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レポート:井口奈己監督特集 トーク採録

井口奈己(監督)・鈴木昭彦(撮影監督)トーク
(2022年8月27日 神戸映画資料館)
 

2022年8月27日 神戸映画資料館

 

2022年8月に開催された井口奈己監督特集。プログラムはデビュー作『犬猫(8㎜)』(2000)、そのセルフリメイク『犬猫(35㎜)』(2004)、劇映画の最新作である『だれかが歌ってる』(2019)、初のドキュメンタリー『こどもが映画をつくるとき』(2021)の4作。フィルムからデジタルへの変遷、そして撮るたびに新鮮度が増す作風の変化も楽しめる充実した特集となった。初日の『犬猫(35㎜)』上映後には全作品の撮影を担当した鈴木昭彦さんと監督とのトークもおこない、これまでとこれからをお話しいただいた。『犬猫(8㎜)』、傑作中篇『だれか』、5.1chで仕上げられた『こども』は2月の恵比寿映像祭でも上映される。これに向け、そして新作への期待を込めて、おふたりのトークの模様を公開する。

 

──おふたりが神戸映画資料館に来られるのは今回が初めてです。はじめに観客の方たちへひとことお願いします。

井口 こうしてスクリーンで自作を見るのは久々で、しかも『犬猫』はいずれもフィルム上映。特に35㎜版は自分たちで上映の機会を設けるのが難しい作品です。ご覧になられて気に入ってもらえれば幸いです。

鈴木 ご覧いただき、ありがとうございました。今回のような上映会のときは映写室でフィルムを映写しています。なかが暗いので毎回心配しながら会場へ出向きますが、神戸映画資料館の映写室はいい環境で、画が明るく見えやすい。8㎜版と35㎜版を通して見てくださった方が、違いなどを楽しんでくれていたら嬉しいですね。

──35㎜版公開時に刊行された監督のエッセイ集『犬猫──36歳・女性・映画監督が出来るまで』(2004/フリースタイル)には「8㎜版を撮るまで一度もカットを割ったことがなかった」と記されていますが、映画の出来栄えからはそれが信じられない。ファーストカットから攻めています。

井口 そんな意識は当時まったくなくて、撮影を始めた頃はまったくOKが出ませんでした。どうすれば芝居が良くなるか、それがまったくわからないし、脚本に書いてあることを出演者がひと通り演じるのにかかる時間も見えない。はじめはカットを割らずに撮ろうと思っていたんです。ところがフィルムの尺には限りがあって……、

鈴木 8㎜だと1本が2分45秒ですね。

井口 それを超えるとフィルムが落ちてしまう。だから割らざるを得なくなりました。最初はそれさえ理解していなくて、途中で終わるフィルムを大量生産している状態でしたね。「あ、カットを割るんだ」と、そこで初めてわかった感じです(笑)。8㎜版制作以前、録音部のときについていた監督たちはカットを割っていましたが、私はそれがどういうことなのか、わかっていなかったんですよね。

──そのような監督を、鈴木さんは現場でどのようにご覧になっていたのでしょう。

鈴木 僕も8㎜に2分45秒の壁があるという前提なしで現場に入っていたので、延々と回して「これは終わらないなあ」と思っていました(笑)。冒頭のカットはアパートの台所の窓側からスズ(塩野谷恵子)を撮っている。続いて古田(鈴木卓爾)が部屋に入って来て冷蔵庫の前の芝居があります。カメラ側からはずっとそれを見ていられる。その長いワンカットを数十テイク撮ったんだけど、どうしても2分45秒にはまり切らない。でもそれを撮り終えなきゃいけないということになった。

──8㎜版は順撮りだったんですよね。

井口 書いた脚本は、ところどころ詳しいプロットみたいなものだったので、いろいろ辻褄が合わなくなり、撮影しながら脚本を書いていったので、必然的に順撮りです。

──そのような撮影スタイルで、84分の作品のラッシュは17時間にも及んだとか?

井口 NG抜きしてないラッシュが17時間ですかね。ラッシュのなかには真っ黒なものもあって。というのもフィルムはフジクロームR25でした。なぜそれを選んだかというと、低感度フィルムにきちんと照明を当てて撮ると、とても綺麗に写るんです。高感度だとざらついてしまう。8㎜版は室内シーンなどもすべてフジクロームR25を使いました。すると、少し照明が変わるだけで──今のビデオと違って──まったく写らなかったりする。そこに人物がかすかに写っていると黒味にも使えない。そうして真っ黒いフィルムを何十本も大量生産しては、リテイクしていました。

──感度がASA25と低めです。

井口 屋外で自然光で撮るのに適した、室内で使うことを前提にしていないフィルムですね。室内撮影でフレームを切るときは、そのギリギリ真上に照明を置きました。そうしないと写らない。メインロケセットは10アンペアで、容量を倍にしても電力が足りなくて電源が落ちてしまう。そこで鈴木さんが知人の照明技師から瞬きの出ない蛍光管のライトをもらってきて機材を自作したんです。それは木の枠に万力で留めているので、少し歪むとバラバラになる。スズとヨーコ(小松留美)たちの頭にちょくちょく落ちていました(笑)。

──感電した人もおられたとか(笑)。8㎜版公開時に山田宏一さんが作品評*を発表されました。そこで鈴木さんの絶妙な画づくりを「的確な、そのアングルしか考えられないような構図」と称しておられて、その通りだと感じます。ポジションはどのように決めるのでしょう。
*この作品評「たぶん最後の8ミリ映画」は現在『映画 果てしなきベストテン』(2013/草思社)で読むことが出来る。

鈴木 絵コンテをつくって、それに人物の動きをはめてゆくアプローチをする場合と、実際に現場でカメラの後ろから見てみたりと色んなパターンがあります。かなりフリーハンドで動いてもらって──先ほどのお話にもつながりますが──ある一ヶ所に入ってずっと芝居を見ていられるようになると、カットを割れなくなる。8㎜だと3分に収まらないけど、その一番いいポジションに入ることを最初にやりますね。それで見えなくなったところをどう切り取るかを次に考えます。

『犬猫(8mm)』

──良い構図をつくれるようになった原体験はあるでしょうか? たとえば過去に絵を描いておられたり。

鈴木 幾つかありますが、ひとつは中学生の頃からフィルムカメラで写真を撮っていたことでしょうか。一方の眼で被写体を見て、もう一方でファインダーを覗く経験がスクリーンで映える画を撮ることにつながった気がします。

──8㎜版は冒頭から画面の外を意識させるし、のちの作品で見られるフレームイン/アウトも既に使っておられます。監督はこうした映画に広がりをもたらす空間感覚をどこで培われたのでしょうか。

井口 それには私が録音部出身ということも影響しているでしょうね。90年代半ば、助手だった頃に鈴木さんのスタジオにビデオテープが転がっていて、そのなかに成瀬巳喜男の『驟雨』(1956)とエリック・ロメールの『友だちの恋人』(1987)があったんです。当時はミニシアターで流行っているような映画を好きになれなくて、「ひょっとして自分は映画を好きじゃないのかな?」とも思っていたのが、その2本を仕事の合間に見てもの凄い衝撃を受けました。『友だちの恋人』は、女の子ふたりが出会って公園で次の約束をしていると、その後ろを駆けるこどもたちの声も鳴っている。それを聴いたときに「やっぱり映画が好きだ!」と感じましたね。メインの人物のセリフだけじゃなく、そうやって空間を通り過ぎる人物の声もマイクがちゃんと拾っている。それを真似してみたいと思いました。

──今回の特集の上映作はすべて屋外とロケ撮影。監督の作品では偶然入ってくる音がプラスに作用していると感じます。録音・整音技師でもある鈴木さんは偶然の音をどのように捉えておられるでしょう。

鈴木 職業的な立場から言うと、音を組み立てる場合だと最もプレーンなものからプラス方向へ録ってゆく。入ってしまった音を取り除くのはなかなか難しいので、商業的な作品だとなるべく邪魔な音が入らないようにします。逆に自分たちでつくる自主制作的な作品で、あるひとつの空間を切り抜くときに見えているものがいいとすると、その後ろにあるものもすべてプラス要素になる。音もそのまま録ればいいだろうと思っています。

──その感覚を監督も共有されていますか?

井口 助手時代から音のつくり方を見てきて、今の鈴木さんはちゃんとセリフが聴こえる音の調整をしています。大人になったというのか(笑)。私が知り合った頃は、たとえば役者が遠くにいると、セリフが大事なのに「これくらいしか聴こえない筈だ」と絶対にフェーダーを上げてくれない人だったんです(笑)。「手前に物語とまったく関係ないものが写っていても、その音をオンで録る」という世界観で音をつくる人だと知っていたから、そこはまだ共有しているかもしれないですね。

──セリフを第一に、なおかつ環境音もバランスよく聴かせるタイプの人ではなかった(笑)。

井口 まったく違いました。むしろ「セリフを聴かせない」人(笑)。当時、鈴木さんと一緒に仕事した人は皆それを経験されたと思います。

『こどもが映画をつくるとき』

──また、この特集では監督のフィルムからデジタルへの横断も楽しめます。一般的に機材のデジタル化が進むにつれて映像が均質化する傾向もありますが、監督の場合は野蛮さが増している印象を受けます。それがとても新鮮で。

井口 『こどもが映画をつくるとき』をつくったときに、金井美恵子さんとお姉様で画家の久美子さんに見ていただきました。劇中、こどもたちがつくっている映画もYouTube*で見ることが出来ますが、「それよりも野蛮かもしれない」と言われました(笑)。
*ふかちゃん赤チーム『商店街のふしぎな道』
 おーちゃん青チーム『宮崎神宮の自然と音』

──鈴木さんも撮影にあたり「野蛮な」イメージをお持ちでしたか?

鈴木 『こどもが映画をつくるとき』には「ここは使わないだろう」と思ってカメラが動いているところが結構あるんです。カメラが複数あって、ある出来事から次に起こる出来事へと動きます。そのあいだのアクションを編集で全部使った結果、野蛮さが前面に出ている。ただ、そこは撮っている僕らの読めないところですね。

井口 「カメラ、どうして動いてるんだろう」と思いながら編集していましたね(笑)。

鈴木 劇映画だと決め打ちというか、「ここからここへ」とあらかじめ動きを固められるでしょうが、ドキュメンタリーだとそれは難しい。起こっている事象に対して全部フォローするのは無理だとしても、「とりあえず撮っちゃえ」という発想でした。編集する側は全部見えているので、そこも使ってあのような画になったんでしょうね。

──お名前の挙がった金井美恵子さんはインタビューなどで、先行するテクストとの距離感を語っておられて、それらを無視して書くことは出来ないという発言もあったかと思います。映画の場合は「映画史」になりますが、その距離感に関してお話し願えますか?

井口 8㎜版をつくったときはまったく何も知らず、映画もそれほど見ていなくて、誰かに教えてほしいと思っていたんです。今のように映画の学校が数多くあれば入ったかもしれませんが、当時はまだ日芸に行くか日活芸術学院に行くかしかなくて、教えてくれる人もいない状況だったので、とりあえず本を読むことにしました。そこで『映画千夜一夜』(1988/中央公論社/淀川長治・蓮實重彦・山田宏一)を読んで「大人の人たちがこんなに楽しそうに話しているなら、映画って面白いのかな」と思い、3人のお名前を記憶していたんです。そんなときに吉祥寺の古本屋で山田さんの『トリュフォー ある映画的人生』(1991/平凡社)を見つけて買って、家に向かう電車のなかで読んでいると感動して、もう号泣でした。それで山田さんの名前がより強くインプットされて。
そのあと8㎜版を公開することになって、多くの人に見てもらいたくて試写状を送ったものの、1回目の試写に誰も来ない事態に陥りました。宣伝スタッフに怒られて、次は直筆で試写状を書いたんです。そのリストに山田さんのお名前と住所があって、たまたま自分の家の近所で親近感が湧きました。それから試写状を何度も送りつけていると「すみません、足の具合が悪くて見に行けません」と、とても丁寧なお葉書が届いて。どこの誰だかわからない私たちに対して、なんて親切な人だろうと感激したんです。すると鈴木さんが「お宅に映写しに行けばいいじゃないか」と言い出して(笑)。当時、スタッフに新文芸坐でアルバイトしていた女の子がいて、「自分は新文芸坐のスタッフです。ご自宅へ試写に伺いたいです」と手紙を出すと、今度はそのスタッフに電話をいただきました。「それは困る」と。で、「まあそうだよな」と(笑)。
でもその頃、ちょうど山田さんの『美女と犯罪 映画的なあまりに映画的な(増補版)』(2001/ワイズ出版)刊行記念特集〈魅惑のシネマクラシックス〉が新文芸坐であって、毎日来館されていると聞いていました。「もしかすると会えるかもしれない」と思って『ある映画的人生』を持って行くと、劇場に長蛇の列が出来ていたんです。「あ、サイン会をやってるんだ」と思って、私も『美女と犯罪』を買って両手に本を持ち並びました。そして自分の順になると、山田さんに「その『ある映画的人生』には間違いがあるので、ちゃんとした改訂版をお送りします」と言われて「えっ!?」って(笑)。さらにサインをもらうときに名前を伝えると、「もしや『犬猫』の試写状を送ってくれた井口さんですか?」とバレて(笑)、そのまま『メイド・イン・USA』(1966/ジャン=リュック・ゴダール)を一緒に見て帰ったんです。

──映画史のひとコマですね(笑)。最初に伺ったように、今回の特集でも鈴木さんがフィルムを映写されています。撮影監督みずからフィルムを運んで20年間映写している例は世界的にも稀な筈ですが、当時から今までやっておられることが変わらないとも言えます。

井口 鈴木さんは当時「自主映画界の帝王」と呼ばれていて、自主映画におけるあらゆる難題をどうにかするので有名だったんです。フィルムを運んで自分で上映するのは当然やるべきことって感じなのではないでしょうか。

──そのように、おふたりはフィルムからデジタルへの変遷を目の当たりにしてこられました。無数の変化があったなかで、決定的に変わったことをひとつ挙げていただけますか?

井口 フィルムだと私たちが──モノで言うところの──品質を一度決めると、それがブレることはない。「この色で焼いてほしい」と言えば変わることはないけど、デジタルは幾ら詰めても劇場ごとの設定によって色や音が微妙に変わってしまいます。いいように言えばデジタルはフィルムより自由ではある。ふんわりしたメディアなんだなと、デジタルになったときに感じましたね。

鈴木 デジタルは作業が「底なし」というか、幾らでも直せます。たとえば一度上映して「ここはちょっと」と思うところがあれば、それを修正した次のヴァージョンが出来る。それを良しとするかどうかですが、フィルムとの決定的な違いがあるとすればそこでしょうね。

©2004「犬猫」製作委員会

──35㎜版の色味はクールで、少し薄いと感じられた方もいるかもしれません。でも理由は現像で「銀残し」しているからなんですね。これもフィルムの魅力かと思います。

井口 「こんな感じにしたい」と現像所の方に説明すると、「それは銀残しだね」と言われました。そのときまで知らなかったのが、やってもらうと「そう、これです!」とうまくはまって。フィルムの時代は、現場で撮影助手が装填などの技術経験を積んでプロになってゆく過程がありましたよね。それがデジタルの現場では薄れている気がします。今はほとんどの作品の上映素材がフィルムに行かないから、現像所でも「じゃあ銀残しで」とすぐに話が通じる職人気質の方が減っているかもしれません。逆に門戸が広がって、素人でも明日から映画をつくろうと思い立てば実現できる状況にもなっているでしょうが。

──良し悪しがありますね。さて、そろそろ『だれかが歌ってる』の上映時間になりました。「意味を問うて、意味のなさに涙が出そうになっておきながら、偶然出会う意味のなさに希望を感じずにいられない」。これはある映画作家の言葉ですが、どなたのものかわかるでしょうか。

井口 うーん……、誰だろう。

──8㎜版パンフレットに監督ご本人が書かれていた言葉でした(笑)。いま読むと『だれかが歌ってる』を語っているようにも読める一文で、監督の映画は意味やテーマを押し出しません。そのパンフレットでも「テーマを語らない」ことを述べておられた。『だれかが歌ってる』のテーマを探しても、おそらく「偶然」しかない。意味やテーマから映画をつくろうと考えることはありませんか?

井口 そこに自分の興味が向かないんでしょうね。逆にテーマで映画を見る人もおられるので、あったほうがいいんじゃないかと考えたりもするし、仮にあってもつくれるでしょうけど、何をテーマにしていいかわからない部分があります。偶然性も一種の必然だとして「人生はすべて必然で進んでゆく」と人が考えるのはいいけれど、私個人はそんなことばかり考えていると「死んじゃう」と思ってしまうし、もう全部偶然でいいじゃん、と思うんですよね(笑)。人生に意味があると言う人の話をずっと聞いていられない(笑)。

──僕もそうなので、ますます監督の映画が好きになりました(笑)。ただ、鈴木さんは撮影や音づくりで、つくり手からテーマを示されたほうが作業しやすいケースはないでしょうか。

鈴木 そこまで表現しようとする監督はあまりいないですね。音の世界のテーマということなら、漠然と「狙っているテーマはこれだ。あとはそちらで解析してつくってくれ」と任されて監督とのキャッチボールがなくなると、まったくイメージとかけ離れたものが出来たりする。だから「テーマ性」と言われても具体的に発展しづらい。むしろ、こちらでつくった音を提示して、「ここをもっとこうしたい」というように細かく直していくほうが多いですね。

──では、音にも感覚を澄ませて『だれかが歌ってる』をご覧ください。

〈上映をはさんで〉

『だれかが歌ってる』

──この作品の成り立ちを教えてください。

井口 劇中に登場するカフェ(東京・松陰神社前:タビラコ)では毎年、クリスマスイベントを開催していました。出演者の新居昭乃さんや細海魚さんたちが参加していて、オーナーに「井口さんも出れば?」と誘われて「どうやって出ればいいんですか?」と訊ねると、「映画をつくればいいんだよ」と提案されてつくってみました。

──そんな単純な理由で撮られたとはとても思えない(笑)。『犬猫』35㎜版は8㎜版、『人のセックスを笑うな』(2008)と『ニシノユキヒコの恋と冒険』(2014)は原作小説、と創作の叩き台がありました。『だれかが歌ってる』の創作源は何でしょうか。

井口 こどもたちが大人の歌──デヴィッド・ボウイやイーグルスなど──を演奏して歌うラングレー・スクール・ミュージック・プロジェクトの音楽がとても好きで、そういうものを撮りたいと思っていました。だからこどもたちのパートのアイデアが先にあって、そのあとに前半部分をつくりました。

──そのイメージを具現化するにあたって、撮影のアプローチはどのように?
長い間ご一緒されているので阿吽の呼吸かもしれませんが。

鈴木 ドラマの部分はちゃんと打ち合わせをしましたが、こどものシーンはノリでしたね。「こういうスペースに集めて自由に動かすから何が起こるかわからないぞ」と。こちらもそれを前提にカメラの台数を増やすなど周到に準備しました。それでも『こどもが映画をつくるとき』と同様に逃しやすいところがあって、どこを使うかわからない状態で撮った結果、乱暴な構成になった。それが映画の味になりましたね。

──そこへつながる唐突さも素晴らしいですが、こどものシーンの撮影にはかなり時間をかけられましたか?

井口 カメラは3台ありましたが、それほど長くは回していないんです。

鈴木 難しかったのは、ドラマ部分と違ってテイクを重ねられない。何回か歌ってもらったけど、こどもが飽きたらそこで終わってしまう(笑)。

井口 あとは陽が陰ったりとか。カメラ3台分の映像があるから、整理しながら見るのも大変でしたね。「これは誰だろう」と混乱したり。

──魅力的なシーンですが、つなぐのは相当難しかったと思います。

井口 まずカメラ1台分を見て、「ここからここまではこのカメラのテイクを」と考えたのかな。いや、どうしたんだろう(笑)。それまでやったことのない編集でしたね。

鈴木 通常の劇映画の編集は撮影時に既に設計図があってつなぐけど、井口監督は全然違うアプローチをします。あるもの──撮られたもの──から組み立てていく。

井口 そうするしかなかったわけですが(笑)、見てから構成するようにしました。

──最終的に編集の軸はどこに置きましたか?

井口 歌っている姿と、全員が写るようにカットを探しました。「あれ? このテイクにはあの子がいないぞ」となっても絶対に見つけて、撮影に来てくれた全員を入れるようにしました。

『こどもが映画をつくるとき』

──その手法は、全員が主人公に見える『こどもが映画をつくるとき』にも生かされていますね。

井口 『こどもが映画をつくるとき』も全員にフォーカスすることを編集の芯にしていました。(映画の土台である)「こども映画教室」は、小学校など様々なところへ行って映画をつくっています。私は金沢で開催されたときに講師で参加して、そこでこどもたちのつくった映画が本当に面白かった。キラキラしていて「短編をつくってみよう」という気持ちになったのも、それを見たからですね。こどもたちは「いい映画をつくろう」とか考えずに、いま目の前にある瞬間に向けてがんばっている。それが素晴らしいんです。
『こどもが映画をつくるとき』は、そもそも宮崎映画祭から「宮崎で短編を撮ってみては?」と2019年に提案されました。それがコロナ禍でロケハンも出来ないし、スタッフやキャストを連れていくのも憚られる状況で駄目になった。「じゃあどうする?」となったときに、こども映画教室のことを思い出しました。こどもたちが映画をつくる瞬間はいろいろな出来事が起こるし、絶対おもしろいうえに、撮影も3日間で確実に終えられる。

──鈴木さんの撮影も『犬猫』では三脚を据えて撮っておられたのが、ほぼ手持ちで粗々しいですね。

鈴木 そこは冒険でしたね。必要に迫られて、要求に応えるという。

──こどもたちが映画を発見するさまが写っているように、監督と鈴木さんがコンビを組まれて約20年経って、そこでまた映画を新たに発見したのかなとも想像しました。

井口 ずっとつくっていても「映画ってどうやってつくればいいかわからない」という感覚がつねにあります。慣れないしうまくならない。「うまくなれよ」と自分で思ったりもしますが、次に撮ることになったときには、やったことのないことにチャレンジしたいと思っています。がんばってみようと思えないとつくれない。それを「発見」と呼べるかはわかりませんが。

──ご自身のスタイルに対して、自覚はあるのでしょうか。

井口 自覚はまったくしてないですね。撮る前には「どうやってやるんだっけ」と周りに訊いたりもします。つくり方を忘れちゃうんですよね(笑)。

──「こどもを撮りたい」というイメージが2本の映画につながりました。いま、撮りたいと思っておられるものがあれば教えてください。

井口 次もこどもが絡むもの。その次もこどもが続くかもしれないですね。こども映画教室で講師をつとめると、そこで起きる問題は大人の現場とほぼ同じようなことです。でも大人のほうが厄介で(笑)。プライドが高いと「俺が言ったことは引けない」とかになるんだけど、こどもはワーッと騒いで、お腹が空けば気分が変わって次へ進む。そういうところにも惹かれるのかもしれません。

──こども、そして『犬猫』では動物と、大人の物差しで測れないものにチャレンジされている印象もあります。

井口 面白いか面白くないかが基準です。それから本当に見たくないのは承認欲求で撮っている人(笑)。そうじゃないこともOKの基準でしょうね。

(2022年8月27日)
司会・構成/吉野大地

 

関連インタビュー
『こどもが映画をつくるとき』
『ニシノユキヒコの恋と冒険』

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