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野上正義 追悼

昨年五月、久保新二「生前祭」なるイベントを手伝わされた。当日、早めに会場に行ってリハーサルなど眺めていたら、野上さんが足を引きずりながら会場にやって来た。司会をやるという。同じ会場で、上板東映の小林紘支配人の「偲ぶ会」をやった時も野上さんが司会だった。野上さんの司会は、安定感がある。僕なんか自慢じゃないが「結婚式」の司会も野上さんだ。僕の最初の本「ピンク映画水滸伝」の出版記念会も、司会は野上さんにお願いした。司会は、やっぱり人柄が出ると思う。アドリブやギャグが多い俳優さんと思われがちだが、オーソドックスな芝居をした上でさらりと素知らぬ顔でアドリブを入れる、台詞は押さえておいてのオフ・ノート、そんな芝居の出来る俳優だった。「相手がよく見えなきゃ、絶対こっちもよく見えない。喰われて食う」芝居が身上だった。人間性が貫かれた芝居と言うべきか。だから、野上さんが司会をする集まりが、よくあったと思う。「向井寛さんを偲ぶ会」の時も、司会は野上さんと久保チン。野上さんが淡々と進める横で久保チンがちょっぴり遊んだりしながら、進行していた。野上さんいやガミさんと久保チンの呼吸は、山本晋也の往年の映画を想い出させる。『痴漢電車』『未亡人下宿』などなど、若い頃にたくさん観た。でも、僕は、二枚目の野上さんが好きだった。若松孝二の『鉛の墓標』に始まり、多くの監督の映画でハンサムボーイを演じた。自ら脚本を書いて監督もした。いわゆるピンク映画だけでなくホモ映画にも挑戦したし、一時期はAVだって撮りまくった。レコードを何枚か出す歌手でもあったし、自分でエッセイもよく書いた。多芸多才だった……。
僕は、あの日、足を引きずりながら、久保チンの生前葬で司会をする野上さんが最後だった。野上さんが亡くなったことを知らせてくれたのも、久保チンだった。火葬場に駆けつけさせていただくと、野上さんは「プロフィール」を胸に眠っていた。あの世でもいい仕事をするようにという家族の計らいだったろう。あの世では、僕が編集をした野上さんの著書『ちんこんか』で対談をした竹中労に「来ちゃいましたよ」なんて言って、鍋などつついている様な気がする。竹中さんと野上さん、なんだかとても相性がよかった。ともに幼い日に生みの母と別れたという生い立ちがあったからか。野上さんも紳士なのだが、やはり激しい生き方だったと思う。竹中さんが大好きと言った野上さんの映画『大色魔』(山本晋也監督)が観たいが、もう無理なのだろうか。

鈴木義昭(ルポライター)

「映画芸術」2011年春号(第435号)掲載→「昭和桃色映画館」(社会評論社)第12章収


取材中の野上さん(1990年頃)        山本晋也監督と対談(1985年ごろ)

野上正義(のがみ・まさよし)
1940年3月2日、北海道白糠郡白糠村生まれ。道立釧路湖陵高校卒業後、上京して演劇活動。NBK(日本文化協会)研究生を経て、劇団世代結成に参加。青年プロに所属して、テレビ出演など多数。この頃、原田芳雄、石橋蓮司らとともに『事件記者』『特別機動捜査隊』などに出演する。関西テレビ『海の野郎ども』(63年)では隼主役。『地下室のうめき』(63年)でピンク映画に初出演。若松孝二『鉛の墓標』(64年)で初主演。60年代は若松孝二作品を中心に、葵映画など多くの独立プロ作品で主演スターとして活躍する。初期は圧倒的な二枚目、スター俳優だった。70年代以後は、山本晋也監督の『女湯』『痴漢』シリーズなどのコメディアンぶりが際立ったが、演技派として、また強い個性で独立プロ作品を牽引し続けた。72年の『性宴風俗史』(六邦映画)以後監督にも進出、多数の監督作品を手がける。高橋伴明、中村幻児、和泉聖治ら70年代後半~80年代初期に頭角を現した「ピンク新世代」の監督作品に、重鎮のようにご意見番のように参加、多くの名演を残す。次の世代の広木隆一監督の作品などにも多く出演、常に若手監督や後輩のキャスト・スタッフから人望のあるベテラン俳優として「桃色映画業界」を支え続けた。香取環、白川和子、辰巳典子など多くの人気女優の相手役を務めたことでも知られるが、代々木忠監督の『華麗なる愛の遍歴』(82年)などで愛染恭子と共演、ストリップ劇場でも相手役を務め全国を回った。日活ロマンポルノなどへの出演はもちろんのこと、80年代以後、ホモ映画や人気AVシリーズ『ボッキー』を監督するなど多彩な才能も見せた。「北島三郎ショー」の舞台(新宿コマ劇場ほか)、「ウルトラマンダイナ」(98年)など子供番組まで幅広い活動。歌手としても数枚のシングルを吹き込んでいる。多芸ぶりを本人も「十番勝負」と称して、楽しむ余裕もあった。一般映画やテレビ出演も多いが、晩年まで独立プロのピンク映画に出演し続けたスピリットは、あくまでも若々しく清清しかった。ハリウッド映画『ラーメンガール』(09年)にも出演。数年前に脳梗塞で倒れてから、闘病生活をしながら俳優業も続けた。受賞歴は「第1回ズームアップ映画祭助演男優賞」(79年)ほか多数。2010年12月22日午前0時12分、心不全のため死去。行年70歳。著書に『ちんこんか ピンク映画はどこへ行く』(三一書房/1985年)がある。


『地下室のうめき』(1963/増田健太郎監督)
ピンク映画初出演。脇役なのにポスターに大きく名前が出ている!

『軟派』(1966/内田宏監督)        『未知のセックス』(1966/山下治監督)


60年代半ばの葵映画作品


『肉体の誘惑』(1967/西原儀一監督)


『昂奮』(1968/奥脇敏夫監督)


『情事残酷史』(1968/山下治監督)

『肌のもつれ』(1969/佐々木元監督)

『若妻人質性拷問』(1983/野上正義監督)
深川通り魔殺人事件の川俣軍司がモデルの事件もの
(左)演出中の野上さん、(中央)主演の友川かずきさん

まぼろしの昭和独立プロ黄金伝説 前編
[第一の伝説 名優・野上正義 追悼]

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