レポートWEBSPECIAL / REPORT

2009年6月21日(日)
神戸映画ワークショップのゲスト講師、万田邦敏監督による、一般観客向けの映画講座。
前田晃一氏がレポートしてくださいました。

《レポート》 映画講座 万田邦敏監督による「溝口健二論」

前田晃一

「映画を撮っているだけの人間です」
 
 映画を実際に作ることを学びたいと思っている人々が集うワークショップで、実際に映画をつくっている人間が映画の実践についての講義をするなら、初歩的な映画の撮り方の説明をしても仕方ないし、また、ある作品の構造を解説するのもいまさら芸がない話だし、まして、実作者であるなら自らの作法など、同じく映画を作ろうとしている人々に教える、なんてことも自らの秘訣を披露するようなことには照れがあるし、そもそも映画をつくることに秘訣なんてあるものだろうか。
 映画制作において、監督の役割など限られたものだ。作品の作者のように見なされても、監督自身ができることなどたかだか限られているのであって、そもそもスタッフや役者や、ましてや光があてられる対象が存在しなければ、何もできやしないのだ。企画はプロデューサーが考えるだろう。脚本は脚本家が書くだろう。現場の段取りをいかに仕切るかは助監督の役割だろう。芝居は役者がするものだろう。その芝居は照明と撮影が捉えるだろう。かのように、監督というものが実のところただ無根拠に存在しているものであることを学ぶのも映画制作のワークショップの意義かもしれない。
 しかし、この無根拠に存在しているからこそ、映画監督は無根拠に作品に対して確固たる関係性を構築し得るのだ。言うまでもなく、これは懐かしのハリウッド・タイクーンのプロデューサーたちのように作品があり予算があり人がいた上で、強権的にせよ、相対的に発揮される権力行使とは違って、映画監督は、作品に対してただ無根拠な存在であるが故にすべての要素と関係のすべての中身を外にさらけ出させ、その外に出た中身を「総体的」に「反射」させることであらゆるものに「芝居」をさせ、その反射と芝居の連鎖を権力の行使というよりは、いわば光源がもはやどこにあるのかわからなくなった乱反射する光をただ冷静に凝視する者として、唯一すべてに対して確固たる存在になり得るのだ。
 ここ神戸・新長田が舞台である傑作『ありがとう』の万田邦敏監督は、特別講義を「新長田でお世話になりまして、ありがとうございました万田です」とはじめ、自分を「映画を撮っているだけの人間で、映画を研究や批評している人間ではない」と自己紹介する。
 日本映画の古典について何が話せるかを考えてみたところ、映画にはかつて自分でも見たつもりになっていたものが、あらためて別の角度から見えてくることは誰にでもある。そのなかでも映画を作っている人間だからこそ見えてくる角度というものがあり、それについて今回は話してみたいとして選ばれた題材は溝口健二の『近松物語』である。溝口健二には既存の研究・論考が多々あり、自分が話をすることも既に論じられているかもしれないが、と断る姿勢は謙虚なように見えて、映画を作っている人間だからこその照れと自負が垣間見られる。
 
映画における関係と結末
 
 そもそもなぜ溝口なのか。もちろん万田の作品を見ていれば納得もいく選択ではあるのだが、例えばなぜ増村保造ではなかったのか、という疑問が万田の作品に打ちのめされてきたものとしては頭をよぎらないこともない。実際、講義中に、溝口というべきところを増村と発せられることもしばしばあったのだ。大映で増村が溝口の助監督であるといった映画史の事実はともかくとして、万田は映画を作っている人間として歴史的にそれを意識しているはずで、現在の作家としては、ワークショップの参加者たちも含めてあらゆる作家がそうであるように、既存の映画の系譜からどれだけ距離をとれるかを探ってもいるはずなのだ。その模索の試みとして、『近松物語』が議論の対象として選ばれた。
 『近松物語』は、長谷川一夫が演じる大経師の家に仕える手代で職人の茂兵衛と香川京子が演じるその家の内儀おさんが、ふとしたことから不義密通の疑いをかけられるが、やがて二人は真に愛するようになり、もともと女主人と使用人という不義の関係であった二人は心中をも決意するに至る。この悲劇の物語を描いたといえばわかりやすいのだが、「実は見ている人を物語の中にストレートに入れさせない何かがあり、溝口の映画というのは、映画を見て楽しもうというよりは、ついついお勉強させていただこうということで見てしまう。これは凄いという思いを自分のなかでふっと引くと、お勉強モードになり、溝口はいったいどういうふうにして撮っているのか、演出をしているのか、と冷めた気にもなってしまう」と、映画作家である万田はつい本音をもらしながら、映画を作っている人間だからこそ見えてきた角度がどのようなものかを、まずは『近松物語』の主たる物語を紹介しながら講義を進めていく。
 『近松物語』というと、通常は、おさんと茂兵衛の物語だと言われるわけだが、今回見直してみて、この二人に翻弄される以春という大経師(進藤栄太郎)と手代の助右衛門(小沢栄)による、ある種のドタバタ劇でもあることがわかって、これがとても魅力的で面白いことを発見する。
 映画の冒頭では主人と使用人というだけの関係であったおさんと茂兵衛が、心を通わせ、映画の最後には市中引き回しの上、獄門貼り付けになる。これと同時に、朝廷に暦を献上し専売を行う大経師の頂点に立つ裕福で権勢を誇っていた以春の家もまた、内儀が使用人と不義密通を犯したことによって結局、取りつぶされるという結末を迎える。
 万田は、『近松物語』の物語の構造を明らかにするだけでなく、それがいかに動いていくかに注目する。「映画はそのような関係に、そのような結末になってしまう」。つまり、関係がそのまま結末となる。ということは関係のもつダイナミズムが結末まで駆動していくことが『近松物語』には見られるわけだ。
 冒頭で、不義密通を犯した者たちが刑場に引かれていく姿をおさんと茂兵衛が見つめる姿が映し出され、これが二人の最期を暗示すると同時に、大経師と番頭が織りなす話の方も、これも冒頭に大変繁盛されている店の様子が映し出されるが、最後にはあっという間に荒れ果てた同じ室内が映し出されている。玄関は竹でふさがれて取りつぶしの告知がなされている。おさんと茂兵衛は最後、なぜか晴れやかな顔をして馬上に乗って刑場に引かれていく。これはおさんと茂兵衛が二人の関係=これが晴れやかな顔として映ることに他ならず、それがそのまま結末としての苛酷な運命を受け入れて、これから刑場に向かう。そして、ちょうどその背景に、同じように取りつぶしにあった大経師の家が見えてくる。かつては盛んだった家がこのようになった。こちらもおさんと茂兵衛の関係がもたらした結末でもあり、二つの関係が織りなす物語が、同時に同じような運命に見舞われるという動きがあること、この二つの関係のダイナミズムにこそまずは注目すべきだと万田は述べる。
 実際、万田が指摘するように、映画の分量的にも、おさんと茂兵衛が三分の二で、三分の一は以春と助右衛門の物語が描かれているように思えるのだが、しかし、おさんと茂兵衛の話と、以春の家が潰れていくという話が、実際にはあまりかみ合っていないのではないか、と疑問を呈する。確かにおさんと茂兵衛は不義密通により死に至ることが大きな縛りとなっている。そのことの波及効果として、以春の家が取りつぶしにあってしまう。しかし、家の取り潰しは、おさんと茂兵衛の関係を劇的に変化させるというきっかけにはなっていないのではないか、と。おさんの母親(浪花千栄子)に、大経師の家だけでなくこの実家までつぶしてしまうのか、と諭された時に初めて、家の結末が二人にのしかかってくる。しかし、それまで二人は家のことには無関心である。一方、以春と助右衛門は、取り潰しを気にするだけで、おさんと茂兵衛の関係そのものには、二人が出奔して以降はさほど頓着していないように見える(そもそも以春の怒りは後述するように自分が執心していた使用人に袖にされたことによるのだ)。ただ、家が潰れることだけに右往左往している。以春と助右衛門に加えて、わかりやすい腹黒さを持つ以三(石黒達也)も絡んでくるし、おさんの兄(田中春男)も面白いキャラクターであり、そもそも彼が金を無心してきたことが物語の発端だ。このようにおさんと茂兵衛の本線とともに映画全体を彩るようなかたちで複数の物語が進行している。
 しかし、先程の万田の疑問に照らして考えてみると、複数の物語がある一つの関係へと収斂し、やがて一つの悲劇的な結末を迎えるという構造にはどうも収まらないようだ。複数の物語がそれぞれに関係をもちながらも、しかし関係は関係として動き、その関係のダイナミズムは物語に波及するものの、物語の構造としての発端と結末へと至るダイナミズムはそれぞれ独自に進行している。刑場に向かう二人の背景に廃れた家が映るように映画は同一画面で二つの物語の関係と結末が示すことができる。言うなれば、溝口の映画は文字通り関係によって物語を「彩る」ものであり、それをいわゆる「昇華」とはまた別のダイナミズムとして作動している。溝口の映画は、したがって、物語の構造では収まりきらない何かを常に孕んでいることになり、それが「見ている人を物語の中にストレートに入れさせない何か」ということにもなるのだろうか。
 
「芝居とはそういうものです」
 
 溝口の映画の物語には入れさせない何かは、原作や脚本に孕んでいるものなのか。あるいは、監督である溝口の演出を経て生じた、原作や脚本にはない何ものかであるのか。それを「映画を作る人間」としては、どのように見たのか。そこで、『近松物語』が映画になる前、すなわち原作と脚本であった時点から、映画へと変貌していくなかで何が起きたのか。その過程を万田は丁寧に辿り直していくことになるのだが、まず万田が注目したのは、溝口の「芝居」の定義である。
 『近松物語』の原作は、近松の『大経師昔暦』と、西鶴の『好色五人女』の「おさん茂右衛門」の二つを合体させて脚本を作ったものである。題材は同じだが、話の筋は異なっている。依田義賢の著書『溝口健二の人と芸術』によると、前半の茂兵衛が大経師の家を出て行くあたりは近松の方から採り、その後に、二人が琵琶湖で心中するあたりは西鶴から採っているらしい。どちらの原作にも、いわゆる寝床での取り違えの場面は描かれている。使用人のお玉に言い寄る以春を懲らしめようとおさんがお玉の寝床にいると茂兵衛がやってくる。お互いに待っていた人物とは違う人物がやってくることで起きる取り違えが起き、そこで原作では、二人が関係をもってしまう。そして、琵琶湖近くの宿に人目を忍んで泊まった時にも親密な関係を結んでしまう。取り違えの時は、取り違えに乗じて何となくだが、琵琶湖では意識的に不義密通をしており、だったら二人は死ぬしかないと覚悟を決めることになる。
 依田の脚本も最初はこの通りだったが、溝口が二人の関係ができることについて、注文をつけた。そのくだりを万田は引用しながら説明する。
 「総体に芝居が出来ていないんですね(……)宿で、二人ができるのは困ります。それから琵琶湖で死のうというのではだめですよ。二人は死のうと思ってゆくんです。舟にのって死のうとしたときに、二人の気持ちが出るんだと思います。すると急に死ぬのが惜しくなるんです。芝居というのはそういうものだと思います。総体にそういうところがないんです。」
 ここで万田が強調するのは『近松物語』のなかでもとりわけ有名なシーンである心中について、その物語の流れを作ったのは、実は、溝口自身だったということである。もちろん溝口自身は引用に見られるように具体的には何も指示はしていない。実際の台詞は脚本家が考えるのだが、しかし、溝口の示す物語の流れは決定的である。茂兵衛はおさんを慕っていたが、おさんはまったくそのような気持ちがなかった。あのシーンで茂兵衛の告白を聞いて、おさんが茂兵衛に気持ちを預ける。二人の気持ちが通じ合うというか、一気におさんが茂兵衛に飛び込んでいく。「死ねんようになった……」。二人の関係が大きく変わり、物語が決定的に転回していく。それこそ二人が乗っている舟もすっと転回して進んでいく。
 この大変に重要な物語の流れは、溝口自身が原作とは離れてオリジナルなものとして考えたものである。このことを史的事実として知っておくことは確かに重要だが、万田がさらに強調するのは、「ここでもの凄く不思議に思うのは、溝口がこれを『芝居』と言っている点」である。
 「総体に芝居が出来ていない」とはどういうことなのか。普通、「芝居」というと、いわゆる演技のことを言う。芝居ができていない、すなわち演技ができていないということだが、どうもここで溝口が使っている「芝居」という言葉は、ドラマそのものかもしれない。宿で二人ができてしまいました、それで二人が死のうとして琵琶湖に行ったが、死ぬのが惜しくなって死ねませんでした。これではドラマにはなってない、というのならわかるだろう。しかし、万田は、繰り返し、「芝居」ではない、という言葉の使い方が重要であることを強調する。溝口は、いまでいう「ドラマ」あるいはドラマトゥルギーそのものを「芝居」という言葉で捉えていたことがわかる。もちろん実際に演技者が行う芝居にもかかってくる。しかし、いずれにせよ芝居というものが、演技だけではなくドラマも含めた「総体」として彼のなかにあったことが重要なのだ。
 
「反射してください」
 
 そして、溝口の「芝居」に関しては、もう一つ謎めいた言葉がある。それが、「反射」というものだ。
 溝口は芝居をつけるときに、具体的な指示は何も出さず、動きも表情も感情の説明も一切なかったらしい。しかし万田もが次のように例を出しながら述べるように、監督は程度の差はあれ、何かしら言うものだ。例えばマキノ雅弘はどの役者よりも演技をうまくやってみせたし、増村保造なら、「強く、死ぬ気で」と鼓舞して役者の内面を盛り立たせる一方で、ミリ単位で立ち位置を指示していたというし、小津もそうだっただろうと、作り手の実感として述べる。
 溝口はどうしていたか。リハーサルで、まずやってくださいと言う。しかし、役者はまずどうしたらいいのかわからない。とにかく何かやってみる。すると駄目と言われる。しかし、どこが駄目かは言われない。そこで、決めの文句が「あなたは反射していませんね、反射してください」だったという複数の証言が残っている。いかにも意地悪な溝口らしいエピソードではあるが、これは単なるエピソード以上に重要なものであるに違いないと万田はさらに考察を進めていく。
 そこで二つの証言が引用される。まずおさんを演じた香川京子による証言である。「ご存じの通り、監督はリアクションが大事だということをおっしゃって、反射を一生懸命自分で考えてやったわけです」。
 つまり、香川は「反射」をいわゆる「リアクション」として翻訳し、理解して実践していた。なるほど、反射をリアクションとするとわかりやすい。いわゆるアクション=リアクションの芝居であり、役者が芝居をする上でとても大事にしなければいけないことのひとつに、相手役の台詞をきちんと聞くというのがある。先ず一人の人間の発話があって、それに対して相手が応える。つまり、リアクションがあって、そのリアクションがさらにその相手に働きかけてさらにリアクションがあり、会話が続いていく。
 日常でも私たちが体験している会話では、会話の道筋も、それがどこに辿り着くというプランもないから、アクション=リアクションは話が盛り上がれば盛り上がるほど、どこかとんでもないところに行き着いてしまい、それが面白いのだが、映画の芝居は脚本の中に描かれたものであり、脚本ではどうなっているだろうか。もちろん、基本的にはアクション=リアクションの日常会話の構図をそのまま応用しながら、ただし作り手の持って行きたい方向に会話を仕組んでいく、そのように会話を脚本として書いていく。当然、演じる役者は、その脚本を読んで演じるわけだから、その会話が物語のなかでどの方向に流れていくか、この会話は何を狙いにしているのか、それらをあらかじめ了解してしまっている。結果として、いざその会話のシーンを演じる時には、相手の台詞が日常会話のようにアクションとして響いてこない。脚本に書いてあると、相手の発話があらかじめ、わかったものとしてしか聞こえない。さらに言うと、相手の会話が自分の会話のきっかけ=キューにしか聞こえなくなってしまう。このように、「反射」を相手のアクションに対するリアクションとしての芝居を意識することというふうに捉えるとわかりやすいし、演技者としてはそう理解して何も問題はない。実際に、香川京子の演技は素晴らしいものだ。
 ところで、この『近松物語』で助監督だった田中徳三による「反射」はリアクションではない、という証言もあることに万田は注意を促す。「溝口さんは不思議な監督さんで、溝口さん独特の言葉があります。有名なのは『反射』というけったいな言葉で、俳優に君はこの芝居の反射をしていないでしょう、と言うのです。要するに、太陽の光が来て、人間の姿が鏡に映る。この芝居はこういうものだから中身を反射させないと。君の芝居は脚本通りにしゃべっているだけだ」と。このインタビューの聞き手である山根貞男が、相手の芝居に反応するというリアクションという意味ではないのですね、と確認すると、「違います」と田中は答えている。
 万田は、先ず「太陽の光が来て、人間の姿が鏡に映る」ということについて、考えることを提案する。これは、太陽の光が来て、人間の姿が見えると思ってよいのだろうか。確かに光がないと人間の姿は見えない。では太陽の光は何を照らすのか。それは中身を照らしており、その中身を外側に反射せよ、と溝口はどうも言っているらしいと田中徳三は解釈しているようだ、と万田は理解する。しかし、これが通常のアクション=リアクションとどう違っているのかは、微妙でわかりづらく、いずれにせよ、「芝居」という言葉についてと同様に溝口の独特な解釈によるものだろう。香川にしても田中にしても、溝口に定義を聞いたわけではなく、溝口健二の「反射してください」という言葉を日々聞きながら、まさに反射として自分なりに解釈してきたに違いない。ならば、われわれも「反射」して考えてみようではないか、と。
 
活劇とオフの声
 
 そうした上で、この反射あるいはリアクションに対して、どっちの説を採る・採らないということではなくて、芝居という言葉をキーワードにしながら、例の心中のシーンについて、溝口の注文の意味をもう一度振り返ってみることになるだろう。
 それは物語の筋や主題にまつわるものではなくて、映画になって実現された具体的な身振りによって明らかになるものである。映画を作る人間ならではの眼差しで、役者の具体的な動きが示す効果について万田は注目していく。
 おさんと茂兵衛の物語はそもそもどのように登場してきたのか。助右衛門が使用人に檄を飛ばし。茂兵衛を呼ぶ。最初に茂兵衛が登場すると、風邪で寝ている。丁稚の小僧がやってくる。茂兵衛は仕方なしに立ち上がる。寝るというが、横臥であることは、まずニュートラルな姿勢である。そこに丁稚がアクションをしかける。このアクションのリアクションとして、茂兵衛が自分の物語に入ってくることになるだろう。
 一方、おさんは、琴を弾いた後で後片付けをしている。座っており茂兵衛のように寝ているわけではないが、立っているよりは座っているというニュートラルな姿勢であり、どこか手持ちぶさたに片付けている。そこに、「おさん、おさん」、という兄のかけ声がかかってくる。このアクションのリアクションをとることで、おさんもこの物語に入ってくる。
 ちなみに、以春と助右衛門の二人はどうだったかと言えば、助右衛門は立ってうろうろと歩きながら、使用人を叱りとばして、画面の横にふっと入ってくる。つまり、この人物はリアクションを待っているのではなく、自分からアクションをしかけている。以春は朝帰りで、店のなかを立って歩きながら、助右衛門が後をつけていく。彼もまたアクションだけの人物である(この主題については松浦寿輝の『祇園囃子』論である「横臥と権力」を比較すると興味深いだろう)。
 ところで、茂兵衛が風邪をひいているのはなぜかというと、依田によれば、茂兵衛の人間像をずっと掴めず自分の脚本の中に生きていないので苦しんでいたところ、企画者である辻久一がいっそのこと茂兵衛は風邪でも引いて寝ていることにしたらどうかと提案したというのである。なるほど、茂兵衛が病気で寝ているのをおして仕事をしなければならないという状況は、彼のこの家での立場をよく表すこともできるだろう。このように茂兵衛が寝ているという設定はアクション=リアクションとは関係なく出て来たのだが、おそらく依田は、溝口の反射・芝居、というものが身についているのである。だからこそリアクションを取り合うところから映画が出来上がってきたのだろう、と自身もまたパートナーと共同で脚本も書く万田はそのように結論する。
 さらに具体的な例は続き、茂兵衛とおさんが最初に出会うシーンである。不義密通をしたものが市中引き回しで店の前を通っていく。それを以春とおさんが見ている。これはもちろん物語の最後を暗示している。おさんが「あんな目にあうなら旦那に手打ちにしてもらったほうがいい」と話したあと、以春が先に店に入り、その姿が見えなくなると入れ違いに茂兵衛がやってきて、おさんに母親が来店してきたことの事情を問う。ここでは不義密通の二人が太陽というか鈍い光を放って、この二人をずっと照らしていく。その光の中で二人の運命が照らし出されるかたちで物語が展開していくだろう。
 その次に二人が出会うシーン。徹夜明けの茂兵衛が休もうとしているときにおさんが画面の外から呼ぶ。これが幽霊のようで、ちょっとドキっとするというシーンだと万田は言い、か細いおさんの「茂兵衛、茂兵衛」という声は、これから落ちていく二人の運命を、どこか暗い底から呼びかけているような声であり、しかも、これが画面のオフから呼びかける声であることに万田は注意を促す。
 こうして金銭の話が茂兵衛に伝えられたことによって、さらに二人の結末へと至るきっかけとなる。茂兵衛はおさんに頼まれた五貫目を用立てるために以春の印判を利用し、白紙手形に判を押すが、それを助右衛門に見とがめられる。ここでも助右衛門の声がオフから入る。二貫目の上乗せを持ちかけられるが、これを茂兵衛は断り、白紙に判を押すことはやめ以春に交渉しにいくことになる。実は原作ではこれは以春に見つけられて物語が進むのだが、映画の脚本では、助右衛門に見つけさせている。これは、助右衛門が茂兵衛の中身を反射することをねらっているのではないだろうか。律儀で正義感の強い茂兵衛のエピソードを出すと同時に、悪さに乗じてくることが却って茂兵衛の本当の姿を照らしだし、その反射によって茂兵衛は自らの中身に従うことになるだろうと万田は位置づけている。
 こうして、主要人物が一堂に会するシーンになる。おさんの部屋に五貫目の交渉をする茂兵衛と以春がやり合っている声が聞こえる。先程はおさんの声がオフだったが、ここではおさんがオフの茂兵衛の言葉に釣られて出て行くだろうと万田は指摘する。万田によると、『近松物語』とは、オフの声に釣られて出て行くと取り返しのつかない事態が起こる物語だということになる。そういう流れを考えて脚本を書いていたかどうかはわからないが、映画を見ることでわれわれは気づいてしまうだろう。それは、われわれもまた反射をさせられているということなのだろうか。
 さらにこのまま見ていると、おさんが必死に以春に取りなそうとするなかお玉(南田洋子)がオフから飛び込んできて、自分のために為したことだと嘘をつくシーンになる。このたたみかけるようなアクションが連続するシーンの見事な活劇性については蓮實重彦と山根貞男と青山真治が鼎談で触れていたはずであるが、これに万田の指摘を敷衍すると、溝口における活劇はオフの声に対する反射の連鎖であり、反射によって活劇の連鎖もまた生んでいるということにもなるだろう。長いワンシーン=ワンショットと同時に活劇についても考えてみたいところだ。
 さて、この反射による活劇の連鎖から、われわれで少し考えてみよう。この直前にお玉に言い寄って茂兵衛と将来の約束をしたと聞かされて断られたばかりの以春はこれをきっかけにお玉と茂兵衛が密通していると疑い、茂兵衛を納屋に閉じこめる。ここでおさんもまた自分の事情を伏せたままお玉と茂兵衛を庇うことで嘘を重ねることになる。市中引き回しが暗示であるなら、次いで二度目は嘘によって構成される密通である。このあと、おさんはお玉のところに自ら出向き礼を述べるが、それはおさんの思い違いであり、お玉は事情を知らずただ茂兵衛を思うあまりであったこと、そしてここで以春から言い寄られていることを知らされて、例の取り違えが起きるのだ。おさんが自ら出向いて思い違いからお玉に事情を述べたことによって三度目の密通が発生する。三度目では、嘘の実態が明らかになり、おさんがお玉から話を聞いて、お玉の代わりに布団に入るというアクションを生む。一方、納屋に閉じこめられていた茂兵衛の方は丁稚が寝ているすきに抜け出すというアクションを生む。そもそも思い違えの反射に端を発していることから、必然的に二人は間違った仕方で取り違えとして出くわしてしまう。それまでの嘘の実態は明らかになったものの今度は取り違えというダイナミズムが、疑惑の対象と嘘の位相を変化させ、疑いから目撃された事実として様相を変える。また、最初は茂兵衛だけがこの家を見限るという決意を抱えてアクションを採っていたのに対し、理不尽な以春の対応に反射したおさんにもその決意は連鎖している。ここでもなおまだ茂兵衛がおさんを諭すように、「このままでは真の不義者にされて張り付けです」という躊躇から何とかその事態は避けようと奮闘するのもまたこれ以降の物語の要素なのだが、しかし、反射の連鎖は止まるところを知らず、その結果、最初の暗示は、おさんと茂兵衛による事実上の不義密通から、やがて真性の本物の関係として結末を迎えるだろう。
 
映画は死ではなく晴れやかな顔のために
 
 溝口が、「芝居」というのはすなわち「反射」だと考えていたらしいことは先に述べた通りだ。反射がなければ芝居ではない。宿で二人が出来たら困る。なぜなら出来たから二人が死ぬというのでは、それでは何も反射していない。二人が死のうと思って舟で行く。舟に乗って死のうとした時に二人の気持ちが出る=反射する。すると急に死ぬのが惜しくなる。芝居というのはそういうものであり、つまり反射とはそういうものなのだろうか。
 いま万田も指摘していたように、琵琶湖の心中で決定的な反射が起きる前に、そもそもこの物語の始めからアクションとリアクションが繰り返されている。しかも、本人たちが自覚してアクションをして、それが事件を呼び込んでいくというのではなく、外側の事情から本人が思ってもみなかったようなリアクションをとっていくことが、逆に、逆にと、本人たちにとっては悪い結末を迎えてしまうように方向付けられている。
 やがて逃亡の疲れから、おさんは死を決意し、茂兵衛はそれに供することになり、琵琶湖で舟を漕ぎ出す。だが、気をつけなければいけないのは、この心中が二人の気持ちが高まって二人で企てられたものではない、ということだ。おさんのいささか世間知らずな行動による逃避行に、おさん自身が嫌気をさしてしまい、生き恥をさらすくらいならいっそと自死を決意し、茂兵衛はそれを止めつつも、それまでのおさんに対する密やかな恋心もあって「ごもっともです。参りましょう、お供いたします」と、なったのである。二人の思いが昇華して舟が死へと漕ぎ出されたのではなく、この段階では、主従の関係が存続した道連れというものだろう。
 ともかく二人は死のうと思って舟で行く。舟を漕ぐのは供である茂兵衛である。しかし、やがてここから、静かな波に揺られた水面の光に映えるようにして、二人の気持ちに反射が生じて、はじめて心中らしき身振りが見えるようになる。万田はこれを次のように解説していた。死のうと思うその気持ちが、まずは茂兵衛の中身を照らす。照らされた茂兵衛はおさんのことをずっと思っていた。死のうという気持ちが今際の際にそれを照らして表に出てくる。この思いをおさんに告げる。すると、それが太陽になり、おさんの中身を図らずも照らし出す。おさん自身でさえも意識していなかった彼女の中身を一気に照らしてしまい、茂兵衛の思わぬ告白に、「私を!」と驚くと同時に、声には出ぬが私がとその自分の中身にも驚くのだろう。この驚きが「反射」である。茂兵衛の告白に対するリアクションとしての驚きでもあるし、同時に、自分の中身に、私も茂兵衛が好きなのではないかと、このまま二人で生きていきたい、私は死にたくなくなった、ということになるのだろう。だからこそ、おさんの最初の驚き(それは茂兵衛が怒りと思い違いしたほど激しいものだ)がとても感動的であり、次の「死ねんようになった。死ぬのは嫌や。生きていたい」という悲痛な叫びも生きてくるだろう、と。
 ここで、身体を投げ出すという動きがいかなる反射によるのか、われわれで追ってみよう。おさんはこの叫びのあと茂兵衛に身体すべてを投げ出すようにして飛び込んでいく。舟はもう誰にも漕がれることなく、ただ投げ出された身体の揺れ、おさんが茂兵衛に自分をぶつける力と波が反射して、舟は進んで行くだろう。こうして、あとは照らし出された、あるいは反射したおさんの気持ちが全開のまま岸辺へとたどり着く。確かに琵琶湖でおさんの方は茂兵衛と一緒にいたいという気持ちが強く外に出る。しかし山中で手配が回っているのが自分だけであり、おさんのことを思い、自分だけが捕まろうとおさんの元を茂兵衛は離れようとする。茂兵衛、茂兵衛、と叫びながらおさんが挫いた足を引きずりながら山道を駆け下り(まったくの余談だが、ゴダールも『映画史』でこのシーンを引用していたはずだ)、おさんが転んでしまったところに、今度は茂兵衛が飛び出してくるだろう。「私がお前なしで生きていけると思っているのか。お前はもう私の奉公人やない。私の夫や、旦那様や」。茂兵衛がここでやっと二人一緒になると決める。「もうそばを離れません」と二人はお互いの身体を投げ出すことになる。舟の上では受け身であった茂兵衛だが、土の上で二人はともに激しく抱き合い、それは最後に引き回しの馬上で二人が縄に縛られながらもしっかり手を握り合いながら揺れるところまで持続するだろう。
 世間知らずのお嬢様だったおさんも茂兵衛を死ぬ覚悟で愛する気持ちだけになっていくという成長を遂げるだろう。茂兵衛の方は、おさんの母親にこの家も潰す気か、そんなひどいことをしに来たのではないだろうと言われると、それまでの倫理観の強い茂兵衛であればおさんのことを考えて自首をするはずだが、もうそんなことは考えなくなっている。茂兵衛にも、成長というか、大きな変化がある。おさんと茂兵衛がお互いに反射しあって変化をし、その結末が不義密通という罪になるにせよ、絶対に離れられないという気持ちにまで高まっていく。まさに万田は『近松物語』に「反射」しながらこのように解説するのだが、それは言葉を聞いているだけでも映像が浮かぶという事態すら陳腐に思えるように、われわれに感動を与えるだろう。
 ここでさらに反射ついでに報告から逸脱して言えば、なるほど、確かに反射による気持ちの高まりは、彩りから昇華への変化を促すだろう。とはいえ、ここでは、例えばバタイユなどとは違って、クライマックスとして死があるのではない。なぜなら二人はあくまでも生きることを決心して舟で行くのだから。その結果として死があるにせよである。だから市中引き回しのシーンでの晴れやかな姿は、万田の言葉を借りれば確かに「成長」の証なのだが、昇華といっても絶頂とは異なるように思える。これはまさしく絶えざる成長の証しとしてという意味で「生の讃美」が静かにあらわれた晴れやかさなのではないだろうか、とも思えるのだ。小池栄子のまさに反射としか言いようがない驚くべき動きと顔が見られる万田の『接吻』のラストではそれが激しくあらわれていた、といまとなって思う。
 なぜ今回、『近松物語』が選ばれたのか、その具体的な理由を私は知らない。しかし、「反射」について考えてみることで、何となくその答えは出せそうだ。もっとも「反射」はいろんな意味で解釈されていいはずだし、そもそも誰もが溝口のように考える必要もない。そもそも映画制作は、それがメジャーであれインディペンデントであれ、大なり小なりのチームで行われるのだろう(個人映画といっても上映しそれを見る人間がいるかぎりそれはチームだ)。制作においてスタッフ同士で反射できるか、役者は芝居において反射できるか、作品を見せるということで観客を反射できるか。そして、私は、溝口に反射した万田の映画制作に関係する講義に反射するつもりで総体としてワークショップに参加するつもりでこのようなレポートを書いてみた……。どうやってあんな場面を撮るのか、その具体的な技術についてはワークショップで修練できるかもしれない。しかし、反射という、具体的な指示は何もない溝口の演出のように実のところまったく無根拠で謎めいたものこそが、映画のコアにある。なぜなら光が反射してキャメラに映像として写し撮られて、しかもスクリーンに投射されて反射された映像が、映画なのだから。
 映画は反射した光でしかない。だからこそ反省よりは、逡巡することなく何事にも反射して何かをまずは為すべきなのだ。これは、実は映画を作ってこそ身をもって経験できるのかもしれない。それを現在の紛れもなく世界的な映画監督(これは躊躇なくそう言いたい)とともに反射しながら実体験できることなど滅多にないことである。

前田晃一(編集者・神戸市外国語大学大学院外国語学研究科博士課程在籍)
主な著作に、「いま、小津安二郎を「発見」する」(『世界』2004年1月号)、「黒沢清の慎み深さが世界の法則を回復する」(『文學界』2006年10月号)など。

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