レポートWEBSPECIAL / REPORT
〈言葉〉を撮るドキュメンタリー
──濱口竜介・酒井耕の東北三部作について

井上正昭(翻訳・映画雑文)

『なみのおと』

 濱口竜介の映画には、はじまりからして過剰なまでに言葉があふれていた。最初期の『何食わぬ顔』のラストちかく、走る電車のなかで、登場人物のひとりが辞書の「なつ」ではじまる項目を延々読み上げる場面。瑞々しい短篇『はじまり』で、田舎道を歩き続ける少女の独り語り。『Friend of the Night』で、少女時代の恐ろしい体験を語る女の長いながい告白。『PASSION』の全編にわたって異常なまでの熱量で繰りひろげられる言葉の応酬。『親密さ』の芝居をめぐるディスカッションと、その上演のなかで読み上げられる詩や手紙……。濱口竜介はなによりも「言葉」を撮る監督だった。
しかし、なにもこれは劇映画だけに限ったことではない。東日本大震災後、濱口竜介が酒井耕と共に、津波被害の跡をたどるように三陸海岸を車で南下しながら、各地で被災者たちの声を集めてまわって一本の映画にしたドキュメンタリー作品『なみのおと』と、その続編と言うべき『なみのこえ』(『なみのこえ 気仙沼』『なみのこえ 新地町』)、さらには、そこから派生した『うたうひと』もまた、これらの劇映画の延長上で、〈語る〉映画を純粋状態にまで突き詰めた作品と考えることができるだろう。そういう意味で、この東北ドキュメンタリー三部作は、震災によって偶然生まれたにすぎない、濱口竜介のフィルモグラフィーの傍系に位置する作品などではなく、その可能性の中心にある作品であると言っても間違いではない。そもそも、これらの作品は〈ドキュメンタリー〉と呼ぶにはどうにも奇妙な映画なのだ。

波打ち際に緩やかに打ち寄せる波が、一瞬、ほんの少しだけ強く押し寄せる。海岸には、崩れ去った堤防らしきものの一部が見える。津波を連想させるのはわずかに冒頭のこの数ショットだけだ。震災をテーマにしたドキュメンタリーとしては異例なことに、『なみのおと』には、家や人や街を飲み込んで流し去ってゆく津波の映像も、地震によって破壊つくされて荒廃した風景も一切出てこない。映画は、殺風景な部屋のなかで津波の被災者たちが語る〈言葉〉をひたすらキャメラに収めてゆくだけであり、インタビューとインタビューのあいだに挟まれる車での移動シーンに映し出される風景にも、現地に馴染みのないものが見るかぎりでは、地震や大津波の痕跡はどこにも映っていないように思える。
震災直後、キャメラを向けさえすればどこにでも映ってしまったに違いない災害の光景を、見せないことの方がむしろ難しかったに違いない。それをこのように徹底して排除していったのは、むろん、この映画の監督たちがあえて選んだ美学的、そして何よりも倫理的選択である。この選択は、例えば、ナチによって残された収容所の映像を使うことを自らに禁じ、その犠牲者と加害者に取材したインタビュー映像だけでホロコーストのドキュメンタリーを作った『ショアー』のクロード・ランズマンを少し思い出させるかもしれない。どのような映像を見せたところで表象できない未曾有の出来事があるのだ。たとえガス室の映像が残っていたとしてもわたしは破棄するとさえランズマンは発言して物議を醸したのだった。
たしかに、濱口・酒井監督が津波の映像を見せないことを選択したのは、震災直後からメディアが垂れ流し続ける災害のイメージに対するひとつの批評であったことは間違いないだろう。しかし、そのあたりのことを説明する濱口監督の言葉は、非常にユニークで意表を突いている。

「ただ、ぼく個人の問題意識で言うなら、そうしたネット上の映像を見ながら、このキャメラポジションは、物事をとらえる上での正しいポジションではない、ということをずっと思ってました。あくまでキャメラポジションの問題として、ですけどね。変な話、ある意味で「間違った」映像にフィクションを奪われたような、そんな気はしていました。東北に行くということは記録映像、ドキュメンタリーを撮ることだけれども、フィクションを取り戻しに行く、という考えが強くありました。」(註1)

なんとも奇妙な言葉だ。つまり、このいかにもドキュメンタリー然とした映画は、フィクション映画として構想されたのであり、そしてフィクションとはここでは何よりもキャメラポジションの問題だったのだ。

津波の被害にあった友人同士、夫婦、あるいは姉妹といった、親密な関係にあるふたりが向かい合うかたちで座り、震災の起きたとき自分が体験したことを語り合う。それをキャメラは、最初、斜め方向から、語るものと聞くものの顔を交互に画面に収めてゆくのだが、あるとき不思議なことが起きる。斜め方向から撮っていたはずのキャメラが、不意に、対話者を真正面からの構図=逆構図の切り返しで捉えはじめるのだ。多少とも映画の撮り方を心得ているものならば、これがありえないキャメラのポジションであることがわかるだろう。これは話者が直接キャメラに向かって語りかけるフィクション映画(例えば小津作品のような)でしか可能でないはずの切り返し画面なのである。
むろん、彼らは書かれたセリフを喋っているわけではなく、その場で思い浮かんだことを喋っているに過ぎない。では、どのようにすればドキュメンタリーでこういう真正面から顔を捉えた会話映像が撮れるのだろうか(種明かししてみればなんでもないような簡単なトリックがここでは使われているのだが、それはあえて説明しないでおこう)。
今問題にしているようなことは、映画に詳しくない一般の観客なら見過ごしてしまうようなことなのかもしれない。このようにキャメラのポジションが注目されること自体、はたして監督たちの意図したことだったのかどうかもわからない。人によっては、このキャメラポジションがもたらす効果によって、まるでその場に居合わせているように思うかもしれないし、逆に、キャメラの位置が気になって仕方ない人もいるだろう。いずれにしても、観客は、この正面からの切り返しによって、第三者として〈彼ら〉を眺めるのでなく、彼らとの〈わたし-あなた〉の関係に否応なしに入りこんでゆくことになる。おそらく、それこそが大事なことなのだ。
〈彼ら〉はいつまでたっても〈彼ら〉でしかない。しかし、向かい合って語る〈わたし〉はいつでも〈あなた〉になりうるし、〈あなた〉も〈わたし〉になりうる。そういう〈わたし-あなた〉の関係のなかに身をおくことが、おそらく重要なのだ。そのとき、ここに登場する人たちは、「被災者」というたんなる匿名の取材対象であることをやめて、魅力的な〈個〉として立ち現れてくる。そしてそのとき、本当の意味で〈聞く〉ことができるのであり、逆に、そのように〈聞く〉人がいなければ、〈語りはじめる〉ことも不可能なのだ。

この映画は、「東北復興へむけた記録を後世に残す」というコンセプトのもと東京藝術大学が製作したものである。たしかに、『なみのおと』に登場する津波の被災者たちが語っていることは、どれも貴重な証言だろう。しかし、そもそも証言というものは「批判」や「告発」をするために集められ、そういった別の目的のために利用されるものだ。その意味で、『なみのおと』で被災者たちによって語られる言葉は、証言ですらないといってもいいのかもしれない。親密な関係のなかで人と人が向かい合って語る『なみのおと』の言葉たちは、ときとして証言としては役に立たないノイズのようなものになることさえある。しかし、本来〈語り〉というのはそういうものではなかったか。
『ショアー』と『なみのおと』の〈語り〉の決定的違いはおそらくそこにある。ランズマンにとっては、ホロコーストの加害者や被害者の語ることは、結局〈証言〉でしかないのだ。『なみのおと』の監督たちが撮ろうとしているのは〈証言〉などではなく、何気ない会話のやりとりのなかに現れる感情とでもいうべきものだ。それを〈親密さ〉という言葉で呼んでもいいが、『PASSION』という映画のタイトルは「ACTION」の反対語として使ったという濱口監督の言葉を借りるなら、座ったまま動かない人物の顔のアップで構成される『なみのおと』は、『裁かるゝジャンヌ』のような(?)〈パッション〉の映画だということもできるだろう。
『なみのおと』のなかで、監督たちが原発のことを問題にしないのをいぶかしく思う人もいるかもしれない。しかしそれは、〈語り〉が〈証言〉に変わってしまうことを避けるためだったと考えれば理解できる。それにはおそらく、まだ時期が早すぎたのだ(ちなみに、『なみのこえ 新地町』には、原発をめぐる激しい議論の応酬が聞かれる)。

取材する側はつい相手に〈証言〉を求めがちであり、われわれもそれを期待することに慣れてしまっている。しかし、未曾有の体験をしたものにとって、本当に重要なのはその体験を語ることそれ自体なのではないだろうか。もちろん、『なみのおと』に出てくる人たちの語る言葉は、多くの貴重なことを伝えてくれる。しかし、それ以上に、彼らは語ることによってなにかから解放されるのだ。想像を絶するような悲惨な体験をしながらも、語り合う彼らの姿はどこかすがすがしい。

『なみのおと』に登場する人々はいずれも、まず相手に向かって自己紹介をしてから、体験を語りはじめる。夫婦や姉妹など、お互いよく知っている相手に向かって自己紹介をするというのは、まるでなにかの儀式のようだ。ここからしてすでにフィクションは始まっているといってもいいのかもしれない。彼らの語る言葉は、向かい合った相手に向けて発せられていながら、同時に、キャメラの向こうの観客に向けて語られているような不思議な様相を帯びる。それは、話し言葉でありながら、書き言葉でもあるような、自由間接話法的な不思議なスタンスから発せられるとでも言えば当たっているだろうか。
たとえ自分が本当に体験したことであれ、それを人に語ることは、どこかでそれをフィクション化していくことなのかもしれない。そしてそれは、筆舌につくしがたい体験をしたものが、その体験を乗り越えていくためには、必要な過程だったのだ。
〈語る〉ことは、ある意味で、彼らのなかで終わっていなかったものを、終わらせる行為だったのだろう。しかし、それを『なみのおと』という映画を通して見るわれわれは、そこに同時に、決して終わらせてはならない何かをも見るのだ。『なみのおと』がやろうとしていることは、いまだ終わっていなかったものを終わらせると同時に、都合良く完結され、忘却されつつあったものを、もう一度未完結な状態で開いていくことでもある。『なみのおと』がそこで終わるのでなく、『なみのこえ』というかたちで、作り継がれてゆくのも、だから当然の成り行きだったのだ。

上『なみのこえ 新地町』、下『なみのこえ 気仙沼』

『なみのこえ』は、『なみのおと』の方法論を受け継ぐかたちで撮られはじめたいわば『なみのおと』の続編である。向かい合ったふたりの対話をひたすらキャメラに収めてゆくスタイルは『なみのおと』と同じだが、余分なものがそぎ落とされてさらに純化され、先鋭化された印象を受ける。『なみのおと』にあったような現在地を示す地図のイメージも、監督の声によるナレーションも、ここにはもはやない。
 これ見よがしに崩壊した家屋や瓦礫を見せないのは『なみのおと』と同じだが、車の窓から見える風景には、あちこちでショベルカーが稼働し、遅々として進まない復興作業の今を垣間見せる。「気仙沼」「新地町」という土地の名がタイトルに入った『なみのこえ』には、『なみのおと』以上に、生まれ育った土地への人々の愛と、それゆえに復興の兆しが見えてこないもどかしさ、それと同時に手探りの希望といったものが感じられる。とりわけ、『なみのこえ 新地町』では、原発という言葉が何度となく現れ、また、親子のような世代の違うふたりのやりとりが、時に思いもかけず激しいぶつかり合いを見せもする。『なみのおと』のスタイルを繰り返しているが故に感じ取れる、かすかな変化の兆しと、時を経てもつねに変わらない何かを、『なみのこえ』は見せてくれる。

『うたうひと』

 『なみのおと』『なみのこえ』が撮られていく傍らで、その方法論を裏打ちするようなかたちで撮られた作品『うたうひと』もまた、〈語る〉とは、〈聞く〉とは何なのかを問いかけた実にユニークな映画だ。

劇映画においては、あらかじめ脚本に書かれてあった〈書き言葉〉のセリフを、役者がその身体を通じて〈話し言葉〉に変えてゆくのだとすれば、『なみのおと』『なみのこえ』は、対話者たちの〈話し言葉〉を〈書き言葉〉に近いものへと近づけようとする試みだったと言えるかもしれない。そして、これはたぶん映画にしかできないことなのだ。映画が上映されるときにはそこに映っている出来事はどうしようもなく過ぎ去ってしまっている。しかしスクリーンに映しだされるものはそのときまさに起きつつあった現在である。映画には〈話し言葉〉を〈書き言葉〉としてフィルムに書き込むことができる。
だから、『なみのおと』『なみのこえ』を撮りながら、災害という出来事を伝える伝承装置としての映画を考察していた濱口・酒井監督が、東北地方伝承の民話語りに興味を惹かれ、同じ方法で、民話を語る人たちをキャメラに収めていったのにはなんの不思議もない。震災から一旦離れ、民話の世界を取材した『うたうひと』は、『なみのおと』『なみのこえ』以上に、〈語る〉映画を純粋状態で突き詰めていった作品になっているといってもいい。面白いのは、ここでの作り手たちの興味が、〈語る〉ことと同じぐらい、あるいはそれ以上に、〈聞く〉ことへと向かっていることだ。
『うたうひと』には、小野和子という類い稀なる聞き手が登場する。この映画の焦点は、民話を物語る人たちよりも、むしろ彼女にあるといってもいいかもしれない。事実、わたしには正直言って、民話を語る彼らの方言がほとんど理解できず、話の内容を追うのにも苦労したのだが、それにもかかわらずこの映画に魅了されたのは、この類い稀なる聞き手を得て、語り手たちが我知らず夢中になって語る姿に、至福の時間が流れていたからである。
小野さんは別の場所で、他者として相手に向かい合ったとき、おざなりにではなく本当の意味で〈聞く〉ためには、自分自身が変わらなければならないという意味のことをいっている(註2)。それは結局は、フィクション映画の役者が演技をするときにやっていることにも通じるはずだ。

『親密さ』

 繰り返すが、これらのドキュメンタリー作品は、濱口監督の劇映画の延長上で撮られたものであり、その経験はすでに劇映画のなかにもフィードバックされている。『親密さ』で、「あなたはわたしですか」という質問に始まるインタビュー場面は、『なみのおと』を思わせる殺風景な部屋の中で、正面からの切り返しショットを通して撮られていた。同作品の演劇パートで、遠く離れて座るふたりを正面から切り返すシーンも、『なみのおと』の不可能な切り返しショットと重ねて見ずにはいられない。

「日本映画は依然として会話劇としては未開拓だ」(註3)と語る濱口監督が、この東北三部作を通してえた〈語る〉そして〈聞く〉映画の経験を、今後どのように作品に活かしてゆくか、ますます楽しみだ。

註1)INTRO | 濱口竜介監督インタビュー:レトロスペクティヴ『ハマグチ、ハマグチ、ハマグチについて(取材:鈴木 並木)

註2)映画「うたうひと」の特設サイト:プロダクションノート

註3)映芸シネマテークvol.10 レポート
荻野洋一とのトークより
“以前濱口監督が京橋フィルムセンターでのトークショーの中で「日本映画は依然として会話劇としては未開拓だ」というようなことを話されていました。”

2013年6月29日〜7月8日 濱口竜介プロスペクティヴ in 関西

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