レポートWEBSPECIAL / REPORT

「2020年の堀禎一」に寄せて①
堀禎一との三つの作業について

虹釜太郎

 

→上映プログラム「2020年の堀禎一」

 
堀禎一作品では『夏の娘たち』(2017)、『憐REN』(2008)、『妄想少女オタク系』(2007)の三つの映画で音の仕事をした。正確には、『妄想少女オタク系』では音楽と非音楽、『憐REN』では音楽と音響、『夏の娘たち』では、音楽、非音楽、環境音、脚本にはない人間や人間以外の音を含む音を担当した。専門家もいまだあきらかにしないし、専門学校や大学の映画教育の最新の現場でどのように教えられているのかを知らないが、環境音と脚本にはない人間や人間以外の音をあわせて環境音(以下、X)と仮に言うならば、それはフレーム内からフレーム外へリレーということ以外の(それすら通常は考えられていないが)、無意識の外から無意識へ、無意識から無意識の外への最低限の感受性が必要となる。しかし映画においてのあからさまな無意識表現はいまだ原始で、また無意識の外から無意識へなどと安易に言うべきではない。ではどう言えばいいのかだが、評論や批評ではなく実作業において、これらについて言及しなければいけない場合、他の言葉が暫定的に必要なはずだが、そんなものはない。なので、具体的にこの音を入れたいんだけど、なぜ?、とりあえず試してもらってよいか、ん?というやりとりになるしかない。しかしとりあえず試してみたい主体は、別の軸を確信していなければならない。そうでなければ即興や非連続性の名のもとにあらゆるものがぐじゃぐじゃになるだけである。
しかし軸という言葉もふさわしくはない。知識だけは膨大な映画の専門家や映画語りやfilm criticの人たちは多いが、Xについて正面から論じたものはどれだけあるか。歴戦のプロであっても一流のスタジオでベテランのエンジニアにXを一任すればそれですべて解決するわけでもない。また非音楽という言葉に違和感をもたれるかもしれないが、たとえば、『夏の娘たち』では劇中音楽として、またクレジット時にピアノ音楽が使われているが、これは非音楽である。しかし、一部の人には音楽に聞こえるかもしれない。『夏の娘たち』ではあまりに予算がないために他の音楽家に録音を依頼することが不可能だったため、ピアノを全く弾けない、どころかあらゆる楽器を弾けない自分が無理やりピアノを弾いた録音を使うしかなかったが、そもそもそれは非音楽家によるものである。しかし映画自体にあまりに音楽家による音楽が使われ過ぎな疑問がある。誠実なスタッフであれば音楽家に非音楽をさまざまに効果的な伝え方で要請するかもしれない。それに耐えられないプロ音楽家のストレス他の問題を殲滅するために、ある時期以降のゴダールのようにライブラリ契約という方法もあるが…そもそも音楽と音楽家の定義とは…非音楽については話すと長くなるのでその説明はここでは割愛する。できうる限り音楽は入れたくない自分と堀との衝突は常に起きていたけれど、素の(音作業前の)『夏の娘たち』には無理やりに言語化するなら現代語にはないとどむこと(「とどむ」については後述)が疎な感じだったので、それの作業からはじめた。それは音楽でなく虫の音からだった。
率直に話すと堀とは『妄想少女オタク系』では、ダビングスタジオの現場は崩壊し、『憐REN』ではほとんどの工程で堀との作業はうまくいかず、決裂寸前で、またその結果にはいまだ到底納得いっていない。製作過程での堀のコミュニケーション方法にも当時かなり納得がいかず、間違いなく自分がいままで関わった映画の音製作のなかでもっとも悪夢の時間であったが、双方が修正不可能なまま作業は時間切れになった。その時間切れの無念をはっきり覚えている。その時は堀との共同作業はこれで最後だと思っていたが、その後、堀は何事もなかったかのように、新たに撮りはじめた天竜区シリーズ(2014-17)や『海水浴場』らを定期的に送ってきたので、自分は戸惑いながらも、録音主体の存在を隠さないフィールドレコーディング音楽のアルバムなどをいくつか送ったりした。また『夏の娘たち』とはまったく別の今後、堀が作る予定だという映画のロケハンに謎に呼び出されて、知らない土地を歩いたりした。その日のなんだかやけに楽しそうな堀はぼんくらな私立探偵のようにも休日の潜入刑事のようにも独り言をひたすらつぶやくのでなく無理やりしゃべっている少女のようにも見えた。
堀には何度も『魔法少女を忘れない』の具体的製作工程についてきいたが堀は常にはぐらかしていた。堀ははぐらかしの名手だったが、ある日疑問にいきなりまとめて答えた。ダビング日程終了で仕事なのだから作業終了では慣習的にいくらよかろうが、映画としてはよくないと痛感したからこそ、『魔法少女を忘れない』ダビング日程終了後もしつこく、スタジオの空き時間をスタッフに無理をいって、ダビング終了後ダビングを堀は続けたのだ。ところで『魔法少女を忘れない』のタイトルは『魔法少女は忘れない』ではなく、また『元魔法少女を忘れない』でもない。しかし人は無意識にか、『魔法少女を忘れない』を『元魔法少女を忘れない』と取り違えたりする。あの魔法少女「を」忘れない主体は誰か。そのことに製作途中で改めて愕然とした堀がなぜあまりに丁寧に正攻法の映画音楽のタイミングにダビング終了後に執拗にこだわったのか。本来ならインタビュアーたちが堀に聞いてほしかった。この映画では執拗に正攻法の音楽にこだわり抜いた結果、ラストのバスケットボールの音がとても効果的に響くことになる。すばらしいバスケ音、そしてそれにいたるばか丁寧な積み。この丁寧な積みをしたおかげで堀は次に行けたはずだ。その次とは、例えば平等なフォーカスへのありえない抵抗のあからさまにより、映画自体も不可能をそこで生き直すような事態も含んでいたか。いまだに謎が解けないとされている『夏の娘たち』のカクカクズームは、元魔法少女の不思議な瞳の確定不可能な先に起因しているか。映画語りならば、このようなことを語ってほしいのだが、それはなかなか叶わない。
『魔法少女を忘れない』のダビング終了後のダビングに堀が執着したのはあきらかに『憐REN』問題があったからだ(余談だが、『憐REN』はルドルフ・トーメ監督の『フィロソファー』(1989)と交互に観るととても可笑しい。いまだに『憐REN』の河原での十数分を思い出す時、『フィロソファー』の最後の海岸とだぶって何重にもわたしを置いてけぼりにする。神戸映画資料館ではルドルフ・トーメ特集をやっていたはずだが、またぜひ)。
だからこそ、ポレポレ東中野での堀禎一特集での堀とのアフタートークはどの作品の上映後にしますかと劇場にきかれた時に『夏の娘たち』でなく『憐REN』をこそ指定したのだった。常に登壇者の質問をのらりくらりとかわしていた堀だったが、その日ばかりははっきりいろいろ公開できくつもりだった。堀があまりに突然にいなくなったのでその機会はなくなったが、あまりにあり得ないといまだに愕然としているのは、『夏の娘たち』以後の堀禎一作品を観ることができない、当たり前だが堀がもう映画を作ることがないということ。それは堀禎一監督映画を観れないというだけでなく、堀自身が古い時代の映画製作の現場の最後の生き証人であることにより可能になるいくつものことが永久に断たれてしまったことでもある。
神戸映画資料館で『夏の娘たち』を観る人のなかには、映画の中に出てくる「きっと」と「たぶん」と「そうじゃない」と「そうかもね」についてひどく気になった人がいるかもしれない。これらはすべて映画の中の人間たちが口にした言葉だが、それらはすべて映画の「音」の取り扱いについてあまりに古くからある方法のうちの代表的なものたちだ。
「そうかもね」は「もしも」でも「それでもなお」でもなく「もし」を「それでもなお」が超克するのでもないものとしてあるが、「そうかもね」はその受けることのできるでかさ(実際にはでかさとも大きさとも豊かさとも深さともいえない)と引き換えに負荷がかなり大き過ぎる。わたしは堀にこのことらを持続的に問題とし、いくつかの具体的解決策を示したが、はじめはいったいお前は何を言ってるのか、そもそも解決やらとかの前に問題とはなにか、そんなもの存在するのかだった堀も、連日の作業でようやくわたしの違和感について理解を示してくれた。これは通常のダビング日程やスタジオでの超長時間議論などでは不可能だが、それと引き換えに堀は作業中断しての再再フィールドレコーディングを必須としたので、わたしは経済的には自爆した。しかしこれは自らによる自らの搾取ではなかった。『憐REN』問題はそれだけ大きかった。映画の中の人間たちが口にした言葉が映画の「音」の取り扱いについてあまりに古くからある方法のうちの代表的なものたちとかいう話はかなり長くなるので割愛する。実際これはただの偶然なのだが。『夏の娘たち』が図らずもメタ映画になったように感じるのにはこれらの短い台詞たちの絶対さが関係している。改めて脚本家の尾上さんを恐ろしいと思う。
堀がいなくなったことで、自分もまたもう映画の音に関わることはなくなった。誰も音楽を憎んでるようにさえ見えるややこしい非音楽家などと作業したくなどなく疑問をぶつけられたくなどは到底なく自分からしても堀のように予測外を常に待機することにおいて常にもがきながら飢えながらおろおろしている監督に出会うことはなかなかないと思う。『夏の娘たち』きっかけで改めて弾くようになったピアノはあいかわらず弾けないが非音楽家について改めて考えるきっかけになって、堀がいなくなってからは定期的に録音するようになった。弾けないピアノを無理に弾き続ける習慣になったことで、ジャシント・シェルシやモートン・フェルドマンやジェラルド・ガンディーニ(ピアゾラバンドのピアニスト)やコンロン・ナンカロウやゴードン・マンマやミゲル・アンヘル・コリア(『赤と黒』)のソロピアノが違って聞こえるようになったが、他の監督であれば、まず非音楽家のピアノ録音を使うなど論外であったろう。プロ音楽家は楽器によって分泌される音の物質性にのみ注意することはなく、非音楽家はその他のあらゆるものに失敗し、ほとんど全てにおいて瓦解するのが一般的か。しかしそれはまだ突き詰められていない。『夏の娘たち』では、虫の音をはじめとして音楽以外でもとどむことの変態たちを現し、時に重ねることや引くことどもを作業中に多数試みたが、音ではなく、ピアノによりとどむことは、実際にプロの音楽家によるとどみは幾重にも作為が透け余計だった。そう感じるのはわたしだけかもしれないが、とどむは現代語の滞るとは異なり、語の意味に「妹しとどめば」のように命、恋人を引き留める、がある。ひたすらひらに漂うだけになってしまったかの水平圧縮過剰の現代にひょっこり臨ませられた『夏の娘たち』には、とどむの大きく進ませないなかですこし注意をとめて記憶する動きがどれだけ旋回していたかどうかは観る人次第だが(それは稀有な撮影監督の渡邉さんによる力も大きいが)。とどむ、などについては言葉の遊びだとか思う映画語りがもしいるなら、そいつはあまりにも映画製作の現場をなめている。どうしてここでこの音なのかについて執拗に問いまくる堀にはできうる限りそれを説明したが、とりあえずは鳥も虫もすべてはっきり理由をもって何度もやり直したが、それもまたスタジオでは不可能だった。スタジオではそれはさすがにやり過ぎだとなるが、映画製作はさすがにそれはの前の「しかすがに」をも武器としなければいけない。そういうやりとりができたのも堀だけだったかもしれないが。
封印したアイデアは多くあったが、それは今後堀が撮るかもしれない、しかしロケハンだけはした映画では基礎のひとつになるかもしれなかった。結局は封印することになったアイデアも、複数箇所での効果を試すのにかなりの時間がかかった。そうして作業時間はどんどん拡大していったが、作業中断してのフィールドレコーディング再開は相変わらず続いた。
堀の批判の言葉は常に苛烈だったが、這って進んであと戻りしてのしつこい性のゆえか偏見がなかったし、単純に耳がよかった。彼は監督だったが、『夏の娘たち』においては偏見のない耳のよいエンジニアでもあった。しかしそれゆえにある時期以降の堀にとっては専用ダビングスタジオの縛り(スタッフたちにはかなりの敬意をはらいつつ)はかなり苦痛になっていったのだとも感じた。堀が『魔法少女を忘れない』のいわゆるポストプロダクションのなかで、ミックスのスタッフにも恵まれながら映画は監督のもので(すら)ないことを体感できたことは大きかった。
わたしは脚本家の尾上さんの仕事を尊敬しているので、だからこそ『夏の娘たち』ではスタジオに入らないという幸運(経済的には真逆)を知らされてからは、音作業前のを観て感じた違和感については相当にねばらないといけないと絶望した。いわゆる粗編を繰り返し一人で観た初めての日の絶望は忘れもしない。あまりに途方に暮れたのでレコーダーを持って長い散歩に出て帰ってきて観てまた途方に暮れた。
実際に脚本外のすぐに忘れられてしまう言語たちについては作業を中断して録音を重ねるなかで(作業をいったん中断して録音に戻れと最初に言い出してくれたのは堀である)磁力のような僥倖をいくつも得た。というのは、いい録音ができたのだがやはり使えないという箇所たちで、まさかの堀自身が、自ら録音し直してきたものがあったからだ。ただそれも堀のだけでは分離してしまう。自分のだけでは、新たな再録音では偶然を待つ時間は途方もなくなる。ライブラリにはないので。それを作るのがプロの現場だろとなるだろうが、『夏の娘たち』ではそういうわけにはいかない。そこでまた時間がかかった。
しかし最後の百万円の猫は、作業最終日以降の堀の仕業だ。してやられた。
本作は直美の話なのだと何度も堀は怒ったが(堀には当初自分の音設計が直美をひどく軽視しているように感じられたのだ)、自分としてはそんなつもりはなく録音でそれに対するこたえを出した。それら細部についてはかなり無駄と一般的には思われることに多くの時間を割いたことになるが、それらについては今後も一切言うつもりはない。
しかし映画にとって音楽を含むあらゆる音は常に大切だと言いたいわけではまったくなく。むしろ音楽と音の可能性?を積極的にむしっていった方がうまくいく映画だってあるだろう。それゆえに映画の音の話は何重にも難しい。また常に批評は語りやすいことしか語らない。それを常に意識していない映画語りやfilm criticはいかに傲慢か。映画にとって音楽を含むあらゆる音は常に大切ではないというのは、映画はさまざまなかたちがありうるわけだから。それを監督と作家の違いだとか、さまざまな新たな呼び方が今後いくつもできるだろうが。しかし、現行の映画製作の方法では、映画の音の扱いは、その可能性のかなりの部分を使いきれないし、映画批評のほとんどすべてはあまりに現行の映画製作の方法で作られた映画たちをとことん前提とし肯定し過ぎているがゆえに、彼らがいかに博識でいかに誠実でいかに観察力に優れていても、映画の音の新たな、そして忘れられた、また軽視され過ぎてきた、作り方については貧しい。観察力と懐疑する力は残念ながら関係がない。懐疑のない優れた観察というものが多くあり、それさえもないものが多数であるが。しかしプロ映画語りや専業映画批評以外の方が堀禎一の作品にちらちら見え隠れする存在するよりも前に消えてしまったかのような子供の存在感たちについてしっかりととらえていたりする。『東京のバスガール』の浴衣のようなものが生暖かく『夏の娘たち』にどこかしらゆらゆら浸侵しているのを感じる人もいるかもしれない。たしかにこんなことどもは学校では教えられない。
映画製作の最終工程でさえもが、映画製作の開始でもありうると懐疑し、実践し、それに他人にいくらか迷惑をかけながらもそこは強引に実践の秘密作戦を望んだ堀禎一は、はっきり映画製作の過程自体に大きな疑問を投げたけれど、それはまたすぐに忘れられる。それは複数の場所で常に忘れられる。その忘れやすさはほんとうにどうかしている。
幸いにも神戸映画資料館のサイトには、「堀禎一、自作を語る」シリーズで、三つの堀監督作品について堀自身が語った記録が残されている。このエッセイ自体どれもとても楽しいものだが、この記録がきわめて重要に思えるのは、映画製作の過程について、堀がいろいろ苦笑しながらも現行の映画製作について問題提起しているところである。通常の映画館やミニシアターのサイトにはこのような試みは少ない。またあってもお茶をにごす程度でしかない。しかしやろうと思えば他でもいつだってできたはずなのだ。シンプルながらも忘れやすさに抵抗する有効な方法はこのようにいくつもあるはずなのだ。
『夏の娘たち』の中で「あったことはなかったことにできない」の言い間違いがあったが、はじめ「なかったことはあったことにできない」と間違えつつ、というか間違えたようで、実際には「なかったことをあったことにする」映画の実際のところの始原の方法をとうの映画の製作者や批評する者や観る者が忘れて慣習に今日もまみれる。
わたしは『夏の娘たち』は、ひとつの映画であると同時に映画の製作方法自体についてのメタ映画であると、わたし自身の製作途中から強く感じてきた。これについては同業者も製作者も批評家も鑑賞者たちもハァなに言ってんのおまえ?かもしれないが、ダビング作業(もはやダビングではとうになくなっていたのだが)が一ヶ月を超え、さらに映画のためのフィールドレコーディングをまだやるのかよとし続ける最中に強く感じた変な熱と発見と延長の日々で、とりあえずその日の堀との作業を記録したバージョンを観、聴き直し、やり直す点を見つける日ごとに、その確信は強くなったが、そのことは監督本人も意識はしていなかったと思う。しかし長過ぎたダビング期間は二人組のダメ刑事みたいになっていったので(ダメ刑事っぷり、いやそれすらでないダメ私立探偵っぷりがマックスだよなと思ったのはとある風俗街で再びフィールドレコーディングしてた時、堀も同行していたのだが、自分は嘘電を受けるふりしながらレコーダーをまわしていたが、堀はただ横でつったってるので、あのさ!携帯で電話するふりとか定期的にしないとずっとふたりでがんくび並べてつったってたらおれたちここで不可解過ぎるっしょと言ったら、堀もあそっかとぎこちなく携帯で電話するふりを何度かしたりとか、そもそも映画製作の終盤の終盤の最後になって監督と音のわけわかんないやつががんくび並べてこんなとこつったってるなんて世界の映画製作の現場のどこにあるんだよと思ってその日はフテ寝した)、捜査方法自体を内務調査しているというか… あのぼんくらニセ私服だめ刑事の風俗街での再フィーレコも再再もいままでの映画製作方法への抵抗であったことは確かだ。というか抵抗ですらなく、堀はスタッフたちが動いているのをひいてみている自分を作業の最終工程においてさえ何度も蘇らせようとしていた。これらの堀の行動は、ひじょうにねばり強い監督であるとかそういうのとも違う。この監督の蘇えらせの衝動とメタ映画とはっきり定義できないメタたちについては、メタという言葉を使わない別の映画論が切実に必要である。堀は寝る雪の底まで蘇えらそうとしており、今後撮るかもしれない作品では、その蘇えらせへの衝動が別の方法を必要としただろう。
フレーム外の音で誰にも知られずに逸話的音響の脚本を書いて、それらの音を一部使うような事例についても、いまだあまりに軽視されているが、現行の映画製作方法はあまりに優秀なスタジオのライブラリやスタジオ内の再録音に頼り過ぎかもしれない。困った時は風、行き詰まった時は風、とにかく風、といった風の音の優秀な扱いたちについても疑問は常にある。これはほんの一例だが。
『夏の娘たち』でも激しく意見が衝突した箇所があったが、この映画の場合は、最後の最後に録音自体にまさかの堀自身も目覚める過程で、作業の休憩時間にはそもそもの映画製作の慣習についての話が多くなっていった。ベテランたちに敬意をはらいつつ、牛の脂を人々が劇場で観ることがなくなった現実のなか、どういうやり方があるのかについて。それは『夏の娘たち』以降のいくつもの映画でかたちを変えてこたえが出されるはずだったがそれはもう断たれた。
いまの映画製作の方法や慣習には、はっきりと大きな問題がある。堀禎一が新たに映画を作ることはもうないが、あまりの忘れやすさと映画についての度を越した懐疑の無さについて残されたものは…

 

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