映画時評:一年の十二本 藤井仁子(映画評論家)WEBSPECIAL / REVIEW
2013 10


第十六回 野球との対決を避けつづける野球映画のあいまいな不戦勝
 『42 世界を変えた男』

『42 世界を変えた男』 42
全国ロードショー中
監督:ブライアン・ヘルゲランド
2013 / 128分 配給:ワーナー・ブラザース映画

© 2013 LEGENDARY PICTURES PRODUCTIONS LLC.

  何しろ発祥国とされているくらいだから、野球映画と呼びうる程度に野球が重要な役割を果たすアメリカ映画というのは、よく考えてみると実はそれほどたくさん思いつくわけではないのだけれど、やはり少なくはないわけで、結局のところアメリカ映画を愛していると認めざるをえない人間としては、ろくすっぽルールもわかっていないくせに、野球映画というだけで心が騒ぐのを抑えることは難しい。ところが、この野球映画というやつほどいざ見るとすっきりしない、といって別に退屈したり不快な思いをしたりすることも稀なのだが、とにかくなんだか釈然としない気持ちで劇場を後にしなければならない映画もあまりないといいたいのである。


 1チーム9人というのは、見ていて個々の選手をギリギリ識別することができる比較的あつかいやすい人数だと思うし、それぞれに立場の異なる男たちが肌の色や思想信条の違いを超えて、チームの勝利というただ一つの目的のために力を合わせるさまは、かつてのコンバット映画がそうだったように、合衆国の縮図として実に誂え向きのように思える。その彼らを、自らは行動することのない監督やコーチといった年長者が経験豊かに教え導き、目先の儲けにとらわれて現場のことを少しも理解しようとしないオーナー側が憎まれ役としてこれに絡み、チームが打ったり打たれたりするたび一喜一憂する満員のスタンドには、祈るような気持ちで試合を見守る選手の家族の姿があり、一方球場の外では、ときに病気の子どもなどが、テレビやラジオの前で憧れの選手の華々しい活躍を固く信じてエールを送る――映画的、あまりに映画的というしかない。傑作間違いなしというようなものなのに、ではなぜ野球映画はいつも釈然としない結果に終わるのか。


 これまでに見たいろいろな野球映画を思い出そうとして愕然とさせられるのは、肝心の野球の試合それじたいが、どうがんばってもほとんど思い出せないということだ。これがたとえばアメリカンフットボールなら、『ロンゲスト・ヤード』(1974)はもちろん、『M★A★S★H』(1970)でさえ、試合の場面がどんなだったかを忘れるはずはないのだが、野球映画の古典として誰もが認めるだろうルー・ゲーリッグの生涯を描いた『打撃王』(1942)となると、それこそ病気の少年が出てきたことは憶えていても、彼が病院のベッドで必死に応援していたはずの試合がどんなだったかはさっぱり思い出せないのである。さすがに映画評論家としてこれでいいのかと不安になった私は、四半世紀ぶりに『打撃王』を見なおして唖然とした。もともと野球のシーンがほとんどなかったのである。いや、あるにはあるのだが、たいていはモンタージュ・シークェンスとしてさらりと流されるか、突出しない程度のごく簡潔なショットの連なりで短く処理されるかで、いずれにせよ、記憶に残らなくてもしょうがないという程度の重みしかあたえられていなかったのだ。


 思うに、野球場とは実は映画との相性がきわめて悪い空間なのではないだろうか。単純に広すぎるし、ボールの飛距離が長すぎるのも難点だが、特にピッチャーマウンドからバッターまでの距離が的確に捉えられたショットというものを、ほとんど見たことがない気がする。まさか真横から撮るわけにはいかないし、よくあるようにバッターの後ろにキャメラを置くと、奥行きが詰まって距離がうまく出ないのだ。仲間が見守るベンチがまた、映画的には実に中途半端な位置にあると思う。ベンチからの視点でゲームを撮るには角度が悪く、そもそも距離が遠すぎるだろう。


 こうした理由からなのかどうかは知らないが、野球そのものとの直接対決だけはなんとしても回避するというのが、どうやら野球映画の必勝法であるらしい。私ではなく、映画史がそう告げているのである。事実、最近の野球映画として悪くない出来だったベネット・ミラーの『マネーボール』(2011)は、ブラッド・ピットという、その瞳が目の前のものを映し出してはいないときにもっともいい表情を見せる男優を、あえてゲームから孤独に遠ざけつづけることで勝利を掴んでみせたのだった。あるいはむしろ、野球場が収まるべきもっとも正しいショットは、無人の球場のロングで撮られた全景だと断言したい気持ちもある。日本映画だが北野武の『3-4×10月』(1990)など、プロ野球よりも草野球をあつかった映画のほうにはるかに印象的な画面が多いように思われるのは、人がまばらにしかいない球場の眺めの開放的な美しさによるものではないのだろうか。


 『ミスティック・リバー』(2003)や『マイ・ボディガード』(2004)の脚本家として知られるブライアン・ヘルゲランドが監督・脚本をつとめた『42 世界を変えた男』は、野球映画は野球との対決を避けるべしという映画史の鉄則に従った、例によってどこか釈然としない思いを見る者に残しはするものの、ともかくも巧みに不戦勝に持ちこむことに成功した、好ましい映画である。それを狡いというか聡明というかは見方による。才能ある脚本家なのだろうが、画面に結びつかないようなことまで書きこみすぎなのではないかという印象を抱かぬでもなかったヘルゲランドが、ここでは脚本家としても演出家としても、見る者に野球からの逃避を一瞬たりとも気取らせまいとすることに職人的な技量のすべてを傾けており、それが何より好ましい。


 タイトルの『42』とは、この映画の主人公であり、実在した黒人初のメジャーリーガー、ジャッキー・ロビンソンの背番号を意味している。すると、この映画は『打撃王』がルー・ゲーリッグの伝記映画だったようにジャッキー・ロビンソンの伝記映画なのかというと、そうではない。映画は1940年代の後半、ロビンソンがブルックリン・ドジャース傘下のモントリオール・ロイヤルズから出発して、あらゆる差別をはねのけてメジャーに昇格し、チームを勝利に導くまでに時代をごく慎ましく限定する。そうすることで、彼がいかにして野球に才能を発揮し、野球選手としての自己を確立するに至ったかという伝記映画としての側面をばっさり切り棄てるのだ。妻となるレイチェルとやがて生まれる赤ん坊――誕生の瞬間どころか顔さえまともに映らない!――を除いては、ロビンソンの私的な背景さえ時折台詞でほのめかされる程度にとどめることで、『42』はあくまで野球そのものから見る者の注意をそらし、それとは別のところに惹きつけている。ロビンソンとドジャースのゼネラル・マネージャー、ブランチ・リッキーとの関係にである。


 このワンマンだが人間臭いリッキー役のハリソン・フォードがいい。淀川長治に焼きイモみたいな顔といわれた、あのハリソン・フォードである。気がつけば彼も70代だが、声の低さとどうにも洗練されない不器用な身のこなしが、ここではプラスにはたらいている。野球映画だというのに、ここでのチームの監督の存在感のなさは――当初の監督レオ・ドローチャーはスキャンダルで早々と謹慎させられるので、その座はしばらく空位になりさえする――、あくまでリッキーとロビンソンとの関係を引き立たせるために違いない。二人の人種と世代の違いを超えた、父子的であれば共犯者的でもあるパートナーシップに見る者の関心を惹きつけることができれば、誰も野球の試合じたいを気にしたりはしないし、人種差別の克服という主題も二人の関係に集約させて描くことができるだろう。そのヘルゲランドの計算は、やはり効いていると認めざるをえない。


 禁酒法時代から60年代の末あたりまでを舞台にしたアメリカ映画が昨今目立つのは、一つにはポストプロダクションの段階でのカラーリング等により、時代色の再現が容易になったからだろうか。時代色といっても、要はその時代のハリウッド映画に支配的だった画調というにすぎないのだが――この時代はまさにハリウッドの撮影所時代とぴったり重なっている――、第二次大戦後間もない時期に設定された『42』は、たとえば60年代の終わりに設定されたリー・ダニエルズの『ペーパーボーイ 真夏の引力』(2012)ほど神経質に時代色にこだわるわけではなく、その点でもごく慎ましやかだ。


 もちろん、野球の場面が皆無ということはない。どうしてもバッターボックスの背後にキャメラを置かなければならないときは、思いきって球審の頭のすぐ後ろまで寄れというのが『打撃王』の名キャメラマン、ルドルフ・マテの教えなのだが、この映画も、あるショットでその教えを忠実に受け継いでいる。とはいえ、やはりそれ以上の見ものは、優勝がかかったクライマックスの試合からリッチーとレイチェルとを無理なく遠ざける、野球映画の必勝法に則ったヘルゲランドの手捌きだろう。そこでは、無人の球場ほど美しいものはないとあらためて確信させられることにもなる。あいまいな勝利だが、ともあれ勝利である。


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