜかというと、俯瞰の構図どうのこうのよりも、実は僕たちにとっては、あそこに出ている人のほうが重要で。あの描き方では伝わらないと思うんですが、最後にオザワと再会する人物が、「チョムリアプ・スオ!」と挨拶する。それはカンボジアの言葉で、クメール語なんです。オザワは「アダム!」と返す。あのアダムという人は、僕らの裏設定では、オザワがPKOでカンボジアに行っていたときに出会っていた誰か。その人と、偶然タニヤで20年ぶりに再会するシーンで終わらせているんです。

──それで「20年ぶり」というセリフになっているんですね。

富田 ド俯瞰だからわかりませんが、あの人は実際に「アダム」というカンボジア人で、元クメール・ルージュ、ポル・ポト派です。幼い頃にAK47を持たされて、自分の身長より銃のほうがデカいから、銃口を引きずりながらAKを持っていたという人。おそらく、カンボジア内戦の混乱後に、タイに流れてきたんだと思います。それで今はタニヤ通りで客引きをやっている。リサーチの初期段階で仲良くなって、僕たちは彼を「ピーダム」──「ピー」は「兄さん」という意味だから「ダム兄さん」──と呼んでいて、絶対に映画に出てほしかった。彼の歴史を最初は怖くて訊けなかったんですが、段々親しくなって、「幼い頃の経験はあなたにとってどういうものですか?」と訊ねたら、答えは「bad experience for me」。そうは言っても、「今の歳になってみれば、それも含めて自分の人生だから、ひとつの教訓として持っている」と話してくれたんですよね。俯瞰ショットで終わりましたが、下で横からちゃんと彼の顔を捉えたかった。でも、タニヤ通りの撮影が最後に困難をきわめて時間も無くなったので、たしか「俯瞰で」ということになったと思います。タイムオーバーだったかもしれない。

──ただ、ラストは見る人が想像で補完するのもよいのかもしれません。

相澤 そうですね。

富田 あそこで本人の顔が出たところで、それは僕たちが嬉しいだけで、見てくれる人にはわからないだろうから、あれくらいでいいのかもしれないな。

──ここまでお話を伺って、本作を通じて少しでも人情や感情に変化が起こるのであれば、それが「生きるための映画=ナン・チーウィット」を見るということなのかなと感じました。

富田 最近は、そのちょっと感覚が変わるというのがすごいことだと思います。むかしは持てなかった実感が強まってきた。それは僕らだけじゃなく、周りでも増えている。世の中が苦しくなってきて、そういう気持ちが広まり、感知し合えるようになっているから、今までは何かの理由で遠ざかっていた人たちとも素直にふっとつながれる。こちら側だけじゃなく、皆が変わり始めているのを感じます。

相澤 気付かないうちに、映画によって変えられた部分があるし、自分たちでもそういう映画をつくろうよって。そうして反応し合えるほうが、ただの売り買いだけの世の中より面白いじゃないか。そう思っていますね。

(2017年4月1日 大阪にて)
取材・文/ラジオ関西『シネマキネマ』吉野大地

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