レポートWEBSPECIAL / REPORT

『ソレダケ/ that’s it』公開記念
〈神戸と映画 第4回 撮影所としての大学〉トーク採録

20140906a

『シャニダールの花』(2013)に続く石井岳龍監督の新作の公開が決定した。『ソレダケ/ that’s it』というタイトルを持つこの作品では、かつての激しさを取り戻し増幅させた世界を満喫できそうだ。これを記念して昨年9月6日、クランクアップの直後におこなわれた『神戸と映画』第4回「撮影所としての大学」トークの採録を掲載したい。ともに登壇したのは、その日上映された『涅槃大衆行進曲』(2013)、『境界にて』(2014)で監督をつとめた津田翔志朗。石井監督が教鞭を執る神戸芸術工科大学の教え子で、『ソレダケ/ that’s it』にも出演、今後の活躍を期待したい一人である。大学を活用した映画制作、さらに新作へと話は及んだ。

 

──石井監督が映画の道を志した頃は、確立された撮影所システムが崩れかけていた時代だったかと思います。当時のことからお話し願えますか?

石井 高校3年生のときに、映画を作る人になりたいと展望を抱いて進路を決めようとしたんです。当時、「映画監督になるにはどうしたらかいいか?」が書かれた本もありましたね。読んでみると、「撮影所の助監督募集に応募して、入社後20年くらい経験を積んでから監督デビューするのが一般的な道だ」と載っていた。ただ、その時点でたしか日活以外は公式に募集していなくて、その募集も最後の頃。しかも東大や京大、六大学卒業者というエリートの進む道なので絶対に無理だと思ったし、「下積み20年」を考えても自分に向かないだろうと。私は思い付いたらすぐ実行したいタイプだったので(笑)。それにその頃は、同時録音できる8ミリカメラが日本で飛躍的に発達した時期でもありました。「これを使って映画を撮れるんじゃないか」という期待が生まれたんです。映画には変革の歴史があって、つねに変動して変わり続けている。「創世記」、つまりゼロからスタートして自分で作ることを目指したい思いが強かった。自分にとってそれらの重なる地点が8ミリで、映画会社に就職することではなかったんです。

──そして進学され8ミリで撮り始めた時期は、現在活躍している監督の方たちも同じように撮っていた。面白い状況が起こっていたんですね。

石井 そうですね。私は日本大学芸術学部映画学科を選びましたが、それはいま話したように、技術を学んで自分で作りたいからでした。ところが実際は学ぶ前に待ち切れず、『高校大パニック』(78)を作り始めてしまった(笑)。関西では大森一樹さんたちが撮られていましたね。東京では既に長崎俊一さんや矢崎仁司さん、私と同世代では立教大学に黒沢清さん、早稲田には山川直人さんたちがいた。そういった人がどんどん作っていたので、こっちも負けずに作って、喧嘩というわけではないですが、ライバル心を剥き出しにして一緒に上映会をおこなったりしていました。「君たちの映画は面白くない。こっちの方が面白いんだ」という戦いのようなね(笑)。私個人だけでなく、そうした動きが活発化した時代だったのは確かですね。

──機材の発達がそのような状況をもたらしたわけですね。対照的に津田監督は1991年生まれ、撮ろうと思ったときにはデジタル機材が普及していた世代ですね。

津田 デジタル世代です。大学の授業でフィルムを扱うこともあって、触る機会はあったんですけど。

──映画を作ろうと思い立った時期やきっかけをお話しいただけますか?

津田 高校3年生になるまで、進路に迷っていました。中学、高校と進学校に通っていて、周りはずっと勉強していたけど、僕は得意じゃなくて学校もあまり好きではなかった。いわゆるオタクみたいな感じですね。アニメ作品や映画を色々見るうちに石井さんを知って、やっぱり衝撃的でした。それまで観ていたものとはアプローチの仕方がまったく違う。「こんな作品があるんだ」と衝撃を受けました。それで神戸芸術工科大学へ進もうと思いました。

──石井監督の映画には人生を変えさせる力があるというのでしょうか、今日の津田さんのヴィジュアルも進学校の生徒だったと思えない(笑)。これはあとで触れる石井監督の新作のためということですが、先ほどご覧いただいた『生きてるものはいないのか』(2012)には学部生の時に出演されたんですね。

津田 そうですね。2年生の時でした。

──作品冒頭には神戸芸術工科大学のクレジットがあります。撮影以外にも大学が色々な役割を担ったと思うのですが、制作背景をうかがえますか?

石井 2006年に映像表現学科ができて、漫画やアニメ、CG、そして映画専攻が作られました。その4年後、最初の卒業生が出る2010年に何かやりたいとタイミングを計っていたんです。いい時期かなと思いながら題材を探していました。僕らがインディーズで撮る映画は、どうしても演劇的な要素を取り入れないと成り立たない。限定された場所のなかで面白く展開させるなら、演劇は切り離せない要素ですよね。さらに今は若手の脚本家が世に出るのが難しい状況もある。でも演劇界で若手が書いた刺激的なものは沢山あって、それらを読んではいたんですね。なかでも前田司郎君の『生きてるものはいないのか』はダントツに面白くて、大学で撮るのにもふさわしい題材でした。そこで最初はスポンサーを探したんですが、こういう映画にお金を出す人はいなかった(笑)。

──大学が舞台ではありますが、テーマが少しハードだったのかもしれません(笑)。

石井 これはもう自力で撮るしかない、関係者に協力してもらって撮ろうと。ちょうど津田君たちが2年生のときで、上の世代も一部はいたものの、ほとんどの助手は2年生たちでした。メインスタッフは私も含めた映画の先生たち。俳優が多く出演していて、メインキャストの何人かは東京から来てもらいましたが、初めての試みなので関西からも広く人材を発掘したかったし、できれば大学からも出演させたいと考えました。決して贔屓でなく、公平にオーディションを繰り返した結果、津田君と飯田あさと君が残ったんです。

──飯田さんも、プロに混じっても違和感のない味を醸していますね。

石井 彼はキャラクターが凄いなと思って、前から狙っていました。本当に変わった人で、最初は少し不安だったんですが、『生きてるものはいないのか』をきっかけにプロの役者として声がかかるようになり、『福福荘の福ちゃん』(2014/藤田容介監督作)にもかなり重要な役で出演しています。これまでの学生のなかで一番ダメな、長く学校に在籍して、ずっと卒業できなかった人なんですけども(笑)。そして津田君もオーディションで強烈な存在感を示して、私だけじゃなくプロデューサーも「いい」ということで抜擢されました。津田君も元々不思議な人でしたが、ここまで演技で存在感を出せるとは思わなかった。今の日本で最も上手い俳優の一人だと思う村上淳君と──彼が合わせてくれたとも思いますが──渡り合ってくれました。

津田 村上さんの存在感は本当に大きかったですね。

──津田監督は「サカナ博士」という個性的で重要な役柄を見事に演じています。石井監督の演技・演出の指導が結実したということですね。

石井 役者だけじゃなく、スタッフもかなりの数の人間がプロの世界に飛び込んで行ったので、『生きてるものはいないのか』が刺激になってくれたんでしょうね。面白い題材で、神戸芸術工科大学であの時期に作るのにも最適だったので、制作でものすごく無理はしたけれど、沢山の方に観ていただけたし、役割は果たせたかなと思っています。

──公開は2012年2月ですが、かなり前に完成していたんですよね?

石井 東日本大震災の前に完全に出来上がっていたんです。ちょうど完成の時期に震災が発生して、あまりにも物語と重複する問題なので、公開を1年間見送ることになりました。震災が先に起きていれば、この作品は作らなかったと思います。映画の果たす役割の一つに「予言」とまでは言わなくとも、メッセージがあると考えています。だから起こってしまったことを描いてもしようがない部分がある。その問題を除けば、私や大学の先生と生徒にとって、とても良いタイミングでした。染谷将太君や高梨臨さんともこの作品で出会えましたし、実力を持つ新鮮な顔ぶれの俳優が大勢居ることもわかりました。

──人材との出会いや育成という点からも、大学が撮影所に通じる機能を果たした作品だったと感じます。津田監督が、今回のテーマ「撮影所としての大学」という言葉から抱くイメージはどのようなものでしょう?

津田 真逆と言うと少し語弊がありますが、撮影所といえばプロの人達がきっちり仕事をこなす場所だというイメージがあります。反対に大学には何もない状態で入って行くので、同じようなことを考えている人と出会えて、そこで一緒に作ってゆくプロセスを組み立てられる。皆で集まることができる「コミュニティ」のような場所になっていると思います。

──撮影所を一つの枠組みだとして、「コミュニティ」は、それとは異なるニュアンスを持つでしょうか?

津田 枠組みではあるんですけど、その場所に行けば自分の考えを伝えたり、誰かの話を聞けたりと意見交換ができます。場所が無いとバラバラになってしまうというか、僕自身おとなしい人間だったので、自分で動くきっかけは作れるとしても、それをさらに飛躍してくれる仲間がいる場所はすごくありがたいですね。

──石井監督の大学着任が決まったのは、『鏡心』(05)公開の頃だったでしょうか。制作日誌を読み返すと、「これからは演技や演出に心を砕きたい」と今に繋がることが書かれています。その時点で、「場所作り」も視野に入れておられましたか?

石井 『鏡心』は、撮影も制作も私一人、メインスタッフは二人という変わった作りでしたが、当時の撮影所はもう人材育成をおこなわなくなっていたし、本来持っていたクリエイターのコミュニティ、切磋の場所という役割も無くして、ただのレンタルスタジオのような形になっていた。もちろんそこでも映画は作られているんですが、いま津田君が話したような仲間との活発で刺激ある交流や、クリエイターの触媒作用のような機能が失われつつあった。今後の日本の映画作りが変わっていくであろうことは実感していましたから、何かそういう場所を作る必要があると思っていました。本来は監督やプロデューサーがそれぞれやるべきことでもあるんですが、ちょうどその時期に大学の話をいただいて、私は私の畑、土地を耕してゼロから種を撒いて栄養を与え続けようと思いました。今の日本の消費社会は、育てないで獲るばかりですよね。美味しい実がなったら獲る。本当は獲ったら、もう一回栄養を与え直してまた育てないと実はなり続けないんです。資本主義が進めば「いいものを獲る」だけの社会になるのは仕方ないかもしれないけれど、自然の摂理から言うなら耕し続ける、あるいは栄養を与え続けないと実りは無い。そして実りを続けるためにはその作業を続けないといけない。大学の話が来た時に「これは10年計画だな」と思って、今で8年めですね。そのあいだに日本の映画状況も大きく変わっているので追いつかないところもあるんですが、同時に「これではいけない」と。映画界の内側ではなく外から色々と「意欲的な映画を作ろう」という大きな動きが起こっているので、めげずに、これまでやってきたことをコンスタントに繋げてゆければと思います。そして自分の中では10年がひと区切りではあるけれども、神戸芸術工科大学の関係者だけで1本の劇映画を作るのが最終的な目標の一つでもあります。大学からメインスタッフを多く出して、ということですね。それは着々と進行しています。私は立場上は映画制作を教えている。非常に難しいことで、ほとんど無理だと思っていたんですが、立ち向かうと決めたからにはやらなければいけなかった。「何とかして伝えたい!」という気持ちを持ち続けているうちに、教えられているのは自分のほうじゃないかと感じたり、映画制作を深く考えられるようになりました。強固な方法論が固まってきています。

──2月にお話しをうかがった際にもそれは実感しました。

石井 『生きてるものはいないのか』、『シャニダールの花』、そしていま作っている新作も大変苦労しています。ですが、方法論が強靭になってきたので「もう何でもこい」と言うかね。自分が得たこのような実感を学生達にも伝えたいし、刺激したいとは思うんだけど、学生も年々変わります。映画コースの定員は15人だから、どんなメンバーになるかで傾向が大きく変わってくるんですよ。

津田 そうですね、毎年変わりますね。

石井 津田君たち4期生は個性的な人が多くて、かなり刺激になったと思うんです。

津田 なりました(笑)。

石井 生徒の間で刺激になると、それは私にも伝わるんですよね。

──フィードバックが起こるんですね。

石井 『生きてるものはいないのか』を作れたのは、そういう人たちの「電波」というのか(笑)、「この学生たちと一緒にやりたい」という思いが大きかったからですね。もちろん上の世代も含めてですが、そういうものは大きいですね。そこでは教える/教えられるという関係が無く、立場の逆転もあるんです。私も教えられることは多い。そして「逃げちゃダメなんだな」と感じることはありますね。

──そのような人のあいだに生まれる循環も「撮影所としての大学」が持つ機能ですね。

石井 自分が理想とする形とは違ってくるんですけど、そういうちっぽけな思惑を超えるところに人間のダイナミズムがあると思うし、それはその都度修正していかないといけないでしょうね。「こうだろう」と予想したことを遥かに超えてくれないと面白くならないですよね。津田君が1年生の時にはまさかこうなるとは思っていませんでしたが、意外性でいえば、学生たちが自分の才能に気付いてないことがあるんです。

──一気付かないまま、ということもあるんでしょうか?

石井 4年生には卒業制作があります。津田君の『涅槃大衆行進曲』もそうですが、そこでかなりの人がやっと切羽詰って本気を出してくるんですよね。

──その津田監督の『涅槃大衆行進曲』をご覧になった方は、色々な印象や関心を抱いたと思います。作品のベースにあるものをきかせて下さい。

津田 卒業制作にするつもりだった作品がもう一本ありまして、撮り進めて完成したのを別の上映会で上映してしまったんです。そこで「もう一本撮らなければ」となり、急遽作ったのが『涅槃大衆行進曲』です。前に作った作品を見た人からの色々な反応を含めて、オリジナリティとオマージュの境目がわからなくなっていました。今まで色んな作品を見て作って来たので、絶対何かしら影響を受けるのはわかっていたし、そのなかで自分の色を出すにはどうしたらいいんだろうという悩みはありました。前の作品は、「自分の色をフルに出そう」と思って作った。でも「何々から影響を受けている」と言われてしまう。それなら今回は意図的にオマージュ、真似してやろうと思ったんです。さらにそれを消化・吸収して何か違うものができないだろうかという試みでした。

──恋愛ドラマ風に始まり、タッチを変えてゆく作品ですね。近しい人、例えばご家族の反応はどんなものでしたか?

津田 「わからない」と言われました(笑)。『涅槃大衆行進曲』の前に作った作品は、「自分だけわかればいい。他の人に理解されなくてもいい」と思って撮ったら「わかりやすい」と言われて、今回はどう観られるか意識して撮ってみたら、逆に「訳がわからない」と言われました。自分では単純にしたつもりなのが、混乱してしまいますね。

──石井監督は担当教官として、どう感じられたでしょう?

石井 3年生のときに、『涅槃大衆行進曲』のタイトルでシナリオを書いてきたんですけど、既に訳がわからなかったですね。完成したものとはまったく違うんですが、「これを作れたら凄いんじゃないか」と思っていました。津田君は他の生徒と違って、1年生のときから自分で納得しないと一行も書けないところがあった。ただ、自分のやりたいことを明確に持つ超個性的な人だったんです。うまく伸びてくれるといいなと思っていると、私が心配するまでもなく周りから受けた刺激を吸収していた。卒業制作の頃にはもう何も言わなくても、映画の基本的なことをわかっているなと感じるようになっていました。組み立て方やタイム感も素晴らしいし、ちょっと驚きましたね。鈴木清順監督の作品は観ていないよね?

津田 観ていないんです。

──ご覧になった方は、おそらく鈴木清順監督の『陽炎座』(81)などを連想されたと思うんです。

石井 寺山修司さんとかね。でもあまり観ていないと思うんです。僕たちとは違う吸収の仕方をしていて、それを自分なりに組み立てている。津田君にしか撮れない映画になっているし、個人的な心情の部分も私にはよくわかる。とても面白い作品ですね。

──『涅槃大衆行進曲』というタイトルも、現代ではなかなか無いセンスを持っているように思います。

津田 そうですね。前の作品が『陽炎夜曲』。セレナーデだったので、今回はマーチにしてみようと。楽曲シリーズを作っていこうと考えていたらこうなったんですが、次は関係ないものになると思います(笑)。

──次回作も楽しみです。このあとご覧いただく『パンドラの穴』(『ネオ・ウルトラQ』第4話/2013/円谷プロダクション、WOWOW)には、神戸で制作されたパートはあるのでしょうか?

石井 『ネオ・ウルトラQ』は円谷プロダクション制作なので、私たちが関わることはできなかったんです。しかし神戸で、それも神戸芸術工科大学でも作れたとは思うんです。いい題材だと思ったし、それで引き受けたというところもあります。

──神戸芸術工科大学はCG学科を設けていますからね。今回プログラムされた作品に共通しているのがCGを活用している点です。『境界にて』は津田監督の最新作で、かなり癖のあるCGの使い方をしていますね。

津田 そうですね。デジタル世代なので、フィルムに対するコンプレックスといいますか、実際に授業で触ったときに、焼き付ける行為とカードに記録する行為はまったく違っていました。フィルム世代の人がフィルムにこだわって撮ってゆくのに違和感はないですが、僕たちはデジタルを活かして作品作りをしていかないと、自分の表現したいことができなくなってくると思うんです。デジタルにしかできない表現を探しています。『境界にて』はまだ実験段階ですけれども。

──津田監督のような人材も生まれている。ここまでのお話を踏まえて、石井監督から大学も含めた神戸での映画制作の課題を伺えますか?

石井 人材育成については、先ほどもお話したように自分の想定を遥かに超える人物がつねに育ってくれないと面白くないですね。場所の提供やお手伝い、あとは刺激もしたい。最近の新入生には目標を定められない人も多いんです。以前は「任せたほうがいい。余計な口出しはせずにおこう」と思っていたんですが、指針を示したほうがいい人もいるので、そのあたりは臨機応変に対応したいですね。ただし、「神戸と映画」に集約して言えば、インディーズの映画は間違いなく作れるんです、劇場公開を考えずに作るのであれば。実際、5万円程度で作られた卒業制作作品もあります。……もう少しかかる?

津田 かかりますね(笑)。機材は大学からお借りできますが。

石井 機材の面では、プロとのあいだにもう境界線はない。それは2005年に『鏡心』を作ったときに痛感したことで、現在のような状況になるだろうと思っていました。ただ、作れるんですが、「沢山の人に観てもらう」という映画のもう一つの宿命に関しては、やはり非常に厳しい状況です。単純に作れればいいのかという問題がある。

──配給から公開まで、その先をどうするかですね。

石井 そうですね。意欲的なインディーズ映画と、それを劇場公開作として多くの人に観てもらうことを繋ぐのが私の役割だと思っています。その両方を取り込んだ企画を立てていきたい。自分の撮りたい映画を作るだけなら面白いものは作れる。でもそうではなく、沢山の人にアピールできるかどうかも含めた最前線をどう開拓していくかに賭けているし、それは学生たちにも刺激的なフィードバックになると思っています。卒業生にはフリーの助監督集団に飛び込んだ人、撮影助手や制作助手になった人も多くいて、プロの道を歩んでいる。一方で、インディーズの監督として活動している人もいます。そこからどう生活してゆくかという問題がありますね。沢山の人に観てもらわないと生活できないので、そこでどの道を選ぶか? 今まではプロとアマチュアという分け方をしていたのが、今後はもっと多様になっていくと思うんですね。当然そうなるべきだとも思いますし。劇映画のなかでも劇場公開映画/インディーズ映画と一概に括れない、多様なクリエイトの可能性を模索していかない限り、神戸で、あるいは神戸芸術工科大学での映画の意味を失うんじゃないかとも思いますね。

──オルタナティヴな制作環境の模索ということになるでしょうか。石井監督は、大学1年生のときに撮った『高校大パニック』がのちに日活でリメイクされました(1978年)。『狂い咲きサンダーロード』(80)も卒業制作でありながら、東映セントラルの配給により商業映画として劇場のスクリーンに掛けられた。その意味ではスタートの時点からオルタナティヴな位置におられたと思うんです。

石井 そうなんですけどね。私は非常に特異な経験をさせてもらったと思っているんですが、実は撮影所というものをよく知っているんです(笑)。というのは大学時代にアルバイトで行っていて、朝一番にスタジオの掃除をやったりしていました。落ちている煙草を拾ったりね。そのときに浦山桐郎さんや岡本喜八さんといった、当時のバリバリの方たちの現場を見ていたんです。偉そうに見ていたのでクビになったんですけどね。「あの助監督は動きがいいな」とか(笑)。

──現場を俯瞰されていたんですね(笑)。

石井 後でわかったんですが、それは小栗康平さんだったんです。動きが全然違いましたね。日活で『高校大パニック』を作ったときも撮影所での映画作りを経験しました。そこでは山口百恵さんの作品や、高倉健さんと薬師丸ひろ子さんの『野生の証明』(78)を撮っていた。それからあれは『西部警察』だったのかな、石原裕次郎さんと渡哲也さんもいた。神代辰巳監督や藤田敏八監督もいましたね。日活の撮影所は小さいけど、狂乱状態とでもいうのか、物凄い活発さがありました。食堂も賑やかで、怒鳴っている人がいたり。そういう撮影所での切磋琢磨を見る良い経験をしながら、役者を使わずまったく自分一人でドキュメンタリー的な映画、あるいは実験映画やCMなども作っていた。チャレンジするのが好きだったし、色んな経験を経たことで、「オルタナティヴだけどインナーサイド」という不思議な立場にいられたと思うんですよね。

──いま目指しておられる方向は、横断性を持った当時のスタイルに近いのではとも感じます。

石井 神戸に来たときにそれを一旦断ち切ったので、仲間からは「石井は映画を棄てて教育者になったんだ」とも言われました(笑)。そのときは辛い思いもして、「10年間は我慢をする」と沸々としながら一度離れたんですが、そこから今はまた「石井岳龍」と名前を変えて3本めを作っている。おこがましいですが、最先端に立っているという実感は湧いています。

──石井監督は昔から映画作りを登山に喩えて、「登ったことのない山を見ると登ってみたくなる」と発言されています。ジャンルは変わっても絶えず「チャレンジ」をテーマにしておられますが、津田監督はいかがでしょう?

津田 自分にナチュラルに撮りたいと思っています。テーマは変わるものですし、自分のなかに一貫性もあると思いますが、それに縛られずに、その時々のやりたいことを見据えて作品づくりに挑みたいと思います。

──『涅槃大衆行進曲』のエンドクレジットには「協力 津田家族館」とありました。『境界にて』も旅館を舞台にしています。津田監督の作品と旅館とは何か結び付きがあるんでしょうか?

津田 僕は京都の生まれで、子供のときに見ていた風景が今の心象風景に繋がっています。その風景を撮りたい思いがはじめにあったので、ずっと記録もしていますが、実家が旅館なんです。だから旅館を映したい。一族皆に協力してもらって作れるような体制で撮っています(笑)。

──今回のテーマと絡めるなら「撮影所としての旅館」でしょうか?

津田 「撮影所としての実家」ですね(笑)。

──裏テーマですね(笑)。実家も撮影所に、という制作スタイルを石井監督はどう考えられますか?

石井 「本当に自分が知っていることでないと人は感動させられないよ」。これはいつも学生に言っている言葉です。取って付けたような知識や借り物では人の心は動かないし、津田君の場合は撮りたい世界観が確固としてあるので、それはブレないでしょうね。これから色んな題材にも挑むだろうけど、頑固なまでに揺るがないんじゃないかな。表面的な悩みはあると思いますが、卒業制作までにそこへ到達できる人はなかなかいない。場所もやはりとても大事。その意味で津田君は、「映画作りに愛される環境」に育ったということですよね。

──今回の上映作4本のうち3本に、そして現在制作中の石井監督の新作にも津田監督は出演しています。今後は監督業と俳優業、どちらに重点を置く予定でしょう?石井監督はそれをどう見ておられますか?

津田 監督業です。

石井 津田君には映画をたくさん作ってもらいたいですが、私が改名してからの作品にすべて出てくれているんですね。今回も無理を言って出演を頼んだんです。タトゥーも毎晩書いてもらって(笑)。

──腕には撮影のために手書きのタトゥーが施されていて、さっきの「ナチュラル」という言葉にギャップを覚えるほど強面なイメージを漂わせていますね(笑)。その新作についても少しお話をきければと思います。「静と動」で言えば、今回は「動」の作品になっておられるそうですね?

石井 とびきり激しいものですね。バイクは出てこないけど、(狂い咲き)『サンダーロード』みたいな。

──出演された津田さんはどんな手応えを感じていますか?

津田 ……こんな役柄、こんな自分になったことがないので、どれが正解なのかわからないくらいですね。撮ったものを昨日見せてもらっても、「自分じゃない自分がいる」ような感じでしたね。

──「自分じゃない自分」、つまり非日常性は石井監督と津田監督の作品に通じているものではないでしょうか?

津田 僕は日常的なものが嫌いなわけではないんです。それこそ、いまナチュラルに見えているものを撮りたいので。また「ナチュラル」を繰り返してしまいますが(笑)。

──津田監督が「ナチュラル派」だとわかったのはこのトークの大きな収穫です(笑)。石井監督は新作を通して、神戸での映画作りの可能性を新たに発見できたでしょうか?

石井 『神戸と映画』第1回の座談会のテーマにもなりましたが、場所はとても充実している。新作も本当は全編を神戸で撮りたくて、そのために脚本も書いたんですが、結果的に予算の問題などから横浜で撮らざるを得なかった。でも場所は素晴らしいですね。これほど映画に愛されている、あるいは映画を愛している街も無いと思います。問題は人材。物を作るのは人間で、その場所を支えている人たちがいてこそ次への刺激や触媒になる。触媒が大事だと思うんです。物と物が化学反応を起こして次へ変化するには、触媒が無いといけない。その触媒となる方たちに私は大変お世話になっているんですが、その人たちがいて次の人材が育つ。さらに、今までのメジャーとインディーズという関係だけでなく、映画を応用した新しいクリエイターが生まれる可能性も神戸には多いにあると思います。

──5年先、10年先にはさらに新しい状況が生まれているかもしれない。その未来から映画環境を振り返るとすれば、石井監督が神戸にこられた2006年がひとつの転換点になるのではないかとも思っています。そろそろ時間が来てしまいました。最後に今後の抱負をおきかせ下さい。

津田 2014年中に1本撮ります。僕はよく人の作品でカメラを回すので、今度はカメラに重点を置いて、自分のカメラアイに基づいた画角や画づくりを中心に作品を制作しようと思っています。そのなかで、「演技じゃない演技」を完成させられるといいですね。「スタート」や「カット」を言わなくてもいいような作品ができればと思っています。

石井 私は挑戦や冒険が好きなので、「円熟して完成させる」ということから一番遠いところにいる人間だと思うんです。だからつねに旅立ち続けたい、ゼロから出発したい。激しい新作も元々は依頼から始まったんですが、これまで神戸で培ってきたものを武器に、再度初期の頃の自分とバトルしたいし、その次は「エロス」だと思っています(笑)。驚かせるのが目的ではないですが、皆さんに驚いてもらえるようなチャレンジを続けたいですね。新作は、実は昨日すべての撮影が終わりました。津田君も頑張ってくれたし、役者陣が素晴らしいです。物凄く面白くなると思うので、公開までもう少し待っていてください。

『ソレダケ/ that’s it』公式サイト
Facebook
Twitter

聞き手・構成/ラジオ関西『シネマキネマ』吉野大地

これまでのレポート|神戸映画資料館