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『自由なファンシィ』筒井武文監督インタビューPart2

(インタビューPart1)

筒井武文監督作『自由なファンシィ』(2015)が、完成から10年の歳月を経て遂に2月22日(土)に東京渋谷・ユーロスペースで劇場初公開を迎え、これに合わせて菊川・Strangerでもレトロスペクティブを開催する。同棲するカップル、三角関係など、『孤独な惑星』(11)のモチーフを発展させた本作は〈筒井武文・愛の三部作〉の第二作にあたる恋愛劇。『孤独な惑星』のガラス戸で隔てられた男女の姿をフィクション/ドキュメンタリーに置き替え、それらが境界を越えて次第に重なり合う展開は、批評においても映画の虚と実──その可能性──を探究しつづける筒井監督ならではの冒険心に満ち溢れている。この度刊行される初の単著『映画のメティエ』の話題もまじえて再びお話を訊いた。

 


──本作を神戸映画資料館で上映したのが2017年5月。その折にシナリオと撮影スケジュールを見せていただきました。クランク・インは2014年12月で、順撮りではなかったと記憶しています。

インしたのが2014年12月15日。8日間の早撮りだったから、順撮りはもちろん無理でしたね。でも『孤独な惑星』より2日多かった(笑)。

──最後に撮ったのが、前半にある喪服ミュージカルのシーンだったと伺いました。あのシーンのアイデアなどに関して教えてください。

喪服ミュージカルは、本来ならもう少し抑えたリアリズムでいくべきだけど、撮影が進むにつれて過激になってきました。もう最初のほうから飛ばしているので、果たして観客がついてこられるか。そういうシーンになりましたね。
撮る前は、前半3分の1から半分あたりまではリアリズムでいかないと見る人が映画に入っていけないんじゃないかと考えていました。でも、序盤の15分ぐらいでもう相当やらかしていますよね(笑)。喪服はシナリオ上にあったものだけど、ミュージカルの源は何だったろう……。でも、こだわって撮ろうとしていた記憶はあります。

──アヴァンタイトルでは主人公・ゆかり(松平英子)の顔が見えず、同棲する恋人・千尋(岩瀬亮)から見た彼女のわからなさ、不透明性を暗示する導入です。撮る前から構想されていましたか?

ゆかりの顔を隠していますね。撮影の段階では特に意図せず撮っていた筈だけど、2台のキャメラで撮ったので手や足の寄りの画も結構あって、そこから少し謎めいた編集に出来ないかなと考えました。アヴァンタイトルは編集で構築しています。

──序盤の展開も、近年のハリウッド映画なら主人公の感情に誘導するような語りがなされますが、本作はそれとは異なる語りです。

たぶん普通のドラマツルギーなら、千尋の視点でゆかりが外で何をしているのかわからない状況を少しずつ見せていくのだろうけど、本作は最初からあからさまにしていますからね。千尋が知らないゆかりの姿を観客は先取りしてしまう。そこで「千尋、がんばれ」と感じてもらうように仕組んでいます。

──予告編にも使っておられる、序盤のゆかりと千尋がテーブルを挟むツーショット。ふたりが同じフレームに収まるのはここが初めてですが、これも初日の撮影ではなかったと伺いました。

初日は日本舞踊の稽古と、ゆかりと千尋の姉・摩耶(浜崎茜)がエレベーターに乗るシーン、それから千尋が階段を駆け上るシーンを撮りました。

──松平さんの本格的な映画出演は本作が初めてですね。

確かその前に演劇を3本ほどやっていたけど、映画出演は初めての筈です。

──松平さんと、ほかの俳優陣とのリハーサルはおこなわれたでしょうか。

役者さん揃いのリハーサルはほとんどしていないと思う。松平さんとは事前に読み合わせや立ち稽古をやったけど、岩瀬くんやほかの役者さんと合わせたリハーサルはほとんどしなかったんじゃないかな。あっ、演劇のリハーサル・シーンはやりましたね。リハーサルのリハーサル(笑)。

──それも本作の多層的な構造に関わっているように思います。その状態で撮影に臨んだ松平さんに期待されていたことは?

キャメラの前で委縮せずに素を出してくれればいいなと。素にも色々あるんだけどね。

──本作前半はドラマパートとドキュメンタリーパートが並行して進みます。千尋は主に前者のキャラクターで、ゆかりはそのふたつを行き来する。そこで生まれるふたりのギャップが面白いですね。

その違いは狙っていました。千尋は素朴で常識的な判断力を持つキャラクターだから、リアリズム的な部分もある。それを物語が進むに連れて漫画のような演技に近づけています。誇張したフィクションのキャラクターになりつつ、後半では酔っ払ったりなんだかんだするので、錯乱的なイメージも帯びてくる。そういう意味の感情の変化は、ゆかりにはないですね。僕のほうから松平さんに頼んだのは、たとえばふたりが抱き合うシーン。そのあと、ゆかりが自分の部屋へ帰るときに「スキップを踏むように軽やかに、少し笑みをこぼしつつ」というふうにお願いした気がします。

──何か企んでいるアクションですよね。このシークエンスではふたりを切り返していますが、サイズが違います。

僕は基本的にアップを使わない主義だから、「寄り過ぎないで」くらいのことしか言ってなくて、キャメラマンの谷口和寛さんに任せました。

──終盤にもほぼ同じ場所でふたりの切り返しがありますが、そちらは同一サイズです。

あそこで、ふたりがようやく対等のポジションに近づくんじゃないかな。千尋がゆかりに魔法をかけられたという解釈もできるだろうし、彼が初めて自分の存在を通して彼女を眺めていると言えるかもしれない。

──その展開の前の千尋が階段を駆け上がるシーンは、実はずっと同じ階で撮られたとか。何度見直してもそのように見えません。

時間がないなかで撮ったから、そう見えているのならよかったです。どこの階で撮っても背景は同じだからね(笑)。

──本作は立教大学の心理芸術人文学研究所のプロジェクトの一環として「劇映画(2次元画面)における奥行き」をテーマにつくられました。千尋の部屋のセットデザインを手がけたのは当時、監督が教鞭を執る東京藝大大学院映像研究科1年生だった玉林亜理さん。いま見ても扉が奥行きを強調する重要な装置になっているのを感じますが、監督からは何もリクエストされなかったのでしょうか。

僕からの提案は「そういう研究なので、ちょっと奥行きを工夫して」程度で、彼女が扉の位置などを決めてくれました。ゆかりと千尋が同時に扉を開けるシーンは、セットを見て即座に撮りたくなりました。『孤独な惑星』で重要な舞台になるマンションの向かい合わせの玄関も同じ扉ですからね。

──予告編で見られるピストルのアイデアもシナリオにないものです。

はっきり覚えてないけど、僕が美術部に指示して用意してもらったものではないと思います。せっかくだから、あのように使おうと決めました。

──予告編では意外なアクション繋ぎをされていますね。

ちょっと騙していますね(笑)。

──セットを活かした大胆かつ繊細なライティングも見事です。ゆかりと摩耶のツーショットの長回しでは異様に部屋が暗い。監督からアイデアを出されたのでしょうか。

あそこはどうだったかな……。夕暮れで、摩耶が部屋を去ろうとしているところだから当然灯りは消している。外も暗くなってくる状況のライティングだから、逆にリアリズムの光じゃない?(笑)

──前回の取材で伺った「(照明が)リアリズムを超えたギリギリのところ」のひとつがここではないかと思います。そして、あのシーンでゆかりの背景が少し語られますが、そうした説明はごくわずか。ゆかりの曖昧で多義的なキャラクターは、次の作品『ホテルニュームーン』(19)と対照的ですね。

『ホテルニュームーン』はイランの商業映画で、大衆に向けてというか、片田舎の老夫婦が見てもわかるようにとプロデューサーからのお達しがあったので、曖昧なキャラクターにはとても出来ませんでした(笑)。主人公は自分の考えをぶつける人です。
本作では、見てくれる人が距離を感じてしまう曖昧さを持つキャラクターにしたくない思いもありました。ゆかりはゆかりで何かしら追求するものがあるけど、どの方向に進めばいいか、彼女自身がわかっていないんですよね。

 


──岩瀬さんのコメディ的な動きはかなり演出されましたか?

しました。イメージしたのはジェリー・ルイス。たとえば公衆電話ボックスに入る前のアクションはなかなか危なくて、全速力で走っていたら横目で電話ボックスを見つけて、急ブレーキを踏んで立ち止まる感じですね。ああいうところは、岩瀬くんに身体の角度まで要求したと思います。

──岩瀬さんのアクションも大きな見どころですね。千尋がゆかりを尾行するシーンに女の子が出てくる描写は筒井監督らしいと感じます。

あそこはキャメラが遠いので、少し状況がわかりづらいかもしれませんね。女の子が転んだか何かして、膝をすりむいている。痛くて泣いているところに千尋が通りかかって、病院に連れて行こうとしているうちにゆかりを見失ってしまう。女の子が千尋におぶさる理由がよくわからないかもしれませんが、そういう展開です。

──姉と母(新井晴み)が千尋のもとを訪れる展開もあり、姉の摩耶は妊娠してすでに子どもの名前を付けています。その由来はトリュフォーの映画でしょうか。

えっと……、トリュフォーかもしれないですね(笑)。

──摩耶を演じる浜崎茜さんのキャスティングについて教えてください。

茜さんは松平さんの演劇の先輩にあたる人で、たしか本作に出てくれるかどうか、当初はちょっとわからなかったことを覚えています。あの役は、はじめはお腹にクッションか何かを入れて撮ろうと考えていた。すると茜さんが「なくて、大丈夫ですよ」って(笑)。

──撮影時、実際に妊娠されていたんですね。

本当の妊婦として出ていただきました。でも、決めたのは妊娠されていたからではないですよ(笑)。

──本作にはそうしたドキュメント性が幾つかあります。留学生・中国三人娘が千尋の勤務先の美大のスタジオで、「ここが潰れちゃうのはさみしい」と語ります。あそこは藝大の新港スタジオで、撮影後に取り壊されてしまいましたね。

彼女たちのセリフはリアルな当時の状況です。あのシーンを2014年末に撮り、翌年3月にはスタジオの取り壊しがはじまり、もう使えなくなったから本当にギリギリのタイミングでした。それで中国三人娘の後ろにセットの裏側が建っていますが、あのなかは千尋の部屋のセット。だから本当にドキュメントなんです。

──人物の配置で奥行きを表現されていますが、その奥にもそんな秘密があったとは(笑)。本作完成後に「失われる風景を記録するのが映画の役割だ」と伺ったのも覚えています。それから演劇パートの客席には意外な方がおられるんですよね?

長編第1作『レディメイド』(82)に出ている、いとこの鈴野美子の娘の麻衣に来てもらいました。『レディメイド』のときの彼女は4歳でしたね。

──演劇がおこなわれるギャラリーは東京藝大の馬車道校舎。教師陣がスタッフを務めるなど藝大が全面協力していて、メイキング担当は共に昨年新作を発表した五十嵐耕平監督と太田達成監督。演劇パートには藝大10期生で『湖底の蛇』(16)を監督した田中里奈さんまで出演されています。

だって予算がなかったんですから(笑)。学生をフル活用しました。田中里奈さんの演技はいいでしょう。

 


──監督のフィルモグラフィーで最も大胆にフィクションとドキュメンタリーの融合を試みているのが本作です。このテーマをはっきりと意識されはじめた時期を覚えておられますか?

東京造形大学時代は劇映画を撮っていて、卒業後に助監督に就いたときは記録映画が多かった。その影響があるように思うけど、記録映画だってシナリオがあるわけだから、関係ない気もしますね。『学習図鑑』(87)は演劇の記録映像撮影を頼まれて、ビデオキャメラを借りて撮りに行くうちに、「これをフィルムで撮って劇映画形式で再構成しよう」と思って出来た作品でした。

──劇映画とドキュメンタリーを撮る際に、明確に方法を分けておられるでしょうか。

簡単に言えば、劇映画は役者さんに対してこちらが演出して撮ります。ドキュメンタリーの場合は基本的に演出しない。キャメラがあるからまったく介入しないわけにもいかないけれど、芝居のニュアンスなどは一切指示しない。そういうルールでやっています。

──監督のフィルモグラフィーを改めてたどると、フィクションとドキュメンタリーの相互作用が前景化してくるのは『バッハの肖像』(10)の時期だと思えます。

『バッハの肖像』はマルチキャメラで撮らないと構成できなかったので、5台以上のキャメラを同時に回して撮りました。やっぱりその経験が、本作の演劇パートのマルチキャメラ撮影につながっていますね。『バッハ』のミシェル・コルボさんのリハーサルは2台のキャメラで撮っていて、本作の演劇のリハーサル撮影は3台。ジミー(撮影監修:柳島克己)さんがBキャメラです。本番を5台以上で撮っているのも、『バッハ』の「マタイ」や「ヨハネ」の本番と同じ撮影体制でした。

──2015年は本作と、長年撮り続けておられた『映像の発見=松本俊夫の時代』5部作を仕上げた年です。松本さんのドキュメンタリーからも何らかの影響がないでしょうか。

その要素は入っているでしょうね。松本俊夫さんのドキュメンタリーの撮影は2003年から2012年にかけておこないました。そのあいだに撮った2本の劇映画『オーバードライヴ』(04)『孤独な惑星』には、何がしか影響を与えたと思う。松本さんの作品を改めて見直したりしているわけだからね。松本さんの映画づくりからの影響も当然あります。

──『孤独な惑星』の撮影では2日目あたりで事前に準備されていたカット割りのアイデアが尽きたと伺いましたが、本作ではいかがでしたか?

固まってないといえば全部固まっていなかった(笑)。だけど最初にお話ししたとおり、撮影初日に撮ったのが日本舞踊で、衣装替えを含めると4シーンあって、映画の最後も日本舞踊です。つまりラストはここに来ることが初日に掴めた。どんなにあちこち寄り道しても、ラストに向けて進めていけばいいんだという安心感がありました。

──本作の場合は、最初にラストシーンを撮ってもいい構造になっていますね。

最後にラストシーンを撮るのがよい映画と悪い映画があるんじゃないかな。やっぱりラストはラストに撮った方がいい映画もあって、たとえば諏訪(敦彦)さんの映画はそうだよね。でも僕の場合は、ラストを先に撮っちゃっても成立するんですよ。『ゆめこの大冒険』(86)も劇場のシーンではじまって劇場で終わるから、はじめにスタジオで劇場内のシーンを撮ったあとにほかの色んなシーンを撮る形でした。沢山撮っていても、もうラストはわかっているわけです。逆にラストがわからなかったのが『孤独な惑星』。あのラストはやっぱり最後に撮らないといけなかった。

──諏訪監督もフィクションとドキュメンタリーを映画づくりのテーマにされています。アプローチの違いをどう捉えておられるでしょう。

諏訪さんはリスクを取って苦労して、何か出口が見えてくると嬉しいんじゃないかな。諏訪さんのように、撮影と並行して現場でシナリオやセリフをつくっていくのは僕には無理です。やろうと思えば出来なくはない気はしますが、僕は設計図があってそれを壊していくタイプ。だからまずは設計図がないと(笑)。

──これまでも筒井監督の破壊願望についてお聞きしてきました。その源は何でしょうか。

単純にドタバタが好きだし、映画が綺麗にまとまってしまうのが我慢ならない(笑)。その両面がありますね。

──前回の取材でもお話しいただきましたが、本作にはリヴェットからの影響が色濃くあります。でも繰り返し強調したいのは、リヴェットのように本番前に演劇が瓦解しない点です(笑)。

本作の演劇は一応最後まで行きますから。一応ね(笑)。ただ、最後のリハーサルのときに、松平さんに何かトラブルを起こしてくれとは言いました。トラブルの内容までは具体的に指示しなかったと思いますが。

──松平さんにしか知らせていなかった?

そう、あれもドキュメンタリー。リハーサルは1回目を15分、2回目は20分、3回目は25分と区切って、その時間が来たらもう終わりますという形でやっていましたね。

──それが本番になると実時間を見せる形になります。

本番をどういうふうに撮ったかというと、まず観客を入れずに舞台で演じてもらうのを1回通しで撮りました。いわゆる演劇の平土間の中央からの位置は、観客が入ると撮れませんから。そのあとに出演者としての観客を入れて本番をおこなう。つまり公演が2回あります。観客の人たちには「舞台を観てもらう」としか伝えていないので、どんなハプニングが起こるかはまったく知りません。あの観客のリアクションは本当にドキュメンタリーです。舞台が終わってから、ハプニングが起きる瞬間を少しだけ拾ったかもしれませんが、観客が演劇を観ている姿はすべてリアルタイムです。

──演劇の観客が体験した時間を映画の観客が追体験することになりますね。以前の取材でキャメラは5台と伺いました。

実際に使うキャメラは5台でした。さらに飯岡幸子さんが舞台のメイキング用に、と映ってもいいキャメラで撮っていた。それを含めると合計7台ですね。7台のキャメラで通しの公演を2回撮影すると効率性はいいけど、見るだけでもすごく時間がかかるし、この場面にはどのキャメラを使うかという選択肢が14通りあるわけですよね。比較しながら選んでいく編集はなかなか大変でした。

──編集は大川景子さん。すべて大川さんに任せましたか?

あの時期の僕は入試の審査をしていたので、大川さんに全部任せました。演劇パートは時々チェックしていましたが。

──1回目の無観客の公演と、2回目の公演のショットを使ったアクション繋ぎもあるでしょうか。

あると思います。やっぱり演劇パートは的確なサイズとアクション繋ぎで連続させていくことが必要なので。

──演劇の本番でも扉をしっかり活用されています。

さっき、ドキュメンタリーで起こることに関して僕は一切介入しないと言ったけど、実は2回目の公演でハプニングが起こったあとの動きや細かい動線、そして舞台上の扉がぴったり同時に開くように開閉のタイミングなどは指示しました。ハプニング発生後は厳密に演出しています。

──演劇パートの千尋のリアクションも見どころですが、あの画も演劇と並行して撮られたのでしょうか。

岩瀬くん狙いのキャメラを1台確保して、「岩瀬くんだけを撮ってくれ」と指示しました。

──演劇パートでもゆかりと千尋を切り返しています。ここでのふたりの視線は合っていますか?

合っています。ゆかりから千尋にいく切り返しで、あそこは後処理でふたりの背景を暗くしました。そこで初めてふたりがお互いを認知したかどうかはわからないけど、とにかくゆかりが千尋を見つめるように撮りました。

──閃光のような切り返しですね。そして本作の脚本は監督・松平さん・久保寺晃一さんの共同執筆。演劇パートに続く、鍵にまつわるくだり以降はどなたが書かれたのでしょう。

あそこからあとは大体僕が書きました。ただ、撮る前のイメージは全然できていませんでした。撮るときに考えたのは、ゆかりの仕草で魔法にかかったかもしれない千尋が立ち上がって、自動人形みたいな動きで彼女のあとを付いて行って部屋に入る。そこでふたりにテストしてもらうとリアルな芝居だったので、それは変更しました。
僕のイメージだと、今度はあの部屋でふたりが演劇をする。観客に見立てたキャメラに対して正面を向くんです。つまりここからが第二幕で、今度はゆかりと千尋の演劇がはじまるわけだけど、はじめは岩瀬くんからなかなかセリフがうまく出てこなかった。理由はたぶん動かずに正面を向いているから。それで、ゆかりから少し離れて歩きながら話す形にすると「セリフが出るようになりました」と言ってもらえて安心しました。岩瀬くんの動きに合わせてキャメラも横移動します。

──あのシーンはセットも変えていますね。撮影時の現場で判断されたのでしょうか。

撮る前からあのシーンは壁を抜かないと撮れないと考えていました。ただ、動きがどうなるかは撮るまでわからなかったので、必要だろうと思って移動撮影用のレールも用意してもらっていました。

──その後の展開もふたりの演劇が続き、フィクションの醍醐味を感じさせます。

現実か幻想かわからないシーンですね。あそこはメリエス辺りまで遡っているんじゃないかな(笑)。

──本作にはヒッチコックや「007」シリーズからの引用もあります。映画の引き出しが日本で最も多いつくり手は筒井監督だと思いますが、参照項が増えることが負荷になるケースはあるでしょうか。

自分でつくるときは、極力映画を忘れるようにしています。いろんな映画を見ているってことは、それだけやってはいけないことも増えるので困るんです。過去にやられていることをもう一回やるとしたら、それに少し隠し味を足さないと意味がない。どうアレンジできるかということですよね。

──10年前に撮られたご自作を見返すと、何か変化を感じますか?

あまり進歩がないから、そんなに変わってないですね(笑)。見返しても、やっぱりコメディ思考が強くて、そこに執着しているんじゃないかと思います。だから現場では何とかして面白くしようとしてしまうんですよ。
たとえば千尋がショックを受けて酔っ払うシーン。あそこは普通にコップにお酒を注いで飲むだけだと全然面白くないんだよね。そこで美術スタッフに「何かない?」と投げると、「こういうのがありますよ」と出てきたのが目盛りの付いたビーカー。そのアイデアを頂こうと思いました。それで千尋があんなに悪酔いしているくせに、注ぎ過ぎたと思ったら瓶に返したりね。泥酔しているのに、アルコールの量をコントロールしようとする(笑)。

──何か実験している姿にも見えます(笑)。

自分の身体を使って実験して、酔う限界を試すというね(笑)。僕はやっぱり漫画チックな映画が大好きなんでしょうね。

──実験とコメディが共存する。監督の映画を象徴するようなショットでもありますね。

 


──さて、本作の公開と特集上映に合わせて監督の初の単著『映画のメティエ 欧米篇』(森話社)が刊行されます*。つくることと書くこと、映画の実作と批評に共通するものはありますか?
*渋谷ユーロスペース、菊川Strangerで先行販売。書店などでの一般発売は3月5日。

似ていますね。映画をつくるときと同じで、「こんなことが書けるのか」と思うものも、書く前にはどうなるかわかりません。書いているうちにこうなったけど、どこからアイデアが出てきたのかわからない。たぶん、現在進行形で出てくるんですよ。そのときに楽しかったり、リズムが揃っていたりすることで道が開ける気がします。

──映画について本格的に文章を書きはじめられたのは、『ゆめこの大冒険』『学習図鑑』のあとですよね。

1980年代終わり頃にはちょっとしたビデオ評などをちょこちょこ書いていて、一般の人が読むような文章を書き出したのは90年代に入ってからでした。

──『映画のメティエ』にはこれまで書いてこられた膨大な論考のなから選りすぐられた映画/映画作家論が並んでいます。セレクトの基準を教えてください。

ひとつは思い入れが強いもの。それからある程度並べて、映画史が少しずつ進歩していくような構成になればいいな、というところでしょうか。やっぱり並べてみると、1本の映画に対して同じことを少し違う文脈で繰り返しているところがあります。3本ほど同じ映画が出てくると、普通どれか一箇所に絞ってほかはカットするのでしょうが、そうすると元々書いたときのリズムが崩れてしまう。「繰り返しだけどまあいいかな」と思って並べると、それがちょっと伏線めいた感じで機能するのを感じました。だから映画の編集の構成と似ていると思いましたね。

──編集台を紙の上に置き換えたような感覚ですね。

最初に映画について書いた長い文章は、90年にルビッチの『天国は待ってくれる』劇場パンフレットに寄せた作品論〈ルビッチ的室内劇の設計図〉。あれは本当に七転八倒して書いたものです。あのときはまず夜中にお酒を飲んで酔っ払って、書こうとすることをいっぱい準備して、それらをザーッと書き綴ったんです。翌日、コーヒーを飲みながら読み返して「あ、これはだめだ」と削ったり、「面白いから活かせるかな」と思うところを拾い上げて、またコーヒーを飲みながら少しずつ論理化していきました。撮影・編集にたとえると、とにかくラッシュを撮って、そのなかにいいショットがあれば使うスタイルです。面白いところが2つあるとすれば、「この2つを繋げるためにあとは何が必要か」と考えて、繋ぐショットを撮るような感覚でまた書いていると、「あれ? これってドキュメンタリーの編集に似ている」と思ったんです。
『天国は待ってくれる』のときは、山田宏一さんが作品論を書く現場にも立ち会っているので、そこから学んだものもすごく大きかった。山田さんは過去に書かれた自分の文章のコピーを切り取って、机の上にバーッと並べます。つまりラッシュを並べるようなものですね。それを入れ替えたりしながら文章を構成していく。その方法にはすごく影響を受けました。さらに違う媒体に書いた文章を繋げるので、そこに赤字でフレーズを書き足したりする方法も覚えました。
そういうやり方を覚えて書き出したので、その頃──90年から91年くらい──に書いた文章はすごく時間がかかっています。そのうちだんだん慣れてきて、そういうふうに構成していくと繋がりがジャンプカットみたいになるんです。そのジャンプの面白さが出ていれば、論旨に飛躍があっても活かすようにしていました。
それに慣れてくると、一気に書き上げた文章でもところどころでジャンプカットになっています。時間がなくなってくると書き飛ばして、あとでいろいろ入れ替えて構成するスタイルは次第に薄れて、今ではまったくやりません。でも、そうした昔の書き方がどこかに残っていて、「ここはちょっと飛躍があるほうがいいかな」とか考えたりしますね。

──書くスタイルの変遷は、読者にも伝わるかもしれません。

その論考を何年に書いているかで、わかっちゃうんじゃないかな。

──読むのが楽しみですが、10年を経て『自由なファンシィ』が公開されることに関してはどう感じておられるでしょう。

もし10年前に公開していたら、あまり理解されなかった気がしますね。僕がやろうとした試みが今の環境なら伝わるんじゃないか。そういう感触があります。少し恰好つけた言い方をすると、『バッハの肖像』も正式公開していないし、1、2本は公開されない映画があってもいいんじゃないかと思ったりしていました。死んだあとに「筒井武文はこんな映画を遺していた」みたいな感じでね(笑)。そういうのも悪くないかな、なんて思っていましたが、生きているうちに見ていただけるのはやっぱり幸せです。

──今のほうが受け入れられるというのはわかります。リヴェットのリバイバル特集上映やソフト化は2020年代に入ってからで、10年前は配信で見られる映画の数も今より断然少ない時代でした。

確かに2015年頃って、リヴェットは今ほど日本で見られてなかったですね。リバイバル上映で、一般劇場が満席になるなんて信じ難い現象だったから。
本作を10年越しで公開することになったきっかけは、篠崎誠くんがX(旧Twitter)に投稿しているように、昨年1月に篠崎くんが電車で竹厚綾さん(『孤独な惑星』主演)とばったり会って、そのあと国立映画アーカイブで僕と偶然会って「もうこれは飲みに行くしかない!」と飲みに行くと映画の話ですごく盛り上がったんです。そこで本作を公開しようという話になり、「それなら篠ちゃん、配給プロデューサーをやってよ」と頼んだら引き受けてくれました。篠崎くんのあの日のテンションのおかげです。その出発点が竹厚さん(笑)。

──この度の公開に向けた試写会には竹厚さんが来られて、その日のツーショット写真を篠崎監督が投稿しています。監督のこんな笑顔は見た記憶がない気がします。

僕は嘘がつけないんでしょうね(笑)。

──試写をご覧になったつくり手の方からは、どのような反応がありましたか?

諏訪さんは「筒井さんの映画のなかで一番好きかもしれない」と見た直後に言っていましたね。七里圭さんは「隅から隅まで隙のない完璧な映画です」というようなことをおっしゃってくれました。
それから篠崎くんと試写後に電話で話していると、「映画監督には3つのタイプがいます。まず観客に愛される監督。そして批評家に愛される監督。もうひとつは映画作家に愛される監督」と言ったんです。それを聞いて「観客に愛されていないし、批評家にも愛されていない僕は3番目で、ひょっとしたら映画作家には愛されているのかな」と冗談っぽく返したんですよ(笑)。そうしたら篠崎くんが、優れた若手作家たちにチラシ用のコメントを取ってくれました。脅迫に近いすごい勢いで(笑)。忙しい時期に配給を引き受けてくれた篠崎くんには本当に感謝しています。

──『孤独な惑星』メイキングを担当された三宅唱監督がコメントで、筒井監督の現場の姿を「いまにも躍りださんばかりの勢いで」と形容しています。ほかにも『孤独な惑星』に関わった方たちに訊ねると「監督がいちばん楽しそうだった」と証言されているので、きっと真実なんでしょうね。

どうもそのようですね。本作の現場もすごく楽しかった。何だか僕だけ浮かれているようだけど(笑)、スタッフ・キャストもノッて取り組んでくれないとつまらない。皆に楽しんでいただきたいというのがモットーです。

──過去に監督とお話ししたなかでずっと覚えているのが「映画の面白さは教えられないけど、映画をつくる面白さは教えることが出来る」という言葉です。

どんな文脈で言ったのかは思い出せないけれど、基本的にものをつくる行為は絶対に面白い筈で、そうでなければやる意味がないし、楽しいからつくるんだよということだと思います。それまでなかったものが生まれるわけだから。それを苦しんでやる場合もあるかもしれないし、映画をつくるうえでの苦しみがないわけではない。でも、それも逆に楽しさに転化させたいですね。

(2025年2月)
取材・文/吉野大地

『自由なファンシィ』『映像の発見=松本俊夫の時代』X(旧 Twitter)

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