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分類 連続講座:映画批評_新しい映画と観客のために

連続講座:映画批評_新しい映画と観客のために
第6回 崩壊する国家と崩壊する映画──アレクセイ・ゲルマン

2014年2月8日(土)16:00(終了予定17:30)
講師:井上 正昭(翻訳・映画雑文)
 
1992年に日本で開催されたレンフィルム祭で受けた衝撃はいまだに忘れがたい。映画のことなら多少は人より知っているはずだという根拠のない自信が一瞬にして崩れ去るような、あれはそんな圧倒的体験だった。見る作品、見る作品、すべてが新鮮で、パワフルで、驚きに満ちている。しかも、それを撮ったのは、ほとんど名前も聞いたことのない監督ばかりだった。アレクセイ・ゲルマンは、そんな未知の作家たちのなかでもとりわけ強烈な印象を残したひとりだった。
 
ゲルマンは2013年の2月に、74歳で亡くなった。68年にデビューして以来、約45年間でかれが監督した作品はわずか6本に過ぎない。しかも、そのうちの一本は別の監督との共同監督であり、最後の作品は未完である。その未完の遺作『神様はつらい』は、かれの死後、妻と息子の手によってようやく完成し、2014年には公開される予定であると聞く。だから、今この時期に、ゲルマンの作品を神戸映画資料館でまとめて見直すことができるというのは、とてもタイムリーでラッキーなことだと言っていいのかもしれない。
 
今回上映されるのは、『道中の点検』『戦争のない20日間』『わが友イワン・ラプシン』の3本だけだが、残り3本のうちゲルマンが単独で監督して完成させた作品は『フルスタリョフ、車を!』だけである。講座では、この『フルスタリョフ、車を!』と、グリゴーリー・アローノフと共同監督したデビュー作『七番目の道づれ』、および未完の遺作『神様はつらい』も視野に入れながら、ゲルマンの映画について考えていきたい。
 
スターリンの粛清の続く1938年にロシアに生まれ、共産党体制のなかで作る映画がすべて公開禁止の憂き目にあい、ペレストロイカ後は海外向けの広告塔として散々利用されながら、結局、一本しか映画を完成させることができず、それでも最後までロシアにとどまり続けたゲルマン。かれの映画を振り返ることは、崩壊する国家の歴史をたどり直していくことにもなるだろう。しかし、むろん、ゲルマンの映画は、歴史によって絵解きされてしまうようなヤワなものではない。実際、スターリンの死という歴史的出来事を描きながら、『フルスタリョフ、車を!』ほど、歴史の陰画からほど遠い怪物的作品もまたとないだろう。ソ連史、レンフィルムの歴史といった外部にも視線を注ぎながら、まさに映画としかいいようのない圧倒的瞬間に満ち満ちたゲルマンの映画の魅力を、できうるかぎり画面にこだわりつつ語りたいと思う。
 
  
[関連企画] [ロシア・ソヴィエト映画 連続上映 第7回 アレクセイ・ゲルマン特集]
 

井上 正昭
1964年生まれ。京都大学文学部仏文科卒。Planet Studyo + 1 で映画の自主上映にたずさわる。『映画監督に著作権はない』(フリッツ・ラング、ピーター・ボグダノヴィッチ、筑摩書房 リュミエール叢書)、『恐怖の詩学 ジョン・カーペンター』(ジル・ブーランジェ、フィルムアート社)などの翻訳書がある。

 

《参加費》 1000円
 
《割引》
講座参加者は[アレクセイ・ゲルマン特集]の鑑賞料200円引き


連続講座:映画批評_新しい映画と観客のために
第5回 森崎東党宣言!

2013年12月29日(日)15:10(終了予定18:10)
 
講師:藤井仁子(映画批評) ゲスト:濱口竜介(映画監督)
 森崎東監督最新作『ペコロスの母に会いに行く』が、ついに11月16日より全国ロードショー。
それに合わせて刊行される「森崎東党宣言!」(インスクリプト/11月25日発売)の編者である藤井仁子氏を講師に、寄稿者のお一人である濱口竜介監督をゲストにお迎えします。
講座の始めに参考上映あり。
 
今の日本には「森崎東」が欠けている   藤井仁子
 86歳になる森崎東が完成させた最新作『ペコロスの母に会いに行く』の公開にあわせて、『森崎東党宣言!』という本を出版することができた(版元はインスクリプト)。刊行までに多くの方々の協力を得たが、企画を立ちあげた当初の段階から、この本にかける思いは、少なくとも私と編集者とのあいだで完全に一致していた。この国をもうちょっと良くしたい——これである。冗談ではない。今の日本には「森崎東」が欠けているという一念で、われわれはこの本に心血を注いだのだ。「3・11」以降、いち早く原発ジプシーを登場させた『生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』があらためて注目を浴びている。大いに結構である。しかし、「森崎東」は原発問題よりも巨大なのだ。笑いと涙と怒りがいちどきに沸き立つ「森崎東」というごった煮の鍋には、「もうほとんど世界である」としかいいようがないほど、この国の抱えるありとあらゆる問題が濛々と湯気をあげて渦巻いている。そんな面白いのと同じくらいに面倒くさい森崎東の映画について、『森崎東党宣言!』の寄稿者の一人であり、私が敬愛する作家のうちでももっとも若い世代に属する濱口竜介監督と思うさま語りあってみたい。
[関連企画] [年忘れ上映『喜劇 特出しヒモ天国』]

《参加費》 1500円(講座+参考上映)
 
《割引》
講座参加者は『喜劇 特出しヒモ天国』の鑑賞料100円引き

協力:インスクリプト


連続講座:映画批評_新しい映画と観客のために
第4回 ニコラス・レイ生誕100年

2011年12月30日(金)15:20(講座の前に参考上映あり/終了予定19:00)
 
講師:藤井仁子(映画批評)
 気鋭の映画批評家たちによる連続講座。「映画批評はいまだ有効か」の堂々巡りを超えて、何度も新しくよみがえり続ける映画と観客のための批評の実践です。
 今回は、ニコラス・レイ生誕100年を記念し、『わたしは邪魔された―ニコラス・レイ映画講義録』(みすず書房)の翻訳者のお一人でもある藤井仁子氏を講師に迎えます。講座の前に参考上映あり。
 
[関連企画] ニコラス・レイ監督『孤独な場所で』
 
ニックス・ムービー、善悪の彼岸   藤井仁子
 彼らはわれわれが生きるこの世界に一度たりとも適切に導き入れられたことがない――ニコラス・レイの監督第一作『夜の人々』の冒頭を飾るこの前口上は、そのまま彼の全作品への前口上にもなっている。実際、銀行が泥棒同然のことをやる時代に追われる身となった若い恋人たちの短すぎる蜜月を描く『夜の人々』は、映画製作倫理規定の厳格な適用を受けていた当時のハリウッドにあって、普通なら許されないはずの題材だったのだが、その後も彼は気位の高い酒浸りの癇癪持ち(『孤独な場所で』)、銃を棄てた男と共同体から疎外される薹の立った守銭奴の女(『大砂塵』)、思春期の不良少年(『理由なき反抗』)、果てはロマ(『熱い血』)やイヌイット(『バレン』)といった、主流のハリウッド映画が決してしかるべきかたちで導き入れようとしなかった「夜の人々」の物語を紡ぎつづけるだろう。同時にそれは、いっさいを善と悪との二元論で解釈しようとする古典的ハリウッド映画のイデオロギーに逆らって、善悪では割り切ることのできない世界のあいまいさ、人間の複雑さをありのままに見据えようとする困難な試みでもあった。世界は深い。昼が考えたより深いのだ。その事実を生涯を挙げて示した作家の生誕100年が、伝説的な遺作『ウィ・キャント・ゴー・ホーム・アゲイン』の日本初上映まで実現してしまったというのにあくまで昼の晴れやかさとは無縁のまま、「孤独な場所で」ひっそりと暮れようとしているのは、むしろ彼とその映画に似つかわしいことなのかもしれない。アルコールの力でも借りなければ到底乗りきることのできない、そんな夜が人生には一度ならず訪れるということを知るすべての人々のために、ニックの映画はあるのだから。

藤井仁子(ふじい・じんし/映画評論家)
1973年生まれ。映画評論家。早稲田大学文学学術院准教授(映画学)。映画批評サイト『テアトル・オブリーク』主宰。編著書に『入門・現代ハリウッド映画講義』(人文書院)、共著書(分担執筆)に『成瀬巳喜男の世界へ』(筑摩書房)、『映画の政治学』(青弓社)、『日本映画とナショナリズム 1931-1945』『映画と「大東亜共栄圏」』、『映画と身体/性』(いずれも森話社)などがある。2011年秋出版の『甦る相米慎二』(インスクリプト)を木村建哉、中村秀之と共編。

 

《参加費》 1500円(講座+参考上映)
*ご予約受付中 
info@kobe-eiga.net 宛に、お名前、連絡先(電話)、参加希望日を書いてお送りください。
追って予約受付確認のメールを差し上げます。
 
《割引》
講座参加者はニコラス・レイ監督『孤独な場所で』の鑑賞料200円引き


連続講座:映画批評_新しい映画と観客のために
第3回 仮面と影──カーペンター的活劇空間について

2011年11月19日(土)15:00(終了予定16:30)
気鋭の映画批評家たちによる連続講座。「映画批評はいまだ有効か」の堂々巡りを超えて、何度も新しくよみがえり続ける映画と観客のための批評の実践です。
  
[関連企画] [日本未公開B級映画 ①]
 
仮面と影──カーペンター的活劇空間について   井上正昭
 ゼロ年代と呼ばれる21世紀最初の10年間をほぼ沈黙していたのに等しいジョン・カーペンターがついに新作長編をひっさげて帰ってきた。カーペンターのこの復活は、ほぼ同時期に約20年ぶりとなる新作を発表したモンテ・ヘルマンの復活同様、それ自体がアメリカ映画に対する批評になっていはしまいか。
 
 しばしば安易に「ホラー映画の巨匠」などと称されるカーペンターだが、むしろB級映画の巨匠という呼び方のほうが彼にはふさわしい。CGや3Dなどには見向きもしない反時代的B級映画作家。カーペンターの映画には、いかがわしさ、安っぽさも含めた、映画の原初的力とでもいったものがみなぎっている。なんとでも呼べるだろうが、その原初的力をとりあえず「活劇」と名付けてみる。カーペンター映画の本領は、なによりも活劇にあるのではないか。ホラーものを撮っているときでさえ、カーペンターの映画を動かしているのは、恐怖や不安というよりは、映画自体のアクションなのである。カーペンター的活劇とはいかなるものなのだろうか。様々な視点から検討してみたい。
 
 新作ホラー長編『ザ・ウォード/監禁病棟』がそうであるように、カーペンターはしばしば映画の舞台に閉鎖的な空間を設定する。ひとつの都市全体がそのような閉鎖空間を形づくる場合もある。そのようなカーペンター的都市にも2つのタイプを認めることができるだろう。いずれにせよ、その空間を「悪」が外側から取り囲み、内側から蝕むというのがカーペンター映画の定石だ。それをかれは、窓、扉、車、一本道といった舞台装置を利用しつつ、どのように活劇として視覚化しているのだろうか。
 
 カーペンター的活劇の基盤となっている、ジャンルの問題についても考えてみたい。ホラー、SF、とりわけ西部劇といった古典的な映画ジャンルを、カーペンターはいかに参照し、いかにそこから距離を置いているか。ハワード・ホークスとの関係、リメイクの問題、等々についても、余裕があればふれたいと思う。

井上 正昭
1964年生まれ。京都大学文学部仏文科卒。Planet Studyo + 1 で映画の自主上映にたずさわる。『映画監督に著作権はない』(フリッツ・ラング、ピーター・ボグダノヴィッチ、筑摩書房 リュミエール叢書)、『恐怖の詩学 ジョン・カーペンター』(ジル・ブーランジェ、フィルムアート社)などの翻訳書がある。

 

《参加費》 1000円
*ご予約受付中 
info@kobe-eiga.net 宛に、お名前、連絡先(電話)、参加希望日を書いてお送りください。
追って予約受付確認のメールを差し上げます。
 
《割引》
講座参加者は[日本未公開B級映画 ①]の鑑賞料200円引き


連続講座:映画批評_新しい映画と観客のために
第2回 甦る相米慎二

 『甦る相米慎二』(インスクリプト/9月30日出版予定)刊行記念
2011年9月24日(土)16:00(終了予定19:00)
 
講師:藤井仁子(映画批評)
ゲスト:濱口竜介(映画監督)
 気鋭の映画批評家たちによる連続講座。「映画批評はいまだ有効か」の堂々巡りを超えて、何度も新しくよみがえり続ける映画と観客のための批評の実践です。
 今回は、相米慎二論集『甦る相米慎二』(インスクリプト)の刊行を記念し、編者のお一人である藤井仁子氏を講師に、寄稿者である濱口竜介監督をゲストにお迎えします。80〜90年代の日本映画界を疾走し、同時代において多くの共感を得、その後にも深甚な影響をあたえた相米映画のその魅力を、あらためて顕彰/検証します。講座終了後、参考上映あり。
 
『甦る相米慎二』(インスクリプト/9月30日出版予定)を9月23日より神戸映画資料館で先行発売
  
[関連企画] 上映会[没後10年 甦る相米慎二]
「ラブホテル」「朗読紀行 にっぽんの名作「月山」」
 
甦る相米慎二、その 〈はじまり〉   藤井仁子
 映画が相米慎二を失って10年になる。その早すぎる死を惜しむ声はいまだに跡を絶たないが、他方で相米はいいときに死んだと、相米への愛ゆえにあえて口にする人もいる。確かに相米の死後、デジタル化の動きに加え、テレビ局と広告会社による映画産業の支配が呆れるほどのペースで進み、相米が撮るような作家性の強い映画が占めるべき場所は、現在の日本映画界にはほとんど残されていないかに見える。だが、ポルノに辛うじて活路を見いだした70年代の瀕死の撮影所で修業時代を送り、80年代にさまざまな製作形態を渡り歩きながら監督としての経歴をスタートさせた相米とは、考えてみれば撮影所址の瓦礫の隙間から、その下に眠る厖大な死骸を養分として奇跡的に咲いた一輪の花のような存在ではなかっただろうか? だから、映画界全体が再び瓦礫からの出発を強いられている今だからこそ、あらためて映画は相米を必要としているのではないか?
 われわれは、そのような意識から『甦る相米慎二』を作った。相米の映画が相米一人では決して作られえなかったように、この本も多くの人々の協働によって成り立っている。今回はそのなかから、まさしく相米以後の地平において瞠目すべき作品を発表しつづけている濱口竜介監督をゲストにお迎えし、まだまだ話し足りない相米論議を本の外で続行したいと思う。すでに11月の東京フィルメックスでは監督作全13本の一挙上映が決まり、相米と縁の深い日活が創立100周年を迎える来年にはこの波は海外にまで到達するだろう。ついに世界が相米慎二を発見しようとしている。『夏の庭 The Friends』の舞台でもある神戸の地で、その〈はじまり〉を目撃していただきたい。

藤井仁子(ふじい・じんし/映画評論家)
1973年生まれ。映画評論家。早稲田大学文学学術院准教授(映画学)。映画批評サイト『テアトル・オブリーク』主宰。編著書に『入門・現代ハリウッド映画講義』(人文書院)、共著書(分担執筆)に『成瀬巳喜男の世界へ』(筑摩書房)、『映画の政治学』(青弓社)、『日本映画とナショナリズム 1931-1945』『映画と「大東亜共栄圏」』、『映画と身体/性』(いずれも森話社)などがある。『甦る相米慎二』(インスクリプト/9月出版予定)を木村建哉、中村秀之と共編。
 
濱口竜介(はまぐち・りゅうすけ/映画監督)
1978年生まれ。東京大学在学中より自主映画製作を始め、卒業後、映画・ドラマの助監督、経済番組のアシスタント・ディレクター/ディレクターを経て2006年に東京藝術大学大学院映像研究科に入学。4本の映画を製作し、なかでも『PASSION』は2008年のサンセバスチャン国際映画祭、東京フィルメックスのコンペに出品されるなど、国内外の映画祭で上映された。以降の監督作に『永遠に君を愛す』(2009)、日韓共同製作作品『The Depths』(2010)などがある。2010年神戸映画資料館において 〈濱口竜介作品集〉 を開催。

 

《参加費》 1500円(講座+参考上映)
*ご予約受付中 
info@kobe-eiga.net 宛に、お名前、連絡先(電話)、参加希望日を書いてお送りください。
追って予約受付確認のメールを差し上げます。
 
《割引》
講座参加者は関連上映作品の鑑賞料200円引き

共催:インスクリプト


連続講座:映画批評_新しい映画と観客のために
第1回ドキュメンタリー映画を考える

2011年7月16日(土)14:30(終了予定18:30)
気鋭の映画批評家たちによる連続講座。「映画批評はいまだ有効か」の堂々巡りを超えて、何度も新しくよみがえり続ける映画と観客のための批評の実践です。
  
[関連企画] [ドキュメンタリー映画再見]
「北京」「意志の勝利」「カメラを持った男」「ルイジアナ物語」
 
ドキュメンタリー映画を考える 葛生賢
 今日の映画状況を見渡してみると劇映画とドキュメンタリー映画とはきれいに棲み分けがなされています。極端な話、ごく少数の映画好きを除けば、劇映画の観客はドキュメンタリー映画を見ませんし、ドキュメンタリー映画の上映に足しげく通う観客は劇映画をほとんど見ません。そこまで事態は酷くないとしても、前者が抱くドキュメンタリー映画についてのイメージは例えばマイケル・ムーアだったり、後者がたまに見る劇映画は旬のハリウッド映画だったりする程度でしょう。そして今日、多くの人が「映画」という言葉で漠然とイメージするものは圧倒的に劇映画を指しています。興行的にもドキュメンタリー映画は隅に追いやられており、「ドキュメンタリー」という言葉が喚起するものも、もしかしたらNHKの特集番組だったりするかもしれません。
 しかしドキュメンタリー映画は映画を考える上で本質的な問いを私たちに突きつけてくるし、何よりもまずとても面白いものだと私は考えます。映画の誕生と同時にフィクションとドキュメンタリーは共に手を携えて歩み、その相互作用によって、映画はその豊かな歴史を作り上げてきました。
 今日の日本の映画状況の物足りなさは劇映画とドキュメンタリー映画の間での対話の不在によるところが大きいと私は考えます。そこで、このレクチャーでは、ドキュメンタリー映画の豊かな歴史にまず触れていただき、さらには今日のドキュメンタリー映画が抱える問題点について皆さんと一緒に考えていきたいと思います。

葛生 賢
映画批評家・映画作家。映画批評家として「中央評論」「エクス・ポ」などに寄稿する一方で、青山真治監督の『AA 音楽批評家:間章』などの作品にスタッフとして関わる。監督作品に『吉野葛』(2003)、『火の娘たち』(2006)などがある。

 

《参加費》 1000円
*ご予約受付中 
info@kobe-eiga.net 宛に、お名前、連絡先(電話)、参加希望日を書いてお送りください。
追って予約受付確認のメールを差し上げます。
 
《割引》
講座参加者は[ドキュメンタリー映画再見]の鑑賞料200円引き

[次回予定]9月上旬 講師:藤井仁子


これまでのイベント|神戸映画資料館

※内容は予告無く変更する場合があります。