『竜宮の誘い』 山田純監督ロングインタビュー(前編)

山田純監督作品『竜宮の誘い』が7月10日(金)より神戸映画資料館で上映される。キャバクラ「竜宮城」で働く青年・サトウはスマートフォンを拾ったことから闇バイトに関わるようになり、秘めていた食人願望を開花させようとする。だが本作のエッセンスは、表面的な猟奇性とは明らかに別のところにある。「開けたら閉めるのは常識だろ」。冒頭で倫理を失った男が口にするありふれた一言。本作はこの逆説的宣言を出発点に「開く/閉じる』という映画の古典的な身振りを全編に浸透させながら展開し、最後まで幾つもの「境界」を越え続ける。いかにしてその様を見せるのか。1996年生まれの監督にお話を訊いた。
なお、7月11日(土)には監督と主演の戸張瞬が来館し、舞台挨拶がおこなわれる。
Ⅰ
──監督の2018年の作品『再来の予感/光の子供たち』の予告編をウェブで観ると、本作とかなりテイストが異なる印象を受けました。当時はどのような映画を目指しておられたのでしょう。
あれは自分がまだ大学3年生のときの作品だったので、何から何まで違いますね。同じところを探すのが難しいぐらいです。僕は映画の専門学校の出身者でなく、中央大学文学部で哲学を専攻していましたが、それとは別にサークルで映画制作もおこなっていました。
在学中はストーリーを語ることより、映像を言語として捉えた時にどういう語りが可能なのか、というどちらかといえば芸術や実験的な要素に比重を置いていました。面白さや、より多くの人にわかってもらうことはあまり意識せず、純粋に自分のやりたい表現を追求していた時期でしたね。
作風でいえばドンピシャで、テレンス・マリックの近作に──とはいえこの7年ほど新作を発表していませんが──影響を受けていて、詩的なタッチの映像による語りの可能性みたいなものを、あくまでも自分の趣味の範囲で探っていました。
──そこから、本作のような方向性にシフトした転換点について教えてください。
大学を卒業したあと、自分で映画を作りたいと思った時に、これまでのままでは駄目だろうと考えました。やはり人に見てもらえる映画を作るにはお金がかかります。そうであれば、商業としてちゃんと回って持続可能なものを目指すべきで、そうしないと、いつか立ち行かなくなってしまう。最低限循環する映画制作を志向するようになりました。
もちろん、今回の『竜宮の誘い』一作だけでずっと回るわけはないですが、それまでと異なるアプローチで、商業的な映画を自分の目指すものとして撮る。大学卒業後に自己資金で作ろうとした時にそう決心して、そこから脚本づくりに入りました。
──「竜宮」という響きや幕開けの煙、箱の開閉のモチーフからも『浦島太郎』を連想しました。脚本を書き始めた段階で、物語のベースにしようと考えておられたのでしょうか。
当初、そのアイデアはなかったんです。最後に『浦島太郎』のモチーフがこの作品にうまくはまるんじゃないかと気づいて、そこで当て込みました。完成した脚本から大きく逸れてはいませんが、最初のプロットでは、主人公がただの平凡な青年でした。その青年がやはりキャバクラでボーイとして働いていて、闇バイトに巻き込まれて悲慘な最後を迎える。それだけの話で、『浦島太郎』のモチーフを加えたのは、本当に最後の段階でしたね。
──カニバリズムというテーマを選んだ理由も教えていただけますか?
プロットを書いている時に、主人公がちょっと受け身すぎるな、と感じました。キャラクターをもう少し立たせて、主体性を持って何かに取り組み、それが悲劇の一因になってほしい思いがあったので、そこにカニバリズムの要素をぶち当てていくことにしました。
主人公に異常犯罪とカニバリズムの要素をぶつけた理由は、昔からシリアルキラーや猟奇殺人に興味があったからです。それらは禁忌だし、実行する人間の心理はまったくわからない。それでもそういった事件がたびたび起こるし、犯罪心理学は学術的な研究対象でもあります。
そうした普通の思考では追いつかないところにある心理にずっと関心があって、いつか自分の作品にも取り入れてみたいという構想が漠然とあったんです。それをやるなら、このタイミングだろうと判断しました。
本来であれば闇バイトの側、つまり社会の裏側を扱うのなら、普通はもう一方に警察などの表サイドを立たせて争わせるのでしょうが、どちらもおかしいというか、「裏と裏」を掛け合わせるともう全く倫理が通用しない。そういうものを度外視した作品にできるという考えもあって、本作のような独特な世界が生まれました。
──そのシナリオを書き始めたのはいつ頃だったでしょう。
2024年の頭でした。かなり急ピッチで1月に書き始めて、確か2月初旬ごろにはもう形になり、そこから仲間を集めて、役者さんを募集して……という流れでした。5月、6月ごろにリハーサル込みで詰めていって、7月以降に撮影に入るという、短いスパンで進めました。
──俳優陣はどのように集められたのでしょうか。
僕自身、ぶっちゃけ無名ですし、「長編を撮ります」と言うことしかできなかったため、俳優さんはシネマプランナーズで募集しました。そこでは、とにかくちゃんとした作品であることを理解してもらうために、あらすじを0から100まで全部書きました。本作にはベッドシーンもあって、そうした部分も俳優さんにとっては当然気になるところでしょうから全て書いたし、報酬の面でも同様でした。
何も隠しておくことがない状況で、やたらと長い募集ページになりましが、熱意が伝わったおかげか、たくさんの方が応募してくださりました。それがあって同じ熱量の方たちとご一緒することができました。

──主演の戸張瞬さんは本作が映画初出演・初主演です。抜擢する決め手になったものは何でしょうか。
オーディションの演技もとてもよかったし、それより前に選ぶきっかけになったのが、彼が送ってきてくれたデモリールでした。それは恋愛もので、生徒役の戸張くんが、海辺で教師の女性と別れ話をしているという内容で、戸張くん的な言葉でいうと観る人を「キュンキュンさせる」演技をしていたそうです。
ただ、そこでの戸張くんの笑顔が、僕には殺人鬼のものにしか見えなかった(笑)。これはもう彼しかいないだろうと、その段階から目をつけていました。
──それはちょっと観てみたいです(笑)。他にはどんなところに魅力を感じましたか?
相手の話を聞いている時の表情筋の使い方だったり、細かな首の動かし方だったり、そうした部分に何か裏があるように見えました。同時に何かが欠けているというか、少し視野が狭い部分が垣間見えたんです。実際の戸張くんは視野の広い人だけど、演じるとそれが狭く見える印象を抱いて、彼にサトウを演じてもらったら面白いことになりそうだ、という予感がその時点でありました。
そこからオーディション受けていただいて、その場でもいろんなパターンを提示してくれました。それに、とにかく熱量があった。それで他の方よりもハマり役だろうと思えたのが決め手でした。
──サトウの役づくりに関しては、監督からどのようなアプローチをされたのでしょう。
サトウの食人願望は別にして、それ以外の日常生活の部分、生き方のトーン的な面では共感できる部分がありました。それは僕が脚本を書いたので、自分自身を反映しているということかもしれませんが。
戸張くんとは、オーディションや読み合わせも含めた共に過ごす時間の中だけでも、キャラクター像が見えてきた気がします。会うときはもちろん仕事として会うので、お互いにサトウのキャラクター像を常に考えて過ごしていたとは思いますが、彼にはなるべく自然体でサトウに近づいてもらうことを望みました。頭で考えるよりも、サトウとして過ごす時間や、僕と対話を重ねる中で人物像が自然に身に付いていく。そういうプロセスを大切にしました。
──ちなみにサトウが自宅にいるときの姿はTシャツにボクサーパンツ、そして靴下です。普通はスリッパで、そこにもサトウのキャラクターが表れているように感じたのですが……。
僕自身がスリッパを履かないんですよ。家にあっても履かなくて、本作でもスリッパはやめようと考えました。裸足でもよかったのですが、「靴下を履くほうが気持ち悪くないですか?」と戸張くんに言われて取り入れました(笑)。
Ⅱ
──劇場パンフレットに掲載されたインタビューでは「ショット→シーン→シーケンスの連続によって映画そのものになる」とお話しされています。本作では人物の選択が連なって、ひとつの物語を形づくっているようにも思えます。
そうですね。選択にも程度の差があるけれど、環境に流されるだけでなく、そこに抗うかのように選択する場合もあるし、逆にまるでその道が用意されているかのような、そういう状況のもとで選択する場合もあります。
人間の意思を単独のものとして扱わず、その人が置かれた状況とどうマッチしてそれが発露するか、そしてどう選択するのかという問題は、かなり意識した部分でした。そこで、人間の愛すべき愚かさのようなものを表現できればいいと思っていました。
──そのインタビューでは、ドストエフスキーの『罪と罰』に出会った時の衝撃も語られています。本作に『罪と罰』からの直接的な影響はあるでしょうか。
ドストエフスキー作品の登場人物と少し似ているところはあるかもしれませんが……、やはり本作の主軸にあるのは──闇バイトの設定もそうですが──「やってはいけないことをやってしまう」ことですね。サトウはサトウなりの価値観を持っていて、それを実行できる環境があり、禁忌を犯した末にそれ相当の報いを受ける。ドストエフスキーに近いのは、そこだけでしょうか。特に改心もしないですし。
──ドストエフスキーと異なるのは、サトウに葛藤や苦悩がほとんどないことですね。
彼はいかなる宗教を信仰しているわけでも、逆に無信仰でもないので、確かにそこは大きく違うところです。
──そうしたテーマがある一方、サトウを闇バイトに巻き込むコンビ(美南宏樹・伊藤広大)の役名には軽さがあり、そのギャップも面白いです。彼らの名前はどう考えられたのでしょう。
僕は、登場人物に名前をつけたくない派です。現実でも、出会う人たちとは自己紹介をしない限り名前はわかりません。反対に裏で会うような人たちや、社会の規範から逸脱した状況で会う人たちは、基本的に名前を明かさないのが普通です。
そういった不確定要素がたくさんある中で、僕らは人と関わっている側面があるので、脚本もなるべく名前をつけないようにして書きます。それこそ闇バイトの同業者は「同業者」としか書いていなくて、「サトウ」も中性的でごく一般的な「サトウ」だけです。
とはいえ、俳優さんを募集するときには役名が大事になってきます。やはり俳優さんは、与えられた役名に重きを置くところがあるので。それでコンビに付けたのが、あの名前でした。二人組であることを象徴しているし、彼らが果たす役割も端的に説明できていいかなと思って名付けました。

──彼らのツーショットの画が幾つかありますね。
シチュエーションによりますが、たとえば車内で二人がやり合って話す時は、彼らを同時に映さず、カットバックを使って衝突を撮るようにしました。サトウと対峙する場面では、2対1の関係性を示すためにツーショットで捉えています。その辺りは臨機応変に、シチュエーションに応じて撮り方を変えました。

──あのコンビに関わる起点と終点となるシーンで、サトウはアスファルトに横たわっています。その連関は設計されたものでしょうか。
重視したのはふたつのシーンの連関というより、端的に力関係を示す位置関係でした。でも、確かにどちらもアスファルトの上ですね。
Ⅲ
──続けて撮影について伺いたいと思います。しかし各ショットが凝っているので、オーディオコメンタリー形式でないと追いつかないと思うほどでした(笑)。
昔のDVDには、特典としてよくオーディオコメンタリーが付いていましたね。最近はあまりなくて、特に配信で映画を観る習慣が普及してからは、そういうものに巡り合う機会が少なくなりましたよね。個人的にはもっとやってほしいな、と思っています。
──本作はいつかソフト化するなら、オーディオコメンタリーを聞きたいと思える映画です。まず撮影にあたり、カメラマンとどんな打ち合わせがあったでしょう。
撮影を担当していただいた近藤実佐輝さんは、大学のサークルの先輩で、在学中から組んでいました。今回は画づくりの細部を決めていただくこともあったけれど、大まかなカット割りなどは自分で決めたうえで撮影に臨みました。
近藤さんも、僕のそうしたプランニングを理解してくださったうえで、もう一段俯瞰した視点から「ここはこうしたほうがいいんじゃないか」といった助言をくれて、画を固めていきました。
──同軸の寄り引きを効果的に多用しておられます。同軸で繋ぐポイントを決めていたとすれば、それを教えていただけますか?
引きを使うポイントは一応決めています。一般的にはシーンの切り替わりなどで使うことが多いと思いますが、僕の場合はその場で重大なことが起きてもう戻れなくなったり、何か新しい事実が提示される瞬間。それから、逃れられなくなった瞬間などにも引きを入れることが多いですね。
──たとえば看板の前に女性が立っているシーンでも、カメラが同軸で大きく引きますね。
車がフレームに入ってくるショットですね。最初に女が電話で話しながら車に気づく。その時に観る側は「ここで気づいた」という情報が欲しくなりますよね。もちろん、そこでカットを割らずにいいタイミングで車が入ってきても成立しますが、そこで引いてより広い情報を提示して、車がフレームインするショット構成にしました。その前の、車が坂を上ってくるショットからの連続性で空間が繋がり、続くショットで助手席の男が女に会釈すると、彼ら三人の関係性がわかる。そして地理的にサトウと女が交わる瞬間を引きで繋ぐことで、より強固な提示になるイメージですね。あそこは個人的にとても気に入っているシーンです。
──同軸の寄り引きは古典的な技法で、使いようによってはベタになりますが、本作を観て改めていいなと感じました。
すごくいいですよね。同軸上で使う人って、最近あまり見ないですね。
──サイズがシネスコで、これほど丁寧に同軸つなぎを重ねた日本映画は最近ないと思います。そしてサトウの「共犯者」が彼の前に現れる。ワンカットで撮れる距離ですが、やはり同軸でカットを割っておられます。
共犯者が家に入ってくる前に、まず引きで映しています。あそこは引きでなければいけないところで、混乱したサトウと、その姿を見て玄関で棒立ちしている共犯者の状況を、まず引きの構図で捉えました。
でも、共犯者の表情はまだ見えないので、次はどうなるか予測がつきません。そこで共犯者が部屋に入り込んできて、しゃがむタイミングで同軸に切り替わって顔へ寄ります。ここは大きな展開で、映すべきは共犯者の決意や力強さです。サトウの味方であることを近くで示してあげたかったので、しっかり表情が見えるようにしました。二人の距離感を縮める演出で、望遠レンズを使って撮りました。
──カットを割らずに撮ってしまうと、顔のインパクトが薄れますね。その後の顛末を見ると、あそこから二人が同一化しているようにも見えます。そういうイメージは持っておられたでしょうか。
脚本を読んでもらうと、「共犯者が可哀想だ」といった意見もいただきました。しかし、僕自身はそんなことはないだろう、と。この映画の中で、個人的に一番関わりたくないのはあの人物だというほど常軌を逸した人間として書きました。共犯者には何かしらの方法で最後はひどい目に遭ってもらわないと、と考えていたから、あの展開は自分の中では必然でした。それほど関わりたくないと思える人物です(笑)。
──逆にいえば異様に存在感が大きく、「怖い」ということですね。キャバクラ嬢のマリ(唯木美里)がサトウの家を訪れるとクーラーがつかない設定は、どこから発想されたのでしょう。彼女が動くきっかけにもなっています。
「クーラーの故障」は最初からあった設定でした。最大の理由は、サトウがあの部屋で暮らしていて何か困ったことが起きた時にも、それを放っておいてしまう性格を表したかったからですね。
その設定が、マリを動かす演出にも機能しました。あのような動線は全部リハーサル段階で決めたものです。ショットが多いので、芝居を作ったうえで、個々のショットを積み重ねて撮っていく形でした。
──今のお話で、後半のサトウの行動パターンが少し掴めた気がします。それからサトウが闇バイトのために町屋駅から北千住駅まで地下鉄で移動します。映画ではほぼ3分で描写していますが、実際の所要時間ときれいに一致している。リアルタイムで構成する意図はありましたか?
それはありました。本作で、リアルタイムで見せるシーンは限られていますが、その中でも前半の山場になるのが電車のシーン。サトウがあれくらい疑心暗鬼で周りを見渡していると、ちょうどひと駅分に相当する時間になるだろうと考えました。
──劇場パンフレットには、3DCGで作られたこのシーンの絵コンテを掲載しています。あれを作るだけでも大変だったのではないでしょうか。
すごく苦労しましたね。本当は全編の絵コンテを3DCGで作れたらよかったのでしょうが、とてもそんな時間や体力、技術力もありません。だから企画書の提出を求められるようなところや、とにかく事前の設計が重要なシーンを重点的に選んで3DCGで作っていきました。
電車のシーンを撮影するスタジオの広さは、実際の一車両分もなく、三分の一ほどでした。じゃあその中で、どこまで映して大丈夫なのか、そこへカメラを向けた時にどれくらいの深さまで入って、エキストラさんは何人並んでもらう必要があるのかといったことは、あらかじめ計算しておかないと現場でまごついてしまう。それで撮影時間が伸びると当然予算も膨らむので、その意味でも事前の準備が重要でした。
そこをなるべく正確に測るために、実際の大きさのスケール感で絵コンテを作り、人物も配置してみました。カメラワークに関しても、焦点距離を元に置く位置などを全部決めたうえで「これならいける」という段階まで固めておきました。それぞれのショットに番号を振っておいて、現場では撮れるところから撮っていく形で進めていきましたね。
──サスペンスに満ちたシーンです。人物のサイズもあらかじめ決めていたのでしょうか。
決めてはいたものの、シミュレーションと現場ではやはり違う点もあるので、そこはフレキシブルに変えていきました。
──ここは視線劇が持続して、サトウを真正面からクローズアップで捉えるショットに展開します。正面のアングルはどのように構想されたでしょう。
あのショットに関していえば、サトウの正面に座っている人物とのカットバックとして使うことが最も重要でした。ただ、正面から人を捉えるショットには、かなりの覚悟が必要です。だから、電車のシーンの人物同士の対峙の最後に正面を用意しました。やっぱりあそこがあのシーンのクライマックスなので、観る人をグッと引き込むために正面のアングルを使うことにしたんです。
──あのカットバックで思い出したのが、『羊たちの沈黙』(91/ジョナサン・デミ)でした。カニバリズムというテーマも関係しているかもしれませんが、撮影までにデミのことを考えることはありましたか?
意識はしませんでしたが、『羊たちの沈黙』は大好きで繰り返し観ているので、自然に染み混んでいる部分があるかもしれないですね。
──サトウがボーイを勤めるキャバクラのバックヤードで、マリと会話するシーンでも正面カットを使っています。視線の高さも揃えておられる。ここにはどのようなプランがあったでしょう。
ここのアングルも正面ではありますが、狙いとしては二人のあいだの物理的、そして心理的な距離感を出すために、カメラが中に入って彼らを切り返す。そこでのちょっとした同軸の寄り引きで、関係性と駆け引きを表現しようと考えました。

──ショットへのこだわりから想像したのですが、撮影時にかなりリテイクされたのではないでしょうか。
具体的な数字だと、最も多かったテイクは36です。他のシーンでも10テイク程度は普通にあったから、自分としてはまだ少ないほうだと思っています(笑)。
──明らかに多いと思います(笑)。そのショットと、リテイクした理由を教えてください。
サトウが大きな出来事を起こして、これから動かないといけないというときに、隣の部屋に行ってあるアイテムを取って戻ってくるショットです。戸張くんとカメラの動きが完璧にシンクロする必要があって、それでテイクを重ねました。
サトウが早足でちょっと急いでアイテムを取りに行き、それを袋の中から引き出して部屋に戻ってくる何気ないショットですが、隣の部屋から入ってくるサトウを捉えるのとほぼ同時にカメラを下に振ってアイテムを撮って、それを持って移動するサトウに合わせて今度は少し上げて……と、カメラと人物の動きが一体となり、次の展開へと観客を引き付ける大事なショットだったため、ほぼ理想形になるまでに36テイクを要したんです。
(2026年7月)
取材・文/吉野大地
