『遺愛』 酒井善三監督ロングインタビュー(前編)

©︎2026「遺愛」製作委員会
父の死を受けて、実家でひとり母親のケアを担う決意をした佳奈は、幸福だった家族の記憶を母と共にたどろうとする。しかし、その願いとは裏腹に彼女のなかで現実と妄執がひとつの像を結びはじめる。酒井善三監督の商業映画第一作となる『遺愛』は、『カウンセラー』(2020)以降描いてきたテーマ「主観と客観のはざま」をより大きなスケールへ押し広げ、世界そのものが揺らぎだす瞬間を捉えようとした作品だ。その深層にあるものを前後編にわたるインタビューで覗いてみたい。
*作品の細部に触れる記述を含みます。
Ⅰ
──実のところ、これまでの取材などで監督から「商業映画を撮りたい」という言葉を伺ったことは一度もありません。いつかは商業で、と思っておられたのでしょうか。
商業映画は初めてで、まったく当たらなかったらこれが最後になってしまう恐れもあります(笑)。商業という括りでいえば、いつからか、明確にそうなりたいという野心を持たないようになっていた、というほうが正確かもしれません。母校である映画美学校も元は自主映画をつくる人を育てる学校で、フィクション・コース開設時に第一期主任講師の黒沢清さんが「最強のインディペンデント映画作家を養成する」と宣言していました。
僕が「シナリオで評価をもらい商業で……」などといつまでも言い訳ばかりで待ちの姿勢の自分に嫌気が差し、「商業なんて知ったことか」と、ヤケッぱちで自分たちでつくれる範囲でつくったのが『カウンセラー』で、その意味では商業作を撮れそうにない言い訳がてら、映画美学校の設立理念に立ち返ったつもりでした。
基本的に美学校に入った人は、みんな監督なんですよね。区分けされていない状態で学んでいくと、やがて技術部に進み、商業に関わる生徒も出てきます。たとえばずっと一緒に映画をつくっている百々保之くん(本作制作プロデューサー/整音)や川口諒太郎くん(撮影)もそうですね。それ以外の多くは、あきらめて別の道に進みます。そしてあきらめきれずに決断できない人が、いつまでも監督や脚本志望として燻り続ける、僕はそのタイプです。
──映画を観はじめた頃から、監督を志すようになるまでの流れを振り返っていただけますか?
子どもの頃は映画好きでしたね。特に小学生のときはものすごく好きで、映画日記みたいなものも書いていましたが、それほど系統立てて観ていたわけではなくて。高校生の頃から関心が薄れて、大学の半ばぐらいまでは観る習慣も途絶えていたのが、後半以降は一度休学して、1年間実家に帰ってアルバイトしながら名画座に通う生活を送っていました。大学も卒業間近になり進路を決めなくてはいけない。そんなとき「そうだ、映画がある」とかつての野心に、逃げ道を見つけようとしたからです。その時期に、1年で1000本以上の作品を映画館で観て、何かしら映画の仕事に進もうと決めていたと思います。21歳くらいの頃でした。
──「酒井善三が手がける商業映画」を待っていた人は多いと思います。その第一作は、ホラーと家族劇を融合させた作品。この組み合わせはどう考えられたのでしょう。
言葉を尽くせば尽くすほど、まとまりがない答えになる気もしていますが、少し複雑な経緯で……『フィクショナル』(2024)のシナリオを書き終えた頃だったか、準備段階に入るとき、テレビ東京(製作幹事)とライツキューブ(配給)で映画の企画があるとお話を頂きました。企画プロデューサーは『フィクショナル』と同じテレビ東京の大森時生さんです。そこで大体の予算想定も提示されました。
出演者・スタッフにきちんと賃金を払うことを前提に考えると、商業映画とはいえ、ある程度までの予算であれば、やれる範囲は思っているほど大きくせず、自主映画の規模感を基準にしたほうが良い。むしろ商業は、自主よりもその予算内・時間内でつくることの責任が明確です。とにかく僕に話を振ってもらえるということは、低予算でも、工夫を凝らして面白くつくるプランを立てることが重要だからだと思いました。ならば『カウンセラー』などを參照するほかないと思って、それらの映画の延長で、僕なりの方法で安くつくることが重要だと考えました。
ただ企画を進めるといっても、『フィクショナル』まではいきなりプロットを書いていくパターンが多かったので、何か少し自分から離れられる枠組みや、そのヒントがほしいと思い予算想定などを含めて、最初に1時間ほどZOOMを使って大森さんとブレインストーミングをおこないました。そこで「最近、何かに興味がありますか?」と訊ねると、大森さんが「必ずしも良好とは限らない親子関係のようなものに関心がある」とおっしゃったので、ひとつの要素にしました。
それとは別に、僕のほうでも『カウンセラー』以降、幾つか企画を練っていたんです。物言わぬ人物を推察していくうちにおかしくなっていく。そういう物語に興味を惹かれていました。
『緋文字』で知られるナサニエル・ホーソーンに、『牧師の黒いヴェール』という短編があります。短編集に入っていて、『カウンセラー』をつくり終えた頃に読みました。アメリカの小さな農村に、すごく慕われている牧師がいて、突然顔の前に黒いヴェールをかけるようになり、死ぬまでそれをずっと取らない。息などでそれが揺れることがあっても、顔は一切見えません。そのことによって、それまで慕っていた村人たちが牧師を怪しい存在だと思い始めたり、悪魔に取り憑かれたと勘違いするけど、死ぬまで牧師は何も言わない。この短編の不気味さや心理劇の要素を面白いなと思っていました。
それを踏まえて、「ある海辺に意識不明、身元不明の体中傷だらけの男が打ち上げられ、病院に運ばれてくる。しばらくすると、病院内に奇妙な噂が広がり、看護師たちがその男を悪魔だと言い出す」というのがひとつ。
あとひとつは「不倫カップルが旅行中に、突然飛び出した女性を車で轢いてしまい、咄嗟にコテージに監禁するものの、次第に彼女が魔女だという妄想に駆られていく」というもの。
そうした「物言わぬ人の周りで暴走する人がいる」「あるいは本当に怪奇現象が起きているのかもしれない」という同じモチーフで2本の企画を立てていました。その企画は出す機会がないけれども、いつか映画にしたい気持ちが残っていました。そういった物言わぬ人の話と、親子関係とを結び付け、『カウンセラー』みたいに低予算でもつくれるプロットが書けるのではないかと思い、この形になりました。
──物を言わぬ人と窓の外は、本作の重要なモチーフですね。
とにかく「何も無いものを映す」「何も無いことを利用する」。それが僕に出来る、低予算かつ効果的につくれる方法でした。
──介護というトピックもストーリーに組み込んでいて、リアルに描写しておられます。
ほかの媒体のインタビューでも、高齢化や介護という現代の社会問題との関連性を訊ねられますが、本作を最初に立ち上げるにあたり、そこが関心の根源ではありませんでした。もちろん、シナリオを書くときには調べたり関連書籍を読みます。でも、リアルな認知症の症状や介護を主軸に表現したいわけじゃないから、シナリオにも母親(藤井京子)がどういう病気かは一切書いていません。だからその要素は実は後付けで、それらの現代的トピックから発進したわけではないです。
あとは、以前から組んでいる美学校の同期で友人の宮﨑圭祐くん(共同脚本/編集/VFX)が以前つくった、介護殺人を題材にした短編を観た影響もあるかもしれないし、そもそも彼が脚本に関わっていますから、その影響も色濃くある筈です。
Ⅱ
──キャスティングは、どのようにおこなわれたのでしょうか。
商業映画には、動員を見込める俳優を起用する必要があります。でも僕はそうした日本映画やドラマの出演者に疎く、こちらから出したのは「とにかく人柄の良い方。それからリハーサルもやらせてくれる方であればなお良い」程度のリクエストで、あとはキャスティング担当の渡辺有美さんとプロデューサー陣に完全にお任せで、製作会社と揉んでオファーしていただきました。
──キャストが決まり、リハーサルはどれくらいおこなったのでしょう。
スケジュール面で、リハはほとんど出来なかったんです。 ホン読みと合わせて1日ほど。しかしキャストの皆さんは素晴らしかったです。渡辺さんやテレビ東京の大森さん、藤山晃太郎プロデューサーがキャストをほとんど決めていらっしゃるので、その採配がとても良かったことも大きいと思います。皆さんが本当にいい方々で、僕の現場は急ぎ足ですが、そこでもずっと朗らかでいてくださいました。
──監督の映画で毎回気になるのが、キャラクター造形です。今回、何か特別なことはされましたか?
僕の作劇は構造的にいつもそうなるのですが、前半はほとんど『カウンセラー』みたいな形で一方が語り、もう一方がそれを聞いていく。すると、聞く側の人はキャラクターづくりが難しくなります。
ましてや本作は途中で急に会話劇のような展開になり、姉・佳奈(山下リオ)とのあいだに何か確執めいた過去があったことを妹・杏里(小川あん)が言い始めるシーンもある。そこで小川さんに『カウンセラー』のときと同様に、A4サイズで3、4枚ほどのテキストをお渡しして、「こういう出来事が過去に起きて、妹としてはこんなふうに捉えているのではないか」と事前にお伝えしていました。
あとは現場で、特に山下さんと小川さんの姉妹のシーンは、僕の演出というより、おふたりがお互いに影響し合ってお芝居をつくってくださるのにお任せした形で、すごく助かりました。
Ⅲ
──これまでの作品から受け継いでいるのが、語りの速さです。幕開けから次の葬儀場のシークエンスへ進むまでわずか4カット、実質的な時間は40秒ほどです。
『フィクショナル』でも感じていましたが、本当はもっと速くしたい気持ちがあるんです。本作でいえば、ファーストカットから骨を落とすあたりまでは速く行けたと思います。ただ、葬儀後のシーンでセリフを入れて、人物関係や設定の説明をしている。本来はああいう展開をカットして、事件が起きるのと並行してキャラクターが説明されていくのがベストだと思いますが、僕の実力ではまだなかなか難しいところですね。
──姉妹の切り返しは杏里から入ります。ここにはどのような意図がありましたか?
ひとつは直感ですね。そして、佳奈のリアクションを撮りたかった。それが重要で、自然な繋ぎはそっちのほうがうまくいくだろうと判断しました。

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──佳奈からだろうと思っていたので、少し意表を突かれました。
作品HPなどの紹介では、佳奈が主役になっていますが、プロット段階では「姉妹」どちらも主役という認識でした。前半は杏里が主役のように進み、途中で精神科医の熊谷に触れて、最終的に佳奈の話で終わるという、主人公というか視点がバトンタッチしていく形を漠然とイメージしていました。序盤の葬儀後では佳奈と杏里の立場が離れている設定を、位置関係やカット割りでも表現する必要がありましたし、それを踏まえて前半は、どちらかといえば観客に、軸足として杏里のほうが現実的だと見てもらう必要があると考えていたんです。
『華麗なるギャツビー』や『シャーロック・ホームズ』のワトソンからホームズのように、語り手を通して主人公を観察する、という話法もある。そういうイメージでした。
──『ギャツビー』のギャツビーとニックの関係を、変形させながら参照しているように見えますね。葬儀のシーンは実在する葬儀場で撮られています。予告編にも映る、プールに似た空間について教えてください。
あれは噴水みたいないわゆる水盤というやつで、ロケハン時はメンテナンス中で水が出てなかったんです。でも、制作部の方がロケ地に掛け合ってくださって、「これがあるならせっかくだし、水のイメージで最初は繋げたい。画的にも面白いよね」という話になり、撮影当日に水を流し込んでもらいました。実際、あそこは普段ああいうふうになっているようです。
──水は監督作でずっと使ってこられたモチーフで、冒頭でそれが提示されます。本作のテーマの「呪い」を調べると、雨乞いやおまじないも呪術の一種だと知りました。つまり、水と同様に向けるベクトルによって善悪に分かれる。その多義的なイメージをタイトルカットの水に重ねていると思えます。
なるほど、確かにそれはあるかもしれないですね。ある種の媒介物・手段であって、そこに目的があるわけではないと言えます。
──そうした多義性が本作の描写、そして構造に生かされていますね。
かなりトリッキーな構造にしました。これにはだいぶ悩みました。さっきお話しした大森さんとのブレインストーミングを一度おこない、その後「介護していると、母親が人を呪ってしまったと思い始め……」という程度のアイデアまではすぐに固めました。しかし、そこから先のロングプロットを書き上げるまでに確か1ヶ月半か2ヶ月ほどかかりました。そのときはちょうど『フィクショナル』を準備しながら書いていたのが、途中で行き詰まったんです。
「どうも〈呪い〉を普通に順序立てて見せていっても跳ねる感じがしない、さてどうしようか……」と悩んでいて、あるとき「『カウンセラー』のようにすればいいんだ!」と閃きました。冒頭、いきなり「あなたの息子を呪っちゃった」と疑わしく突拍子もない事を告げるところから始めて、そこから回想へ持っていこう、と。そこで一気に前半が固まりました。
すると後半をどうするかという問題が浮上しますが、ひとつやりたいなと思ったのが、「運命的な出来事が連鎖的に起きていく」。でも、それで「結局こうなりました」で終わるとつまらないから、そこからさらに展開を設けようと付け足していったんです。
イメージしたのはクローネンバーグの『デッドゾーン』(83)。原作者はスティーヴン・キングで、主人公が予知を視たあと、善意のテロリストになる話です。運命に抗う展開で、いわばトロッコ問題に似た「誰かを救うために誰かを殺さなければならない状況に立たされる」。その構想は最初から漠然とありました。
なおかつ『デッドゾーン』の場合は、観客が主人公に肩入れして、「この予知は確実に起こる、なんとかせねば」と思って応援・感情移入する造りになっているので、その意味で主人公は純粋な孤独ではないと思うんです。純粋な孤独とは、観客をはじめ、本人さえも正しいかどうか確証を持っていない状態です。そこに佳奈を置こうとした結果、トリッキーな構造になりました。
そして本作は、そのような骨格に、よくも悪くも色々と付け足していきながらつくりました。『カウンセラー』みたいに短尺ゆえにシンプルに、「こういう状況でこうだ」となっているのではなく、「ここに何か足そう」「さらにここにも」という形で観客を飽きさせぬようにと付け足した部分が多くあって、それゆえにいびつな形になりました。
Ⅳ
──スクリーンサイズは『カウンセラー』『コロナvs信心』(2021)と同じシネマスコープです。『カウンセラー』は人物を断片的に撮っておられましたが、本作はフルショットも多いですね。
それについては、広いところをロケ地に借りてもらったことが最も大きな理由かもしれません。本作は、これまでの作品の中でも広い空間が多いタイプ。屋外の画もあります。美学校時代は「動線づくりを楽しんでいた」と以前お話ししました。
──『カウンセラー』公開時のインタビューで、『おもちゃを解放する』(2011)では「動線により芝居がハマった気がしたとき、『演出している感』という欲求が強く満たされた」と伺いました。
今回は、広いのでついそういうことをやりたくなるところですが、あまり動線重視で撮らないようにしたつもりです。もちろん最低限の動線はありますが、人物が「動くために動いている」と見えるのはよくないだろう、と。観客から「演出が見える」ようになるのはみっともない気もしたので、一定の動線はあれども、せっかく場所が広いのだからと、理由なく大きく動いてもらう演出は無しにしようと考えました。
話を聞いているシチュエーションが大きな比重を占める作品でもあるため、そこまで人物が動く必要もなかったですから。ただアクションというか、大きく動き出すところは、動きが明確に見えたほうがいい。逆にそうでない場面で人が動くような噓はあまりやらなくていいかなと。
──大きく動く描写のひとつが、熊谷(マキタスポーツ)の家での出来事です。
あとは母親と姉妹の長いシーン。短いところだと、佳奈の高校の同級生・岡安恵理子(瀬戸さおり)が「やっぱ帰るね」と言って動き始めるところなどは、追いかけっこふうにするほうがいいなと思ったので、動線がはっきりとあるイメージを持っていました。
──挙げていただいたポイントは人物とカメラの動きが調和しています。そして画面からは、これまで以上にフレキシブルにカメラが移動し、それに応じてフォーカスエリアを変えている印象を受けました。撮影面での変化はありましたか?
川口くんは『フィクショナル』までワンオペ、完全にひとりで撮影に臨んでいました。今回は、フォーカスを担当する撮影助手として石井夏実さんに入っていただき、2人態勢で撮りました。しかし、いつものごとく現場は時間が無いので、あまりカットを割れない。とにかく迷う暇なく撮っていくスタイルで、がっちり決めていられなかった、という結構切実な事情もあります。
レールを敷いておいて、そのうえで単純なフィックスやパンなどでは出来ない、ある程度の融通を効かせながら撮っていく。川口くんはそのように、人物の動きに調整して適応する臨機応変で見事な撮影をしてくれています。
『フィクショナル』でもそうでしたが、今回は川口くんから「ここは割らなくてもいけますよ」とさらに多くのポイントで提案してもらい、「じゃあワンカットで」というところが多くあったと記憶しています。
──後半にある、横移動撮影を使ったワンシーン=ワンカットもいいですね。
熊谷がカオル(小島叶誉)という子どもと話すシーンですね。これは当日の荒れた天候を見て、急遽ワンカットにして動線をつくったのですが、その際僕がスタッフに動線を説明したあとに、宮﨑くんがそばに来て「途中、内側から子どものひとりがガラス窓をノックするのはどうかな?」とアイデアをくれました。それを受けて動線の中に、そのタイミングを示し合わせて、現場で宮﨑君がきっかけの子どもの動きをつくっています。そのおかげでカオリの「孤独」「疎外感」をより表現できたと思っているので、気に入っています。
Ⅴ
──音に関してもお聞かせください。劇中、「そこにない」波の音を幾つかのシーンで鳴らしています。
たとえば最初は、家族の写真のシーンに波の音を入れています。これは明確な嘘というか、メロドラマみたいになってもいいやと思って画に当ててみました。親子が抱き合うところなどにも波の音を使っていますね。この技法はやりすぎるのも恥ずかしくて、塩梅が難しいところでした。
──黒沢清さんが90年代に書かれた論考*で、映画の音楽には三種類あり、「①観客にのみ聞こえて登場人物には聞こえていない音楽 ②実際にその場に流れている設定の音楽 ③実際にその場に流れていないが、登場人物には聞こえているらしい音楽」と分類しています。音楽ではなく「音」の問題になりますが、家族写真のシーンの波音はどれに属するでしょう。
*『映画はおそろしい』(2018/青土社)所収『映画で人が歌う時』
あのシーンの波音は、心理描写と言えるので③に近いと思いますが、そのあとは観客だけに聞こえる記号的な音として入れました。だから①ですね。
──この波音の演出は見事です。それから、実家で佳奈がガラス戸を引く音などは、大きめにデザインされていないでしょうか。
その辺りは整音の百々くんと話して、整音段階で加工・処理しています。家のガラス戸を引く音は、ちょうど回想に入るタイミングで鳴ります。ああいう場面では現実や現在形から一個隔てる意味でも、暴力的に音が割り込んでくるようにしました。
──杏里の家で、佳奈がカーテンを下ろす音も大きめですね。
あれはちょっと強調しておかないといけない、情報として重要な音でした。杏里がその音に気づいて振り返るし、観客にもカーテンを閉めていることを教えたい意図もあって、少し大きめにしている筈です。
──その効果が中盤以降に効いてきます。カット代わりのセリフのずり上げも映画のリズムに影響をもたらしています。
今回はセリフでだいぶやりました。環境音のずり上げ・ずり下げも過去作からずっと使っている技法ですね。
Ⅵ
──赤い風船を使ったシーンがあります。現実とも非現実とも見えるあのアイテムについて教えていただけますか?
今回は『フィクショナル』に続き、僕と宮﨑くんの共同脚本です。ロングプロットは僕が書きましたが、これまで彼にシナリオをがっつり書いてもらう機会がなかった。そこで試しに「初稿を書いてみる?」と訊ねると、「書きたい」と返ってきたので、じゃあお願いしようと書いてもらいました。
その初稿を引き取って、再度僕が改稿する形でしたが、初稿にはモノローグがあまり無く、改稿の段階で付け加えました。というのも『カウンセラー』の経験から、その人物にしか真偽がわからない主観のモノローグがあると観客の興味の引っ張りになるし、僕自身も少し面白く観えるようになる気がしていたからです。それで馬鹿馬鹿しい「窓の外の忍者」「貯金箱」など、自分が佳奈の立場であれば思い浮かべそうなモノローグを幾つも足していきました。これは『カウンセラー』での、アケミのモノローグとまったく同じパターンです。
当初のロングプロットに、母親が写真を破っていると、佳奈のストレスが限界に達して強く当たってしまう。そこで初めて感情が溢れるという流れはありました。しかし、宮﨑くんが書いてくれた初稿では、その手前に「足にガラス片が刺さる描写」が足されていた。
それを読んだときに、「これってつまり風船みたいな状態だな」と思ったんです。ストレスが膨れ上がった結果、割れて感情が溢れ出す。その流れで考えて、ここにも風船のモノローグを足したいと思いました。風船ならば、見えたとしても実際に見たのか、それとも幻影的なものなのか、曖昧で成立するだろうと。
あのあたりは、ジャンルを逸脱して家族劇がバーッと流れていくから、観客が飽きるような気もしていました。だから、とにかくそういう細部を隙間なく詰め込まないといけないと思っていたし、風船なら予算がなくても実現できる。これはもう一石二鳥じゃないかと、風船を出しました。

©︎2026「遺愛」製作委員会
──メタファー的な、画と噛み合ったモノローグですね。
モノローグだけだと、完全なメタファーになって押しつけがましいので、それをぼかすために画も入れておこう、と。実際に佳奈が見たことにして、その後に繋がる流れにしようと思いました。
──風船の話を伺ったのは、アルベール・ラモリスの『赤い風船』(56)を観た直後に試写で本作を観たら、軽いギャップを覚えたことも関係しています。同じ赤い風船でも、こうも印象が変わるものかと。
ほかに風船を使った映画といえば、古くはフリッツ・ラングの『M』(31)がありますね。ほかにはスティーヴン・キング原作の『IT』、ジョン・シュレシンジャーのビデオスルーだった傑作『レイジング・ブレット 復讐の銃弾』(96)にも不吉な風船が出てきます。でも風船自体はポジティブにもネガティブにもニュートラルに見えるアイテムで、スタッフ打ち合わせなどで使おうと提案すると、「風船といえば赤だよね」と皆の意見が一致してこれに決まりました。
──もうひとつの重要なアイテムが紙粘土の人形。呪術で用いられてきた人形の素材は紙や藁ですが、紙粘土にされたのはなぜでしょう。
これも色々迷いました。ケアの一環で母親によかれと思ってやっていた筈が、やがてそれを呪具じゃないかと疑い始める。かなりぶっ飛んだ設定ではあるけど、何かそういう道具が必要だと思ったときに、紙粘土なら母親が練るのは無理でもあり得なくはないかなと。「割れる」のも本作にとっては大きな利点で、実際に割るテストもしました。紙だと普通に扱っていても破れてしまうので、紙粘土がいいだろう、と。
──そして興味深いのが中盤に登場する人物です。後半の鍵でもありますね。
あれは、同じ人物だと気づいてほしいと思いながら書いて撮りました。観る人が気づいてくれるか、未だに心配ですね。というのもさっきお話ししたように、後半は運命の連鎖的なものを描かなければいけないと考えていました。プロット段階からブレずに「中盤でその人物が現れて、後半のあるポイントで他者に影響を及ぼして不思議な運命が巡ってくる」。そういう展開にしたかったんです。
──監督の作品で、あのような人物の連携は珍しい気がします。
そうかもしれません。でも僕は『カウンセラー』以前から群像劇をやりたいと思っていたんです。過去にフィルメックスの新人監督賞に応募したシナリオ『狩人の夜明け(仮)』(2019)*も犯罪群像劇で、それは結構人物が絡んでくる話でした。もう読み直してないけれど、群像劇はずっと好きで、チャンスがあれば不思議な縁みたいなものを描きたいと思っていました。『コロナvs信心』もそこまで複雑ではないものの、割とそのパターンかもしれないですね。
*第20回東京フィルメックス新人監督賞準グランプリ受賞作
Ⅶ
──前半は回想中心で進みます。佳奈の回想にモノローグが挟まる形ですが、それらが混ざって聴こえるニュアンスや演出上の仕掛けの効果で、監督の映画の特色といえる〈曖昧さ〉を感じさせます。
僕もどこまでが佳奈が杏里に語ったことなのかわからないし、ましてや佳奈が言ったことが映像化されているのだとすれば、誰も見ていないものが描かれていること自体よくわからない(笑)。そのあたりもすべていい加減に、むしろ映画だからこそ敢えて理屈を持ってこないようにしたところです。
──モノローグの「忍者」というフレーズはどこから生まれたのでしょう。あのような逸話を耳にするのは初めてでした。
あれは刺さる人には刺さるみたいです。結構多くの方が「あの空想をしていた」と言いますね。世代的・当時のジェンダー的な差異もあるのかもしれませんが、忍者ではなく別のキャラクターを走らせていた、とか。僕も電車に乗っていると、よくマリオが窓の外を走っていました(笑)。映画でキャラクター名は言えないので忍者に統一したけど、あれに近い空想は多くの人が体験しているようです。
──調べてみます(笑)。佳奈の回想に、杏里が介入してきます。あの展開はどのように生まれたのでしょうか。
プロットを書いているときに、杏里が佳奈の回想に入ってこないといけないと思いました。でも、回想に入ってくるのなら、彼女にそれを話す必要が無いという矛盾もある。そう思いながら改稿していくうちに、何かもうひとつツイストがほしくなったこともあって、「あなたの回想は、私の記憶とは違う」という要素を入れてみるのはどうかと思い付きました。『カウンセラー』から撮り続けてきた〈記憶の曖昧さ〉も本作に取り入れたかったからです。家族劇の流れに飽きるかもしれないから、あの辺で揺さぶりも兼ねて、よくわからないけど一度回想を巻き戻してみようと。
そうしてシナリオが出来たあと、1日だけホン読みをしたときのこと。助監督さんが柱とト書きを読んで、役者さんがセリフを言っていく進行でした。そこで、次のシーンに進む柱を読む前に小川さんが「待って、違う」とセリフを言ったんです。
「あ、それ面白いですね」となって、それでいこう、つまり、この回想のシーン内で言っちゃいましょうということになりました。そんないい加減な遊び心から、あの展開が生まれた(笑)。一応、当初のシナリオ上は現在形に返ってから言う形だったんです。
──回想が混線するシュールさがあります。『カウンセラー』と同様に、この映画の話者は一体誰なんだという。
今回は、ああいうパターンがしつこいほど多いので、逆に観客は飽きるかもしれない。とはいえお客さんに眠られてしまうと困るので、揺さぶり続けようと決めました。
──コーヒーの使い方も効いて、むしろ本作は眠る暇がないほど面白さが詰まっています。その中から印象に残っているカットをひとつ教えてください。
前半に、窓外を見る母親に「もう寝よう」と声をかけて佳奈が車椅子で連れて行くカットがあります。ここは当初のシナリオ上は、車椅子を押して行く、だけでした。
今回も『フィクショナル』に続き北村和希さんが制作部に就いてくれたのですが、彼に見つけてもらったお家にロケハンに行き、現地を見ていた際に、もうひとりの制作部・会川聡美さんが「こんなのもありますよ」と、置いてあったセンサーライトを見せてくれたんです。
「あ、誰もいないのにセンサーライトが点くのはアリかも!」と思い付いて、せっかくならそれは外からの外観のカットにして、日本家屋を使ってまるでゴシック映画のように、人物の影がカーテンを通して見えるというにしてみたらどうかな、と。
結果、誰の回想なのかはサッパリわからなくなるわけですが……「まあ良いでしょう」といい加減な気持ちでやってみました。構成としてあまりうまくいっているわけではないと思いますが、すごく魅力的なロケ地を見たうえで、やってみたいという咄嗟の欲望をそのまま実行させてもらえる楽しさも込みで、印象深いカットです。
──ドライヤーの『吸血鬼』(32)などの古典的な影の技法を日本家屋で表現したカットですね。気に入っておられるカットも多くあるかと思います。ひとつだけ挙げていただけますか?
佳奈が夜に逃げるシーンがあります。そこのロケ地はシナリオ上はただ『公園』と書いていました。しかし、人気が無く隠れ家になって夜を明かす場所でありつつ、完全な山奥というわけにもいかない、実は見つけるのが難しいロケ地だったと思います。
ただ、ここは会川さんが見つけてくれて、もう「最高じゃないか」と。高台にあるので、背景にはポツポツと街の灯りも見える。偶然撮影時に雨が降ってしまいましたが、それで土管の中に水滴が落ちるのを撮れたこともあり、とても気に入っています。
──遠くに街の灯りが見えるカットはあと5秒長くてもいいと思うほどで、見どころは尽きません。より詳しい制作過程は後編でお聞かせください。
(2026年5月)
取材・文/吉野大地
●6月19日(金)公開
映画『遺愛』公式サイト
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