インタビューWEBSPECIAL / INTERVIEW

「ミニシアター・エイド基金」 濱口竜介インタビュー

新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、全国のミニシアターが休館を余儀なくされ、閉館問題に直面している。様々な支援活動が進むなかで、映画監督・濱口竜介と深田晃司が発起人となり「ミニシアター・エイド基金」が発足した。5月14日(木)までのクラウトファンディングは急躍進し、開始からおよそ10日で新たなゴールが設けられた。その成り立ちから具体的な目標、そしてこれからのヴィジョンを、過去の取材を上回る熱気をもって濱口監督が語ってくれた。

──このプロジェクトを深田監督と共に立ち上げたいきさつから教えてください。

新型コロナの及ぼす影響がひどくなり、外出もままならない状況で当然劇場も大変だろうと感じていたところに、名古屋シネマスコーレの副支配人・坪井篤史さんのインタビュー記事がnoteに発表されました。読むと客足がどんどん遠のき、ゼロの日もある。そこまで大変な状況であることを現場の声として知り、これが一ヶ月から二ヶ月続けば閉館に至るかもしれないことを理解しました。シネマスコーレには『ハッピーアワー』(2015)などの自作を上映していただいたし、坪井さん本人ともお会いしたことがあるので、「何か動かないといけない」と衝動的に思ったんです。そこで『ハッピーアワー』のプロデューサーたちに「クラウドファンディングをやらないか」と声をかけて、Motion Gallery の大高健志さんにも連絡しました。するとその一時間ほど後に、深田監督から「僕も大高さんに電話をしたら、濱口さんから連絡があったと聞きました」と知らされました。「じゃあ一緒にクラウドファンディングサイトを立ち上げましょう」という流れになったのが、たしか4月2日です。5日には劇場へのヒアリングを始めるのと同時に「サイトを立ち上げます」とアナウンスしました。

──坪井さんのインタビューが発表されたのが3月30日なので、本当に急速な立ち上げだったんですね。新型コロナは2月から社会問題化していました。濱口監督にはどのような影響があったのでしょう。

僕の場合は「撮影の中断」というかなり具体的な形であらわれました。3月から撮影を始めたのが、10日ほどで中止せざるを得なくなった。3月半ばにはコロナが拡大して、撮影は海外でも予定していたので、「これはちょっと無理だな」と。中止というよりは「今年の終盤にはまた撮れたらいいね」という話のなかでの中断でした。その結果として何が起きたかというと、非常に暇になった。何にもやることがなくなり、撮影のために一ヶ月ほど取っていた時間がぽっかりと空いてしまいました。でも「暇になった」のもこの基金を立ち上げた大きな理由のひとつかもしれません。これは自虐的に言っているわけではなく、何がしか余裕のある人が、相対的に明らかにいま余裕のない人や、どうにも動きようのない人のために社会全体で動いたほうがよいだろうと思い、あくまでもその一部としてやっているというところです。

──とはいえ撮影の中断はつくり手として、きわめて大きなダメージではないでしょうか?

これが困るかと思いきや、必ずしもそうでもなく、「ああ、これでちゃんと準備ができるな」と考えればそんなに悪い話ではないし、最悪の事態としてこの1本を完成させられないとしても、一緒に映画をつくっている人たちともう映画をつくれなくなるということとはまた違うと思っています。少なくともそれはいま社会で起きている問題に比べれば、さほど大きなものではないだろうという気持ちです。

──その作品がいつかスクリーンにかかることを切に願います。濱口監督とミニシアターとの出会いもお聞かせください。

僕の最初のミニシアター体験は、岩井俊二監督の映画だった気がします。高校生の頃に『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』(1993)や『Love Letter』(1995)をテレビで見て「このドラマは一体何なんだろう?」と感じました。それまで見ていたトレンディドラマと似ているようで違うもので、「なるほど、岩井俊二という人がつくるとこういう手触りのものになるのか」と思いました。その人がつくったものが映画としても上映されているらしいと知って、たしか銀座の映画館に『PiCNiC 』(1996)や『FRIED DRAGON FISH 』(1996)を見に行きました。そこはミニシアターと呼んでいい劇場で、「世の中にはこんな場所と、いままで見てきたものとは違う作品があるんだ」と思わせてくれた最初の体験でした。

──それから時を経て、「濱口竜介の映画を見てみよう」と初めてミニシアターへ足を運んだ方も多いかと思います。2000年代以降は、映画監督としてもミニシアターとの関わりを深めていきますね。とりわけ関西では、2013年に京阪神の劇場が連携した「濱口竜介プロスペクティヴ in Kansai」が大きな盛り上がりを見せました。

自分の作品を「何だこれは」と感じてもらえるのなら嬉しいですし、そのような映画を上映してくれる場所はやっぱり限られていて、京阪神でいえば京都みなみ会館や京都シネマや出町座──当時は「立誠シネマ」でしたね──、大阪・第七藝術劇場、神戸映画資料館といったミニシアターです。そこのプログラマーの方たちが「これは面白いじゃないか」とスクリーンにかけてくれた。それが2010年代に展開されたおかげで、いまも僕は映画監督として何とかやっていけているところが確実にあります。プロスペクティヴに続いて、神戸で数年間暮らしながら『ハッピーアワー』をつくり、元町映画館をはじめとする劇場でかけていただいたことで、ふたたび僕のようなちょっと変な映画をつくる監督に、観客と出会うチャンスが与えられました。だから観客としても、映画監督としても、ミニシアターには恩があります。それをいま返さなくてはならない、という気持ちです。

──『ハッピーアワー』はクラウドファンディングで制作資金を募りましたね。スタートして一夜明けたらすごいことになっていたのをいまでも覚えていますが、今回のミニシアター・エイド基金もわずか3日で目標額の1億円を突破しました。その反響に関してお話しいただけますか?

現時点(4月24日)で、約1万7千人のコレクターの方がいて、1億8千万円を超える額が集まったのに正直驚いています。ただ、数よりもスピードに対して驚いているのが実感でしょうか。首都圏には1万人のミニシアターファンがいて、全国規模でまとめると同じくらいの数の方がいると業界の定説として言われていました。つまりコアなファンが2万人存在する。さらにMotion Galleryの平均支援値が1万円だと聞き、そうであれば到達しないといけないひとつの目標は2億円くらいではないかと個人的に考えていました。それでもスタートから10日ほどでその額に迫ろうとしているスピードには本当に驚いています。速さの要因として、このミニシアター・エイド基金に先がけて「SAVE the CINENA『ミニシアターを救え!』プロジェクト」という運動があり、ミニシアターを助けるために政府の補償を求める署名が既に6万6千通集まっていました。それによって、こちらのロケットスタートも切られたのではないか、お互いの連動の成果ではないかと思っています。

──このミニシアター・エイド基金は緊急のものである点も重要です。

長期的なヴィジョンを持った「SAVE the CINENA」とセットになっていることもあって、ミニシアター・エイド基金は緊急で短期的なアクションという位置づけです。これからの数ヶ月を乗り切らなければ、確実に閉館を余儀なくされて、生活が立ちゆかなくなる映画人がいます。それを前提に、その人たちの暮らしを守る必要がある。そのために、1参加団体・劇場に対して約150万円を平均に分配することをひとつの目安に掲げてスタートしました。現時点でそれはほぼ達成されていますが、クラウドファンディングと並行してヒアリングを進めるなかで、150万円では充分でないということもわかってきました。規模によっては、「それで一ヶ月から二ヶ月はやれます」という方もいます。ただ、基本的にひとつの映画館がある程度の期間、経営を続けるのには充分ではないので2億円、3億円と、Motion Galleryで「ストレッチゴール」と呼ばれる次の目標を設定しています。まずは集まったお金でしのいでほしい。その先に何があるのかは正直まだ誰も知らないわけですけれども、その支援金は喩えれば自分たちの体制を立て直すための、ひとまずの精神安定剤のようなものですね。それがあることによって、落ち着いて次のことを考えられる支援になればと思っています。

──ステートメントには『うたうひと』(2013)制作時に出演者の小野和子さんからのカンパがあった逸話をまじえて、「支援と志」についても記されています。より具体的にお聞かせください。

少し言葉が硬いですが、いわゆる芸術活動というのは、ひとつの特性として社会の経済的指標から離れたところで活動・労働をします。普通の労働であれば、その対価として一定の賃金が払われる。しかし芸術的な活動は、お金と労働の関係が明瞭でない。ある労働が、今の社会で定まっている価値を生産するわけではない。そのため、対価が発生するとは限りません。ただ労働自体は発生している。コストが掛かっている。生命維持のため、最低限の生活をするためのお金は絶対に要るんですね。深田監督は「芸術家と言うより〈芸術労働者〉と表現している」と言っておられましたが、芸術をやっているけれど、まず何よりも労働者なのだという状況が見過ごされてはいけない。制作のための最低限のお金も絶対に必要です。ここで、既存の価値に沿って労働すればいい、というアドバイスもあり得るのかもしれない。ただ、現時点でまだ形になっていないものに芸術家たちは、とても大きな価値を感じているわけです。そして、それをやらざるを得ない。まだ彼ら自身しか知らないけれど、その価値を誰よりも知っているからです。それは具現化されれば、社会的にも、何なら経済的にも大きな価値を持つものかもしれない。ただ、わかりません。それは不確定なものです。何であれ、そうやって彼らを突き動かすものが「志」と仮に呼んでいるものだと思います。芸術家たちはまだ形になっていない不確定なもののために力を注いでいるけど、実際に形になるまで志を支えてくれる人や仕組みは必要だと思っていて、クラウドファンディングとはまさにそういう仕組みであり得ると思います。自分たちはいま、こういうことに価値があると感じている。ただし、その価値はまだこの世界に存在していなくて、実現するまでにはどれだけのお金が必要なのかをプレゼンテーションする。未来につくりたい価値をプレゼンテーションして、その志に共鳴した人たちがお金を少しずつ払うクラウドファンディングは、希望のある試みだと思います。もともとクラウドファンディングにはもう少しビジネスライクな部分がありますが、ステートメントにも書いたように、今回は災害に対する支援に近い性格を持っています。このとき重要になるのは、いま相対的に余裕のある人が余裕のない人にシェアすること。こうした富の再配分は本来政府がやるべき仕事です。しかしご存じのとおり、現状ではそれが機能していません。それならば市民レベルでクラウドファンディングを通じて、緊急時にお金が回る回路を開通させようということです。

──『ハッピーアワー』はクラウドファンディングの仕組みをわかりやすく示したケースでした。「濱口竜介が神戸で撮ろうとしている映画」を見たい人が支援して、そのリターンとしてチケットやパンフレットなどがありましたね。

『ハッピーアワー』でクラウドファンディングをおこなったときには約400万円のお金が集まり、我々としては大変ありがたかったです。そこでもこれからやることの価値を説明するために、成功に対するリターンをひたすらアピールしましたが、その結果、ある種の「特典地獄」のような事態に陥ったんですね。その反省もあります。支援してくれた方に対価物を渡すのでは限界があるというか、かなり疲弊してしまう経験をしました。だから今回は支援のためのクラウドファンディングなのだという方針をはっきり立てて、その支援者として文化を守る一員になることに一番の価値を感じてほしいとステートメントにも書きました。実際にクラウドファンディングって、ひとりひとりに出来ることは必ずしも大きくはないかもしれないけれど、それが集まったときにとても大きな力になるものです。いま、ミニシアターを守ることに価値を見出してくださる人に参加してほしいと思っています。

──今回は純粋に支援する「思いっきり応援コース」と、リターンとして配信作品を見ることのできる「未来チケットコース」を設けています。後者にはすでにかなりの数の作品が集まっていますね。通常であれば権利問題などで難しい筈ですが、作品はスムーズに集まったのでしょうか?

プロジェクトを立ち上げるときにリターンをどうするか考えました。ただの支援だと、劇場も一方的に支援される側にとどまってしまうので、何かの対価を応援してくれる人に渡せることが望ましい。ただ、劇場側に負担をかけることも本末転倒です。そこで「サンクス・シアター」という配信サイトも立ち上げることにしました。作品は本当にスムーズに集まりました。僕や深田監督の知り合いから声をかけ始めて、状況が状況だけに皆さんが快く作品を提供してくださいました。配信の特性として、他の権利関係と抵触しないようにという配慮もあり、その結果、インディペンデント映画が多いラインナップになりました。いまのところ、200本近く集まっています。集めた人間としてそれを見ると、2010年代の日本インディペンデント映画史を総括するようなラインナップになったと感じます。代表的なのは空族の『バンコクナイツ』(2016)ですね。空族の作品は基本的にソフト化も配信もしない。劇場だけで見られることを考えてつくっている人たちが、何よりも映画館で映画を見る体験を守るために自分たちの作品を提供してくれました。それがすごく象徴的で、普段であれば気軽に出してくれないであろう作品もどんどん集まってきていて、そのことはとても心強いですし、同じような気持ちを持っている人がこんなにいるんだと知ることで僕も力づけられる。きっと劇場の方たちも、そう感じてくれているのではないでしょうか。

──ラインナップに濱口監督の初期の傑作『何食わぬ顔(long version)』(2003)が入っているのも見逃せない点です。こうした展開に加えて、ヒアリングも継続しておられますね。

できるだけ多くの劇場がいまの状況を乗り越えられるための手助けをするプロジェクトなので、劇場の方が何を考えているかを知らないといけない。僕たちは劇場側が具体的に抱えている問題を一切知らない状態で進めていたので、何回かに分けてヒアリングをおこなっています。現状や、もう少し踏み込んで「前年比でどれくらい落ち込んでいるのか」ということを訊いています。先ほどお話ししたストレッチゴールを設けたのも、ヒアリングの結果です。3日間で1億円集まったときに運営事務局──僕や深田監督、大高さんたち──で話して、目標額は突破したので、もう畳んでもいいのではないかという声も出ました。緊急支援であるならば、「あと一週間」という具合に区切って、その盛り上がりのなかで集まったお金を分配する案も出ました。でもヒアリング進めると1億円でも充分ではないことがわかったので、次の目標を設定して期間いっぱいの5月14日までクラウドファンディングを続けています。

──ほかに発起人としてアピールすることがあれば、お話しください。

これも先ほどお伝えしたとおり、大変な時期ですが、現時点で少し余裕のある方、精神的にも物理的にも余裕を持って家で過ごしているというような方たちに、可能であれば具体的な支援をしていただけるととてもありがたいです。一方、お金の面で支援できない方も現状では多くいらっしゃる。そういう方はご自身のミニシアター体験を語っていただくだけでいいと思っています。それはSNSでも、周囲の人たちに対してでもいい。ミニシアターという場所がなぜ自分にとって大事なのかを少しだけ言語化していただくだけでもありがたい。そのことによって、周りの二三人が動いてくれることもあるかもしれない。それが起きれば、我々としてもミニシアター文化を守る大きな力を得られるのではないか。そう思っています。

──映画をスクリーンで楽しめない辛い時期ですが、観客にとってはミニシアターの存在を捉え直す機会でもあると感じています。そしてこのコロナ禍は、濱口監督の今後の創作活動にも変化を与えそうでしょうか?

空いた時間に自主的に進めているプロジェクトがあって、非常に小さなチームに絞ることで、時間をかけることを第一に作品をつくりたいと考えて取り組んでいます。そして、この「時間をかける」ことが、これからの社会にとって大事になっていく気がしています。先日、デンマークとスウェーデンで、コロナの状況下の撮影ガイドラインが発表されました。そこではソーシャルディスタンスの確保が肝になっていて、あとは公衆衛生、つまり清潔さとソーシャルディスタンスをプロダクション全体でキープするのだと。その結果、両国のプロダクションの生産性は従来より10%ほど下がるだろうと書かれています。でも読んで僕が驚いたのは、そんなやり方をしても10%しか下がらないのか、ということです。日本で空間や時間の面で同様の余裕を持たせて撮影するとしたら、おそらく従来の半分くらいまで生産性を下げなければいけないでしょう。日本の映画撮影は、普段からいかに隙間のない状況でやっているのかと思い知らされました。それは作品のクオリティにも直結します。本来はむしろ、それくらいの余裕を持った制作体制がずっと必要だったんです。
でもそれは映画だけでなく、社会が全体的に抱えている問題でもあると思います。例えば「年度」という枠組みがあって、その年度のなかで損失を出さないように、ということが目的になれば既存の価値を再生産する活動が中心になるのは当たり前です。新しい価値は生み出されずに、社会は縮小再生産を続けて疲弊していきます。そういう社会のなかで、短期的な経済価値を約束できない芸術・文化にまつわる活動に携わる人が圧迫されることもまた当然なんだと思います。いま、思いがけず時間ができた方も多くおられると思います。時間をかけることについて、このタイミングが何かのきっかけになれば、と思っています。いままでのやり方では、これからはやっていけない。だとすれば、一体どうやって変えていけばいいのか? 社会全体で今までとは違う価値尺度を探す時期に来ている気がします。「時間をかけた生産活動」が、短期的な利益を得なくとも可能になるような社会の仕組みを考えるべきだと思います。大きい話になりましたが、僕のやっていること自体はとても小さなことです。ただ、そうしたところからしか始められないのではないか、と思ってもいます。

(2020年4月24日)
取材・文/ラジオ関西『シネマキネマ』吉野大地

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