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2008年9月6日(土)
山根貞男連続講座 [加藤泰の世界]8報告《もうひとつの貌》を、若き映画研究者、羽鳥隆英氏がご寄稿くださいました。

《寄稿》 もうひとつの貌

羽鳥隆英

モノを作る奴、モノを書く奴は、あとで言い
訳をしないように心がけなければいけないよ

――長谷川伸 <註1>

 加藤泰監督『沓掛時次郎・遊侠一匹』(1966)は「有名な映画」なので、すでに御覧になった方も多いと思います。だから今日は、御来場の皆さんがこの映画についての感想をそれぞれ発表する会、ということにした方が面白かったかもしれません。山根貞男がこのように切り出したとき、筆者は、いまから始められる加藤泰論が従来とは趣を異にするであろうとの予感を覚えることができなかった。当日の講義メモを読み返すなかで、改めて日頃の精進が足りなかったことを反省せざるを得ない。実際、《加藤泰の世界》第8回において分析の俎上にのせられたのは、会場に来合わせた映画愛好家たちのあいだの合意とは裏腹に、決して『遊侠一匹』ではない。それではあのとき、山根貞男が、普段は銀幕に向けているところの批評眼をもって見つめていた対象とは何か。それは映画を見、映画について語ろうとする21世紀の人間たち、つまりわれわれ聴衆の心の内であったはずである。
 こうした見方に異論のある向きもあるだろう。山根は第8回目の講座でも『遊侠一匹』をめぐる興味深い逸話と見解とをわれわれに披露してくれたではないか、といった反論が聞こえてきそうである。無論、『明治侠客伝・三代目襲名』(1965)と本作品とをもって加藤泰と「決定的」にめぐり合ったという山根貞男が、『遊侠一匹』を軽々に論じる訳はない。事実、第5回(『遊侠一匹』と同じ長谷川伸原作の股旅映画『瞼の母』[1962]を分析した回)の講座に関する報告で筆者が試みた分類法を再導入すれば、映画記者/映画批評家という山根貞男のふたつの貌は今回も健在である。たとえば映画記者・山根貞男は『遊侠一匹』の主演俳優・中村錦之助が語った印象深い逸話を紹介する。映画の大詰め、大抵の観客(筆者も含めて)は主人公・沓掛時次郎が無職渡世の足を洗い、堅気に戻ったのだと理解する。しかし、この場面の演出にあたって加藤泰は中村に以下のように告げたという。すなわち、堅気の世界に戻ったように見えても、時次郎の行く手にはふたたび血なまぐさい未来が待ち受けている、あるいはそうした未来しか待ち受けてはいないのだ、という覚悟で演じてほしいと指導したのである。無論、加藤泰の演出意図に沿って『遊侠一匹』を解釈しなければならない道理などないのだから、時次郎の行く末は依然としてわれわれ観客の想像力に委ねられてはいる。とはいえ、山根貞男が中村錦之助とのあいだに築いた信頼関係のおかげで、撮影現場の加藤泰の片鱗をわれわれも中村と共有することになり、結果としてわれわれの解釈の可能性がより豊穣になるということもまた事実である。
 映画批評家・山根貞男の眼力もまた健在である。たとえば山根は、時次郎とヒロイン・おきぬ(池内淳子)とのあいだで行き来する櫛の提示方法に加藤泰の独自性を感じとる。おきぬの夫・六ツ田の三蔵(東千代之介)は、一宿一飯の恩義のために心ならずも討手となった時次郎と果し合いをして斬られる。三蔵は時次郎におきぬと子供を託し、果し合いのまえにおきぬから手渡されていた彼女の櫛をも時次郎に預け、息を引きとる。その後の展開のなかで、おきぬと時次郎は、それが許されぬ恋であることを知りつつも互いを思い始める。そして、おきぬの櫛は、それぞれが胸に秘めた思慕の情を託されながらふたりのあいだを往還することになるのである。ことほどさように重要な役割を担うこととなったおきぬの櫛を、いかにわれわれ観客へと提示するか/しないかという選択は、メロドラマたる『遊侠一匹』の出来栄えに深く関与するはずである。山根貞男は画面の流れを丹念に解説しながら加藤泰の演出ぶりを考察し、この映画の成功の一因をわれわれに解き明かす。
 このように枚挙に暇のない逸話と見解にもかかわらず、第8回目の講座の主役が『遊侠一匹』ではないと断言するには筆者なりの理由がある。実際、今回の講座でもっとも光彩を放っていたのは、映画記者でも映画批評家でもない、いうなれば山根貞男の第3の貌である。前述のように、『遊侠一匹』は山根貞男の人生に「決定的」な影響をあたえた映画である。本作品と『三代目襲名』とに衝撃を受けた若き日の山根は、400字詰め原稿用紙にして100枚という大部の加藤泰論を世に問い、映画批評の世界に足を踏み入れることになる。しかし、この論文のなかで、山根はある誤謬を犯していた。すなわち『遊侠一匹』の中盤、許されぬ恋の苦悩を語るともなく語る沓掛時次郎を加藤泰らしいロング・テイクでとらえたショットについて、実際にはカメラは移動しないにもかかわらず、それが徐々に被写体に接近すると記してしまっていたのである。この論文の発表からしばらくして、加藤泰の特集上映が組まれた際、山根は加藤泰と並んで『遊侠一匹』を鑑賞する。そして加藤泰の真横で自説の過誤に気づくという試練を経験するのである。山根によれば、この間違いは山下耕作監督『関の弥太ッぺ』(1963)と『遊侠一匹』との混同によるという。つまり、ともに長谷川伸原作=中村錦之助主演という共通点に加えて、『関の弥太ッぺ』における主人公と宿場女郎との対話場面が『遊侠一匹』の問題の場面と類似していたために(ともにロング・テイクでとらえられているが、『関の弥太ッぺ』の場合にはカメラが被写体に接近する)、山根の脳裏において「記憶の混線」が生じてしまっていたのである。
 以上がもうひとりの山根貞男による告白である。それは映画記者・山根貞男が撮影現場の映画人から聞きだした逸話でもなく、また映画批評家・山根貞男が銀幕との対峙のなかで導きだした見解でもない。しかし、筆者はそのなかに、『遊侠一匹』とは無関係の余剰として切り捨てることのできないある厳粛さを意識する。実際、それは映画を見、映画を語るという行為にともなうべき責任のありようをわれわれに伝えている。映画と銀幕との絶対的な紐帯が綻び切った時代を生きるわれわれにとって、映画の細部(たとえばカメラが被写体に接近するかどうか)を確認する手段としてのVHSやDVDはあまりにも身近な存在である。しかし、時間とともに変化する画面の一瞬一瞬と格闘する気概はかえって失われているのではなかろうか。あるいはインターネットが発達した現在にあって、われわれはあまりにも気侭に匿名の映画感想文を発信することができる。それゆえ、ひとつの画面の創造に携わった人間(たとえば監督)との真剣勝負を覚悟のうえで、それについての見解を世に問うことの緊張感など思いもおよばないのではなかろうか。おそらく、山根貞男はこう問いかけたいのだろう。たしかに、あの日の山根貞男は、自身の若き日の失策を懐古するという穏やかさに包まれていたように見える。しかし、その穏やかさの背後で山根がわれわれへと突きつけていたのは、映画をめぐるきわめて現代的な課題なのである。
 加藤泰監督『沓掛時次郎・遊侠一匹』(1966)は「有名な映画」なので、すでに御覧になった方も多いと思います。だから今日は、御来場の皆さんがこの映画についての感想をそれぞれ発表する会、ということにした方が面白かったかもしれません。このように切り出したとき、山根貞男はわれわれ聴衆に挑戦していたはずである。皆さんのなかの何人の方が本当にこの映画を見たといえますか、皆さんのなかの何人の方が自分の感想を加藤泰本人にぶつける責任に耐えられますか、というように。自身の出発点ともいうべき『遊侠一匹』と関連づける形で、映画を愛する全ての人間にかかわる問題をさりげなく提起してみせた山根貞男のもうひとつの貌を、ここではひとまず教育者としての貌と呼んでみたい。
<註>
1  稲垣浩「長谷川先生に学ぶ」、『長谷川伸全集』付録月報No. 9(朝日新聞社、1971年)、2頁。

羽鳥隆英(映画研究者)
日本学術振興会特別研究員(京都大学大学院人間・環境学研究科)。現在、長谷川伸を主題とした博士申請論文を準備中。

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