プログラムPROGRAM

渡辺護自伝的ドキュメンタリー 1部・2部一挙上映
2014年11月29日(土)・30日(日)

半世紀にわたり映画を撮りつづけた巨匠・渡辺護にカメラは密着する。本作は監督自身の映画演出を具体的に探るドキュメンタリーであり、昨年末故人となった同監督が残してくれた貴重な映画史の証言である。

渡辺護自伝的ドキュメンタリー第1部
「糸の切れた凧 渡辺護が語る渡辺護」
(2011/122分/DVCAM)
構成:井川耕一郎
出演・語り:渡辺 護
撮影:松本岳大、井川耕一郎
録音:光地拓郎 編集:北岡稔美
構成補:矢部真弓、高橋 淳
製作:渡辺 護、北岡稔美
協力:渡辺典子、太田耕耘キ、淡島小鞠、荒木太郎、広瀬寛巳、向井淳子、映画美学校

井川耕一郎監督による解説
2009年の秋、私の脚本で渡辺さんが撮るはずだった映画が製作延期になり、急にやることがなくなってしまった。
「渡辺さん、ぼーっとしていても時間のムダですから、何かしませんか?」
「するって、何を?」
「渡辺さんがいて、カメラがあれば、映画はできるでしょう。渡辺さんがカメラの前で自分のことを語ればいいんですよ」
というわけで、始まったのがこのプロジェクトである。

撮影は2009年12月にスタート。2010年3月までは週末のたびに渡辺さんの家で、4月以後は月一回のペースで映画美学校で行われた(研究科の授業の記録ということである)。
12月に撮影は終了したが、あと一、二回の撮影が必要なようである。

プロジェクトの全体像は以下のとおり。
第1部:『糸の切れた凧 渡辺護が語る渡辺護』(2時間)
第2部:「渡辺護が語るピンク映画史」(2時間)
第3部〜第10部:「渡辺護による自作解説」(30分×8本)
(第3部以後は、作品をいくつかの系列に分け、渡辺護が自作解説を行うという構成になる予定)

今日、上映するものはプロジェクトの第一部で、渡辺さんが監督デビュー作『あばずれ』を撮るまでのことを語っている(ちなみに、第1回ズームアップ映画祭で作品賞をとった『少女縄化粧』が『あばずれ』の時代劇版リメイクであることはあまり知られていないのではないか)。
と言っても、これは単なる序論ではない。なにしろ、二百本以上の映画を撮った男が自分の人生を語るのだ。その語り口が、映画と似てくるのは当然のことだろう。
たとえば、渡辺さんが語る1945年8月6日には、事実と異なる部分がある。しかし、遠くで起きたことが直感的に分かってしまうというのは、『おんな地獄唄 尺八弁天』でも、『谷ナオミ 縛る』でも見られたことだ。
つまり、第一部は、渡辺護が自分の人生を題材にしてつくった新作というふうに見ることもできるだろう。

渡辺護の演出については、たとえば、次のように書かれてきた。
「カツキチからカツドウヤへ転進する途上で演劇青年として叩き込まれたスタニスラフスキーシステムに始まる一連の古典的な素養は、ここでもまた自在に活用され切っていると言っていい」
(『日本映画テレビ監督全集』1988年版・キネマ旬報社)
「早稲大学演劇科から八田元夫演出研究所に参加。TV時代劇の出演などもこなしたことからか、今にいたるも、踊って(自ら演技の模範を示して)演出するというのも、マキノ雅広などのカツドウ屋を彷彿とさせる」
(別冊PG vol5『PINK FILM CHRONICLE 1962-2002 幻惑と官能の美学』2002年)
だが、文字でこのように書かれても、どういう演出なのかはつかみにくいのではないだろうか(「カツドウヤ」、「スタニスラフスキー・システム」、「踊って」、「マキノ雅裕」がどのようにつながるのかが見えてこない)。第一部『糸の切れた凧』が、渡辺護の演出をより具体的に探る試みの第一歩になっていればいいのだが……。

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右端が渡辺護、左から2人目が山本晋也

渡辺護自伝的ドキュメンタリー第2部
「つわものどもが遊びのあと 渡辺護が語るピンク映画史」
(2012/138分/DVCAM)
出演・語り:渡辺護
製作:渡辺護、北岡稔美
撮影:松本岳大、井川耕一郎
録音;光地拓郎
編集:北岡稔美
構成補:矢部真弓、高橋淳
構成:井川耕一郎
協力:渡辺典子、新東宝映画株式会社、銀座シネパトス、太田耕耘キ(ぴんくりんく編集部)、林田義行(PG)、福原彰、荒木太郎、金子サトシ、宮田啓治、鈴木英生、高橋大祐、映画美学校

井川耕一郎監督による解説
渡辺護自伝的ドキュメンタリープロジェクトの第二部をピンク映画史にすることは、早いうちから決めていたことだった。
渡辺さんならピンク映画史が語れるだろう。そう思ったのは、『映画芸術』1970年11月号に載ったエッセイ「何が難しいことだって ピンク監督の弁」を読んだときだ。
ピンク映画の現場を面白おかしく紹介することをねらったそのエッセイは、短いものではあったけれども、ベッドシーンの撮り方や女優のタイプの移り変わりを具体的な例をあげながら書いていた。それはピンク映画史を記述する試みでもあったのだ。

第二部にとりかかる前に考えた方針は、『史記』の列伝のように行こうということだった。
つまり、人を語ることがそのまま歴史を語ることになるというスタイルである。
まずは「若松孝二と向井寛」、「小森白と山本晋也」というふうにお題を立ててインタビューをすることから始め、その後は自作解説の流れの中で、スタッフやキャストがどんな人だったかを聞くようにした。
渡辺さんの話は脱線脱線また脱線といった調子で、多くのひと、多くのエピソードが次々と出てきた。それらをすべて第二部にとりこむことはとうていできない。こぼれ落ちた重要な話は第三部以後の自作解説篇でとりあげることになるだろう。

それにしても第二部制作中、ずっと気になっていたことがあった。それはエッセイ「何が難しいことだって ピンク監督の弁」から感じ取れる渡辺さんの目だ。
1970年の時点で、渡辺護はピンク映画の代表的監督の一人となっていたはずだ。監督として脂がのってきた頃である。なのに、遠い昔をふりかえるかのようにピンク映画の現場を見つめているこの目は、一体何なのか?
一気にしゃべりまくるような調子のいい文体で書かれているけれども、このエッセイの裏側には、ひやりと冷たい何かが流れている。
そして、その冷たさは、『(秘)湯の街 夜のひとで』のラストシーンに映る川の冷たさを思い出させるのだが……。

10月の終わり頃、用があって渡辺さんの家を訪ねた。
予想していたとおり、渡辺さんは元気がなかった。
「向井が死んで……野上(正義)が死んで……なんで若松まで……、若ちゃんとは会って話をしたいと思っていたんだ……」
それだけ言うと、渡辺さんは黙ってしまった。
しかし、第三部をつくるうえで確認しておきたいことがあったので尋ねてみると、渡辺さんは次第にいつもの調子を取り戻してきた。
息つぎなしでしゃべり続ける渡辺さんを見て私は思った。
いつまでもしょんぼりしていてはいけないのだ。そんなことを亡くなったひとは望んでいない。生き残った者には語り伝える義務がある。
渡辺さんの語りの中で、ピンク映画の活気がよみがえる。撮って、飲んで、ケンカをしてをくりかえすつわものどもの群像喜劇、お楽しみ下さい。

渡辺 護(わたなべ まもる)
1931年、東京生まれ。1965年 、成人映画『あばずれ』で監督デビュー。映画監督本数:約230作品。谷ナオミ、東てる美、美保純、日野繭子、可愛かずみ…数々のスター女優を発掘しヒロインに育て上げてきたピンク映画界の第一人者。2013年12月24日逝去。

井川 耕一郎(いかわ こういちろう)
1962年生まれ。脚本家・映画監督、映画美学校 講師。ピンク映画の脚本は、1994年『女課長の生下着 あなたを絞りたい』(監督:鎮西尚一)、1996年『黒い下着の女教師』(監督:常本琢招/O・V)など。最近作は2008年『喪服の未亡人 ほしいの…』(監督:渡辺護)。2000年『寝耳に水』(出演:長曾我部蓉子)監督。35mmのピンク映画『色道四十八手 たからぶね』が今年公開。

[12月公開予告]
ピンクリンク編集部 企画
「渡辺 護 はじまりから、最後のおくりもの。」
〜『あばずれ』から『色道四十八手 たからぶね』まで

《料金》
一般1300円 学生・シニア1100円
会員1000円 学生会員・シニア会員900円

《割引》当日に限り2本目は200円引き
*ご入場者に渡辺護監督ポストカードと『色道四十八手 たからぶね』35mmカットフィルムをプレゼント!(なくなり次第終了)
*各上映回、先着10名様にピンク映画ポスター・プレゼント

これまでのプログラム|神戸映画資料館

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