プログラムPROGRAM

中国引揚映画人特集 -幻灯と映画-
2016年9月4日(日)

『せんぷりせんじが笑った!』製作風景

『せんぷりせんじが笑った!』製作風景

 

1945年8月の日本敗戦後、当時の「満洲国」の首都新京(現長春)にあった国策映画会社・満洲映画協会(満映)の機材と施設と人材を引き継ぎ、東北電影公司が新たに発足した。長春に入った中国共産党軍に接収された東北電影公司(東影)は、なおも続く国民党軍と共産党軍の戦闘を逃れ、長春から奥地の興山(旧称鶴崗)に移動、その際に、新中国における映画事業建設への協力を呼びかける中国共産党幹部の説得に応じ、多数の日本人スタッフも同行した。旧満映日本人スタッフの一部は早期帰国したが、内田吐夢、木村荘十二の両監督ほか残留を選んだ人々は、屋外での苛酷な肉体労働に動員される苦難の体験も経つつ、中国の映画人と協同しつつ映画制作及び技術指導に取り組んだ。大半は1953年に帰国したこれらの人々は、内田吐夢など少数の例外を除き、多くは大手映画会社に受け容れられず、独立プロダクション映画を主な拠点としてフリーで活動するか、もしくは映画界を離れることを余儀なくされた。
神戸映画資料館の所蔵コレクションには、満映から東影を経て帰国した映画人たちが関わった映画及び幻灯のフィルムも含まれているが、今回は、その中から数本を上映し、いまだ知られざる部分も多い中国引揚映画人たちの戦後日本における活動の軌跡を辿ってみたい。

 

第一部 幻灯 14:00〜14:30

eigahakoushite01「映画はこうしてつくられる」(推定1955年)
製作:木曜プロダクション
配給:とうきょう・ふぃるむ
後援:日活映画株式会社
神戸映画資料館所蔵フィルムを上映

1954年に映画製作を再開した日活の調布撮影所に取材し、映画の企画から完成までのプロセスを解説する幻灯。フィルム及び説明台本に製作年月日、スタッフ名等は記載されていないが、フィルムのエッジコードと、内田吐夢監督の日本映画界復帰後第二作にあたる『自分の穴の中で』(1955年9月公開)の制作現場紹介を中心としていることから、おそらく1955年に製作されたと考えられる。

 

「せんぷりせんじが笑った!」(1956年)
原作:上野英信 美術:勢満雄 撮影:菊地利夫
製作:日本炭鉱労働組合 配給:日本幻灯文化社
脚本改訂:上野朱
上野朱氏所蔵のオリジナルプリントから作成したニュープリントを上映

1950年代の労働組合による幻灯の自主製作・自主上映運動において、主導的な役割を担ってきた日本炭鉱労働組合(炭労)の製作により、炭鉱の文化サークル運動の成果である上野英信文・千田梅二画の「えばなし」を幻灯化した作品。撮影を担当した菊池利夫、美術を担当した勢満雄は、いずれも満映から東影を経て、1953年に中国大陸から日本に引き揚げた元映画技術者。精巧に造型されたミニチュアセットと人形、緻密なライティングによって、原作の描いた苛酷な坑内労働の情景をリアルに映像化している。勢が美術スタッフとして参加した中国初の人形アニメーション『皇帝夢』(陳波児監督、持永只仁〔方明〕撮影、1946年)の経験が、本作の空間設計のリアリティに寄与していることは確実といえるだろう。

幻灯口演:東川絹子、鷲谷 花

 

第二部 トークと映画 14:45〜16:30
トークセッション
晏 妮(日本映画大学・特任教授、著書『戦時日中映画交渉史』ほか)・鷲谷 花(成城大学・非常勤講師)

「五匹の子猿たち」(1956年)
製作:電通映画社・人形映画製作所 企画:教育映画配給社 プロデューサー:稲村喜一
演出:田中喜次・持永忠仁 脚本:田中喜次 撮影:岸次郎 美術:吉田護吉 音楽:加藤三雄

瀬尾光世の芸術映画社のアニメーターだった持永忠仁は、戦争末期に満洲に渡り、敗戦後は東影を経て上海電影製片廠に移り、中国名「方明」を名乗って草創期の新中国アニメーション映画界において活躍した。帰国後、持永は人形映画製作所を拠点に、人形を使ったストップモーション・アニメーション映画の制作に取り組む。本作は第一作『瓜子姫とあまんじゃく』(1956年)に続く「人形映画」第二作にあたるが、持永の自伝には、引揚後、しばらく職を得られなかった時期に、スライド『五匹の子猿』を制作したとの記述があり、先行する幻灯版が存在する可能性もある。

 

「末っ子大将(暴れん坊大将)」(1960年)
製作:新日本プロ 企画:大阪母親プロ 配給:新東宝
監督:木村荘十二 原作:村田忠昭 脚本:依田義賢
撮影:木塚誠一 音楽:大木正夫 美術:小林三郎
出演:望月優子

1930年代にP.C.Lの看板監督のひとりとして活躍した木村荘十二は、1941年に満洲に渡り、敗戦後の幾多の苦難を経て、1953年に新中国より帰国、その後はもっぱら独立プロダクションの児童映画を監督し、団地の集会所で自主上映会を開催するなど、大手撮影所の外部で活動した。同じ1953年帰国組の内田吐夢とは対照的に、今日顧みられる機会の乏しい戦後の木村のキャリアを再考するにあたり、本作は貴重な作品のひとつといえる。

 

 

《参加費》無料

※本プログラムはJSPS科研費15K02188「昭和期日本における幻灯(スライド)文化の復興と独自の発展に関する研究」(研究代表者:鷲谷花)の助成による

これまでのプログラム|神戸映画資料館

※内容は予告無く変更する場合があります。

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