レポートWEBSPECIAL / REPORT
2009 9
柳澤壽男の映画 一歩先を歩みつづける<直前の過去>

鈴木一誌(すずき・ひとし/グラフィックデザイナー)

 見終わったあと、登場人物の〈それから〉が気になってしかたない。これが、柳澤壽男作品の特徴だろう。あのひとたちは、エンドマークのあと、どうなっていったのだろうか。人物たちのそれからに思いを馳せたくなるのは、福祉ドキュメンタリーと呼ばれる五作品ばかりではなく、たとえば『富士山頂観測所』(1948)の気象部員にしても、東京電力のPR映画『野を越え山を越え』(1955)に出てくる水力発電所の家族にしても同様だ。フィクションとドキュメンタリーのちがいを問わず、登場人物の事後が気になる映画はあるが、柳澤作品ではことに気になる。まるで映画は、被写体の未来を想像するための助走にすぎないかのようだ。特徴のもうひとつは、映されている映像が〈現在ただいま〉ではなく、〈直前の過去〉に見えるということだ。おそらく、ふたつはひとつにつながっている。
 
 「僕はあまり過去を振り返りたくないんです。出身とか学歴は、どうでもいいと思ってる」と語る柳澤壽男監督の経歴を、簡単に振り返っておこう。1916(大正5)年、群馬県に生まれる。36年ころ、大曽根辰夫監督の紹介で、松竹下加茂撮影所に入り、チャンバラ映画の助監督を務める。いちばん多く付いたのが、犬塚稔監督の長谷川一夫ものだったという。いっぽう、41年に封切られた『小林一茶』(亀井文夫監督)を見て、俳句を記したタイトル一枚で画(え)の意味がひっくり返る凄さに震撼し、翌年退社。43年、日本映画社に移り、フィルムが不足する時勢のなかで、記録映画づくりの基礎を身につける。終戦直後、株式会社となった日本映画社で監督デビューし、『富士山頂観測所』『海に生きる』(1949、樺島清一と共同監督)などを撮る。50年、人員整理のため解雇される。おりしも企業PR映画が隆盛する時代のなか、1953年、岩波映画製作所と契約し、『新風土記 北陸』(1953)をはじめ、『室町美術』(1954)など、さまざまな題材の文化映画をつくる。並行して、日本映画新社、電通映画社、日経映画社の作品も手がけた。
 60年代なかば、公害をもたらしもする企業PRへの疑問から、岩波との契約を辞し、自主制作の道を模索する。四年有余の時間をかけて68年に、心身にさまざまな障害をもつ子どもたちの療育施設を記録した『夜明け前の子どもたち』を発表。以後、仙台・西多賀病院で療育を受ける、おもに進行性筋ジストロフィーの児童や青年およそ130人を追った『ぼくのなかの夜と朝』(1971)、仙台の重度身体障害者授産施設である西多賀ワークキャンパスで働くひとびとを捉えた『甘えることは許されない』(1975)、愛知県知多市の療育グループの活動を通して、地域と共生する福祉を描く『そっちやない、こっちや』(1982)、市民から不要品を回収しリサイクルする財団法人盛岡市福祉バンクを舞台にした『風とゆききし』(1989)を、上映活動を行いつつ、完成させる。
 「療育」とは、治療しながらの教育を意味し、「授産」は、失業者・貧困者に仕事を与え生計を立てさせること、と辞書にある。柳澤の福祉ドキュメンタリー五作品を全体像として見るならば、はじめの二作品は、ひとびとの病態と日常を凝視し、三作目からは、入所者と仕事の関係へと観察が拡張していく。個から社会的な広がりへという大きなうねりを感じさせる。99年に、83歳の生涯を閉じた。
 
 柳澤は、日本の映画監督のなかでは、亀井文夫、土本典昭、小川紳介の三人を尊敬する、と語っている。土本も小川も、柳澤より十歳以上の年下である。その小川が柳澤に「志を持ち続けろ」と言いつづけたそうだ。小川亡きあと、柳澤は、小川が繰り返した発言の意味を考える。結局、小川の叱咤を「お前の立場はどういう立場なんだ」との問いかけと受け止め、「お前は弱い人間の立場に立ち続けろ、そして自立して映画を作れ」とのメッセージだったと解釈する。この経緯を述懐する柳澤の口調からは、共感と同時に、小川への微妙な違和感が漂ってくる。強い志への違和感とでも言おうか。そんなに人間は強くない、との柳澤のつぶやきが聞こえる。
 柳澤は自身のことを、臆病だとたびたび話す。「弱い人間の立場に立ち続ける」ためには、作り手もまた、自身のなかの弱さを自覚したほうがよいのではないか。福祉ドキュメンタリー五作品は、さまざまな機関や組織を描くが、それらの機関や組織を全面的に肯定するわけではない。だが、全面的な否定でもない。『甘えることは許されない』では、生産の論理に福祉が従属させられるさまが、『風とゆききし』では、上意下達の組織運営がはっきりと批判されるのだが、仕組みや施設まるごとを弾劾しない。問題をかかえながらの、ひとびとのかけがいのない日々が綴られていく。問題をかかえているからこそ、ひとびとの日々はかけがいがないのだ。
 
 『ぼくのなかの夜と朝』に衝撃的なシーンがある。病とともにある青年が、嫌悪の表情も露わにツバをキャメラに向かって吐きかける。青年は、病者を見下ろす視線をキャメラに感じたのだ。『風とゆききし』には、撮られつつある女性が、風邪を引き咳をしながらキャメラを廻す撮影者を叱りつけるシーンがあった。あるいは、『そっちやない、こっちや』での、廃屋を改造して共同作業所「ポパイノイエ」をつくる場面。ナレーションは、撮れなかったシーンの存在を告げる。重度の障害をもつ男性は、なにも手伝えずにただ仲間たちの作業を見ている。だが、仲間がひと仕事を終え、休息をしようというとき、傍観者であるはずの彼がため息をついたのだと言う。彼もまた、仲間たちを眺めながら、ともに働いていたのだ。映画は、この光景を写しとることができなかった、と告白する。
 こんな場面もある。『風とゆききし』での不要品のリサイクルには、さまざまな作業が必要だ。古紙の山から、状態のよいものとそれ以外に選別する終わりのない作業や、ほかに使い途のない木綿を、ウエス(機械の油拭きなどに使う布)用に裂いていく仕事もある。障害の状態やそのひとの性格、さらには勤務評定によって、所長が各作業をひとびとに割り当てるのだが、本人の希望と合わないことも多い。眼帯をした女性が、所長のもとへ仕事の相談にくる。所長は、まず目を治しなさいと告げ、女性は去っていく。ここでナレーションは、キャメラがこの女性を見たのはこれで最後になった、と告げる。彼女が数日後に、用水路で水死体となって見つかるからだ。施設に適合できなかった人物の、自殺と認定される結末が語られつつ、〈見ること〉の絶望が画面から立ちあがる。
 柳澤のクルーは、土本や小川たちがそうであったように、現地に長期間とどまり、撮影したフィルムを、被写体となったひとびとに見てもらいながらフィードバックし、しばしば医療の資料として供しつつ、施設や組織に提案もおこなった。柳澤作品は、上映や提案によって撮られる側と撮る側とが交流していくようすを写しながら、キャメラが現場では異物であることと、さらには写らないことの存在をも伝えていく。迷い、ためらう、そんな人間の弱さに共振していくキャメラは、人間を事件によってではなく、日々の平坦さによって捉えることになるはずだ。
 
 柳澤の映像は、直前の過去に見える。現在完了の感触とでも言おうか。映画における〈現在〉とはなにか。劇映画での現在は、ストーリーに内在していると考えられるが、ドキュメンタリーではやっかいだ。撮影時点と編集時点のどちらが、現在なのか。柳澤の現在は、編集時点だと思われる。編集時点を現在とすることで、映像は、直前の過去に感じられるわけだ。小川紳介監督から、ドキュメンタリーでは、編集を他人に任せたらその作品は編集した人間のものになってしまう、と聞いたことがある。ドキュメンタリーでは、監督と編集は一体のものだということだろう。ドキュメンタリーにおける編集の重要性が、柳澤の現在を編集時点に置かせる。
 映画を現在完了の感触に包む要素は、ほかにもある。柳澤作品では、現場の音声がしばしば外されるのだ。映像に現場音を伴わせない手法は、シンクロ撮影が可能となったはずの『甘えることは許されない』以降の作品にも確信的に使われている。音楽やナレーションが添えられた無音の映像に向きあっていると、映像が対象化されるのを感じる。映像が素材として突き放され、撮影がそのままドキュメンタリーとなることが疑われている手触りがある。タイトル一枚で画がひっくり返った亀井作品からの遠いこだまがここに響いているのかもしれない。
 無音の映像に音楽やナレーションを添えるのは、現場音が採れなかったせいではないだろう。音楽やナレーションを添えるために、現場音を切り捨てたのだ。柳澤作品は、ひとびとの、けっして素早いとはいえない仕事ぶりや手わざを写しながら、「そのひとにはそのひと特有のリズムがある」とのナレーションをたびたび重ねる。特有のリズムをもつ者どうしが協働することで全体のリズムが生まれる、とも述べる。ひとびとの仕事ぶりや手わざに、柳澤作品は、作り手のリズムである音楽やナレーションを身振りに重ね、両者が共鳴するのを観客に体験させようとする。きわめて音楽的である。
 無音の映像に音楽やナレーションを添えるのは、古風な手法だろう。柳澤は、シンクロ以前ともいえるこの方法を最後まで手放さなかった。作り手は、かならずしも論理的にかつ流暢に話すわけではない被写体を前にして、彼らの仕事ぶりや手わざが秘めるリズムを掘り起こすために、無音を発明した。文化映画を思い起こさせる手法を再発見したのだ。柳澤は、国策記録映画から文化映画へ、さらにはドキュメンタリーへと進化していったのではない。すべての手法と技術を、被写体が潜める律動の発見のために投入した。
 
 福祉ドキュメンタリー五作品が捉えるひとびとは、自分とはなにかを求めて模索している。〈現状の自分〉と〈ありたい自分〉とのズレをなんとかして埋めようとする。〈自分であらねばならない〉ことが、課せられているとも言えよう。そんな義務感から逃れたらよいではないか、とも思う。だが、生きることが困難であればあるほど、ひとは切実に自分であらねばならない、と思う。懸命に立とうとするひとがいる。重力にあらがって立つこと、たったそれだけのことがこれほど大変なのかを、映像は見せる。ひとよりも二時間早く起きて、麻痺した自身の脚の重みに押しつぶされそうになりながら、作業服を着、靴下を履く人間もいる。ひとは、立ち、歩き、身だしなみを整え、精いっぱい自分であろうとする。それゆえ、入浴やプールなど、浮力が身体を軽くする水中では、彼らの顔がうれしさに弾ける。
 認知心理学者・佐々木正人から聞いた話を思いだす。脊椎動物、ことに人間は、重い頭部がてっぺんにあって、それを骨がグラグラと支えている、じつに不安定な構造体なのだそうだ。揺れつづける人体が、たとえば釘を打つ際、ハンマーの軌跡は一定であることができない。佐々木は、人間について「同一のことをわずかに違うこととしてやり続けるのが行動の原理だ」(『レイアウトの法則』春秋社、2003)と結論する。結果は同一でも、釘を打つひと振りずつは、微妙に毎回ちがう。単純作業のなかにも、過程があり達成がある。これが、柳澤が描こうとした人間のすがたなのではないか。
 釘打ちというそれ自体は単純かもしれない運動のなかにも、同一の結果をもたらすかどうかわからない未知が潜む。反復であればあるほど、わずかに違うこととしてやり遂げるという未来の芽が蒔かれている。それゆえ、立つこと、釘を打つこと、靴下を履くこと、歯車を選ぶことなど、一見退屈な作業を捉えつづける柳澤のドキュメンタリーは、見終わったあとに、登場人物の未来を想像させる。画面における過去完了の感触が、一気に未来に向かう。『夜明け前の子どもたち』の終局、ナレーションはこう語りかける。
「この子どもたちこそ、私たちみんなの発達のみちすじのたえず一歩先を歩きすすむ導き手なのだ」

第1回神戸ドキュメンタリー映画祭
《社会福祉への眼差し》柳澤壽男監督特集上映


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