『りりかの星』 塩田時敏監督インタビュー
18歳の高校生が見つけた夢はストリッパーだった──神戸映画資料館で8月23日(金)に公開される映画評論家・塩田時敏の監督デビュー作となる音楽付きサイレント短編『りりかの星』。踊り子を目指す萌(水戸かな)を父・泰造(廣木隆一)が厳しく叱るシーンで始まる映画は家庭劇から次第にトーンを変えて異界に踏み込んでゆく。これは官能性を失った日本映画に対する批評の実践であり、16mmフィルムパートの質感もまた本作が発する官能美だろう。80年代より評論活動を展開してきた監督のアイデアと熟練スタッフの技術が融合した本作をめぐり、インタビューをおこなった。
※取材は劇中で示されるヒロインの誕生日・7月31日におこなったものの、PCのトラブルによりデータが消失。再取材で快く一から語り直してくださった塩田監督に深くお礼申し上げます。
Ⅰ
──ファーストカットで思わず前のめりになりました。わずか数妙のあいだに空間設計や編集での処理など、見どころが詰まっています。
どんな映画も基本はファーストカット、冒頭5分が勝負だと思っています。大体の面白い映画は頭から引き込まれる。もちろん途中から面白くなる映画もあるけれど、大抵は頭がダメだと結末までダメなことが多い。だからファーストカットにはこだわりました。しかも短編で、尺全体が短いのに出だしが停滞していたら話になりませんからね。観る者を引きつける形を考えて、あえて小津安二郎的ホームドラマ風の縁側から始めて、そこへ異物が急に飛び込み侵入してくるイメージで構築しました。
さらに途中でストップモーションにすることによって、この映画が一般的なシリアスな映画と異なることを提示したかったし、リアリズムからの飛躍も生まれるのではないかと考えました。異物が侵入してくるという点は、『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』(07/吉田大八)のオープニングのイメージも少しありましたね。
──ストップモーションをかけることで萌が一瞬宙吊りの状態になって、そのイメージが後半に変奏のような形で効いてきます。そして家を飛び出した萌を手持ちで、家に留まる泰造をフィックスで撮った画をクロスカッティングで繋いでおられます。
本作には声のセリフがありません。画面だけで親子の対立や感情の機微を見せられるように、撮影と編集で対比を強調しました。
序盤のカレンダーのショットもユニークです。どのように発想されましたか?
普通はただカレンダーを映すだけで処理することが多いでしょうが、それだけじゃ面白くないし、もしあれが壁にかけた日めくりカレンダーのアップの画だとしても、それが下にハラッと落ちるほうが映画的に面白いだろう。そう考えました。
──そのようにカットを割って次へ進むところを、巧みにワンカットに収めたシーンが前半に幾つか見られます。そして前半は父と娘の対立を視覚化する一方で、お互いが思いやっていることも示します。たとえば線路沿いの道を萌と泰造がそれぞれ歩いていると立ち止まり、共に家のある方向を振り返る。ただ振り向くだけですが、親子の18年間の関係性を簡潔に伝えているのではないでしょうか。
あれはふたりの心理を描写するうえでの重要なポイントです。そのままスタスタを歩いていくだけじゃあ普通の映画だからね(笑)。お互いを単純に突き放しきれない、微妙な関係を見せたかった。
──萌をトラックバック、いわゆる引っ張りで、逆に泰造は追っかけで撮っています。
ここでも対立を提示するために撮り方を使い分けました。それから家のシーンでは、キッチンとリビングが窓のついた壁で隔てられています。ロケハンで見つけた家だけど、この壁のある空間も活かして親子の心情を暗示しようと、ふたりの位置と動きを演出しました。
──キッチンとリビングのシーンは、人物配置とカメラアングルが鋭角で、やはり画でふたりの間の緊張感を見せておられますね。ここで小道具に使われるのが、1977年秋にセルフ出版(のちの白夜書房)が発行した映画雑誌『Zoom UP』創刊号。これを選ばれた理由を教えてください。監督は白夜書房編集部のご出身です。
脚本の段階で泰造の妻、つまり萌の母である女優が過去に撮影現場で助監督と蒸発した設定になっていました。その背景を伝えるのに映画雑誌を見せようという脚本の指示が確かあったと思います。となれば当然、自分が編集していた『Zoom UP』を使おうと。そしてどうせ使うなら、中途半端な途中の号じゃなく創刊号にしたほうがいいと考えました。たまたま家に創刊号があったし、ピンク映画のマニアックなファンは反応してくれるんじゃないか、とウケ狙いも予想して(笑)。
僕は浪人して大学へ進んだから、創刊時の77年秋にはまだ編集に携わっていなかった。でもピンク映画を積極的に取り上げていた『Zoom UP』を通して、ピンクに対するオマージュを表現したい気持ちがありましたね。本作の脚本を書いた沢木毅彦さんとの出会いもこの雑誌がきっかけでした。
──「たまたま家にあった」と伺いましたが、あれは監督の私物でしょうか。
そうです。やっぱり自分の昔の仕事に思い入れがあるし、それを残しておきたくて保存しています。床に投げつけられた『Zoom UP』をアップで撮っているのは芦澤明子さん(撮影)のアイデアです。
──初期『Zoom UP』の古本価格にはプレミアが付いていて、貴重な本を乱暴に扱って大丈夫だろうかと心配になりました(笑)。先ほど伺った泰造が歩いて行くショットでは電車とすれ違い、同時に芦澤さんのカメラが彼の真横に来ます。
あのシーンは、あらかじめ時刻表を確認してタイミングを計算しました。
──絶妙なタイミングですね。電車といえば、夜に電車が行き交う美しい実景があります。一見つなぎの画のようで、ここは本作の主題のメタファーだと思えます。
そうなる画を意識しました。とはいえ、電車の遠く上にある円形のものはたまたま撮れたんです。周期を狙って撮ったり合成したわけじゃなく、映画の神様がここに降りてきたんだなあと感じました。
──その円形が本作の鍵で、観る方にはこの実景を気に留めておいてもらえればと思います。それに関連する、穴を覗き込む萌の顔の仰角ショットの着想源などをお聞かせください。アイリスショットにも見えます。
この画やアングルは後半のストリップのシーンから発想しましたが、思い付いたのは現場でした。そこですごいなと思ったのは、経験を積んだスタッフが集まっていたから、その場で僕のアイデアを形にしてくれた。段ボールを黒く塗って穴を開けてもらいました。事前に伝えていれば準備できても、それを現場で即座につくれるのは流石プロだと感心しました。円形といえば、廣木さんの頭もそうだと指摘してくれた人がいましたね(笑)。
──そこまでは気づきませんでした(笑)。今お話しいただいた仰角ショットの直前に、廣木さんの頭を意識させるその画がありますね。こうしたイメージの連鎖やアクションの反復も本作の魅力で、繰り返されるアクションのひとつが「覗き見」です。家に戻ってきた泰造を客観で撮って、それがいつの間にか部屋を覗き見る主観ショットに変わる画があります。
あのショットは客観で始めて主観に移り、最後はまた客観に戻る。始まりと結末を合わせる形で、ワンカットで撮っています。キネトスコープの覗き見こそ映画の始祖ですから。
──ワンカット撮影も映画の出発点ですね。監督は評論家としてホラー映画も論じてこられて、『プロが選んだはじめてのホラー映画 塩田時敏セレクション50』(09/近代映画社)というご著作もあります。このショットからはホラーテイストも感じますが、そのイメージはありましたか?
意識はしなかったけど、確かにホラー映画では「is anyone here(誰かいるか)」とか言って家のなかへ入っていきますね。面白い指摘だと思います。
──そんなふうにあれこれ考えられるのも本作のアイデアや画面の力ゆえで、もうひとつワンカットで撮られた画に関して伺えればと思います。シーンの順は前後しますが、萌が洗濯物を干したあとのくだりの移動撮影も見事です。リハーサルをかなりおこなわれたでしょうか。
あのシーンは芦澤さんに、「ワンカットで」とお願いしました。庭にレールを敷いて、リハーサルはさほどやらなかった筈です。
──カメラが移動の途中で一瞬止まって、かすかにパンしながらまた移動する、萌の動きにシンクロした撮影ですね。さて、2階の自室で萌が小室りりかさんの動画をパソコンで見るシーンは、1階のキッチンとリビングの空間同様にフレーム内フレームになっています。あの動画は、エンドクレジットにある『湯けむりスナイパー』(09-12/テレビ東京)DVDの特典映像でしょうか。
そうです。一般的なストリップの撮り方だと、あのような画になると思います。特に強く意識したわけではないですが、後半のストリップのシーンの撮影はまったく異なるアプローチなので、いいコントラストが生まれました。
──萌の部屋のシーンで、水戸さんの唇を大胆なアップで撮っておられます。ここまでのアップはあまりないですよね。
唇から連想させるものがあって、しかしそれを映すとプロデューサーや映倫が黙ってはいないでしょうから、唇そのものを撮りました。このアップは非常にセクシーだと思います。これまで数々の映画で見てきた唇の記憶が自分のなかに残っているし、極端なクローズアップはデイヴィッド・リンチが得意とするところでもある。それらも影響したかもしれません。
──それに続く展開はさらに驚きました。
本当はあそこで階段落ちを撮りたかったんです。スタントマンじゃなく廣木さん本人にやってほしかったけど、当然無理で(笑)。そこへ至るまでの時間を跳ばした編集になっています。でも韓国の映画祭で上映したときは、観客が省略した時間を想像して反応してくれました。日本ではなかなか見られない笑いも起きて、感情を込めた表現を読み取る力が段違いだなと思いましたね。
──あのショットは泰造が死んでいるように、それからストップモーションのようにも見えます。
そうなんですよね。だから手足を少しバタつかせるくらいのことはやっておけばよかった、見直す度にそう思います。別にフィックスで静止をイメージして撮ったショットじゃなくて、ちゃんとカメラは回していたので、廣木さんが少しでも動いていればね。ああ失敗したなと思います。
──しかし僕はあの展開が好きで、エロスとタナトスを表すシーンが隣り合わせにあると捉えています。そこから話が進み、夜の横浜ロック座の広い画があります。全景を撮る意図もあったのかなと想像しましたが、いかがでしょう。
あのショットを撮りたいと提案したのは芦澤さんでした。理由までは訊かなかったし意図はわかりませんが、ああいう画があってもいいと思ってお願いしました。撮影が深夜だったから、人や車の往来の途絶えた空間になっていたんです。あそこで車が頻繁に走っていたら、撮ったとしてもきっと編集で落としていたでしょう。まったく誰もいない夜の闇が、異空間への誘いとしてとても効果的に機能しているので。
横浜ロック座の風景を見慣れている人には日常として映るのだろうけど、誰しもがストリップ劇場に行くわけではないからね(笑)。知らない人が観たら、この撮影のために建てたセットだと思っても不思議じゃない味わいを醸していて、これはいい画だなと思いました。
Ⅱ
──泰造が劇場へ入ろうとして少し躊躇して、一度は通り過ぎます。そこで戻ってくるのも前半のアクションの反復で、葛藤や迷いが伺えます。そして劇場へ入っていく描写にある仕掛けを設けていますが、そのポイントが28分の尺のちょうど真ん中、前半と後半の分岐点になっています。
前半のホームドラマはフィルム撮影だったのが、〈異界〉のシーンはデジタル撮影に変化する。そうした映画の構造も踏まえて、この形にしました。
──ここはまさに蝶番で、その暗喩のような画はCGでしょうか。
あれはCGじゃなく、劇場にあった黒い幕みたいなものをスタッフが現場で加工してくれたんです。
──ということは実写ですか?
実写です。「こういう画を撮りたい」と思い付いてリクエストすると、すぐに応えてくれる現場は素晴らしいですね。CGならもっと滑らかな画になるんだろうけど、予算面などで考える余地もなく、だったらこれで行こうと。
──まさか実写とは思いませんでした。その画に扉のイメージを重ねています。
〈異界〉に分け入っていく場面で、ドアを引いて進んでいくショットだと平凡すぎて、そんなのは僕自身も見たくない(笑)。そういう画は撮りませんでした。
──〈異界〉パートの展開には様々な解釈が出来る幅を持たせています。幻想や萌の空想にも見えたりと……
観てくれた方からは、本当に様々な反応がありますね。僕が考えてもいなかった受け取り方をしてくれる人もいます。
──この〈異界〉撮影にはどれくらい時間をかけられたのでしょう。事前に芦澤さんと下見はされましたか?
撮影は深夜から明け方までおこないました。横浜ロック座の下見はしてないですね。芦澤さんには新宿ニューアートに小室さんのショーを観に行ってもらっていたし、これまでの作品でストリップを何度も撮っています。だから「こういう空間のステージだろう」というイメージが芦澤さんのなかにあったと思います。覚えている範囲では、事前の下見などはしませんでした。
──アングルやサイズのヴァリエーションが豊かです。アクション繋ぎや泰造と踊り子のフルショットの切り返しもあり、半日で撮ったとは思えません。観た限りでは、劇場の後方に押さえのマスターショットのカメラを置いてないと思いますが、カメラは何台用意されたでしょう。
1台だけです。僕が絵コンテをすべて書いて、それを芦澤さんに渡しました。
──インタビューの前半で伺った、穴を覗き込む萌の画と対を成す俯瞰ショットがあります。この撮影はどうやっておこなわれたのでしょうか。
天井に照明器具を取り付けるパイプがあって、そこからカメラを吊り下げました。デジタルの小型カメラだから出来たことで、重いフィルムのカメラでは無理でしたね。これは撮りたいと思っていたショットのひとつでした。
──そのカメラと、ファーストカットで宙吊りになった萌のイメージが結び付く……というのはまた個人的な妄想ですが(笑)、本作のテーマを象徴するショットですね。それから、芦澤さんは回転するステージに上がって撮影されているかと思います。
これもストリップを描くうえで絶対に撮りたかったショットです。ストリップを扱った映画のほとんどは客席からステージを撮っていて、カメラが回転ステージに上がって人物ナメで客席を映していく画を観たことがなかった。先ほど話題に上った『湯けむりスナイパー』の映像も、旅館の座敷的な設定で撮影しているので──そうならざるを得ませんが──寄りと引きの画で構成していますよね。
たまに映画で見かける、中華料理店の回転テーブルにカメラを乗せて食事する人を撮るショットの拡大版。回るステージショットの元にはそんなイメージもありました。
──ステージから三池崇史さんが演じる客を撮って、編集でダブルアクションにしているのも凝っています。〈異界〉のムードを高める三池さんのキャラクター造型についても教えてください。
あくまで僕個人が抱く印象だけど、ストリップ劇場の客席には精神的にも肉体的にも弱っているように見える人が少なからずおられた。実際、弱っていたり疲れている人がパワーをもらうのがストリップの素晴らしさだと思うし、劇場を出ていくときは明らかに元気になっています。それを極端な形でキャラクター化して、立てない人が立ち上がる描写を入れました。
──客席には本作の製作・配給の〈ぴんくりんくフィルム〉太田耕耘キさんもいて名演が見られます。そのくだりの演出もされましたか?
しました。リハーサルで動きを付けたけど、手を振り払う仕草は演出じゃなく、水戸さん自身から出てきた芝居だったと思います。
──そして、ステージを見つめる泰造のショットが折々にインサートされます。カメラが1台だけだと、抜きで撮っていることになりますね。
廣木さんにはこれといった演出をしませんでした。瞳が潤んでいるショットには目薬を使ってなくて、目が疲れたのか、自然とああいう瞳になっていたんです(笑)。
Ⅲ
──映画は終盤へと向かいますが、ここで改めて白夜書房時代のことを伺えればと思います。自分は白夜の出版物を読んで育ってきた世代で、本作の〈異界〉パートの混沌的な要素に、白夜の本との親和性を覚えます。編集部に入られた当時を振り返ってお聞かせください。
記憶が朧気だけど、たぶん1980年前後でした。その頃、白夜書房に届いた試写状を先輩社員が「行かない」と言うから「じゃあ代わりに」と試写会場に足を運んでは──当時はまだ正式な社員ではなかったので──自分の名刺を渡しては「次から僕にも送ってください」と頼んでいました(笑)。そのおかげで、クビになったあとも映画評論家として試写状が届き続けました。それは白夜に入ってよかったと思うことのひとつですね。
試写を観終えて夕方、会社に戻ると「原稿が遅い」と言われていた松田政男さんからようやく「今夜、ゴールデン街の〈銀河系〉でみんなと飲むから原稿を取りに来い」と連絡が入るんです。それで編集長から行ってこいと言われて「わかりました」と。原稿を受け取ってすぐ帰ればいいんだけど、「いや、来たんだから一緒に飲んでいけ」となり、せっかく誘われたのに断るのも失礼ですから、じゃあ付き合おうと飲んでいるうちに、もう一軒行こう、もう一軒行こうってね(笑)。ほぼ朝帰りの状態で、編集部に戻るとソファーで仮眠して、一回家に帰って風呂に入って出社する。そんな調子の日々でした。
──大らかな時代でしたね。白夜書房にはどのような経緯で入られましたか?
白夜の求人は、新卒じゃなく経験者を募集していた。経験はないけどダメ元で応募したら、なぜか合格しました。その理由のひとつが、白夜の雑誌にも連載していた松田政男さんのファンであることを面接で言ったんです。すると、当時はみんな松田さんの原稿取りに難儀していて、「だったらこいつに取りに行かせればいいじゃないか」となった。それが採用のポイントだった、というようなことを後から末井昭さん(元・白夜書房取締役編集局長)に──半分ジョークでしょうが──言われたこともありました。
──末井さんは本作をご覧になられたでしょうか。
観てくれました。「俳句や短歌のような短さのなかに、いろんなものがギッシリと詰まった作品だ」と感想をもらいました。
Ⅳ
──話題を映画に戻して、終盤は舞台が家に戻ってきます。しかし、前半と同じ空間でもカメラアングルや人物の配置が異なります。
このパートは、和解を示す安定した画づくりをしました。
──ふたりの間に、前半から繰り返し見られた円形のものが置かれていて、それをアップで撮っておられます。
ここだけは物語の流れで、崩れた形にする必要がありました。円形の変形です(笑)。色々うまくつくってくれたスタッフが、シナリオに書かれていた通り、下手くそに仕上げてくれました。泰造と萌の最後のショットは、それに続く画から逆算して構想した画です。
──晴れやかな画の繋ぎです。前半で泰造と萌が『Zoom UP』を投げつけますが、最後も泰造が投げるアクションを見せます。
オープニングとアクション違いで同じものを投げていますね。
──そうした反復とメタファーが機能して、全体が巧みに組織化される結末だと感じました。ところで監督と小室りりかさんとの出会いはいつ頃でしょう。
小室さんは『ギルガメッシュないと』(テレビ東京/91年放映開始)の頃からグラビアに登場していて、多くのグラビアモデルのなかでも注目していました。そのあと劇場にも乗るようになり、そこで話をするようになりました。実際に会って、想像を上回る人柄にも惹かれて2008年に初めて飲んだとき、既に出演オファーしていて(笑)、こうして映画までつくることになってしまいました。
──ひとことに要約すると、好みの女性だったということですね。
そうなりますね(笑)。でもこれは重要だと思います。監督が女優に惚れ込まなければ撮る意義はないし、いい映画になりませんからね。
──もっともです(笑)。それから今回併映*される『極道恐怖大劇場 牛頭』(03/三池崇史)をはじめ、監督は多くの映画に出演されています。様々な撮影現場を見て来られたと思いますが、サイレント映画の現場は初めてではないでしょうか。
*神戸映画資料館では8月24日(土)・25日(日)の2日限定上映
もちろん初めてでした。トーキー映画の現場には、本番のスタートがかかれば一切無駄な音を立てない独特の緊張感があります。でもピンク映画の音声はすべてアフレコで、サイレントの現場はそれに少し似た感覚を覚えました。ピンクの現場を見てきた経験が、本作の撮影にも多少は影響したかなと思います。
──初の監督作を完成させるまでに紆余曲折があったかと思います。そのなかで難しかったことと、楽しさを感じたことを教えてください。
現場の演出の難しさなど色々ありましたが、それ以上に企画が立ち上がって実際にカメラが回り出すまで、そして一本の映画になるまでの困難を身をもって感じました。今回のように自分たちで自主配給するとなれば、公開までの大変さもまたわかる。それに比べれば現場の厳しさも逆に面白さになるというか。「撮影現場ではこんなことが起きるんだ」と新鮮な発見がありましたね。
さっきもお話しした通り、自分の頭のなかで思い付いたイメージを喋ると具体的な形にしてくれるスタッフがいる。ひとりでものを書いたりつくるのと、映画の協働作業は大きく違っていて、それがやっぱり楽しかった。指示したものがパッと形になって返ってくる。なるほどこれが映画の面白さかと実感しました。
──そうして撮られた本作と批評との関係を作品公式サイトに書いておられます。円形とお話ししてきたものにも現代への批評性があります。もう一歩踏み込むと、長年評論家の立場から言葉で映画と向き合ってきた監督が、字幕以外は言葉のないサイレント映画を撮り上げた。それもひとつの批評だと思うのですが、いかがでしょう。
ダメな映画は、説明的なことを全部セリフで語ってしまい、それをよしとしています。映画本来の画で納得させる面白さを欠いた、そこに気を遣っていない映画が今は多すぎる。そういう映画を批判する評論家がつくる映画ならば、そうではないものを心がけたし、もしセリフのあるトーキーであったとしても、自分が理想とする映画になるべく近づけたい思いは当然ありましたね。
──本作を引っ張っているのは画とアクションです。それを追っていけば構造も浮かび上がるようにつくられています。
本来は外国映画だって、仮に言語がわからず字幕がなくても、画だけでほぼ理解できるようなものでなければ所詮たいしたものじゃないんです。だからこそ、画で語る映画を目指しました。
(2024年8月10日)
取材・文/吉野大地