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「2020年の堀禎一」に寄せて②
隠された物語に辿り着く

尾上史高(脚本家)

 

→上映プログラム「2020年の堀禎一」

 
堀さんは2017年の夏に亡くなったから、僕とは14年間ほどの付き合いだった。会ってもよく話したが電話でもよく話した。「やあやあやあ、元気?」といつもの挨拶から始まる堀さんからの電話はたいていは夜で、散歩中なのかどこかからの帰り道なのか、電話の向こうからいろんな音が聞こえてきた。駅の雑踏、車の走行音、コンビニのチャイムと店員さんの声、たぶん、ビールと煙草を買ってお気に入りの公園にでも行ったのか、犬の散歩中であろうご近所の方との挨拶が聞こえてくることもあった。ようやく家に帰りついたようで鍵を差し込む音がしたかと思うと、「トイレ」と言ってしばらく待たされる。料理をし始めることもあった。何をそんなに話していたのか、今となってはもうほとんど覚えていないのだが、僕は堀さんからの電話が待ち遠しくてしかたなかった。長い電話の間に喧嘩(僕が一方的に怒る)と仲直り(僕の気持ちが鎮まる)を繰り返し、最後に「じゃあね」と言われ、僕が「ええ」と言って切ると朝になっていたなんてこともよくあった。「次、行こうよ。次」。うまくいかなかった脚本づくりのあとで気まずくなっても堀さんにそう言われると気分が高揚した。とはいえ、堀さんは僕に何か話したいことがあって電話していたのではないし、ことさら仲が良かったわけでもない。僕がついつい自分の生活に埋没してしまい堀さんが言うところの「現実に負けた」ものを書いてしまうから、無理をしてでも直接会ったり電話したりしてなんとかフィクションを創っている覚悟を持って欲しかったのだと思う。

堀さんは僕の書くものがあまり好きではなかったと思う。「君は強い人だからなあ」と堀さんが呟くように言ったことを思い出すと今でもきつい。おおよそ、映画づくりは小さな事や些細な事を見つめる作業だから、僕が書くような、出来事がただの障害にしかならず周囲のものをなぎ倒していく人物の言動や、僕の現実が僕以外の人の現実と変わらないと思い込んでいる書き方を苦々しく思っていただろう。それでも堀さんは自分とは違う言葉を持っている僕が書いたものを元手に映画を撮っていた。自分に負荷をかけて、まだ自分が見つけ切れていないものがどこかに隠されているはずだと思って、僕の書いたものと取り組んでくれた。それが堀さんの脚本との向き合い方だった。ただ、堀さんが怖いのは書いた僕が全く気づいていない隠された物語をちゃんと見つけてくることだ。
今回上映していただく『夏の娘たち~ひめごと~』(2017)は僕が書いた「戻って来た女」というシナリオが元になっている。かつて腹違いの弟と秘めた恋をしていた姉が、久方ぶりに故郷に戻って来る。ずっと弟を想い続けていた姉は、別の男にも惹かれて結婚の約束をするが、すべてを反故にして弟の元へ走り、結果、弟を死に追いやってしまう。そんな話だった。堀さんと改稿することになって、主人公の取り違えを正すことと、姉弟の近親姦というエピソードゆえなのか、どうにも硬直してしまって動きづらそうな人物を、どうすればもっと自由に動いてもらえるようにするかが、改稿の柱になった。そんな中で浮上したのが、「どうして姉は弟ではなく別の男と結婚しようと思ったのか」という問題だった。もうすでにこの時点で堀さんの「確かに制度に触れる時はタブーになるかもしれないが、その制度下で人ってだいたい融通無碍に生きてきたんじゃないか」という見識もあって、僕の「近親姦はとりあへずタブー」という雑な現実認識など吹っ飛んで、それぞれの人物たちが持ち寄ってくる物語によってこの話固有の時空間が創られつつあったが、それでもなお弟と強く結びついた姉が惹かれてしまうこの別の男とは何なのかがいまいち掴めていなかった。書いた僕も気づいていなかった隠された物語はここにあった。まるでそれはあらかじめ用意されていた物語に辿り着いたような感覚だった。堀さんは常々、「物語を信じなきゃ、僕らは」と言っていたが、僕はこの時初めて、人が想像して書いたものには、だれがどんなものを書こうが、表面上の話の下にさらに大きな物語が潜んでしまうことを知った。

このコメントを書きあぐねて眠った日の朝、「尾上君、尾上君、尾上君」と堀さんに起こされた。もちろん夢だったが、久しぶりに聞く堀さんの声だった。『憐~Ren』(2008)という堀さんの作品がある。主人公の憐という名の少女が行方知れずの母親を想いながら、「声が思い出せないんだよなあ」と呟くシーンがある。堀さんが考えた台詞だ。堀さんと脚本づくりをしていると、あくまで僕にとってだが、心当たりはあるはずなのに忘れていたといった感じの台詞や出来事がいくつも堀さんから出てきた。大切だった人の「声が思い出せない」ことが、確かに僕にもあったはずなのに。「のんきだなあ、君は」と堀さんに言われていたから、ただ僕が人一倍のんきなだけかもしれないが、堀さんは、カメラで記録することを生業としていたからでもあるが、それ以上に、人が忘れないでいようとしていることや、それでも忘れてしまったことを、拾い集めていたような気がする。

 

→上映プログラム「2020年の堀禎一」

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