インタビューWEBSPECIAL / INTERVIEW

『夏の娘たち~ひめごと~』 主演:西山真来インタビュー

2016年12月以来、神戸映画資料館で2度の特集上映がおこなわれた堀禎一監督。
今年7月18日、新作『夏の娘たち~ひめごと~』東京公開中にこの世を去ってしまったが、その作品は生き続ける。山あいの町を舞台に繰り広げられる娘たちと男との愛の物語は、以下に読まれるヒロイン・直美を演じた西山真来の言葉どおり、映画の秘密や発見に満ちたものだ。公開初日、舞台挨拶で神戸映画資料館を訪れた際の取材からは、今なおこの作品に注ぐ想像以上の情熱を感じることができた。

 

──撮影がおこなわれたのは昨年の夏。当時を振り返っていただけますか?

かっちりとしたシナリオがあり、それにのっとって演技をしましたが、いま思うとあの夏に自分たち──娘たち──に起きたことを、そのまま撮っていたようなところがあります。「悲しいシーンだから悲しく」ではなく、「この言葉を、この状況や景色のなかで相手に言うと、その場や自分の身体にどんな変化が起きるのか」ということを発見しながらの撮影でした。それを監督が観察者のような、全部受け入れる眼で見てくださっている感覚がありましたね。土砂降りだったり、土砂崩れのために道を通れなくなり現場に行けないこともありましたが、それらも含めて「全部OKだよ」と受け止めてくれた。その大きな余白がとてもよかったです。

──完成した作品をご覧になったときの印象と、お気に入りのシーンを教えてください。

最初に試写を見たときは、「これほど自分が他人のように、まったく別の人格に見えるのは初めて」と感じたほど面白かったですね。好きなのは、ご覧になった方もよく挙げている、川瀬陽太さんや外波山文明さん、速水今日子さんや志水季里子さんたちが集まる、親戚縁者が一堂に会する通夜のシーン。どうでもいい、自分の小さい頃に親戚の集まりで聞いたことがあるような無いような、お腹の底に少し響くところがあるけれど、内容はなんてことのない「誰それさんのところの誰々さん」「ああ、会ったことあるある」という話をしているあのシーンは好きですね。なんだか面白くて見入ってしまいます。

──前半のヤマ場のひとつであるあのシーンは、もっとも多いときは8人がフレームのなかにいます。監督から西山さんに具体的な演出や指示はあったのでしょうか。 

まったく無かったです。あそこは誰に対しても無かった気がします。一回テストして、「はい撮ります。車の音に気をつけてね。じゃ!」みたいな感じで(笑)。あのシーンについて、あとになって監督が「西山さんに教えてあげるよ」と話してくれたことがありました。外波山さんが、さっとポケットに手をいれる瞬間を「そういうひとつひとつのアクションやセリフがその場に馴染むかどうか。馴染んできたよね」とおっしゃったそうで、それが映画の秘密だよと言ってくれたんです。その場には私ともうひとりおられて、あなたたちだから教える映画の秘密だよと。その意味でも印象深いシーンです。

──監督の言葉もそうですが、作品そのものに映画の秘密、いわば「ひめごと」がいくつも詰まっていると感じました。効果的な省略がなされていることもあり、直美は掴みがたい部分も持つ不思議なキャラクターです。どう捉えておられましたか?

初めてシナリオを読んだあとに、監督が「何かわからないことはない?」と訊いてくださる機会がありました。そのときは私も不思議というか、作品キャッチフレーズに「自ら運命を選択する女たちのひと夏の物語」とあるように、本作では「選択」が大きな出来事です。でもなぜその選択をしたのか? シナリオにわかりやすく書かれているかといえば、そうではなかった。「この選択がわからないんですよね」と伝えると、「えっ? 簡単ですよね?」と言われて(笑)。そんなこと言われてしまったら、「そうですよね、わかりました」と答えるしかなくて、「これで現場に行くしかない。しようがないな」と思いましたが、ふたりで会ったその帰り道に、駅に着いたところで監督が「ちょっと缶ビールでも買いましょうか」とビールを買って、駐車場で話したんです。飲み終えかけた頃に、「自分にはわからないことがすごく多くて、直美の選択もそうだし、人が愛することや性と性愛、生についても謎がいっぱいで、それをわかりたくて、考えるために撮っているところがある。一緒に(ロケ地の)長野へ発見の旅に行きましょう」と言ってくれました。実際に撮るときも、自分や相手に起こる、生きものとしての変化や感触を発見して観察する感覚がありました。だから直美というキャラクターも、最初から「こういう人だ」と作るというより、どんどん発見していく感じでしたね。そういう体験を通して、自分にとっても、すべて「これしかない」という選択をしたと思います。そのような演じ方は初めてで、撮影からまだ1年ほどしか経っていませんが、その後も無いです。

──直美と同様に、演じる西山さんも大きな選択をされていたんですね。アドリブもあるのでしょうか? 旅館の部屋で、直美と和田みささんが演じる麗奈がふたりではしゃぐシーンがそう見えました。

アドリブがちょっとだけ入っています。あのシーンは、すごいテンションで、何だかわからなくなってしまって(笑)。ダンスなどは、和田さんがほとんど考えてくれたものをふたりで公園で練習して、あの感じになりました。最後のほうは楽しくなりすぎて、あまり覚えてないんですが、見ると「あ、こんなこと言ってたんだ」って。楽しかったです。

──75分の作品のなかでも独特のムードを持つシーンですよね。その直美をはじめとする登場人物たちは、欲望に忠実に奔放に行動しながらも、何か大きなものにとらわれているようにも思えます。西山さんから見ていかがでしたか。

撮影のときの感覚だと、その時々の反射的な欲望でも行動していますが、舞台は都市ではなく、家族や血の繋がりを大事にする町。私の実家に比べても、集落の皆で協力して生きている地域の話です。そこにある因習と、母親たちの世代とは違う自分たちの身体感覚との両方でバランスを取っているように感じていました。

──バランスといえば、直美と男性との関係が序盤と結末で大きく変わります。

実際にそのシーンを撮影するまでどうなるかわからない部分がかなりあって、たとえば最初に結婚することになっていた人との撮影は本当に楽しく幸せで、「なんでこの人と結婚しなくなるんだろう?」と思っていました。最終日に心変わりするシーンを撮るときも、直前までどう演じればいいのか全然わからなかった。でも「……そうか!」と肉体でわかる瞬間があったんです。最後に別の相手と結婚するのは、「血でわかる」じゃないですけど、説明がつかない次元の感覚を大事にしました。……うまく言葉にならないですが、「映画でこんなことが出来るんだな」とも思いましたね。

──「血」、そして「水」は物語の大きなモチーフになっていて、川遊びや土砂降りのシーンの音は、そのあとも耳に残りました。

お借りしていた旅館の厨房の水道が、水がずっと流れる仕様で、その点でも全編を通して流れていましたね(笑)。話が少しそれますが、音といえば音楽・音響・整音の虹釜太郎さんは監督とずっと一緒にやってこられた方で、音設計も滅茶苦茶面白いです。さきほど申し上げたように、本作は人間たちが動物のように奔放に走り回る姿をおさめた映画ですが、麗奈だけは──虹釜さんがおっしゃっていたのとは少し違う表現かもしれませんが──社会性があって、人間性を持つ立ち位置にいる。麗奈、つまり人間だけが聴いていたという、劇中には使われていない音楽があるんです。今日お持ちすればよかったですね。この映画は音も色々なレイヤーで構成されているので、虹釜さんにも話していただきたいことがたくさんあります。脚本の尾上史高さんにも。

──制作規模の大きな映画ではない筈ですが、そうしたスタッフが構築された細部が厚みをもたらしています。虹釜さんの音響では、子供の声にも驚かされました。

最後のスペシャルな声は、虹釜さんと監督が録音機材を持って目黒あたりをうろちょろして録ったそうで、「不審な大人たちだった」とみずからおっしゃっていました(笑)。最後に付いている「100万円の猫!」という子供の声を不思議に思って、試写のあとに「あれは何なんですか?」と訊いても全然教えてくれなくて、呑み屋に行って、ゴールデン街をまわって、最後の別れ際に「映画っていうのはね、それ自体がすごいものだから、僕たちのところに降ろしてあげなきゃいけないんだよ。じゃあ!」って言って帰って行ったんですよ(笑)。それがすごく印象的で、「そうなのか」と思って。それで納得できたわけではないですが、多くの驚きがある人でした。

──驚きと妙な説得力を持つ言葉ですね(笑)。さて、監督が亡くなられたことは本当に残念ですが、映画はこれからも生き続け、西山さんがその語り手のおひとりになると思います。いま感じておられることを最後にお話しいただけますか?

私が勝手に思っていることですが、ものすごくたくさんのものをもらったし、監督からの「宿題」がいっぱいあります。志水季里子さんや速水今日子さんという先輩方と会わせていただいたことは、ご自身もおっしゃっていましたが、監督の一番の演出です。一方、言葉で直接言われてないですが、「きみはひとりじゃなく、俳優活動を続けるなかでたまたま僕と出会って、いま一緒にやっている」と思ってくれていることを強く感じていました。お客さんに対しても、これまでずっと映画と過ごしてこられた時間と一緒に本作を見てくださっているんだなと実感する機会が多いので、この映画を伝えていければ嬉しいです。最初にお話しした通り、ドキュメントのように自分を全部受け入れて撮ってくださったのに、見てみると完全に他人のように感じた体験などを、本当は監督との次作や次々作で探求したかったけれど、もう出来ません。でも自分の今後の作品にそれを持っていきたいし、反映されないと嘘だと思うので、この作品と一緒に映画をやっていきたい。色々な宿題を受け取っています。

(2017年9月29日 神戸映画資料館にて)
取材・文/ラジオ関西『シネマキネマ』吉野大地

『夏の娘たち~ひめごと~』公式サイト
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