プログラムPROGRAM

タカシ時間 vol.9
11月11日(金)・12日(土) 両日18:30

 
 
 
 
『諫早湾』
(2011/76分/製作:海プロジェクト)
 
 
 
 
 
映像作家・崟利子は、東京茅場町のギャラリーマキで新作上映会「季刊タカシ」を不定期で開催しています。神戸の「タカシ時間」では、これまで撮りためた旧作を中心に上映してきましたが、今回は、今夏完成した長編『諫早湾』を初上映します。

映画「諫早湾」は、これから数年続いていく映画の“入り口”として今年5月に産声を上げました。この映画は、私ともう一人のプロデューサーである大塚が2年前に諫早湾を訪れた時から始まっています。実は私が撮って作り上げるつもりでしたが、東京での仕事の都合を含めた様々な事情でなかなか現地へ行けないまま時間が過ぎていました。
私は少し焦っていました。自分の中に沸き上がった突発的な拙い正義感と、それを表面化できない力の無さに焦っていたのです。
 
諫早湾は江戸時代から干拓と埋め立てが繰り返されてきた典型的な日本の沿岸地域です。農地を増やして食糧不足を補うという当初の目的は、時代とともに公共事業による地域振興、大規模農業推進、防災と何度も塗り替えられてきました。
 
中でも、最大かつ一挙的な埋め立てとして計画されたのが、諫早湾干拓事業です。
戦後間もなく湾口を閉鎖する大公共事業として計画されたこの工事は、前述の通り目的が2転3転した後、立案から約40年経った1989年に着工されました。1997年の工事完了時に鉄板が次々と落とされ8.5㎞の諫早湾口が閉じられていくニュース映像を、私はよく覚えています。
 
その後、湾の環境と漁業は壊滅的な打撃を受けてきました。毎年赤潮が発生し海中の貧酸素状態が続いてきました。獲れていたものが獲れない状態が何年も続きました。それが潮受け堤防の締め切りに起因するものかどうかは証明されていない状態でした。しかし現地に行ってわかったのは、どう見ても堤防が影響しているだろうということでした。潮の流れを広範囲に渡って完全に遮断したのだから、海と生物に変化が出るのは当たりと思われました。
 
法廷では干拓事業の完成と漁業被害の因果関係が争われていました。しかし裁判の論理性では意味を持たない心情的な部分、諫早湾を巡る人々の積もり積もった確執が根深いと感じました。
 
工事を主導した当時の自民党と野党の争いに始まり、その後の民主党と民主党県連、農水省と漁民、長崎県と漁民、干拓工事業者と漁民、干拓地農民と漁民、県側の漁協と漁民側の漁協、かつて補償をもらって漁業権を放棄した漁民とそうしなかった漁民。分裂は見事に日常に下りていました。そして今も続いています。昨年2010年に、福岡高裁で堤防と漁業被害の因果関係を認める判決が下り、当時の総理大臣が上告せずと明言した後に、長崎県と干拓地農民が再び判決を不当とする裁判を起こしました。死ぬまで繰り返すのか、とは傍聴した漁民の言葉です。
 
前述した通り、映画のスタートは私の拙い正義感であり、当初の立ち位置は「漁師支持」でした。諫早の根深い確執は、日本の社会がつくりあげた沈殿物のようなものです。またかつてから日本の至る所にあったものでもあります。ダム建設・高速道路建設・原発建設といった現場に必ず登場する、利権を求める人々による力の行使です。それは日本社会そのもの。諫早はその典型の一つ。私とは関係ないようでいて見て見ぬふりをしてきたと言う意味で関係のある事柄です。だからこそ私は正義感を振りかざしたくなった。
 
しかし現実に目を向ければ、このぐちゃぐちゃぶりの長さに、メディアも、選挙を抱える政治家も、そして多くの人々も飽きています。諫早湾の静かな海を見ていると、このまま朽ち果てて終わっていく様な気もしてきます。私は映画のとば口で立ち往生していました。
 
崟利子監督が頭の中に浮かんだのはそんなときでした。
彼女ならば全然違う力を持った映画が作れるのではないか。沈滞した諫早湾を前にして、私には思いもつかない発見をするのではないか。
 
その後崟監督は、身の回りの日常を撮るというこれまでのスタイルに反して一人で何度か諫早に足を運び、満足ではない制作費に耐えながら撮影を続け、ようやく本作ができあがりました。内容は、私がこれまで書いてきたこととはまったく違う、崟ワールドです。
 
しかし誤解を恐れずに言えば、私は「諫早湾」の中に自分の正義感を見いだすことができます。変わらないようで変わっていく独特の映像に、何故か希望を感じます。
 
最初に「これはこれから数年続いていく映画の“入り口”だ」と書きました。
諫早の問題は、おそらく社会問題としては早急・明快には解決しません。しかし海があって、暮らしている人がいて、時間が過ぎていく。「諫早湾」はその時間にただ付き合って、ゆっくりと映画の時間を切り取っていくのだと思います。
これから崟監督が撮ろうとしているのが、いわゆる風景ではなく、諫早の人間だということも映画の先行きを物語っています。良くも悪くも諫早湾に翻弄されてきた人々。彼等が、映画の中で彼等なりに立っていてくれれば、それが諫早の未来なのだと思っています。
 
2011年11月
杉本信昭
[「諫早湾」プロデューサー。監督作に「蜃気楼劇場」(1993)、「自転車でいこう」(2003)がある]

《会費》1500円

 協力:ギャラリーマキ

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