イベントEVENT

分類 神戸映画資料館レクチャー:映画の内/外

『さらば、愛の言葉よ』公開記念レクチャー
ゴダールとマルセル・オフュルス
──戦争の記憶と映像の世紀

2015年2月22日(日) 13:30(終了予定15:30)

追加 参考上映
『サン・ジェルヴェ劇場での出会い』
La Rencontre de Saint Gervais(2011/43分/DVD上映/日本語字幕付き)

講師:堀 潤之(映画研究・表象文化論)

『映画史』Histoire(s) du cinéma (1988-98)以降のジャン=リュック・ゴダールは、映画史のみならず、20世紀の歴史への関心を前景化させる。なかでも、第二次世界大戦期の対独レジスタンスやホロコーストといった出来事は、『映画史』だけでなく、それ以降のゴダールのフィルモグラフィでも継続的に取り上げられている。

20世紀の危機的な瞬間のひとつに向けられたこのようなまなざしを介して、ゴダールの道筋は、たとえば『ショア』(1985)のクロード・ランズマンのそれと交叉する。実際、1999年にはベルナール=アンリ・レヴィの仲介で、ゴダールとランズマンが会食し、それをもとに一時間のテレビ番組を作るという未完に終わった企画もあった。

だが、『映画史』以降に取り結ばれた他の映画作家との関係のうち、最も興味深いのは、マルセル・オフュルスとの関係だろう。マックス・オフュルスを父に持ち、ゴダールより3歳年長で、当初からヌーヴェル・ヴァーグの近傍にいたこの映画作家とゴダールは、不思議なことにこれまであまり接点を持っておらず、ヴィシー政権下における対独協力を扱って物議を醸したドキュメンタリー映画『哀しみと憐れみ』(1969)に対しても、どちらかと言えば冷ややかな反応しか示していなかった。

ところが、近年、この二人の映画作家は、少なくとも二度にわたって公開対談をし、その一部は『サン・ジェルヴェ劇場での出会い』La Rencontre de Saint Gervais (2011)という記録映像にもなっている。ゴダールの遅ればせの「歴史」への関心の目醒めが二人を接近させたことは明らかだが、より具体的に、彼らの「歴史」へのまなざしはどのように重なり合い、どのようにずれているのだろうか。ゴダールとオフュルスの作品群の解説も交えながら、本講座では『サン・ジェルヴェ劇場での出会い』の内容をじっくりと読み解いてみたい。(堀 潤之)

堀 潤之(ほり じゅんじ)
1976年生まれ。映画研究・表象文化論。関西大学文学部教授。主な著訳書に、四方田犬彦との編著書『ゴダール・映像・歴史』(産業図書、2001)、菅原慶乃との共編著『越境の映画史』(関西大学出版部、2014)、コリン・マッケイブ『ゴダール伝』(みすず書房、2007)、ジャック・ランシエール『イメージの運命』(平凡社、2010)、レフ・マノヴィッチ『ニューメディアの言語』(みすず書房、2013)などがある。

協力:Les Films du Tigre

《参加費》 1000円(参考上映含む)


神戸映画資料館レクチャー:映画の内/外 第11回
音・イメージ・言葉──キートン×ベケット=幽霊

 
12月15日(土)14:40(終了予定16:10)
講師:木内久美子(比較文学研究、東京工業大学)
 
「神戸映画資料館レクチャー:映画の内/外」では、1、2ヶ月に1回程度のペースで、さまざまな講師をお招きし、幅広いテーマで講座を開いています。
 
 
                                     『フィルム』撮影現場の
                                        キートンとベケット
[関連上映]キートン×ベケット──『フィルム』を中心に
Aプログラム2本立て
『フィルム』Film(アメリカ/1965/20分/DVD上映)
『キートンの空中結婚』The Balloonatic(アメリカ/1923/27分[18コマ映写]/16mm)
Bプログラム3本立てサミュエル・ベケットのテレビ作品
『幽霊トリオ』Geister Trio(ドイツ/1978/30分/DVD上映)
『……雲のように……』… nur Gewölk … (ドイツ/1978/15分/DVD上映)
『夜と夢』Nacht und Träume(ドイツ/1983/10分/DVD上映)
プログラム詳細
 
 
音・イメージ・言葉──キートン×ベケット=幽霊
                                 木内久美子

 「存在することは知覚されることである(esse est percipi)」
 サミュエル・ベケット(1906-1989)は、『ゴドーを待ちながら』を著した不条理演劇の立役者として、あるいは実験的な小説家として知られている。だが彼の創作活動は、さらに多岐にわたるものだ。初期には主に言葉を表現媒体とし、詩・評論・小説を書いていたが、次第にその表現を演劇・ラジオ・映画・テレビなどの視聴覚芸術へと発展させていった。さらに晩年には言葉・イメージ・音の関係を問うことによって、表現ジャンルの境界そのものを問題化するような、散文とも演劇ともつかぬ奇妙な作品を多く書き残した。
 『フィルム』は、こうしたベケットの創作活動の転換点を印づける作品のひとつだ。一九六四年に撮影され、翌年に公開されたこの作品は、彼の最初の映像作品であるのみならず、また唯一の映画作品でもある。舞台設定は一九二九年。白黒フィルムで撮影され、ほぼ全編がサイレント。まるで全盛期のサイレント映画だ。そのような雰囲気は、しかし不意に発せられるセリフによって破られる。『フィルム』は全盛期のサイレント映画そのものではありえない。そうした時代は過去のものだ……。こうして歴史的差異を明示することでこそ、『フィルム』は、もはや還れぬサイレント時代へのオマージュとなる。
 この映画の主人公を演じたバスター・キートンは、サイレント時代に最盛期を謳歌し、トーキーを生き残れなかった役者の代表格だといわれる。そのようなキートンの起用が、『フィルム』では素晴らしい効果を生んでいる。キートンは、カメラの追跡を逃れんと疾走する。まるで、カメラの眼に──あるいは観客の眼に──「知覚」されるのを逃れようとしているかのように。彼はどこへ疾走するのか。
 キートンは『フィルム』撮影の一年後に逝去している。奇しくも『フィルム』は、サイレント映画へのオマージュであるとともに、キートンへの葬送作品のような性格も帯びてしまった。
 『フィルム』以後、ベケットはテレビを表現媒体としたテレビ劇を執筆・制作している。これらの作品では奇しくも「幽霊的」と呼ぶべきモティーフが前景化してくる。例えば、役者の身体表現と音声表現とが意図的に切り離されることで、身体と音声とが、ともどもに虚ろな印象を与える表現手段となる。つまり「幽霊的」な表現となっているのだ。
 このレクチャーでは、ベケット作品における「幽霊的」な「知覚」の問題について、キートン映画の影響から考えてみたい。
 

木内 久美子(きうち くみこ)
専門は比較文学。現在、東京工業大学外国語研究教育センター准教授。著書に『サミュエル・ベケット!──これからの批評』(共著、水声社、2012年)、翻訳書に、ポール・ド・マン『盲目と洞察──現代批評の修辞学における試論』(共訳、月曜社、2012年)などがある。

《参加費》 1000円
*ご予約受付中 
info@kobe-eiga.net 宛に、お名前、連絡先(電話)、参加希望日を書いてお送りください。
追って予約受付確認のメールを差し上げます。

協力:Samuel Beckett Estate


神戸映画資料館レクチャー:映画の内/外
第10回 ハルーン・ファロッキ、あるいは映像の「読解」――『猶予期間』(2007)を見る

 
2012年9月23日(日) 13:30(終了予定15:50)
参考上映 『猶予期間』
レクチャー 堀 潤之(映画研究・表象文化論)
 
「神戸映画資料館レクチャー:映画の内/外」では、1、2ヶ月に1回程度のペースで、さまざまな講師をお招きし、幅広いテーマで講座を開いています。
 
[参考上映]                           ”Respite” © Harun Farocki, 2007
『猶予期間』
Aufschub / Respite / En sursis
(2007/40分/DVD上映)
提供:HARUN FAROCKI FILMPRODUKTION
ナチス・ドイツ占領下のオランダのヴェステルボルク通過収容所で1944年に撮影された16ミリの無声のフッテージが存在することは、早くから知られていた。ハルーン・ファロッキの中編『猶予期間』は、アウシュヴィッツなどの絶滅収容所への中継地点として使われていた収容所における「日常生活」をとらえたこの貴重なラッシュを丹念に読み解き、映像に残されたかすかな手がかりを掘り下げ、覆い隠されていた歴史の真実に到達しようとする作品である。もともとのフッテージに中間字幕(インタータイトル)を加えるだけというファロッキの慎ましやかな手つきには、映像の「読解」をめぐる唯物論的にして真に倫理的な思考が宿っている。
 
 
ハルーン・ファロッキ、あるいは映像の「読解」――『猶予期間』(2007)を見る
                                 堀 潤之

 映像による収容所の表象には、長い歴史がある。連合軍による解放直後に撮られた夥しい量の写真。ジョージ・スティーヴンスやサミュエル・フラーの手によって撮られたフッテージ。ワンダ・ヤクボフスカの『最後の停泊地』(邦題『アウシュヴィッツの女囚』、1947)にはじまる収容所を舞台とした無数の劇映画。そして、アラン・レネの『夜と霧』(1955)やクロード・ランズマンの『ショアー』(1985)といったドキュメンタリー作品。本講座ではまず、ファロッキがこうした先行例のどのような側面に抗って『猶予期間』を構想したのかを紹介したい。
 また、1944年生まれのファロッキは、主に実験的なドキュメンタリー作品の領域で、すでに90本以上の作品を撮っている。ハルトムート・ビトムスキーとほぼ同世代で、ゴダールとストローブ=ユイレの方法論を独自に引き継ぎ、近年は美術館におけるインスタレーション作品でも注目を浴びているファロッキは、現在の映像芸術の地平を考えるにあたって最重要の人物の一人といってよい。本講座では、彼の方法論の一端が明晰に示されている『猶予期間』をとっかかりとして、ファロッキの他の作品群――とくに、アウシュヴィッツの空撮映像をめぐる考察ともいえる『世界の映像と戦争の刻印』(1988)――にもできる限り目を向けてみたい。

堀 潤之(ほり じゅんじ)
1976年生まれ。映画研究・表象文化論。関西大学文学部准教授。主な著訳書に、四方田犬彦との編著書『ゴダール・映像・歴史』(産業図書、2001)、コリン・マッケイブ『ゴダール伝』(みすず書房、2007)、ジャック・ランシエール『イメージの運命』(平凡社、2010)などがある。

ハルーン・ファロッキ公式サイト

《参加費》 1500円
*ご予約受付中 
info@kobe-eiga.net 宛に、お名前、連絡先(電話)、参加希望日を書いてお送りください。
追って予約受付確認のメールを差し上げます。


神戸映画資料館レクチャー:映画の内/外
第9回 映画の夜と戦争③_『映画を見に行く普通の男』刊行記念

 ジャン・ルイ・シェフェール著、丹生谷貴志訳『映画を見に行く普通の男』刊行記念
(5月31日発売予定/レクチャー当日から神戸映画資料館で先行発売)
 
2012年5月26日(土)14:25〜(終了予定16:00) 
ゲスト:丹生谷貴志
聞き手:井上正昭
 
「神戸映画資料館レクチャー:映画の内/外」では、1、2ヶ月に1回程度のペースで、さまざまな講師をお招きし、幅広いテーマで講座を開いています。
 
今回は、ジャン・ルイ・シェフェール著『映画を見に行く普通の男 映画の夜と戦争』(現代思潮新社/5月31日発売予定)の出版を記念し、訳者である丹生谷貴志氏にお話しいただきます。
 

丹生谷貴志
思想、映画、文学と幅広い分野で批評活動を行う。神戸市外国語大学教授。著書に『死体は窓から投げ捨てよ』、『死者の挨拶で夜がはじまる』、『家事と城砦』、(河出書房新社)、『ドゥルーズ・映画・フーコー』、『天皇と倒錯 現代文学と共同体』『女と男の帝国 グローバリゼーション下の哲学・芸術』『三島由紀夫とフーコー“不在”の思考』『〈真理〉への勇気 現代作家たちの闘いの轟き』(青土社)など。

 

《参加費》 1000円
*ご予約受付中 
info@kobe-eiga.net 宛に、お名前、連絡先(電話)、参加希望日を書いてお送りください。
追って予約受付確認のメールを差し上げます。
 
《割引》
講座参加者は当日の映画鑑賞料が1本目から200円引き

協力:現代思潮新社


神戸映画資料館レクチャー:映画の内/外
第8回 ものかき放談─世界と小説と自由

 刊行記念
 鈴木創士著『サブ・ローザ 書物不良談義』(現代思潮新社/1月29日発売予定)
 いしいしんじ著『ある一日』(新潮社/2月29日発売予定)
 
2012年3月3日(土)16:30〜(終了予定18:00) 
対談:鈴木創士 × いしいしんじ
 
「神戸映画資料館レクチャー:映画の内/外」では、1、2ヶ月に1回程度のペースで、さまざまな講師をお招きし、幅広いテーマで講座を開いています。
 今回は、関西在住の作家、鈴木創士氏といしいしんじ氏の異色対談が実現しました。
 

鈴木創士
作家、翻訳家。 著書に、『アントナン・アルトーの帰還』、『魔法使いの弟子』(現代思潮新社)、『中島らも烈伝』(河出書房新社)、『ひとりっきりの戦争機械』(青土社)など。翻訳書に、『アルトー後期集成』(共同監修、河出書房新社、共訳)。エドモン・ジャベス『問いの書』(水声社)、ジャン・ジュネ『花のノートルダム』、アルチュール・ランボー『ランボー全詩集』(河出文庫)など。現代思潮新社「エートル叢書」監修。

  

いしいしんじ
作家。大阪生まれ。現在、京都に在住。著書に小説『四とそれ以上の国』(文藝春秋)、『東京夜話』、『ぶらんこ乗り』、『トリツカレ男』、『いしいしんじのごはん日記1~3』、『ポーの話』(新潮社)などがあり、エッセイ・対談に『その辺の問題』(中島らも共著/角川文庫)、『人生を救え!』(町田康共著/毎日新聞社)などがある。「Words&Bonds」(「復興書店」内メール&WEBマガジン)編集担当。

 

《参加費》 1000円
*ご予約受付中 
info@kobe-eiga.net 宛に、お名前、連絡先(電話)、参加希望日を書いてお送りください。
追って予約受付確認のメールを差し上げます。
 
《割引》
講座参加者は当日の映画鑑賞料100円引き


神戸映画資料館レクチャー:映画の内/外
第7回 ロバート・スミッソンのフィルム《スパイラル・ジェティ》について

 
2012年2月26日(日)16:00〜(終了予定18:00)
レクチャー:小西信之(美術批評家)
対談:小西信之 × 丹生谷貴志
 
「神戸映画資料館レクチャー:映画の内/外」では、1、2ヶ月に1回程度のペースで、さまざまな講師をお招きし、幅広いテーマで講座を開いています。
 今回は、アメリカの現代美術家ロバート・スミッソンについて小西信之氏によるレクチャーと、丹生谷貴志氏との対談、そしてスミッソンの代表作『スパイラル・ジェティ(Spiral Jetty)』の映像作品を参考上映します。
[参考上映]
『スパイラル・ジェティ(Spiral Jetty)』
 (1970/35分/DVD上映)DVD提供:Electronic Arts Intermix
 
ロバート・スミッソンのフィルム《スパイラル・ジェティ》について   小西信之
 「巨大な太陽を一心に見ていると、とうとうその見慣れぬ感じの謎が解けた。燃えているのは1つの星ではなかった。何百万という数の星たちが、分厚いクラスターとなって、群れをなす蜂たちのように、ひとつになってひしめいて密集していた。それによって、分ちがたい一つの炎だと欺かれていたのだ。本当はそれは、無数の太陽の、巨大な螺旋状の星雲だったのである。」(ジョン・テーン『時の流れ』1931年)
 ──ロバート・スミッソンのフィルム《スパイラル・ジェティ》に引用

 1973年に、飛行機事故で34歳の若さで帰らぬ人となったロバート・スミッソン(1938-1973)は、アメリカの現代アートにおけるアースワークの代表的なアーティストである。しかし彼はアースワークという言葉だけでくくるにはあまりにも多様な活動を残した。そのひとつが彼の著述であり、友人だったアーティスト、ソル・ルゥィットは彼の残した最大の作品はこれらの著述であるとさえ述べている。そこでは、恐竜から地質学、心理学から物理学、SFやポップ・カルチャーから古代マヤの神々、庭園論とエントロピー、産業社会とモニュメント、写真とセザンヌ、バロウズからポロックやジャッドに至る同時代の現代アートといった、領域横断的な様々な題材がちりばめられており、きわめて独創的な批評的エッセイあるいは魅惑的なトラヴェローグとなっている。それらは作品と連動しつつ、まさに彼の創造的世界を切り開くモーターの一つだったのだ。
 そして彼の残したもう一つの重要なジャンルがフィルムである。アースワークの記録としての役割も大きいが、スミッソン自身の世界観や批評を純粋に映像にしたものもあり、共作も含め少なくとも5点は制作され、制作されずに構想や絵コンテの状態で終わったものも多数存在する。冒頭に引用したSF作家ジョン・テーヌの文章は、この中でも最も有名なフィルム《スパイラル・ジェティ》の後半のクライマックスで、作家自身が読み上げる部分だ。このフィルムは同名の有名なアースワークの制作後に、制作中の映像に様々なイメージのコラージュを組み合わせ、そこに種々の引用テキストの作家自身によるナレーションがかぶせられた、約30分の映像作品であり、彼が残した映像作品の中でも最も完成度が高く、まさにスミッソン的表現の頂点をなすものと言っていいだろう。
 今回のレクチャーでは、この映像作品《スパイラル・ジェティ》を見、その理解に向けて、映像やテキストのディテールを明らかにしつつ、ロバート・スミッソンという作家の全体像に迫ってみたい。
 スパイラル・ジェティは米国のユタ州グレート・ソルト・レークに、湖面の増減とともに浮沈を繰り返しつつ、塩湖故にこびりつく塩の結晶によってときに真白となり、いわば現代アートの「遺跡」として現在も存在しているのである。
 なお、フィルム《スパイラル・ジェティ》は国内で見ることはできない(美術館での展覧会で2度紹介されたことがある)。今回は、このレクチャーのために米国からレンタルして上映するものである。
 

小西信之
美術批評家、愛知県立芸術大学准教授。訳書にロザリンド・クラウス著『オリジナリティと反復』(リブロポート)、主な論文に彫刻の森美術館開館25周年記念彫刻評論大賞受賞論文「Wasting Sculpture」の再録である「廃棄される彫刻」(『芸術理論の現在』所収)、「アースワークを訪ねて――ロバート・スミッソンのスパイラル・ジェティを中心に」(愛知県立芸術大学紀要No.29)、「スタン・ダグラス――アイデンティティとメディア」(同前、No.32)がある。『Innocent Minds』展(1998、愛知県美術館と共同)、『ベリー ベリー ヒューマン』展(2005、豊田市美術館と共同)などの展覧会企画も行う。『あいちトリエンナーレ2010プレイヴェント 現代美術の発見VI 渡辺豪「白い話 黒い話」』展(愛知県美術館 展示室6、2010年1月6日~3月22日)を監修。

 

丹生谷貴志
思想、映画、文学と幅広い分野で批評活動を行う。神戸市外国語大学教授。著書に『死体は窓から投げ捨てよ』、『死者の挨拶で夜がはじまる』、『家事と城砦』、(河出書房新社)、『ドゥルーズ・映画・フーコー』、『天皇と倒錯 現代文学と共同体』『女と男の帝国 グローバリゼーション下の哲学・芸術』『三島由紀夫とフーコー“不在”の思考』『〈真理〉への勇気 現代作家たちの闘いの轟き』(青土社)、など。近刊予定に、ジャン・ルイ・シェフェール『映画を見に行く普通の男 映画の夜と戦争』(エートル叢書/現代思潮新社、翻訳)がある。

 

《参加費》 1500円
*ご予約受付中 
info@kobe-eiga.net 宛に、お名前、連絡先(電話)、参加希望日を書いてお送りください。
追って予約受付確認のメールを差し上げます。


神戸映画資料館レクチャー:映画の内/外
第6回 『不思議惑星キン・ザ・ザ』と知られざるダネリヤの宇宙

2011年12月18日(日)15:50〜(終了予定18:00)
講師:東海晃久
「神戸映画資料館レクチャー:映画の内/外」では、1、2ヶ月に1回程度のペースで、さまざまな講師をお招きし、幅広いテーマで講座を開いてまいります。
 
[関連企画] [ソヴィエト映画会①『嘆くな!』]
 
ダネリヤ監督の素朴な哀情   東海晃久
 今回のレクチャーでは、カルト的に有名となった『不思議惑星キン・ザ・ザ』だけでなく、それまでの作品をも視野に入れながら、多少大袈裟ではあるが、監督ダネリヤの作家性について考えようと思う。
 ソヴィエト時代、代表的な喜劇映画監督と言えばガイダーイ、リャザーノフそしてダネリヤという三人が挙げられ、また曾てはそう宣伝されることも多かったのだが、中でもダネリヤは明らかにその毛色が異なる。簡単に言えば、ガイダーイはトーキー前後のスラップスティックから多くを継承しようとし、リャザーノフは寧ろ演劇的空間で繰り広げられる風刺劇を得意としたのに対し、ダネリヤには前者二人のいずれにもない或る「素朴さ」が漲っていることが感じられる。これは観ることによってしか伝わらないことだが、一考に値すると思われ、これを出発点にしたい。
 この「素朴さ」というのはしかし、単純さや野暮ったさとは全く別ものである。あるいは寧ろ、『キン・ザ・ザ』を観た人ならば、そこに「素朴さへのノスタルジー」を感じるかもしれないし、邦題に「不思議」という言葉が使われているばかりに、ついつい異様さや異常さが目立つかもしれない。だが、どこかこの異常ささえもわれわれには身近なものとして感じられないだろうか。いかに浮世離れした異様さの中に真実味を感じるのはなぜか。或はこれこそが「素朴さ」ということであるのではないか。
 いずれにせよこのわれわれが感じ取ってしまう「素朴さ」は本当のところは一体何なのか。われわれとしてはこれを吉田健一流に、詩人が自分にとっての正確なあるべき言葉を探しつつその洗練に努めることで初めて得ることの出来る素朴さに似ているのではないかと仮定した上で、映画にとっての無駄のなさ、ひいては映画的洗練ということをこのダネリヤにおいて考えてみたい。さらに、例えば『モスクワを歩く』などのこれといったストーリーが特にない映画の成功も、この素朴の原理が最も如実に表れることになるのが映画における主人公の位置づけであることを考えれば、理解出来るかもしれない。 
 いずれにしても、ダネリヤはシナリオを何度となく書き直し、事実上シナリオが現場ですら変更されて行くのが常であることで有名な彼の台本は、たとえそれが一般に音楽や踊りや芝居からなる映画という大皿の端に盛りつけられる添え物にいくら似ていたとしても、そこにある言葉もまた映画を支えるものとしてあるかもしれず、その世界と一つであり、決して切り離すことの出来ないものとして十全に機能しているのではないか。彼の作品の作り方がこの映画を支える言葉の探求とともにあることは注意してよい問題で、この探求に準じるようにして多くの主人公(『アフォーニャ』[1975]の配管工ボリショーフ、『ミミノ』[1977]の操縦士ミザンダーリ、『秋のマラソン』[1979]の翻訳家ブズィーキンなど)は、自らの生きる世界においてそのあるべき場所を見出せずにいる自分を取り戻そうとする歩みを辿ることになる。ただそれは、一巻の終わりがハッピーエンドを約束することを少しも意味していなくて、多少結論じみてしまうが、自分を取り戻したとて凡ては未だ道半ばである、ということを観る者に思い出させてくれる。

東海晃久
1971年生まれ。ロシア国営ラジオ局「ロシアの声」翻訳員兼アナウンサーを経て、現在、神戸市外国語大学非常勤講師。訳書に現代ロシア文学最大の実験作『馬鹿たちの学校』(サーシャ・ソコロフ、河出書房新社)がある。

 

《参加費》 1000円
*ご予約受付中 
info@kobe-eiga.net 宛に、お名前、連絡先(電話)、参加希望日を書いてお送りください。
追って予約受付確認のメールを差し上げます。
 
《割引》
講座参加者は[ソヴィエト映画会①『嘆くな!]の鑑賞料200円引き


神戸映画資料館レクチャー:映画の内/外
第5回 映画の夜と戦争②_『〈真理〉への勇気』刊行記念

 丹生谷貴志著『〈真理〉への勇気 現代作家たちの闘いの轟き』刊行記念(9月21日発売予定)
 
2011年10月10日(月・祝)17:40〜(終了予定19:10) 
対談:丹生谷貴志 × 松葉祥一
司会:前田晃一(東京大学グローバルCOE「共生のための国際哲学教育研究センター」 UTCP共同研究員)
 
「神戸映画資料館レクチャー:映画の内/外」では、1、2ヶ月に1回程度のペースで、さまざまな講師をお招きし、幅広いテーマで講座を開いています。
 
今回は、『〈真理〉への勇気 現代作家たちの闘いの轟き』(青土社/9月21日発売予定)の出版を記念し、著者である丹生谷貴志氏と松葉祥一氏に語り合っていただきます。丹生谷氏は『ドゥルーズ・映画・フーコー』で「世界は映画である」という問題を考察されました。新刊ではそれを発展させ、イーストウッドやタランティーノたちの映画、戦争と文学、そしてフーコーの「肉」の問題を考察しておられます。「肉」とは、もともとメルロ=ポンティが考察した概念であり、松葉氏はこれを「肉の共同体」として『哲学的なものと政治的なもの』で深く読み込まれています。今回はお二人が、概念としての「肉」を中心に、「見えるものと見えないもの」、「他者と身体」、そして「世界と映画」の関係についてラジカルに問いかけます。
 

丹生谷貴志
思想、映画、文学と幅広い分野で批評活動を行う。神戸市外国語大学教授。著書に『死体は窓から投げ捨てよ』、『死者の挨拶で夜がはじまる』、『家事と城砦』、(河出書房新社)、『ドゥルーズ・映画・フーコー』、『天皇と倒錯 現代文学と共同体』『女と男の帝国 グローバリゼーション下の哲学・芸術』『三島由紀夫とフーコー“不在”の思考』(青土社)、など。近刊予定に、ジャン・ルイ・シェフェール『映画を見に行く普通の男 映画の夜と戦争』(エートル叢書/現代思潮新社、翻訳)がある。

 

松葉祥一
神戸市看護大学教授。メルロ=ポンティをはじめとする哲学思想研究を行うと同時に、様々な社会問題の現場と積極的に関わりながら、身体論、社会共同体論、臨床医学といった多岐にわたる領域で、個人の自由、他者との共存、新たな共同性はいかにして可能かを実践的に問いかけている。著書に、『ナースのための実践論文講座』(人文書院)、『哲学的なものと政治的なもの:開かれた現象学のために』(青土社)など、翻訳書に、タハール・ベン・ジェルーン『娘に語る人種差別』(青土社)、エティエンヌ・バリバール『市民権の哲学』(青土社)、ジャック・ランシエール『不和あるいは了解なき了解』(インスクリプト、共訳)、ジャック・デリダ『友愛のポリティックス』(みすず書房、共訳)などがある。

 

《参加費》 1000円
*ご予約受付中 
info@kobe-eiga.net 宛に、お名前、連絡先(電話)、参加希望日を書いてお送りください。
追って予約受付確認のメールを差し上げます。
 
《割引》
講座参加者は当日の映画鑑賞料200円引き

協力:青土社


神戸映画資料館レクチャー:映画の内/外
第4回 新生セリーヌ

 フィリップ・ソレルス『セリーヌ』(杉浦順子訳)刊行記念
 
2011年8月7日(日)17:30〜(終了予定19:00) 
 
講師:杉浦順子
聞き手:鈴木創士

 
「神戸映画資料館レクチャー:映画の内/外」では、1、2ヶ月に1回程度のペースで、さまざまな講師をお招きし、幅広いテーマで講座を開いています。
今回は、『セリーヌ』(エートル叢書21/現代思潮新社刊)の出版を記念し、翻訳者である杉浦順子氏を講師に、エートル叢書の監修者である鈴木創士氏を聞き手としてお迎えします。
セリーヌに関連する珍しい映像資料などを参照しながら、没後50年を迎えて今なお “永遠に人前に出せない作家” セリーヌの文学世界を掘り下げていただきます。
 

杉浦順子
青山学院文学部フランス文学科卒業。神戸大学大学院文学部博士課程単位取得満期退学。2009年5月、フランス・ルーアン大学博士課程修了。専攻は近代フランス小説、中でもルイ=フェルディナン・セリーヌ。現在、神戸大学ほか非常勤講師。論文に、《Strategie de l’humour chez Celine : une lecture deleuzienne 》, La Revue d’Etudes celiniennes, No 4, Hiver, 2008 ほか。

 

鈴木創士
作家、翻訳家。 著書に、『アントナン・アルトーの帰還』、『魔法使いの弟子』(現代思潮新社)、『中島らも烈伝』(河出書房新社)、『ひとりっきりの戦争機械』(青土社)など。翻訳書に、『アルトー後期集成』(共同監修、河出書房新社、共訳)。エドモン・ジャベス『問いの書』(水声社)、ジャン・ジュネ『花のノートルダム』、アルチュール・ランボー『ランボー全詩集』(河出文庫)など。現代思潮新社「エートル叢書」監修。

 

《参加費》 1000円
*ご予約受付中 
info@kobe-eiga.net 宛に、お名前、連絡先(電話)、参加希望日を書いてお送りください。
追って予約受付確認のメールを差し上げます。
 
《割引》
講座参加者は当日の鑑賞料200円引き

協力:現代思潮新社


神戸映画資料館レクチャー:映画の内/外
第3回 映画の夜と戦争①_アンドレ・マルロー

2011年7月23日(土)16:30〜(終了予定18:00)
「神戸映画資料館レクチャー:映画の内/外」では、1、2ヶ月に1回程度のペースで、さまざまな講師をお招きし、幅広いテーマで講座を開いてまいります。
今回は、フランスの作家アンドレ・マルローが監督した唯一の映画『希望 テルエルの山々』を入り口に、マルローの多岐にわたる仕事を丹生谷貴志氏に考察していただきます。
 
[関連企画] [アンドレ・マルロー監督作『希望 テルエルの山々』]
 

丹生谷貴志
思想、映画、文学と幅広い分野で批評活動を行う。神戸市外国語大学教授。著書に『死体は窓から投げ捨てよ』、『死者の挨拶で夜がはじまる』、『家事と城砦』、(河出書房新社)、『ドゥルーズ・映画・フーコー』、『天皇と倒錯 現代文学と共同体』『女と男の帝国 グローバリゼーション下の哲学・芸術』『三島由紀夫とフーコー“不在”の思考』(青土社)、など。近刊予定に、ジャン・ルイ・シェフェール『映画を見に行く普通の男 映画の夜と戦争』(エートル叢書/現代思潮新社、翻訳)、『敗走者たちの生と真理』(青土社、仮題)、などがある。

 

《参加費》 1000円
*ご予約受付中 
info@kobe-eiga.net 宛に、お名前、連絡先(電話)、参加希望日を書いてお送りください。
追って予約受付確認のメールを差し上げます。
 
《割引》
講座参加者は[アンドレ・マルロー監督作『希望 テルエルの山々』]の鑑賞料200円引き


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