レポートWEBSPECIAL / REPORT

2010年1月30日(土)
2010年1月に第1回《神戸映画資料館を支える会 会議》を開催いたしました。
そのシンポジウムの討論をまとめたものを掲載いたします(同じ内容を冊子「年間レポートno.3」に掲載しています。当館でお求めいただけます)。ここであぶりだされた様々な課題に、一歩一歩取り組んでまいります。
神戸映画資料館 安井喜雄・田中範子

シンポジウム「神戸映画資料館の可能性」報告

パネリスト:山根貞男(映画評論家)
      とちぎあきら(東京国立近代美術館フィルムセンター主任研究員/映画室長)
      安井喜雄(神戸映画資料館館長)
      宍田正幸(支える会代表・新長田まちづくり株式会社社長)
進行:田中範子(神戸映画資料館支配人)
 
田中…神戸映画資料館が開設され、2009年3月で2周年を迎えました。神戸映画資料館は2006年より2008年度まで兵庫県商店街活性化事業(先導的活性化事業)を活用し、新長田まちづくり(株)が事業主体となり神戸プラネットが委託を受け、運営してまいりました。しかし、2009年4月からは神戸プラネットが神戸映画資料館と一体の事業主体となり、独立採算事業として運営しております。独立採算事業になってから直面している財政問題と見通しについては、先程私から簡単ながら発表させていただきました。
このシンポジウムには、当館を様々な側面から応援してくださっている方々にお集まりいただきました。まずは1回目ですので、神戸映画資料館が向かうべき、期待されている方向について意見を出していただき、その意識を共有できるような場になればと考えています。
まず、日頃より映画講座やトークなどを引き受けていただき、当館の実情についても良くご存じの山根貞男さんからお考えをお聞かせください。
 
山根…神戸映画資料館はその名の通り資料館なので、上映館ではないんですね。全国各地で、シネコンに押されて経営に苦労している名画座がありますが、そういう名画座の苦労と、神戸映画資料館が今抱えている問題は違うでしょう。その区別を先ずはっきりさせておかないといけないと思います。
この神戸映画資料館は第一義的にはフィルムアーカイブである。安井さんが仲間と始めたプラネット映画資料図書館(以下、プラネットと略)で延々と収集してきた膨大な資料を、どうやってちゃんと保存して置いておくか。それが基本です。もちろん保存されているフィルムを上映して、皆さんに「こういう貴重なフィルムがありますよ」と見てもらうのは、学術的な意味からでも、単に珍しいものを見てもらうというのでも、良いことだと思います。けれどもそれをするためには必要な作業や設備を持続しないといけない。ここには貴重なフィルムを見ていただく設備があるんですが、その前段階として収集・保存という活動が必要であり、それに付随して上映もあるということを確認すべきでしょう。
そこで僕が一番気になるのは、この配布資料の「神戸映画資料館改革の推移」(注1)の中で2010年の運営欄に書かれている「収集資料整理のための人的財政的方策を」に関係する問題です。安井さんは大変貴重なものをたくさん持っている。しかし、整理されていなければ、宝の持ち腐れになってしまう。収集するのは良いんだけれども、整理を行わないと活用も出来ない。いろんな貴重な文献があって研究者が閲覧して活用しようとしても、整理しないことにはどうしようもない。というように、フィルムアーカイブである以上は先ず収集が大事なんですが、同時に整理が重要でしょう。そこで、その人的費用が必要になってくるわけですが、それをここでの上映利益から捻出するなんてことは、不可能だと思いますね。各地の名画座が上映活動でもって経済的に成り立たせるのに苦労しているのを見ても、資料を収集して整理するなんて出来るわけがない。だからどうしたらいいのかと考えるんですが、すんません、いいアイデアが出てきません(笑)。
東京国立近代美術館フィルムセンターのような国立の機関や、広島市映像文化ライブラリーや、福岡総合図書館の映像ライブラリーがありますけれども、これらはみな行政の機関なんですね。おそらく純然たる民間のフィルムアーカイブというのはここだけじゃないだろうかと思います。だから、もしここの運営が持ち堪えていけたら、世界的に自慢しても良いような場所になるのではないでしょうかね。とにかく、ここには重要な多くのフィルムや映画資料があるので保存しておかないと。総てを把握している安井さんが病気か何かで倒れたら、把握不可能になり、次にはバラバラになってしまいます。そういう危機意識を、われわれが持った上で方策を真剣に考えるとともに、兵庫県であれ神戸市であれ、または国の文化庁や文部科学省でもどこでもいいですけれども、早く持ってもらうべきだと、先程の田中さんの報告を受けてひしひしと感じました。
 
とちぎ…フィルムアーカイブとしての活動というものは、もちろんフィルムセンターとの活動とイコールであり、神戸映画資料館の抱えている悩みというのはフィルムセンターの抱えている悩みとイコールです。資金の規模とか人員の規模とか違いはありますけれども、基本的には同じ悩みを抱えているので、今からどうしようかという議論は我々にとっても共通の議論になってきます。
それで、まず先程山根さんが仰ったように、プラネットという拠点で安井さんがこれまで収集されてきたフィルムや様々な資料は膨大な量ですが、質の側面について一つお話ししたいと思います。実はフィルムセンターでは1994年から徐々に、そして2000年代から本格的にプラネットで保存されている可燃性のフィルムを安全なフィルムに変換して、ネガも起こして上映用のプリントも作るという作業をしています。そのようにフィルムを上映が出来る安全なものに置き換えるということは、狭い意味で言うアーカイブ活動になるのですが、そういう風にプラネットからフィルムを購入させていただいて、安全なものをフィルムセンターの収集品として持たしてもらい、上映させてもらうようにやってきました。そのなかのタイトルというのは大変貴重な恐るべき様々なものがあります。ここに来る前にリストを挙げて来たのですが、少し読み上げますとですね、伊丹万作、これは伊丹十三のお父さんなのですが、現存しているものがあまりありません。で、1932年製作の『國士無双』、これの現存しているものの全尺の不燃化作業を、他の素材とあわせて最長版の作成というものをさせていただいたこともあります。それから1900年土屋常二という最初期のキャメラマンが撮ったと言われている東京の両国の回向院でその当時行われていました大相撲を撮ったフッテージがあります。この『回向院の大相撲』というのは、その後、両国の国技館というものが出来るんですが、それが出来る前のものです。それから『関東大震災の実況』というものがありまして、文献的に言うと、文部省が委託して作った非常に有名な映画というのが一方にあって、もう一つ日活の向島のキャメラマンが撮ったものがあります。その向島のキャメラマンが撮ったと思しきフッテージ、これはこの前初めて出てきたものですけれども、プラネットのものとしてございました。それと、戦前のアニメーション映画の非常に数多くの貴重なタイトルがそろっています。ほかにも占領期時代の清水宏の『蜂の巣の子供たち』(1948)であったり、1970年代のNDUというグループが撮っていたドキュメンタリーの内、『アジアはひとつ』(1973)という作品の復元をさせていただきました。これら、おそらくこれまで50~60タイトルくらいのものをやらせていただいた経緯があります。
しばしばこのフィルムアーカイブの話をする際に口に出しているんですが、日本の映画は色んな理由があって、とりわけ戦前の映画というものは残されていません。実際には公式な記録として映画がどの程度作られたという記録はないのですが、ある程度信頼のおけるキネマ旬報とか映画年鑑などから調べた中で、劇映画という分野の日本映画の総数を一度試算として出したことがあります。1910年から2005年の95年間で約3万数千作品が作られてきたと言われています。つまり、一年間で平均して300本以上は作られています。戦前の日本の劇映画、総てがフィルムセンターが持っているとは言えませんが、かなり殆ど、残存しているフィルムがフィルムセンターにあると考えれば、1930年代の劇映画はその残存率は9.9%です。1920年代は3.4%、1910年代にいたっては0.1%以下しか残っていません。つまり戦争時に限定して言えば、戦争時代の日本の映画史は「欠落」なんていう言葉がとうてい生ぬるいくらいにフィルムが殆どないんです。殆どない映画史なんていうものを、一生懸命フィルムや文献や何かを探りながら行っていくことが、残念ながらある種の映画史研究のインフラなんですね。ということは、逆に一つでも何か残っていれば、断片でも部分でも、映画でなくても資料でも残っていれば、失われた映画の歴史が意味づけされる本当に貴重な資料になるわけです。そういう意味での貴重さというものを考えていただきたいわけですね。貴重さにあふれた映画の資料、フィルムだけではない資料がここにはあるということを考えて欲しいわけです。
それで、先程田中さんが仰っていた、自分達が持っているこの所蔵資料を、どういう風に活かしていくのかというのを今回考えたいですねということで、いったい具体的にどのようなことが出来るんだろうかと。これから皆さんを交えて本格的な議論になると思うんですけれども、皮切りの一つとして申し上げたいのは、フィルムセンターが抱えている悩みと一緒だということです。どういう悩みかというと自分達は大変貴重な資料は持っているし、それから保存収集活動をすることに対しても意義があると思っている。少なくとも、そこにいらっしゃるお客さんや関心を持ってくださる方には「貴重なものがございますね」と言っていただける。ただ、そのような人たちが微微たる数しかいないということなんです。そういう意味で言うと映画の資料でもあるフィルム自体の大切さということを、まずどれだけ知らしめることが出来るかということが、言い方が悪くてすいませんが、ある種の啓蒙というものが大切で、そういう拠点が神戸にあるということが重要です。それでそのことと、当然ながら人やお金や資産をどうやって運営していくかという戦略が是非必要になってくるんではないかと思っています。それでそういったことはフィルムセンターが抱えている問題と総て一緒です。ということで、しばし議論に参加させていただければと思っています。

田中…今、お話された、プラネットが持っているプリントをフィルムセンターの不燃化事業の素材として提供する際の「出し方」も工夫できるのかなと思っています。不燃化の成果はフィルムセンターの「発掘された映画たち」という上映企画で毎年のように紹介されています。その際、上映プログラムのリーフレットに、「原版提供元」というクレジットが常に載っておりまして、大阪のプラネット映画資料図書館の名前で記載されています。実際、フィルムを含む資料の“所蔵”は「プラネット映画資料図書館」なのですが、それと同時に、神戸映画資料館が“収蔵・保管”しているという所をアピールしていければ、歴史と実績のあるプラネット映画資料図書館と、神戸映画資料館との関係も理解してもらいやすくなるのではと考えています。

安井…今の不燃化の話から言いますと、本来なら、こちらの独自の資金で出来ればいいんですけれども、お金がなく、現像所の費用が驚くほど必要となるので、フィルムセンターさんのようにお金のある所にやってもらっているというのが現状です。
それで、なぜフィルムを集めるということを始めたかというと、大阪にフィルムセンターがあればこんな邪魔くさいことはやってないんです(笑)。東京にはフィルムセンターがあって、学生時代からそこでは見たい映画が上映されていて、自分自身うずうずしてたんです。最近は少し柔らかくはなりましたけれども、以前はフィルムセンターは外部に絶対フィルムは貸さないという姿勢だったので、我々上映している側はどうしたらいいかとなって。じゃあ、フィルムを集めようじゃないかということになったのがきっかけですね。
それから、新長田にゆかりはなかったんですが、なぜここに来たかというと、最初は倉庫が尼崎にあったんですよ。それで、尼崎の倉庫の近くの電柱を見ると、伊勢湾台風やジェーン台風でここの所まで水がきたと高いところに書いてあるんですね。それで、その時の倉庫は一階だったんで、もしもの時があったら危険だなと思っていたんです。その時にアジア映画社の朴炳陽さんが、新長田でNPO法人神戸定住外国人支援センターをやっている金宣吉さんという方をよく知っておりまして、何かいい場所があると話を持ってきてくださったんですね。もっと安全な2階の倉庫があると話が具体的になってきたんです。その時は、こういう上映設備を整えた資料館を作るという話は念頭になかったんです。私の主眼は、フィルムという物を移すということでして。当初はお金のあては無かったんですが、こちらの宍田さんが兵庫県の地域活性化の補助金を持って来て下さって、こういう施設を作って地元に還元できないかという話になりまして、2007年3月に神戸映画資料館が開館しました。だから成り行きでなってしまった感じがあって。しかし準備期間の1年を含む3年間で補助は終わり、2009年度からは、われわれの独立採算事業になり、これはえらい事になったということで、この会議を開いてもらいました。今後どうしていくかを考えていくそういう会だと思っています。

宍田…ちょっと事実関係が私の認識と違うようです。きっかけはですね、私が商工会議所におりました時、神戸定住外国人支援センターの金さんが、定住外国人の文化を見つめる講座をやりまして、その時の講師がアジア映画社の朴さんだったんですね。新長田がどんどん再開発されてビルなどが建って来ていますけれども、ミニシアターを作ったら面白いという話を朴さんから聞いていたんです。そうこうしている間に、私自身、新長田で再開発ビルを管理運営している会社に転職したもので、これは具体化できる話ではないのかと。ですから、先にミニシアターを作りたいという話をお聞きしていたんですね。安井さんが既に大阪でミニシアターをしてますし(注2)、そういうものができたらいいと。それを具体化するために、安井さんが収集されているものを移転しなければいけないという風に、最初聞いてたんですね。
そういうスタート時の思惑の違いもありますが、今日皆さんのお話を聞いてて、改めて自分は余分なことを神戸映画資料館に求めているのではないかと思いましたね。やっぱり一番値打ちのある部分というのは、今、無くなりつつあるものを、安井さんが個人としてコレクターとして集めていて、それを整理していく仕組みにしていかないとという話だと思うんですね。私自身は地域の活性化とか地域の為の集客施設になって欲しいという気持ちは当然あるんですけれども、本来の意味から言うとそれは二の次の話であって、貴重なフィルムをどのように整理してどういう風に活用していけるのか、そこの仕組みをどういう風に作るのかということを第一に考えていくべきものなのですね。私としては、今年度から新長田の街の映像記録とかギャラリーの運営を任せることで応援してきました。私の立場から出来ること、苦肉の策で私の範疇で出来ることをやろうとしてますけれでも、しかし、安井さんにとっては、本来はそんなことに時間を潰されたくはなくて、ちゃんと集めたものを整理してうまく使えるようにもって行きたいんだなと、それが本来なんだなと今日は痛感しました。本来の目的と違うことを押し付けられて時間を潰すのではなくて、お金を上手くどういう風に確保していくのか。そのためには、行政、国を含めてお金を出すということが必要なことだと今日改めて思いました。そのことを念頭において考えていきたいと、私自身、個人として思いました。ただまあ既に出来上がっていて、常に保持しなければならないということで、そこの工夫ではもう一回、頭をひねっていかなければと思った次第です。

山根…安井さんとしては、尼崎の倉庫から新しい倉庫へと移すことが主眼だったが、宍田さんとしては、先ず「ミニシアターがあったら良いんではないか」という話から始まったということですね。双方の思惑が最初から違っていたということが見えてきてるわけですけれども、僕は最初に、ここはアーカイブであってミニシアターではないという話をしました。しかし、今現在、既にミニシアターとしても機能しており、上映活動が資料館を知ってもらう一番の機会であることも間違いない。
先程、田中さんが一つの現れとして言いました。フィルムセンターの上映案内にプラネット映画資料図書館提供とあり、神戸映画資料館とは誰も結びつけて考えないと。そういったことが問題です。神戸映画資料館で何が一番大事かというと、貴重な映画フィルムを保存していくこと、整理していくことだという確認をしました。そのためには、このようなコミュニティースペースの活用が当然必要であって、だから、ほかの催しがあれば、このミニシアターでいろいろやれば良い。その際に、またお金が掛かると思うんですけれども、そういう活動が新長田の街にとって良いことだと思われるには、広報活動をどんな機会であれやっていかないといけないと思うんです。神戸映画資料館という名前が、映画ファンなどの間で「神戸映画資料館では貴重なフィルムを上映してるよね」というイメージで広がっていけば、新長田の一つの名所として注目されるでしょう。まず、ここがどんなにユニークな場所であるかということを知ってもらわないと。映画を安く見られるといったことではなくて、他の映画館ではやらない作品を上映していると、中身に興味を持ってもらえるような、貴重なミニシアターという認識が広がって欲しいですね。その上で、どうして神戸映画資料館が特別なミニシアターとして機能するかというと、独自のフィルムを持っているからだと。そんなふうになっていけば、神戸映画資料館の知名度が上がると思います。で、知名度が高まれば高まるほど、神戸市であれ兵庫県であれ国であれ、あそこは潰してはいけないという方向に向くと思うんですね。ちょっと甘いかな(笑)。もちろんこちらからも働きかけないといけないんですけれども。
安井さんがどれだけの映画の財産を持っているかは誰も知らないわけでしょう。だからこそ、整理が不可欠で、それを援助しなければいけないという流れを作っていかなければならないと思います。ですから、先程宍田さんが、「ミニシアターだと思ってやったんだけれども、ちょっと違った」、で、新長田ギャラリーでしたっけ、安井さんであれ田中さんなりに押しつけたと言われましたけれど、それは間違いじゃないでしょう。本人たちは嫌がっているかどうか判りませんが。神戸映画資料館が宍田さんの立場で出来るいろんなサポートに応じていくことは、神戸映画資料館の知名度が世の中に少しでも広がっていくことであると思うんで、それは間違いじゃないと思うんですよ。

田中…今、皆さんから大変力強いお言葉を頂きましたけれども、早急に理想的な形が得られる訳ではありませんし、その以前にこの場所を知ってもらう為に出来ることがまだまだあると思っています。
先程、私からの発表の時に端折ったんですけれども、お配りした資料の中に、収支の表を参考に付けさせてもらっていますので、説明させてください。今年度2009年の見込みと2010年度の見込みを出しています。今年度は新長田ギャラリーの運営ですとか、新長田まちづくり株式会社からの受託事業があるおかげで、わずかな赤字で収まりそうです。ひとつ上の項目の「プラネット分担金」というのは、安井氏が自分の物(所蔵品)を置くために倉庫があるという考えに即して支出してもらっている金額です。私の立場でこういう意見を言うのはおかしいのですが、安井氏がずっと集めてきた資料を使わせていただいているという神戸映画資料館としては、いただくどころか渡すのが筋だと思っています。
話を収支の表に戻しますと、ここで2010年度の見込みとして出した数字は、現状から考えた数字であって、基本的に目標とは違います。まずは、収入見込みの数字についてご説明します。興行収入や売り上げの営業高は現在の状態をほぼ維持した数字。フィルムレンタルに関しては、アーカイブ機能を高めることでアップが望める部門だと考えています。助成金に関しても、毎年色んなところに申請しているのですが、今年度より始めました神戸ドキュメンタリー映画祭の次回分に対して助成金を獲得することを目指しています。カフェスペースのサブリースに関しましても、今年8月から使っていただいているので、2009年度の家賃収入見込みはこういう金額になります。2010年度の1年間通してここで活動していただければ大変力になる収入が見込めます。(注3)
支出に関しましては基本的に今年度の緊縮策を踏襲するという姿勢なんですけれども、人件費に関してだけは希望を込めて2009年度より上げた数字を入れました。映画の資料整理は、現在ボランティアさんの力を借りて進めていますが、やはり週1、2回ですとか不定期な形で参加していただく方にフィルムの整理はなかなかお願いできない。それで、雑誌とか単行本とか、まだ未整理のものがたくさんあるので、そういったものから手をつけていただいています。パートタイムとか何らかの形で、整理のための人員を持てればいいなという希望を込めて人件費アップを目標にしています。
おおまかな説明になりましたが、ご意見いただけますでしょうか。

山根…プラネット分担金というのは何だろうなと思って表を見ていました。尼崎にあるときは安井さんが倉庫代を出していて、倉庫が新長田に移ったので、それと同じような形で払っていると、今の説明を聞いて判りました。けれども、そういうことなら、田中さんの説明にあるように、プラネットの集めたフィルムをここで上映している場合は、プリント借用料をプラネットへ払うのが普通ですよね。でも実際には、このプリント料として計上されている数字にはその分は入っていない。もしプラネット分担金というものがなかったら、ここにあるものをここで上映する訳だから、フィルム借用料を払う必要は勿論ないわけですけれども、分担金があるならば、借用料は払うべきだろうと思うんです。でも、その仕組みが変だといっても、分担金がないと神戸映画資料館は成り立たないわけですし、安井さんが納得して払ってるとしたら、僕としては何といえば困ります(笑)。

安井…当初ここが出来た時に、私が尼崎で払っていた倉庫費用をここに充当するということで経営的に成り立つという計画だったんです。だから、それがなかったらここの話はなかった訳です。だからそういう前提条件の下に今のここがあるんです。当初よりは、これでも下がってきてるんです。収入が増えることがあれば、これがもっと減額される可能性を期待しています。

山根…ここが無くて尼崎のままだったら、安井さんが自分で払わなければならないんだということは確かでしょうから、話は判るんですけれども、やはり理屈に合わないという感じがするのは間違いないです。直接の当事者ではない者としては、やはり収入が増えて減額され、変な状態をなくす方向へ向かって欲しいと思います。

田中…安井さんが何らかの事情で分担金を払えなくなったら、すぐに破綻をきたすという状態です。今はこの不合理な関係でそれなりに成り立っていますが、非常に不安定です。やはり、アーカイブというのは続けることに意義があると思いますし、今から考えておきたい問題です。

とちぎ…先程も言ったように神戸映画資料館とフィルムセンターの悩みは基本的には変わらないということを前提に聞いて欲しいんですが、フィルムセンターの予算の話をざっくりとしますと、大体90~92%が国から出ている運営費交付金で、残りの7~8%が自己収入という形です。逆に言うと、そういう体制でしか運営できないというのは確かなんですが、最近の政情では大変評判の悪い独立行政法人というのが我々の組織なので、基本的には確実に毎年何%かずつ予算が落とされていってますし、人員も減らされることはあっても増やされることはないという状態で進んでいます。だから前途は真っ暗ではないですけれども、大変暗いというところは確かなんですね。
ただ、その自己収入8%くらいの中で最大の収入源は、当然ながら上映活動なんですね。フィルムセンターは、上映本数が毎年増えていて、毎年おそらく700回くらいの上映はやっていると思いますが、年間おそらく15万人のお客さんが見に来ています。それから展覧会もやっていますが、展覧会は1年間大体1万人です。それから、フィルムを外に貸し出して巡回上映をするという番組を平成元年から、山根さんもそこの委員というものをやっていただいているんですが、もう21年続いている事業ですけれども、現在1年で190くらいの会場を回して、約10万人のお客さんが入場されます。だから20~25万人くらいの方が、フィルムセンターで持っているフィルムに接する機会を持っているわけです。やはりそれがフィルムセンターという場所の存在を知ってもらう大きな機会ですし、それを通して広報が動いていったりメディアが動いていったりということを含めて広報活動の柱になっているというのは確かであります。
けれどもフィルムセンターは、アーカイブという柱があるから上映があるという認識を高めてもらうのが我々の理想なんですね。そういうことを理想として目指していきたいというのがありますので、スタートラインは同床異夢だったかもしれませんが、同じ方向性に向かっていく必要があるでしょう。
それで、アーカイブということで言うと、アーカイブというのはフィルムを集めることからスタートする訳ですが、フィルムセンターはここ7、8年、非常に大量のフィルムを収集しています。金銭を払って収集をすることもありますが、非常に多くのものが寄贈という形で受け取っています。ちなみに昨年度は、ラフな数字で言いますと約8000本が寄贈という形で収集されています。作品数ではないので、基本的にはネガとかポジとか分かれますけど、約8000本のものを検査をして登録するわけですから、とにかくフィルムがたくさんあって大変です。フィルムを検査して、データーベースに登録して、補修をして、最終的に保存庫などに格納するまでの収蔵という流れをこの本数、1年間で行わなければならない。フィルムセンターで、ここまでのレベルは検査、登録しようという目標をこなしている人員としては、私が長として所属している部署に18人います。だから逆に言えば18人でやっている状態です。私のやっていることは全く中間管理職で、彼らの仕事の分量を采配するとか、残業をどうするとかが仕事の主であると考えていただいていいんですが、それでなんとかこなしているという状況です。だから結果からいえば、整理という作業はそれだけマンパワーがいる作業でもありますし、整理を支える備品とか知識とかも、レベルを高くすればするほど必要になるということです。
ただそれを考える時に、例えばフィルムセンターは最大限の保護をする、取り扱いをするとか多くの情報を集積することを目的としてやっていく。そのゴールを考えるにあたって、例えば整理をするマンパワーというのは、使いたい人が整理をすれば良いんじゃないかと。つまり利用したい人が整理をすればいいと常日頃思うわけです。我々のところでも寄贈をした人が、その後「使いたいから整理に行きましょうか」と言って下さったりします。最終的には知識・技術的な問題とかが生じてしまうんですけれども、でも、やはり使いたい方に、それは整理してくださいというのが当たり前じゃないのかという気がするんですね。
そこら辺で、表に書かれている「アニタス神戸との連携」というのが関係してくるのでしょうか。これは具体的にどのようなことをされているんですか?

宍田…アニタス神戸自体は、要はアニメ制作の下請けをする会社なんですね。一応、ここで連携といわれているのは、2月28日くらいにスタジオが正式にオープンになると思うんですけれども、それに先立って、神戸映画資料館を会場にしてアニメの上映会をやっていただいています。例えば「鉄人28号」のモニュメントが出来ましたので、そのアニメや「三国志」のアニメを見ていただいたり、そんなことを月1回やっているわけです。これは実行委員会を作ってですね、その中に神戸映画資料館も入っていただき、地元組織も入っていただいて、アニメ文化を新長田から発信しようという動きを作りつつあります。今後も、例えばここで上映会をやって、アニタス神戸で実際にアニメーションを作っているところを見ていただくとかを、仕掛けていこうと。そういうアニメ文化を発信する動きに神戸映画資料館も一緒に加わりますよと。さらにどんな形での連携が可能かについてはアニタス神戸さん、神戸芸術工科大学さんと話し合いながら追求している状態なんですね。

田中…とちぎさんの「使いたい人が整理したらいい」というお話を受けてなんですけれども、これについては、必要に迫られてそういう形で行っています。ここの資料整理をしてくださっているボランティアスタッフは、大学で映画を研究されている方が多く、それぞれ自分の研究に役立つ資料を見たいわけです。しかしそうは言ってもすぐには出てこない状態ですから、「整理しながら探して」と言っています。その場合は貸出しもしますし、どんどん活用してくださいと言っています。やはりボランティアの方も得るものがないと、根気も続かないですし。そういう意味で、お互いプラスになるような関係性をボランティアの方と持てているのはありがたいと思っています。
観客席からもご意見、ご質問いただければと思うのですが、発言していただける方いらっしゃいますでしょうか。

鴇明浩さん…NPO法人ヒマラヤ・アーカイブ・ジャパンの鴇と申します。去年、ヒマラヤ国際映画祭というイベントを主催し、神戸映画資料館で開催させていただきました。大変な盛況で驚きましたけれども、私どもでも、ヒマラヤのドキュメンタリー映像をアーカイブして日本で公開するという活動をアムステルダムの本部と二人三脚でやっていまして、非常に共通した悩みがあります。ですから山根さんやとちぎさんがおっしゃられた事には一々納得して聞いていました。
配布資料を拝見して、運営が非常に大変だということが良く判ったんですけれども、まずは情報の共有化を考える必要があると思います。今日の情報は映画の情報だけで固まっていると思います。長田区全体のポテンシャルというものと、資料館のある開発地域アスタ全体のポテンシャルというもの、そしてこれから少子高齢化、人口の構造が変わっていくということ。そして長田区、神戸市の財政状態も変わっていく中で、補助金なんかの形も変わっていくでしょう。そのような外的な構造をもう少し資料化してやっていかないと、映画の世界だけで話がまとまってしまったらオタクの会で終わってしまうんで、アーカイブの世界ではそういうことが必要かと思います。
後、ヒマラヤ国際映画祭をここで行ったときにアンケートをきっちりとったんですけれども、はっきり判ったのはここに来るのは神戸のお客さんだけだということです。大々的に広報を展開し、ヒマラヤ国際映画祭は新聞20誌、テレビ番組にも出演させてもらいましたが、それでもここに来るお客さんは神戸の方しかいなかった。つまり、地域に根付いた場所という意識をしっかり持って、長田区との連動をどうするかと考えることが必要です。
次にインターネットテレビ局の開設ということです。そういう風に世間がデジタルコンテンツ化したときに、安井さんが持っていらっしゃるコンテンツが、今後それを世界に発信できる可能性と、そのお金を世界から持ってこられる可能性です。なぜ世界化と言うかというと、私がやっていて思ったのが、オランダ人と日本人の文化事業に対する民意の差というのはもの凄くあるんです。はっきり言って日本人というのは文化芸術に対する意識というものが非常に低くて、我々のような行動に対して一切カンパがないんです。アメリカとかヨーロッパでは賛同してくれたらどんどんお金が集まってくるんです。この前のシーシェパードなんて、やっていることの善し悪しは別として、8億5千万円も集めているんです。そういう意味で、インターネットなどを通じて世界から資本金を集める可能性を考えるべきです。
それともう一つが大学との連携です。安井さんのアーカイブを、資料整理の実践的な教材として、資料アーカイブの研究員を育てるような大学にそのまま預けて、その資料整理自体をカリキュラムの一つとして組み込んでいくのはありなのかなと漠然と思いました。
それと、映画館の件について思ったのが、私はここで2回一緒にやらせてもらっているんで良く判るんですけれども、イメージ強化の話は非常に大事だと思います。集客数の多い京都文化博物館のように、「ここに来たら昔の映画が沢山観れますよ」というようなレトロ的なイメージとか、頻繁に活弁のイベントやるとか、地元の人がたくさん来る仕掛けをしたらいいんじゃないかと思いました。

齋藤光國さん…畑は違うのですが、一昨年まで神戸大学の国際文化学部という所でアートマネージメントを教えていた時に、学生を連れてここに来ました。その時以来ここの活動を拝見していて私が感じたことを2、3お伝えしようと思います。
実は、この4月から灘区民ホールの指定管理者に申請しまして、それが決まりました。そういった活動をしたいという教え子と2人で合同会社を作り手を挙げたのです。私がその運営を通じて考えていることをお話したいと思います。
今まで授業でも教えてきた資金を調達する様々な方法プラス、劇場ですから映画とは少し違うんですが、自分達がゼロから地域と一緒になってゆこうと。そして当然その中には、著作権であったり、特許であったり、ものを作っていったりであったりですね、そういった様々なものを取れるレベルまで自分達で関わりましょうというのが一つでですね、先程も言われていたんですが、地域の連携から世界の連携までやりましょうということです。
それから、別の事業という形で、アートのツアーをやりましょうと言っています。私は映画の世界はあまり知りませんが、例えば由布院の映画祭や山形のドキュメンタリー映画祭がありますが、神戸映画資料館が独自に組んだツアーをきちっとやって、映画を見るだけでなくて、個人にも旅行社にもできないようなツアーを企画するとか。
それから基金のことも考えていて、これは3年以内に何とかしたいと考えています。従来の基金というのはお金なんですね。しかし私の考えている基金とは人と情報と物なんです。お金だけで基金を考えると、企業、個人、会費、サポーターということになるんですけれども、そっちではないソフトなもの。地域であれば、大きな基金となるとどうしても公的なものとか時間が長く掛かってしまいますけれども、人であったり講師であったり情報を頂くとか様々なものを何らかの形で提供していただけるんじゃないかなと思います。

田中…お二人からかなり具体的な提案をいただいたのですが、宍田代表いかがでしょうか。

宍田…確かに今、沢山の方にご意見いただいて、少し視点を変えた形でご意見を頂くと色々なやり方があるのだなと改めて思いました。神戸映画資料館のスタッフの中だけで考えるのではなく、今日のようにいろいろな方とお話できて良かったですし、私の思考回路では限界のあるところを切り開いてくださったなと思います。本当に新しい取り組み方が出来そうだなと思いました。デジタルコンテンツの世界であれば投資もしていただけるという発想は今まで全然なかったものですから。逆に言うと持っているものが貴重だからこそそういう可能性があるんだなと思いました。本当に、アートのツアーの話でもそうなんですけれども、ここには神戸映画資料館だけでなく、アニタス神戸さんとかDanceBoxさんの劇場があるんですから、そういった新長田の少し面白いツアーに組み込むことも出来ますね。
それから、安井さんは安井さんとして考えていただかないといけない部分があるんだなとも思います。資料はあまり公開したくないという気持ちもおありなのかなと思いますけれども、こういう形なら公開も出来るという工夫を、安井さんのほうでもしていただけると道としては切り開けるんじゃないかなと感じました。

安井…皆さん有難うございました。皆さんの意見を参考にして、今後のことを考えたいと思います。
この後、『闇の手品』という作品を上映しますので、少し説明させてもらいます。このフィルムは多分、ここにしかないフィルムです。フィルムセンターにもおそらくないと思います(注4)。『何が彼女をそうさせたか』(1927)で有名な鈴木重吉監督が神戸で作った映画です。製作した本庄映画研究所というのがあります。まだ調べてないんですが、元町の花隈に昭和12年に開館した本庄映画場という映画館がありましたが、多分その関係のものだと思います。これは神戸三宮振興協会が募集していた映画脚本の懸賞当選脚本を映画化したものです。30数分の短い映画なんですけれども結構面白いんですよ。これは何回か上映しているんですけれども、昔のフィルムなのでベース面が薄くて上映するたびにフィルムが切れたり、パーフォレーションが傷んだり、状態が悪くなるんで本来はあまり上映したくはないんですけれども、本日は特別の上映になります。

山根…早く映画を見たいんですけれども、今までの発言を聞いてて大変面白いと思ったんで、少し付け加えます。配布資料の「改革の推移」という表でいうと、一番右にある「存続を目指して」のすぐ下に「支える会を母体に定期的に意見をまとめる」ということが書いてあります。やはりいろいろな人が集まると、面白い話が出てきますし、具体的な案も出てきます。情報の共有化ということがまずありますよね。今日の会議でいえば、支える会の会員でも来てない方は沢山いるわけで、そういう方に「こういう話が出たんですよ」と、メールで報告すれば、行けばよかったと思う方も出てくるかもしれない。そういう地道なことをやっていって、神戸映画資料館を支える会を、先程も意見が出たように1年間だけの会費で繋がるサポーターのようなイメージではなくて、違うものになっていかないと駄目だと思います。安井館長には、会議で出た意見を参考にするだけではなく、行動に移してもらいたい。さっきの宍田さんの発言、安井さんにも考えてもらわないといけないということは、とても重要なことだと思うんですね。

田中…今日の会の記録をまとめて公開することから情報の共有化を意識的にやっていければ思います。そしてこういう会も、私の希望としては年に2回くらいは開いていきたいなと思いますが、まずは、今日みなさんからいただいたアイデアで、手を付けられるところから始めていきたいと思います。折に触れ、それぞれのご専門の方にご相談すると思いますが、その際はどうぞよろしくお願いいたします。

注1:pdfファイル参照
注2:中崎町にあるプラネットプラスワン。開設当時はプラネット映画資料館の試写室でもあった。現在はグループの富岡邦彦が代表として運営している。
注3:2010年度開催の神戸ドキュメンタリー映画祭に対して、芸術文化振興基金からの助成が内定した。カフェサブリースはシンポジウムの時点で契約していたグループが3月で撤退し、改めて経営者を募集している。
注4:その後、フィルムセンターに『闇の手品』のプリントを原版として提供し、フィルムセンターの上映会「発掘された映画たち2010」で公開された。その際のプログラムには「原版保存:神戸映画資料館」と明記していただいた。