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『左手に気をつけろ』『だれかが歌ってる』 井口奈己監督・増原譲子プロデューサー ロングインタビュー(後編)

(インタビュー前編)
 

映画を観ていると、特に根拠もなく「この監督は自分と音楽の趣味が似ているのではないか」と妄想(?)を抱く瞬間が稀にあり、井口奈己監督もそのひとりだった。ロングインタビュー後編では、監督が好む音楽の話題からお話を訊いた。ここに挙げられるバンドの音楽性──特にパンクロック──は20日(金)より神戸映画資料館で上映される新作中篇『左手に気をつけろ』に確実に反映されている筈だ。資料館のスクリーンとスピーカーでそれを確かめていただきたい。

 


──インタビュー前編で監督の音楽遍歴を伺いました。出発点のモンキーズとは、どのように出会われたのでしょう。

井口 テレビでドラマ番組『ザ・モンキーズ・ショー』を再放送していて、当時は周りのみんなも観ていました。『デイドリーム・ビリーバー』が1980年にコダックのテレビCMに使われたことでリバイバルヒットして、「これはモンキーズの曲だったんだ」と気づいたんです。
というのも、その前からフィンガー5のセカンドアルバム『学園天国』(74)を持っていて、そこに『デイドリーム・ビリーバー』に日本語の歌詞と、『朝がねむいよ』という邦題を付けたカヴァーが入っていました。すごく好きだったその曲のオリジナルがモンキーズだとわかった。そこでモンキーズに足をかけたと思ったら今度はビートルズ熱が来て(笑)。
ビートルズにはサウンドの変遷がありますよね。そのなかでも初期のリバプールサウンドが好きになりました。すごくいいなと思っているとジョン・レノンの射殺事件が起きて……、驚いていたタイミングでパンクにハマりました。
当時は書店に音楽雑誌がたくさんあったけど、高くてなかなか手が出なかった。だけど『ロッキング・オン』だけは異常に安くて、私が買ったときは確か240円(笑)。その表紙がPIL(Public Image Limited)のジョン・ライドンでした。それがすごくかっこよかった。その頃、忌野清志郎も好きになっていたので、ツンツン頭が好きだったのかもしれません(笑)。
それから、その頃はまだMVが世間に定着していない時代でした。でも土曜日にテレビ東京で、映像に関係のない音楽を被せて流す番組があって、その合間のCMソングに──たしか車のCMでしたが──PILの「Careering』(79)が使われていました。それももう滅茶苦茶かっこよくて、その番組を見ると必ずかかるからメモっていました。「PIL Careering」と(笑)。そんなふうにPILに傾倒していると、クラッシュが来日したんです。

──1982年で、ライブの模様はNHKテレビで放映*されました。
*『ヤング・ミュージック・ショー』82年5月8日放映

井口 そうです。それを観てクラッシュも大好きになりました。そうしてロンドンパンクやスカを聴くようになって。何より曲がシンプルなのがよかったですね。ニューヨークパンクはインテリっぽく感じて、そっちには行かなかったけど、ラモーンズだけは聴いていました。

──監督は以前から野蛮でフレッシュなものが好きだとおっしゃっていて、そういう音楽といえばパンクですよね。点が線になりました(笑)。前編で、当時はクイーンやエルトン・ジョンが苦手だったと伺いましたが、中学生でPILからクラッシュへ進むと自然とそうなりますよね。

井口 前奏とギターソロが長いと聴いていられなくなるんです(笑)。

──その時代だとギターソロが聴かせどころのヘヴィメタルもブームでした。

井口 ヘビメタは嫌いでした(笑)。もっぱらシンプルなものに惹かれて、長かったり仰々しい音楽よりも、サッと終わるのが好みでしたね。その後はオリンピアのインディペンデントレーベル〈Kレコーズ〉のD.I.Yなへっぽこパンクバンドが大好きになりました。なかでもビート・ハプニングの『インディアン・サマー』(88)は、ずっと何かの機会に使いたいと思っていました。でもなかなか使えない、と細海魚さんに伝えると、あの曲のベースラインをもとにして『だれかが歌ってる』、そして『左手』でも流れる『窓辺』を作曲してくれたんです。

──ビート・ハプニングが着想源だったとは。ちなみに『左手』エグゼクティブ・プロデューサーの金井美恵子さんの小説にも『小春日和:インディアン・サマー』があります。『犬猫(8mm)』のモチーフになった小説ですが……

井口 それはまったくの偶然です(笑)。

──監督の映画について考えていると、あらゆる物事が偶然に思えて来ます(笑)。細海さんとも音楽の趣味は共通していたでしょうか。

井口 魚さんが聴いているダニエル・ジョンストンやマリン・ガールズは私も好きで、魚さん自身の音楽も大好きです。

──監督がむかしダニエル・ジョンストンのTシャツを着ておられたのを覚えています。『左手』のこどものラップもいい塩梅でローファイ色があります。

井口 カフェ〈タビラコ〉の隣のお店〈cider〉の息子の湧くんがラップってかっこいいねって言っていたと小耳にはさみ、音楽担当の大滝充さんが、こどもがラップするアイデアを出してくれたので、湧くんと仲良しの碧くんにオファーしました。

──それから、『だれか』『左手』ともに、監督の過去作のモチーフの反復が見られます。ひとりの作家のフィルモグラフィではよくあることですし、『犬猫』も8mm版から35mm版にリメイクされました。これは、ずっとあるバンドやミュージシャンを長年追いかけていると似たコード進行やフレーズがあるのに近い気もするのですが、いかがでしょう。

井口 どうなんでしょう? ひとりの人から出てくるアイデアに限界があるってことなのかも。または手癖みたいなものかと。

 


──『murmur magazine』創刊号(08/フレームワークス)のインタビューで、「80年代後半から90年代のギターポップムーブメントのなかで、グラスゴーのバンドがアノラックを着ていたのに共感を覚えて自分も20年以上着ている」「小さいけれど、グローバルなムーブメントを生み出す、そういう文化にとても興味がある」と語っておられました。監督のそういう感性は、『だれか』『左手』によく表れていると感じます。遡ると『犬猫(8mm)』DVD特典の「犬猫新聞」も、パンク/ニューウェイヴ以降のD.I.Y文化の延長にあると思えます。ZINEに近い感覚というか。数パターンありましたね。

井口 当時は何か、そういうのをやろうと考えていたんですよね。

増原 確か3パターンありました。

──あれは近年の映画ZINEブームの先駆けだと思います。

井口 ZINE自体は昔からあったので、先駆けってはいないです(笑)。

──先駆けっていたということにしましょう(笑)。それに芳野さんの『こどもが映画をつくるとき』(21)『左手』の字幕にもハンドメイド感を感じます。複数の言語で書かれていて、5月に中国で『だれか』『左手』が上映されたときは、それを見越して書かれていたのかと思いました(笑)。

井口 中国語で、しかも簡体字ですね。あれはノーマン・マクラレンを真似てみました。あの字幕は、私が直接知っている外国語話者の人たちの使っている言語です。たとえばスペイン語で話す人がいないからスペイン語がない、みたいな(笑)。

増原 『こどもが映画をつくるとき』のあと、韓国の女の子と知り合ったので韓国語も増えました。

──あれはいいですね。『左手』の道路標識も手づくり、D.I.Yの小道具に見えます。

井口 西部劇でちょっと外れたところにありそうなものを、とカメラマンの鈴木昭彦さんにリクエストすると、あの標識をつくってくれました。

増原 今はうちにあります(笑)。

──続編を撮るときにまた使えますね(笑)。

井口 美術の使い回しといえば、木村威夫さんが『人のセックスを笑うな』(07)のときに、ユリ(永作博美)のアトリエの庭に大きなドームを置けばいいとおっしゃったんです。最初はその意味がまったくわからなかったけど、「いいのがあるので、庭のここに置けばいいから」と。そこで持ってこられたのが、日活に置いていた木村さんがつくった『オペレッタ狸御殿』(05/鈴木清順)に出てくる地獄の釜。あの下の部分を持ってきてくれて、庭に置きました。

──大きすぎて、鈴木さんが「どう撮ったらいいかわからない」と悩まれたドームですね。一昨年設立された映画・映像制作会社〈ナミノリプロ〉のロゴマークはサーファーガールです。『左手』にサーフボードを持った人物が登場するのはそれにかけていますか?

井口 ほかの人にもそれを指摘されました。あのシーンは左利きの人が大勢いるのがわかるように見せるにはどうしたらいいのかと考えました。皆がワーって遊んでいる様子は、『翔んだカップル』(80/相米慎二)の文化祭の雰囲気をイメージしていたんです。でも、助監督(高橋壮太、賀来庭辰)からは『ドレミファ娘の血は騒ぐ』(85/黒沢清)みたいですねと言われて。それで観てみると、あ、本当だと思って(笑)。あの猥雑な雰囲気は、80年代のディレクターズ・カンパニー的なのかもしれないですね。
助監督のふたりもすごく映画好きだから、映画の話をよくしました。「北野武監督作品で何が好き?」という話題になって、『あの夏、いちばん静かな海。』(91)がいいよねとなって、サーフボードを左手で持つアイデアが生まれました。

 


──ふたたび『だれか』『左手』の偶然性について伺えればと思います。『だれか』のタイトルカットは電車が縦構図で遠ざかり、そのあとの踏切を車や人が行き来するだけなのに、見入ってしまう面白さがあります。

井口 『犬猫(8mm)』のときからそう言われていて、山田宏一さんが「電車が通過したあとの踏切を車や自転車が横切るタイミングが絶妙だ」と書いてくださいました*。もちろん私がコントロールしているわけではないです。
*「小さな傑作──井口奈己監督『犬猫』」(『犬猫 36歳・女性 映画監督が出来るまで』(04/フリースタイル所収)

──それでもああいう画を撮れるのは、直感的に面白いと感じるものが写るまでカメラを回されているのでしょうか。

井口 『犬猫(8mm)』のときは締切がなかったので、カメラの前で奇跡が起きるまでやり続けました。それで1年半ものあいだ毎日撮影することになったんですけど……、再現性がないし、『犬猫(35mm)』のときには締切があったため、必然的にやり方を変えました。

増原 粘りに粘ってというより、編集も監督が手掛けるので、観る人が反応するポイントを見つけるのがうまいんじゃないでしょうか。

井口 ほかの人よりOKをかけるのは遅いかもしれないです。しばらく見ているというか。『犬猫(8mm)』から『人セク』まではフィルム撮影だったので、尺を長くするのにすごく勇気が必要で、「いまフィルムが回っているんだ」という感覚がありました。今のデジタル撮影のほうが、のびのびと自由に撮れているのかも(笑)。

──『左手』のタイトルカットも偶然性が作用しているように思えます。どのように撮られたのでしょう。

井口 あれは、こども警察が公園でワーっと走ってくるシーンを撮り終えて、鈴木さんたちは先に撤収して移動したんです。そばに小さな川があって、橋の真ん中あたりで立ち止まって何か撮影しているなと思ったら、あのタイトルカットでした(笑)。

増原 そうして撮影している脇を、荷物を持った別のスタッフたちが移動しています(笑)。

井口 ただ、目についた動物は撮っておいてほしいと、鈴木さんに頼んではいました。

──『左手』の犬も、もしかしてたまたま見つけたものでしょうか。

井口 犬はさすがに鳥や野良猫みたいにその辺りをふらついていないので(笑)、〈松陰PLAT〉に入っているお店の方と、助監督の飼っている犬に来てもらいました。

──こども警察のシーンに、偶然のハプニングともいえる出来事が写っています。少しひやっとしますが、アクションだけで見せる画でとてもいいですね。

井口 こども警察の女の子が転んじゃうシーンでしょうか? マイクでは音を拾えてなかったけど、彼女は転んですぐに立ち上がり、小さい声で「大丈夫!」と言ってすぐにまた走っていきました。私にはその声が聞こえていたので、ものすごく感動しました。

──あの活劇性がある瞬間にも監督の映画の魅力を感じます。新作を撮られるたびに映画が若返っている印象を受けます。こどもを撮っていることのほかに、何か秘訣があるでしょうか。

井口 映画をつくること自体に、いまだに慣れないですね。『犬猫(8mm)』のときからそのままの部分があって、毎回初めてつくっている気持ちです。それが画面や音に表れているのかもしれませんね。

──『だれか』『左手』の主な舞台は世田谷区です。金井さんの〈目白四部作〉に倣い、パンキッシュな続編で〈世田谷四部作〉になるのを期待しています。本日はありがとうございました。

(2024年8月)
取材・文/吉野大地

映画『左手に気をつけろ』公式サイト
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