映画時評:一年の十二本 藤井仁子(映画評論家)WEBSPECIAL / REVIEW
2014 4

第二十二回 おのれの行為と真に向きあうべきはこの映画自身である
 『アクト・オブ・キリング』

『アクト・オブ・キリング』 The Act of Killing
全国順次公開中
監督:ジョシュア・オッペンハイマー
2012 / 121分 配給:トランスフォーマー

©Final Cut for Real Aps, Piraya Film AS and Novaya Zemlya LTD, 2012

 世界中で絶賛され、日本でも大当たりをとっていると聞かされても、昨年の山形国際ドキュメンタリー映画祭で159分の長尺版が上映されたとき以来、私が信頼を寄せる数少ない人々は揃って否定的な感想を口にしていたのだから、ジョシュア・オッペンハイマーの『アクト・オブ・キリング』にはもともと期待などしていなかった。エロール・モリスにヴェルナー・ヘルツォークという、この企画に惚れこんで製作総指揮に加わった著名な映画作家たちの顔ぶれも、むしろ不安を増大させるほうに寄与したといってよい。それでも、この映画で採用されたいかにもスキャンダラスな手法について知ってしまうと、何か犯罪的なまでに許しがたい、非道さを極めたとんでもない代物を見られるのではないかというよこしまな欲望が、まったく頭をもたげなかったといえば嘘になる。だが、ようやく重い腰を上げて見た『アクト・オブ・キリング』は、犯罪的な醜聞にもなりそこねた、ただたんに中途半端で不出来な映画にすぎなかった。『アクト・オブ・キリング』における「罪」の記述は、まさに今しがた触れたような如何ともしがたい人間のよこしまな欲望を、自分自身にだけは一貫して認めようとしないがゆえに、不徹底なものに終わっているのである。どういうことか。


 映画が追究しようとするのは、1965年から翌年にかけてインドネシアで起きた「共産主義者」の大規模な虐殺である。65年のクーデタ未遂事件ののち、事態の収拾にあたったスハルトらの命により殺害された者の数は、100万とも200万ともいわれる。「共産主義者」を特定するためには、政権の気に入らない人間に、そうレッテルを貼りさえすれば充分だったようだ。しかも当時の体制が、基本的に現在も存続しているという事実に慄然とさせられる。つまり一連の虐殺は、インドネシアにとって目を背けたい負の歴史であるどころか、反対に加害者自らによって誇らしげに語り継がれてきた、現代史の輝かしい一頁だというのである。とはいえ、非合法であることのあきらかな虐殺の実行部隊としては、この映画の主人公といっていいアンワル・コンゴのようなならず者が、法の外で大勢動員される必要があった。取材を通してアンワルに接触したオッペンハイマーは、一計を案じ、彼とその友人たちに、キャメラの前で自分自身を演じてかつて犯した殺人を再現するように持ちかける。驚くべきことに、アンワルらはこれを大喜びで承諾し、完成したのがこの映画というわけである。


 キャメラに向かって自分たちが行なった拷問や殺人の詳細を嬉々として解説し、衣裳をつけ、メイクまで施して演技に熱中するアンワルらの姿からは、一見したところ反省や後悔の念は微塵も感じられない。彼らが殺人者だと知らなければ微笑ましい光景のように映るかもしれないそうした「悪の凡庸さ」が、検事総長の決定により、すでに公に免罪されているインドネシア社会の現実には、誰もが衝撃を受けることだろう。にもかかわず、いやだからこそ、映画を見ていくにつれ、なぜ彼らが過去の自身の行為をめぐって映画をつくるように促されなければならなかったのかという根本的な疑問が募る。ここでアンワルらが行なっているのは、たんなる過去の行為の再演ではなく、『アクト・オブ・キリング』という映画のなかに、もう1本、別の映画をつくることだからだ。その映画内映画は、観客の理解の便を図るとか、殺人者たちに自身の行為の意味を内省するための機会をあたえるといった必要を大きく超え、湖畔に打ち棄てられた巨大な魚型の建物の前でロケーション撮影された美女たちとのダンスや、天国を思わせる滝のほとりで殺人者と犠牲者が一緒になって唄うミュージカル場面のように、キッチュで超現実主義的な域にまで達する。これがただの悪ノリでないとすれば、どのような意義を持つというのだろうか。


 まず確認しておきたいのは、犯罪行為の当事者にキャメラの前で再現を行なわせることは、それじたいとしては特に新しい試みではないということだ。シネマ・ヴェリテの流れを汲むこうした手法で撮られた映画として、われわれは、すでにたとえばリティー・パニュの『S21 クメール・ルージュの虐殺者たち』(2002)を知っている。そこでは、加害者だけでなく被害者までもがともに当時の再演に加わっていたのだが、こうした系譜をふまえても、『アクト・オブ・キリング』での殺人者に映画内映画をつくらせるという試みは、上述したように、既存の方法論から逸脱したものを含んでいるといわざるをえない。世界のインタビュアーたちも、作家としてはかなり饒舌なほうに属するオッペンハイマーに対して、そもそもなぜ映画だったのかというこの根本的な疑問を、意外なほど追及してこなかったようである。


 もちろん、一応の答えを推測することができないわけではない。この映画が暗にいおうとしているのは、以下のような答えであると思われる。すなわち、アンワルらはもともと映画興行の世界に巣食っていたやくざ者で、主にアメリカ映画のダフ屋をして生計を立てていた。ところが、共産党がアメリカ映画の禁止を呼びかけたことから共産主義者に恨みを抱くようになり、そこを国家権力に利用された。彼ら自身もアメリカ映画の大ファンであり、着るものから口のきき方に至るまでハリウッド・スターの影響を受けていた。あろうことか、殺人の手口までアメリカ映画を模倣したものだったという。このように、虐殺には実はアメリカ映画がアメリカ人も知らないところで大きく関与していたのであり、それはちょうどCIAがインドネシア政府に共産主義者のリストを渡して虐殺をひそかに手引きしていたのと相似である。アメリカの核の傘の下で惹き起こされたこうしたおぞましい事態を真に映画化するためには、それじたいがアメリカ映画の模倣による、悪趣味なパロディでなければならかったのだ、と。


 しかしながら、多少なりともアメリカ映画を知る者からすれば、このような答えは到底首肯できないものだといえる。アンワルらが語るところによると、彼らのお気に入りはギャング映画で、好きだったスターはマーロン・ブランドにアル・パチーノ。針金を首に巻きつけて絞め殺す、血が飛び散らない「清潔な」殺害方法は映画から教えられたものであり、何より犠牲者が抵抗しようにも針金が首に食いこんで、指を引っかけられないのが好都合だったという。だが、虐殺が幕を開けた1965年といえば、すでに名ばかりだったとはいえ、プロダクション・コード(映画製作倫理規定)がなお存続していた時代である。殺人の方法を具体的かつ詳細に見せることで観客に模倣願望を誘発することは、ハリウッドがもっとも懼れていた事柄の一つであり、針金を使った絞殺場面をアンワルがアメリカ映画で見たことが事実だとしても(そのような場面を描くことじたいは禁じられていなかった)、その方法が被害者の抵抗をそぐというのはアンワルが実地に、あるいはアメリカ映画以外から学んだことであるに違いない。1965年とは、あのサム・ペキンパーでさえ、まだやっと『ダンディー少佐』を撮ったばかりの年なのである。それに、アンワルらのいう「ギャング映画」を、一部のフランス人が「フィルム・ノワール」と命名したような殺人メロドラマのたぐいと了解するにせよ、『ゴッドファーザー』(1972)以前のマーロン・ブランドにギャング役のイメージはなかったはずだし、アル・パチーノに至ってはまだデビューもしていない(パチーノの第1作は69年の『ナタリーの朝』)。1965年の虐殺にアメリカ映画が影響をあたえたという証言は、これほどまでに根拠の薄い、おそらくは本人の記憶のなかで事後的に捏造されたフィクションであると考えるのが妥当と思われるのである。


 となると、問いを立てなおさなければなるまい。なぜこのインドネシアの殺人者たちは、かくも情熱的にキャメラの前でアメリカ映画への愛を語り、映画撮影に没頭し、自分たちの映像が世界中の観客によって見られるという事実に昂奮を隠さないのか。考えられる答えは一つしかない。彼らが出演し、今撮られつつあるこの『アクト・オブ・キリング』という映画そのものが、彼らがあんなにも愛した「アメリカ映画」だからである。むろん『アクト・オブ・キリング』は、実際にはデンマークとノルウェー、イギリスの合作映画として完成されている。しかし、彼らがジョシュア・オッペンハイマーという年下の外国人にこれほどまでに心を開き、ともに映画をつくる気になったのは、オッペンハイマーが、今はデンマークを拠点にしているとはいえ、テキサスに生まれたアメリカ人の映画監督だからだろう。われわれは、罪の自覚もないままに、スター気どりで浮かれ騒ぐ殺人者たちの姿に眉をひそめる。だが、彼らの映画愛につけこみ、彼らにスターになる夢をあたえたのはこの映画自身なのである。そしてこの映画自身は、おのれがなした行為について、その「罪」について、どこまで自覚的だっただろうか。


 『アクト・オブ・キリング』の目立った特徴は、映画内映画と、それ以外の「地」の部分との境界を、故意にあいまいにしていることである。映画内映画の合間に、モニターでそれを見ているアンワルらの顔が不意に挿入されるかと思えば、舎弟のヘルマンが選挙に出馬し、結局落選するくだりでは完全に戯画化された編集が施され、またアンワルと昔の仲間アディが釣り堀で並んで釣り糸を垂らすシーンは、古典的な照明術に倣ってゆらめく水の反射が加えられているほか、丹念に二人を切り返す分析的編集で処理されている。こうした特徴は、この映画全体がアメリカ映画の一種のパロディとしてつくられているという説を、補強するものであるようにも見える。


 だが、この映画が悪しき表層の背後に内面の真実を措定する構造を持っていることもまたあきらかなのである。映画は、開始していくらも経たない時点で、人を殺した後は、気を紛らわせるために酒や女、さまざまなクスリが必要だったというアンワルの証言を聞かせる。そう語り、当時のように慣れた踊りを披露するアンワルの屈託のない愉しげな姿にわれわれはショックを受けるのだが、同時に彼の笑顔の陰に隠された内面の苦悩に心づくことになる。そうでなくてもわれわれは、心の奥底で深い罪責の念にとらわれている人間ほど、あんなことはなんでもなかったんだと、努めてあかるくふるまおうとするものだと経験的に理解しているはずである。したがって、これ以後われわれの関心は、常軌を逸したショッキングな外見の裏にひそむ、内面の真実へと誘われる。するとはたして、われわれの期待に応えるかのように、最後の最後にアンワルがもよおす嘔吐が訪れる。われわれは胸をなでおろす。悪魔と思われたこの男も、実は人知れず苦悩しつづけてきた人間だったのだと。そして、そのような秘められた「真実」を開示しえたこの映画自身の能力は、アメリカ映画の醜悪なパロディと見えるものの背後であらゆる批判と懐疑を免れ、無傷のまま温存されるだろう。


 インドネシアの殺人者がおのれの行為と向きあうことを回避し、そのことでおのれを正当化し、おのれの地位を今も維持しているというなら、この映画自身がしていることも同じである。


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