神戸映画資料館

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所蔵図書紹介「映画のメティエ 欧米篇」


著者 筒井 武文

出版社 森話社
発行年月 2025年3月5日

 

「筒井監督は『映画を作ること、映画を見ること、映画を教えること』を、同時に数十年続けてきた人である。」* 著者の筒井武文についてこのように書いたのは、東京藝術大学大学院などで筒井の教えを受けた瀬田なつきである。当然のことながら、これら3つのことを、しかも同時に何十年も続けることは並大抵のことではない。筒井にとって映画はライフワークなのだ。そして、「作ること、見ること、教えること」に加えて、実は「書くこと」もずっと続けてきたことを明らかにするのが、筒井にとって初めての映画論集となる本書である。

通常こういった映画論集はどこから読んでも差し支えないものだが、本書に限っては最初から順序立てて読んでいくことをお勧めする。初期映画に関する論考を集めた第一章に始まって、章が進むごとにゆるやかに映画史が発展していくような構成になっているからだ。コメディ映画を扱った第二章、ジャン・ルノワールという特権的な存在に捧げられた第三章を経て、論じる対象は第二次大戦後のヨーロッパ映画やアメリカ映画へと広がっていく。本書を通読することで読者は、筒井教授による映画論連続講義にでも参加しているような気分になるだろう。

読みどころはあまりに多い。リュミエールなどの最初期の映画の尽きない魅力を、「限られた時間との格闘」という点から考察した「リュミエール映画におけるキャメラマン ガブリエル・ヴェールの場合」。ポーターの『大列車強盗』の分析を通して、映画の「編集」という技法の出現を「画面に描かれていることと描かれていないことの葛藤」という点に見出す「編集の起源 エドウィン・S・ポーター」。これらは、映画に関心がある人たち全員にとって必読である。そして、「オンとオフの空間」が鍵を握るという意味で「編集の起源」の応用編のような趣がある「ルビッチ的室内図の設計図 『天国は待ってくれる』」では、ルビッチ映画の室内劇における「壁の不在」が「作家における映画的想像力の問題」として扱われることで、画面に映ってはいない壁を巡ってのスリリングなルビッチ論が展開される。

また、ニコラス・レイとジョン・カサヴェテスの両者が不意に「階段」の映画作家として接続されたり、ガレルとニコ、ゴダールとカリーナ、ストローブとユイレといった映画史を彩ったパートナーシップの三者三様ぶりが際立つなど、連続して収められた文章同士が響き合うような構成になっているのも面白い。ともかく本書は、山田宏一による帯文にもあるように、「大いに学びつつ大いに刺激されること請合いの画期的な映画授業」なのである。

しかし本書は、そんな楽しい読書体験だけでは終わらない。本書収録のマルクス兄弟論において、著者は彼らのキャリアを「愛すべきマルクス」と「恐るべきマルクス」の二つに分けているが、これに倣うならば、本書には「愛すべき筒井」と「恐るべき筒井」がいるように思えてならないのだ。映画の楽しみを教えてくれる愛すべき教師としての前者と違って、後者は映画へと接近する際の意表を突く大胆さで読む者を動揺させる。

例えば、「ジャン・ルノワール解析」と題された一連のルノワール論に注目してみる。まるで架空の撮影日記でも読むかのような前半部と、編集室での編集作業に立ち会うかのような後半部を通じて、作品の生成過程をフィクションとして生きるような斬新な体験を読者にもたらす『ピクニック』論。当初出演予定だったキャストと完成版のキャストとが比較され、物語の顛末が登場人物それぞれの視点から一人ずつ整理されるにつれて、ありえたかもしれないオルタナティブな作品の姿を想像させる『ゲームの規則』論。これらは、著者によるルノワール作品の「リメイク」という過激な試みに思えてならない。

さらに、過激といえば、蓮實重彥の『ジョン・フォード論』の書評にも触れないわけにはいかない。『ジョン・フォード論』の内容を補足するように、序盤ではフォードの映画監督としての歩みが記されていくのだが、「だいたい『駅馬車』が名作といわれるのが信じられない。これほど、正確に狂っている映画があるだろうか」と書き付けられたところから、「筒井武文によるジョン・フォード論」が始動する。それが本家の『ジョン・フォード論』に関する記述と絡み合い、共鳴し合うことで、まるでアメリカ映画の平行モンタージュさながらに疾走するこの破天荒なテクストを、果たして簡単に「書評」と呼んでしまっていいのだろうか。

このように、本書を読むことは、大いに学び、大いに刺激されるだけでなく、時に大いに戸惑う体験でもありうる。しかし、読み終えた今、この「戸惑い」こそが映画を見たいという欲望を最も喚起するのだと感じている。

ちなみに、タイトルに「欧米篇」とあるが、本書とは別に「日本篇」があり、あとがきによるとドキュメンタリーに関しての論考をまとめたものも準備中とのこと。これから、「映画批評家」筒井武文の時代が始まる。そんな期待が膨らむ記念すべき第一巻である。

*『キネマ旬報』2025年3月号 『自由なファンシィ』作品評より

 

坂庄 基(神戸映画資料館スタッフ)

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