レポートWEBSPECIAL / REPORT
2010 8
『大殺陣・にっぽん剣優列伝』と伊藤公一さんのこと

鈴木義昭(ルポライター)

 新宿の小さなスペースだった。紀伊國屋本店の裏に今もある「アドホックビル」というビルの中にあった画廊兼用の会場は、今はもうない。いつ頃まであったかも、今は記憶にない。そこで『大殺陣・にっぽん剣優列伝』という映画の有料試写会がおこなわれたことだけは、確かだ。五十人位はいただろうか。
 満員だった。この映画が『浪人街』リメークの予告篇になるはずだったのだが…、と竹中が語った。前年から「キネマ旬報」誌上で、熱気を帯びていた『浪人街』リメーク運動、その中心的なツールとして、この映画が製作されたことを忘れることはできないだろう。「年表」を見れば、この映画が完成するのとほぼ時を同じくして、『鞍馬天狗のおじさんは/聞書アラカン一代』『日本映画縦断③山上伊太郎の世界』が上梓されている。その少し前には、深作欣二らが書いた「浪人街・ぎんぎら決闘録」が気に入らないと、自ら書いた「浪人街・天明餓鬼草紙」の脚本を、竹中は仕上げている。風雲急を告げるように、この『大殺陣』が世に送り出された。『ルポライター事始』(ちくま文庫版/99年)の巻末「竹中労の仕事」には、こうある。
 
『シネバラエティ/大殺陣 にっぽん剣優列伝』 夢野京太郎のペンネームによる企画・脚本&構成、演出/伊藤公一(羅針盤)プロデュース、マキノ雅弘・稲垣浩監修 67分/1976年)
 マキノ省三指揮『忠魂義烈実録忠臣蔵』を開巻に置き、尾上松之助、沢田正二郎、高木新平、団徳麿、大河内伝次郎、阪東妻三郎、嵐寛寿郎、市川右太衛門、片岡千恵蔵、林長二郎と、「剣優列伝」をくりひろげる。『浪人街』のラストシーン、赤牛弥五右衛門、悶死狂いの大殺陣に、「敵は本能寺にあり」と詩吟の絶唱をかぶせて大団円。シンセサイザーからジャズ、演歌、鼓、尺八のジンタと、奇想天外の音楽効果をコロムビアの森啓が担当した。

 
 伊藤公一さんと出会ったのは、高校生の頃に通っていた「巷談の会」。と言っても、僕は毎月通う若者で、伊藤さんは「会」の主催者だった。安藤鶴夫が小説にした講談の定席・本牧亭で、評論家や作家、ジャーナリストが毒舌放談。レギュラーの竹中が毎回「テロリズムの系譜」を語っていた。竹中と伊藤公一は、女性週刊誌の草分け「女性自身」で親しくなり、チームを組んだ間柄と聞いている。伊藤さんたちは、昔は竹中さんを「竹さん」と呼んだらしい。多くの有能な書き手や編集者が育った「女性自身」で、伊藤さんは「プロデユーサー志望」だった。早稲田で演劇をやっていたから、根っからの舞台派だった。折からの「光文社闘争」に巻き込まれ、伊藤さんは闘いの、竹中労は支援の中心にいた。共闘関係は、いつか外の世界にまで広がり、竹中が提唱する多くのイベントやコンサートの裏方一切を伊藤さんが仕切ることも少なくなかった。沖縄のジェームズ・ブラウンコンサートでは、伊藤さんは単身沖縄にに乗り込んで陣頭指揮。七〇年代の「大演説会」シリーズも伊藤さんの大きな仕事だった……。
 七〇年代から八〇年代にかけて、浅川マキのプロモートを行ったのも伊藤さんだった。
いろんな仕事をやったが、『大殺陣』は伊藤さん唯一の映画プロデュースだった。映画と同じ年の六月に渋谷公会堂で開いた「大殺陣大会」が、発展して映画『大殺陣』になった。
マキノ、稲垣両監督を始め、嵐寛寿郎、片岡千恵蔵、河津清三郎、東映ピラニア軍団などが集結、『血煙高田馬場』などの無声映画とともに華やかなステージを展開した。これの主催者だった伊藤さんに、「映画製作を」という流れはごく自然に決まったのに違いない。
 しかし、当時の「キネマ旬報」で、読者に圧倒的な人気のあった竹中の連載「日本映画縦断」の快調ぶりとは裏腹に、「浪人街」リメークはやがて頓挫する。深作欣二監督らの『浪人街』の予告篇的に準備されたアジテーション映画『大殺陣』の運命も翻弄されていく。東映の全国上映網にかけようとした企画だったが、完成した頃には東映との関係性は最悪に。新宿の小さなスペースを皮切りに、主に竹中の「講演付き」で各地の映画サークルや大学映研で上映がされるにとどまった。ナレーションの西村晃ほか一流のスタッフが集まったが、その制作費そのものが宙に浮いた。『大殺陣』の映像ルポとしての完成度とは反比例して、製作スタッフは苦境に立たされた。上映とともに「時代劇復興」の熱い夢を語り、当時の日本映画界を一刀両断にした竹中は気分爽快絶好調だったが、伊藤公一の敗戦処理、残務整理は長く続いた。要するに「借金」をコツコツ払って作品を作品たらしめたのは、伊藤プロデューサーの意地だった。
 ……今年2月1日、伊藤公一さんが永眠、生前の長きに渡り雑誌記者の心得など教えを受けた筆者に『大殺陣』フィルムの行く末が託された。僕は、伊藤さんが元気だった頃に、関係各所を回り「ビデオ化」を準備したこともあったが、実現までに至らなかった。現在は、ソフト化以前のフィルム上映と長期保存が大きな課題と考えている。聞いてみると、以外に見るべき人が見ていないこともわかった。完成もそこそこに、埋もれてしまっていた作品だから、それも仕様がない。しかし、今回『大殺陣』を初めて見られるという山際永三さん、宮崎博さんの感想など知りたいし、多くの若い観客にもこのシネバラエティがどのように受け止められるのか、興味シンシンだ。まずは竹中労絶頂期の「仕事」が、今もなお光彩を放つのか。神戸映画資料館の上映が試金石にもなろう。この映画に込めた竹中労と伊藤公一の熱い思いが、世紀を超えて甦るのか。映画の青春を蘇生して、チャンバラに映画の変革を夢見た作品『大殺陣』の志と可能性に出会い直す日が、ついに来た!

竹中労の仕事 パート1


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