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香取 環の部屋

ようこそ、「香取環の部屋」へお越し下さいました。
香取環さんの神戸映画資料館「トークショー」出演を記念して、少しでも「伝説の女王」の魅力に触れていただくべく、開設を思い立ちました。鈴木義昭『昭和桃色映画館』(社会評論社)で使用した写真を中心に、本書に未収録の彼女へのインタビュー記事なども掲載いたします。「昭和桃色映画のヒロイン」「60年代独立プロトップ女優」として活躍した姿が、いま鮮烈に甦ります。10月22日「トークショー」で実物に、単行本「昭和桃色映画館」でその全貌に出会っていただくべく、そのイントロダクションとして構成いたしました。最後まで、どうぞごゆっくりお過ごし下さい。お茶などご用意の上、お楽しみいただければ幸いです。なお、お部屋の最後に「案内」もございますが、拙著『昭和桃色映画館』は、神戸映画資料館で好評発売中です。まだお読みでない方は、ぜひ、ご購入を。10月22日の「トークショー」では、休憩時間などに割引販売&プレゼント(ポスターなど)など豪華特典のサプライズ企画も準備中です。ぜひぜひ、神戸までお越し下さい!

石原裕次郎や美空ひばりの活躍と共にやってきた史上空前の映画ブームが去り、テレビの普及に押されて斜陽化が始まった日本映画界で誕生したのが、俗に「ピンク映画」といわれたエロチック路線。その「第1号」といわれるのが昭和37年公開の『肉体の市場』。主演女優で文字通り「ピンク女優第1号」と呼ばれたのが香取環さん(当時24歳)だった。香取環さんは今何をしているのだろう。
香取さんは熊本県の製薬会社の四女に生まれ、高校生でミス・ユニバース熊本代表に選ばれる美少女だった。昭和33年日活入社、赤木圭一郎と同期の4期だった。吉永小百合や浅丘ルリ子にも負けないスター女優への道が開けるかとも思われたが、作品に恵まれずいつしか大部屋女優として忙しく飛び回る毎日だった。
「当時、もう日活は潰れそうだったのよ。急に仕事が減って食べていかれなくなってね。チョイ役は1本で5千円のギャラにしかならないから、5、6本は出ないと生活して行けなかったのよ。そんな時に独立プロの仕事を紹介されたのよ。主演で1本2万円、そいでよしって思ってね。台本見たら、日活よりも薄い台本だけど、ドラマはちゃんとあるし何の抵抗もなく最初は出たのよ」
当時のピンク映画は、裸といっても今から考えると大人しいものだが、時代が違う。『肉体の市場』は公開直後に「猥褻」容疑で警視庁に摘発されている。問題になった3シーンを再編集した映画は逆に話題を呼んで、大ヒットした。
「大蔵映画の始まりよね。社長の大蔵さんに口説かれたんだけど、お金じゃ転ばないって言ったの(笑)。九州女のわるいところかな、でも私にはそんな気はないから(笑)。それから、アチコチの独立プロに出るようになって、気がついたら600本よ(笑)」
『不完全結婚』『新婚の悶え』『甘い罠』……。出演作品は彼女の熱演もあって、必ずヒットするという業界のドル箱スターとなった。日活時代は顔は童顔なのに身体はグラマーでバランスが悪いといわれたが、ピンク映画ではそれが良かった。ファンは急増し、何本もの撮影現場を掛け持ちする程の売れっ子ぶり。さすがに日活で鍛えた演技力は、新人女優やグラビアモデルが次々に脱がされて出演するのとはひと味違い、大人の色気に溢れていた。昭和47年に引退するまでの長い間、彼女は名実ともに「ピンクの女王」として君臨した。
その後行方不明とさえいわれた彼女だが、実は最近になって故郷熊本で元気に暮らしていることが判明。
男っぽい性格で、撮影現場をいつもリードしていたが、日活ロマンポルノの登場でさらに過激になるピンク映画に見切りをつけたという。 東宝の二枚目俳優の船戸順との結婚で週刊誌に追いかけられたこともある。3度目の結婚では、男の子も生まれた。そしてまた離婚。恋多き女、男に貢ぐ女といわれた彼女だが、それからは子育てに孤軍奮闘した。男運は決して良くない。しかし「東京でピンク映画なんかに出たからよ」といわれるのが悔しくて、次々に資格を取りガソリンスタンドなどで働いた。今は親族が経営する会社の社員食堂を任され「食堂のおばちゃん」だ。
「そりゃ必死よ、生きていくために(笑)。だけど息子は立派に育ったと思う。親馬鹿じゃなくてね(笑)」
熊本で会った香取さんは、伝説の女優らしく年齢よりはずっと若く見えた。往年の名演技を想いだすセクシーなおばちゃまだった。地元の文化祭や集まりでは今も歌ったり踊ったり、人気者だという。

鈴木義昭(ルポライター)

 

「報知新聞」首都圏版(2007.2.12)掲載

この記事が鈴木義昭の書いた「香取環インタビュー」の最初の記事


内田高子さん(右)と香取さん        高橋伴明監督(左)と香取さん。
向井寛監督お別れ会にて

香取環(かとり・たまき)
1939年熊本市生まれ。九州女学院高校在学中にミス・ユニバース熊本代表、全国大会で準ミスに選出。卒業後、日活第四期ニューフェイスに応募し入社。同期に赤木圭一郎がいた。本名の久木登紀子の名で多くの作品に助演したが、61年に日活を退社。佐久間しのぶの芸名でテレビにも出演。62年、ピンク映画第一号『肉体の市場』に主演、芸名を香取環と改名。以後、その演技力で60年代のピンク映画に「女王」として君臨。72年に映画界を引退。

秘蔵写真館
 

 

九州女学院在学中にミス・ユニバース熊本代表に(56年)
 

 

高校卒業後、日活ニューフェイス第四期生ほか、同期撮影所入社女子と
(左から二人目が香取さん/1957年頃)
 

 

『肉体の市場』(小林悟監督/協立映画/大蔵映画配給/1962年)スチール
 

日活を飛び出し独立プロ作品で主演。「六本木族」の姿を描き評判を呼ぶが、公開直後に摘発された
 

 

『不完全なる結婚』(小林悟・木元健太監督/純潔映画研究会/大蔵映画配給/1962年)スチール
香取環の独立プロ主演第二作。不能の夫との性愛に苦悩する若妻を熱演、注目された
 

 

葵映画専属時代。事務所黒板上には香取の写真が飾られた(66年頃)
「葵映画」出演作品傑作選
 

 

『美しき悪女』(1966/西原儀一監督)

『狙う』(1966/西原儀一監督)      『泣き濡れた情事』(1967/西原儀一監督)


『あまい唇』(1966/千葉隆志監督)


『あまい唇』


『あまい唇』


『あまい唇』


『桃色電話』(1967/西原儀一監督)


『引裂かれた処女』(1968/西原儀一監督)


『性の階段』(1968/西原儀一監督)


『初夜が憎い』(1968/千葉隆志監督)

2011年10月21日(金)〜24日(月)
まぼろしの昭和独立プロ黄金伝説 後編
[特別編 伝説の女王・香取環]

過去の上映
60年代・独立プロ伝説 西原儀一と香取環 前編
60年代・独立プロ伝説 西原儀一と香取環 後編


鈴木義昭「昭和桃色映画館」出版記念会(7月14日/東京阿佐ヶ谷・山猫軒)で、
『桃色電話』などで共演した、旧友の俳優椙山拳一郎(右)と再会。

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