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芦原しのぶ『色じかけ』上映に至る経緯について

映画史のミッシングリンクを追え! Part2
「エロ本水滸伝」の時代へ、武智鉄二『幻日』発見!

「色じかけ」

鈴木義昭(映画史家・ルポライター)

今から3年前の2014年、それは、ある未知の人からのメールから始まったのだった。突然の連絡にややドギマギしたのを憶えているその人の名は、都築響一さん。近年、福島の本宮映画劇場の存在を世間に知らしめた人としても有名な写真家で編集者でもある都築さんである。爆笑問題と一緒に本宮劇場を紹介するNHKの番組を観た人も、映画ファンには多いと思う。「独居老人」の取材でも知られている。
僕の本を読んでくれているという都築さんから、東京都内に住む御年75歳という永山弓弦(ゆづる)さんを紹介された。永山さんは、江戸川区で眼科医をされているが、古い成人映画のことについて僕に質問があるというのである。僕が長年、成人映画について調査・研究していることを都築さんから聞いてのことのようだった。
都築さんは、永山さんについてご自身のメールマガジン「ROADSIDERSweekly」で記事にされており、それも添付して送ってくれた。それを読むと、永山さんが何をお尋ねなのかがだいたいわかってきた……。
それからすぐに、都築さんともお話をして、永山さんとの交流が始まることとなった。永山さんは、少し前に奥様に先立たれたばかりだったらしい。僕への質問というのは、奥様が出た成人映画のフィルムや情報を探しているので、手掛かりが欲しいということだった。
でも、これはあまりにディープなものだと、正直困惑した。僕には、永山さんのお尋ねにお答えする能力がないと思えたからである。僕は、物書きではあるが、成人映画界の人間ではない。年を追うごとに消えていく成人映画のフィルムや資料、いや次々に亡くなられていく映画関係者を前にして、ただおろおろとやみくもに取材を続けて来ただけの人間である。かつてはピンク映画を多く取り上げた雑誌「ズームアップ」で記事を書いていただけの人間である。わが神戸映画資料館の安井館長とともに、消えていく成人映画のフィルムを映画探偵よろしく追いかけているだけの人間である。ならば何でも知っているだろうと言われると、ほとほと困る。そう言いたいほど、ピンク映画いや成人映画の世界は大きな不定形なマーケットだったからなのである。
僕の今まで取材の蓄積から、既にこの世からなくなっていて当たり前のフィルム、死んでいて当たり前の映画関係者を短時間で見つけ出すことは難しいと思えた……。希望の主眼は、奥様の出ている映画を見つけ出したいというものであった。情報だけでも良いということで、手持ちの古い資料や詳しい友人に当たることにした。なるほどいくらか手掛かりになるようなことが資料から判明した。そこから、友人即ち日本有数の成人映画ポスターコレクターである東舎さんにご協力をお願いした。東舎さんは、雑誌「映画論叢」でも連載されているから、今や知る人ぞ知るピンク映画の知恵袋である。すると、不明だと思われたピンク映画以前のショー映画に「芦原しのぶ」が出ているのが確認、検証された。すぐに現物が観たくなったが、神戸映画資料館にも数点保存されているだけで、かの本木荘二郎も監督・演出したと言われる「ショー映画」こそは、この世からほぼ消えてしまったフィルムである。質量ともに多様だったはずなのに。今では、テレビ草創期の映像がほとんど残っていないのと同じで、かの時代の「ショー映画」のフィルムというのは、現存が極めて少ない。あるいは確認ができない。ヌードに対する差別もあったろうが、極めて貴重なのである。(どっかからまとめて出て来ないものかと思うが、まだ出ていない)
「芦原しのぶ」とは、永山さんの亡き妻の名前である。彼女は、永山さんと結婚する前に浅草を中心にしたストリップ劇場の踊り娘さんだったという。踊りの上手なフロアダンサーだったらしい。人気ダンサーとして活躍していたが、食べる為にちょっぴりヌードもあるショーや浅草のストリップ劇場にも出るようになった。井上ひさしや萩本欽ちゃんが活躍してた頃のフランス座とかだから、昨今のAV嬢が登場するようなストリップとは別世界とお考えいただきたい。僕も十代にちらちらフランス座を覗いたことがあるが、当時でも全盛だった「マナ板ショー」の西船橋辺りのコヤとは別世界。実際お客はガラガラだったが、日舞などの踊りとお笑いやコントが中心のステージだった。そんな本当の昭和の浅草のステージでダンサーだった芦原しのぶは、プロモーターの口利きで地方のショーにも出るようになったという。どうやらその旅先で永山さんとも出会っている。
僕と永山さんのやり取りは、実は、それで終わってしまった。あまりお役に立てなかった不甲斐ない気分だけが残ったが、仕様がないという気持ちもあった。
ところが、僕があれこれとお答えした数日後、永山さんは、ふらり神戸映画資料館に現れて、『色じかけ』というフィルムを寄贈されたというのである。自ら16ミリのフィルムをぶら下げての神戸訪問だった。
『色じかけ』は、永山さんの亡き妻だった芦原しのぶが出演した劇映画のうちの一本である。俗に「ピンク映画」と分類されるが、ご覧になっていただけば一目瞭然だが、ヌードシーンはごく一部であり、テーマが男女関係であるのには違いないが、当時の一般作品と大差はないと考えていただきたい。それが、その当時までの多くの「成人映画」だった。男女関係のストーリーに重きを置いた物語を独立プロが作り、大手のブッキング外の劇場に流通させれば「ピンク映画」と呼ばれた時代だった。興行にかけるには「映倫マーク」が必要であり、映倫に審査してもらえばその手の映画は一律に「成人指定」となる時代だった。今日、当時のフィルムがなかなか現存しておらず、そのニュアンスが伝わらないのがもどかしいが……。
それはともかく、それから一年以上たったある日、永山さんが急死される。ある朝、ご遺族からかかって来た携帯電話が突然だった永山さんの死を知らせてくれた。
神戸映画資料館に遺されたフィルム『色じかけ』は、永山さん追悼の意も込めてすぐにも上映したかったが、なかなかその機会がなかった。永山さんを抜きに、この映画を一般向けに上映して良いのかどうかも、実は判断に迷うものがあった。だが、保存を依頼してわざわざ神戸を訪ねられた永山さんの心には、神戸映画資料館のスクリーンでの上映があったのは疑いようもない。
そこには、生き生きと演技をする芦原しのぶがいる。『色じかけ』という映画が、当時の時代と庶民の風俗を描いているのは紛れもない。一人の女性と男性の生涯にまで思いをはせてこの映画を観ることが出来たら、今回の発掘上映は成功する。それに相応しい映画であることは確かである。大手のフィルムにはない、さまざまな愛おしい物語が『色じかけ』から垣間見えるだろうか。ぜひ、ご覧いただきたい。
最後に、永山弓弦さんとの短い交流の間に、週刊誌に僕が書かせていただいた小さな記事を再録して、このページを終わりにしたい。
芦原しのぶと永山弓弦さんについて、より克明に書かれた都築響一さんの記事も、まだ都築さんのメルマガ・バックナンバーから読めるようである。下記アドレスからアクセスされることをおススメしたい。そこには、永山さんと奥様の貴重な写真の数々もある。

【特別読み物】
愛した妻の面影を探して
~「ピンク映画女優」夫の告白

初老の紳士は、ある思いにとらわれる。
今も、妻が生きていてくれたなら……。妻は七年前、肺ガンで亡くなった。発見されてからあっという間のことだった。抗がん剤と放射線治療でぼろぼろの身体になりながら。
二人の子どもを育て、長く家庭を守ったが、彼女は若い頃には仕事を持っていた。妻の名、いや妻の芸名は芦原しのぶ。昭和28年から七年間、ストリッパーだった。専門は日舞で、浅草を中心に全国を回った。
亡くなられてから自分にとって妻がどんなに大事な存在だったのかに、思いが至った。紳士の胸に、妻との長い人生が去来した。紳士は、今、75歳。早過ぎる妻の死に青春の出会いの日を想い出していた。
紳士は、26歳の青年だった。4歳年上の妻と出会ったのは、たまにしか行かない田舎の墓参りのついでに訪れた北の漁港のキャバレー。ステージから見初めた妻は、舞台の後、声をかけてきた。翌日、若い踊り子と三人でドライブに出かけた。次の土曜日に後楽園で会う約束をした。きっと来ないと思っていたが、彼女は時間通りに来た。食事を楽しみ、二人は千駄ヶ谷のホテルで結ばれた。出会いから数か月、二人は木造二階屋の彼女の部屋で同居をはじめる。家賃七千円の風呂なしアパート。往年のヒット曲『神田川』の歌詞そのままの同棲生活だった。将来を約束された有望な青年と年上のストリッパー。交際には困難が待っていた。青年は、父親から勘当されてしまう。
踊り子の世界で、妻は徹底して顔と名前を隠した。彼女が欲した将来図の為に、堅い決心があったのだろう。七年目になって父親もとうとう折れ、正式に一緒になった。ストリッパーをやめ、半世紀の人生を寄り添った妻。紳士は、妻が旅立ったその寂しさに絶えきれず、妻の生きてきた痕跡を探しはじめた。
「亡き妻が成人映画に出ていたので、その資料を探しています」と、ことあるごとに訊ねて歩いた。日活ロマンポルノが始まる十年程前、いわゆる「ピンク映画」のハシリだった。出演作品としては最後に撮られた作品『色じかけ』が、とあるフィルムライブラリーに奇跡的に残っていて、保存されていた16ミリフィルムからコピーして貰ったDVDで、亡き妻の声と姿を偲んでいる。昭和40年代に六本の桃色映画に出演した。もう一本だけ、当時のバーレスク映画『裸の誕生』に出演しているのが、最近判った。まだ四本の作品の消息が不明である。
紳士は、妻の足跡を嵌め絵パズルを解くよように捜索し続け、生きがいにしているようである。

週刊FLASH(光文社)2014年7月8日号より

 
●都築響一さんが書かれた芦原しのぶさんと永山弓弦さんについての記事は、都築さんのサイトのバックナンバーから読むことができます。

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