レポートWEBSPECIAL / REPORT

2008年3月29日(土)
山根貞男連続講座 [加藤泰の世界]3報告《長谷川伸の遺産》を、若き映画研究者、羽鳥隆英氏がご寄稿くださいました。

《寄稿》 長谷川伸の遺産

羽鳥隆英

 『大江戸の侠児』(1960)から『みな殺しの霊歌』(1968)へというように、これまで傍流に置かれてきた作品に光を当ててきた連続講座《加藤泰の世界》は、第三回目で方向を大きく転換し、加藤泰の代表作の一本である『緋牡丹博徒 花札勝負』(1969)を取り上げた。すでに英語圏においても、Red Peony Gambler: Flower Card Matchという、日本語圏の人間にはいささか微笑ましい《邦題》とともに、その独自性が映画学者たちの耳目を集めている『花札勝負』は、 <註1>日本においても仁侠映画の傑作として、従来から高い評価を受けてきた。この古典的な作品に、山根貞男は、果たしてどのように挑むのであろうか。
 加藤が生前に書き記した文書をもとに、山根はまず、われわれ聴衆に、『花札勝負』の脚本がどのように創造されたのかを解説する。山根が語るところによれば、この映画の第一稿は、脚本担当として名前が記されている鈴木則文、鳥居元宏の両人の手になるものである。この第一稿をもとに、加藤泰、鈴木、鳥居の三人がロケイション・ハンティングを行い、その過程を通じて、加藤が脚本の不備を指摘する。これを受けた鈴木、鳥居の二人は再度協力し、連名で第二稿を完成する。すると今度は加藤と鈴木とが第二稿についての討論を行い、その結果を踏まえ、鈴木が単独で第三稿を仕上げることになる。この第三稿を完成稿として、加藤は撮影を開始する。これまでに経過した時間は、驚くべきことに、わずか二週間である。しかし、より興味深いのは、脚本の改訂が撮影開始をもって終わるわけではないことである。撮影中も加藤は第三稿に手を入れ続け、年末年始に撮影が休暇に入った折を見計らい、単独で第四稿を書き上げる。そして、新年最初の撮影を第四稿に従って再開しながらも、なお加藤は撮影終了まで、脚本の細部を検討し続けることになる。
 以上のように、加藤泰は『花札勝負』の脚本を徹底的に検討し続ける。では、この改訂作業を通じて、加藤が追求したものとは果たして何か。山根貞男はその答えを、仁侠映画に対する加藤の個人的な信条を念頭に置くことによって、外堀から同定していこうとする。
 山根が厳しく批判するように、加藤泰が仁侠映画の作家であるという思い込みは、加藤の映画的経歴に対する無知によっている。例えば加藤が、仁侠映画の一方の雄である高倉健を演出した作品は、目下分析の対象となっている『花札勝負』一本のみだからである。さらに山根の語るところによれば、加藤が初めて仁侠映画を演出した『明治侠客伝 三代目襲名』(1965)は、そもそも小沢茂弘を監督に想定した企画であり、プロデューサー・俊藤浩滋と小沢との確執の結果、急遽、加藤泰に白羽の矢が立った作品である。そして、この映画の監督を引き受けるに当たり、加藤は俊藤に以下のような注文を付けたという。一般の仁侠映画のような博徒礼賛の作品に興味はない。しかし男と女のメロドラマを撮るのであれば意を尽くす。例えば長谷川伸の戯曲に見られるような、と。俊藤は加藤に小沢の代役を依頼するに当たって、その力量を確かめるために、かつて加藤が演出した長谷川伸原作の股旅映画『瞼の母』(1962)を試写し、その出来栄えに感銘を受けていた。加藤の姿勢に我が意を得た思いの俊藤は、『三代目襲名』の成功に向けて勇躍することになる。
 以上のように、加藤は《仁侠道》を手放しで礼賛する映画に一定の距離を置いていた。その加藤なればこそ、『花札勝負』の脚本を検討し続けたのではないか。このように山根は推測する。実際、加藤は、博徒に他人の窮地を救うことができるのかという、仁侠映画の根幹を揺るがせかねない疑念を抱いていたようである。《弱きを助け、強きを挫く》という理想化された侠客像を描くのではなく、市井の男女を低い目線から描くこと。加藤が自身に課したこうした要求は、『花札勝負』においてはいかに達成されているのだろうか。
 山根が語るところによれば、『花札勝負』は三組の男と女の物語である。その第一は、山根が《ロミオとジュリエット》にもなぞらえる、敵対する貸元(嵐寛寿郎/小池朝雄)それぞれの縁に繋がる若い恋人たちである。その第二は、かつて主人公《緋牡丹のお竜》(藤純子)に盲目の娘の危難を救われながら、それと知らずにお竜の名を騙り、いかさま博打を続けるお時(沢淑子)と、やはり流れ者でお竜と盆の上で勝負を決する《化け安》(汐路章)の夫婦である。そして第三は、《緋牡丹のお竜》自身と、彼女とは敵対関係にありながら、彼女に母親の面影を感じてしまう博徒・花岡彰吾(高倉健)の二人である。このとき、一般の仁侠映画であれば、《緋牡丹のお竜》と花岡彰吾―あるいは藤純子と高倉健というべきであろうか―が《ロミオとジュリエット》の恋を成就させ、また結果的には両親を失うことになる盲目の少女の治療に専念することは、《弱きを助け、強きを挫く》侠客のとるべき当然の行動として描写される。しかし、『花札勝負』においては、彼らはより個人的な心情から自身の行動を決定していく。例えば、お竜とお時という二人には、お時の娘を媒介にした女同士の連帯が生まれ、互いの互いに対する真心が高まっていく。そしてこの真心からこそ、二人が、自分たちとは行きずりの縁しかない博徒同士の出入に命を懸けるという結果を生むのである。《仁侠道》という金科玉条に全体主義的に従属するのではなく、より低い目線から、善悪の闘争に主体的に参加する女と男。彼らを描くためにこそ、加藤泰は脚本を改訂し続けた。このように山根貞男は想像するのである。
 こうして議論を進めてきたときに、『花札勝負』という仁侠映画が、加藤泰自身の語るように、長谷川伸の文学/演劇的遺産を忠実に継承していることが明らかになるだろう。いうまでもなく、長谷川の股旅小説/戯曲とは、《仁侠道》という金科玉条にではなく、むしろ個人的な心情に基づいて、自身の運命を一歩一歩切り開いていこうとする男と女のメロドラマである。時代劇映画から仁侠映画へという主流ジャンルの変遷を超越して継承される長谷川伸的な世界。筆者は現在、「日本映画史におけるメロドラマ的想像力の研究―長谷川伸文学の映画化作品を中心に」と題する研究を継続しているが、『花札勝負』を再見して、長谷川伸が日本映画史に残した遺産の莫大さを再認識させられた思いである。
 本稿を閉じる前に、山根貞男にぶつけてみたい質問がある。すでに指摘されたように、『花札勝負』は長谷川伸の影響下にあり、それは例えば嵐寛寿郎と高倉健の決闘場面が、ほぼ長谷川の戯曲『沓掛時次郎』(1928)の引用である点からも看取できる。とはいえ、こうした引用はきわめて禁欲的になされ、いわゆる《遊び心》はほとんど感じられない。これに対して、加藤泰が『花札勝負』に続いて演出した後日譚『緋牡丹博徒 お竜参上』(1970)では、舞台が明治期の浅草・六区に設定され、当時最新の発明であった活動写真や、上記『沓掛時次郎』を初演した新国劇の十八番『月形半平太』を想起させる剣劇などが興行されている。また、山城新伍扮する巾着切は、酔った勢いで《緋牡丹博徒》の主題歌を熱唱し、1970年前後に人気を誇った漫才師の鳳啓助・京唄子は、ほとんど自分自身の役柄で出演して笑いを振りまいている。長谷川伸の大いなる遺産を継承しつつも、それが度重なる脚本改訂のなかで自家薬籠中のものにされている『花札勝負』から、映画の過去や現在に向けての戯れかけが、物語世界の内部と外部とを不意に通底させてしまう『お竜参上』への移行。その背後には、いったいどのような事情があるのだろうか。加藤泰自身は、二本の《緋牡丹博徒》映画が示す差異に自覚的だったのだろうか。今後、連続講座のなかで『お竜参上』が取り上げられる折には、何としても山根貞男に尋ねてみたいと思う。
<註>
1  たとえばDavid Bordwell, Poetics of Cinema (New York: Routledge, 2008)などが挙げられる。

羽鳥隆英(映画研究者)
日本学術振興会特別研究員(京都大学大学院人間・環境学研究科)。現在、長谷川伸を主題とした博士申請論文を準備中。

これまでのレポート|神戸映画資料館