レポートWEBSPECIAL / REPORT

2008年4月26日(土)
山根貞男連続講座 [加藤泰の世界]4報告《円形の輝き》を、若き映画研究者、北浦寛之氏がご寄稿くださいました。

《寄稿》 円形の輝き

北浦寛之

 美空ひばりを除いて、東映では女優が主役を張ることが皆無に等しかった1966年、お姫様女優として活躍していた桜町弘子が主役となり、なんとそれまでと正反対の女郎役を演じるという、画期的な映画が加藤泰の手によって生み出された。その映画こそ、第4回目の連続講座 [加藤泰の世界]において批評の対象となった作品『骨までしゃぶる』である。
 洲崎新地の遊郭を舞台に、貧しい環境のせいで売られてきた娼妓たちを、資本家である経営者たちがあらゆる面で徹底的に搾取する、字義通り「骨までしゃぶる」様子が描かれていく。そして、骨までしゃぶられる娼妓たちの何人かは、遊郭を抜け出そうと決意する。山根貞男が今回の講座で展開していった論考は、そんな、骨までしゃぶられる娼妓たちの必死に生きようとする姿を、加藤泰がどのようにフィルムに投錨しているのか、さらに、悲惨な状況から抜け出そうとする娼妓たちと遊郭の関係が、いかに映像で表現されているのかということであった。
 映画の冒頭、加藤泰映画にしばしば登場する汽車が、勢いよくスクリーンを駆け抜ける。それからすぐ、明治33年(1900年)東京という場面設定が明示される。山根はこの冒頭部の演出が、これからのストーリーに重要な意味を付与するものであったと分析する。すなわち加藤泰は、近代化の象徴としての汽車を勢いよく走らせ、新たな世紀の到来を観客に意識付けることで、逆にこれから描かれる、人身売買のような因循姑息な悪しき習慣が改善されていない、良い方向へ前進していないことを強調する。さらに、白い蒸気をもうもうと放出し、エネルギッシュな運動を見せる汽車は、苦難な状況下で必死に生き抜く娼妓たちをメタフォリカルに表現している。こうして、古い因習が支配する世界を映像通りに「突き進む女たち」が冒頭で暗示されていることに注目する山根は、この後すぐ登場する「突き進む女たち」の一人、主役のお絹を演じる桜町弘子について、加藤泰の言葉を引用しながら、次のように評価する。「加藤泰は桜町君が渾身の力演をしてくれたと評価していました。桜町弘子の隠れていた魅力が表れ出た作品だと思います」。確かに東映のお姫様女優を演じていた桜町の面影は本作品にはない。素顔を覆っていた化粧を拭い取った桜町が、飾らない演技を見せている。もっとも、桜町のノーメイクでの演技は最初の加藤泰映画の出演となった『怪談お岩の亡霊』(1961)でも見られたことだが、本作品では折檻されるシーンや乱闘シーンなどでの体を張った演技にも見られるように、形でなく、夢中になって女郎役を演じる人間・桜町が存在している。
 それでは、いままでの自身のイメージを破って、「突き進む女」桜町が演じるお絹を、キャメラはどう捉えていったのだろうか。山根の解説に沿って見ていこう。
 松岡定一郎(三島雅夫)が経営する遊郭で働くことになったお絹は、当初着物や部屋を与えられ喜んでいた。実際は、それら全部が借金になっていったとも知らずに。そんなお絹は、慕っていた千代松(宮園純子)が遊郭から脱走する直前に話を交わす。
 千代松は脱走する前日、娼妓たちの足抜けを幇助してくれる救世軍のビラをお絹に手渡し、意味が飲み込めないお絹に対して、「8歳の時から16年・・・・」と自分の過去について語り始めるのだが、ここで山根は二人を捉えていたキャメラの動きに注目する。千代松が過去の話を始めた途端、それまで部屋の中で二人を収めていたキャメラは建物の外へと移動し、屋外から中にいる二人に視線を向ける。このとき、屋外に位置したキャメラは二人を遠景で捉えるのだが、同時に二人の前にある格子窓を前景に収めてしまう。二人の前で存在感を放つ格子窓。山根はこの格子越しに二人が収まったショットを「まるで牢獄のようだ」と形容する。確かにその通り、娼妓たちを骨までしゃぶろうとする遊郭に二人が囚われているかのような感覚をそのショットから抱くことができる。私見によれば、この山根の指摘は千代松の脱走を示すショットにも当てはまる。息せき切って逃げているであろう千代松をキャメラは捉えることをせず、代わりに、彼女がそこから逃げたと推測できる大きく円い穴の開いた格子窓を映し出す。明らかに加藤泰は格子窓を、山根が言う「牢獄」のイメージと結びつけて表象していることが、そのショットからもわかるだろう。そして、山根はこの後の場面についても以下のように解説を続ける。
 千代松の足抜けが発覚し、混乱する現状を象徴するように、多くの人物が混在しているショットが提示される。その前景にはお絹がいて、後景では経営者が怒り心頭に発している。はじめ、お絹にピントが合っていなく、後景にピントが合っている。ここで、どこからか「救世軍」という言葉が発せられるのだが、それと同時に、ぼやけていたお絹にピントが合い、彼女が千代松から聞いた救世軍の存在に敏感な反応を示したことがピントの移動によって表現されるのである。この後お絹は、経営者に自分の借金がどうなっているのかを詰問し、物語が大きな変化を見せ始める。経営者に対して抱いたお絹の不信感が増大し、やがてお絹は足抜けを決意する。山根はこの何気ないピントの移動が物語を動かす契機になった重要な演出だったと評価し、単純に見えるショットのなかにも加藤泰の想像力が発揮されていることを強く語るのであった。さらに山根は、この後もお絹の心理的変化を、加藤泰が表象するお絹の映像からはっきりと感じ取り、加藤泰の演出に秘められた想像力の所在を明らかにしていく。
 お絹が恋仲となる河村甚吾郎(夏八木勲)から、足抜けの話を初めて持ち出される場面、ワイドスクリーンの横長の画面いっぱいに、横たわって抱き合う二人が映し出される。ここで山根が注目するのは見つめ合う二人の目の力強さである。なるほど、抱擁する二人の身体が生成した流麗な曲線はスクリーンを横断し、愛し合う二人を強く印象付けていることは間違いない。だが山根の言うとおり、画面の右隅で小さく光る二人の目もまたお絹と甚吾郎の大きな想いをわれわれに伝えていると言えるだろう。モノクロ映画である本作品のスクリーンに強烈な光彩を放つ四つの円形は、遊郭に「囚われた」暗闇の中にいるお絹が甚吾郎と出会い、映像通りの光を見つけ出したことを表しているようにも筆者は受け取った。そして、この円形の輝きはこの後お絹の心理がはっきりと顕在化する場面で、印象的に提示されていく。
 脱走に失敗した娼妓が経営者にリンチされる場面。山根は挙げていないが、この場面ではその場にいた娼妓たちが目を伏せる中、一人お絹だけがしっかりと視線を送っていて、お絹の力強い目が存在感を放つ。さらに、山根を驚かせた、脱走する直前のお絹の超クロースアップの目のショットは、千代松の脱走の証明として提示された切り抜かれた格子窓の円形に近い大きさまで拡大して捉えられ、彼女の脱走への決意を公然と表明している。こうして山根が注目するお絹の目の表象は、彼女の心理的高揚を示す指標となり、またわれわれを物語のクライマックスに誘導する道標となるのである。
 お絹は脱走を試み、外で待つ恋人の甚吾郎の下へと向かった。映画は、二人手を取って新たな未来へ駆け出していくショットで終わる。だが、ここまでの映画の流れから、その二人の未来は、明るい幸せなものとは必ずしも限らないと山根は言う。確かにそうだろう。しかし同時に筆者は、山根の分析から、どんな困難に二人が逢着しようとも、お絹の目から感じ取れる強い意志が、その困難を乗り越えていく可能性をも示唆していると感じるのであった。

北浦寛之(映画研究者)
京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程在籍。修士論文で加藤泰について論じる。主な著作に、「ワイドスクリーンにおける奥行きを利用した映画演出の美学 ― 加藤泰『幕末残酷物語』のテクスト分析」『映画研究』第2号(日本映画学会、2007年)、「加藤泰研究序説 ― 奥行きを利用した映画の演出について」CMN! no.11がある。

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